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はてなキーワード: 社内政治とは

2023-11-21

anond:20231121162326

まり別に立項されてる「政界政治世界)」と「社内政治」の「政治」が意味することは違うってことね。

政治世界」と「政界」を別の概念として捉えてるならそれはそれでまあ独自定義ってことでガイであることには変わらないんだがどっちでもいいぞ。

anond:20231121155444

社内政治」と「政治世界」での政治意味することがぜんぜん違うことについてはスルーなの?

どっちも辞書政治の項の開設で一番目にされるか二番目にされるかぐらいの差しかないので根底流れる原義は同じだろ。全然違う「わけがない」

あとアスペっていうとどっちかというと書かれた文章意味理解できなかった側に使うレッテルじゃない?書き手に使うのってどうなん?

それはともかくかりに政治云々が不適切だったとして、増田では両方を同じぐらい叩かないと片方に対する叩きは口先だけで本心としてはより叩いてるほうを叩きたいだけって(特に政界なら当たり前に)思うことがなんでおかしいんだ?

anond:20231121154909

「腹の探り合いや駆け引きが生じうるすべての人間関係において」って意味で「政治世界とか」って書いたわけか、アスペなんだな。

政治世界とか」でメインは「政治世界」であり、「とか」が意味するのは「政治世界に付随する界隈」であって「人間関係全般にある政治」の意味で伝わると思ってるならマジでから国語勉強したほうが良いぞ。

 

社内政治」と「政治世界」での政治意味することがぜんぜん違うことについてはスルーなの?

anond:20231121153842

社内政治」と「政治世界」での政治意味することがぜんぜん違うんだが、文字が同じだから意味も同じだと思ってるんだな、日本語苦手すぎるだろ。

政治世界とか」のとかって具体的にはどこの話?

とかって付けてるとしてもメインが「政治世界であることには変わりないんだからおかしいぞ、「今日ご飯はうんちとか」って書いてても「とか」ってついてたらおかしくないって主張か?

anond:20231121152646

社内政治って言葉とか知らないの?政治っていったら腹の探り合いとか駆け引きぐらいの意味で使うことも多いでしょ。それにかりに政治をお前がいうぐらい狭義に解釈したとしても「政治世界『とか』」って言ってるじゃん。なんで政治限定するん?

OpenAI社員9割が退社チラつかせてサムの復帰を迫る

アメリカって会社デカくなるとこういう社内政治ばっかで嫌なんだよな~

日本で言うJTCに対応するのがUIPC; US internal company politicsだと思うよ

2023-10-28

anond:20231028182434

出る杭を潰す社内政治的に新しい仕事も糞もないんやろなあ

2023-10-24

anond:20231023164718

アスペはどこもダメそうだ

三者とも偶然殿の目に止まって気に入られれば一時期は良さそうだけど

信長…よくわからん地雷踏んでクビ

秀吉… よくわからん地雷踏んでクビ

家康社内政治が苦手なアスペすみっこの方に追いやられる

2023-10-23

業務としての仕事をこなすだけでいいんじゃないか。整理することができた。

今の会社にもう7年勤務している。

転職などは考えていない。

年収に満足しているし、仕事の内容もそこまで悪くない。

自分の最良で仕事コントロールできるのでほぼほぼ定時で業務を終えている。

週に1〜2回ほど出社することもあるが、通勤は軽い運動だと思っている。

ただ、長くいることもあり、後輩教育組織のあり方や会社風土文化なんかの課題をどうするかみたいな会話をすることが多くなった。

これについて大体1年ぐらい、変えることでいい方向にいくのならと取り組んでみたがこの1年を振り返ると何も進捗がない結果となった。

なぜ、結果がそうなったのか自分なりに考えてみた。

一つは、そもそも組織のあり方、風土文化を変えるというミッションが単なるボランティア活動だった。

そもそも、そこに本当に課題があったのか、改善する必要があるほど問題だったのか。というところが曖昧であった。

また、私や周りにこれを変えるための権限指揮権がなかった。ゆえに私達の活動啓蒙程度にとどまり浸透も発展もなかったのだ。

私の性格からすると普段こんなことはしないが、しないだけになんかやってみるのもいいかなと新鮮な体験をしたく行動してみた。

行動した結果としては期待値とは違う結果になってしまったがこの経験は私にとってはい経験だったかなと思う。

こういう経験を得て、私はまた自分が関わる業務「事」だけに集中し、社内政治とか社風や文化みたいな話についてはそういう環境なんだと理解し変えられないものを受け入れていこうかなと悟った。

時期がきたらもしかしたら権限指揮権なんかがもらえたら、今日までの経験が次に活かせるかも知れないしね。

会社を変えようと息巻いている人がいたら巻き込まれないように今後は注意していこう。

2023-10-08

anond:20231007180430

シマコーが一般的オーディオマニアとは思えないレコードの持ち方してる!

いや、DJは昔からこんな感じで扱ってたよ?

シマコーってDJやってたの?上場企業肩書きをかさにきて、女と社内政治を回してだけじゃないの?

どう考えても、DJを持ち出した人間話題を歪めてしまっている。

そこはシマコーのレコードを持つ手つきがイヤらしい。長年女を弄んできた手つきにみえるとか、そういう方向でいくべきだった。

2023-10-05

anond:20231005150011

英語技術なんか頑張っても給料に反映されないんだから社内政治頑張っている人のほうが賢くないか

anond:20231005140844

無能とまではいわないが同意

有能なエンジニアIT英語できる人が多いかちゃん正式名称で言うことが多い印象。

英語できない人はこういう用語使うけど、社内政治とかのイキリパワーは強い印象。

2023-09-18

anond:20230918014047

その昇進は罠だ。

上司は近い将来に、会社乗っ取りを企てていて、

イエスマンのお前を管理職につけておくことで、乗っ取りスムーズに進めようという腹積もりだ。

だが、そのクーデターは失敗し、上司派の一味と誤解されたお前は上司とともに追い出し部屋に送り込まれる。

臭い社内政治に巻き込まれたくなかったら、絶対に昇進は拒否したほうがいい。

2023-09-16

SIerしかいたことがなくて、初めていわゆる"Web系"で働いた感想

結論から言うと「やっぱりWeb系がいい。SIerは正直ゴミ」です。

今ではそこまで「SIerも悪くないよ」とか言われますが、個人的には普通にゴミだなと思ってしまいました。

私の感じた違いは以下のあたりです。

・朝から晩まで新聞読んでたりお菓子食ってたりダベってたりして仕事しないオッサンが少なくて、快適。

・「やります〜」って言って、すぐできることなのに無駄にダラダラして仕事引き伸ばして、実際にやるまでに7時間位掛かるような人が少ない。

社内政治のため(上司のご機嫌取りとか)の仕事をする人が少ない。

・金さえもらえればプロダクトに興味ないとか、クライアントに興味ない、いわゆる「やる気のない人」が少ない。

Excelの誤字脱字をひたすらチェックするような虚無感の強い仕事が少ない。

・「こんな古くさい技術、他の何のプロジェクトで使うねん」っていう枯れた技術をあまり使わない。(ゼロではない

作業スペースが広い。オフィスがきれい女子が多い。総務の人がかわいい。(SIerにも可愛い総務の人はいました。)

・開発用PCに色々と楽にインストールとかできる。いちいち申請かいらない。

 セキュリティ基本的には社員を信用する形にしてるので、ルールガチガチじゃなくて快適です。

・上の話にも通じるが、勤怠のルールもゆるい事が多い。

服装自由なので、無意味スーツ強制されない。

正直多少給料が下がったとしても、人生全体の満足度が大きく違うので、Web系の方が全然良いです、というか

もうSIerで働くの無理だなと思ってしまいました。

エンジニアリングっぽいことをして帰った夜と、誰でも出来るエクセル編集作業をして帰った夜では全く感覚が違う。

と少なくとも私は思いました。

とにかく、働いているエンジニアの層が違う。

自己研鑽して技術を身につけようとしてる人がWeb系には多いし、

ゴルフ始めて上司や客に気に入られようとしてる人がSIerには多い。

最初結論釣りのために大げさに書いていますが、

実際はゴミというより、人それぞれの好みなんだと思います

仕事のやり方とかは、Web系の方が人に依存しすぎてて運用だってたりしますし。

その点SIerは「誰でも出来るようにする」ことに力を注いでいるので

標準化手法はめちゃくちゃ上手いなと思いました。

まあでも、普通にやる気がなくてサボるオッサンがチームにいないだけで快適度が違いました。

となりで永遠に天を仰いでたりお菓子食ってたり新聞読んでる人がいると、本当に「なんだコイツ?」ってなるので。

仕事しないなら帰ってくれ。

人それぞれの好みだとは思いますが、もう私は二度とSIerでは働かないと思います

2023-09-14

anond:20230914225729

自社開発で飽きるというのは自社開発のことをよく分かっていないな。

自社開発は長くやっていると変な社内政治に巻き込まれるか、そこから距離を置いてつまらない仕事をやり続けるかのどっちかだよ。

から数年働いたら辞めて別の会社に行く人がとても多い。

受託認識は凄く正しい、よく分かってるじゃん。

いいソフトウェアを作り出すよりもそれなりの品質のもの効率よく作ることが利益になるから一定知識をつけたら脳死で働けるのは嬉しい場所だ。

SES現場によりけりだろ、ハズレ引き続けたら地獄だよ。

通勤に2時間以上かかる現場に飛ばされたりさ、紙にコーディングさせられてたときは楽しむより殺意が湧いたぞ。

2023-09-06

JTCの大半って長く勤めて手に入るスキルって政治力だよな

役員の○○さんには事前に筋を通す」とか「○○本部長はちゃんと前準備したことアピールしないと反対してくる」とか

そういう社内政治的な事しか身につかない

から他社に行っても役に立たないことが多い

2023-09-03

JRPG発売間隔長すぎ問題

ドラクエ9(2009年)からドラクエ11(2017年)で8年間。

FF15(2016年)からFF16(2023年)で7年間。

中高生あいだに一度もシリーズに触れない層が出てきてもおかしくない。

こんなんじゃ若者JRPG離れも仕方ない。

ポケモンはその辺ちゃん意識していてきっちり3年間隔でシリーズ本編を出している。

しかしそのポケモンオープンワールド化に足を踏み入れたので、今後も3年間隔で出せるかどうかは怪しい。

最近クリーチャーズがやたらと求人出していたりゲームフリークが競プロスポンサーやったりしているので、開発体制の強化を行っている気配がする。

スクエニもそういう危機感を抱いていたかクリスタルツールズやルミナスエンジンでなんとか乗り切ろうとしたんだろうけど、期待通りにはいかなかった。

そういえばFF16は何で作られてるのかなと思ったら、ラデックエジンという内製のエンジンらしい。

外部のエンジンを使わないのはいろいろ社内政治とかあるんだろうなぁ。自社の技術が失われてしま危機意識も分かる。

サガ・スカーレットグレイスはUnityを使っていたけど、あれは社内での実験だったのか、自社エンジン反対派の抵抗だったのか。

サガスカは高い評価の割に売上はあんまりだったけど、Vita版発売後もPS4SwitchAndroidiOSSteamと何度も移植されてちょっとだけ売れてた。

あいう売り方ができたのは汎用エンジンの強みだよなぁ。

新卒で入ったJTCを辞めて博士留学を始めた。

〜はじめに〜

私は新卒入社した企業をたった2年で辞めてアカデミアの世界に戻ってしまった。

周りから見たら堪え性のない最近の若者って感じだろうな。

共感してもらえるとは思わないが、なんとなく聞いて欲しくて書いてみている。

就職するまで〜

国内国立大学修士課程卒業して新卒でJTCに入社した。

分野は特定されたくないのでぼかす。

恐らく日本人なら誰でも聞いたことがあるメーカーだ。

入社した理由は周りの多くが修士を出て大企業就職してたから、お金もらって研究続けられるならそれでいいかと深く考えずに入社した。

元々研究が好きで就活時もR&D一本で就活していたので、結果的に見れば理想通りの進路だった。

業務内容について〜

最初研修を経て研究職として地方研究所に配属され、近くの寮(一人部屋)で一人暮らしを始めた。

しか入社して半年程度で、自分仕事に全く楽しみを見出せなくなってしまった。

まず研究について。

これは企業なので仕方がないのだが、入社時に希望していた研究テーマ(仮にAとする)と大きく異なる分野に関わることになった。

Aは就活当時に海外研究が盛んになっている分野で、産業的に日本にも入ってくるかどうかというタイミングだった。

就活の時には研究所の偉い方々とAの話で盛り上がった。

事実、私が入社したタイミングでその研究も立ち上がったのだが、残念ながら自分メンバーではなかった。

正直、誰よりも興味があったし先行研究もそれなりに知っている自負があった。

勿論、新しい研究の立ち上げに加えて新卒教育なんて大変なのはわかる。

ただ自分にとって真横でAの研究が行われるのを傍観し、全く異なる別のテーマ情熱を注ぐというのは正直かなり無理があった。

上司と話す機会もあったし私がその分野に強く興味があることは知っているはずだが、どうもその上司育成方針からして私は何年経ってもその分野に関わることはないだろう事を悟った。


人間関係について〜

また入社時にはコロナ流行しており、半年たっても会ったことのない部署の先輩がいる程度に希薄人間関係が出来上がった。

元々研究所はその特殊性から人員移動がほとんど起きず、10年単位で同じ課にいる人がいる程度にはクローズドコミュニティだった。

普段なら人付き合いは得意な方なのだが、その閉鎖性とマスク越しで想像し難い同僚の表情に勝手に畏怖してしまい、必要以上に気を遣う付き合い方を始めてしまった。

気づけば半年も経つ頃には人付き合いに対して過度に気を遣って自滅してしまい、人付き合いに楽しみを見出すことが出来なくなってしまった。

家と会社を往復して酒飲んで寝るだけの生活に終止してしまい、家族や友人にも会えずなんのために会社で働いているのか分からなくなってしまった。


待遇キャリアについて〜

また、自分の周りの方々を見ていると自分キャリアがこの先どのように進んでいくか、人生が概ね見えてしまった気がした。

新卒年収が400万、3-5年ごとに100-150万ずつ上がって、40代でもし課長になれば1000万超えるとか、そんな感じの年功序列が色濃く残る給与テーブル

研究員は10年とか努めたら突然の辞令研究員ではなくなり、別部署主任になるのが大半みたいな。

大体三十歳前後結婚して、近くに家をローンで買って、子供育てながらずっと勤め上げるみたいな。

恐らく多くの人から見たら幸せ人生なんだと思う。勘違いして欲しくないのは、私はそれを全く否定していない。

それでも自分には魅力的に映らなかった。

まず第一に、自分研究が好きで博士号に憧れを持っていた。

日本では取っても食えない足の裏の米粒とか言われているが、それでも私は研究に携わる上でいつかは博士号を取得したいと思っていた。

入社当時は社会人博士等も考えたのだが、会社としては肯定的ではなかった。

研究所にも関わらず職場では実務には必要ないという考えが主流で、事実博士号を持っている方々もそれに見合った待遇は全くなかった。

しろ時間と金をかけているのにほぼ年功序列のため、同年代の同僚と加えて損しているような状況であった。

もちろん全ての会社がそうではないと思うが、私は博士号を良しとしない日本の風潮と会社に大変に失望した。

また別の理由として、人生で一度は海外生活してみたいという強い思いがあった。

元々いつかは海外駐在をと思って会社を選んだが、入社してから研究員として駐在するというポジションはなく経理営業ほとんどであることも知った。

それどころか会社研究員を続けたら海外に行く機会はなくなり、10年も腰を据えればある日突然の辞令研究員ですら無くなってしまうのだと理解した。

はいつか研究から離れるにしても、少なくともその引き際については上司裁量社内政治の巻き添えではなく、自分意思で決めたいと思った。



受験準備〜

入社半年上記のような数々のギャップを抱いた結果、海外博士号を取るという決断に至った訳である

どうやら博士号欧米では十分に評価されるらしいとか、海外大学院授業料無料生活費までくれると聞いたのが大きな理由だ。

よくも知らないのに受験して海外に来ているなんて、今思えばかなり無謀なことをしているように自分でも思う。

また研究世界はどこまでいっても英語公用語であるため、基礎的な学問母国語習得した上でなら英語研究遂行する能力必要だろうと考えた。

幸い職場ホワイトだったので、勉強する時間は存分に確保できた。

主に米国大学院に絞ったため、一年目の秋頃からそれに合わせて準備を始めた。

大学院留学には主にTOEFLIELTS使用されるため、私はIELTS選択してオーバーオール7.0まで取得した。

元々英語趣味だったので、こちらは半年程度で到達できた。

続いてGREスコアを取得した。

GREとはGraduation Record Examの略で、米国大学院受験する際に要求されるスコアだ。

ただ近年では研究能力と関連がないという意見も多く、廃止される大学も増えてきている。

こちらも半年程度で目標としていた点数(Verbal 150, M170, AW4.0) に達した。

2年目の秋頃から書類を揃えて本格的に海外大学院Ph.D.プログラム日本でいう博士後期課程)に応募を始め、三校から合格をもらった。

自分レベルに見合う中堅の州立大学をメインに受けたのでIvyのようなトップスクールではなかったが、それでも合格が来た時は本当に嬉しかった。

合格した中には修士時代に少し交流のあった先生からの誘いが含まれていて、これ幸いとそこを進学先に決定した。


退職まで〜

合格が決まったので退職職場関係者に報告した。

反応は様々だった。

新卒で2年しか勤めてないのに辞めるのかとかなり叱責してくる上司もいて辟易したりもしたが、実際会社から見たらただの不良債権なので仕方ない。

そもそも会社辞めて海外留学なんて叩き上げ管理職からしたら当てつけのように感じたかもしれないから、分かり合えないのは仕方ないと割り切った。

管理職ではない方々は割と優しくて、割と前向きに送り出していただくことが出来た。

大変に良い人が多かったので、コロナ禍でなければもっと良い交流を持つことも出来たのかなと少し残念に思った。


博士留学してみて〜

アメリカでの博士課程生活は大変に気に入っていて、現状は概ね満足している。

一度社会人経験してみて履修する講義はどれも面白いし、大学時代よりも自分に存分に投資できる時間を嬉しく思っている。

ただ給料が出るとはいえ大学院生なので、収入の面では下がってしまった。

現在給与は年間で大体$25,000くらい、日本円だと350万円くらいかと思う。この額は多分アメリカ州立大学大学院生の平均的な給与だと思う。

そもそも好きに勉強して研究するだけでお金が貰えるので、自分にとっては天国である

自分としてはむしろ授業と研究だけで350万貰えるのに、フルタイムで苦労して働いて400万しか貰えなかった日本大企業やばない?と若干思うところもある。

まあしかしアメリカ田舎なので物価は安めだが、日本の時と比べると生活費は上がってるので前より余裕はない。

大学院としては年間$30,000(約400万円)の学費免除経済支援の一部としているので、それを踏まえると待遇は上がったかと納得している。

残り2-3年で卒業を目指し、卒業後は現地就職する予定だ。

アメリカでは博士卒が民間就職した場合自分の分野では平均$80kから100kは貰えるそうなので、給与の面ではJTC時代を大きく上回る算段となっている。

周りをみても外国籍特に問題なく就職しているので、日本博士卒の就職難というような問題こちらでは無縁のようだ。景気さえ悪くならなければ大丈夫だろうと思う。

幸いビザ問題とある理由クリアできる目処があるため、卒業と現地就職を目指して今後も研究に励むつもりだ。

海外生活も日々新鮮に感じることが多く、自分にとっても成長を感じる機会が多くて楽しく過ごせている。

生魚や焼き鳥が恋しいが、日本食材自体は売ってるので思ったより食事が辛いということもない。


最後に〜

自分は体質的日本企業には合わなかったのだろうと思う。

元々人付き合いは好きだが、上下関係気遣いは得意ではないので大分ストレスに感じていたように思う。

年功序列自分には向いていない制度であったし、自分意志を介在せずに自分処遇が決まっていく組織というものにに耐えられない性分でもあった。

それでも日本大企業入社してみた経験自体は確かに生きていて、培ったマナーであったり規律等は学生上がりが多くカオスアメリカ大学院生活でも大変に役立っている。

自分別にアメリカを礼賛しているわけではないが、少なくとも私のような青二歳の外国人にも挑戦すれば機会が与えられて、能力があれば高い給与が貰える可能性があるのだとすれば、これは私にとってのアメリカドリームに違いないだろうと思う。ドリームというほど上振れてもないけれども。

同じようなことで悩む若者がいたら、少しでも参考になれば嬉しい。

2023-07-20

バンナムはもう面白いゲームを出せないのか

バンナムやらかしてるのを見るとどうしてもこの記事を思い出す。

https://reskill.nikkei.com/article/DGXZZO51130700Y9A011C1000000/?page=2

例えば、バンダイでは1人のプロデューサー複数ゲーム担当します。数をこなすために、実際の開発は外部の企業委託します。商売への執着心が強いバンダイは「狩猟民族」のようでした。

鵜之沢さんは商売人のプロフェッショナルです。交渉相手突っ込み、撃沈して帰ってくるということもありました。

バンダイは、全員がそうではないと思うが、ゲームを作り込むのではなく商売することに軸足があるんだと思う。

ちなみに鵜之沢氏はドラゴンボールゲームキャラIP理解が甘すぎてマシリトボツを食らった人。

この記事面白かったので読んでみて欲しい。自分は正直、呆れた。

https://www.itmedia.co.jp/business/spv/1912/06/news020.html

一方、ナムコは例えるなら「農耕民族」です。ゲーム企画からジックリと作り込みます

ナムコゲームを作り込むことに軸足があって、その分商売は上手くなかった印象。

会議でも如実に違いが表れますナムコはひたすらゲーム企画内容を説明します。バンダイではゲームの中身にほとんど触れず、どことコラボするか、マーケティング戦略など売り方を重点的に説明します。

これを読むと、「じゃあナムコ出身がじっくり作り込んだゲームバンダイ出身が売りさばけば最強やん」と思うし、実際それを狙った合併だったんだと思う。

でも、こういう社風、特色をみる限り、バンダイ出身者のほうが社内政治に強くて、ナムコ出身者は社内政治に弱かったんだと思う。

事実、今のバンナム上層部バンダイ出身者ばかりだ。

自分ナムコゲーが好きだったから、どうしてもナムコ寄りの見方になってしまうけど、バンダイ合併して、社内政治の強さからいろいろな物事バンダイ寄りに、商売第一になっていって、いわゆる大企業が用意する、コスト低減の徹底されたスキームに乗せてゲームを作らざるを得なくなった結果、ゲームのものイマイチになってる…という状態じゃないかと思う。

もうバンナム面白ゲームを、いや、ナムコ面白ゲームを出せないのかな…と虚しくなった。

2023-07-12

父が死んだ。葬式もした。

喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。

父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである

 

父は1940年代まれ日本人男性である出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎である

6番目の息子である工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。

 (おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライであるいじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)

工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学メーカー就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。

職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学化学科に進学した。

学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である

趣味登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生もっともイケイケだった時代かもしれない)

そこで一学年年上にあたる女性出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人笑顔が気さくだった。

怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。

話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。

1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。

父は卒業化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社腰かけ事務職」をして寿退社初任給洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。

二人は親へ挨拶をすませ神前式結婚式をあげた。新婚旅行国内)ではパンタロンネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。

1970年代。m市の社宅に二人暮らし妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行出産も一応カラーだ)

夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。

(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)

二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このとき増田も母実家に連れていかれた。

このころ叔父浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父マンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田学研漫画植物百科を買ってくれた。

三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)

というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。

というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。

だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。

(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコ容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)

そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、

そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。

とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。

まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。

1980年代、父はチバラギの片隅に土地を買って家を建てた。

そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。

(このへんで、のこり全部の西にいる親類から東京叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博ディズニーランド成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)

お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。

 

増田と父と電車記載を削除)

 

そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、

母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。

子供が「いやもう自分大人から口出しをするな、するなら人生最後まで口出しする覚悟しろ恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、

父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。

その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。

子供教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである教育となったら教育だけをするのだ。

「もういいか子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。

しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。

庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。

父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。

(ほかにファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らしイメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。

今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。

学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)

母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。

ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。

父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。

幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。

郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。

手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。

そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。

 

ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。

母にとっては子供庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。

母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。

Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。

母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。

「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、

それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当理由がつけられ、反省書となった。

反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。

まるで自首後の犯人動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。

 

この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。

あるときなど増田が呼び出されて母と東京カフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである

どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。

増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。

ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときときょとしながら口をはさむ隙を探す。

まるで楽園のなかの地獄であった。

やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。

カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである

増田遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである

理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。

後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!

父は平謝りするしかなかったらしい。

増田ボケがきたか気がくるっているとしかおもえなかった。

でもその場で諭そうにも耳も悪い。

「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。

もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである

補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。

それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。

子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。

  

でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田子供たちに直接説得も試みた。

ところが増田子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯業務用)に電話をかけることがつづいたのである

運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。

このことは増田子供の送迎がいらなくなりガラケーアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときブロックは解除した)が

ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟増田の伴侶に「増田ちゃんわたしブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。

   

父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。

父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。

酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。

母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである

かにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。

なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。

途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。

父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。

母親認識は古くて「介護認知症施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、

父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。

まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在チバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。

 

母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田ドライに告げたので増田市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。

実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。

父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。

頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。

ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人介護をうけることにして解決となった。

  

他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。

ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。

コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、

ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。

母はユーチューブをおぼえた。

コロナワクチンふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である

 

増田の残りの二人の兄弟子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。

  

そうして2*年の闘病、*年の介護認定酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。

母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。

 

父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式相談のあとにも爆発した。

かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、

はいます資金をすべて自分の口座に動かそうというのである

それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。

今すぐにでもATMにいってお金おろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたか葬式費用ではない。)

なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単からのぞんでいたんでしょう。

anond.hatelabo.jp/20230712024305

2023-07-08

anond:20230708085501

元増田は見ず公開処刑にだけ言及してるんやで。つか割とワイ公開処刑するしな

やっつけてやったぜ!と言うよりは言うこと聞いてくれないので他に仕方なくってヤツやな

 

なお、それで物事好転したことは一度もない(問題の箇所は修正されるが)

良い悪いは別として、組織から人を追い出す権限社内政治能力、もしくはドン引きサイコパスさが無いと、公開処刑はしても意味がないで

恨んだり不貞腐れたり休みがちになりながら該当人物は組織にそのまま居座るし、チーム全体が満遍なく微妙場合はただチームの空気が悪くなるだけだ

ポンコツリーマンポンコツリーマン同士仲良くするしかない

それが嫌ならポンコツリーマンがいないところで生息できるレベル自分がならなきゃいけない

それは現実的ではないですねの場合は週2ー3とかで参画すればストレスは減りそう

2023-06-22

anond:20230622220425

逆に言えば社内政治に勝つことこそ出世要件

ラインメチャクチャになってる頃にはソイツは現場を外れて出世してるんだろうなー笑

管理職パワーバランスによる人員配置の差を見せられてる

所属部の中にラインが5個くらいあって、その上に部長がいるという組織構造なんだけど、そのうちの1つの管理職のパワーが明らかに強い。

人事異動期ごとに自分が使いやす人材を集めて、使えないやつは別ライン押し付けてるのが明らかにわかる。

仕事が多すぎて回ってないラインがあるのに、自分ラインに他部署からの増員入れて、いらない奴を別ラインに入れてる。

そんな感じで要領良くいい駒ばっか持ってくから益々成果も上がるし上長にも好かれるというスパイラルでもう誰も止められないんだろうな…

社内政治っていやだな

2023-06-16

anond:20230616121127

仕事だけで終わるといいんですけど社内政治が付帯してくるからなぁ

 

まぁ技術だけで食えないポンコツから致し方なしではあるんやが

2023-06-10

anond:20230609180256

会社だとMS製品以外とても使うハードルが高い。

自分タブレット持ち歩いている人もいるけど、情報セキュリティを盾に社内政治的に嫌がらせされたらダメージが滅茶苦茶大きくなるパターンからやりにくい

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