はてなキーワード: 硫化水素とは
やはりお掃除業界にとって超強力というキャッチフレーズは必要不可欠なのか。
その答えは誰も知る由もないがただひたすらそのキャッチフレーズによる「吸えそう感」は正直でかい。
このキャッチではまた「あらゆるものをお掃除します」と書かれているこれもまた不特定多数のモノを認識させ
「あんなものまで吸えてしまうのか?!」という想像力に訴えかけた副産物まで生んでいるのではないか。
エレファントジャパンの掃除機を使った事はないが、ここまで来たら商品を見てみようではないかと感じた。
と、まんまとキャチなキャッチフレーズ、否、キャッチコピーにやられサイトを開いているユーザーもいるのではないか。
エレファントジャパンの掃除機はこのキャッチコピー、否、キャッチフレーズに相当するものなのかと。
と、ここまできて早々に気づいた。
【エレファントジャパンは掃除機売ってる会社じゃないじゃないか!!!!】ここ大事
まんまとあのキャッチコピーに、否、キャッチフレーズ(もはやこのくだりもどうでも良いが)やられてしまった。
だが時すでに遅し、私はまんまとエレファントジャパンさんのHPをすでに閲覧している。
ここですでにキャッチされているというのは抗えない事実であり私はまんまとその術中にはまっているのかもしれないが
それは一つ騙されたという気持ちもなければいわゆる一つの間違いを犯してしまった。はたまた無駄な時間を過ごしてしまったなんて
到底考えも及ばない、否、及ばせない絶対領域のようなそれはいわゆる自然に検索してたらたまたまキャッチなフレーズに目が止まって
なんだろうこのサイトはただただ自然にのぞいた事と同義にはまるようなこれは摂理的な行為であり全くキャッチなフレーズによって
誘導されてしまった愚かな愚民に成り下がってしまった行為とは程遠い高尚かつ神秘的な現象なのである。
そもそもキャッチなフレーズとは何なのか突然だが考察してみようではないか。エレファントジャパンさん。
キャッチとは
そうそれは掴む事である。いや、Google的にはとらえること、捕まえることらしいが。
ではそこでキャッチーとは!
キャッチーとは
人にうけそうなさま、人の注意を引きそうなさま、音楽で言えば旋律が覚えやすいさま
うむ、「ー」伸ばしが付くだけでここまで表現が違う。
そもそも「さま」とはなんぞや。
はたまたキャッチの話をしているにも関わらず音楽で言えば旋律が覚えやすいさまとな。
※ここであえて電子辞書アンチであるストーリーは徹夜になるので割愛させて頂く。
一つのキャッチフレーズでここまで欲望を様々駆り立てる事が出来るなんて
いや、私が勝手に色々妄想のキャパシティー全てを使って全く至極共感を得難い事をしているのは
誰が見ても笑止千万誰にも止められぬ情熱を感じさせるエナジー。
エナジードリンクと言えば今はレッドブルの一強ではなく、現在では何を飲む事が正解なのか
分からず何となく応援したいファン的な気持ちでモンスターを買ってしまったりCDをジャケ買いするがごとく
なんの成分が入っていてどこがあれとこれとどう違うのかなんて全く興味を示さずこの目がアイキャッチした情報に
ひたすら忠実にそれはもう忠犬がごとく誠実な思いとなんの脈絡も戦略もない買い物をただ魔が差しましたと
理由を述べるしかないような趣で繰り返す社会に埋もれた社畜のように繰り返すのです。
また話が脱線しましたが、結局はキャッチなフレーズにはそれだけの
妄想性と秘めれられており、人一人の人生を変え得る魔力も時には兼ね備え
「あっ今日で会社辞めます」なんて突然言い出して南の国までドラムバック一つと一枚のアロハシャツで出かける感覚で
旅行に行く感覚で移り住んじゃう的なノリで動き出してしまうのが人間なんです。
まぁ話を戻しますとエレファントジャパンさんは某〇そんのような掃除機を販売しているのではなく
国内最大を誇る能力を持つパワープロベスターをはじめ大風量の車輛を取り揃え、粉粒、液体など長距離もなんのそので
主に沈殿ピット分理想などの汚泥回収や清掃・タンク内のクリーニングをしてくれるメンテナンス工事部があります。
あまり聞きなれない方のためにエレファントジャパンさんが脅威の吸引力で掃除をしてくれる沈殿ピットや分離槽とは?!
あまりにもキャッチな言葉に引かれて掃除機を探しに来た私ですが、私の日常生活では全く知る事がなかった世界に飛び込んでしまいました。
排水設備の配管の途中に設けられていたりする、下水道のどうしても出てしまうまたは劣化による悪臭、硫化水素などのガスを遮断し、屋内へ侵入するのを防ぐ器具や装置の事をいい
また、害虫やネズミなどが屋内に誤って入ってきたりを防ぐためにあるトラップの働きもする。
沈殿ピットについてはパッと情報が出てきませんでしたので類似で出てきた情報を無作為に投稿してやりましたよ!
まぁいわゆる一つに見えない所でこの社会を支える仕事をしてくれている職人的な立ち位置のお仕事である事はなんとなく伝わってくれれば嬉しい限りですね。
マンションなどの集合住宅とかの屋上にあるアレ的なものだと勝手に推測しています。
ただ、あの頃僕たちは立ち入り禁止というだけどうしても立ち入ってしまいたくなるそんな十代の初めての過ちをしてみたい衝動
はたまたあの子と学校の中で唯一2人きりになれるんじゃないかと良くない妄想を頭フル回転で考えて結局甘酸っぱい感じに終わる事が分かっていながら
でも止められない今日この頃的な事を言って、この時は人生あの時こうしていればなんてことを昔話で一度はしちゃう。
はたまたそんな事出来ないよって優等生ぶってみたばっかりにあの時ただビビりで踏み出せなかっただけなので不良カッコ悪いよなんて面して
実はビビッてる事を隠してイキった事であの子の気を引きたいけど結局学生時代のかわいい子たちは悪いやつが好きなんだと言って勝手に勝負しない
本当のくそビッチチキン野郎の自分が変われる舞台になるんじゃないか。
一人でそんな事を考えながらただ空を眺めて毎日が過ぎていく事にそれなりにいいかもって感じている自分もいたな。
そう屋上です。
そんな屋上にある丸っこいあれですね。あれをあーしてこーして、すごい機会ありとあらゆる手段で吸っちゃうというそんなパーティーみたいなあれです。
エレファントジャパンさんのHPには象のモチーフがありましたが
やはり直訳すると日本象?エレファントにジャパンエレファントジャパンさんそんな吸引力と日本技術力を融合させて
いえ、すみません分かりません。
上記はただの妄想なので取材で裏どりされている情報でもなんでもありませんのでご容赦を。
ところでそんなキャッチなフレーズってだけでここまで話に花が咲いちゃうってのもとてもすごい事だと思います。
エレファントジャパンさんと小生には全く縁もゆかりもない事ではございますが
このキャッチなフレーズによりエレファントジャパンさんの存在を知り
自分の知らない世の中の縁の下の力持ちの存在を知る事が出来る。
なんて素敵な事なんでしょうか。
世の中広いんだぞ、って事を改めて認識させ子供のころ大きくなったら何になりたいの?
って聞かれたと圧倒的に多いスポーツ選手。
このクラスみんなの夢が叶ったらみんな日本代表になっちゃうねってそんなマンガみたいな世の中になって
エースは顔もイケメンでどんな大会でも結局得点王とかMVPになっちゃって試合後にはかわいいマネージャーと
甘酸っぱい事になっちゃたりしたりしなかったりでこれまた読者がいろいろな妄想をしてそれが同人誌で
妄想が形に変わったけどこれそういうマンガじゃないのになって考えながらもでもこれはこれでありなんて
自分を納得させながら結局ヒロインのあの子と主人公が果てしない行為をしている事に対して一つの夢が叶ったのではないか
マンガ家だったらみんなこういうの描いちゃうんだろうなイラストすら描けない愚弟がモノ申している事だろう。
そもそも世の中には知らない事が多すぎるけどもそれを知ったからなんなのって事でやっぱカッコつけて
お父さんの仕事カッコよくないじゃん菅田将暉の方がかっこいいじゃんって娘に悪態を突かれたお父さんもいれば
どっかのCMみたいにおやじの背中大きいぜなんて憧れて男は背中で語るもんよなんてつい便乗して調子こいちゃうお父さんもいるこんな世の中で
このエレファントジャパンさんのキャッチなフレーズでこのパワープロベスターっつうでっかいトラクターのようなもののおかげで
今夜も安心して便意を催したり出来るのかと思うと偶然とも必然とも捉えられるし、やっぱ愛しさと切なさと心強さとって感じにも思える。
ちなみに今更なんだけどパワープロベスターって吸引車はほこ×たてっていう番組でも取り上げられていたんだなー
どちらかというと私はぽこたてにばかり興味がいってしまってこんな日本の誇る技術力を右から左へ受け流して
絶対にいかない女VS絶対にいかせる電マ男になぜか男のロマンを投影してなんとなくこの怠惰な生活に類似した
異世界だけれでもお隣さんくらいの親近感が沸く絶妙なバランスでくだらなさも加味されたこの企画を
早送りする事なくただ漏れているあのころ夜中に布団に包まって大きな音を出し過ぎないように気配を押し殺して聞いた
深夜ラジオがごとく各々の思いにふけりながらただの映像としてその行為を見るんだなーという人があまりにも多いであろうと
推測されるこんな閉鎖的排他的なネット社会に鉄槌が下るべくこんな地上波では放送出来ないというレベルの内容を今では
PCやスマホの画面から閲覧できる自由な世の中でそれでも自由すぎる投稿にはBANというペナルティがあってやはり18禁の抜け穴というのは
目につくところではまだ開放的に楽しむ事が出来ないこんな世の中で出会ったという事はそれなりに意味があって
もしかしたらここに就職しちゃうのかななんて考えながらそれでも業界未経験だと書類で落ちちゃうのかな
こんなに入りたい人間を会わずに落とすなんてひどいとまだ履歴書すら持ち合わせていないでコンビニに行く事すら億劫に感じる今日この頃
この小さな四角い箱の中で俺の才能はこんなもんじゃないと心の中だけ強気で結局チキンである事はあのころと変わらない僕が
むしろあの頃の方がなかずんば良かったのではないかと自虐的な事をひたすら重ね重ね考えながらPC画面に映るエレファントジャパンさんキャッチな
フレーズに出会った事について未だに布団から出る事もなく家の中からお届けし、そろそろ眠たくなってきたから寝るのか
いやでもこんな文章でもまだ読みたいって思ってくれる暴君がいるんじゃないかってかすかに期待していたりいなかったり
そんな文章をずらずら並べながらやっぱり家から出る事はないなこんな世の中だからって
結局ドアの前に置かれたご飯を自分の食べたい順に食べたいものだけ食べて今日を終えようとしている頃
世の中の人はこれから始まる一日に精を出す表情をこの爽やかな朝の陽ざしを遮るためにあるカーテンごしから眺め
さぁて寝るかと勝ち誇ったように眠る僕です。
国際的には「人権を守るために表現を規制することはできる」が基本。
でもそれは警察権力・政治権力が恣意的にやっていいことではなく、オープンな議論の末に社会の合意を得ることでやらなければいけない。つまり議会で決めること。
大阪のヘイト禁止条例のようにな。今はISが自由に表現できる場所はネットでどんどん減っている。
は混在できる。
クジラックスの漫画を批判したからといって「表現の自由」を守ろうとしていない似非リベラルにはならないし、
上野千鶴子の講演を中止にした市長を批判したのに、百田尚樹の講演を中止にした一橋大学を褒めたからってダブスタにはならない。
別にクジラックスの漫画以上に少女を陵辱する漫画は存在する。なぜ容疑者はクジラックスに影響受けたと語ったのか。クジラックスの漫画のどんな表現に影響を受けたのか、を考察したほうが有益。
クジラックスの「がいがぁかうんたぁ」はネットで海賊版が氾濫している。同人誌アップサイトに無断掲載されてるだけでなく、匿名掲示板やtwitterなどのSNSでも切り取られたページがコピペされ拡散されている。そこにつけられたコメントの中には、笑いを意味する「www」をつけたり、「この方法があったか」などと犯行を煽るものが多数含まれている。
今回の容疑者も、クジラックスの同人誌を購入しているとは思えない。海賊版やコピペ画像で知ったと推測する。そうした画像が貼られるネットコミュニティに入り浸っているうちに感覚が麻痺してモラルが崩壊してしまった一面があるのでは、と思う。だから漫画に対して「現実では犯罪になります」と注意書きを加えたところで、切り貼りされた画像が流通するネットコミュニティのインモラルな環境を何とかしないと、あまり意味がないだろう、と思う。
レイプを描く漫画はクジラックスだけではない。なぜクジラックスが名指しされるのか。他の同等の漫画との違いは何か。内容にファンタジーが含まない(ラブラブにならない)という点があるが、やはり手口の描き方の上手さが特徴なのだろう。単に絵が上手いというだけではない。ネーム、コマ割りが上手いから印象に残る。解説が上手い。
テレビでも事件報道で硫化水素の作り方や爆弾の作り方など手口を詳しく解説した番組はネットで批判されてきた。犯罪を扱った一部のコンテンツへの違和感は、それらと同等のこととも言える。実際にかつては山ほどあった、爆弾の製造方法や硫化水素自殺の仕方などのようなインターネットサイトは、警察の要請や市民の通報で次々と消されている。
以上2点について、結局はネット上での拡散のしやすさが問題とも言える。いくら自主的に年齢制限や限定配布で閉じた流通を目指しても、それを拡散させるネットユーザーがいる問題だ。これでは現状の表現の自由は守れない。
もうこの1年以上
・離婚
・友人の裏切り
・転職失敗
・借金
と思いながらもどんどん状況は悪くなり
その反動でまた傷つき
昔いた会社の同年代は皆家族を築き、家を買い、仕事を逓増させ、半面ゴミクズのような自分を見て情けなくなり
任意整理して前に進もうとしても
また今日体と心がとことん苦しくなり
ただひたすら死にたくなり
休職しているときに家で寝るしかないあの生活は恐ろしすぎてつらすぎてもう絶対にいやだと
いま辞めたら土方やるしかなくなると
怖くて、死にたくて、つらくて、消えそうで、死にたくて、苦しくて
どうしたらいいか
そう思います
人間ってなんだろう
何を信じたらいいのかわからない
そう思います
楽になりたい
消えてしまいたい
誰も私なんて必要としていないんです
かつて自分を囲んでいた人たちも
好きでいてくれた人も
全部去った
なんで僕だけがここまで不幸にならないといけないんでしょうか。
一時期、鶯○デッ○ボールに在籍した子に似てる。
もう糖尿病で死んじゃったけど。
何回か通って「○○ちゃんのオマンコ、苺の匂いがする」ていったら、
じつは毎朝、朝飯代わりにかき氷のイチゴシロップをボトル一本飲んでたらしい。
その朝食代わりのイチゴシロップの香料がそのまま尿で排泄されて
マンコ周辺にこびりついてたんだろうな。
イチゴシロップの色素?とウンコの色がまじって壮絶な色してた。
小指と薬指の二本で肛門をグネグネこねてた。
そしたらピンクフロイドな液体(腸液)が肛門からにじみ出てくるの。
その子はブスで池沼だったから、客とるためにアナルファック当たり前に受け入れてた。
その子が死んだとき、遺品のルイヴィトン(本人は本物といって大切にしてた)にはいってた母子手帳をもとに
探偵に頼んで実母さがしてもらって連絡したんだけど、
そのお母さんも茨城の風俗店で働いてたよ。国道50号沿いのピンサロ。
会社がつぶれた。会社の人がムトーハップを用いて自殺したかはわからないけど。
人が死のうとするのは苦しいからだ。
生きて行く望みがない
お金がなければ生きられない。
なぜ死のうとする道を塞ごうとする?
一方で水際作戦やってて、生活保護なんて申請したってほとんど通らないでしょ
じゃあ死なせて欲しいのにムトーハップ発売中止してる場合じゃないでしょ
どこかで、「自殺をしたら、そのことをすごく悲しむ人がいるからダメだ」っていう文を読んだけど、
そりゃそういう人はいるけど、それ以上に堪え難い苦しみがあるわけで、
だから死を選択するわけでしょ
どうしてそれをわからないかな
日本という国が望んでるのは、能力がある人だけが生きて、お金をばりばり稼いで
納税してくださいってことでしょ
穀潰しなんて誰もいらないでしょ
ならなんで死なせてくれないのかな
お婆さんを助けたせいだ。俺は今わの際にそう思った。俺は佐々木誠也26歳。情けないことに、こうして自死を選ぶ。それもこれも、あのお婆さんのせいだ。
あれは俺が大学4年だった頃。就活中。100社以上エントリーシートを送って、やっと最終面接にこぎつけた企業の面接日。俺は時間に余裕を持って家を出て、面接会場に向かう道すがらだった。横断歩道で信号待ちをしていたら、隣に立っていた見ず知らずのお婆さんが倒れた。周囲に人はおらず、俺がやるしかなかった。俺は類まれな危機管理能力を発揮して即座に救急車を呼び、救急車を待っている間にも息と脈を測り、気動を確保し人工呼吸をし、救急車の音が聞こえるや、救急隊員をお婆さんの所に誘導して倒れた時の様子を説明しながら隊員と一緒に救急車に乗り込んだ。
お婆さんは一命をとりとめたが、気がついたら面接には大遅刻。物語だったら助けたお婆さんの親族が面接官でって展開になるわけだが、現実は非情だった。どんなに説明しても時間に遅れるなど社会人失格と、取り合ってもらえなかった。
そのまま就活は全滅。飲食店でフリーターをやりながら就職浪人をしてみたが、既卒をまともに採用してくれる所なんてなかった。フリーターの仕事はどぎつくて、休みなく働かされた。大学時代から付き合っていた彼女との時間も取れなくなり、愛想を尽かされて振られた。2年でうつ病になり働けなくなった。
うつの治療をしながら、起死回生をかけて、ネットで海外の珍しい品物を見つけて輸入して売る輸入業を始めた。だが、俺にはセンスが無かったのだろう。4年頑張ったが鳴かず飛ばずで廃業した。
別に俺の事業の失敗のせいではないだろうが、時を同じくして両親が相次いで他界した。気がつけば俺が持っているのは、事業の失敗で作った借金だけとなった。フリーターの給料じゃ、何十年とかかっても返せないだろう。悲しむ人も居ない。俺は先の見えない人生に絶望して自殺することにした。
本当に、ほとほとろくな事のない人生だった。だがそれもこれで終わりだ。熱いため息を一つついて、俺は意識を失った。
* * *
目が覚めると病院のベットの上だった。失敗したらしい。失敗だらけの人生、俺は自殺すらまともにできないのか。硫化水素を使ったのが悪かった。医者が言うには、アパートの隣人が異臭に気づいて通報したらしい。俺は無意味に命を永らえた。自殺未遂をしたというのに、見舞い客一人来ない命を。
しかしながら、ベットの上でぼうっと過ごすうち、あれほど自分を苦しめていた重苦しい感情がすっかり無くなっていることに気がついた。健康保険もなく入院なんてして、また借金が増えると思っても、なんてことはない。一度死んだ命、あるだけ得さ。生まれ代わったような気分だった。やっぱりどうにもならなかったら、また自殺すればいいんだ。それまで気楽に生きていこうじゃないか。
『それ』に気づいたのは看護婦が食事を持ってきた時だった。
「小指、どうしたんですか?」
「えっ?」
「小指ですよ、小指。そういうの、流行ってるんですか?」
なんのつもりか、若い看護婦は自分の小指に赤い毛糸を蝶々結びに結びつけていた。ずいぶん長い。糸の先を目で追うと、病室の外まで伸びている。仕事に支障はないのだろうか?
「私の小指が、どうしたんですか?」
だが、看護婦は不審な顔をしている。俺の正気を疑っている顔だ。
「だから、小指の毛糸ですよ。ほら、看護婦さんの左手に……あれ?」
やはり看護婦の小指には赤い毛糸が結びついている。だが、それだけじゃない。その毛糸は、今やってきた医者の小指とつながっていた。どういうつもりなのだろうか。
すると若い男女はお互いに顔を見合わせた。
「患者さんの前で、よせよ……」
二人とも、ちょっと照れているようだ。目と目で通じあって、やたら幸せそうである。しかし、若い医者は訝しげに、
「でも、なぜそれを?」
「それ、とは?」
「確かに私達は婚約しますが……別に、言いふらしているわけじゃないんだけどな……」
お前か? 私じゃないわよ。なんて目の前でイチャコラするカップルの小指の間には、確かに赤い毛糸が結びついている。しかし二人がそうと気づいている様子はない。
これは、一体何なんだ……?
* * *
「匂い」を硫黄と呼ぶようになったって、どこにソースがあるんだ。
『和名抄』には「硫黄」に「ユノアワ」の訓があることから、「ユアワ(湯泡)」が転じて「ユワウ」となり、「イオウ」になったといわれる。「硫」は「石」と「流」の略体からなる字で、火山の噴火物が流れて生じる鉱物を表し、漢音では「リュウ」、呉音では「ル」と発音する。これを日本化して「ユ」と発音し、「黄」の呉音「オウ」から「ユワウ」となり、「イオウ」になったとする説もある。(語源由来辞典)
どこに「におい」なんて書いてあるんだ。ちょっと考えれば分かりそうなものだ。
「これは硫化水素の匂いですね」とメディアが繰り返し正しく伝えた方が国民の科学リテラシーが上がる。それだけの話。当たり前の話。
自分も化学系出身だし今現在も化学業界で仕事をしているが、硫黄原子を含む化合物にはかなり共通する匂いがある(もちろんすべてでは無いが)。それらを称して「硫黄(原子が組み込まれた化合物)の匂い」と呼んでいるし、硫化水素もその一つだ。化学屋でもこのような言い方をする場合もある。要するにその言葉が守備する範囲の定義問題だ。
科学用語をはじめとする専門用語は厳密に定義されており適切に使用することで誤解を減じ、議論においても「言葉の再定義」が不要になり、少ないワードで正確に伝えられるという多大なメリットはあるが、逆に言えば事前に話者同士を同じ知識レベルにすり合わせておかなくてはならない。
だからそもそも「硫黄の匂い」の言葉の定義が違うのに、専門家がドヤ顔で口をはさむからおかしな事になるんだよ。これは科学というよりは国語の問題。
:追記
本件は理系・文系の違いとかはそもそも関係無いでしょ。概念を表すのに最適でかつ難解な哲学用語を日常生活で駆使するうざい文系、ってのもあり得る。
のが真実だったら、それこそ正しい日本語、間違った日本語なんてものは発生しない(発生してもすぐに駆逐される)し、こんなに短期間で言葉が変化していかないでしょうね。
テレビ局が御嶽山リポートで「硫黄のような臭いがします」と伝えたら、Twitterで理系の東大教授が「硫黄は無臭だ」とツイートし、それが絶賛されているとのこと。
御嶽山リポート「硫黄のような臭いが・・・」 東大教授がツッコミ「硫黄は無臭だ」 : J-CASTニュース
http://www.j-cast.com/2014/09/30217143.html
絶賛の例はこんな意見
「化学で習ったでしょといつも思う」
「そろそろ硫黄は無臭で硫化水素だということをメディアは広めるべき」
しかし、そもそもは…
363 風吹けば名無し@転載禁止 2014/09/30(火) 18:23:33.09 ID:35V+eBbX
そもそも硫黄の命名が
温泉地特有の匂いを硫黄、ユノアワと読んでた→温泉地のにおいの元は硫化水素
→Sを硫黄と呼ぼう
という話であり、「硫黄の臭い」というのは日本語として使用してもおかしくない表現。
硫黄という言葉に元素としての言葉の役割が当てはまってたのが後なのです。
※追記
「語源がこうだから」という話ではなく正確に「硫化水素の臭い」と言ったほうがいい、という意見について。
日本では、元素Sの意味の硫黄という言葉と、ユノアワの意味の硫黄という言葉が、現在でも並行して使用されています。ユノアワの意味が硫黄から消えてしまったわけではありません。
その上で、日本の報道番組で一般の日本人により広くわかりやすく伝えるには、化学に正確な「硫化水素の臭い」と言うか、日本人に馴染みのある「いおうの臭い」と言うかの話です。(もちろん別の選択肢もある)
テレビ局のリポーターが「いおうの臭い」を選んだことは、今回つっこまれているようなおかしなことではありません。
がしかし、これからは科学立国日本としてメディアは正確な科学用語を話すべきだ、という趣旨の元、硫黄のユノアワの意味を封印するという選択肢は否定しません。
♯今日は4回目の命日。虚無感は未だになくなりません。
平成23年5月22日、午前8時30分(推定死亡時刻)、あの子は逝った。
2人と猫2匹で同棲していた分譲物件でタオルをドアノブにかけた非定型の首吊りによる縊死だった。
前日に喧嘩をした。予感はあった。
しかし、その前にサイズを測っておらず、違ったベッドマットを持ってきてしまい、
どうしよ~と彼女に報告した事。
要領が悪いと指摘され、いじける僕にあの子はキレた。
最後まで最低な人だったね。飼ってる猫2匹連れて1晩でいいからこの家出て行って。さよなら」
僕の中で、ベッドマットを交換してあげる事が好意で、
その好意は結果が伴っていないため、また押し付けがましいものを提案してきたのに、結果が失敗していた。
と、いうやり取りが面倒で面倒で仕方がないみたい。
僕は誠意のない謝罪を繰り返すばかりで、あの子の心を動かす事はできなかった。
僕は一泊分の簡単な荷物をまとめ、翌日に戻ってくるつもりで家を出た。
だけど、出掛けの「さよなら」がとても気がかって、
車をなかなか発車させることができなかった。
その後、実家に戻り、1晩を明け、朝一で彼女と住んでいる家に向かった。
家や携帯はかけてもやはりでない。
家の覗き穴から見るも、部屋の様子は伺えない。
よかった生きている。
僕は安心してその日予定されていた自治会の行事、マンション前の草むしりに参加した。
▼あの子が逝ってしまい、中身が入っていない器を見つけた時の話。
11時頃に草むしりを終え、帰宅し、彼女に精一杯謝って誠意を伝えよう。
意気揚々と家のドアを開けた。
距離は遠いが、明らかにあの子が不自然な体制でドアに寄りかかっているのが見えた。
見た瞬間にすべてを悟った。
2年経った今でもずっと脳裏どころか、記憶のとっても浅い所に焼き付いている。
ショックだった。これほど衝撃的な場面に僕は出くわしたことはない。
首吊りの縊死といっても、キャベツ太郎の景品で送られてきた景品ハンドタオルをロープのように使って首に巻きつけ、ドアノブでしばっているだけ。
ちょっと暴れたらすぐ取れるじゃん。こんなの。
でも、足掻いた形跡はない。彼女の中身が入っていない器は、口は半開きで眼の部分は半開きで、眼球はすでに乾いていた。
飼っている猫2匹があの子に寄り添って寝ている。
それまでは日常的な光景だったのに、この瞬間だけはあまりにも非日常的な光景すぎた。
そばには流れっぱなしのiPod。今も曲が流れている。
また、そばの椅子の上にはdocomoからの請求書に殴り書きしたような番号が書かれていた。
それはあの子が持っていたメインバンクの口座番号と暗証番号だった。
ここからは気が動転していたので、思い出せることを書くが、
「呼吸はありますか」
「脈ははかれますか」
「心臓マッサージを隊員が駆けつけるまで続けてください。」
あの子があの子であったなら、何も考えずに言われたことをやっていただろう。
でも、もうあの子は逝ってしまい、ここにいるのはあの子の器なだけなんだ。
足には縊死でなくなった方の特徴の斑ができていて、手もギュッとこぶしを握っていて開かない。
死後硬直まで起きている。
生きている人間ならば、押すと跳ね返りがあり、多少の息の返りがわかるはず。
彼女は穴のあいた風船のように押せばしぼむ、押せばしぼむの繰り返しだった。
まったく入っていく気配はない。
と、いうか口の中が乾きすぎている。
もう、誰がどう見てもあの子は器だけ残して中身がどこかへ飛んでいってしまったんだ。
救急隊員が到着し、人工呼吸を代わってもらい、その光景を見つめながら僕は天を仰いだ。
まだその辺にいるのか?いるのなら最後に話したい。
そんな馬鹿げた事を考えていた。
救急隊員があの子をストレッチャーに乗せ、マンションを出る時も心臓マッサージをした。
野次馬(失礼な言い方かもしれません)が集まっていました。
あの子に白い布が体にかぶせられていたのですが、顔はそのまま出ていた状態でした。
僕はあの子はもう、死んでしまっていて、そんな死に顔を野次馬に見せたくない、との一心で
白い布を顔までずらしました。
しかし、救急隊員は「まだあきらめちゃだめです!」とか感情論で
白い布を体にずらし、再び彼女の顔はあらわになった。
中には小さい子供や、親しくしていただいた近所の住人がいたので、
彼らはあの子を助けるつもりでいてくれた事には感謝しています。
しかし、どう見てもあの子はもう、あの子が入っていた器だったんです。
もう2年以上経って、もうすぐ3年目を迎えるのか。
そんな気は全然しないな。
命日が怖い。3周忌の予定も立てれる自信がない。
あの日以来、いっぱい泣いたけれど、四十九日を境に泣くのをやめた。
でも、本気で笑う日は少ない。
すべてあの子がいたら、の仮定でしか話を考えられなくなってしまっている。
だけど、こんな悲嘆すること言いながら、
都合いいよね。
嫁さんには大方の話はしたけれど、こんな詳細までは話していません。
でも、気落ちした私を心底支えてくれました。
大切な人が命を断つ。
あまりにも彼女の入った器を見つけたときのショックが大きすぎて、
いろいろな自死遺族の会に参加させてもらったけれども、
皆さんこもごもにケースが違う。
似たようなケースの人なんているようでいないと思っている。
また、社会に出ると毎日のように人身事故、自殺のニュースが目に入ってきます。
その遺族の方達に自分と同じような感情を持っている人はいるのだろうか。
自分の価値観が大きく崩れて、自分も首吊りで死ぬことが一番最良の方法なんではないかと
感じてきてしまっている。
後を追いたいわけじゃない。疲れたんだ。
あの子に会いたいけど、もう二度とあの子に会えないのはわかっている。
でも、少しでも、あの子が逝くその時にどんな感情だったかを知りたい。
少しでも死にたくないという気持ち、があったのか。
きっとなかったんだろうなとは思う。
hideさんが亡くなった方法もあの子と似たようなものでしたが、
それを真似したわけではなさそうです。
とりわけYOSHIKIさんが好きだったから、あの子に一度会わせてあげたかったな。
実行の際にはオムツも履いていましたし。
それほどまでに死に執着していたのか。
話代わって、死後の世界なんて、本当にないと思っている。
昔は怖い話系のシリーズを読むと、怖くて一人でトイレも行けない僕だったけれど、
あの子が逝ってから、その類への恐怖というか、関心が一切消えた。
人の死というのは、電気のスイッチと同じで、OFFになると消える。
今にも起きてきそうなほど、綺麗だったけれど、
何より、火葬場での変わり果てた姿を見たとき、あの子はもう、あの子の器すらも失ったんだと確信した。
あの子に会えるならどんな形であれ、出てきてほしいけれど、
僕の夢にも一度も出てこない。
そんなあの子が例えば幽霊とかで出てくる要素がなくなってしまった。
事情を知らない火葬場の人から「とてもお強い綺麗なお骨です。どこかを病んでいたようには思えません」と、
あの子の器だったものの骨壷を持ったときの違和感が今でも手に残っている。
しかし、そんな僕だからこそ、葬儀に至るまでの間、本当に僕の周りに迷惑をかけた。
僕の両親・友達・近所の親しい方々が心配し、泊り込みで支えてくれた。
葬儀屋の方々も感謝してもしつくせないくらい、落ち込んでいる僕を支えてくれた。
あの時の恩を返そうと、今では笑顔を作って「僕は大丈夫。幸せに過ごしている」を見せている。
葬儀の際はその遠い親戚から相続はどうするんだと搔き立てられました。
これまで大変お世話になりました。
と、言われました。
正直、あまりに辛い出来事から逃れたいが為に、すべてその遠い親戚に渡したかったのですが、
遺言書の通りにするのが一番だ、という周りの方の勧めであの子のすべてを僕が相続しました。
そのすべて、には今僕が住んでいる分譲マンション並びに預金口座も含まれています。
また、その中にはあの子が僕と出会う前にあった出来事のすべてを遺しています。
これまで育った経緯の写真。
その中でも一番心に響くのが、幼少の頃のあの子の親に大切そうに抱きかかえられている写真、
何も捨てられません。
また、この遺産を見るにあたり、ますます自分があの子を殺してしまったんだ、という気持ちが強くなりました。
今の妻に、もしこの遺産を見つかったならどう説明すればいいかもわかりません。
再度似たようなことを書きますが、世の中、毎日のように自殺のニュースを目にします。
見る分にはいいんです。社会は広いし、いろいろな人がいますから。
身の回りの日常会話の中でも「○○さんが自殺したの知ってる?」なんて話題を振られたりする。
でも、今はこんな会話を自分に振られると、一気にあの子の事がフラッシュバックして、
いてもたってもいられなくなる。
でも、社会とはそういうものなのかもしれないけれど、死こういった会話をする事がとても辛い。
けれど、その社会から逃れた生活をすることなんか出来ないし、仕方ない事なのかな。
ドアを開けて一目でわかったあの子の変わり果てた姿。
その直前までは生活音を聞いていて、生きていたであろうあの子の物音。
皆、こういう感じなのかな。
だとしたら、少しホッとする。
(追記 1/18)
多くの方に読んでいただいたようで、ありがとうございます。
あの子の事を書くにあたり、自己陶酔は確かにしているかもしれません。
僕がきっかけではなく、あの子はいずれ死を決めていただろう、とも心のどこかで思ってはいます。
でも、思うところは僕が殺してしまったに変わりありません。
しかし、時は最良の薬なのですね。
この文はあの子が逝った翌月あたりにEvernoteに書き殴っていたものに
そんな事ばかりしか書いていませんでした。
それは自分の希望であって、多くのコメントでいただいているように、
結婚し、子供を授かり、育てている以上、妻と子に人生を捧げるつもりで生きます。
上記では死んでしまいたい旨、書いてしまいましたが訂正します。
僕が一番わかっていたはずの事を忘れていました。
あの子の納骨が終わった日の夜、
15年前に付き合っていた人から10年ぶりくらいで連絡があり、それが今の妻になります。
地震発生後しばらく電話をかけていたのですが、繋がらず、心配していました。
妻曰く、当時はバタバタとしていて自分の着信に気づいたのですが、後でかけよう、と
思ったタイミングが約4ヵ月後、あの子の納骨の日だったらしいのです。
また、あの子とは話し合いの下、結婚も考えていて子作りもしておりました。
期間にすると約3年くらい。
あの子とは付き合いが長かった為、次のステップへの良いきっかけになると思っていました。
しかし、あまりにできなかった事から、あの子は産婦人科で不妊の検査、
自分の精子が極端に少なく、子供は望めないかもしれない。と、いう話をされていた。
とりあえず、僕は僕を捨て、あの子になったつもりで精一杯、死ぬまでこの世を生きてみせます。
ありがとうございました。
John_kit_tea このガイドラインを報道機関が忠実に守られて報道量が減っても、いじめや過労が止むわけではない以上、これらに起因する自殺は減らない上に報じられもしないタブーと化す可能性も懸念されはする2013/08/23
はてなブックマーク - 藤圭子さんの自殺 テレビのニュース報道は、国際的な「ルール違反」だらけ(水島宏明) - 個人 - Yahoo!ニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20130823-00027482/
報道量の減少で、いじめ自殺、過労自殺があるという意識が薄れれば、自殺をしようとする意識も下がる。
いじめ、過労への法的手段等、対抗した事例に関する報道が増えれば、その手段を取ろうとする意識のハードルも下がる。
体罰問題が社会でブームになれば、「これも体罰」「あれも体罰」と今まで黙っていた人たちが一斉に報告するようになるのと同じようなもん。
詳細な自殺報道は、似たような状況にある者に対して、自殺が自分の人生の問題を解決する選択肢の一つであると思わせてしまう。
gesoyaji 硫化水素自殺がバンバン流されてた時にいってほしかった2013/08/23
硫化水素自殺がばんばん流されてた時にもWHOのガイドラインはネット上で何度も話題になったよ。一向に改善されないけどね。日本は自殺者に優しすぎるから、その遺された思いは大々的に報道しなきゃいけない!って使命感があるのでしょう。マスコミだけじゃなく日本国民全員に。子どもが自殺した時に、「自殺原因を報道するな!」とは誰も言わないでしょ
kyo_ju 社会 日本 WHOだかなんだか知らないが、自殺に追い込まれる社会的要因の解消をおいといてとにかく自殺させなければよしとする思考はクソだと思います。2013/08/23
自殺に追い込まれる社会的要因の解消をおいといて、ってどこに書いてあるの?こう言う人って自殺者出てからじゃないと、その社会的要因を解消しようとは思わないんだろうな。どんだけブラック思考なんだよ。そもそも自殺報道出なくても社会的問題点を指摘することはできるだろう。お前は自殺者を錦の御旗にしなければ問題解決しようとは思わないのか。どんだけくだらない人間だよ