はてなキーワード: 研究とは
人種差別、男女差別、LGBTなどのマイノリティ差別を憎むリベラルは
日本の平均年齢は50歳間近であり、またスマホの普及率が90%を超えた事から、なんらかのSNSの投稿者は50歳前後がボリュームゾーンである。
しかし統計が存在するのは、全域に公開投稿される、いわゆるsurface webのみであり、招待制や承認制のSNSに対しては、統計が取れていないのが現状である。
本学のある研究では、20歳未満の学生に対してアンケートを行った所、surface webのSNSを利用する者はわずか7%にとどまり、若者の53%は招待制や承認制によって繋がる相手を選んでいることがわかった。
自由記述でその理由を尋ねたところ、「公開投稿は文脈と無関係な横槍が多く不快」が32%で最多であった。
また「SNSをデモ活動場所と勘違いしてる痛い老人が多い」、「痴呆老人の収容所になっている」、「話ができない古い人間が多い」など、世代間対立が浮き彫りとなった。
なお、X以外のSNSを知らない、使っていない50歳代は93%であった。
東大教授と先端脳研究を間違いだと決める前に可能性を潰したいんだけど、少年マンガ雑誌の商売戦略に乗せられて洗脳されてる可能性はない? 例えば、はてなブックマークの人たち、やたらマンガ好きで少しでも否定されたら顔真っ赤にして怒るでしょ。
■不幸率以前に、まずスキンケアね
こないだ東大の先生が言ってたんだけど、男女の脳は何も違いがないらしい。なのに。どうしてセルフケアしようとしないんだろう、どれだけ勧めても、そもそも自分をいたわる感情が欠けてるような気がして。
ソース検索しました。確かに最新の研究では男女に脳の差はない、とのことでした。
でも私にはどうしても信じられません、男の子はワニとか恐竜とかロボットとか、女の子はピンクとかフリフリとかおママごととか、好みには明らかに性差があります。
男性ホルモンの影響を考えましたが、精巣が男性ホルモンを生産するのは思春期以降とのことです。
説明がつきません。
脳の物質的構造にまったく差異がないのなら、どうして明らかな男児女児の言動の性差が出るんでしょう。友人宅の双子は男の子は少年マンガを読んで、女の子は少女マンガと、好みは明確に分かれてるようです。
セルフケアの話題も出ていますが、私自身のクラスメイトの友達を思い出してみても男子たちは、どこかガサツで、他人や自分への優しさが足りなかったな、と思うのです。
物理学者からしたら今無視し続けてても、界隈が違いすぎて自分のテリトリーには何も関係なく研究が続けられるんだろう
毎日毎日維新関連のエントリーが上がってるけど、信じられないくらい頭の悪いコメが並ぶの見ててキツいんだよなー
今年は年初から万博の「空飛ぶクルマ」関連でデマや素っ頓狂コメが並んで頭が痛くなったが
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.tokyo-np.co.jp/article/296336
その後も続くわ続くわ、何なの彼らは
「調べる」という事ができない人達なの?
今日の大阪府知事の「0歳児選挙権」発言の記事のコメもなかなか酷い
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nordot.app/1156138160208150963
ドメイン投票制度なんて10年以上前から日本でも議論され研究されてる
それを知らなかったとしても、現在まで30年続くシルバー民主主義、社会保障の世代間格差問題に少しでも問題意識があるなら、
「虚構新聞かと思った」とか「浅はかだ」という感想は出ないはずだろう
維新嫌いをこじらせていたのだとしても、真面目に研究してる者たちまで丸ごと侮辱するコメントを残すのは度が過ぎてる
お前みたいなどうしようもないバカじゃなくてハーバードの教授が「研究の結果成功は運や環境がほぼ左右する」って本出して世界中で読まれてるんだけど読んだこと無い?
完全に愚痴の話。
もともと⚪︎⚪︎省みたいなところにいたジイさんが俺の部署に再就職みたいな感じで入ってきた。まあ天下りだよね。
現場感の強い研究系の部署なので俺とそのジイさん含めた5人ぐらいのグループで野山にワサワサと入っていき、調査して帰ってくる
そんな感じだ。
歳の割に体力はあるし、そう言った場面では問題はなかったが致命的にウザい部分を持っていた。
素人相手ならなんとかなるがその分野のプロから聞くと「あーズレたこといってんなあ」って感じだし、専門家が目の前にいてもその人を差し置いて説明したがるからややこしい。
誰かが質問すると、我先に説明するんだがこちらからすると「この方、いまお前の横にいる専門家に質問したよね?なんでお前が割り込んできておまけにズレたこと説明してるの?」となる。
ここまではまあ個人的には(嫌だが)ある程度我慢できるが、俺的に我慢できないのがこのジジイが全くズレた回答をすることだ。
以前、ブース出店でこの人と学会に出たことがある。我々の展示物は「特殊なカメラとAI分析を組み合わせてこんな発見ができました」というもので、特殊なカメラは自社のもの、AI分析は別会社に頼んでやってもらった。
割と先進的な内容で、かなりの人が興味を持って聞いてきてくれた。その中で何人かは「御社は特殊なカメラの撮影だけでなくAI分析もできるんですか?」と聞いてきた。
当然、別会社がやっているので「弊社ではできないのですが、別会社が・・・」と答えるか「できます」と言ってその別会社に丸投げするべきだと思うのだがこの爺さんは
「簡単ですよ。AI分析というのはですね・・・」とAI分析の原理、手法について説明するのだ。なんでやねん。
お客さんが「いえ、御社自身はAI分析が・・・」と訂正して聞き返してもこのジジイから出る回答は「AI分析の原理」なのだ。明らかにお客さんがイラついてるのが伝わってきて俺自身は気が気でなかった。
そんなことが何度も何度も続いた。
他にも性能の良いミラーレスを仕事で購入したときの事で、望遠が効くもんだから新入社員と性能のスペックの話になった。
新入社員「すごいっすねぇ!何百メートルぐらいまで見れるんすかねぇ」
ジジイ「簡単ですよ。道路標識までの距離さえわかればあとは画素数の話なんでどうのこうの」
まずお前には聞いてないし、なんだその回答。そもそもどうやって道路標識までの距離測るんだ?レーザか?
とにかく話をぶった斬って自己完結して強制終了するもんだから、また話題を一から始めなきゃいけないしこのジジイまじでしんどいわ。
よくおわかりでいらっしゃる。
一次評価のフィードバックで「もうちょい真剣みを持って企業研究してくれやマジ頼んます」という内容をすごい遠回しに伝えたんだけど、そんなんで人の心を動かすのは無理だったみたいだね。
2024年始まってから散々なんだが!!!!!!世界のこと許さないからなこのカス!!!!!
4月も終わるのでもういい加減立ち直りたいが、時間が経つと怒り以外にも寂しさ、悲しさ、いい思い出、憎めないことがぐちゃぐちゃに混ざりさらにカオスな心境になってきた。
渦中にいるときは全体像が把握できないし、何より感情も時間差で処理されるので後になっていろいろと噴出してくるのだ。
そして、ぽつぽつと人に話すと高確率で、文章に感情をまとめると整理されるという助言をもらうので散文を匿名ダイアリーに投げることで成仏を試みる。フィクションです。
知り合って3年、付き合って2年ちょい、1年半同棲していた彼氏から1月に別れを切り出されたことからすべては始まった。
その時になんて言われたのかを思い返してみよう。
「なんか、求めてるエネルギーと違うんだよね。違和感があるというか。。。。会話も出会った頃から弾まないんだよね。」
今まで、ちょいちょい「増田はおばあちゃんみたいだよね。本当におばあちゃんになったときどうなるの?木になるの?」
などと言われたことを思い出し、カスの元カレ(以下春日)が私の陰キャすぎるエネルギーに疑問を持っていたことを知る。
実際に私は友人付き合いが超限られていて、SNSも苦手でインドアなので図星ではあった。
ただ、私の陰キャ化が加速したのはこの1年のことである。特に2023年は諸々のストレスが重なり、精神的にセーフモードで超低空飛行していたのである。
元々、付き合った頃は逆だったのだ。私が春日と出会った頃、彼はまあまあ重めの鬱を患っていた。
コロナ禍を機に、不眠と身体の不調からずぶずぶと鬱に沈んでいき、大学も中退して家から出ることが怖くなりニートになっていた。
ちなみに補足情報として春日は外国人で、私は現在海外の修士課程に留学中の在外邦人である。紆余曲折あって音楽の趣味が合い意気投合したのが出会いだ。
慣れない異国のコロナ禍で不安な中、曲とも呼べない小さな音楽の断片を作って交換したり、好きなことを共有できる相手は私にとって貴重だった。お互いにまあまあ離れた別都市に住んでいたが、友人として気分転換によく春日の街に遊びに行くようになった。
春日の母と一緒に3人で初めてご飯を食べたとき、春日がいきなり号泣し始めて落ち着かせるために必死に彼の手を握っていたことを思い出す。突然号泣したり沈黙し、動けなくなることが多い状況だった。
春日はとても純粋で、鬱でも前向きに生きようと頑張っている姿を見て次第に応援したくなった。春日はとても美しい声を持っていて、時々歌ってくれることが私の心の浄化にもなっていた。ただ、それも不調により以前のようには歌えない状況だったので本人はとても落ち込んでいた。
私自身、現地語のみの授業を理解し、口頭試験を乗り越えていくことに心身を消耗していたが、なるべく春日が外に出るように引っ張り出したり、心に寄り添えるように丁寧なコミュニケーションを心掛けていた。春日は日本語が上手かったが、言語の壁も高かったので尚更慎重に進めた。Rei harakamiの命日に二人で登山して、山頂で終わりの季節を聴いて黙祷したりとか、今思えば二人とも変な奴だった。
そして、プロのカウンセラーの手を借りて春日は鬱を治療することになり、友人になって一年弱が経つころ、恋人として付き合うようになった。
付き合った当初もまだ鬱は強く残っており、春日に関しては特に自己防衛の機能が強く、何か一つ難しいことがあるとできない理由を無理やり探して諦めたり、衝動で物事を瞬時に決めて深く考えずに逃げるという癖が相まって、物事を継続したり、安定して物事を考えることが難しい様子だった。その中で、私が住んでる家から引っ越しを予定してると伝えると私の住んでる周辺の街に春日も住みたいと言い始めた。それもあって一緒に住もうということになったのである。その後も、具体的な計画が進むにつれ、「やっぱり僕には無理!」とか「やっぱり一緒に住もう!」と、決断が二転三転する春日に精神的に振り回されて疲弊したので、その癖を人と共同で何かを決めるときに持ち出すのはやめてくれとお願いした。
ただ、我々の家探しは困難を極めた。そもそも貸し手市場なのに加えて、正式な賃貸契約の場合はニート(実家が細い)&外国人留学生というコンビでは賃貸の審査を受けるという土俵にすら立つことが難しかった。とはいえ私の家の退去期限もあったので謎のモルドヴァ人のおばさんちの小さな一室をとりあえず借りて、極限の生活が始まった。
状況に反して春日はなぜかこの頃精神が強くなっており、審査に通るために黙々と職を探していた。私は定期試験を乗り越えることと賃貸の審査が通りやすくするための準備でいっぱいいっぱいだった。このモルドヴァのおばさんは一ミリも信用できず、家賃交渉で一悶着あったり大変だったが今では笑い話である。そして、春日は不動産の営業という職を見つけたことにより保証に通るようになり、四か月後、アクセスはあんまりよくないがこじんまりした1LDKに住むことに成功した。
その頃、湖畔に弾丸でキャンプに行ったのも良い思い出。4000円ほどの砂浜で使う用のテントとエアーマットレスだけ持って行ってのだが、初日の夜に土砂降りになってしまい、気が付いたらテントの中が湖みたいになっていた。水にマットレスだけプカプカと浮いてて二人で「ノアの箱舟じゃんwwwwww」とか言って馬鹿すぎて爆笑してたよな。そんな状態で7泊もした。
引っ越し後は、私は円安による金欠と奨学金が終了することに焦りを感じ、なにかWeb制作系で働けないか試行錯誤した。春日はニート生活から一転して、スーツを着て一日11時間勤務の社畜へと変化した。ただ、営業職は出来高制で精神的ダメージも大きく、彼は四カ月後に仕事を辞めた。
そうやって2022年は過ぎ、2023年には無職の春日と留年して金欠の外国人という最強の布陣が出来上がった。
一月頃、金欠、将来の不安、引っ越し一連の疲れがどっと出て私は精神を病み始めるが、打破するため近所のカフェでバイトを始めて安定した。一方春日は、営業職で受けた数々の否定の言葉に傷つき、癒しとして貯金を食いつぶしながらやってみたかったドラムを習い始める。
私のバイトは夜勤と早番が不規則に組まれるような状態で、現地語で早朝のラッシュを捌くことに必死だったのであんまり記憶がない。ただしばらくして、伝手でリモートでできる仕事を依頼されるようになり、そっちの方が興味のあるジャンルだったしガタガタな生活リズムを戻したくてバイトを辞めた。そして、春日は相変わらず週一の習い事以外は日本語の本を公園で読む生活をしていた。
卒業に必要な単位も取り終わったころ日本に3週間ほど二人で遊びに行った。春日は牛丼を大層気に入り、吉野家、すき屋、松屋を食べ比べたのちにすき屋の牛丼以外は認めない頑固さを持ち、片っ端からブックオフと古本市場をはしごし、コンビニはローソン以外には入らない外国人となった。日本にずっと行きたかった春日は終始目をキラキラさせていた。
日本から帰ってきたころ、私はリモートの仕事をしながら本業である芸術に関する活動に勤しんだ。おかげで賞を取りちょっとした催しに参加するなどのイベントが発生した。卒業論文にも取り掛かり始めたがその壁が高く、先行研究の論文と本を現地語で読むことで時間が過ぎていった。卒業後の進路や家族の問題、論文のプレッシャー、円安、制作意欲が低下していることなどのストレスが一気に重なり私の精神は下降し続けていた。
一方春日は、貯金が尽きて彼の母からの仕送りで生活するようになった。とはいえ、日本語能力試験一級に挑戦する目標を立て、ひたすらカフェで日本語の本を読んでいた。なにかバイトしたら?と聞くと、「うん、来月から探す~」と言い続けて2023年は終わった。やるやる詐欺を繰り返す春日にムカついていたが、本当に一級に合格したからえらいよね。
年末年始を彼の地元で過ごし、春日は自分の喉の調子がだいぶ改善したことに気付く。コロナ禍以前は弟の彼女とコンビを組んで路上パフォーマンスをしていたこともあり、再度コンビを組んで地下鉄で歌うと、これがまた投げ銭で儲かった。彼が好きなことでお金を稼げることを発見し私も大層喜んだ。しばらくは家を離れて実家で活動したら?と提案したのだ。
そうして二人で家に帰ってきた2024年一月、冒頭にあるようなことを切り出されたのである。
出会った頃元気がなかった春日の精神はだいぶ安定してきていたのに反して、私は在外年数が増えるにつれ外国人としての立場の弱さやストレス、現地人と対等な土俵に上るための終わりのない努力に疲れ果てていた。きっと、私が春日を家の外に引っ張り出したように、春日が今度は私の人生でつらい時期を支えてくれると期待していたのだ。
しかし現実は違った。もともとは陽キャの素質を持つ春日が好きなことを見つけて元気になったところで、陰キャで元気のない私はただの言葉の通じにくい異邦人のメンタルおばあちゃんでしかなかった。
春日は冒頭の言葉とともに特に話し合わずに足早に地元へ帰り、日銭を稼ぐことに集中した。私は論文に追われてしんどい時期に別れを切り出されたことが悲しくて、その理由も悲しくて、毎日を泣いて過ごした。日が経つにつれて春日がなんの相談もなく結論だけを私に話してすべてを放って逃げたことに怒りがこみ上げ、太宰治崩れのポエムみたいな謝罪文だけ投げてくることも火に油を注ぎ、一日でいいからこっちに帰ってきて話し合え!と伝えると、月末に一日だけこちらに帰ってきた。春日は二時間ほど私に謝り続け、どうしてもやり直したいと言い始めた。
私は春日に対して信頼を失っていたが、それらをゼロからまた積み上げるような努力を一緒にしてくれるならいいよ、と許してしまった。育ってきた背景も母国語、文化も違う二人が関係を健康に維持するにはお互いの努力が必要だ。自分ができることを相手ができないのは当たり前で、自分と違う文化を受け入えてその違いに尊敬を持つことが、同郷人同士以上に必要になる。
もちろん私にも落ち度はあった。私が学業と資金繰り、外国人としての滞在許可証の条件などに四苦八苦してるなか、二十代も半ばになって、苦労して一人で家計を支えている母の仕送りで日本語の本を読んで夜はボードゲームの集まりに参加する貴族のような毎日を送る春日にイライラしており、尊敬を持つことが難しく心の距離を置いていたのも事実である。相変わらずコロコロと判断を変えて振り回されるのも日常茶飯事で、この軽蔑的な感情を外に出さないようにしていたが、確実に伝わっていたに違いない。
そして再び春日は地元に二週間ほど帰り、その間我々はどうやって不安定な時期を乗り越えるのか取り決めを作ったりしていた。その後一週間ほどこちらに春日が帰ってきて、束の間の平和なひと時を過ごした。春日が地元に帰るタイミングで私も着いていって二週間ほど彼の実家で一緒に論文の現地語校正を進めることを決めていた。
そして一緒に帰った翌日、春日に再び「やっぱり波長が合わない。。。。僕はもっと明るくて、引っ張ってくれる人をパートナーにしたい」 「増田とはもう一緒に成長できないし、もう考えてることを伝える気が起きない」 「現地語のスラングを言い合って言語の差なく話したり、もっと協力し合えて一緒に音楽をしてくれる人と付き合いたい」などと散々なことを言われた。
そもそも私だって明るく居たいが、元気ないのは過去のてめえみたいな状況だからだよ。そもそも、外国人にネイティブと同じことを求めるな。私も毎回なんでお前の母国語で話し合いをしなきゃいけないんだって思ってるよ。それでも好きだからやり直したいって懇願してきた二週間前のお前何?蜃気楼?
矢継ぎ早に傷つく言葉を言われて、春日からきっと「こいつはいくら殴っても倒れないから大丈夫」と思われてるのかなとも思った。あのな、自国で家族に囲まれてぬくぬくしてるお前と違って、一度完全に倒れたら誰も私を助けてくれないの。この国に実家もないし親族もいない。ただの病んだアジア人としてさらに劣等感に埋もれて取り返しのつかないレベルに粉々になって、廃人になるだけ。
だから最後の気力だけで完全に折れないようにだけ耐えてんだよカスふざけんな。
というか、鬱を患ったならもうちょっと元気がない人の気持ちがわかって優しくなれるもんじゃないの?と疑問にも思った。しかし、春日の様子を見るに鬱の事実は元気になった今ではもう消し去りたい過去で、鬱の匂いがするものからは遠ざかりたいという心理なのかなと思った。腐ったりんごの隣に置くと、普通のりんごも腐るし困っちゃうよね、みたいな。
「友達としてならうまくやっていけるはず!」とも言われたが、私は春日にとって都合のいい存在で、不都合があると「物足りないなあ...」と切り捨てる程度の存在だったことに絶望した。
私は彼の調子が悪い時に自己肯定感を埋めるだけの存在だったのだ。そもそも、一月から振り回されて論文の進捗もギリギリで、ここでまた振り回されてボロボロになったことにより、私の三カ月間を返せ!!という怒りがこみ上げてきた。一日前に言ってくれたら、あんたの地元行きの電車に乗ってねえよボケナス。
あと、恐らく文化が違うからかもしれないが、彼は愛情表現が強いのだ。「愛してる」という言葉を挨拶のように言う。別れを切り出される数時間前まで「愛してる」と目を見て言われていたその温度差も日本人の私には理解不能で、サイコパスにしか思えなかった。
そこからは、今まで我慢していたいろんな感情が噴出。さらには希死念慮までが唐突に襲ってきて、居場所のない彼の実家で必死に感情を爆弾のように抱えた。
急いで変更した帰りの電車の日まで、知り合いの居ない彼の地元でひたすら論文を書くだけの時間の虚しさ。楽しそうに彼の弟の彼女と爆笑しながら帰宅して、何事もなかったように振る舞ってくる春日から逃げる場のない状況とその惨めさ。さらにムカつくのは私がなぜ傷ついているのか勘違いしているところ。
「ごめんね。。。もう別れることは変えられないから。。。」と言ってくるがオイコラ、全人類のクソ男に告ぐ。そこちゃうねんクソ。お前と別れることに悲しんでるんとちゃうねん。今までそれなりにお互いが人として大切な存在だったはずなのに相手の状況も顧みずに振り回してなんの責任もない別れの仕方をされたことで過去のあんたとの思い出も、私の存在もくそ薄っぺらいものになったことに悲しんでるんじゃボケ。ままごとしてたんとちゃうぞカス。この心境に共感するひとはSHISHAMOの「忘れてやるもんか」を聴くと少しすっきりすると思う。
家に帰ったあと、春日のSNSをすべてブロックした。それでも気になって覗いてしまうSNSでは初ライブもして音楽家としてどんどんバズって有名になっていく春日と弟の彼女が目に突き刺さってきた。それはそれは楽しそうに歌っていて、出会った当時の姿から比べると本当に幸せになってよかったね~と思う気持ちがまだ存在していることにホッとしたが、元カレのSNSを見るのは一種の自傷行為である。
一カ月間、必死に自分のやるべきことをして、フラッシュバックが来るときや寝るときには号泣するということを繰り返してきた。同棲していたので、家の契約とか置いていったものが山ほどあるのでどうしてもいつか顔を合わせなければいけない。あの、世の中の女性はこのような場合どのような顔をして会ってるんですか?
異国の地で一人で生きていくには私は弱く、二人で生きていくにも力及ばなかった。そしてつらい時期に、一番大切な人から浴びせられた性格を否定される言葉に一生懸命保っていた自尊心をもぎ取られ、それをまた家族も親友もいない異国で一人で泣きながら拾いなおしていくこの惨めさ。鬱の時期も愛してもらったお前には分らんよな。私だってつらい時期を耐えて、また心から笑って一緒に楽しく過ごしたかった。
私は無償の愛を持っていなかった。助けたから私も助けてほしかった。でも相手はそう思わなかったというただそれだけのことなのだ。フロムの「愛するということ」にもあるように愛することは技術であり、その修練が必要というのは本当で、意識と覚悟をもって愛すことは、感情とは違う部分も大幅に使う。ただ、お互いに技術がなかっただけなのだ。
この一連の出来事のおかげで今まで出会ったことのない感情たちに出会えたことはよかったと言えるだろう。希死念慮も今では優しい死神のようにぴったりと背後で見守っている。自己が消えそうなときは自己の存在を強烈にこの世に残そうとするのか、創作意欲が見事に回復したことも皮肉である。
また、時間が経つと不思議なことに、カオスな感情の中に謎のメタ認知的な視点が表れて、こうやって惨めに醜く足掻いてる自分も、中途半端な執着をもって繰り返し傷付く自分も、なんだか本当に子供すぎていじらしくて愛らしく思えてくる。感情爆発させてて最高に人間らしくていいじゃんって思えるのも、なんだか傷が少しずつ癒えてる気がする。
人に期待しすぎること自体、ただの我儘になってしまうこともある。どれだけ自分が惨めでかっこ悪くてしんどくても、まだ泣き喚けてるだけ健康で、とりあえず自分を裏切らないものを信じる訓練から始めるしかない。ペットや植物、筋トレ、美容、創作活動はいいぞ。
ただし研究畑は除く
昨日もの凄く久しぶりにお味噌汁とか作ってなんか我ながら感心しちゃったんだけど、
って言っても普通に具はキャベツだけで出汁入りお味噌で溶いただけの簡単お味噌汁。
キャベツは生でポリポリゲームのお供に食べるつもりだったんだけど、
日が経ってしまってなんか生で食べるのは超躊躇しちゃいそうなくたびれ方をしていたので火を通すことにしたの。
そんでお味噌あったので、
って言うか重湯用の味変用で買っておいたお味噌汁を
まっとうな使い方としての直球のベーシックなキャベツお味噌汁にしたってわけなの。
お味噌汁って初めてもちろん作るわけじゃないけれど、
なんか自炊面倒だなって自ら知らず知らずのうちにハードルを上げていて
端から作りたくない!面倒くさい脳になっちゃっていたんだけど、
小鍋にそうよ、
小鍋の上でアルペン踊りをさあ踊りましょう!って気持ちは意気揚々としているのよね。
具を入れてお水入れていお味噌とくだけ。
あれ?
そんな感じなのよ。
また張り切って具材を買って、
持ち帰ってきた途端にこの大量の食材を見て急にやる気が無くなる現象ってない?
私もいっちょ森光子さんみたいにでんぐり返しをよし!決めよう!って次第なの。
ちなみにお味噌を買いに行くときにマーケットに入店する際は飛び込み前転よ!
なんか面倒くさい面倒くさいって思っていたその面倒くさいのかたまりとしか思えなかったお味噌汁が
お味噌汁ライフがもしかして捗るこれなんて土井善晴先生の一汁一菜なの?って思っちゃったわ。
私が得意とする窓から投げ捨てていたものを全部鍋に入れて味噌で溶けば
なんでもいままで私が捨ててきたものもお味噌汁にできるんじゃね?って発見なのよ。
今度はお豆腐のお味噌汁作ってみようかな?って挑戦しつつチャレンジングスピリッツを忘れない心にしまっておくの。
でも先ほども言ったように
張り切りすぎて具材を買いすぎまくりまくりすてぃーになっちゃうと、
急に作りたい欲が無くなっちゃう注意報発令も気を付けないといけないので
私の中の月刊ノーライフノーお味噌汁の特集としてふさわしいわ!って思ったの。
絶対に袋とじで買わないと見られなくて、買った矢先にもう待ちきれずに指で裂いて中を見ちゃいたいぐらいな超絶美味しそうなお味噌汁作るんだから!
たぶん私のことだから
お味噌汁研究家として探検家としてやってくわ!って言いがちだけど
たぶんすぐ飽きると思うので、
私はもうお粥は理解したわ!って次行ってみよー!って訳で次の新しいチャレンジに挑戦しているのよね。
日々人はチャレンジすることを見付けたいぐらいな気持ちを持ち合わせているのよ。
だから、
具だくさんのお味噌汁だけでよくね?って思っちゃった訳なのよね。
うふふ。
昨日の晩の作ったキャベツオンリーのお味噌汁の半分を朝用にとって残しておいたので、
朝ご飯と言いながら、
あと土井善晴先生の必殺技でお味噌汁にタマゴを落とす技もあれ絶対ペキカンな美味さなので
私も真似して今度やってみるわ!
あの技は強すぎるの。
たくさんあるので、
これもまたせっせと消費しなくてはいけないと思い出したのよね。
ホッツもまだ暑くなってきたけど
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
なぜなら、例えばタバタは誰でもやれる代わりに誰がやっても吐くほどキツすぎるのと、ケガのリスクがあるのと、カロリー消費が少ないから。
有酸素運動に近いと言っても4x4などタバタ並につらいプロトコルは山程ある。
以下、有名なプロトコル。
2x5 2分全力1分休息を5周 合計15分
飯を食わせて、風呂に入れて、歯を磨いて
『アンパンマン』を一緒に見てる
アンパンマンって今見てみるとジェンダーバイアスの塊でドン引きしたわ…
例えば、
・キャラクターの特徴して主役級のキャラはほとんどが男で女性のキャラは脇役が多い。
(例えば性格で言えば、男キャラは優しいキャラから〜やんちゃガサツ、知的なキャラ、不細工なキャラまで色々ある)
・また男キャラはおっさんキャラやジジイのキャラもいるが女性キャラは魔女以外は若いキャラがほとんどだった(※エイジズム丸出しw)
・あと母親と息子の関係性は結構出てくるが、なぜか母親と娘の関係性はあまり出てこない。(記載するまでもないが、子供の面倒を見ている父親キャラはほとんど登場しない)
・たまに思い出したかのように、マイノリティっぽい設定のキャラが出てくるけど、たいてい単話のみの登場でレギュラーキャラとして登場せず、設定ポルノやノルマとして消費されるだけの存在でしかなかった
昔、大阪大学の幼児アニメのジェンダーバイアスの研究でアンパンマンはジェンダーバイアスの塊だって出てたけど
まさにその通りだったわ
チビには他にベイビーバスやバウパトを見せてるけど、そこらはこういったポリコレに配慮してて鑑賞に耐えるものではあったが
小さい頃に公文式教室に通わされていたおかげで中学生までは無双していたが、レベルの高い高校に入ったところ要領がいい上に努力もできる人しかいなくて心が折れた
大学受験は失敗したものの外部の大学院を受験し何とか持ち直したが、ここでも周りは皆優秀な人ばかりでやはり身の丈に合わない環境に身を置くことは良くないと改めて感じた
研究も就活も家庭環境も上手くいかずに色々悩んでいた時、とても世話を焼いてくれていた彼氏に振られてしまいうつ病になってしまった
大好きだった人からも必要とされず自分より優秀な人しかいない環境で過ごしていると、自分がいる意味はあるのだろうかと考えてしまう
私がいなくなっても社会は全く問題なく回っていくし、いたとしても精神疾患を抱えた状態では何も貢献することができない
その上運命だと思っていた人から見放されて生きる気力を完全に失った
本格的に社会のお荷物になる前にここで死んでおいた方がいいのではないかと常に考えている
頂いたコメントはじっくりと何回も読ませていただき、読みながらつい泣きそうになってしまいました。
休日にでもコメントを読んで感じたことなどを再度追記したいな、と考えています。
本当にありがとうございます。
整数論をひたすら研究すると、 自然数と素数はこの世界で別なセットであり、 お互いに関係していない。 だから、自然数と素数の間に関係を見出すのはないだろうと言われていた。
しかし、 自然数と素数は、整数論の世界で、基本的な真理であり、これだけいたるところに出て来るのであれば、何かあるべえではないか?と思われていたところに、普通にありました
というのが、 a^p-1 ≡ 1 mod p であり、
俗本では、 素数の現れ方に規則性はなく、 云々と書いているが、 その素数と互いに素な自然数 a であれば、上のような関係が存在する。
なお
互いに素などと言われるといかにも酷いように思われるが、 p以下の、1からp-1までの自然数は、pと互いに素であるので、 自然数と素数と言う一見無関係なものの間には
このような美しい定理がある。しかし、 小中学生の世界では、 この定理は、フェルマーの発見時代に驚愕されたもので、今の整数論の世界ではあって当たり前だから別に美しいとは思われていない。
ABC予想は、デビット=ヤリマッサーが昭和60年に提唱した、これがあるとフェルマー予想だけでなく、似たような未解決問題が一挙に解決するということだったが、フェルマー予想に対しては
証明をn≦5に限定させるという記載があるだけで、3,4,5の理想的な証明はどこにもあがっていない。ABC予想は、一読して、多くの専門的研究のすえにたどり着いた定理であり、
難解。 フェルマー予想が出来なかった歴史的経緯も誰一人として説明する者はいない。 何がしたいのか?意味が分からない。
ABC予想を証明しなくても、弱いモーデル予想や、カタラン予想は、個別に解決すればいい、しかも、フェルマー予想は既に解決されているので、ABC予想は要らない。それよりも・・・
フェルマー予想を研究するとすると、代数的サイクルとエタールコホモロジーという1つの教科書ができる。その教科書を読んだ方がいいのではないかという感じがする。
パスカルの定理は、ジョンブリリアンコットの定理と双対をなして、この定理は色々な技術に出て来るので証明は必要最小限となっている。メネラウスの定理と比を取ると出来るということになっている。
初等幾何学を縦にすると現代法令が理解できるとは思わないので、法学部で学ぶ現代法令の技術は、初等分野の問題の構成に比較して、もっと別種のものではないかと思う。
にわかにおそろしくむつかしくなるということを、我々はまだ知る由もなかったのである。
私が興味を持っているのは、 フェルマーの小定理であり、 a^(p-1) ≡ 1 mod p である。 ただしこの場合、a,p は互いに素であるという条件が必要であり、真理関係的卓越性
までは分からない。
現代法令は、フランスにおける16世紀の血を流した市民革命以降に、フランスで成立した第一王朝期のフランス法やドイツ法を基礎として、18世紀のマルクス主義革命以降の
修正資本主義をアメリカで検討して、アメリカで成立した自由主義国家の内容となっているところ、法令は、近代の生産社会を専門的に研究し、必要な概念を創設し、それらを法的確実性
があるように技術的に構成したものであるところ、これらの概念は、高度であって、なおかつ、その技術的構成の構造も、驚愕的に高度なものも含まれる複雑な体系となっていることが予想される。
一方、平成2年から裁判官をしている任介辰哉は、それが理解できないのはヌケサクであり、吉崎佳弥は、ヌケモノであると主張する。 高等学校で基本的な論理則のドリルを入れているはず
であるから、そこで習ったものを縦にすれば、自然と分かるはずであるという。 しかし、地区担当員の宮脇が、まなくろB型作業所で、数学1Aの、排他的論理和などを教えることができる、などというが、
前野町1丁目のB型作業所は、すでに解体されて更地になっており、 センター試験でドリルに付しておいた、メネラウスの定理の計算が出来るようになっていれば、法律の論理は分かるはずである
というが、メネラウスの定理は基づかれる定理であって、パスカルの定理のように、適用される定理ではないのであり、さらに、パスカルの定理が適用される場合にはそれこそに驚天動地の証明構成手段
ということとなり界隈でも絶賛されるが、フェルマーの小定理の場合は、定理自体は驚愕されても、これに基づく場合は、単に、必要最小限な技術であって特段に界隈でも最高レベルに技術とまでは
評価されていない。
共同親権で『唯一うまくいくケース』である「子供のために両親が協力的に協議するケース」は、単独親権下でも当然にうまくいく。
親が子供のために何かを決めるのにもう一方の親との意見調整が必要っていう親側の手続きの話しかしてないじゃん
で研究で共同親権(離婚後も両親との継続的な交流が継続する)の方が子供の発育にいいってのはもう研究で証明されていて
単独親権派はそれは単独親権でもできるって言うんだけどそれがあなたが主張しているのと同様に
単独親権でかつ親権を持たない親が子供との定期的でかつ一定量以上の良好な面会交流を行うっていうめちゃくちゃ上手く行っている稀なケースでしか起こってないでしょ?
主たる監護者の認定が直接的な監護・養育を行っていたかだけで家計を支える収入を得るという活動を無視してるから
一般的に家計を支えることが多い男性が親権を取れないというのが性差別の側面があると言われてるわけ
そこが完全に男女同等の状態でなお子供の面倒を見ていない男の主張はただの戯言だからほっといてOK
この監護者の認定に収入=生活基盤を作るということを無視してるもう一つの弊害がシングル家庭の貧困
調停になったら収入ゼロの専業主婦主夫が基本的には自動的に親権を得るから
仮に養育費があったとしても経済レベルは低いし養育費が払われなければ生活もまともにできないレベルの貧困に陥っちゃう