はてなキーワード: 社会悪とは
これは間違いだと思う。
結論を先に言うと、人は誰しも秩序のある方へ向かおうとしているんだと思う。
自分が「Aが苦手だ」と発言したことをきっかけに、周りもそれに同調してAを無視するようになった…っていうある増田の話から。
俺が思うに、みんな「学校」っていう社会の秩序を守るために、Aのことを嫌いだと言い出せなかっただけだと思う。増田がぼそっと呟いたことで「ああ、Aのことを苦手なのは自分だけじゃなかった。Aが苦手だという自分の感性は間違ってなかったんだ」と安心して、増田という「秩序」にみんな向かって行ったんだと思う。
もし、増田の方がおかしい、と思う人がいたらAという「秩序」に向かったと思う。そして、敵対する。
別に、攻撃をしたいわけじゃない。Aが秩序を乱すから、排除したい…っていう、結果的に攻撃行為になっただけなんだよね。ただ、今こうして「一つのクラス、一つの教室」っていう、トラブルのない秩序の保たれた状態があるのに、「個人的にAが苦手だから」って理由でAを排除するのはあまりにも身勝手過ぎる(トラブルを招く、混沌をうむ)。しかし、増田が発言したことで、Aがいない状態のほうが「正しい秩序である」という確信を得たクラスメイトは、Aを排除しようと動いたわけ。
ここで、増田が新たに、Aを排除するのは間違っていると取れる発言した。つまり、個人的にAは苦手だが、Aは社会悪というほどではなく、これもまた秩序の内に加えるべきだと。しかし、周りはAを社会悪と捉えてしまっている。だからといって、ここで意見が対立してしまうと増田は「社会悪の味方」となり、排除する動きになってしまうかもしれない。クラスの中で増田がどういう立ち位置にいたのかは知らないが、それは違うと。増田は悪くないと思ったからこそ、みんな渋々了承した形になったんだと思う。
眠い中、思ったこと書いてるだけだからうまく言語化できていないが、ともかく、みんな秩序を保ちたいだけなんだと思う。大きい世界で言えば、コロナ禍か?各々が信じる秩序の形を目指して、正義を執行していたんだと思う。別に、誰かを攻撃したいわけではなくて、社会を守ろうとしていただけだと思う。もちろん、そんな大層な想いを持っていないただのやべーやつもいるが。
後、増田はこれをいじめだと表現していたが、それも違うと思う。いじめに発展する可能性はあったと思うが、いじめは単なる弱いものいじめだから。
あれは秩序ではなく、好き好んで混沌状態を作ろうとする(=自分が強いとアピールする)やつらが行うことだと思う。社会悪。彼らは根本的に秩序よりも混沌に重きを置いている。言語化が難しいが、自分の安全よりも、自分が強いことを主張したい。自己アピールが強いやつらだ。
今日も今日とてX(旧ツイッター)が生成AIのあれこれで燃えている。
直近の一週間だけでも、ゴールデンボンバーの配信音源ジャケット絵・プリキュア20周年・文化庁のパブコメ公開第一段……と、もはや日替わり定食かという勢いで話題が移り変わっている。
生成AIの推進派(親AI)と規制派(反AI)が互いの陣営の行儀が悪い行いをつるし上げ、ファンネルを飛ばし、お気持ち表明を行い、相手をバカにし、互いを憎み合っている。
反AIの一部ネームドアカウントを中核とした集団は先鋭化&晒し&引用リプライ爆撃を続けており、また親AI側も徹底的に文化庁資料や現行法を基礎とした理詰めロジハラでの徹底抗戦を継続。
反AI側の言動が、過去にXで繰り広げられていたツイフェミ・悪質撮り鉄・限界左翼・反ワクチン界隈の言動と重なりつつあるのだ。
そして、反AIを正面から叩き潰そうとする親AI側もまた、上記4界隈の敵対サイドに重なる要素が見えてきた。
この増田では、生成AIを巡るインターネットバトルを蚊帳の外から傍観する自分が上記の様に感じた理由を述べ、その上で生成AIを巡るインターネットバトルについて今後の進展を予測したいと思う。
温泉や献血の広報活動への二次元美少女起用やサイゼリヤで喜ぶ美少女絵への攻撃を中心にX上での活動をしていたツイフェミ界隈。
ツイフェミの電凸攻撃のせいでキャンペーンが中止となった事もあっただろう。例えば、マイメロママの発言をまとめたグッズの発売中止などである。
そんな過去の栄光(?)はどこへやら。もはや昨今では発言力を失い、2024年に至っては三重交通への物言いをした程度しか記憶に無い界隈である。
こんなシーンに覚えはないだろうか?
それまでは特に問題ないとして世の中で扱われていた広告や広報コンテンツに対し、ツイフェミ界隈の大御所が苦言を呈すると、まるでゾンビ映画のワンシーンの如く大量のツイフェミアカウントが群がって攻撃をする。
半年以上当たり前のように掲示されていたポスターや、一年以上サービスを継続していたゲームに対し、突如として大量のツイフェミアカウントが群がり、襲い掛かり、電凸を行う。
襲い掛かるツイフェミアカウントの中の人にとっても、もっと早くからそれら攻撃対象は目に入っていただろう。
何なら、ツイフェミアカウントの中の人の通勤経路上にそれらコンテンツの広報ポスターなどはあたりまえに掲示されていただろう。それを一切問題としてとらえる事なく、平穏に日常を過ごしていただろう。
そんな、静穏な日常を送っていたツイフェミアカウントたちが大御所ツイフェミの攻撃指示を受信するなり、
突如狂暴化して攻撃的になり、「ツイフェミのルールで攻撃して良い存在」めがけて攻撃を開始する。
この行動を、「犬笛を吹くと突然ファンネルが襲い掛かる」と形容した次第である。
某イラストレーターや某同人作家や某漫画家、あるいは正体不明のよくわからないネームド反AIアカウント(もやし、水玉、赤髪、モノクロ男性など)が取り上げるやいなや、
彼らが取り上げた存在は「攻撃して良い存在で社会悪」と認識され、無数の有象無象によって攻撃が行われる。
言いたい事があるのならば、犬笛や攻撃指示の有無にかかわらず、個人として行動をすれば良いのだ。
しかし反AIもツイフェミも、鉄砲玉が自らの意思で攻撃をする事はない。鉄砲玉は鉄砲玉として、攻撃指示を待っているのだ。
ネームドの攻撃命令によって「攻撃して良い存在」と化した相手へのみ攻撃を行う習性が見受けられる。
まるで日頃から攻撃して良い存在をギラギラとした血走った眼で探し求め、攻撃して良い存在が出現するなり暴力性を解き放つ怪物の様だ。
はっきり言って、異常である。
まず、感情を持つ事は問題ではない。好き嫌い、支持不支持、良いと思う悪いと思う…など。人は感情を持つ生き物だ。
筆者にも好き嫌いはある。パクチーは嫌いだし、きのこの山派だし、野球はオリックスファンだ。
擬人化ゲーではアズレンが好きだし、ブレイバーンは正体判明後も気持ち悪いと思う。
ウマ娘ではヒシアマゾンが好きで、スマホはiPhoneの方が好き。FateシリーズではZeroがイチオシだったりする。
何が好きか? 何が嫌いか? という感情を持つ事。それ自体を筆者は否定しない。
二次元美少女イラストが嫌いだ。生成AIが嫌いだ…そういう感情を持つ事自体は、特段問題ではない。
問題となるのは、何か世の中のシステムを変える(=社会運動をする)時に、感情をベースとする事だ。
「私が嫌いなものは社会悪だ!ケガレだ!この世界から排斥しなけれはならない!死刑にしろオオオオオオ!!」……こんな主張をする政治団体が存在したら、貴方はどう思うだろうか?
例えば、某漫画家はかつて、生成AIを批評する際にケガレ思想に通じる発言をした事がある。
あるいは、某イラストレーターや某説教騎士アカウント(凍結済み)については、生成AI利用者を盗人・泥棒・反社・スジモン…と形容した事がある。
生成AI問題を追い続けている人であれば、そんな事もあったなぁと懐かしい気持ちになるのではないだろうか。
ここで断言したい。現代日本で社会変革を求める際、ケガレ思想を持ち出して対抗勢力を叩くというのは最悪中の最悪。悪手である。
なぜケガレ思想を持ち出してはいけないの? あいつらはケガレだぞ? 人権の無い存在だぞ? など真顔で言い返す人はいないと思うが…もしいるのならば、道徳の勉強をして頂きたい。
議論をするのであれば、感情を表向きでも排し、徹底的に理詰めで話をしなければならないのだ。
「キモいモンはキモい!」「ケガレはケガレ!」「キモ男はタヒね!」「生成AIは犯罪者だから死刑!」……先鋭化した人物の言葉は、やすやすと社会通念上許されないラインを超える。
そうなれば、もはやその発言者は社会運動の場から排さなければならなくなるのだ。
少なくとも、謝罪を行い、過去の無礼を詫び、相手側がその謝罪を受け入れるまでは議論の場からは出禁処置が妥当であろう。
……それが、できない。感情一辺倒のケガレ思想混じりでは、冷静な議論ができない。敬語も使わず相手に罵倒の言葉を繰り返すのみである。
その結果、ツイフェミ界隈は「話を聞くだけムダな人達」「どうせウチの客じゃないから電話ガチャ切りでOK」……という認識をされてしまったのが現在である。
筆者としては、このままでは先鋭化した反AI界隈が「話を聞くだけムダな人達」「あいつらは無視してOK」という認識をされる様になるのではないか…と思う次第である。
もちろん、礼儀を尽くし、感情的にならず、相手を敬い、発言は常に敬語で接し、その上で徹底的に理論的で理詰めの会話ができるのであれば、反AI界隈も議論の場に参加できるだろう。
なので、まず、感情的になっている反AI貴兄らにおかれては、常に敬語で相手に接するという人間社会の基礎中の基礎から学んで頂きたい次第である。
言わずもがな、パブコメに喧嘩腰で罵倒文章を書くなんてのは論外である。
殺したいくらい憎い相手であっても、八つ裂きにしたい存在であっても、文をしたためる際は常に敬語と丁寧表現を心掛ける。それはもう、義務教育を終えた人間の基礎であろう。
悪質撮り鉄……電車撮影に熱意を燃やし過ぎた結果、迷惑行為や危険行為に及ぶ一部撮り鉄の存在である。
例を挙げると、電車撮影のために田畑や私有地に入る。ホームに脚立を立てる。街路樹や柵を破壊する。子供を恫喝する。江の島自転車ニキに罵声を飛ばす…など。
定期的に問題行動がインターネットを賑わせ、時にニュースでその姿が取り上げられる集団。それが、迷惑撮り鉄である。
これは驚くべき事なのだが、迷惑撮り鉄界隈というのは独特の秩序は敷かれており、一応の平定が為されている。というのも、昔の上司が撮り鉄だったので、そこで聞いたのだ。
場所取り一つ取っても、現地撮り鉄界隈の大御所センセイに顔を覚えて貰わなければ良いポジションには陣取れない……らしいのだ。
また、新参者が先輩方よりも高いレンズを使うのは失礼。まずは陣取った撮り鉄集団の後ろの方で撮影を行い、大御所の撤収準備や車の運転を務め、徐々に顔を覚えてもらうことでベストポジションでの撮影が許されるようになる。……らしいのだ。
昔の上司がいた撮り鉄集団が独特のルールを敷いていた可能性はあるが、
少なくとも、こういった先輩・大御所優先の風潮というのは、撮り鉄以外の界隈でもある程度共通して敷かれているものである。
例えば、芸能界や体育系の部活などだ。先輩がクロをシロと言えばシロになる。社会通念や法律よりも、目の前の大御所の言葉や感情が優先される。そこには、一定の秩序が存在している。
……その結果、時に芸能界ではとんでもないスキャンダルが起き、体育会系の部活では暴力や薬物の蔓延がニュースになるのだが……。それはつまり、彼らの秩序・ルールが法律を侵してしまったという事であろう。
反AI界隈、特に絵師・同人作家を中心とするメンバーの中では、こういった傾向が散見される。
大御所センセイが言っているから正しい。法的な正当性は二の次。だって〇〇万人フォロワーで〇〇の案件を受けて、企業Vの〇〇のママであるセンセイの発言なんだから、正しい!
あの先生の発言の邪魔となるルールは間違っている! 法律がおかしい! 即売会のルールがおかしい! 文化庁がおかしい!
愛があれば二次創作は合法! コミケでウン百万の利益が出ても合法! skebで小遣い稼ぎをしても合法! 著作権は親告罪だから権利元が文句を言わなければ合法!
生成AIは愛が無いから違法! こんな技術は違法! コミケから叩き出せ! 権利者が誰かは知らないけど違法! 生成AI使用罪を作れ! 非親告罪だ!
……いや、ちょっと待ってくれ。
大手企業Vのデザイナーである事と、著作権法に精通している事は何の関係もないではないか。
フォロワー50万人の大手絵師で、ソシャゲで絵を描いていて、同人誌にプレミアが付く事と、法解釈の妥当性については何の因果関係も無いではないか。
大手絵師のセンセイが今まで十年単位で絵を描き続けた修練の期間を、文化庁の職員は法律の勉強を行い、法解釈と政務の実践をしていたのだ。
なのになぜ、大手絵師のセンセイの方が文化庁の職員よりも著作権に詳しいと言えるのか? 私には分からない。
そういった学習、勉強のプロセスも経ず、なぜいきなり法律の新解釈を叩きつけられるのだ?
絵師界隈であれば、あなたのお言葉は法律であり、教典であり、条例であり、判決だったかもしれない。
だが、フィールドが違うのだ。界隈が違うのだ。界隈のローカルルールは通用しないのだ。
なのになぜ、あなたは絵師界隈のルールで戦おうとするのか? 法律の世界に対して、なぜ絵描きとしての実績で殴り込むのか? 私には分からない。
端的に言うと、生成AIを著作権侵害で叩き潰そうとするのであれば、相当抜本的な法改正が必要となる。
その結果、著作権侵害の非親告罪化や絵柄・画風・アイエデアの保護……あるいは類似性と依拠性といった判断基準の見直しが発生する可能性があるのだ。
そうなると、同人誌は権利元以外から著作権侵害として叩かれる可能性がある。(非親告罪化である)
また、類似した絵柄や画風、塗りや作風、ストーリー展開について、先駆者しか書けなくなる可能性がある。(画風やアイデアの保護である)
現在の日本で二次創作がおおっぴらに認められており、堂々と著作権侵害コンテンツで金稼ぎができるのは、現行の著作権法がユルユルであるという特殊な状況の恩恵を受けているからに過ぎないのだ。
その著作権法をAI憎しで締め付けるとなると、回り回って全ての二次創作作家が焼き払われる……など。
……これで理解できれば良いのだが、「愛があれば合法」のムラルールで動いている界隈に響くのか、不安である。
後半戦、限界左翼界隈・反ワクチン界隈との類似については以下の通り見出しだけ書いておくので……。
まあ、こういうことだよね…と思っていただければ幸いである。
「中流階級以下には恩恵がないから、株価上昇は無意味」みたいな風潮が出てきて、それが更に先鋭化し、
「中流階級以下に恩恵のない株価上昇は悪」みたいな流れになってきてる。
好景気・不景気も「全ての人間に等しく恩恵がなければ悪い好景気」みないな空気がある。
実際のところ、ちゃんと勉強して能動的に動けば、中流階級でも株価上昇の恩恵にあやかれるし、
好景気と人手不足が重なって、新卒なら本来の能力以上の会社に行けたり、
中途でも好条件で転職できるケースも増えていると聞く。
それでも、どうしても株価や好景気の恩恵にあやかれない弱者が出てくるのは、資本主義ならどうしようもないことなんだけど、
それをもたらしている資産家や、投資家、大企業の経営陣や政治家を倒すべき社会悪とするみたいなのはどう考えても行き過ぎだろう。
ただそれを表立って言うと、「弱者切り捨ての自民政治を脳死で礼賛するネトウヨ」ってレッテルを貼られて黙らされる。
それはそれで弱者保護を是とするリベラルが力を持って、反リベラル的な思想を積極的に取り締まり、愚かな衆愚を啓蒙してくれていると好意的に捉えられないこともない。もともと日本共産党の支持者である私としては保守よりはリベラル的な思想が広まる方が好ましい。
しかし、土地も家族も失った被災者のそれも子供に対して「あなたの身体は被曝し続ける」と言う人や、党内のパワハラに対して異を唱えた女性議員に「統括」を求めるような人達を代弁者と持ち上げるのにも抵抗がある。
株価が暴落したり、景気が悪くなればまっ先に被害を受けるのは弱者なので、高株価と好景気を維持しつつ、いかに弱者に再分配するかの政策議論こそリベラルがすべきなのに、現在の日本のリベラルは、高株価・好景気自体とそれをもたらす企業や資産家すら、打破すべ敵と見なしている節がある。これでは残念ながら、リベラルが日本を破壊しようと目論んでいると言うネトウヨの陰謀論にお墨付きを与えるだけだろう。
ある意味善悪が分かりやすいお金の話でもこの様で、これが双方にそれぞれ言い分がある社会問題(典型的には男女問題等)となると、もはやリベラルが率先して対立と分断を煽るヘイトスピーカーの最先鋒となっている。とても平和を訴える人達とは思えない。
私はこれからも日本共産党に投票し続けるが、自民党の行き過ぎた増長や違反行為を追求し、牽制する存在が必要だと思うからだけで、政権を取って欲しいとは思わない。もはや日本のリベラルは決して政治的主導権を握らせてはいけない反社会的集団にまで落ちぶれた。
子供作れとプレッシャーをかけてくる旧世代もそうだけど、同じくらい子供作って幸せです報告の無邪気さにも追い詰められるんだよな
この増田のブコメにも沸いてるけど、「昔は私もそうでした。でも今は~」のパターンから始まる私は幸せで毎日が楽しいです話
別にその人の幸せはそれはそれでどうでもいいんだけど、でも不特定多数がそうやってそういう空気感を不用意に全方位にばらまくことで、
まるで「なんでその幸せをあなたは手に入れようと試しもしないの?」と。じわじわと責められてるような気に勝手になってしまう、という人は多いと思うの
これって女は子供を産むべき論者よりもある意味厄介で、相手側が100%善意で言ってるのは当然分かっていて、
自分自身の受け取り方の問題でしかないことを重々承知しているからこそ、余計に苦しいんだよな
自分の認知の歪みこそが悪で、そういう報告をわざわざしてくる人に対してネガティブな感情を抱いたり、うざいな・・・と少しでも思ってしまうことは社会悪でしかない
「子供を持って大変なことはあってもそれでも我が子は愛しくて幸せ」という否定されるべきでない絶対的なナラティブに、どうにも乗りきれないことの後ろめたさ
そしてこうやってなんとなく思っていることを吐き出すことに対しても、「そういう風に思ってもいいんだよ」という優しい言葉は無限に沸くけど、根本的な部分は何も解決しない
周囲の無邪気な幸福と善意という柔らかな真綿で首を絞められていくようなこの感覚、この気持ち、たぶん一生それをしてくる側には届かないんだろうな
社会悪って、そんな女と付き合わなきゃいいだけだろ笑
自分は給与アップも手当アップも両方賛成だけど、それは別に少子化対策という意味ではなく、福祉の方向性として賛成なだけだな。
そもそも、どっちをやったって(両方やったって)出生率なんて増えないだろ。
お金がないから結婚できないとか、お金がないから子供を諦めるなんてのは、全部でたらめだよ。本人がそう信じ込んでいたとしてもそれは自己催眠でそういう理由を上書きしてるだけだ。
本当のところは「子供のために他のこと(多くは生活レベルや個人の生活)を諦めたくない」ってだけの話だよ。金をばらまいたところでその金相応に個人の欲望が大きくなるんだから、やはり子供を入れる気分になんかならないって。生活レベルさえ気にしなければ日本の婚姻可能成人の大半が子供作れるだけの収入持ってるってのが現実なのだから。
それに対して「幸福な家庭」とか「最低これくらいは子供に与えてあげたい」とかいうイメージ先行の子育て幻想でどんどんハードル上げた結果、「そういう結婚や子育てはいまの収入ではできません」っていう人が増えただけで、別に「そういうレベルの結婚や子育て」以下をしちゃいけないわけではない。自分の生活レベルさげて子育てのハードルも下げて年収200でも300でも子作りすればいいんだよ。
だから少子化を本気で食い止めたければ、結婚しないやつや子供のいないやつは社会悪としてどんどん弾圧していくしか無い。マスコミ使ってやり玉に挙げて社会の寄生虫として公共の敵という形で晒し上げにするくらいじゃないとどうにもならないよ。昭和初期までは概ねそういう社会だったからみんな結婚して子供作ってた。そうじゃないと社会構成員として失格だ、半人前だ、権利を与えるべきではないっていう雰囲気が存在したから、みんな所帯を持ってた。
でも人権思想とか個人主義とか個人の人生のやりがいとかそういうのが発明されちゃった現代ではそうは行かないので、先進国はみんな少子化してる。そろそろその辺認めて、諦めたほうがいいと思うよ。ばらまいたって少子化は解決しない、って。個々人の人生の自由があって、子供づくりが両親の任意である社会において、子作りは趣味なんだ。趣味の人が、稼ぎや可処分時間をぶっこんで作るだけなんだから、趣味じゃない人は作らない。半額補助しようが優待制度作ろうが、興味ない人がアイドルライブに人生の数割とかぶっ込んでくれるかってくれないでしょ?時間と金のかかり具合考えたら子供作るってガチ勢しかいない趣味なんだよ。
それを認めない元増田みたいな人が「AかBかのどっちで行くべきだと思う?」というような、「あたかも金で少子化が解決するみたいな前提」を暗黙裡に埋め込んだ設問や議論をするのは、卑怯で不誠実だとすら感じる。