はてなキーワード: 真逆なとは
ここは左翼の巣窟だけど、その逆みたいなネットコユニティーはどこだろうな
ウヨが多いとこだとヤフコメがまず思い浮かぶけど、あそこは痛いおじさんというだけで、増田みたいな自分の出自も含めたこの世の全てを呪ってそうな陰湿さや怨念が感じられない
5chやまともサイトのコメント欄も最近左翼が増えてきたので除外
ウヨとサヨは方向性が真逆なだけで同類とは言うが、ウヨはまだ日本あげというポジティブ(?)方面にエネルギー使ってるからまだ紙切れ程度の良心や希望が残ってるんだろうな
サヨは日本叩きという負の方向に力を費やしすぎて最早、この世の全てが憎い、自分以外の全ても地獄に道連れにしてやるみたいな悪霊のようなルサンチマンの匂いがプンプンするんだよな
好きだったソシャゲが死んだ。
死んだとは言っても、サ終したという訳ではない。「好きだった」部分が死んだのだ。かなり時間を使ってやりこんだし、過去に6万円程度のガチャ天井を4回しているので課金額もかなりのものだ。4年間ほど、いや今思えば楽しく遊んでいたのは3年間ほどだが、それでもかなり長い間楽しませてもらった訳だし時間と金を注ぎ込んだこと自体は後悔していない。ゲーム内でもゲーム外でもたくさんの出会いと喜びをくれたことには感謝している。だが、もう好きだったものはそこにはない。そう確信してしまった。
ここからはかなり具体的な話になるので、やり込んでいる人が読めばどのゲームか一発で分かってしまうだろう。こんなタイトルのURLを開いている時点で大丈夫だとは思うが、好きなゲームの悪口を言われたら気分が悪くなるような人は今のうちに引き返して欲しい。
●好きだったところ
そのゲームの特徴を聞かれた時、自分なら独自のシステムによる戦略性の高い戦闘を挙げる。場にランダムに出現するコマンドを敵と奪い合い、自分のやりたいことを通しつつ相手の行動を妨害しつつ戦う。運要素は完全に排除することができない程度には強いものの、一定ターンごとに任意のコマンドを使用して特殊なコマンドを使用することができたり、編成のリーダーのみが編成全体に与えることができる特殊効果がかなり強かったりするため、編成や立ち回りの方が重要度は高い。
自分も敵も様々な戦略で戦うことができ、使いやすさや汎用性にこそ差はあれどユニットのレアリティが存在せず、完全な上位互換下位互換というものは一応ない。様々なユニットおよび戦略を使うことを推奨され、難易度は現在実装されているメインストーリーの半分を読むだけでもかなり高いとされている。だが、様々な戦略の軸となるユニットを全てガチャで引き当てなければならないというわけではない。基本的に配布のユニットがかなり強いことと、実はやろうと思えば工夫次第で任意のユニットを軸にゴリ押すこともできなくはないこと、また実装されたのは最近のことではあるがそのステージのクリア編成とその編成での攻略の様子をゲーム内で見ることのできる機能もあることから、意外となんとかなってしまう。この「意外となんとかなる」がユーザーごとに全く違うゲーム体験を生み出しているのだ。他のユーザーの話を聞いたり公式サイトなどで未所持のユニットの性能を確認したりしていると、新しいユニットを手に入れることでゲームが更に広がるのだろうと感じられた。だからこそ、ガチャ産のユニットが無くてもクリア自体にそこまで支障のないゲーム性ながらも、遊びの幅をもっと広げるためにガチャ産のユニットで遊ぶために課金をしたものである。
このユニークな戦闘システムの面白さはよくカードゲームに例えられていた気がするが、リアルタイムでPvPも楽しむことができる。正直に言うと野良はかなり過疎っているが、特定のユニットをリーダーにして一定回数PvPイベントで勝利すると称号を貰うことができると知ってPvPイベントに参入して以来、趣味パで定期的に楽しんでいた。
また、グラフィックやストーリーや音楽もゲームの没入感を深めるにあたってとても貢献していた。イラストとストーリーは少し癖が強く万人受けするものではないのだが、良い意味でソシャゲらしくない重厚長大でシリアスなファンタジーだ。加えて戦闘中のキャラクターのモデルやBGMはどこに出しても恥ずかしくないハイクオリティである。他のゲームでは中々お目にかかれないような癖の強いキャラクターたちにも、愛着が湧くというものだ。
また、ソシャゲにありがちなギルド機能やフレンド機能もなく自分のペースで気楽に遊べるのも特徴だ。通常のイベントは低難易度のストーリークエストをクリアすれば誰でも確定で配布のユニットや装備を入手でき、ランキングなどはない。レイドイベントはあるが、育成が進んでいないユニットは個人で得られる報酬の量が減る代わりに育成済みの状態で使うことができ、さらに弱かろうとどんどん救援に入ってもらったほうが上級者も得をするシステムなので寄生はむしろ歓迎されている。システムさえ理解すればレイドイベントさえも気楽に遊べる。
新感覚の戦闘システム!色んなキャラクターが活躍できる!美麗グラフィック!壮大なストーリー!個性豊かで魅力的なキャラクター達!と聞くと、有象無象のソシャゲで見たキャッチコピーみたいになるが、少なくとも自分の中ではこれらを真の意味で体現しているゲームであった。
本当に、好きなゲームだった。
●少しモヤモヤし始めた頃
最初にこのゲームに対して引っ掛かりを覚えたのは、あるイベントで配布されたユニットとそのイベントで顔見せがなされ半月ほど後に実装されたユニットにまつわる騒動であった(実は以前にもここに無関係ではないと思われる優良誤認騒動からの大規模な返金がなされているが、関連性の説明が憶測の域を出ないのでここでは割愛する)。どちらも既存のキャラクターの衣装違いのユニットであったが、前者のキャラクターの方はインストールして間もない頃にガチャで入手していてそれなりに愛着が湧いており、後者のキャラクターのことは元から少し苦手であった。
問題のイベントは、自分が色眼鏡で見ている部分もあることを否定はしないが、ストーリーでの後者のキャラクターに対する贔屓があからさま過ぎて酷いと感じてしまったのだ。これまでのイベントで配布されるユニットはいずれもストーリーの軸となるキャラクターで、配布としてそのまま主人公一行に定着する流れを一応描写しており、一方でガチャ産になるユニットに関しても顔見せから一時的に使用できない期間が生まれる理由付けが一応というレベルではあるがなされていた。初期のイベントはかなり雑な部分が目立っておりこの限りではないが、方針が定まった頃からは2年くらいずっとこの傾向であった。だから、配布キャラとしてバナーに載っている時点で、そのキャラクターが主役のイベントになると少なくとも自分は思っていた。しかし実際は半月後のガチャの方のキャラクターがずっとヨシヨシされるもので、イベントで配布されたキャラクターも、なんなら同時実装の方のガチャ産のキャラクター(半月後に実装されたキャラクターとは別)もイベント本編では完全におまけ、ヨイショ要員であった。イベントの内容に関しては賛否両論ではあったが、少なくとも自分は最低最悪だと思った。
性能面のバランスも酷いものであった。基本的に配布が強く、上位互換下位互換の概念はほとんどないゲームだったのだが、配布の方のユニットは採用する理由を考える方が難しいというレベルで扱いづらく、ほとんどの場面で初期に配布された別のユニットの方が扱いやすいとされるものだった。そして、半月後にガチャで実装された方のユニットはピン刺しでも当時実装されていたほとんどのステージを簡単に攻略できる、所謂「ぶっ壊れ」であった。しかも一緒に編成するユニットの行動に制限がかかるタイプの性能であったために、特定のユニットを除けば他のメンバーは特殊コマンドを発動させ、敵の攻撃を分散させて庇うだけの係である。編成や動きを工夫する楽しさが台無しである。余談だがこのユニットによってPvPの環境も崩壊し、ただでさえ少ないPvPの住人は更に減ったらしい。当時の自分は極たまに強いと聞いた編成で潜るくらいでやり込んではいなかったが、未だにトップメタで大暴れしている。
しかしここで一つ加えたいのは、自分はストーリーにも性能の調整にも怒ったが、個人的に一番嫌だったのはこの二つではない。大炎上し、直後の公式配信のコメントは全て荒れに荒れ、中の人がレイドボスに挑む配信にて配信部屋に運営に対する暴言ネームで入室したユーザーが出るとんでもない放送事故も発生した。荒らし行為をしないユーザーも自分を含めてたくさんの人が意見を送ったのだが、それを受けてのプロデューサーレターにざっくりこう書いてあったのだ。
「配布されたユニットは扱いやすく初心者向けの性能である。半月後のガチャで実装されたユニットは扱いづらい代わりに爆発力のある玄人向けの性能である、と認識している」
そう、ユーザーの認識とは真逆なのであった。テストプレイをした時に何も思わなかったのか。元々そう認識していたにしても、ここまで色々直接送られて尚そう言えるのか。言いたいことは山ほどあったが、それまでまめに良かったところも直して欲しいところも意見として送っていたが呆れて何も書く気にならなかった。
半月後のガチャの方のキャラクターは人気であったから、人気のキャラクターを目立たせてからガチャに入れて儲けようという姿勢は否定しない。ソシャゲとして運営している以上インフレも否定しない。使いやすかったり汎用性が高かったりするユニットと、そうでないピーキーなユニットが出るのも仕方のないことである。しかし、性能に対する感覚のズレが顕になってしまった。これまで信頼していた運営のバランス調整の感覚に初めて明確な不信感を覚えた出来事となってしまった。
●ユーザー層の変化
先述した炎上したイベントは賛否両論ではあったが、ストーリーの質はおしなべて良かったためユーザーによってその方向での布教がなされていた。メインストーリーが進むと主人公とメインストーリーでの配布キャラクターが中心の冒険譚から、ガチャ産やイベント配布のキャラクターもほぼ全てが出演する群像劇へとシフトし、様々なキャラクターにフォーカスして個人のストーリーで描写されてきた伏線が回収されるようになった。好きなキャラクターが世界観の深掘りのなされるメインストーリーに大きく絡むと嬉しいものではあるが、同時にある歪みにも繋がっていった。
特定のキャラクターに関する掘り下げだけを目当てにメインストーリーを読もうとすると、戦闘が難し過ぎるのである。
布教する側はもちろん新感覚のシステムによる歯応えのある戦闘もストーリーやキャラクターとともにプッシュするのだが、いかんせんこの謳い文句が有象無象のソシャゲと同程度に捉えられがちである。キャラクターにレアリティがなく誰でも活躍できると言われても、しっかり考えて立ち回らなければ全く勝てないし、育成やレベリングによるゴリ押しはあっという間に効かなくなる。なんなら育成もストーリーをある程度進めないとドロップ素材の関係でストッパーがかかる。フレンドやギルドがなく自分のペースで遊べるが、裏を返せばフレンドの強いユニットやギルド機能等を使った育成素材の提供にも頼れないということでもある。
そこで布教した側が勧めたのが先述した炎上イベントの半月後のガチャで実装されたユニットであった。
当時実装されていたストーリーを読むだけであれば、ほぼ全て中途半端な育成状況でも簡単な立ち回りで可能にしてしまう性能で実質的に戦闘スキップ権となったのである。半年に1回のペースでガチャ産のユニットや装備を指名する権利を3000円ほどで購入する機会が訪れるため、とりあえずストーリーだけ読みたいならこのユニット!と言われていた。
だが、そのユニットだけで全てクリアできるというのも戦闘を楽しみたいユーザーにとって面白いはずがない。その声に応えようと、その後実装されるステージではそれだけでは絶対にクリアできないように敵の性能が調整されていった。「ぶっ壊れ」のユニットでクリアできないような搦手調整を行えば巻き添えで他のユニットが使いづらくなり、シンプルに「ぶっ壊れ」火力を耐えるHPを盛る調整が成されれば瞬間火力が出ないがどんな相手も固定値で削る等のユニットが使いづらくなってしまった。まあそれでも当の「ぶっ壊れ」はしれっとゴリ押せてるんだから笑える話であるが。ストーリーだけを読みたいユーザーにとっては3000円で購入した戦闘スキップ権が機能しなくなり、「戦闘が難し過ぎる」という声が大きくなっていった。
メインストーリーでストーリーだけを楽しみたい層と戦闘を楽しみたい層の両方を満足させることは難しいと考えたのか、次に開発は住み分けを試みようとしたようだった。ストーリーやイベントとは別にランダムに現れるボスやミッションに合わせて様々な編成を組んで攻略していくエンドコンテンツや、PvPをやり込みたいユーザーのためにPvPイベントを開催したりした。しかし、ここでも同志を増やしたくて一生懸命布教を行ったことが仇になってしまう。というのも、イベント産のユニットを入手するだけなら簡単で、フレンドやギルドがなくランキングイベントもないため自分のペースで気楽に遊べるという触れ込みでユーザーが布教を進めた結果、対人コンテンツやエンドコンテンツにアレルギーを持つユーザーが増えてしまったのである。エンドコンテンツの報酬は暇人向けの作成コストの重い装備の素材、PvPイベントの報酬は各種称号であった。自己満足であることを前提に自分はどちらもかなりやりこんだが、特に後者が特定ユニットで一定回数勝利することで対応したユニットに関する称号を得られるということが、キャラクター目当てかつ対人コンテンツが嫌いなユーザーを刺激してしまったのだ。前者も好きなキャラクターを極限まで強化したいのであれば作成コストが重かろうと作りたいものであり、こちらはエンドコンテンツが嫌いなユーザーを刺激してしまった。そうしてキャラクター目当てのユーザーからはどちらも不評となってしまったからなのか、エンドコンテンツの内容に関しては1年近く更新されておらず、PvPイベントは1度きりの開催となってしまった。当初はこれらで楽しんでいた戦闘が好きなユーザーもあっという間に離れていった。
気がついたら、戦闘を楽しみたいユーザーの方が少数派になってしまっていた。
●キャラゲー化
ストーリーとキャラクターだけを目当てにするユーザーが増え、戦闘を楽しみたいユーザーが減っていくと、必然的にこのゲームはキャラゲー路線を歩んでいくことになった。
まず、メインストーリーを戦闘なしである程度のところまで読むことができるというキャンペーンを定期的にやるようになった。ゲームなのにゲームをやらなくても良いって時点でもう意味が分からない。ゲームを楽しめないユーザーに楽しんでもらうための施策をして欲しいし、ゲームをやらないでストーリーを読みたいなんて言うユーザーに迎合しないで欲しい。
このゲームでは定期的に既存のユニットに渡せる専用の装備が実装される。専用の装備により、スキルのテキストが変わり使用感が改善されるのだ。実装したユニットのスキルの効果を直接いじる形の調整はほぼしないため、実質的なテコ入れである。また、キャラクターごとに衣装違いの別ユニットが存在する場合、現時点では片方だけを開発が選んで実装することになっている。この装備もはじめは使いづらいユニットから実装されていたが、徐々に元の使用感に関係なく直近のストーリーに登場したキャラクターなどから選定されるようになり、そのキャラクターの中でもより使いづらい方から手を入れるかと思えばそうでもなくなっていったた。ただ、先述の炎上イベントで開発の性能のバランス面に対する感覚が信用ならないことが判明してしまっているので、もしかしたら開発的には使いづらそうな方から実装しているのかもしれない。
次に、レベルキャップの解放が実装された。一見すると戦闘の幅が広がりそうな機能だが、これが大違いである。このレベルキャップ解放にはとんでもないコストがかかる。新しいキャラクターを10人ほど既存の最大レベルまで育成するよりもコストがかかる。だが、レベルキャップ解放により増えるステータスは雀の涙かつ全キャラ共通の固定値で、スキルのテキストも全く変わらない。つ Permalink | 記事への反応(2) | 07:36
昨日話していて、いわゆる「エモい」シナリオを好んでやる人が感じるような、シナリオ内のPCの個性が発揮される盛り上がりどころが、実は自分と全く真逆なんじゃないか、という話になった。
まず前置きとして「エモシ」の盛り上がりどころを整理しておく。
僕の観測する限り、「エモシ」「タイマンシナリオ」「うちよそシナリオ」の様なものは、何か決定的な断絶、齟齬、障害などがあって、その上で、「自分がいかに考えているか」「自分がいかな覚悟であるか」「あなたの気持ちをどう受け止めたか」みたいなことを思い思いの形で精一杯RPして、それが何かEDだったり、その後のPC間の関係性に寄与していく、みたいな形式を実質的に取っているものが多いように感じる。
次に、こうした盛り上がりどころが、実際の時系列の中でどのように展開するかについて話す。これは分かりやすい所があるだろう。つまり、「何か気持ちを表明する」シーン(シナリオ内の要請)があって、次にそれ以外の日常がある。それが経過すると、また「何か気持ちを表明する」シーンに導かれていく。「エモシ」に複数行くような探索者はそうした構造を取っていると思う。
これを盛り上がりどころとして捉えている人からすれば、探索者の日常は以下のように整理できるだろう。
__/\__/\__/\__/\__
山になっているところがシナリオであり、「盛り上がりどころ」であり、言葉での表明である。そして、それ以外の所が幕間になる。
最初に真逆と言ったのは、このことだ。これが僕にとっては、以下のように見えているのだ。
/\__/\__/\__/\__/\
つまり、「その後の日常」こそが「盛り上がりどころ」であり、「何か気持ちを表明するシーン」は幕間に過ぎない、ということだ。
ここで疑問に思う人もいると思う。「なぜ日常が盛り上がりどころなのか?」と。全然盛り上がっていないじゃないか、と。最もだ。これを説明するために、「盛り上がりどころ」とは何なのか、という話をしたい。
ここで言う「盛り上がりどころ」とは、必ずしもストーリー上でテンションの上がる瞬間のことではない。PLが、真に価値があるとみなしていて、PCの行動のここだけは見ておきたい、と思う様な、その行動を見ればPCについて分かる、と確信できるような瞬間の事なのだ。
つまり平たく言うと、「エモシ」を好んでやる人は「探索者が自分の胸中をカミングアウトし、言葉によってこの先の展望を語る」シーンに魅力を感じているのに対し、僕は「それが全て終わった後で、実際に探索者がどのように動いているか」が確認できるシーンに魅力を感じているのだ。もちろん、僕も探索者が胸中を語るシーンに魅力を感じないわけではないし、逆もまた然りだろう。ただ、相対的にどちらに価値を感じ、どちらが「おまけ」であるかという点において、両者は明確に別れるのではないだろうか。
僕がなぜそのように思うのか、を先に話しておくと、「言葉で語った内容と、それが言葉通りに実践されるかは全くの別問題である」「むしろ、PCの胸中が『どのように実践されたか』が重要なのであって、それを言葉に出す必要はない」「それどころか言葉にすればするほど、特に安易にシナリオの要請によって言葉にすればするほど、それは陳腐なものになってしまう」と思っているからだ。実際にどんなドラマティックなRPをしていたかよりも、胸中が実際に行動やRPに「にじみ出る」瞬間の方にはるかに価値を置いていて、積極的に表出する必要性を感じていないということだ。
このような背景事情があるから、僕はシナリオ内で「探索者の覚悟を聞かせてくれるように」シナリオが要請するシーン――例えば、シナリオのキーマンにクリティカルな問いを問いかけられるようなシーンや、PCやKPCに自分の胸中をカミングアウトしなければならないようなシーンなどだ――をあまりシナリオの面白い瞬間として感じてはいない。しなくてもよければしないほうがいいし、するにしても必要最小限にとどめたい、というのが本音だ。それ以降感じていることは、PCの行動から読み取ってほしいと思う。
しかし、おそらく「エモシ」を積極的に楽しめる人――TLの多くの人は、そう感じない人が多いのではないかと予測する。ここで、話していた相手から面白い指摘をもらった。要約すると、「女性の場合、期待や理想を胸中に描く傾向が強いので、『RPでその胸中を強く示された』ならば、それが理想的な形で実行される(つまり、その後の『どのように実践されたか』の部分)のは当たり前のことであり、確約されていることだ。だからこそ、『どのように実践されたか』ではなくて、『どのように確約してくれるのか』の方に興味があるのではないか」というものだった。
目から鱗が落ちる思いがした。僕は今までずっと疑問だったのだ。「なぜ安易な形でシナリオに『決意』を吐かせられるようなシナリオを好むのか?」「そうして吐き出した『決意』の分だけキャラが薄くなっていくのではないか?」「なぜ、そうした『決意』なき形でのRPでのキャラ性の表出(自他問わず)は汲み取ってもらえないことが多いのか?」という様な疑問だ。(悪い言い方をある程度はしている。申し訳ない)
これらはすべて違ったのだ。むしろ、周りの人間にとっては、『胸中』と『その行動の反映』が完全に紐づいているのだ。そうだとするならば、『胸中』さえ明らかならば未来は約束されている。
これはちょうど、「二人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」の部分の話だと感じた。シンデレラがどのように王子様と結ばれたか、白雪姫がそのように王子様と結ばれたか、というのさえわかれば、その後の「めでたしめでたし」は確約されるのだ。逆に、そこがうまくいかない人魚姫は水の泡になってしまう、ということだろう。
そこを僕は「でも王子様も、シンデレラの事なんか何も知らないんだから、その時にいくら愛情を表明しても持続するとは限らないよね」と思ってしまう。「めでたしめでたし」を信用しない気でいる。そうした期待や理想をあまり強く持たないからこそ、あるいはその理想は行動によってしか反映されないと思っているからこそ、「行動」の部分を説明したくなってしまう。
逆に周りの人にしてみれば、ドラマチックで最もおいしい部分を飛ばして、「めでたしめでたし」の部分だけに注目しているように映るのだろう。そりゃつまらないに決まっている。
僕が「うちよそシナリオ」「タイマンシナリオ」に行きづらいと思っていることについて、かつて「探索がしっかりしていてシナリオ強度があるシナリオなら行ける」と言ったことがあるのだが、これはこの話に直結している。「『安易な』RPでの『表明』を求められないシナリオがよい」ということだ。
であるから、ここには(まだこれを男女差と断じるには早いとは思うが)かなり大きな趣味の断絶があると感じた。人間のペルソナの切り取りをシナリオで行っているとするならば、おいしいと思う部分がそれぞれ違う、どころか、むしろ必然的な興味の差によって、背反の形で別の部分を切り取り合っていたのかもしれない、と思ったからだ。
これを読んでいる人がまだいたら(よく長い文を読んでくれたなとも思うが)、そうしたこの人にとっての「RPの骨子であり、味わいどころ」はどこなのか、ちょっと探ってみると、気持ちのいいRPがし合えるんじゃないかと思う。相手の面白いと思うところはちゃんと汲み取ってあげたいし、同様に汲み取ってほしいからね。
最後に、僕に今まで「決意や胸中を表明させる」シナリオを回してくれたKP諸君や、同卓者諸君に。面白いシナリオ体験だったと思っています、ありがとう。
【追記2】
Twitterの凍結祭りで、Twitterがなくなったらどこに行けばいいんだ…(絶望)って話から思い出した増田に何気なく書いた近況報告がこんなに注目されるとか思ってなかったよ!
注目されすぎたし、恋愛云々より命大事にしてくれって心配してくれる増田もいっぱいいたから、ダイエットの神降臨したよ!!!
Twitterで経過報告していこうと思うからバチくそ暇な時にでも見にきてくれ。頑張るから!
痩せなくてもいい派もいてそれはそれでありがとうの気持ちなんだけど…
太るのはまたいつでも太れるだろうからさ
(ID載せるのはなんかルール的にどうなの?いいのかな?増田の匿名性無視しちゃうじゃん?)
B:120 W:115 H:122
ニトロプラスのすーぱーぽちゃ子の上半身にすーぱーたる子の下半身みたいなカラダしてる。
ファ〇ザパッと見た感じこんな体型かな?
顔の似てる人は見つけれたことない。
※自己責任でどうぞ
https://pics.dmm.co.jp/digital/video/h_1133nine00051/h_1133nine00051jp-7.jpg
「健康なら」いいだろ。って言ってくれてた増田が何人かいるけど、残念ながら 高脂血症 糖尿病 痛風 に 多嚢胞性卵巣症候群 と 混合性抑うつ不安症 パニック障害 病院通いで投薬治療中だからそこそこ不健康極まってる。
(例のニキには話してないけど、こういうとこを感じとってる節はありそうだよなぁ。)
女は痛風にならないってのは嘘だ。
そんな感じなんで、一貫して「自己肯定感の高い陽気なデブ」って印象に笑ってる。
友達がブコメみて自己肯定感高いって言われてて草 真逆なのにwww って爆笑してた。
なんでそう見えるんだろうな?
ニキのことを考えてるとテンションがあがってるってことかもしれない説?
いや… まぁ… その… フラれてはいるんですけど…。
なんにしても!
自語りで卑屈さが見えてしかもデブってだいぶ終わってるから、そこは伝わってなくてよかったと思ってる。
サーッとコンマ何秒とかで情報の取捨選択できる時代に、記事読んでくれてさらにブコメしてくれたことに感謝ってことで、スターつけてまくってお気に入り登録送ったけど…
ゆるユーザーすぎて増田のルールとかマナーが全くわからない!!!
書いた当事者はどういう反応するのが正解なの?しきたりわからん!迷惑だったらすまんな。
意図してない方向に解釈されてたりして えぇ… ってなったコメントもあったりしつつ
どのコメントも面白かったから1つずつに返事したいレベルなんだけど 一生終わらなそう… 笑
とりあえず、飽きるまで暇つぶしに少しづつ返事していこうと思ってるんでよろしく!(2023.02.06)
【追記】
出かけて帰ってきて増田でも読むか〜 今日はなにがトレンドなんや?って開いたら人気エントリーにいてビビりちらしてる。
デブへの反応って批判が多いもんだと思ってるから反応見んの怖えなって思いつつ、コメントとブクマ全部読んだ。ありがとう。
痩せろ派 このままでいい派 千差満別で面白かった。
(千差万別な。調べたのにな。Simejiで変換でたんだもん。使い慣れない言葉は使わない方がいいな。)
投げかけコメしてくれてる増田いたんで、明日以降追記したりしてみようかと
リベラル・フェミニズムは「人は生まれながらに自由」「男女は同じ人権を持っている」「互いの権利を害さないよう法律や条例があるしその調整もする」という方針で、はてなー的にはおそらく異論があんまないタイプのフェミニズム。
ポストモダン・フェミニズムは「ジェンダー(社会的性別)は許せないからそれを再生産しそうなあらゆる物は批判する」「法律や条例では快適な社会には足りないのでアップデートした倫理や規範で更に強い制約を設ける」「弱者の意見が常に正しいので女性の言うことに従わなくてはならない」という、社会学者とかジェンダー論とかを大学で専攻した人が染まるタイプの奴。
どっちも一応フェミニズムだし、後者の方が近代の議論だから余計タチが悪いんだけど、どちらも学問を名乗っていて社会運動の側面もある。社会的性別を徹底的に排除した社会というのがどうあるべきか(目指すべきか?)などは考えてみる価値はあると思う。
後者の方はその理屈の振り回し方が活動家や宗教家に便利過ぎたという致命的欠点があるせいで、例えばミサンドリーをこじらせただけの人が萌え絵を封殺するための棍棒としてフェミニズムを使う。
あと矯風会の「女の権利を制限して肌の露出も娼婦も許さん」みたいなパターナリズムゴリゴリな思想も倫理や規範みたいな顔をしてフェミニズムを振り回す。もちろんリベラルとは真逆なのでこいつらをリベラルと呼んではいけない。
ジェンダー解体の観点から萌え絵批判をする場合、社会にある性差を再生産しそうなあらゆる物(シャネルの広告でも男性アイドルでも良いけど)もすべて否定しないと一貫性が無いし、棍棒として振り回す奴らは自分に都合が良い部分だけしか勉強してないからちゃんとポストモダン・フェミニズムを勉強した人からすらも馬鹿にされる。
アップデートした倫理なんて物は学問の世界ですら答えは出ていないのに、宗教家は適当に都合が良い部分だけつまみ食いして自分が正しいと言い出すので矯風会的にはかなり使い勝手が良いんだろうなポストモダン・フェミニズム。
そもそも学問ってのは「誰の口から出ようが正しい物が正しい」っていう再現性こそが要なのに、ポストモダン・フェミニズムは「弱者が正しい」と言い出したから弱者以外が何を言っても間違いとしてしまった結果、学問ですらなくなってしまって袋小路に迷い込んで失敗した学問なんだけど、そこを反人権の全体主義者やミサンドリズムに目をつけられて乗っ取られたから活動家や宗教家が便利にフェミニズムを名乗ってる。
俺は他人の思想や市場の経済活動を法律やら倫理やらで制御しようという考えがそもそも間違いだと思うので、規範を押し付ける事で他人の思想を制御しようとしてくる奴らは残らずクソだと思ってるし、絵を焼く奴らも服装を押し付ける奴らも反人権な巨悪だと思う。
でもフェミニズムって名乗って活動してるからこの辺の経緯と実体を知らない人から敵視されずに済んでるんだと思う、ガン細胞みたいなやつだ。
https://togetter.com/li/1978581
別のブロガーの記事でも最近の医大生は頭はもちろん容姿も性格も良いなんて話を読んだ事がある。
エリート達の話は人目を引く上に、こういう人らと関わるような人もまた同じく上流階層で文章が上手いから、ネットでバズりやすいのだろう。
今、自分は20代半ばくらいの高卒、専門卒の女性達と中心に働いている。正直、東大生に行くような人達とは真逆な人種と感じている。
それぞれに個性があるけど、一つ明確な特徴を感じている。
それは、心と身体が弱い人がとても多いという事。
アレルギー持ちだったり、風邪を引きがちだったり、何かとお腹や頭が痛かったりする人が多い。
一人前になるために注意されるのは当たり前なのに、何かと精神を病んでしまう人が多い。
口を揃えて「この会社の人みんな良い人」と言うのに何故なのか。
実は、自分自身も上司から「今時の子は50%くらいの力でやらせないとダメだから。」と言われており、気になる事があってもあまりうるさく言わないでいる。
まぁこんな環境だからダラダラ彼女達もこの会社にいるんだろうけど。(ぶっちゃけ自分自身もそういうところあるし、会社は倒産しそう)
なんか、弱い人多すぎないか...?とは感じる事は多い。
サンプルがまわりにいる15人くらいの話だから、与太話に過ぎないのだけど。
思えば、大学受験の時も長時間の勉強ができる人はもともと身体が健康で体力あったよなぁ。模試が悪くてもとにかく耐えて勉強するメンタルもあるし。
この時点で差がついてる気がする。
あと、彼氏いない子多くてジャニーズとか推しにばっかり課金している傾向があるのも気になる。
ちゃんと貯金しなよとか、将来の事考えなよとか言いたくなるけどもうこれも余計なお世話以外の何物でもないので言わない。
何故か世間じゃ「女は高収入になればなるほど未婚率が上がる」と言われているようだけど
最近もかかりつけの病院の担当の女性医師(多分まだ二十代)が、結婚して名字を変えてた
やっぱり医者とか弁護士とか大学教員みたいに世間的イメージが良くて高収入の女性って、実感としてはそうでない女性よりも既婚率が高いと感じる。
さえぼう先生も既婚者らしいし。
しかも名字を変える事に何ら抵抗感を感じていないのにも驚く(仮に内心では抵抗を感じていたとしても、結果として法律婚して名字を変えているならば同じ事だ)
世間で言われている、高学歴女性のキャリアとかアイデンティティとか、実際には大して気にせず既婚特権という実利を選んでいる場合が多いんだなーと思う。
「女は高収入になればなるほど未婚率が上がる」って、どうせ結婚『後』に専業主婦やパートに転向した事例を含んでいるからそうなるだけで
結婚『前』をちゃんとカウントしたら女も普通に高収入の方が既婚率が高くなると思う
誠実に振るにはどうすればいいのか
私は女。27歳
学生時代から、「こいつ私に気があるかもしれんな」とにぶい私でさえ思っていた
友達としてはめっちゃ好きだが、見た目がびっくりするくらい好みじゃないので、全然ときめかないんだよなぁ
定番に3回くらいサシで飲んでさ、
3回めの飲みに誘われたときから、あれこの展開はまずいのではと思っていたのだけどさ
もう27だしさ、好みじゃないとか言ってないで、
なんか付き合ってみたら好きとか思えるかもしれないじゃん?と思ってさ、告白を了承したんだけどさ
すごいしんどい
二人で遊びに行くのも、面倒くさいな、仕事と思って行こう、と思って行ってる
でもまあ、向こうが全部考えてくれてて、お金もなんだかんだ出してくれてて、だからそんなに面倒くさくないものある。
悪いやつじゃないんだよ
同僚としてはめっちゃ好きだよ
お育ちもいいし
頭の悪さ良さ加減が一緒だし
こいつこれでよくこれまでこんなに何にも知らずに生きてこれたなってくらいなんにも知らないお坊ちゃんだし
私のしょーもない話にも素直に聞いてくれるし
私はメンクイなんだろうか
そうなのかなぁ
やだなぁ
私の見た目上のタイプは、折れそうなくらい細くて、眉が濃い人が好きなのだけど、彼は真逆なんですよね
筋トレに凝っているらしく、ボディビルとか方面の筋トレで、腕触ってと言われたから触ったけど正直キモいなと思ってしまった
今私が悩んでいることは
・振るべきか振らざるべきか
・振る場合いつどうやってするべきなのか
うーーーんもうこういうのがあるから惚れた腫れたは面倒くさいんじゃい
もう醜い私になりたくないのだ
いっとくけど恋愛に罪悪感は付き物だよ。
罪悪感を背負う強さの無い「いい人」に深い人間関係は築けない。
増田に伝えたいのは、
について。
顔の美醜で差別するのが幼稚と思われてるだけで、実は成熟した大人の男女でもみんな差別してるんよ。
人間性差別、性格差別、収入差別、相性が合うか合わないかで差別して、相手を選んでるだろ。
「誰でもいい」ってのが一番ダメ。
「その他大勢と比べてあなたが一番なんです、だから好きなんです」が無いと相手も喜ばない。
そっちの方が相手を不幸にするよ。
増田が書いてる相手の選り好みの基準はやや幼稚だとは思うけど、幼稚なだけで多分間違ってないよ。それを繰り返してればもっと大人な基準で相手を選べると思う。
「大人になった振り」で好きでもない相手とズルズル付き合うのが一番ダメ。
同性の友人作りだって実質は差別でしょ。性格や趣味が合う人間か合わない人間かを精査して付き合うから。
そして差別の末に「仲間になっても良い相手」を見つけ出して、家族やコミュニティーが出来て、そこからは仲間内で「平等で互いを尊重した関係」を作っていけばいいんだと俺は考えてる。
リベラルな人達が唱えてるのは内側のルールで、それは特に間違ってない。コミュニティーの内側ではね。
社会人だって、就職するまでは学生が会社の事を待遇の良さや業績で差別するし、会社も学生の事を学業成績や人柄で差別するでしょ。
雇用されるまでは(つまり身内になるまでは)学生と企業の関係って弱肉強食の戦場になってる。これが外側のルール。
でも、いざ雇用関係になったら内側のルールに切り替わって、そこから差別は無くなる(建前上)。
そのかわりライバル会社の社員に対しては大事な情報も隠すし、仕事の取り合いで敵対関係になるでしょ。これはコミュニティーの外側に差別と弱肉強食の戦場が広がっているから。
長い事会社で働いてると内側のルールが染み付いて、「信頼と平等と義理」みたいなものが世界共通のルールと思っちゃうんだけど、そのマインドで「差別と利害と弱肉強食」の戦場である恋愛市場に出るとしっぺ返しを喰らう事になる。