はてなキーワード: 社交界とは
思春期である。普通のプールに行くことを考えるだけでムラムラが収まらないのである。そんなさなかに、教科書や参考書の隅っこにビキニ姿の女性が踊っているのを見て、平常心でいられるはずがあるだろうか。
だいたい、カーニバル衣装のビキニのパンツ部分から下がっているふんどしというか前垂れというか、極限まで深くしたスリットみたいな、あれをみても平静ではいられない。たまにファンタジーものでもそういう名前がわからないけれどもふんどしというか、マーニャの踊り子衣装みたいなのがあるのだが、あれってめくったらどうなっているんだろ。鳥山明に聞いてみたい。
カーニバル、つまり謝肉祭とは、四旬節という物忌みの期間直前のお祭りであり、しばらくは肉料理が出なくなる。要するに遊ぶだけ遊んで翌日からは真面目にやる日、というわけだ。別の説によれば異教の祭りが起源であるのだが、どちらにしても現在ではキリスト教の暦と密接に関係している日である。ちなみに、この四旬節が明けて過ぎ越しが明けた日がイースター、復活祭に当たる。
ウィキペディアによれば、黒人と白人の音楽の混交から生まれた音楽・ダンスを指すそうである。もう少し詳しく述べると次の通り。
音楽としてのサンバはダンス音楽であり、19世紀の終わりごろブラジル北東部の港町、バイーア(現:サルバドール)で生まれた音楽が源流となった。当時のバイーアは、奴隷貿易によってアフリカから連れて来られた黒人が集められ、売り買いされた場所であった。その後、白人文化からの影響も受けながら1910年代に確立し、1930年代に普及と隆盛を迎えたそうである。内容も黒人の生活や人種差別から抒情的な内容も含むようになっていった。
ダンスとしてのサンバもまたバイーアに住んでいたアフリカ人奴隷の踊りが元となっていて、足や腰の動きを基本とし、ほとんど即興である。ポルトガルの文化と混交してリズムや踊り方が変化した。伝統的には音楽を演奏しながら周りで手を叩きながら輪を作って踊り、交代で人が中に入って踊るが、これをサンバ・ジ・ホーダ、サンバの輪といい、都会のサンバの進化にも影響を与えた。これは今や、ブラジルの文化的なアイデンティティとなっている。
現在のサンバショーでは現代の欧米のダンスを取り入れた振り付けだが、あくまでもサンバは基本的に即興の踊りが中心で、またその醍醐味であるそうだ。
なお、日本に初めてサンバが紹介されたときには知識が不足していたせいか、キューバのマンボと混同していたり、なぜかメキシカンハットをかぶっていたりと文化考証がめちゃくちゃで、冒頭に引用した語句のように、今でもこの誤解を引きずっている人は少なくない。マツケンサンバだってサンバとはちょっと違う。
Rio de Janeiro's Carnival Costumes Throughout the Years - ABC News(不幸にして画像はリンク切れ)
The History and Tradition of Rio Carnival Costumes - Bucket List Events
カーニバルの仮装はイタリアにその起源を持ち、その伝統はポルトガルにまで広まった。それが植民地のブラジルにもたらされた。誰が誰だかわからない、そういう楽しみであろう。
1930年まではブラジルの社交界の人々は平民たちの視線のなかで、豪奢な衣装や仮面を見せびらかして歩いていた。仮面は動物や悪魔の形をかたどったものや、イタリアに起源をもつ道化の顔もあった。
1930年以降、庶民もカーニバルに参加するようになった。しかし、当然のことながら高価な衣装は身に着けられないし、2月のブラジルは非常に暑い。そこで、明るい色を身にまとうことになった。カーニバルのパレードは1932年に端を発する。
そこから徐々に衣装の軽量化が始まった。1950年にはすでに男性は上半身裸、女性はビキニ姿になっていたことが確認される。水着のビキニが1946年に誕生しているので、非常に適応が早い。海以外でビキニ姿になったことを考えれば、全く持って革命的である。
1970年代になるとサンバ・スクールが組織化され、現代のように洗練され始める。この産業が衣装の豪華さを支えている。実際、テカテカビキニばかり有名だけれども、他のメンバーの極彩色の衣装は露出が少なくても見ていて楽しい。こうしたサンバ・スクール(エスコーラ・ジ・サンバ)は学校を名乗っているが実際は組織化されたダンスグループで、最大で4000人の規模にも達する。舞踏や衣装のスタイルに違いがあり、区別される。なお、ダンサーだけで4000人であり、衣装を準備する人やその他オーガナイザーは含んでいない。
また、同時期にサンボードロモ、つまりサンバを披露するためのエリアが作られる。ウィキペディアによれば、通常は、サンバ・スクールのパレードが展開できるほど長い空間を、観覧席が取り囲むような構造になっているそうだ。阿波踊りの会場みたいなものか。そして、リオデジャネイロのサンボードロモの場合、中央のパレード空間の長さは700メートルに及ぶとのことである。ブロコス、カーニバルのブロックもまた作られた。
現代では、ほとんどあらわになった胸に紐パン姿も散見される。英国のタブロイド紙がこうした乳首の露出やフェイクの乳首について記事を書いている。
今のところ、全裸は許容されていない。とはいえ、ルールを守らない人もおり、そのせいでサンバ・スクールが時折資格を剥奪されることさえある。そういう格好で踊っている人が見たければxvideosかpornhubをご覧いただきたい。野外で全裸になるのは露天風呂でもわかるように最高なので気持ちはわかるが、ルールは守りましょう。
Hyper sexual Carnival atmosphere has a dark side for Rio's women | The Independent | The Independent
ここで記者は、カーニバルのビキニの女性たちは過度に性の対象となっている、モノ化しているのではないか、と指摘している。つまり、パレードで疲れた男性たちを鼓舞するように休みなく踊り続ける半裸の女性、いわゆるボンキュッボンの「理想」的な体型で選ばれるサンバの女王たち。少年たちがサッカー選手に憧れるように、テカテカのビキニの女性に憧れる少女という構図。一見エンパワーメントされているようだが、実際は? しかも、カーニバルでは性暴力の数が圧倒的に増える。その場の雰囲気で強制されたキスだけでなく、強姦も含む。こういう空気を嫌ってか、カーニバルの期間は脱出する人もいるそうだ。
自分は、よその文化だから評価できる立場にはない。ただ、たとえば「理想」的でない体型の女性も選ばれたらもっと素敵になるかもしれない、と思うのだ。昨今、モデルの体型をやせ過ぎにするのはやめよう、という運動が起こっている。それに、いわゆる美人ではないしスリムではない女性が芸能界で活躍することが増えた。自分の好みではないが、とてもいいことだと考えている。貧乳でもいい、毛深くてもいい、ぽっちゃりでもいい。そういうメッセージが社会全体に広がることで、あなたはあなたのままでいいという空気を作ってほしい。あなたをあなたのままで尊重する、そうすることで暴力の少ない社会にしていきたい。
過度に性的な空気は似たようなイベント、ニューオーリンズ・マルディグラでも問題になっている。家族で過ごすイベントである側面もありながら、野外で全裸になる人も後を絶たないのだ。ブラジルから外れるので詳しくは述べる余地がないが、詳しくはウィキペディアを参照してほしい。
Child queen, U.S. stars to light up Brazil Carnival | ロイター
https://www.france24.com/en/20100215-controversy-over-child-performances-mars-rio-carnival]
あるいは、7歳の少女が躍る権利についても議論が巻き起こっている。子どもの権利を保護する団体が、彼女が性的に搾取されることを恐れたのだ。ハイヒールにビキニの大人たちのいる場はどうしても性的だし、40度にも達する気温は子供の身体に有害である恐れがある。同時に、踊りたいという子供の夢をかなえたい思いもある。日本でも、浅草かどこかで踊る小学生のビキニ姿をアップロードする者は後を絶たない。
ちょっと前まで子どもがすっぽんぽんで泳ぐのがかわいいとか言っていた時代だったかもしれないが、誰でも写真や動画が容易に拡散できるようになってしまった時代、そうもいかないだろう。僕たちは否が応でも自分の身体を性的だと意識せざるを得ないし、子どもが自分の身体を守るための性教育の必要性は高まっている。何も幼稚園児からセックスについて事細かに説明する必要はない。ただ、身体の特定の部位を覆い、むやみに他人と触りっこしないように教えて身を守れるようにすれば十分だろう。性教育とはセックスの知識だけではないのだ。
2月の祭りとしてはしないと思う。日本人は概して祭りが好きだし、海外の祭りを積極的に受容してきたが、イースターが定着するかどうかどうかという雰囲気であり、これ以上の祭りを受け入れるキャパシティは少ないのではないか。2月にはすでにバレンタイン商戦があるので、そこにねじ込むのは少々無理があるだろう。50年経てばパリピがホーリー祭りまでやり始めるかもしれないが。あるいは、8月の浅草サンバカーニバルや5月の神戸まつりのように季節をずらすかもしれない。大体ああいう格好をするのは単純に踊っているとめちゃくちゃ暑いってのもあるだろう。
私事だが、イギリス育ちの自分としては、日本に戻ってハロウィンやイースターがないのが当然だと思っていたし、寂しいとも思っていなかった。触れるとすればせいぜい、NHKの「えいごであそぼ」や国際交流の授業で言及されるくらいであった。ハロウィンやイースターを定着させようとする動きはごく最近のものだ。
それに反対するわけではないのだが、ハロウィンが終わって街の雰囲気がすぐにクリスマスになるのは風情がなさすぎる。米国ならクリスマスまでの間に感謝祭があるのでまだ11月を感じることができるのだが、日本ではそうもいかない。二十四節季を楽しんでいた先人のいる国とはとても思えないほどに大味だ。
商業主義との両立を考えるなら、11月にも何かイベントをやればいいのではないか。2月には豆まきとバレンタインがある。毎月2度のイベントをやれば、二十四節季めいていてまだいいのではないか。
今回はテカテカビキニが50年代にまでさかのぼることを示した。今後は、世界各国の祝祭の場における露出の自由、野外全裸、性的規範のゆるみについて調べるとともに、暴力を防ぐための対策についても調べていきたい。
最近、「ブスはこんなにつらい」というような記事に対して「美人は美人でつらい」という文脈で『私には私の地獄がある』と宣う輩がいる。
はあ、それはそうなんだろう。美人だったらセクハラとかされたり男に惚れられたりして大変なんでしょうね……。
だが言わせてくれ。
フザケンナ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ブスの方がつらいに決まってんだろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
……こんなことを書くと「不幸マウントは不毛」だの「不幸せは相対的なものだの」訳知り顔で言う人達もいるんだろうが、ハッキリ言ってそれは誤魔化しだろう。
そもそもブスは容姿というアドバンテージを持っていないが、美人は「持っている」ということを忘れてはいけない。
持っているものと持っていないもののすれ違いは本当に悲しいものだが、それでも持っていないものの方が悲惨なのは言うまでもないだろう。
それなのに「持っている美人」が「持っていないブス」に対して『私には私の地獄があるのよ(笑)あなただけがつらい訳じゃないわ』と言ったって、ちゃんちゃらおかしいとなぜ気が付かないのだろうか。
この「私には私の地獄がある」で残酷なところは、心底「持っている側」がそのアドバンテージに気を使わずに発言しているところだろう。
ビジュアル的にはお嬢様が馬車に乗って貧困地域に通りかかり、貧困少女を目の当たりにして「つらいのね。でも私も社交界で馴染めなくてつらいのよ…」とでもつぶやいているようなものだ。
もう増田ご本人は見ていらっしゃらないかもしれないが、私なりに寄り添って、こんな風に考えてみたらいいんじゃないか、と思ったことを書く。読みにくくてすまん。
トラバとブクマを見たが、9割5分はまともに文章を読んでなくて、結局KKOの書いた文章はエンタメとして消費されるんだなとわかった。
ここにあなたのつまずきがあると思う。
人の話や文章をちゃんと理解する(そしてそれに見合った返答をする)、というのは、実はとても難しくて、たぶん世の中の半分以上の人間にはできない。
増田はたまたまそれが何の苦もなくできる。そしてできる人には、あまりにも自然にできてしまうせいで、できない人がいるということが理解できない。〈誰だって頑張れば理解できるはず〉だから、〈理解しないのはやる気がないからだ〉と思ってしまう。そして〈なぜやる気を出さないのだろう、なぜ俺の話をちゃんと聞いてくれないのだろう〉→〈俺が「キモくて金のないおっさん」だから、見下されていて、消費対象のエンタメだと思われているんだ〉、と思っている。
まったくの勘違いだ。彼らはやる気がなくて読んでいないのではなくて、やる気を出しても読めないのだ。
仮にあなたが「若くてきれいな女性」だとしても、相手があなたの話をちゃんと理解し適切な応答をしてくれるようになるわけではない。無意味にあなたをちやほやと取りかこみ、「わかるー、ほんとむかつくよね!(←全くわかってない)」とか「大変だったね笑そういうときはこうするといいよ笑」とかいうトンチンカンな応答をするやつが増えるだけだ。
ちょっと世間を見ていればわかると思うが、「相談なんてしていない」のに「少し深い話になるとやたらとこちらの言うことを否定してくる」おじさんやおばさんに、若い女性も毎日遭遇している。〈相談されたから解決策を考えてやったら「共感してほしかっただけなのに」とかいわれた、これだから女はw〉みたいな話も日常的にエンタメとして消費されている。つまり増田はほぼ若くてきれいな女性そのものだよ! やったね!
自転車に乗るみたいなものだ。増田は自分が自転車に乗れて、乗れない人がいるなんて想像もできないから、自転車を運転できない人を見て〈まともに乗れよ〉と怒っている。これがどのくらい無意味な行いかはわかるだろう。
あなたは〈みゆさんみたいな人は貴族で、自分は貧民なんだと思っていた〉というが、この表現は劣等コンプレックスを刺激して冷静な対処の邪魔になるので、ちょっと視点をずらして逆に考えたらどうだろう。つまり、少数派にしか許されない特殊なマナーが身に染み付いているあなたが「貴族」で、みゆさんや我々トラバ・ブクマカのほうが庶民なのだ。
だからといって、〈よしじゃあ庶民を馬鹿にしていればいいんだな〉という話でもない。「貴族」といっても別に権力があるわけではないから、正面から殴りにいったらむしろ数の力ですぐに負ける(日本学術会議はこのへんを勘違いしている)。そして道徳的にも、貴族のマナーが無条件で優れているわけではない。「武士の商法」という言葉があるけれど、自分のマナーが正しいことを疑わず、従わないほうが悪いとばかりに庶民のあいだでもそれを押し通すのは、滑稽な所業だ。
さてでは、貴族のあなたが心穏やかに過ごせるようになるには、どんな方向があるだろうか。パッと思いつくのは次の三つだ。
1庶民を丁寧に教育し、マナーを社会的に浸透させる(啓蒙家コース)
2庶民社会のルールに順応し、そのなかで栄達を図る(資本家コース)
3おつきあいはできるだけ貴族同士に限定し、無作法な人には近づかない(社交界コース)
おすすめは3だ。別にそこまで極端に交流を狭める必要もないと思う。普通に生きていると案外、貴族は貴族同士、庶民は庶民同士で集まる。「普段縁のない層」に絡みにいくから摩擦が増える。みゆさんじゃなくて、「別の人に相談した」というその別の人に話を聞いてもらったほうがいいんじゃないか。庶民の恐ろしさを知った今なら貴族の貴重さも身にしみて相手を大事にし、一層深い関係を築けるかもしれない。
自分の信じるマナーが社会全体に受け入れられるという1のゴールはとても素敵で選びたくなるだろうけど、過程がマジで大変だ。もしこれができるようなら明らかに教職が天職なので、さっさとその方面に再就職すべきである。少なくとも、人々が〈やる気がない〉のではなく〈自転車に乗れない〉のだと気づいていなかった増田には難しそうだ。
以下はここまで以上に説明が難しい部分で、フィーリングに頼って話を進める。読んでも非論理的なでたらめにしか思えないかもしれないので、適当に流してもらっていい(「論理」と「合理」が曖昧に使われているのもその一環と許してほしい)。
ここまで「まともに」つまり合理的に読んだり話したりすることの難しさについて述べてきた。けれども人間が非論理的なのは必ずしも悪いことではない。生き物が不合理なエゴを抱えるのは当然で、合理的論理的に考えたら生きる意味はなくなってしまう。その意味で、〈正面から反論せず「それが普通だ」と不合理に押しつける〉のは、人間なら避けられないことといってよい。貴族仲間というのは、不合理な領域が自分と一致しているので苛々しない相手に過ぎない、ともいえる。
問題はむしろ、論理的な人間が往々にして、自分の中の不合理な部分まで論理的だと思い込み押しつけてしまうことだ。2(資本家コース)は不合理な政治的手法に順応するということなのだけど、とくに庶民に対する劣等コンプレックス(軽蔑もしばしば劣等感の反転である)が強い場合、〈実際には不合理なルールを利用しているのに、次第に自分は論理の力でみなを啓蒙しているかのように思いこむ〉機制が働きやすい。インターネットを見れば、中途半端に論理的だったために自分の正しさに凝り固まったイデオローグと化し、敵を感情論と指弾することの不合理な喜びに支配されている右翼や左翼やフェミニストや表現の自由戦士の実例には事欠かない。
このルートに入ると論争のイライラ感に依存するようになって、マジで「世間話をする」みたいなささやかな幸福に支えられて生きていく邪魔になる。なので、自分のなかの不合理な部分は不合理と認めて、適当に愛撫しながら生きたほうがよい。
https://anond.hatelabo.jp/20201024152554
上記の反応エントリがあったので追記で答えます。書いたのが増田なのか別の人なのかわからないのがちょっとやりにくいけど。
あとあらかじめ注意。「多少突っ込んだコメントになると」「あなたたち」等と言われているから、もしかしたらこのエントリ以外にもいくつか念頭に置いているコメントがあるのかもしれない。でも私は私自身の意見の説明しかできません。そこはご容赦を。
ごめん、前提が共有できていなかったみたいだ。ちゃんと読んでもらえば分かると思うけど、前者を擁護しているわけではない(余談部分までいくとまたちょっと別だが)し、読み手についても、ましてや増田について「悪い」とは言っていないよ。
当為(「べき」)と事実(「である」)の区別、って聞いたことないだろうか。私は事実認識「文を読めない人が多い」を確認しただけだ。当為については述べていない。
うん、だからそれは当為認識〈あれこれ論じることができなくてはならない〉なんだよね。で、〈あれこれ論じることができる人は少ない、あれこれ論じるのは非常に困難である〉、これは事実認識。当為によって事実は変わらない。
ここで重要なのは、当為の実現を諦めろっていってるわけじゃないってこと。むしろ当為を将来的に実現するためにこそ、偏りない眼で現状を、そして現実がどういう法則で動いているのかを、正確に認識することが必要だ、という話。
たとえば〈この水は氷になるべきである〉という当為認識があるとしよう。ここで、水を前にただ「氷になるべきなんだからならなきゃおかしい」「なっていないのは誰かが悪いに違いない」とか考えててもしょうがない。そもそも水は氷になるのか、なるとしたらどんな条件下で氷にすることが可能なのか、当為とは無関係に物理法則がどういうルール「である」かを知らなければならない。最終的に、〈この水はこれこれの限られた条件下でのみ氷になる〉という事実認識が把握される。この事実認識を踏まえてはじめて、私たちは技術を用いてその条件を実現し、水を氷にすることができる。
たとえば「沖縄の基地負担は減らすべきである」という当為認識だけがあって、基地とそれを巡る政治的力学についての事実認識がなかったために、ひどい混乱が起こった例はご存知でしょう。
「でもお前の提案した3(社交界コース)は当為を諦めてるじゃないか!」といわれるかもしれない。それは、もともと増田が設定している当為=ゴールが〈万人が言語交流できるだけの知性をもつべきである〉ではなくて、〈増田は幸せになるべきである〉だと判断していたからだ。後者の当為はちゃんと追求している。
前者も当為から外せない場合、1(啓蒙家コース)にあたる。「1は難しい」とは言ったけどそれも事実認識を述べただけで、「1は選ぶべきではない、3を選ぶべき、3を選べなかったのは悪い奴」とは言っていない。なので、1をとりたいならどうぞ。
たぶんあなたは、悲しいことが起こるのはどちらかが「間違ってる」「悪い」からだ、と考えてしまっているんだと思う。そして、「責任のある」「悪い」方が変わる「べきだ」、と思ったんだと思う。だから、私が主に相手を変えない手法を提案しているのを見ただけで、「増田が悪いんだと結論づけ」ていると誤読してしまったのではないか。でも、これは単に、〈相手を変えるよりも自分の選択を変える方がはるかに労が少ない〉という理由から提案したものにすぎない。
と言わざるを得ない。
実は「自転車に乗れない」と書いたところ、最初は「因数分解ができない」という例も考えていたんだよね。学校で授業を受けても因数分解ができない人、文章がまともに読めない人、あるいは一度できたはずなのにしばらくしたら忘れちゃう人、たくさんいるでしょ。恥ずかしながら私も、理科や家庭科で習ったこと、すっかり忘れちゃったなぁ。当為と事実の区別も学校で習うような気がしてたけど、これは私の記憶違いかな。
もちろん私の事実認識自体に反論することはありうる(「事実認識」であって「事実」とまではいっていない)。それならそれでいいです。
それは多分誰も反対しないと思うw
また長く雑ですまん。
貴族のパパやママが「うちの息子/娘もそろそろ社交界デビューする年齢だ」なんて台詞がたまにある。
そんな年齢はきっととっくに過ぎているだろうけれど、俺も社交界デビューしたい。
別にお貴族トークがしたいわけではない。スーツが着たい。最近仕立てたんだけれど、これがまたとてもいい感じなんだ。もはやかわいいといっても過言ではない。何処かへ来ていきたいが来ていく場所がない。
当初は結婚式や披露宴のゲストとして参加するための一張羅的なものとして「1着くらいは自信が持てるものを持っておこう」という心持ちだったのだが、慣れないテーラーで生地を選んでいるときにいわゆるフォーマルな生地ではない、少し光沢のあるものを選んでしまった。出来上がりを待つ間、すこし間違えたかなーと後悔もないわけでもなかったのだけれど、出来上がってみたら全部吹き飛んだ。生地見本でみたときよりも光沢の感じがどことなくマットで品がある。どことなくエロい。つまり、すごく気に入ったのだ。
だけれど、前述の通り、着ていく場所がない。社交界があれば、気に入りのスーツとかを着ていけるのに。今は結婚式とかも全部延期になっちゃったし、いよいよ着ていく場所がない。
貴族のパパやママが「うちの息子/娘もそろそろ社交界デビューする年齢だ」なんて台詞がたまにある。
そんな年齢はきっととっくに過ぎているだろうけれど、俺も社交界デビューしたい。
別にお貴族トークがしたいわけではない。スーツが着たい。最近仕立てたんだけれど、これがまたとてもいい感じなんだ。もはやかわいいといっても過言ではない。何処かへ来ていきたいが来ていく場所がない。
当初は結婚式や披露宴のゲストとして参加するための一張羅的なものとして「1着くらいは自信が持てるものを持っておこう」という心持ちだったのだが、慣れないテーラーで生地を選んでいるときにいわゆるフォーマルな生地ではない、少し光沢のあるものを選んでしまった。出来上がりを待つ間、すこし間違えたかなーと後悔もないわけでもなかったのだけれど、出来上がってみたら全部吹き飛んだ。生地見本でみたときよりも光沢の感じがどことなくマットで品がある。どことなくエロい。つまり、すごく気に入ったのだ。
だけれど、前述の通り、着ていく場所がない。社交界があれば、気に入りのスーツとかを着ていけるのに。今は結婚式とかも全部延期になっちゃったし、いよいよ着ていく場所がない。
それはオタクのノリじゃなくてただの社交だよ
本当のオタクのノリがしたいならTwitterなんかにいても好きな人しかフォローしないし、気に食わないことあったらすぐフォロー外すし、なんか言いたいことあったら普段話しかけないのに話しかけてしまうし、今でも電気街で何かしらの優れた道具を探しに行くしその良さを知らせることなんて忘れてしまうぐらいその道具で遊ぶよ。
そんなんでいいの、わざわざ人間風情があーだこーだこんなノリだあんなノリだをやってる中に混じって俺オタク俺オタク〜とか言って手頃なコスプレ女抱いてるより、格安だけど機能性抜群の道具を見つけてウハウハになってるのが真にオタクなの。それとも何か、そのゆるふわキモクサ社交界でオタクアニメのEDのダンスでも踊るのが君の夢か?暇つぶしか?
そうじゃないだろ、そうじゃないんだよ。違うな〜って思ったら避けていいんだよ。そして避けてきたからここにいるし、避けても潜める場所があるから君はオタクという楽しみ方をしてるんだろう。
オタクがチェック柄じゃなくてパーカー着るようになったからパーカー着るのか、じゃなくて、パーカーの方がファッションに拘らんでいいから着るんだろ。チェック柄なんてあの頃の金持ちママンがスーパーで買ってくれる服がチェック柄が多かっただけなんだよ。ファッション性じゃない、ただの機能なんだ。
だから、君もその人間関係が煩わしいなら派手にフォロワー0人フォロー0人とかしちまえばいいのよ。情報を拾ってくるのがめんどくせえけど、アンテナサイトがくせえんだからしかたねえもの。
そんで、それでも消費してやりたいと思ったら消費したらいい。好き放題消費すればいいのさ。
あ、それとオタクらしき奴らのするあのノリはオタク集団のストレス発散とわかりやすいバズワードの作成、からの宣伝、からの商売の為だから社交なのかウォークライなのかわからん程度のものでグズグズ言ってたらいつの間にかお気に入りのアイテムも買えなくなってしまうぜ。
ピストル持ってて変装して敵国敵組織に潜入して銃撃戦するようなのはいません
しかし
・表向きは外国で大使館職員しながら任地の新聞記事を大量に集める人
・表向きは外国で商社員をしながら私的人脈で集めた話を大使館員にたれ込む人
・バイトで政府機関の下請けをしながらハッキングで情報を集める人
向こうには「社交界」というものがあるので、セレブの集まりに参加して
それとなく王侯貴族の裏事情とかを聞き出すのがスパイの仕事だったわけで
つまり軍人がやる武闘系の仕事ではなくコミュ力重視なデスクワーク系の仕事だったのです
実際、CIAの前身になったOSSの創設者ウィリアム・ドノバンなんて
とにかく
日本では明治期以降、後付けで欧米の諜報活動の外形の真似事だけ取り入れたから
1940年生まれのバイタリティ溢れる彼女は、10代半ばで既に複数のアルバイトを掛け持ちしたり、映画にエキストラ出演をしたりしていた。
野心溢れる彼女が、戦後復興期に10代を迎えたのは幸運だった。
しかし、貧しい家庭を支えるため、様々なアルバイトを掛け持ちしていたこと言うが本心だろうか。
彼女の弟はのちに自殺している。彼女は自分の運命はこんなものでは無い、もっともっとのし上がれるはずだと信じていたのではないだろうか。映画にエキストラ出演していることからも、野心の強さがうかがえる。
ついにクラブで働く。そこで商社にスカウトされ、インドネシアに向かう。インドネシアの長、スカルノの機嫌をとり、石油を確保するためである。
晴れて第三夫人となったが、スカルノは失脚。日本政府は彼女を助けなかったためしばらく日本に帰れなかった。
インドネシアに残された彼女はスカルノが失脚した後に身ごもり、娘を産んだ。どうにもこうにもいかなくなると、フランスに亡命し社交界で生きていく。高貴な家柄の方と婚約までいったそうだ。しかし、祖国が恋しかったのだろうか、彼女は日本に戻り、今度は芸能界で生きていくことにした。
日本に帰ってからは、北朝鮮と繋がろうとしたり、廃太子運動をしたり、少々暴走気味だが、これは日本に対する復讐なのではないか?と思ってしまう。
性犯罪被害者を批判するのも、私はこんなに我慢したし、上手くやってきたのに...!という怒りと苦しみが感じられる。
10代で父が亡くなり、スカルノ夫人となった後に母と弟を亡くし、娘との関係も上手くいかず天涯孤独のデヴィ夫人。
近年では娘との関係は良くなって、孫にも会えるとアピールしているが、それが悲しい。
愛する人と結婚して、暖かい家族を築きたかったと後悔したのではないか。野心のために頑張りすぎて、大切なものを失ったと気づくのはあまりにも辛い。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 95 | 12087 | 127.2 | 27 |
01 | 69 | 18329 | 265.6 | 43 |
02 | 44 | 10908 | 247.9 | 90.5 |
03 | 47 | 10436 | 222.0 | 43 |
04 | 43 | 3020 | 70.2 | 27 |
05 | 21 | 3230 | 153.8 | 21 |
06 | 28 | 2073 | 74.0 | 43.5 |
07 | 68 | 4148 | 61.0 | 34.5 |
08 | 85 | 4634 | 54.5 | 29 |
09 | 124 | 7502 | 60.5 | 35 |
10 | 157 | 10984 | 70.0 | 34 |
11 | 141 | 9959 | 70.6 | 33 |
12 | 142 | 11497 | 81.0 | 35 |
13 | 142 | 8821 | 62.1 | 32 |
14 | 204 | 14766 | 72.4 | 32 |
15 | 219 | 14869 | 67.9 | 40 |
16 | 228 | 15052 | 66.0 | 41.5 |
17 | 221 | 20076 | 90.8 | 43 |
18 | 209 | 16527 | 79.1 | 39 |
19 | 252 | 23019 | 91.3 | 36.5 |
20 | 133 | 11012 | 82.8 | 40 |
21 | 119 | 9055 | 76.1 | 37 |
22 | 141 | 9018 | 64.0 | 30 |
23 | 121 | 13117 | 108.4 | 35 |
1日 | 3053 | 264139 | 86.5 | 36 |
陽水(5), あげまん(5), 社会的責任(26), 同梱(4), 塩化ナトリウム(3), しろし(3), 土佐(3), 力無く(3), 社交界(4), 教育関係者(3), G20(3), 助けれ(3), パイ(13), 甲斐性(13), 下方婚(67), 出生率(10), 常駐(8), ケア(11), バラエティ(8), 養う(8), タピオカ(13), 弱者男性(10), 女に(27), 乳(10), チケット(10), 比率(9), 救わ(19), KKO(7), 養っ(7), 性交(8), ヤクザ(14), コーヒー(14), 肌(14), 維持(25), 白人(12), 若く(11), ゲイ(15)
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将来的に社交界にいくことがあるかどうかは親が決めることじゃない
しつけやマナーは「相手を不快にすること」以外は我が家は全然重要視してない。
社交界にいくこともないしね
逆にお箸の持ち方で人を判断するような人となんか付き合わなくていいと思ってる。「しつけ」って言葉、大嫌い。親は「しつけができてない」って言われることにビビってるかもしれんけど、— ちゃちゃこ@正直クソババアお母さん (@shinkontosa) 2019年6月12日
そんなことより大事なことが他にたくさんあるもん
お箸の持ち方や靴を並べる習慣より、心の考え方の癖のほうがもっともっとややこしい。大人になって気づいてもすぐに治らなくて悩むのはそっちやもん。ほんとに大事なことって見えにくいけど、我が家はそっちを重要視して育ててるんじゃ、ケッッ!!!— ちゃちゃこ@正直クソババアお母さん (@shinkontosa) 2019年6月12日
だから、うちはどーでもいいんですよ!!
自分がそう思うことはそうすればいいですが、他人にまで押し付けないで下さい。— ちゃちゃこ@正直クソババアお母さん (@shinkontosa) 2019年6月13日
パワフルゥ
多分、無理矢理破談させて皇族続けるのもそれはそれで居づらいだろうし、秋篠宮もしぶしぶ結婚させることになると思う。
で、世論に石もて追われるように渡米、アメリカで「元プリンセス」としてメディアを騒がせるんだけど、知名度活かしてビジネスを展開してた小室圭のスキャンダルとかもあってアメリカにも居づらくなり、ヨーロッパに移住して娘と社交界デビュー。そのうち金目当てで日本に帰国する。
すっかり世間に揉まれて、たくましいオバサンになった眞子さんは、歯に衣着せぬ毒舌と、バンジーにも挑戦するようなNGの無さで話題を呼びつつ、「世間を敵にまわしても愛を貫いた私の半生」とか語りだすんだよ。
著書もバカ売れだな。