はてなキーワード: 省みるとは
3行まとめ
1 一人で完結できる
一人旅をして、一人で写真を撮り、一人でプラレールを集め、一人でアルバムを眺める。
たとえばこれがチームスポーツや多人数プレイのゲームであれば絶対にこうはならない。
そしてそこには対等の立場に立つ多くのプレイヤーが存在し、そこには法律としては定まっていない様々なルールやマナーが存在し、その多くは明確に示されている。
客という立場で駅員に接し、他人の迷惑も顧みずに撮影をし、文句を言われたら自分のやっていることの素晴らしさを捲し立てれば案外なんとかなってしまう。
ゲームにおいてチートや繰り返しの荒らしはアカウントの剥奪がある。
だが駅という公共施設は相当の迷惑客でもまず出禁にはされない。
そのような環境に身を置くウチに「僕に文句をつける奴が頭おかしいヘイトクリエイターなだけ。僕は正しい」と思いこんでしまえば怪物が出来上がる。
それを止める仕組みがない。
Nゲージを集めたり、あの駅に行ったこの写真を撮ったという経験を集めたり、有形無形の様々なものを集める趣味と言える。
それはゲームにおける実績解除のようなものではあるのだが、そこに必要なのは時間や運ばかりであり、成長する必要が求められるものはめったにない。
たとえば筋トレであれば「○KGの重量を持ち上げた」という実績の解除には自分の筋肉を育てる以外の方法はない(ドーピング剤を使うという道もあるにはあるがそれで達成しても無意味だろう)。
そこには成長があある。
成長の壁であるプラトー期を前にすれば人は自ずと自分を信じ続けるための戦いに巻き込まれ、そこで挫折を経験したりPDCAを回すうちに自分を省みる経験や精神的なタフさが身につくのだ。
だが鉄道趣味はペースを焦ったり他人からの評価を求めなければどこまでもそういった苦労を回避してやっていける。
旅にしたって複雑な経路を設定したり、国外に飛び出さなければ単なる旅行で終わってしまう。
この手軽さは気晴らしのための趣味としてはある意味でとても健康的だとは思う。
しかし、これ以外の趣味を持つこともなく仕事や学校においても「あの人に成長を期待しても無駄だから」といった扱いを受けたのならば、それは意思を持って成長するという経験を知らない魔物への道さえ歩ませるだろう。
鉄道趣味と同じく自己の成長が求められにくい趣味として「推し活」「読書」「映画鑑賞」「スポーツ観戦」などがある。
これらのオタクも奇行をよく観測されるが、それでも鉄道オタクに比べれば全体の人数に対して頻度も少なく、また思考についても比較的明瞭というか認知が歪んでいるだけで日本語で物を考えることは不得意な印象は薄めだ。
鉄道オタクと同じく比較的奇行が多いのは、自己の成長を促される経験を通した学びの少なさが原因だろう。
では、比較的脳みその使い方を知っていたりコミュニケーションが成立しているような気がするという違いが生まれるのはどこなのか?
それは彼らの趣味が自分の脳で他人のストーリーを追うものだからである。
鉄道オタクは自分の脳で鉄道を味わえばそれだけで完結できてしまう。
しかし、アイドルやスポーツ選手を応援する人達は彼らの生きる物語そのものに心を馳せており、そこには他人なりの解釈ながらその人生を空想し追走しようとする動きがある。
漫画なんてものはその最たるもので、キャラクターの心情を感じ取り、それぞれの視点からでの勘違いや世界の歪みを噛み砕くという自他の境界を持つことが必須となる遊びさえも気軽に要求してくる。
このような娯楽に触れるうちにこれらのオタクは自然と、自分が他人と違う人間であることや、世の中には様々な立場や考えがあることを学ぶのだ。
だが、鉄道オタクはそういったものを知らずに「電車カッコイー。ぼく電車乗るの大好きー。ぼくが電車乗るの幸せ。ママはそんな僕を見てると自分も幸せって言ってた。皆幸せにするために僕電車乗って幸せになる。邪魔すんなよ俺が電車に乗って幸せになることが人類の幸福につながってんだよ。テメーも人類の幸せに協力しろ」という精神性のままで突き進んでも、電車は何も言わずに彼らを載せて次の駅へと運んでしまうのだ。
ただ鉄道オタクであっても「レベルの高い模型」や「鉄道エッセイ」などを通してこれらの経験の不足を補うことは不可能ではない。
撮り鉄オンリー乗り鉄オンリーの人は是非その辺に興味を持って欲しい。
怪物になる前に
インターネットに本格に触れたのが自分より10年ぐらい遅かったんだろうな。
なんか今どき嫌儲とかまとめサイトとか反ワクチンとかそういうのに被れとるのよ。
あったな~~~俺もこんな時期あったな~~~とはなるんだけどさ、年齢は向こうが上なの。
創価批判とかガチャ批判とかガンガン職場でするんだけどさ、お前この職場に創価もソシャゲ廃人もおるの知ってるやろっていう。
ちなみにサバゲーオタクでめっちゃ軍隊のことが好きなのか週一ぐらいでロシア軍の愚かさについて語ってる。
でもどっかで聞いたことがある知識っていうかネットに書いてあることしか喋ってないんだよね。
それも興味なくても集まるレベルの表層のことだけ。
あとは空想科学読本みたいな話も好きなのかロボットアニメがリアルじゃないって悪口よく言ってるかな。
Gレコの映画とか新しいガンダムとか職場で見てるやつほとんどいないだろうにいきなりケチつけだすから誰もついてけないの。
んでまあ皆口数少なく頷いてるとずっと喋ってるのよ。
ネットがどうこうじゃなくて中学生や高校生ぐらいの感性なのかな。
学生時代に友達が少なかったのか、皆がする当たり前の失敗を通して成熟すること無くここまで来ちゃった感じ。
奴が大声で頓珍漢なこと言ってるのを背中で聞かされてると昔の自分を弄られてるみたいで恥ずかしくなってくる。
最近はYoutuberの批判、特にひろゆきの批判が多いかな。
でも3年前はひろゆきの事好きなのか凄い真似してたんだよね。
まあ成長したってことなんかね。
年齢を考えると恐ろしいほどに幼くてゾっとしちゃうけど。
奴もそのうち外で人種差別的な事言うのは良くないって気づいて黒人や韓国人を皆のm前で馬鹿にするのとか辞めるのかねえ。
俺が20年前に卒業したから奴も20年後に卒業するってなんとなく思っちゃうんだが、俺が卒業できたのはなんだかんだ自分を省みる能力があったからな気もするが、奴にそれがある感じはせんのよな。
あのまま死ぬまでああいうことやって、定年退職したらずっとヤフコメに張り付いてるヤバイジジイとしてSNS妖怪の仲間入りなのかなあ。
そのうち寂しさから変なカルトに飲み込まれそうだしそれまで持つかも怪しい。
いや本当卒業できてよかったわ。
あの歳であんなことしてたらと思うと背筋が凍るね
なんとなく調べてたらこんなのを見つけた
運転士の遺体が収容されたという記述の他に、その運転士の人となりが書かれている。それによると、
少しでも気を抜いたら事故に繋がる鉄道運転士には不適格とも考えられるエピソード。この運転士はきっと事故前のオーバーランでも「しまった」と言い、事故直前のカーブでも「しまった」と言ってたのだろう。おそらく人生最後の発声も「しまった!」ではなかろうか。
運転士は超氷河期の2000年卒組であった。あまりの就職難で大卒が高卒枠に割り込んでくるのか社会問題になったが、この運転士はそれを乗り越えている。また、当時は「安定性」を志望動機にしたら面接で一発アウトとも言われてたが、きっと面接ではそれを見せないように演じていたのだろう。
超氷河期を乗り越えてJRに高卒就職、運転士になり手に職を持てたのは当時としては神レベルのキャリアであり、それを友人知人に自慢していた。逆に考えると、運転ミスが続いて日勤教育を食らっていた事故前の状況はその鼻がへし折られていてメンタル不安定な状態であったことが容易に想像でき、さらに事故前のオーバーランで「もう俺の人生\(^o^)/オワタかも」という心境に追い込まれていた可能性がある。一応言っておくが、これは運転士の自業自得である。この運転士はプライドが高く、謙虚に自身を省みる能力が欠けていた。
よく日勤教育が真因と言われているがそうではない。日勤教育が原因で事故を起こしたのはこの運転士以外にいないのだから。
採用段階の適性判断ミスと考えるほうが適切であり、このような不適格者をいかに運転士にさせないよう取り組むかが本当の再発防止策になるはずだ。つまり、人事部門の改善が必要だ。
大学生の頃、俺は人が好きだったはずだったのになあ。
なんで数年でこんなにも違いが出ているのか正直分からない。
話すと楽しくて一晩中酒を飲んで語り明かした友人は今はもういない。
皆ちいさなことから疎遠になり、今は各地で仕事や家庭や不倫や実らない復縁に必死になっているそうだ。
なぜあの頃はあんなに他者とのコミュニケーションが面白く感じたのだろう?なぜ今は面白くない?
多分それは自分が見たくない人間の負の側面を山ほど見てきてしまったからであるように思う。
人の持つ負の側面、それは自らの欠点を自認できない矮小な愚鈍さだと、俺は思う。
俺は鏡だと言われた。人間の鑑ではなく、鏡だ。
相手の目標と行動の間に自己矛盾がある時、それを友人には可能な限り角を立てず、伝えるのが俺の定義する優しさだった。
学生時代はそれに同意してくれる奴らだけが、親友として身の回りに残っていた。
彼らは喜んで言ってくれた。
俺という鏡に自分の姿が映り、自らを省みることができるのだと。
そんな言葉をかけてくれる親友が、片手に収まる程度の人数はいたものだった。
だが、今はどうだ。
友人を数えていた俺の指はもう一本しか残っていない。
皆、居なくなった。
いなくなった元友人の最後は皆同じだった。
鏡に映る自分の醜さに悲鳴をあげ、みっともなく逃げ出すしか無かったのだ。
何者にもなれそうにない自分に恐怖し、その姿を映す俺に恐怖した。
さも俺が怪物であるかのように、糾弾し、人間関係を遮断して居なくなってしまった。
その結果、大したことねえ給料を稼ぎ、訳のわからねぇ無職やら家庭持ちやらに手を出して、今ではどこぞで自暴自棄の生活を送っていると風の噂は聞いても居ない話を伝えてくる。
クソだ。
お前たちの不幸はお前たちの身から出た鯖だ。
そうなることはバカでもわかったはずなのに。
俺があの時、言った通りになっただろうに。
お前たちが自分のちっぽけさを受容し、繕うなり愛するなりすればよかったのに。
それができないほど愚かだったから、醜くなれ果ててしまったのだろう。
俺は悲しいよ。
こんなものを身過ぎてきた。
電車の中で息子がつり革に捕まろうと頑張っていた。
俺は座っており俺の膝によじ登り俺を踏み台にして捕まろうとしている。
だが届かない
もうすぐ4歳だというのになんと愚かな事を。とうちゃん情けない。
すっ転んで怪我したら俺が妻に叱られる。
少し持ち上げれば届くがそんな事はしてやらん。
一言だけ注意をする。
諦めて歌を歌いだした。
「外でうんこは辞めなさい」
喜んでボリュームアップ。
俺も息子もノーマスクなのでつり革の時点で近くにいた痩せ中年男と壮年女は席を離れている。
こんな時の正しい教育の答えはなんだろうか。
往復ビンタだろうか
先日似たようなシチュエーションを見かけたが
母親がヒステリー声で「バカ、辞めなさい、アホ」と叱っていた。
「人様に迷惑をかけるな」
息子はグローバル社会を生き抜かねばならない世代だから日本独特のコモンセンスを刷り込みたくない。
「社会はお互いに迷惑を掛け合う、仕方がないこと、一定ルールはあるが過度に萎縮する必要はない
生命財産にかかわることでなければギリギリまでは寛容に受け入れ、許し許されよう」派
アメリカであれば分別のつかない子供はパブリックな場所に連れてくるべきではない。
だろうが、
では日本の社会構造、都市構造に適応した子育て、人間性を身に着けさせるべきか。
ジレンマがあるのだ。
ならばアメリカでも田舎でも好きなところに引っ越して理想の子育てすりゃいいじゃないか。
だが、ガキの声、騒ぐ姿が鬱陶しい、と感じる価値観が間違っているとしたらどうだろうか。
間違ってる価値観に合わせこちらが適応してやらねばならないのか。
国家、民族、文化、自然環境や社会的制約で変わる、絶対的な正しさなどなかろう。
ふと思い出したが昔本屋でぺちゃくちゃ喋っていると睨まれたことがある
雰囲気から静かにせよの意と察したが、図書館じゃねぇんだからと突っ込みたくなった
これは正しいのだろうか、アホではなかろうか。
話を戻す、
突き詰めれば息子が幸福な人生を歩むための基礎能力を授けるのが俺の仕事であり目的だ。
ん?そうだろうか、それすら怪しいゾ
死ぬまで続くか知らんが。
クソ無能の癖に声のデカさだけで好き勝手し102歳まで逃げ切ったクソクソ男。
ただアホが威張り散らしてるだけ。
200億円の個人債務を踏み倒し、6400億円の法人債務を逆ギレ債務免除を求め
そごうは経営破綻したのに何故か彼は自己破産も免れ、最後まで俺は悪くないと言い張り
聖路加タワーで老後を過ごし100歳の誕生日会には政財界の超大物から続々と祝電。
見習いたい。
だが声の小さな俺はとてもこんな人にはなれない。憧れだ。
彼は不幸で間違えた人間だろうか、
死に際まで人生を省みることなく幸せを感じていたのではないか。
いいじゃん。それでいいじゃん。
息子がそんなつおい人間になってもらって構わない。
威張り散らしていたら全員幸福になれるわけではない。
周りにあわせてふつーにするのが比較的幸福ゲット率が高い、と世間一般では信じられている。
本当かなぁ
世界幸福度ランキングを見ると日本は低い、かつどんどん下がってるではないか
うん、やはり正解がわからん、などと考えていると
息子はうんこソングも飽きて大人しく椅子に逆座りし外を見ている
ま、いっか
パターンA 自分に問題があることに気づいてない(≒客観的に自分を省みる能力を身に着けないまま成長してしまっている)
パターンB 自分に問題があることを誤魔化すために人の問題点に目を向けさせようとする
このどっちかだな。
昔ナニワ金融道で同じような話を見た気がするがマジでその通りだった。
問題があるやつほど騒ぐ。
陰口は「僕は問題児だけど大目に見てください」って甘えでしかねえのな。
いい大人が甘ったれるならせめて許せると思える程度に可愛げぐらい見せてみいやクソが。
目付きがいい人間がいい人間とは限らないけど、目付きが悪い人間は100%悪い人間。
ストレスで一時的に頭が壊れているだけだとしても、その状態の間は悪い人間なのは紛れもない事実。
性格が悪いっていうか、「自分のルールと他人のルールの間で妥協点を探らず常に自分のルールだけを一方的に押し付けて相手が折れるまでゴリ押しするのが日常化してる」って感じかな。
まあまともな人間ではないな。
ソイツの自分ルールが組織や社会と噛み合ってる場合はまだいいんだが、突然本当にソイツの頭の中だけにある世界観から謎ルールを全人類の目指すべき正解であるとばかりに語りだすからビビるね。
まあそういう人間にとってこの世界の大部分が敵ばかりに見えるから、被害者意識マックスで普段は怒った顔なんだろうね。
キチガイに関わっちゃったら怪我の功名みたいなのとか考えるだけ無駄だね。
関わらないための努力を先回りして行っていく以外に道はねえ。
頭のおかしい人間に噛みつかれないようにしながら接しても、頭がおかしいから動きが予想できないので無駄。
とにかく用がないときは近寄らない。
用があるときは用だけを済ませる。
公衆トイレを使うときに息を止めて用だけ済ませてササっと立ち去るような感覚で関わるしかないな。
うーん……入る会社間違えたのかなあ。
それともドコも何割かはキチガイがいるのかしら。
最高裁で有罪判決が差し戻されたのでほぼ確実に無罪判決になるだろう。
(最高裁は事実や証拠の判断をしないので、明らかにおかしい高裁判決に対して自ら無罪判決は下せず、高裁に有罪判決をつっかえして「最高裁の示した問題点に留意してもう一度証拠や事実の吟味をやり直せ」という形になる)
そして高裁の有罪判決の直後にこの被告人の中学生の息子が電車に飛び込み自殺してる。
nakakzs 差し戻しは前例的には、かなりの高確率で無罪が出ると思われる。|しかし、二審後にネットで医者誹謗中傷していた人いたけど、あれかなりまずいことになるのでは(しれっと消されるかもしれんが)。
afterkun 二審の時のはてなの反応。有罪と決め付けている連中は、少し省みるがいいと思うよ。本当に醜い。 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/byline/ogawatamaka/20200713-00187930/
HILOKI-T はてブにも大量にいましたよね、有罪だと決めつけて人の心のないコメントをしていたアカウントが。彼の子を自死まで追い詰めたのはそういう連中なのだとという自覚は今もないのだろうけど。
zenkamono ブコメ「二審後にネットで医者誹謗中傷」←はてブブコメ欄も酷かったよ。やったと決めつけ性犯罪者呼ばわりしてるフェミ垢いた。あいつらお子さんを自殺に追い込んだ加害者・殺人犯の一味だよ。訴えられたらいいのに
ということで、お子さんを自殺に追い込んだはてブでの加害行為がしれっと消される前に、証拠保全しとこうと思います。
パッと見で目についたやつだけ
lovely 「現実的ではない」で本当に何も起きないなら世の性犯罪被害者はもっと少ないはずで、ヤツらあり得ないと思う状況でもやるから。
zyzy ここまで出揃っていて疑わしきは罰せずというなら、オウム真理教も罰するべきではなかった事になるわなぁ……。
それに気づいてから自分の見た目に対するコンプレックスがほぼなくなった。
今回の女性プロゲーマーなんてまさに典型だけど、イケメンでも美人でも見た目だけで道の真ん中歩けているうちはいいけど、圧倒的に失敗回数が少ないせいで人の価値を求められる年齢になった途端に破綻するよね。
とくに女性は急激に見た目が衰えていくってのもあって、本人がその現実に追いつけてなくてただの性格の悪いブスに成り下がってるのなんか、まじで見てて辛いわー
しかも大体の場合、それまでに溜め込んでたヘイトがジャックポット状態で跳ね返ってくるからほぼ瞬殺。
苦労した分だけ学びがあって、だからこそ理解のある人が隣にいることが幸せだって思える今が最高です。
美形の天才は自分の人生に関係ない人なんで好きにやっててください。
彼の人にとって今回のことが大きな学びとなって今までの人生を省みるきっかけになってくれればいいけど、年齢的にはギリギリ無理かなって思います。
あと全然メシウマじゃないです。やっとこっち側に来たってだけですし、自分の幸せ探しに精一杯で人の不幸を喜んでる暇なんてないので。
なんかそんな信者なんて大していなかったかのように振る舞ってるけどさ
自民がどうのは置いといても、事実として立憲推してた層なんてどこ見ても少数派でしかなかったことは、世論調査見ても明らかだったわけで
にも関わらず、はてなでは立憲信者が幅を利かせてたし、ブコメでスターを集めまくっていたのは誰もが知るところだった
立憲民主党の危うさは散々指摘されていたけれど、それでも止まらずに熱狂的だったのは、ネット上ではぶっちゃけはてなと一部ツイフェミ周りだけだったぞ
今のような惨状にいずれなるであろうことは、ほとんどの人間は分かっていたことだったのに、どうしてはてなだけはそれが分からなかったのか、総括する必要があるだろ
一体何を目的として立憲民主党の実際以上の姿を見せようとしていたのか、立憲信者以外に対してはいつも苛烈だったが、何がそこまでの攻撃性を与えていたのか
自民党が嫌で安倍が嫌なのは分かるが、それはあの異様な状態を肯定する理由にはならないだろう
はっきり言って、端から見てるだけではカルトのそれと区別が付かなかったし、仮にそうじゃなかったとしても、はてなだけが他と違う道を歩んでいたことには説明がいる
Fischer’sというYouTuberが炎上しているらしい。
最近の若者(彼らは27歳らしいので若者と言っていいかは微妙だが)は、とにかく「自分がどう感じたか」が世界の全てだ。
救急側の言い方に気分を害する気持ちはわからんでもないが、自分たちの行動を省みる気はないのだろうか?
自分が救急側で、「大丈夫か?コロナではないか?」とか思いながら行ったら、患者の関係者は呑気にカメラを回していた。ともなれば、腹立たしくもなるだろう。
にも関わらず、「こんな酷いことを言われた」「自分は被害者だ」というスタンスで新たに動画をあげ、ファンに「あなたは悪くないよ!」と言われるのを待っている。
ちなみに、個人的には救急側の言い方にはモヤっとする部分もあるし、手遅れになってはいけないから救急車を呼んだことに関しては何の落ち度もないと思う。
ただ、やっぱりカメラを回している=余裕がある、と思われてしまうのは仕方がないとも思う。
自分は気分を害した=自分は被害者で相手が加害者、という図式が成り立ってしまっている。
そしてそれを自分の心に留めておくこともできず、周りに言って回ってしまう。
幼すぎる。
人に見られる立場なんだから、もっと考えて行動してくれと思うのであった。
その点やっぱりHIKAKINはすごいな。
今年、32歳腐女子になったので何か書いてみたくて独りで紅白を見ながらこれを書いている。
そんな土地で私は生まれ、進学・就職し、今もこの街に住んでいる。
就職し実家を出た頃から、同人イベントにサークル参加し本を作るようになった。
初めて行ったイベントで、同じ作品やCPが好きな人たちと実際に会って喋ることができて、本当に感動した。楽しかった。
学生時代、それなりに部活をしたり、サークルに入ってみたり、人と関わるように頑張ってきたが、いつでも楽しくなかったのだ。オタクであることは隠していたので、とにかく話題に困った。
田舎だからだろうか。「漫画は読むよ、ナルト読んだことあるし」「アニメは見るよ、ワンピース面白いよね」という程度の人は周りにいたが、イラストや漫画を描く、二次創作を読む、まして書くようなひとは皆無だった。オタクの友達が、もっと言うなら腐女子の友達が心から欲しかった。
そんな人生を送ってきたので、初めて参加した同人イベントのアフターは心底楽しかった。初めて飲み会で「まだ帰りたくないな」と思った。
(つまり、それまではどんな飲み会でも、いつでも「早く帰りたい」と思っていた。友人だけの集まりでも、だ。みんな私を仲間に入れて誘ってくれる、紛れもないいい人たちなのだが、いかんせん私とは好きなものや興味のあるものが違ったのだ)
本を出すのも勿論楽しかったのだが、何よりアフターが楽しかった。地方住みながら年に5~6回は参加して毎回新刊を出していた。一回のイベントで、ペーパーとは別に複数冊出すこともよくあった。
イベント前日に上京してフォロワーさんたちと遊び、イベント当日ももちろんアフター。次に参加するイベントや、出す本のネタのことを話して、スケブを描きあったりして、終電まで遊んで、夜はホテルで厳選戦利品を読みながらお疲れ様ツイート。楽しかった。本当に。心から。
東京は地元に無いものが沢山ある。街はギラギラキラキラしている。そんなところで、美味しいものを食べて、好きなものの話を、同じものが好きな人たちと語り合う。たまらなく楽しかった。
幸いなことに、発刊した本はそれなりに手にとってもらえたので、本の印刷代と交通費はギリギリ賄えていた(宿代やイベント参加費などの雑費がはみ出るくらい)。なので趣味として、金銭面では無理なく続けられた。続けられてしまった。
収入が無くなっては困るので勿論仕事は変わらず続けたが、それ以外。
例えば職場の飲み会、イベント、地元の友人からの誘い、親戚付き合い、そういうものは可能な限り避けて、原稿をするか、アニメを見るか、フォロワーさんとスカイプで萌え語りするようになった。だってリアルは同人イベントよりつまらなかったから。
あの頃の感覚として、私のリアル、つまり同人イベントに参加していない日常の時間は「同人イベントまでやり過ごすだけの時間」になっていた。
イベントから帰る飛行機の中で、次のイベントは8月か、はやく8月にならないかなあ、と考えている。
同人イベントがメインパートで、地元での日常は一刻も早く過ぎてほしい繋ぎパート。そういう感覚。
職場ではすっかり付き合いの悪い人間となり、歓送迎会とかの大きな飲み会以外ははじめから誘われなくなった。
地元の友人ともみるみる疎遠になっていった。ちょうどメールからラインへの過渡期だったのだが、私はそんなこんなでグループラインはおろか、ラインの連絡先交換もあまりしていなかった。
私が知らないうちに友人たちはどんどん結婚したり出産したりしていた。私以外はちゃんとお祝いしてたらしい。ごめんなさい。
わくわくしていたし、充実していた。
差し入れでいただいた東京のお洒落なお茶を飲みながら原稿したりアニメ見たりするのが至福の時間だった。
喪女ゆえ結婚は縁が無さそうだけど、仕事はあるし家もあるし同人友達がたくさんいて毎日楽しい。私はこういう生き方でいいんだ、と思っていた。
そしてコロナ媧がやってきた。
感染者数が落ち着いた時期に開催されても、アフターなんてする雰囲気じゃないし、勿論するべきでもない。
何より上京してコロナを持ち帰ったらと思うと、とても参加はできなかった。
別に二次創作はイベントが無くたってできる。家にいればアニメも見られるし漫画も読める。
でも、人と会うことは無くなった。
素直に寂しい。
いつもクリスマスに開催されるオンリーイベントに参加して、アフターでみんなとケーキ食べていたけど、今年は家でコンビニのケーキを食べた。
一方で、アフターしていたみんなは、コロナ媧でも誰かしらとは会ったり話したりご飯を食べたりしているようだった。
つまりリアルの(同人と関係ない)ごく身近な友達とか、家族とか、配偶者とか、職場の繋がりとか、そういうものである。
みんなは同人以外にも繋がりを持って、居場所を持って、日常というリアルパートも真面目にこなしてきたのだ。おそらく。
私にはそれがない。
私は孤独だ。
同人イベントが無くなれば、私は誰とも会うことはないのだ。共にご飯を食べるひとは誰もいない。
今年、ちょっと病気が見つかって入院・手術したのだが、仮にコロナ媧でなかったとしても、私の見舞いに来るひとはいなかっただろう。入退院時に付き添ってくれたのは、唯一残った「リアル」の繋がり、両親だった。
仕事の細かい悩みとか、最近気になり出した老後の不安とかも同人友達にはなかなか話せない。
そういうことなのだ。
よく仕事以外にも、趣味などの居場所を作りましょう、と言う話を聞く。
私はそういう話を聞くたび、「私には全く関係ないな、仕事以外無いひとはかわいそうだな」とか思っていた。趣味が充実していたから。
むしろ同人なんていうのは、よく考えれば仕事より脆い繋がりだ。ジャンル移動とか、急な解釈違いや冷め、地雷とか、諸々あるのだから。
もちろんきっかけは同人で、そこから生涯の親友になるケースもあるんだろうけど、それはよくある話、というわけじゃない気がする。
最近はコロナの感染者数も減ってきて、同人イベントも活気を取り戻しつつある。冬コミもめでたく開催された。私も来年は参加したいな、と思っている。アフターが難しくてもイベント参加はしたい。推しCPが、絵を描くのが、二次創作が、本を作るのが好きなのは本当だから。
でも、(縁起でもないが)また別の疫病が流行るとか、災害とか、世界には何があるかわからない。
そもそも私が同人を、アニメを、漫画を、ずっと変わらず楽しめる保証もない。
同人以外を捨てる生き方はやめたほうがよさそうだな、と私は思った。
だから来年は(書いているうちに、もう今年になってしまったが)リアルの日常も、もう少し真面目にこなしてみようと思う。大事にしようと思う。
少なくとも、結婚おめでとうと言えてない地元の友達にはラインを送ろう。年賀状ラインを兼ねて。お詫びも添えて。許されるならお祝いもしたいけど、今さらって感じかな。ラインギフトとかなら相手も気軽に受け取れるのかな。
職場では人数分散して新年会すると言ってたから、それも誘ってもらえたなら参加してみよう。今さら参加してきたらみんな引くかな。少なくとも手術入院のとき休暇とか色々便宜をはかってくれた上司、私がいない分フォローしてくれたみんなには丁寧にお礼を言おう。
という、これまでの振り返りと今年の抱負であった。
おわり
ネット上でとりあえず異性(主に女性)に対して「ホテル行こう」とか「裸送って」とかいう行為。
セクハラとかマナーじゃなくて、もう暴力だし猥褻物陳列罪でもいいからその場で捕まえられるようにしてほしい。
言論弾圧じゃないし、相手に十分不快感を与えてるんだから実害として認定されて然るべき。
とにかく何がそんなにイライラするか書く。
1.面白いと思っている
相手が嫌な感じにとらえていることも含めて、その反応を想像することが面白いことだと本気で思い込んでいる。
もっと言えば、それを見て同じことを楽しむ仲間がいると思いこんでいて、自分のジョークは誰かのためになっていると思っている。
他の人間が書いても面白いだなんて微塵も思わないのに、他の人間が書いてるなら自分も書かないと損だと思って書いている。
本人も別に大して面白いと思ってなくて、ほとんど条件反射的に書いて、ものすごい小さな欲求を満たしているだけということにも気がついている。
電車の中で若い女性をチラ見で視姦しているような感覚に近いのだろう。
自分は罪の意識がないつもりでも、周囲にしてみれば心の底から気持ちが悪いし気分がめちゃくちゃ害される。
環境にとってプラスにならないことを自らのエゴで放り出しているのだから、タバコのポイ捨てと同じ公害だ。滅んでくれ。
2.あわよくばと考えている
万が一、百万が一に肯定的な反応が得られるかも知れない可能性を信じている。
頭では無いとわかっているのに、確率的にゼロではないから書かないと損だと考えている。
それ書く時間と労力を合計したらどれくらいの人生を無駄におくってると思ってるのかもわからずに。
お前の人生がどれだけ無駄になろうと構わないけど、周囲の人間の気分を著しく害していることに責任を感じてくれまじで。
3.たとえ好意的な反応を得られなくても、ネガティブな反応を見て楽しめると思っている
まじでクソ。死ね。
これら結果を踏まえても、そういった行為をネット上で公然と行う輩というのはエゴの塊で自らの行為を一切省みることのできない阿呆しかいないので、さっさと法律で禁止して罰金という社会貢献の肥やしになってほしい。
こうやって書いててもまじでイライラする。
もしくは通報累積でBANとか。