はてなキーワード: 相対論とは
人文系の文献の取り扱いとか業績についてちょっとだけ - dlitの殴り書き
確かに異分野の事情をお互いにわかっていたほうがみんな幸せになりますよね。パーマネントや学振の採用とか。
素粒子分野は大きく分けて
に分かれています。これらの間には超えられない壁がありまして全てをまとめるのはちょっと難しいのですがなんとか書いてみます。
間違いを見つけたら教えてください。
素粒子の論文は全て英語で書かれます。国内雑誌としてはPTEP(旧PTP)がありますがこちらも英文です。当然どれも査読があります。
業績リストの論文(査読なし)には国際会議や研究会の proceeding を載せたりします。
素粒子分野には論文投稿前に arXiv に載せる慣習があります。
これは投稿前に業界の人たちに意見をもらい論文を修正するためです。accept 後に査読済みの論文に差し替えます。
arXiv に載っているのは基本的に 投稿前/査読中/査読済み の論文及び国際会議の proceeding です。
特に素晴らしい研究は Physical Review Letters (Phys. Rev. Lett) に投稿されます。IF8.839 です。
Nature や Science に投稿することはまずありません。
おそらくは [ 業界の人数 ] x [ 1年間に発表する論文数 ] に依存するはずです。まあ人数の少ない分野は引用数も少なくなるでしょうね。
同じ素粒子業界でもその専門ごとにかなり違うはずですが、とりあえず Inspires によると以下のように分類されています。
# of citations | |
---|---|
Renowned papers | 500+ |
Famous papers | 250-499 |
Very well-known papers | 100-249 |
Well-known papers | 50-99 |
Known papers | 10-49 |
Less known papers | 1-9 |
Unknown papers | 0 |
自分で確認したい人は Inspires で fin a s Masukawa などと打ってみてください。
素粒子実験、特に高エネルギー方面ではなかなか論文が出せないことがあります。
理由は簡単で実験計画から結果が出るまで多数の歳月がかかるからです。
例えばLHCは計画からヒッグス発見まで20年弱かかりました。論文の著者数は5000人を超えました。
このような事情なので「博士課程単位取得満期退学後に研究を続けて論文を出すと同時に博士を得る」というような方がたまにいらっしゃいます。
博士号をもっていない素粒子実験の人に出会っても決してバカにしてはいけません。
まず 場の量子論/超対称性理論/群論・リー代数 あたりは三分野共通で勉強すると思います。
加えてそれぞれの分野の専門的教科書、例えば弦理論なら String Theory (Polchinski) 格子なら Lattice Gauge Theories (Rothe) など。
分野によっては位相幾何学、微分幾何学を勉強しなければなりません。共形場理論もですね。
この辺りでようやく基礎ができてきましてこのあと30年分くらいの論文を読みます。
研究に入るまでの勉強に時間がかかるので修論はレビューになることが多いです。
当然学振は出せない・・はずだったのですが最近どうも事情が変わってきたようです。
学生の方が学振(DC1)に固執して勉強も途中に研究を始めてしまう、勉強途中のM1に研究できることなんてたかが知れているので
必然的にあまり重要ではない研究に貴重な時間を費やしてしまう、というような話をぼちぼち聞くようになりました。
学振についての考え方は人によるとは思うのですが、ちょっと危うい傾向だなと私は思うことがあります。
そこでちょっとお願いなのですが
「学振は研究者の登竜門!取れなかったらやめよう!」などとblogに書いて煽るのをやめていただけないでしょうか?
いや書いてもいいのですが主語を書いてください。「情報系では」「生物では」とかね。
「博士号は足の裏のご飯粒」と言われて久しいですが、弦理論では博士号を取るのはまだまだ難しいと思います。
まあとったところで「足の裏のご飯粒」なんですけれどもね・・・
放置していてすみません。まさか今頃上がるとは思っていませんでした。
new3 言いたいことはわかるけど、普通は「ヒッグス発見」を博論のテーマにせずもうちょっと控え目な研究に留めるものでは?日本でもJ-PARCからSuper-Kにニュートリノ撃てるんだし10年に1本はさすがに少ないと思う。
どうもありがとうございます。文章を少し修正いたしました。他にも間違ったところがありましたら教えてください。
niaoz 懐かしい。補足するとストリングやるなら一般相対論がベースの重力理論も必要/場の理論は確かに簡単じゃないけど楽しい。量子力学と特殊相対論(電磁気学含む)を修めたらやってみるとよいです。
monopole 素粒子理論分野では修士で論文書きにくいけどDC1の枠はあるので、採用者は実績によらずほぼランダムだったり有名研究室に偏ったりする。まあ論文なしでも通る可能性あるから学振は気合い入れて書け
kowa 素粒子系は知性の墓場だと感じてる。優秀な人材があまりに何もできなくて、消えている。魅力はわかるが、1/5000のcontributionだかでいいのだろうか
ブコメ読みました。どうもありがとうございます。
トラバは伸びすぎてまだ全部読めていません。(スレッドたためないのかな?)
行列いらないよという方が意外と多いですね。専門によってずいぶん意見が変わるようです。
抽象代数をめざすので2x2の泥臭い計算練習などいらん、ということですね。
確かに数学を使う応用分野に進む子と数学自体を研究対象にする子では必要な勉強が異なるでしょうね。
数学科のことを考えていませんでした。
最後「高校で線形代数を教えろ」じゃなくて「行列をなくせ」になるのですか?
同じようなことを言っている人が何人かいらっしゃいました。(ゲーム業界?)
私にはちょっとピンとこないのですが、その業界の人たちがそういうのなら何か事情があるのでしょうね。
線形代数は大学で教えるでしょ?というのは確かにそうなのですが、1年生に教える物理の授業内容に影響が出ます。
物理科で1年生に教える科目は主に「力学」「電磁気学」、大学によっては「相対論」の入門を教えていたりするのですが
行列がなくなると座標変換が使えません。行列を使わないで無理やり書き下すこともできますが式の見通しが悪くなりますね。特に相対論。
逆行列を知らない。回転行列を知らない。座標変換のイメージがつかめないという子に対応しなければなりません。
2024年に文系からベクトルがなくなります。(復活した数Cに入ります。数Cは理系科目)
それに対応しておそらく物理基礎はベクトルが使えなくなります。
実は1997年にも似たようなことがありまして
微分方程式が消滅、文系から微積が削除された際に高校物理で数式が扱えなくなりスッカスカになりました。
物理科ではずっと問題視されているのですが現在に至るまで救済されず。
さらに削減が進むということですね。
数学では「データの分析」が大幅に増えました。現在の学習指導要領はこちら
次期学習指導要領(高等学校、数学、情報)について思うこと - とね日記
数学Bに 確率変数と確率分布/二項分布/正規分布/母集団と標本/統計的な推測の考え などが入っています
次期学習指導要領では数学Iに 四分位偏差/分散/標準偏差/相関係数 などが入ります
教科 | 科目 |
---|---|
数学 | 数学I,数学II,数学III,数学A,数学B,数学活用(←new!) |
(1) 数学と人間の活動 数学が人間の活動にかかわってつくられ発展してきたことやその方法を理解するとともに,数学と文化とのかかわりについての認識を深める。
数量や図形に関する概念などと人間の活動や文化とのかかわりについて理解すること
イ 遊びの中の数学
数理的なゲームやパズルなどを通して論理的に考えることのよさを認識し,数学と文化とのかかわりについて理解すること。
社会生活において数学が活用されている場面や身近な事象を数理的に考察するとともに,それらの活動を通して数学の社会的有用性についての認識を深める。
図,表,行列及び離散グラフなどを用いて,事象を数学的に表現し考察すること。
行列残っているじゃん、とおっしゃる方がいましたがこれ残っていると言えます??
少なくとも1年生の過半数が行列を習ってないというのですから実質ないも同然なのでしょう。
次期学習指導要領では廃止して「理数探究(仮称)」が新設予定だそうです
数学ではないのですがはてなー的には気になる話題だと思うので書いておきます。
2003年から数学や国語に並んで「情報」という教科ができました。扱う内容はかなり本格的で
高校で使われているプログラミングの教科書を全部購入して比較 (情報の科学) - Yusuke Ando a.k.a yando
情科306 コーディングはHTML、CSS、VBA。SQLも例が示されている。ドリトルという日本語のタートル言語も。 pic.twitter.com/Cn8O0vPWG3— Yusuke Ando@プログラミング教育 (@yando) 2018年7月29日
“Black hole explosions?” Nature 248 (1974) 30-31 (引用数 2592)
ブラックホールはあらゆるものを吸い込むだけで何も放出しないと長らく考えられていました。
ところで素粒子理論によると真空でも粒子が現れたり消えたりしていることが知られています。(対生成/対消滅)
ホーキングはブラックホールの表面付近を調べ、これらの粒子が放出されていることを発見しました。粒子が出ていく分ブラックホールの質量が減り最終的にブラックホールは消滅してしまいます。
“Particle Creation by Black Holes” Commun.Math.Phys. 43 (1975) 199-220 (引用数6991)
光さえ飲み込むブラックホールは熱放射をせず絶対零度であるとそれまでは考えられていました。
ホーキングは1. の研究に関連してブラックホールの「温度」と「エントロピー」を導出し、ブラックホールにおいて熱力学法則が成り立つことを示しました。
といういっけんすると奇妙な式でした。
本来ならエントロピーは体積(3次元)に比例するはず。それがなぜか表面積(2次元)に比例している。
ブラックホールーーー重力理論はひょっとして、1次元低い別の理論で表せるのではないか?
こうしてホーキングの導出したエントロピーの式から「ホログラフィック原理」の発見へとつながったのです。
“Wave Function of the Universe ” Phys.Rev. D28 (1983) 2960-2975 (引用数2143)
量子力学ではあらゆる可能性を足し上げて計算します。(経路積分)
一般相対論と量子力学を融合すると「あらゆる時空の”歪み方”(計量)について足し上げる」ことになります。
ホーキングはこの”歪み方”を足しあげるうまい方法を提案しました。
専門外なので間違いがあったらごめんね
適当にInspiresしてabst読んでまとめようかと思ったら
右翼や左翼というカテゴリは、なぜか人に完全な説明を与えたような錯覚させる言葉だ。
一般的な左翼的言説は、左翼は進歩的であったり、人間中心的であったり、自他的であったり、自利的あったりする。
一般的な右翼的言説は、右翼は保守的であったり、自然中心的であったり、集団的であったり、個人的であったり、規律的であったりする。
これだけ雑多な概念ではあるが、左翼と右翼は対立していたり、対立していないこともある。
わたしは2つの概念に、どちらがより悪いかということを言うつもりはない。
これから書くのは、左翼と右翼にある対するよくある誤解をできるだけ解いていこうという試みである。
といっても私の力不足により、今は3つしかなく内容も不明瞭に見える。
それと誤解と断定して書いたが、恐らくは誤解であるという所だ。
なぜなら、左翼と右翼に完璧な定義付けを、私はしないつもりだからだ。
それでは、なぜ左翼と右翼に対する誤解と言うものを書けるのか。
それは左翼と右翼に対してよく言われる一部の定義を仮として当てはめた時、明らかに左翼と右翼の思想が成り立たなくなり
そうなったときに、彼は左翼だ、右翼だと言うことがほとんど不可能になると思われるからだ。
私は"思想的ジレンマ"というような言説、態度を認めていない。
どちらかのジレンマによる、右翼と左翼のキメラ的態度を認めないということだ。
(哲学的に言えば、ヘーゲルの止揚という概念を認めていない。)
それを踏まえた上で、左翼と右翼に対する誤解について書いていこうと思う。
左翼的言説とは、現状を改革することや、何かを変えようとの意向を持つ言説であろう。
右翼的な言説は、現状を守るときや、何かを大事にしようとするときのものだ。
これらから、左翼は常に革命を求めており、暴力的であるとか、右翼は頭が固く時代遅れだなどと言われる。
まず、最初に左翼的な言説に、まるで保守性がないというのは成り立たないことだ。
左翼が変革を起こす時、現状をすべて破棄するか、一部を破棄するかというどちらかを選択するだろう。
そして現在には存在しない概念を(規則など)を落ち込むことになる。
もし、その概念に批判があれば、左翼はこれを守らなければならない。
その守るための言説に保守的な言葉が無いとしたら、明らかにその概念はたちまち崩壊するだろう。
君の進歩的概念が適用された世界を認めたとして、その世界をどのように(同じような進歩的概念から)守るのだ?
次に右翼的な言説に、現状を進歩させるものではないとするものだ。
これは左翼的な言説に保守的な言説が混ざり込む以上、彼らは、その保守的な言説と戦わなければいけない。
その戦う言説が保守的なものだけであれば、ともに共存することになる。
そうではなく、現状維持のためであれば、不純物は取り除かなくてはいけない。
不純物を取り除いた後に、根本の原因である現状の変革を実施する。
劣化し始めるもの、進歩し始めるのも、現状に問題があるためであり、その現状を彼らは変革するのである。
左翼が保守的に見えたり、右翼が進歩的に見えたりするのは、そもそもの左翼が進歩的であり、右翼が保守的であるということを誤解していることによるのである。
もし私がりんごを食べるとして、ある場所では犯罪だが、ある場所では犯罪ではないとすれば
食べる場所によって犯罪の可否がきまるため、私がりんごを食べる自由は相対的であると言える。)
絶対論とは、~べき論や、どこであろうと適用されることを望んだ言説である。
これらにより、左翼は優柔不断、すぐ裏切るなどや、右翼は頭が固い、傲慢だなどと言われる。
では、これも同じように左翼に絶対的な言説が入り込む余地が本当に無いのだろうか?
その前に、左翼が進歩的言説を行うものであることは、すんなり頭に入った人たちでも、
左翼が相対的言説をしているから左翼だと認識することはあまりないであろうと思われる。
相対的言説とは、まさに例を取ってあげれば左翼的言説に近いもので有ることは理解してもらえると思う。
自由を仮に絶対的に定義しようとすればまさしく絶対的自由から抜け出すことこそが自由であると言うことが分かる。
絶対的言説とは、言説による力を発揮する場所を定義するということである。
例えば、国、集団など。その限定された場所によって、定義された言葉が、それに見合った意味となる。
さて、左翼が相対的であるとのは、相対的言説を用いているからであると説明した。
左翼は確かに相対的言説を用いているが、よく見ればそれは、条件付きの相対的言説なのである。
自由という概念は、他に絶対性がなければ、自由そのものが絶対的なものとなってしまう。
そこから抜け出すために、一定の絶対性を用意し、その絶対性からの自由を得ているのだ。
そのため左翼は完全に絶対的なものを使用するため、完全に相対的であることはできないし望んでいない。
では、右翼はどうだろうか、右翼は絶対的であろうとし、あらゆる不名誉を得てきた。
右翼は絶対的たりうるための場所を定義するが、その場所を定義するプロセスは相対的である。
それは場所とは、物理的に言えば、自然によって決まっており、自然がもたらした、ものによって人が決めるのである。
ある場所は良くないが、ある場所が良いといのは自然により決定している。
こうして、右翼も完全に絶対的であることができず、また望んでいない。
左翼が相対的に見える場合は、条件付けを見れば誤解であることに気づき、右翼が絶対的に見える場合は、場所の定義を確認すれば誤解であることが分かるのだ。
つまり、左翼は相対的であることも、右翼が絶対的であることも誤解である。
左翼が実利的に見えてしまうのは、ほとんど悪名高き功利主義によるものだ。
右翼は功利主義をもたない。なぜなら功利主義は幸福に関する思想であり、幸福という概念は相対的言説だからである。
このせいで、左翼は感情のない人間という扱いになり、右翼は計算の出来ない人間と言われる。
これは功利主義が短期的な実利主義であるという誤解から生まれている。
功利主義とはその場の短期的な視点での価値判断で使用される思想ではないということだ。
もっと長期的な10年、100年というスパンで幸福について考える思想なのだ。
これらの左翼と右翼の誤解はそもそもの問題としては何なのだろう?
私が思うに左翼と右翼という概念が、その人自身の属性となってしまうことによるものだろう。
有る考えが進歩的であったとしても、その人自身はまるで関係ないはずである。
しかし、左翼、右翼とするとその場合は、人間と結合し、その人間自身が左翼、右翼的な存在となってしまう。
本当に気をつけなければいけないことは、左翼的、右翼的であることが、その本人の属性として、その本人の全人格を表すようにみていないかということだろう。
増田がそう思うのは、僕らがこの世界を3次元ユークリッド空間と認識しているからだろうね。
実は両目に映っているのは2次元の画像なのだけれども、その視差を利用して3次元であると認識しているらしい。
僕らの脳はずいぶん高度なことをやっているのだ。
ところで、どうやらこの世界は少なくとも特殊相対論においては 空間3次元+時間1次元 の4次元空間(ミンコフスキー空間)だということがわかっている。(量子化された一般相対論によるともっと高次元のようだけれどもここでは置いておく)
それなのに僕らはガリレイ変換を自然だと考え、ローレンツ変換を不思議に思う。(電車から外を見て、木が動いていると感じる人はいないだろう。一方でローレンツ収縮を僕らは不思議に感じる)
これはどういうことだろうか?
産まれてから爆発的に増えたニューロンはあるときから急激に減りはじめ、5歳くらいで落ち着くそうだ。
幼児期に聞き分けられた r の音が、日本人はある年齢になると聞き取れなくなることで有名だね。
動物を使った実験で、産まれてすぐの赤ちゃんに目隠しをしていると永遠に視力が失われることが知られている。
人間を使った実験はないが、幼児に眼帯をしているとやはり視力が失われることが知られている(ただし、その後のトレーニングで回復可能)
(3Dテレビは5歳以下の幼児には見せないでというのはこの辺りに起因する)
もしかしたら、僕らがこの世界を4次元ミンコフスキー空間と知覚出来ないのは
映画インターステラーで主人公は若いままなのに、地球の人たちどんどん年を取って行ったでしょ。
こういうとき、同時刻の基準を決めとかないと何がなんだかよくわからないのね。
同時刻の基準が変えるというのは どこからが過去で、どこからが未来なのかが変わるということなので
そう言う意味で「過去・現在・未来という考え方は幻想にすぎない」といったのかもね
これは何の事やろ?相対論に関して言うと「時間と空間は混じり合って変換するのでわけられない」かな
電場動かすと磁場になったり、磁場を動かすと電場になったり、電場と磁場って表裏一体なのね。
増田が走ったり止まったりすると電場が磁場に見えたり磁場が電場になったりするわけね
ローレンツ変換っていうんだけど
増田が走ったり止まったりすると時間が空間になったり、空間が時間になったりするのね。
もう一個追記
物理分野では正しく物理が記述できればなんでも OK! OK! なので
時間を虚数にしたり、新しい時間もいっこ入れたり、次元一個落としたりとか結構やるので
増田はなんかむつかしいの読んだのかもしれんね わかんないけど
物理屋さんにとっては宗教用語って中二かっこ良かったりするんよ
みたいな。急に思いつかないけどけっこうあるよ
みんなたぶん、本来の宗教用語の意味をよくわかってないでノリで付けてると思うわ
なんかごめんね
えーと、私が元増田です。他の人も書いてるけど反証可能性と実証可能性を取り違えていると思いますね。
まず相対論の反証可能性については2つの意味があります。まず数理モデルとして破たんしていないかどうかという問題。これについては反証可能性があります。これに関して反証可能性の低い理論は確実に相手にされないでしょうね。
そして実験によって実証できるかどうかという問題。仮に相対論が未来永劫、実証できないものだったとしたら相対論が物理学として認められるかどうかは極めて怪しいでしょう。理論を発表した時点で実証可能かどうかと実証を志向することは別問題です。
現状、実証可能性が難しい理論を提唱することは物理学者にとってリスクの高いことだし、それこそ普通の物理学者はできるだけ回避しようと思うのは当然だと思いますが。
コペンハーゲン解釈が哲学的な問いを回避しているということについては確かに賛否あるとは思うが(それこそ解釈の問題が介入する)、明確に間違っていると論じられるものではないのは明らかで、むしろなんで明確に間違っていると断じることができるのか問いたい。ちなみにここで哲学的といっているのは科学的実在論の話です。
あと、アインシュタインは「普通の」物理学者ではないという文脈で話しているのに、普通の物理学者が考えないのにアインシュタインがそう考えるのはおかしいといわれても困ります。
「我々はホログラムの世界に生きているのではない」ということが明らかに - GIGAZINE
シミュレーション仮説ってのは「この世界はコンピュータじゃないか」と哲学者さんが勝手に言っている話や。物理は関係ない。
という数学的な予想や。
みたいな奴やな。
予想と言っても部分的には証明されていて、今でも数々の証拠があがって来とるわけで
多くの人が信じていると思うで。
ブラックホールや原子核や物性理論を弦理論ないし超重力理論で研究できるようになったんやからこれはすごいこっちゃ。
とにかく、物理屋さんはでまかせ言ってるわけやなくて、いろいろ計算しとるわけやな。角度とか。
おっちゃん素人だから読めんのだけど、重力の量子効果を観測しようとした話に見えるよ。
話を進める前に、まず現状の物理理論についておさらいしとこか。
まず、この世界には「電磁気力」「弱い力」「強い力」「重力」の4つの力がある。
これら4つを統一した究極理論があると物理屋さんたちは考えている訳や。
「電磁気力+弱い力」ここまでは出来とる。
数年前にヒッグス粒子発見で大騒ぎになったやろ? あれが「電弱統一理論」完成の瞬間だったんや。
次は「電磁気力+弱い力+強い力」やな。候補となる理論はいろいろできてて、LHCで超対称性粒子ってやつを探しとる。
ここまで物理屋さんの使ってきた理論を「場の理論(=特殊相対論+量子力学)」つうんやけど、
場の理論で重力理論を作ってみるとするな。簡単のため世界をドット絵のように細かく区切って理論を作ろ(格子正則化や)。ここまでは簡単なんや。
ここで、ドットの1辺をずーっと小さくしていって連続極限をとると理論が破綻してしまうんよ。無限大が出て来て取り扱えなくなってしまうのな。
頭のいい人たちがいろいろ考えたんやけどな、ずっと難航しとるんや。
連続極限で理論つくるからだめなんよループで考えましょってやつな。難しすぎて論文出せない絶滅危惧種や
もう一歩進めてこの世は連続的じゃないんや! 結晶構造みたいに分割されているんや! ってやつやな。
こっちも難しすぎて絶滅危惧種や
超対称性導入して無限大キャンセルさせるやつや。難しすぎて絶滅危惧種になるかと思いきや、
ホログラフィック原理でいろんな理論との対応が見つかって今めっちゃ輝いとるな! すごいこっちゃな
ほんなこんなで超難しいんよ。手を出すと死ぬねんで。
難しい原因のひとつは実験結果がないことやな。重力の量子効果をみるにはプランクスケール (10^19 GeV)程度の実験が出来れば 良いのやけれど、
加速器で作ろうとすると銀河系サイズらしいな。こいつは無理や。
こんなんやで「インターステラー」ではブラックホールまで直接観測に行ったわけやな。
そんで、ホーガンさんの研究はな、「主人公、ブラックホールまで行かなくてよかったんちゃう?」って内容なんや。
地球上で実験できるらしいのな。使うのは加速器じゃなくて重力波検出装置や。最近 KAGRA が話題になっとったな。ああいうやつや。
乱暴に言うとな、ながーーーーーいアレを用意してその長さをはかるんや。時空が歪めば長さがかわるっつうわけや。アレというのはマイケルソンレーザー干渉計な。
でもな、おじさんみたいな素人に言わせればな、さすがにプランク長まで測定できんのとちゃう? 重力の量子効果なんて見えんの?と思うところや。
どうもホーガンさんはある模型でこのへん計算してみたようなんよ。それで意外といけるのとちゃうのと。
そんでGIGAZINEさんによると実験してみた結果それっぽいスペクトラムは出て一度喜んだのやけれども、
おっさん、素人のブタやから間違っとるかもわからんけどこの辺で堪忍な。
仮に、仮にな? この世界がPCの中でシミュレーションだったとするな。
そうすると、物理屋さんはそのコンピュータ言語を黙々と調べて、本物と同じコードを黙々と書くわけや。
物理屋さんの目的はあくまでこの世の全てを記述する理論を作る事なんやな。それを誰が書いたかは興味ないんや。
上のはたとえ話やけれど、コンピュータ言語を数学に置き換えるとそれっぽい話になるな。
これはゼータ関数(n=-1)
を使って導いた結果や。こんな調子で数学的要請から理論が決まっているんよ。
この世の全てを決めているのが数学なら、数学を作ったのは誰か?っつう話やな。
おっさんは数学者さんだとおもってるけどね。数学者さんが神や。
でも数学者さんは「俺が作ったのではなく自然にあった物を発見したのだ!おお!なぜ数学はこんなにも物理に役たつのか?!」
などと言い始めることがあるからね。わかんないね。おっさん興味ないけど。
ustam: ここは匿名でウンコの話をする場所やで。せめて仮想グルーウンコの話でもしてたらどうや? ところで重力は距離に反比例するのに距離が0でも無限大にならんのなんでや? 数学で証明できてないんちゃうん?
実験でニュートンの逆2乗則が確かめられているのは r = 1[mm] 程度なんやな。
不思議なのは4つの力の中で重力だけ異常に小さいというところや。
これを説明する模型が「この世界は高次元空間にあって、重力だけが高次元を伝播する」というやつなんや。
ここで図入りでわかりやすく説明されとるんでもっと知りたい人はそっち読んでな。
で、この模型を検証しているのが LHC やな。マイクロブラックホールの実験って聞いた事あるやろうか?
シュタゲの元ネタや。オカリンはタイムマシン作っとったがこっちは余剰次元(高次元)の確認や。
ところがな、外国のマスコミさんが「LHCのブラックホールで世界滅亡」と騒いだんやな。
そんですんごいデモが発生したもんで加速器の皆さんみんな大変だったんや。
おっさんからみんなにお願いがあるんやけどな。もしマスコミさんが「マイクロブラックホール」の報道をしていたら余剰次元の実験が成功したんやなと心の中で置き換えて欲しいんや。別に危ない事してへんからね。
まあ、おっさんはLHC 程度じゃまだ見つからんとおもっとるけどね。
あとこの手の模型を作った人の1人が美しすぎる物理屋こと リサ・ランドール な。
おっさん好みのべっぴんさんや。知らない人は画像検索してみるとええで。
feita: 違う。ロースおじさんはまず最初全く関係ないネタで脱線するの。でその後何故か急に博識ぶりを披露しだして、で最後にまた脱線するの。はいわかったらこのリズムでもう一度(鬼畜)
なん・・・やと・・ 「グーペおじさん」じゃなくて「ロースおじさん」やったんか・・おっさん素で間違ってたわ。
kitayama: 小4が出てこないので、やり直し
はてなブックマーク - ノーベル賞受賞の梶田隆章教授、NEWS小山慶一郎に「意味が分からない」 - ライブドアニュース
において「ニュートリノ振動は役に立つのか?」が話題になっていました。
以下に個人的な考えを述べます。できる限り誠実に書いてみます。
まずはニュートリノ振動がノーベル賞を受賞した理由を振り返ってみましょう。
研究者達は世界の全てを記述する究極理論を目指しています。その理論においては自然界における4つの力、重力、電磁気力(電場+磁場)、強い力、弱い力を統一されているはずだと考えられています。
1970年代に電磁気力と弱い相互作用の統一まで完成し、現在では強い相互作用を記述する量子色力学とあわせて標準理論と呼ばれています。そしてこの後、人類は長い停滞期を迎えました。標準理論は実験と合いすぎたのです。
人類はこれまで実験により理論の破れを見つけ、それをヒントにして次の理論を作り上げてきました。マイケルソンモーリーの実験は相対論に、光電効果の実験は量子力学へと繋がりました。標準理論を超えて大統一理論に進むには理論の破れを見つける事が不可欠なのですが、長い間それを見つける事ができませんでした。こんな中で唯一見つかった標準理論の破れ目がニュートリノ振動だったのです。現在私たちの手にする数少ない、 beyond the standard model へ繋がる鍵と呼べるでしょう。
以上より「ニュートリノ振動は何の役に立つのか」は「大統一理論は何の役に立つのか」に言い換える事が出来るでしょう。
しかし残念ながら大統一理論は(候補は日々研究されているものの)まだ完成もしていません。これはちょっと早すぎる質問でしょう。その前にまずは現在の素粒子理論——標準理論は役に立つのか? を考えてみることにしましょう。
実をいうと僕は素粒子理論は実社会には全く役に立たないのではないかと思っていました。
ところが癌医療への応用や火山研究への応用、加速器の副産物といえる放射光を利用した品種改良や材料開発といった産業利用が次々と成されるのを見て心の中でジャンピング土下座をしました。
いや、僕が「素粒子は役に立たない」と考えたのは単に僕に才能がなかっただけであって、世の中には僕の思いもよらない利用法を考えつくすごい人達がたくさんいるのだと思い知らされました。
ここでようやく表題に戻るのですが、「ニュートリノ振動は役に立つのか?」「大統一理論が完成したとしてそれは役に立つのか?」といった質問に僕なりに誠実に答えてみると以下のようになります。
「正直に言うと僕には役に立つようには思えないし、どう使われるかも全く想像つきません。そして役に立たないと言い切る自信もありません。」
「ただ、これまでの歴史を振り返ると誰かが利用法を考えるかもしれません。世の中には凄い人たちがたくさんいるのですから」
これだけだと誠実じゃないと思ったので追記します。
仮に大統一理論が完成したとしてもお金にはなりません。理論や定理を使う上で特許料は発生しないからです。研究成果は世界に公開されます。
さらっとギターと自分の声だけで勝負する人間全てをdisりやがったなこの野郎。福山なんかぶっちゃけどうでもいいがこれだけは許せん。
しかし俺が思うに、ギターで作れる楽曲の世界観には限界があると思う。
渋谷系や外国のクラブミュージックには、打ち込みの音でも生演奏のような繊細なメロディを複数重ねて、
それにヴォーカルを乗せて、いろんな音色が複雑に絡み合って、何年聴いてても聞き飽きないような楽曲になってたりする。
いやもちろん、「人の音楽の趣味は人それぞれだから、どの曲が優れてるかっていう判断基準なんてないよ」っていう相対論も共感出来る部分はある。
俺が気になるのは、福山雅治の音楽に対するスタンスについてだ。
本当に音楽が好きなのであれば、ギターと自分の歌声だけで勝負するんじゃなくて、堂本剛とか岡村靖幸とか山下達郎みたいに、ギター以外の
いろんな音色を自分の楽曲の中に取り入れようといった好奇心や努力を積み重ねるんじゃないのか?
それが福山雅治には感じられないんだよ。
なんで「ギターと自分の歌声だけで勝負する」人間が「本当に音楽が好きではない」みたいなことになってんの?
ギター一本で勝負出来ない奴こそ、シンプルなソングライティングから逃げた、とも言えるんじゃないの?
お前の頭の中こそ「多様な音を入れなきゃいけない」信仰に囚われてるんじゃないのか? 本当にすごいギター一本の演奏にじっくりと耳を傾けたことがあるのか?
でもギター一本でリスナーの魂を抉り出そうとしている人間が、色んなジャンルをつまみ食いしている音楽をやってる人間に劣るなんてのは、どうしても納得できない。
俺は全く判らない。
「福山ロス」と騒いでいる女の人たちに聞きたいし、教えてほしい。
男性のファンの人たちにも教えてほしい。
福山雅治のどこがいいんだ?
確かに、カッコいいとは思う。
けどカッコいい男なんて、他にもいっぱいいるだろ?
俺はすごく音楽が好きだ。日本のフォーク、ロック、ヒップホップ、渋谷系、パンク、アニソンと、いろんな音楽を聴いてきたと自負している。
外国の音楽もいっぱい聴いていきた。テクノやハウス、エレクトロとかプログレッシブなんたらといったジャンルまで、一通り聴いた。
個人的には、渋谷系とかハウスとかの音楽が好きになったんだけど。
そんな風にいろんな音楽と比べてみて、福山雅治が作っている楽曲が、すごくいいとは思わない。
確かに、たまに「squall」とか「桜坂」を聴いたりしたら「あっ、懐かしいな~」「いい曲だな~」とか、思ったりはするんだけど。
基本的に、ギターしか使ってないんじゃないのか?いや、俺の勘違いだったら訂正してほしい。
しかし俺が思うに、ギターで作れる楽曲の世界観には限界があると思う。
渋谷系や外国のクラブミュージックには、打ち込みの音でも生演奏のような繊細なメロディを複数重ねて、
それにヴォーカルを乗せて、いろんな音色が複雑に絡み合って、何年聴いてても聞き飽きないような楽曲になってたりする。
いやもちろん、「人の音楽の趣味は人それぞれだから、どの曲が優れてるかっていう判断基準なんてないよ」っていう相対論も共感出来る部分はある。
俺が気になるのは、福山雅治の音楽に対するスタンスについてだ。
本当に音楽が好きなのであれば、ギターと自分の歌声だけで勝負するんじゃなくて、堂本剛とか岡村靖幸とか山下達郎みたいに、ギター以外の
いろんな音色を自分の楽曲の中に取り入れようといった好奇心や努力を積み重ねるんじゃないのか?
それが福山雅治には感じられないんだよ。
音楽に対して、さして好奇心がないんじゃないのかって感じるんだ。ビジネスとして売れるかどうかという考えの比重が大きいんじゃないのかって。
その音楽に対する情熱の希薄さのようなものを感じて、どうも好きになれない。
いや、福山雅治の歌をいっぱい聴いているわけじゃないから、フォークっぽい楽曲以外もあると思うし、打ち込みを多用したり、ギターに
サックスやキーボード、ストリングスとか加えた編成とかで、「It's only love」「家族になろうよ」等の有名なバラードからは想像もつかない
ような前衛的な曲もあるかもしれない。
だからファンの人には「福山雅治はほんと、音楽が好きなんだな」って思うような曲を、俺に教えてほしいんだ。
福山の歌はいいんだってことを、プレゼンして、俺を納得させてくれ。
それとも俺の勘違いで、「歌じゃなくて、俳優としてのましゃが好き!」っていう理由とかか?
そういう人の方が多いか?
個人的には、そんなに悪くないと思う。
でもやっぱり、何か、鬼気迫るような感じとか、激しい喜怒哀楽の噴出とか、物足りない。
個人的な持論になってしまうが、2枚目も3枚目も演じられる俳優の方が、カッコよくないか?
「愛なんていらねえよ、夏」でシリアスな役柄も、「ストーカー逃げきれぬ愛」で変態役も演じた渡部篤郎とかの方が、
俳優として振り幅があって、カッコいいと思わないか?
岸谷五朗のように、渋い表情をした刑事役も、育ちの悪そうな教師役も出来る俳優の方が、カッコいいと思わないか?
アクションも出来る佐藤健やウォンビンとかイ・ビョンホンの方が、カッコいいと思わないか?
つまり結論を言うと、俺はあんまりいい評価を下していないんだ、福山雅治について。
音楽アーティストとして、俳優として、もっと優れていてカッコいい人はいると、個人的に判断している。
そして、バラエティ番組にあまり出ないだろ?その値打ちこいている感じも気に食わないんだ。
歌も俳優もバラエティもやるっていう方向性なら、何も文句はない。
だが「バラエティタレントじゃないんだぞ俺は」と、アーティスト・俳優としての見栄を切ってるんだから。
音楽アーティストとして、俳優として、評価の俎上に上げて、いろいろ言ってるんだよ。
いったいみんな福山雅治のどこが好きなんだ?
福山雅治をdisりたいわけじゃないし、disる目的で日記を書いたわけじゃないんだ。
間接的にdisることになってるかもしれないけど。
けど、しょうもないやっかみで福山雅治を非難しているわけではないってことを、理解してほしい。
俺は判らないから、納得したいだけなんだ。
単にマスコミが騒いでいるだけで、本当はそんなに福山ファンいないんじゃないのか。
ビジュアル?歌がいいのか?演技力?総合力?さらっと下ネタ言えるところ?
教えてくれ、福山雅治の魅力を!
返事ありがとうございます。数学出身なので物理事情に疎く参考になります。今後も色々な所で書いていただければと思います。
トンデモ扱いと言うのは、ツイッターなどで見かける核融合・核分裂などへの、研究者の反応を指していました。
個人的にはあり得るのではと思う事を、研究者の方は余り相手にしていないのを見かけるのと、話題すらなってないことでもまだまだ応用の可能性があるのではと感じてます。
QCDの計算が大変ということで難しいからそう簡単に言及できないということなのかもしれませんね。
物性や量子化学辺りは今後やっていきたいと思ってるので人が多いのは知っていますが、「物理理論」というのから省いていました。
素粒子論は加速器などの大きな研究所があるので結構人数が多いかと思っていましたが、全体からするとかなり少ないのですね。
大半が素粒子論を研究しつつ加速器実験もしているのかと思っていました。CERNの人たちも加速器実験の研究者ということなのですね。
個人的に特に見ている量子化学周辺は余り量子場は(相対論も)使ってないようですが、物性の本に量子場の応用をテーマにしたのがそういえばあったように思います。まだ勉強してませんが。
ニュートンや日経サイエンスの物理の記事は結構読んでますが(特に特集は)素粒子関連がかなり多いですね。もっと物性などを取り扱って欲しいですね。個人的にQCDをやる予定はないので、素粒子は現在関心が低めです。
「お前は研究者だ。学生と思って甘えるな」といった意味が暗に含まれているようにも思う。
こんな中でほぼ唯一、「先生」と呼んでよい存在が南部陽一郎先生だった。
弦理論も、量子色力学も、電弱統一理論とその鍵であるヒッグス粒子も
偉大な仕事がたくさんありすぎて何に対してノーベル賞を与えれば良いかわからない。
「南部は10年先を行く」
そして10年後に重要性がわかる、もしくは再発見されることが度々あった。
例えば「南部-ヨナラシニオ模型(1961年)」。
量子色力学どころかクォークすらなかった時代に書かれた論文である。
まったく僕には理解ができない。
南部さんの仕事はまるで「全てを知っている未来人が当時の人にわかる言葉で説明したような」研究なのだ。
南部さんはそれだけ超越した天才だった、ということなのだろう。
2008年、益川さん、小林さんと共にノーベル賞を受賞された。
ノーベル賞なんて別に嬉しくないと言った益川さんが「南部先生といっしょに受賞できるなんて」といって泣いた。
あの様子は例えるなら
「藤子不二雄と手塚治虫が講談社漫画賞を同時受賞して藤子藤雄Aが泣いた」
といったところだった。
受賞時にアナウンサーの1人が
「今になって認められたお気持ちはどうですか?」と小林・益川氏にマイクを向けた。
それを見ていた人たちは怒った。
小林さん・益川さんが凄いのだ。
当時いろんな人がいろんな表現で説明しようとしていたけれど
あまりうまく伝わっていなかったように思う。
ノーベル賞自体は400年後には忘れ去られているかもしれない。
アインシュタインの名も、相対論も、僕らが忘れる事はないように。
南部先生の訃報のあとはてなであまり話題になっていないようで寂しいので書きました。
(本来僕なんかよりもっと詳しい人が書いた方が良いと思うのですが皆 twitter に移行してしまったのか・・・)
この記事を読んで解りにくい、読みにくい、誤解を招く表現などありましたら
それは全て僕の低い文章力や知識の少なさが原因です。申し訳ありません。
http://jodo.sci.u-toyama.ac.jp/theory/Nobelsympo2009jpssp/NobelSymposium-files/PDFS1/Eguchi.pdf
「お前は研究者だ。学生と思って甘えるな」といった意味が暗に含まれているようにも思う。
こんな中でほぼ唯一、「先生」と呼んでよい存在が南部さんだった。
弦理論も、量子色力学も、電弱統一理論とその鍵であるヒッグス粒子も
南部さんは控えめな方だと知られていた。
自分の発見であってもそれを決して主張されない方だったそうだ。
そして南部さんの理論は往々にして理解されず、10年後に重要性がわかる、もしくは再発見されることが度々あった。
ベーテ・サルピータ方程式はその何年も前に南部さんが発表していたことが「発見」された。
自発的対称性の破れと南部・ゴールドストーンボゾンは今日日あらゆる物理分野に顔を出す。
ハドロンのために創られた弦理論は現在ではTheory of everything 候補だ。
2008年、益川さん、小林さんと共にノーベル賞を受賞された。
ノーベル賞なんて別に嬉しくないと言った益川さんが「南部先生といっしょに受賞できるなんて」といって泣いた。あれは例えるなら
「藤子不二雄と手塚治虫が講談社漫画賞を同時受賞して藤子藤雄Aが泣いた」
ようなものだった。
受賞時にアナウンサーの1人が
「今になって認められたお気持ちはどうですか?」と小林・益川氏にマイクを向けた。
それを見ていた人たちは怒った。
小林さん・益川さんが凄いのだ。
当時いろんな人がいろんな表現で説明しようとしていたけれど
あまりうまく伝わっていなかったように思う。
ノーベル賞自体は400年後には忘れ去られているかもしれない。
それは奇跡のような事なのに、知らない人がいるのはもったいないと思った。
ノーベル賞の顛末を見る限り、南部さんの死はあまり大きく報道されないのかもしれない。
だから増田で誰かと語りたい、誰かが語るのを聞きたいと思った。
ただ、ただ、悲しい。
南部さんは高齢になられても、たまに阪大付近の研究会に現れては
僕は一度もお会いできないままだった。今は後悔しかない。
今回のクールって未来モノ、SFっぽいモノが多い気がするんだけどどうなんだろ? ファンタジー系がちょっと減った?
順次追加する予定。