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はてなキーワード: 社会実験とは

2022-09-02

この記事ね。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6308472de4b0dc23bbe73ce8

読むのめんどい人のために雑にまとめると、とある大学教授が生徒相手男女差別体験させる授業をしたって話。

そんで、その中で「『リボンあり』が作った折り紙を100円、『リボンなし』のそれは50円で買い取る」、てくだりがあるのよ。「リボンあり」は男性、「リボンなし」は女性で、両者の賃金格差差別体験させよう、てことよね。それは別にいいんだけどさ、

リボンありからは「クオリティを上げればいい」「倍作ればいい」というアイデアも出る。」



いや、こんなこと言う奴いる?

俺もクソみたいな差別発言いっぱい見たことあるけどさ。「女が倍働けば男と給料一緒じゃん」「女だけ品質上げれば〜」みたいな方向性はさ、見たことないんだわ。

明らかに、授業の方針に合わせてロールプレイしました(しかも滑ってる)、て発言じゃん。

「そう思うのはお前の感想だろ」って思った?

そうなんだけどさ、じゃあ記事本文に「この種のリアクションをした人は何%」とかのエビデンスはない。ていうか手法解説もフワッとしてるし、再現性もあるのかないのか分かんない。つまり、この記事自体感想の羅列に過ぎない。

それもそのはずで、この記事論文でないだけでなく、そもそも体験授業」を紹介してるに過ぎない。もちろん実験ではない。

それを、あたか科学的正しさが「あるかのように」「さももっともらしく」記事を作ってるのがハフポストかいうクソ媒体なわけ。

かにさ、記事内では「実験」とは言ってないし、科学的な正しさがあるかのようには書かれてない。ただ「それっぽい」だけ。でも、現実には、反知性的科学的な思考ができない可哀想な人たちが科学的な正しさがあるかのように勘違いしている。

こんな風に→https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6308472de4b0dc23bbe73ce8

「印象的だったのは、内海﨑さんとのやりとりを続けるうち、教室内では徐々に「正しい答え」に合わせることが諦めとともに受け入れられていったことだ。」

いやこれ感想お気持ち!「印象的だった」だけ!

地方紙に載ってる「●●小学校豆まきが行われ、児童の一人は『鬼もかわいそう』と語っていたのが印象的でした」とかのほのぼの記事レベルの話やねんぞ。


この教授さんはさ、ただ「差別体験させよう」て意図で、別に社会実験のフリをしようとしたわけじゃないのかもしれない。ハフポスが勝手にやっただけかもしれないーーーーて、そんなわけあるかーい!

明らかに内容チェックしとるやろ。チェックした上で、ただの体験授業を社会実験っぽく糊塗(捏造ではないので嘘はついてないところがポイント)したこ原稿OK出してるやろ。それ、学問に携わる人としてどうなんですかね?ちなみにチェックしてなかったらもっとやばい。本人の実名役職、顔出しはともあれ、生徒の実名まで出てるんだからさ、これハフポスに勝手にやられましたはヤバ過ぎでしょ。

ちなみに「2004年からこの授業を続けている」そうだけど、18年もやってきて、なんのデータも蓄積されてないとしたらヤバいし、蓄積されてるのに直近の授業に対する「記者の印象」だけで記事を作らせるのもわりとヤバい


要点をまとめるとだね。

・この体験授業にあるような男女差別存在すると思う。少なくとも自分の実感では存在する。詳しくないから分からないけど、ちゃん論文とかもあると思う。

・この記事はクソ。この体験授業では男女差別存在も、種類も、何も明らかになってない。



ここから先は余談。

フェミニストたちがしばしば見せる、この「科学的でも何でもない自分達の感情あるいは願望を、あたか科学であるかのように塗り固める(でも科学であるとは言ってないので嘘ではない)」ムーブは本当にクソだ。

「たわわ」の件もそうだった。

フェミニストたちはいかにも「科学的正しさを重視します」「教授です」「公的メディアです」「国連です」て顔しながら、科学と全く関連しない嘘八百もっともらしい雰囲気で垂れ流す。卑怯しか言いようがない。

この記事ね。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6308472de4b0dc23bbe73ce8

読むのめんどい人のために雑にまとめると、とある大学教授が生徒相手男女差別体験させる授業をしたって話。

そんで、その中で「『リボンあり』が作った折り紙を100円、『リボンなし』のそれは50円で買い取る」、てくだりがあるのよ。「リボンあり」は男性、「リボンなし」は女性で、両者の賃金格差差別体験させよう、てことよね。それは別にいいんだけどさ、

リボンありからは「クオリティを上げればいい」「倍作ればいい」というアイデアも出る。」



いや、こんなこと言う奴いる?

俺もクソみたいな差別発言いっぱい見たことあるけどさ。「女が倍働けば男と給料一緒じゃん」「女だけ品質上げれば〜」みたいな方向性はさ、見たことないんだわ。

明らかに、授業の方針に合わせてロールプレイしました(しかも滑ってる)、て発言じゃん。

「そう思うのはお前の感想だろ」って思った?

そうなんだけどさ、じゃあ記事本文に「この種のリアクションをした人は何%」とかのエビデンスはない。ていうか手法解説もフワッとしてるし、再現性もあるのかないのか分かんない。つまり、この記事自体感想の羅列に過ぎない。

それもそのはずで、この記事論文でないだけでなく、そもそも体験授業」を紹介してるに過ぎない。もちろん実験ではない。

それを、あたか科学的正しさが「あるかのように」「さももっともらしく」記事を作ってるのがハフポストかいうクソ媒体なわけ。

かにさ、記事内では「実験」とは言ってないし、科学的な正しさがあるかのようには書かれてない。ただ「それっぽい」だけ。でも、現実には、反知性的科学的な思考ができない可哀想な人たちが科学的な正しさがあるかのように勘違いしている。

こんな風に→https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6308472de4b0dc23bbe73ce8

「印象的だったのは、内海﨑さんとのやりとりを続けるうち、教室内では徐々に「正しい答え」に合わせることが諦めとともに受け入れられていったことだ。」

いやこれ感想お気持ち!「印象的だった」だけ!

地方紙に載ってる「●●小学校豆まきが行われ、児童の一人は『鬼もかわいそう』と語っていたのが印象的でした」とかのほのぼの記事レベルの話やねんぞ。


この教授さんはさ、ただ「差別体験させよう」て意図で、別に社会実験のフリをしようとしたわけじゃないのかもしれない。ハフポスが勝手にやっただけかもしれないーーーーて、そんなわけあるかーい!

明らかに内容チェックしとるやろ。チェックした上で、ただの体験授業を社会実験っぽく糊塗(捏造ではないので嘘はついてないところがポイント)したこ原稿OK出してるやろ。それ、学問に携わる人としてどうなんですかね?ちなみにチェックしてなかったらもっとやばい。本人の実名役職、顔出しはともあれ、生徒の実名まで出てるんだからさ、これハフポスに勝手にやられましたはヤバ過ぎでしょ。

ちなみに「2004年からこの授業を続けている」そうだけど、18年もやってきて、なんのデータも蓄積されてないとしたらヤバいし、蓄積されてるのに直近の授業に対する「記者の印象」だけで記事を作らせるのもわりとヤバい


要点をまとめるとだね。

・この体験授業にあるような男女差別存在すると思う。少なくとも自分の実感では存在する。詳しくないから分からないけど、ちゃん論文とかもあると思う。

・この記事はクソ。この体験授業では男女差別存在も、種類も、何も明らかになってない。



ここから先は余談。

フェミニストたちがしばしば見せる、この「科学的でも何でもない自分達の感情あるいは願望を、あたか科学であるかのように塗り固める(でも科学であるとは言ってないので嘘ではない)」ムーブは本当にクソだ。

「たわわ」の件もそうだった。

フェミニストたちはいかにも「科学的正しさを重視します」「教授です」「公的メディアです」「国連です」て顔しながら、科学と全く関連しない嘘八百もっともらしい雰囲気で垂れ流す。卑怯しか言いようがない。

2022-08-15

anond:20220815103953

はじめから風邪に対抗するための社会実験です、っていうべきだったんだよな

無理だったから諦めます、でいいやん

共感にあらがえ - 内田樹の研究室を読んで

これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。

ただ、内田が、

感情の器」って、あくまでも個人的身体条件のようなものから

というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。

たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミス道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会規範構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。

そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。

家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。

アレックス・カー20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。

おりしも建設省代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代

アメリカの7倍のコンクリートを使って日本山河コンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。

その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。

「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。


A・カーは、フェアプレイ精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者トップ黒海に豪奢な別荘を保有し、人民実質的農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。

「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司説教ブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖

最近、想起するのはやはり旧統一教会家族価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族崩壊している、といった、「おまゆう問題崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするとき動機付けメカニズムなのだ

内田永井議論テーマひとつである人権平等。あたか普遍的原理についても、

それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。

アメリカ建国者の一人、トーマスジェファーソン人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。

これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。

どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質人民に備わっていると信じて建国者デモクラシー設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権矛盾が、南北戦争北軍正当性を決定的にする。

内田議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要キーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。

自分でうまく整理がつかなかった。内田はいう。

「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。

これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係いかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。

内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。

まず外付けの倫理から。どのように受容されてきたか

舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後憲法のものアメリカ経験に基づいたものだ。

しかし、日本人権教育は、残念なことに、人権普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。

戦後人権を外付け実装してきた日本は、そのルール規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。

現在、旧統一教会問題話題の、国家宗教というテーマにしてもそうだ。

政教分離キーワードとなるのは、恐怖から解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西課題だ。宗教いかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴ勝利した古代ローマ

そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要再確認された。それが言論の自由関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場比喩が生まれる背景ともなった。

他方、旧世界フランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会権威苛烈弾圧が恐怖であった。だから公共空間合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランス言論の自由は、その意味カトリック否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したこと歴史的な背景は深い。

このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。

それは、実は国によって微妙コンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的価値なら、なぜ何千年も克服できなかったか意味を問うというか。

しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後日本裁判所も含めて。

でも、それこそが日本人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。


その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。

内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは自分の国や自分家族自分自身の歴史だと俺は思う。

自分自分先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理けが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本アジア欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。

歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。

自分理想とするもの現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。

自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。

ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要キーになるし、国家宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米経験教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決行政戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料支出したこと違憲とした歴史的判決で、戦争経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。

しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通体験共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代

50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。

「あの頃は」という共通過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。

まり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。

それが、失われ、外付けの価値観だけがカラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。

永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代

「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。

と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。

また、日本憲法に組み込まれ歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。

高度成長期に「あの頃」といえば戦争時代だった。

それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、

視聴者からは、おしん私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。

しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ

しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争記憶との関連が薄まった。当然、日本憲法リアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。

しかし、いずれにしても過去記憶憲法規範が直接に結び付かない、その世代経験、そこに、永井紛争国の辺境の地を自分テーマに選んだヒントがあるように思えてならない。

紛争リアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生ときに知った人権、そして憲法価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。

しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。

永井氏が、内田氏との対話のなかで

私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこから自分母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親単身赴任でしたし。

といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。

全然人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。

動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的ロールモデルとは限らないのだ。

この体験辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。


ともあれアレックス・カー面白い

読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。

A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.

Dogs and Demons, 2002, A

2022-08-11

anond:20220811123828

"物価上昇を通じて経済の好循環をつくるという「リフレ論」は幻想だった。大々的な社会実験の結果、そのことが明白になった。"

"「近年、多くの経済政策実施されてきたが、結果として過去30年間のわが国の経済成長は主要先進国の中で最低レベル」「初任給は30年前とあまり変わらず、国際的には人件費で見ても『安い日本』となりつつある」

安倍氏はこれをアベノミクス批判と受け止めた。「安い日本という表現おかしい。アベノミクスをなんだと思っているんだ」。安倍氏はそう漏らしていたという。(朝日新聞2022年6月3日

 この報告書は最終的に、安倍氏からの強い申し入れで次のようなくだりが盛り込まれた。「我々は平成24年末に政権を取り戻し、『アベノミクス』によって(中略)革新的政策を実現した」。それに続いて、GDPが約560兆円まで増加して史上最高水準となったこと、雇用も約440万人増加したこと、史上初めて有効求人倍率が全都道府県で1を超えたことなどが詳しく記された。

 とりわけ雇用改善安倍氏が「アベノミクスがもたらした成果」として強いこだわりをもって明記を求め、盛り込まれものだった。"

"安倍氏が昨年来、講演のたびに「日銀政府の子会社。紙とインクコスト20円で1万円札がどんどん刷れる」とややセンセーショナル表現リフレ説明を重ねていたのも、アベノミクス路線は健在とアピールたかったのだろう。"

"20209月首相を退任した安倍氏最初に受けた単独インタビュー読売新聞20209月20日)で、「政権レガシー政治遺産)を何と考えるか」という質問を受けた安倍氏があげたのは、今もこだわり続ける「400万人超の雇用を作った」実績だった。

さらにもう一つ、意外なテーマを挙げた。それが「2度の消費税率引き上げを行った」ことだった。

 あれほど消費増税をいやがり、財務省を遠ざけ、2回も異例のかたちで消費増税を延期してしまった安倍氏が、みずから消費増税を「政権遺産」にあげたのである。その理由として「伸び続ける社会保障費に対応し、国の信認を維持するため」とも述べている。"

2022-08-01

歩行者妨害、取り締まり撤回

お先にどうぞ」で歩行者妨害は不成立 道を譲られたドライバー交通違反撤回警察謝罪

バズっており弁護士ドヤ顔不愉快

 

大手メディアにも取り上げられ警察は面倒な議論を避けるために火消しに回っただけ

そこまで含めて弁護士活動によってクライアント利益は守られたのであり弁護士としては勝ちだ

弁護士としては

弁護士社会正義の実行者でも庇護者でもない、

クライアントを守るためなら言い逃れ余地のない殺人犯でも弁護する。

そりゃそれが仕事なのだから

 

妨害の客体が誰であるか。

法学的には具体的な歩行者のみを指すのだろうがこれを言い出すとあらゆる交通取締り整合性を失う。

スピード違反の取締を行っているがこの場合保護主体は誰であるか、

国民全体であることは議論余地がない。

スピード違反をしてそれが原因で事故を起こしたときだけ処罰すれば良いことにはならない。

まり社会政策、道路交通全体の秩序を守るために取締をしている。

敷衍し、38条の妨害の客体は具体的な歩行者のみならず道路を歩くすべての人が対象になる。

手を降って通過を促した歩行者男だけではない。

 

社会自動車優先社会容認し続けるか、欧米のように法律通り(道交法道路条約の縛りがあるのでどの国も内容はほとんど同じ)歩行者優先に転換するか。

 

簡単思考実験

歩行者が先に通過するようなジェスチャーをし車が動き出したにもかかわらず歩行者は止まらずに車と接触した場合

さぁこれ法的にどう処理する?

このように考えればこの事案で無違反主張するのは筋が悪いのがわかるだろう。

自動車が100%悪い、ドラレコ出そうがムダ。簡単に言えばダメものダメ

歩行者妨害してるじゃん、としかならない。

 

車はルール通り停車し歩行者へ先に通過するように合図し待ち、それでも歩行者が頑なに動かない。

なるほどこれが数十秒も続けば期待可能性の議論になるだろうが、あの動画を見る限りそんな時間は経ってない。

まだしばらく停車し歩行者合法的挙動を待つことはできた。

 

さて、警察が今回どのようなロジックで取り締まり撤回したのかわからんが、

ドライバー違法性が認められないとはどのような理屈なのか。

説明すべきだわね。まぁ答えないだろうけど。

可罰的違法性あたりで有耶無耶にするだろうが、これは警察は負けてほしくなかった、司法できっちり処理して判例を残すべきで。

警察ネットの力を過大評価しすぎ、ポピュリズムに呑まれてほしくなかったねぇ。

骨がない。

面倒な議論を避けるためにあっさり取り消ししたのが非常に残念。

 

さて、次の問題

歩行者違法に立ち止まって自動車に通行を促したというならば、改めて歩行者検挙すべきだ。

 

ん?

歩行者違法に立ち止まり

 

あれ違法なんです、道交法76条4項二

歩行者はあそこで立ち止まってはならない。法律規定がある。

そっちはどうするのだと。

警察はこっちやるの?

やらねぇわね

 

76条4項

二 道路において、交通妨害となるような方法で寝そべり、すわり、しやがみ、又は立ちどまつていること。

 

今回ゴネてる自動車運転手側は改めて歩行者告訴すべきだろう、歩行者違法行為によって取り締まりを受け弁護士を雇って警察交渉などと煩わしい目に合わされている。

あれれぇ

なぜこれ怒らないのぉへんだねぇ

 

ドライバーはそこまで主張するのは筋が悪いのは自分でも分かっているのだ。

 

さて、76条にも「妨害」という単語が出てくる。

さぁてこっちの条文の妨害はどのように解釈するかねぇ。

 

ちなみに38条は

横断しようとする歩行者等があるときは、当該横断歩道等の直前で一時停止し、かつ、その通行を妨げないようにしなければならない。

 

件の弁護士歩行者自らが通過を促したのだから「妨げ」になっていないと主張している。

筋が悪い。俺には無理やりな解釈しか思えない。

 

まり歩行者が先に通行するように促すということは

歩行者がそのまま進行すれば自動車干渉することを歩行者自身認識しており、動画をみてもその位置関係から明らかであり、

「妨げ」ていることが証明されている。

妨げるは本人のお気持ちではない、形式犯規定なのだからその通りに解釈すべきだ。

 

道交法理念は円滑で安全道路交通の実現であってそれには歩行者も含まれている。

 

外国比較して日本が極端に歩行者事故が多いのは戦後モータリゼーション国策誘導によって自動車を過度に優遇したツケであり、それをいい加減に転換しましょうという世相にも逆行する。

 

ちなみにG7交通事故で死んだ人数が 歩行者 > 乗用車

なのは日本だけ

国際比較がある2016年のデータを見ると、

日本は歩行中(1644人)と自転車(712人)の死者が2356人に対して乗用車の死者が1046人

アメリカ 7000人 対 13400人

ドイツ 900人 対 1500人

フランス 700人 対 1800人

 

おおむね歩行者の2,3倍乗用車側が死ぬ

日本だけ歩行者の方が多い。

異常な国。

 

信号のない横断歩道自動車優先が当たり前に代表される社会通念が結果として歩行者を殺している。

止まるのが当たり前であれば歩行者は平然と通過したであろうし、欧米は実際そうなってる。

から歩行者の巻き込まれ事故を減らすことができてる。

 

どんなに歩行者が先に行けと促しても自動車側も頑なに歩行者の通過を待ち

警察もやはやり法律文通り厳格な取り締まりに転換すべきで、

そうすりゃ歩行者の死者は減る。

社会実験はとっくに結果出てる。

 

せっかく昨今道交法運用が転換しつつあるのに

一人のドライバーワガママで何十年か変化が停滞するだろう。

 

道交法運用の転換過渡期であるから従来の常識と不整合が起きて理不尽と感じる取り締まりも出るだろうが。

うまく転換できれば死者は万人単位で減らせた。

この流れを止めた。

警察は同様事案の取り締まりを後退させるだろう。

それが世論でもある。

あーあ

 

自動車は止まるのが当たり前、歩行者は我優先と渡るのが当たり前。

何年遅れることになるのか。

 

件のドライバー弁護士は間接的に被害者を増やしたと自覚して欲しい。

 

メディアネットに屈して横暴な警察が決定を覆した、溜飲下がるわぁ、じゃねぇよ、

ちった自分の頭で物事を考えなさい、愚かな国民どもよ

車に轢き殺される歩行者はオマエの愛する人かもよ

2022-07-08

司法機能してたら安倍総理は殺されていたか

タイトルの通り。

俺は反アベだが、こんな終わり方はやるせない。

しかし起こるべくして起こった事件のようにも感じる。

安倍総理が在任中に起こした数々の疑惑スキャンダル問題発言、はぐらかし、忖度した人間達は出世して、逆らった人間自殺に追い込まれた。それが明るみになってもなんの自浄作用もなく野党は騒いでるだけと上手く印象操作され対抗勢力になりえず、マスコミ東京新聞望月記者NHK関西支局記者以外に本気で戦った人を知らない。

森友学園は籠池が捕まり学校放置され、加計学園は何食わぬ顔で営業している。桜を見る会はなくなったが今になってサントリー酒類提供していたことが明らかになったり、赤木さんの裁判は前代未聞の国側の白旗賠償金満額支払いチャンチャン。

あべ本人は歴代最長政権記録を更新してからコロナ対策お腹が痛くなってリタイヤ。党内では権勢を誇り、噂ではまだ返り咲くとの評判もある。国家予算日銀を手中に置き無限国際発行という人類史上始まって以来の近代先進国による社会実験を我々国民財産担保に戻れない所まですすめてきた。

他にも色々あったと思うが、色々追求があった時にまともに司法機能してアベを逮捕取調べ裁判をして情報公開されていたらこんな事件は起こったのだろうか。

日本には1億人いるのでキチガイは沢山いる。俺だってアベは嫌いだ。でもやるべきハードルを乗り越えてきていたら殺されることはなかったと思う。田中角栄の方がヘイトは集めていたと思うがちゃんとミソギをしたのでキチガイの標的にならない。アベはあまりにもノーダメージだった。記者会見は懐柔されてるし、国会しか追求されないが国会野党バカにされるシステムが完成している。検察はお友達トップに据えてるから無敵。

経営者だったり株とかやってたらファンになってたかもしれないが、批判的にテレビ新聞を見てる層にとっては純粋に悪である凡庸しか無能だけどシステムハックした異世界転生の主人公並の絶対的存在といえるかも。

ソイツに「無敵の人」が一撃チャンスがあるとするなら実行する可能性は十分考えられる。歴代総理を思い出しても殺されるべき標的になりうるのは安倍晋三が一番の候補にあがるだろう。

別に殺されて当然とか言うつもりはないし、殺人されるべきではないと思うが、あまりにも安倍総理ノーダメージ過ぎたし、証拠だらけなのに司法がまともに機能してなかったとしか思えない。だからなんの禊もなく標的になるべき存在になってしまったのだと思う。

アベがすごかったりすごく悪かったんじゃないがあまりにも何故か誰にもわからないが強すぎた。それが原因のひとつなのだとおもう。

司法機能してたら安倍総理は殺されていたか

タイトルの通り。

俺は反アベだが、こんな終わり方はやるせない。

しかし起こるべくして起こった事件のようにも感じる。

安倍総理が在任中に起こした数々の疑惑スキャンダル問題発言、はぐらかし、忖度した人間達は出世して、逆らった人間自殺に追い込まれた。それが明るみになってもなんの自浄作用もなく野党は騒いでるだけと上手く印象操作され対抗勢力になりえず、マスコミ東京新聞望月記者NHK関西支局記者以外に本気で戦った人を知らない。

森友学園は籠池が捕まり学校放置され、加計学園は何食わぬ顔で営業している。桜を見る会はなくなったが今になってサントリー酒類提供していたことが明らかになったり、赤木さんの裁判は前代未聞の国側の白旗賠償金満額支払いチャンチャン。

あべ本人は歴代最長政権記録を更新してからコロナ対策お腹が痛くなってリタイヤ。党内では権勢を誇り、噂ではまだ返り咲くとの評判もある。国家予算日銀を手中に置き無限国際発行という人類史上始まって以来の近代先進国による社会実験を我々国民財産担保に戻れない所まですすめてきた。

他にも色々あったと思うが、色々追求があった時にまともに司法機能してアベを逮捕取調べ裁判をして情報交換されていたらこんな事件は起こったのだろうか。

日本には1億人いるのでキチガイは沢山いる。俺だってアベは嫌いだ。でもやるべきハードルを乗り越えてきていたら殺されることはなかったと思う。田中角栄の方がヘイトは集めていたと思うがちゃんとミソギをしたのでキチガイの標的にならない。アベはあまりにもノーダメージだった。記者会見は懐柔されてるし、国会しか追求されないが国会野党バカにされるシステムが完成している。検察はお友達トップに据えてるから無敵。

経営者だったり株とかやってたらファンになってたかもしれないが、批判的にテレビ新聞を見てる層にとっては純粋に悪である凡庸しか無能だけどシステムハックした異世界転生の主人公並の絶対的存在といえるかも。

ソイツに「無敵の人」が一撃チャンスがあるとするなら実行する可能性は十分考えられる。歴代総理を思い出しても殺されるべき標的になりうるのは安倍晋三が一番の候補にあがるだろう。

別に殺されて当然とか言うつもりはないし、殺人されるべきではないと思うが、あまりにも安倍総理ノーダメージ過ぎたし、証拠だらけなのに司法がまともに機能してなかったとしか思えない。だからなんの禊もなく標的になるべき存在になってしまったのだと思う。

アベがすごかったりすごく悪かったんじゃないがあまりにも何故か誰にもわからないが強すぎた。それが原因のひとつなのだとおもう。

2022-05-09

出生率を上げるには子どもを産むしかないと思うのだけど

出生率を上げるためにはとにかくたくさん子どもを産むしかないし、子どもを産めば後からいろんな支援社会的対策がついてくるのではないか、と思うんだけどどうしてそういうことをいう人がいないのか不思議だ。多分決定的に何か考え方が間違っているのだろう。

とにかく1年で150万人くらい子供が生まれて、それが何年か継続すれば保育園学校社会的支援もせざるをえなくなるし、ある程度ボリュームのある世代層が一気に誕生したら一気に世の中変わると思うんだけどなあ。何よりも人口ってパワーだもん。振り向いて欲しかったらまず頭数を揃えないといけないし将来の清き一票としても使えるし、そして何よりも消費者が増えれば経済パイも大きくなるし、支援を求める前に、支援対象となる人間をとにかくたくさん産みまくることから始めてみてもいいのではないか、と思うんだけど、1人じゃ社会実験はできないから難しいなあ。とりあえず子供三人くらい産みたい。

社会実験国家スウェーデン

お望み通りに実験の結果が出て、「あれは間違った政策だった、ということがスウェーデン現在からわかるね」みたいな話がたくさんあるのだが。

スウェーデンはそうして実験結果で世界に貢献できて、満足とかしてるんだろうか?

2022-04-25

【俺評】2022/04/24 大阪府河内長野市議会議員選挙

マスコミからもさっぱり注目されてない感じなので俺が書く

俺について

まれ育ちは大阪市南部東住吉区住吉区)、数年前から河内長野市在住

河内長野市とは

大阪府の右下の隅っこ。奥河内と呼ばれる歴史資産が豊かな山と棚田新興住宅地が占める。

東京で言うとあきる野市みたいな感じの郊外だが、電車の便が良くて難波阿倍野まで40分で行けるので70-80年代に大規模に住宅地造成され大阪市通勤住民が多い。

映画「鬼ガール!!」の舞台https://www.amazon.co.jp/dp/B096R5386X/

現市長嘉田由紀子さんとこで勉強してきた人で無所属。前回、大阪維新の元市議会議員を破って2期目突入

吉村知事出身地

選挙結果一言でいうと

ガチめしてきた維新勝利。最大会派だった共産がヤラレた。

選挙後の会派勢力図(カッコ内は前回からの増減)

大阪維新の会4名(+2名)
公明党4名 
市民クラブ2名 
自民党2名 
日本共産党3名(-2名)
会派無所属3名 

会派得票数(カッコ内は前回からの増減)

大阪維新の会10696票(+3837票)
公明党6952票(-1723票)
市民クラブ3932票(-1295票)
自民党5080票(-761票)
日本共産党6537票 (-1854票)
会派無所属4479票+107票)

当選者 (会派暫定的に俺が分類。今後変わる可能性あり)

大阪維新の会

はしがみ和美 前回、補欠選挙当選し今回が2期目。圧倒的獲得票数で俺を大いに驚かす

土井あきら  会派幹事長。顔は維新っぽくない(俺の偏見

吉竹 英行   新人歯科技工士。ググっても情報全然出てこない

西田よしのぶ 新人無職。「努力したものが報われる社会に」というスローガン維新的。松井吉村浦野の応援アピール。ググってもよく分からない。

自民党

奥村りょう 現職。[南花台]

ますと 会派幹事長[天野町]

日本共産党

宮本さとし 現職。[北青葉台]

だばなか大介 会派幹事長 [荘園町]

にわ実   現職。[旭ケ丘]

公明党

浦山のぶゆき 現職。[加賀田]

大原いちろう 会派幹事長[喜多町]

三島つのり 現職。[高向]

おくい良一  新人だが公明党河内長野支部支部長という肩書

市民クラブ

かつらまさと 会派幹事長[本町]

堀川かずひろ 現職。スポーツマン自治活動頑張る系。[美加の台]

無所属

みちばた俊彦 現職。SNSYOUTUBE市民に向けた情報発信に熱心[木戸西町]

若林やすし 新人。自宅でテレワーク中の日鉄ソリューション社員自治活動頑張る系で美加の台なので上の堀川氏と被ってる感。[美加の台]

工藤けいこ 現職。福祉に力を注ぐお母さん。[南花台]

((ちなみに南花台と美加の台自治意識高いエリア比較的裕福))

感想

共産議席減らして維新に渡したのは予想外だった。

河内長野は住みやすいとこなんだけど、にわか河内長野市民の俺の感覚だが、その住みやすさの立役者共産市民議員、そして市長にあると感じる。

二言目には身を切る改革と言う維新とは非常に相性が悪いと思う。果たしてどうなるか。

  

ていうかさ、維新の基本政策の一つはコンパクトシティ構想なんだよね。それを大阪社会実験するのが大阪維新という存在

大阪市一極集中(それが都構想にもつながる)は実現すれば河内長野市は切り捨てられる側になると俺は解釈してる。

大阪市民は維新を選ぶメリットがあるが河内長野市民は下手すると自殺行為ではないか、そう懸念してる俺である

以上。

2022-04-12

anond:20220412133923

だよな

漫画大先生ブランドベルがついてたらそれだけでありがたがって読む人がいるという社会実験なんだ

2022-03-31

薬の治験みたいに「社会実験対象になることを売りにしてる国」があってもいいんじゃないか?

ベーシックインカムをやってみたりMMTをやってみたり

先進国が容易にはできない政策実施してそのかわりに報酬をもらう。

2022-03-22

フェミ弱者男性社会実験

フェミ100人弱者男性100人

セックスするまで出られない部屋に詰め込んだら

どんな化学反応を起こすんだろう?

見てみたくない??

2022-03-09

anond:20220309151147

女性から子宮を取り除けば男性給与が同じになるかって社会実験をやろうというのか

なんと非人道的・・・

2022-02-01

anond:20220201150248

企業海外進出には「二軍」が来る

――国内事業軌道に乗りきらず、資金が潤沢にあるわけでもないなかで、シンガポール台湾への積極的進出を決めました。普通であれば、まずは国内事業軌道に乗せて財務的な体力の回復を待つことを優先しそうですが、なぜあえて攻めることができたのでしょうか?

 日本でずっと同じことをやっているよりも、海外でやった方が面白いと思ったんです。国内にいようが海外にいようが、どうせ戦うことに変わりはないじゃないですか

――失礼なことを言いますが、日本企業海外進出ってだいたい失敗しますよね? 貴社の海外事業がうまくいっているのはなぜなんでしょうか?

 まず、海外に出ていく会社基本的日本でうまくいった会社ばかりです。だから日本軸足が残っているんですね。「背水の陣」で臨んでいるようにはあまり見えない。

 つまり日本成功している企業海外進出にはその会社の「二軍」が来るんです。一軍の部隊日本仕事をしている。日本マーケットはかなり大きいので、成長の限界がなかなか来ないんですね。だから国内首位になっても伸び続けられる。

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――私も海外駐在をしたり、海外会社経営をしたりしたことがありますが、言葉文化の違いもあり、大変なことも多いですよね。

 当社の現地法人社長を任せる人材を選ぶ際には国籍関係なく、適性があるかどうかで決めます。当社は既に社員数をみると海外の方が多いんですけど、僕が英語が話せなかったのがよかったと思っています。僕はカタコトの英語コミュニケーションをしています英語勉強したんですけど、ムリですね(笑)

 自分自身英語を頑張って身に付けるよりは、翻訳ではなく自分の伝えたいことをきちんと“意訳”できる人を雇った方がいいなって。海外進出すると急に「英語ができる人がエラい」みたいな雰囲気が社内にできるじゃないですか。当社も最初はそんな雰囲気がありました。でも今では、そんな「英語ができるマウンティング」みたいな文化は当社には全くない。だって社長の僕が全くしゃべれないですから(笑)

 それによって、例えばデザイナーとかエンジニアとか各部門のプロフェッショナルが「英語ができる、できない」という理由活躍の機会が削がれることがなくなりました。

 社長英語ペラペラ話せると、英語を話せない社員たちが一歩引いてしまう。そうすると、せっかく日本でそろえてきた有能な人材活用しきれない。英語はただのスキルなんです。全員が中途半端勉強するぐらいなら、語学が堪能な人を雇って通訳してもらった方が断然効率がいい。

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経営者が勉強すべきことは「英語」ではない

経営者が勉強すべきことは「英語」ではない

――確かに海外進出社長カラーが出やすいですね。大手企業には英語公用語化した会社もありますね。

 大人になってから語学勉強しても、費用対効果がとても悪いんですよ。言語人間が持っているもともとの能力です。どんな人でも現地にいればしゃべれます。逆に、使う環境がない中で習得するのは非常に難しい。海外進出した当初は英会話教室ビジネス特訓講座を受けていたんです。家でもやっていたので、カタコトのコミュニケーションは3カ月ぐらいで、なんとかできるようになりました。

 そのころ、新入社員英語ペラペラの人がいて、「社長もあと2年くらい今みたいに勉強し続けて、そこから半年くらい海外留学すれば僕みたいに話せるようになりますよ!」って言われたんですね。「2年半かけて新卒と同じスキルを身に付けてどうすんだよ!」って思って、英語勉強はそのときにすっぱりやめました(笑)

 僕の仕事会社経営であって、海外には英語勉強をするために行っているんじゃない。ビジネスを伸ばしに行っているんですよね。そのために今自分が一番時間を使わないといけないのは、中学生レベル英語勉強することではない。進出した先の国の歴史文化的な背景、経済政治の仕組み、その国の会計基準を真っ先に勉強しなきゃダメだろって。そこを履き違えないようにしています

楽天社長とウマ合わなそうでわろた

どっちが正解ってことはないんだろうけど、社会実験としては楽天の試みは面白いかな

合理性として正しいのは田中社長かな

2021-09-15

anond:20210915181032

国民民主は本当に頑張って欲しいけど、なんでこんなに支持率低いのか

逆説的に糞みたいな野党メディア戦術有効ということか、暗澹たる気持ちになる

各論で言えばBIは不安要素かな、お隣の国が先に社会実験してくれそうだし、その結果を見てからでも良いのでは

2021-09-09

anond:20210908180423

成り立ち自体が「55年体制の残りカス」+「旧自民党のうち最も腐敗が激しかった部分」の民民立民と、「社会実験にことごとく失敗した賞味期限切れ社会思想にしがみつくカルト」の共産だぞ?

どうして比較対象になり得るんだ?

2021-08-25

無能権利を持たせるとどういうことになるかの社会実験

進次郎

2021-08-23

YouTuber Mick、現Asuka Louisさんに思うこと

前置きなど

私は彼のインスタのアカウントを全部追うほどYouTuber Mickの大ファンだった者であり、今もAsuka Louisとしての彼の活動を追っていて、これからの彼の大ファンにそのままなるであろう者である。彼のことは大好きなのだが、最近の彼について勝手心配に思っていることや意見したいことがあるので、この場で並べさせていただきたい。

彼は顔を出して堂々と活動しているのに私は顔はおろかネットアカウント名さえ出せないようなつまらない者なので、ただの1ファンのつまらない意見として受け取ってほしい。こういう長文でダラダラ書くのは彼の潔いスタイルとはかけ離れているし物事を伝える上で効率的ではないのだが、私はこういう形でしか残せないので、もし目に止めてくれたらこんなに嬉しいことはない。

Mickはなにに傷ついたのか、周りのどこがいけなかったのか

Mickは活動をやめてしまった。彼はたくさんの動画を消してしまったので発言引用することはできないが、ジャスティビーバーと同じ事務所に入ったばかりでYouTuberとしても音楽家としても活動をどんどん大きくするであろうという一番楽しみなときアメリカでのアジア人差別についての学びのある社会実験動画をあげてしばらく経ったタイミング日本メディアに取り上げられ、その記事題名に「日本育ちの韓国人」と書かれたことがショックだったというような発言があったと記憶している。

私は彼のような出自ではないし大して有名になったこともないので彼の辛い気持ち推し量ることはできないが、なぜそこにそんなにショックを受けてしまったのか少し疑問に思った。

彼は人種差別についての動画をあげて、演技とはいえその中でアジア人であることを揶揄される。演技でもそれがすごく辛いことは簡単想像できるし、あの動画を撮るのはすごく勇気がいっただろうなと思う。それには耐えられたのに、記事題名がそんなに辛かったのか。

彼はもともと、自分血筋上は韓国人であることは公表していたし、日韓英3ヶ国語が話せるという動画もあげていた(カッコいいなと思った)。それに、あの題名はMickがそう公表していたから付けられた題名であるわけで、そこに差別意図は全くないはずだ。むしろあそこに日本YouTuberと書くほうが大いに失礼だし、逆になにも書かないのでは記事意図がよくわからいから、担当者がつけたにすぎない。

もともとあの動画は、アメリカでも差別に反対している人はたくさんいる、むしろそっちの方が多数派だということを伝える内容だったはずだ。なのに、Mick本人がアメリカではなく日本での差別にとらわれ過ぎてしまっているような印象を受ける。過去に辛いことがあったのかもしれないが、私含めほとんどのMickのリスナーは彼が韓国ルーツを持っていることを好意的にカッコいいことだと捉えていたはずなのだ。それを彼にはもっと知って欲しかった。

Asuka Louisとしての彼

しばらくあらゆるSNS更新を止めた後、彼は全く違う姿で戻ってきた。緑のパーマ、顔と首に大きなタトゥー。彼がひっさげたアルバムも、音楽性は大きく変わった。明るくアコースティック感の感じられる曲調から、どこか影を感じるビビッドな電子調に。それからインスタライブで彼は日本語を喋らなくなった。

Mickとしての彼が本物の彼自身でない演じられたものだったのなら、カメラに写る姿を本物の自分に戻しただけだ。でもMickerの私からしたらそれは全く違う人がカメラに写っているように感じられた。

私は彼の新しい門出を応援したいが、あまり唐突すぎるように感じた。Mickを応援するファンはたくさんいたのに、一気に動画を消すのは少し自己中心的ではないか。もちろんMickerはものすごく凝ったクオリティの高い動画をタダで見せてもらって楽しませてもらっている立場なのだから彼は自分動画をどうしようと勝手なのかもしれないが、Mickerがいたから元の彼は活動ができていたのだ。英語がわからないMickerもいるだろうに、Asukaとなった彼は日本語を話してくれないのだから、なにが起きたのか説明はないのと同じだ。

私はMickのオシャレな編集が大好きだった。音楽もシーンによくあっているし、映像の色合いも美しく、何より彼自身が楽しそうで、アメリカはこんないいところなんだと思わせてくれた。

せめて、彼がこんなにゼロから全てを変えて始めようとしているなら、Mickのチャンネルは手つかずのまま新しいアカウントを作って再スタートを切って欲しかった。もしくはMick時代動画は消さないでおいて欲しかった。(最近MVなどをちょこちょこ戻してくれているようで嬉しいな。)

顔のタトゥーシールかもしれないがいつもついているので私はタトゥーではないかと思っている)も心配の要因だ。タトゥーについてつべこべいうのはいかに日本価値観だと私自身思うし、誰にも迷惑をかけないのだから自由にすればいい。アメリカではタトゥーカジュアルなことだと知っているし、私自海外に住んだらいつか入れてみたいなと思い始めているレベルだ。でも顔に入っている人は少ないしやはり異質な感じを受ける。以前某YouTuberが顔にタトゥーを入れて炎上(というより心配されていた)していたが、その人のはAsukaのよりは小さめだった。もともとMick時代から腕や足にタトゥーがあったのならまだわかるが、こんなに唐突に、しかも顔に入れるなんてよほどの心の変化があったのだろう。

それから言葉。彼は曲は日本語で歌って(ラップして)いるが、SNSではほぼ英語のみを使うようになった。正直曲を日本で売ろうと思っているのなら日本語も少しは使うべきだと思うし、日本語だと自分感情をうまく表せないと言っていたが、いくら英語が使えるとはいえ母語である日本語の方が圧倒的に得意なはずだ。私は彼が英語のみを使うことで、前の自分との違いを際立たせているようにしか見えない。以前よりもswear wordsを使うことも圧倒的に増えているし、曲にもたくさん使われている。私はAsukaが無理に変わろうとしているように感じられて少し心配だ。

躁鬱病という、躁(めちゃめちゃ気分がハイになり、取り返しのつかないことまでなんでもしてしまう)と鬱(反動で何もできない、気分がすごく落ち込む)を繰り返す病気があるのだが、こういう行動は躁っぽく感じるので尚更とても心配だ。絶対自分は違うと思えても精神のことは自分ではわからないものから、ぜひ周りに相談してほしいと思う。

Asukaにこれだけは知っていてほしいこと

8月末のインスタライブでは笑顔も久々に見ることができ少しだけ安心したのだが、気になる発言があった。「本物のファンというのは俺がどんな馬鹿たことをしてもついてくる人だ」というような内容のことを彼は言っていたと思うが、それは違うのだと言いたい。Asukaが言っているのはただの信者であってそれはファンではない。本当のファンは、いつも応援している人に心配なことがあったらそれを伝えることができる人のことだと思う。(頭ごなしに否定するのはただのアンチ。)

Asukaは私のことをファンではないと思うかもしれないけど、これから応援しています別に辛いことがあってもリスナーの前で無理してカッコつける必要はない、等身大でいて、これから私たちを楽しませてくれればそれでいい!本当の自分を一番大切にしてください。

2021-08-10

anond:20210810145536

2週間くらいは社会実験としていいと思う

テレワークがどれくらい進むかみてみたい

2021-07-29

anond:20210714225434

おかげで「馬鹿のための」地域振興券無意味って症例を安くで社会実験してくれたじゃん。経済学者社会学者が欲しくて仕方がない事例を作ってくれて感謝して仕方がないでしょ。

anond:20210729144117

経済システムとしての共産主義はまともに機能しないことが20世紀の壮大な社会実験で何回も確かめられたので、それをもう一回やるのは愚かでしかない。

認知能力限界のある人間が、あらゆるもの需要を予想して供給コントロールしようとすることに無理がある。それは基本的市場に任せたほうが上手くいく。

働いた分だけもらえる仕組みではないのも問題だ。個人の成果は国家に回収され、必要な人に必要なだけ配られる、あるいは平等に配られるという建前で、個人がどれだけ努力や工夫を凝らしてもそれが個人賃金に反映されない。すると労働モラルが低下して生産性が上がらなくなる。国の経済が成長しなくなる。

日本共産党が「経済政策については資本主義転向します、なので党名も変えます」となったら、その他の政策次第では検討してもいいかなと思う。でも、共産主義から共産的な経済システムを取り除いて資本主義をぶっこむと、それはただ単純に独裁×資本主義中国スタイルになるだけかも?

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