はてなキーワード: 砲丸投げとは
つい昨日ぐらいにホットエントリ入りしてた女性写真家の話もそうだけど、好きなもの、興味のある事柄に性差はあるけど、能力の良し悪しに性差は無いんじゃないかなあと思ったり。
砲丸投げとか、筋力が関わって来るのは別ね。
男性の多い何かの分野で秀でた女性がいると、美人すぎる◯◯!みたいな報道の仕方するのもいい加減時代錯誤なのかなあとも。
でもそれで言うとフィギュアスケートの羽生君も男性アイドルみたいな扱い方をされていて、本人は不本意だったりするんじゃなかろーかと思ったり。
ここ最近のインターネットは、男が敵!女が敵!みたいな極論ばかりでたまに疲れる。
異性を敵だとは思ってないし思いたくないし、特定の属性を持つ集団を敵にして憎悪燃やすのもやだ。
違うものは違うものとして受け入れたいし、ってか受け入れなくてもよくて石を投げるのをやめたい。
でもこうしてあれこれ揉めるのも過渡期だからなんだろなーと思う。
その比喩は確かに分かりやすいんだけど、能力が1次元と仮定するのは現実を捨象しすぎていて議論ができないから現実に話を戻したい。
自分はさっき一般的に会社で行われる業務に必要な能力として3つの能力を挙げたけど、別にその3つの能力が必要だと思っている訳じゃない。
価値っていうのは他の物との差異だから、楽器が上手く弾けるとか手芸が得意だとかそういうのでもいいし、なんなら色々な物を組み合わせて新しい分野を自分で作ってしまってもいい。
現実は足が速くなくても跳躍力があれば高跳びの選手にもなれるし、腕力が強ければ砲丸投げの選手にもなれる。
目の前にある端末の液晶を開発した人とスピーカーを開発した人とアプリを開発した人はみんな違うし、それを1つのシステムとして組み合わせようと考えた人もいるはずだよね?
つまり、他の人より何か上手くできるものを作ってしまえば認められる世界ではある。(マーケットも必要だけど)
この世界は想像力があればなんでも作れるし、想像力は知識と経験を積めば向上していくものだよ。
もちろん生育環境とか時代背景とかの外部環境の問題はあると思うけど、そういう価値を生み出すための何らかの行為をしてこなかったことに対して自己責任が無いとは思わないかなぁ。
外部環境が良かったために人生必死になってない人と比べられるのが辛いとかあるのかもしれないけど、でもその人たちも尊属の誰かが価値を生み出してきたからこそそうなれたんだよね。
だからよりよく生きたいなら自分がどこかで必死になる必要があると思うし、自分でカバーできる部分は多々あると思うんだよね。
それこそクラウドファンディングみたいにビジョンと熱意と努力を見て投資したくなる人もいるんだし、外部環境を変えることだって可能なんじゃないかなぁ。
とあるアーティストのライブを観に行ってきた。クラシックのコンサートはそれなりに行くことがあるのだけど、ライブは過去に2, 3回行ったことがあるくらい。この度は10年ぶりくらいのライブ参加であった。
というのも、そのアーティストの生の声や演奏を聴きたいから会場に赴くのであって、自分が手を振りかざしたり体を動かしたり声を出したりするのにかなりの抵抗があるから、ライブは苦手意識があった。できればずっと座って音に耳を研ぎ澄ませ、演者の姿を目に焼き付けることに集中したい。
今回は、その苦手意識を超える程にそのアーティストが好きだったので、一念発起してチケットを取ったのだった。
そしてライブ開演。演奏が始まった瞬間に周りの皆が立った。そういうものなのかと釣られて立つも、曲の盛り上がりに応じて行われる手の振りや体を動かす気にはなれない。結局立っただけで(あとは曲の後の拍手くらい)、観客としてのパフォーマンスは特に何もしないで終わった。
こういうライブ会場で観客としての統率された動きをしない人は、他のライブ参加者からすると内心迷惑だろうか、ノリが悪いと思われるだろうか。空気を壊すことに加担したくもないが、自分にとっては黙ってじっと聴いていることがライブを最大限に楽しむ方法なのだが…。
余談だが、ふと皆の手の振り方にもクセがあることに気付いた。忘れないうちに気付きをこちらにまとめる。
※なお、ここでいう「手の振り」とは、肘を曲げて手を頭の側面ないし上方に構えてから肘を伸ばして手を前に突き出す動きのことをいう。
■上段突きタイプ
拳をまっすぐ突き出す、オーソドックスな形。
最初は拳を握っているが、肘を伸ばしきったタイミングで指を開く動き。開く指もそれぞれで、人差し指のみ(鼻くそ飛ばし方式)が多数だが、親指・人差し指・中指の三本(フレミング方式)、全部の指(水飛ばし方式/三重の極み方式)など色々あった。
厳密にはアレの動きの「心」に相当する部分を繰り返す「心心心心心」の動き。拳の状態から空気を鷲掴みにする素振りで、力強さを感じる。
手のひらを上に向け拳を緩めて突き出す要領。
突き出すというより曲線的なしなやかな動きをする。見ていて拍が非常に取りづらかった。
ちがうよ、全然違うよ。あんたの服選びじゃ救われない人が多すぎる。本当に服装で悩んで試行錯誤したことがあるやつなら絶対そんな答えは出てこない。元記事の最大の欠点、それは「標準よりやせ形であまり汗をかかない」人しか想定していないこと。ここ10年くらい、日本の男性ファッションは『細身できれいめ』のトレンドに縛られている。だから初対面の人から、「柔道部かアメフト部、それとも砲丸投げとかやっていた?」と聞かれる俺みたいながっちり目で汗かきな人間には選択肢がなかった。元記事のような格好をしよものなら、ピチピチの服が汗でビショビショになってすごく悲惨だった。じゃあどうすればいいかって?答えはこうだ。
「ユナイテッドアローズ」や「ジャーナルスタンダード」のスーツを買う金があれば「麻布テーラー」で仕立てられる。費用を抑えたければ「PSFA」のイージーオーダーもあり。
伊勢丹や高島屋に入っているようなメンズブランドは大抵サイズ直しのサービスをやっている。肩幅や手の長さに合わせてサイズを直しても、2〜3000の出費で収まる。サイズが合うものを探して何軒もさまようよりも選択肢が一気に増える。ゆったりサイズと揶揄されるユニクロだって、洋服のお直し屋さん的な店でで直せば驚くほど見栄えが良くなる。
3) 髪型
くせ毛だったり、汗っかきだったらワックスつけてセットしても、溶けたり崩れたりするので基本短髪に保つ。店は1000円カットでいいから最低月一通うこと。気になるなら2週間に1度でも良い。
4) 汗対策
下着は綿一択。ユニクロのAIRismみたいな化繊だと大量に汗をかいた時に吸収しなくて臭いの元になる。あとは腋にはデオナチュレつけとけ。まじこれ最強。
以上、元記事で救われない人向けの修正版を書いてみたが、いかがだろうか。特に、サイズをなんとかするには仕立てるか、直すしかない。今の日本のメンズファッションはマジで細身が多すぎるから。
■追記
元記事に違和感を覚えたので少し気合い入れて書いたら何人かからブコメをもらえてうれしい。
いろいろ思うところがあるのでいくつか返信を書いてみる。
・悲しいけど、標準体重まで痩せるのは前提条件だと思うんだよね。綿素材最高なのは完全に同意だが、そんなに元増田と違うこと言ってる?
サイズが重要だっていうのは元増田に同意。ただし、努力で何とかなる部分(腹をへこめるとか)とどうにもならない部分(骨格や汗かき、くせ毛等の体質)は分けて考えないといけない。どうにもならない部分が足を引っ張ってる人にはなんで最低限のことすらやらないのと小ばかにするのではなくて、別の解決策を提示することが必要なんじゃなかろうか?
そう、それこそが問題。平均からやや痩せ気味の人なら10の労力で手に入る清潔感も、標準から外れた体型、体質だと100の労力が必要だったりする。そして平均的な人から見れば必要な労力が全く見えないので無邪気な悪意をガンガンぶつけられる。そんなのおかしいと思わないかい?
ダサい人たちを救うべく脱オタテクニックが提唱されてから10年超。それからというもの、元記事のように数か月周期でわいてくるどこかで見た上から目線のファッション指南。そろそろ俺たちはこのループを抜けて次の段階へ進むべきじゃないのだろうか?
俺25歳でゆとりど真ん中なんだけど、あれみんな勘違いしてると思うんだ。
徒競走で手を繋いで一斉にゴールというものを”競争をしない、好まない”ことの象徴とする人が多いけど、
本当は競争がなかったわけではなく競争が表面に出なくなって何をやっているのかわからなくなっていったんだと思う。
徒競走って全員参加じゃないのよ。各々どの種目に出るのか事前に決めておく。
運動会のなかで徒競走は目玉の一つであり、おのずと志望者と定員の倍率は高くなる。
体育の授業を使っての選考会や学級会で割り振りを決めるわけだけど、
当然でそこで強い権限をもつのは運動神経の良い者やクラスの中心人物である。
徒競走なんて皆に注目される場には綺麗なスター級しかでてこないの。徒競走に参加していることそのものが勝利だった。
そして旧世代では徒競走のビリになっていただろうタイプといえば、校庭の隅で走り幅跳びか砲丸投げを行っているんだよ。当然誰も見ていない。
配点にも競技で偏りがあって、走り幅跳びや砲丸投げなんて勝っても微々たるもので全く存在感なんてない。
めちゃめちゃ練習して体育でいい成績残したって、学級会で支持を得られなければ結局選ばれない。
運動会そのものが一つの競技で、それは他人に自分を認めさせるという頑張り所がよくわからない戦いなんだよ。
旧世代での敗者はそれでも注目はされた。マラソン大会のハイライトにビリの巨漢がくるように。
ゆとり世代の敗者は黙殺されてたんだよね。いじめなんかで騒がれることあるけど村八分になって不登校ってパターンがやはり多かったと思うよ。