はてなキーワード: 直行とは
膝の手術を3回受けた70代祖母が同行者の孫に無断でイタリア縦断超弾丸ツアーに申し込んだ話。
一章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
三章 こんなとこに住む人の気がしれませんよね
四章 40万()のアクセサリー
五章 ナポリと靴
七章 ローマの夕食
・激重スーツケース
・自慢話と夏の空
・ボッティチェリに敬意を示して。
・嵐ってすげぇや!
孫が中学三年になるのに合わせて祖母が海外旅行に行きたいと言い出した。
昔は海外によく行っており孫と一緒に行くのが夢だったんだそう。
そこで白羽の矢が立ったのが、2番目の孫で初の女の子のわたし。
おばあちゃんは息子しかいないから初めての女の子をかわいがって、よく自分の好みの服やらを買って着せられた。娘がいたらしたかったことを私にしてる感じ。
あとまぁ「孫と一緒に旅行!」ってのが老人にとってはステータスなんだね。「孫と海外旅行をするくらい仲が良くて金銭的にも裕福な家庭」みたいなさ。
「あらお孫さんと旅行?いいわね〜羨ましいわ〜」って言われたいのもあったと思う。そりゃあ孫連れて旅行してる人がいたらそういう反応しかないでしょ。
当時は何も知らんかったから旅行行くのに全然賛成で二つ返事でOKしたし海外行けんの楽しみにしてた。
祖母は膝が悪く何度か手術の経験もあるため、最初は膝のこともあるしバンクーバーあたりのひとつの都市に留まってゆっくりしようねって話してた。
それが5月のある日
って。ねぇ、あんた。
パンフレット見せてもらったらまぁイタリアを北から南まで大移動する8日間の超弾丸ツアー。母が「大丈夫なんですか?」と心配そうに聞いても「大丈夫よ〜!」で聞きゃしない。
身体に爆弾抱えてる人がどうしてそこまで自信満々になれるのか。謎です。
テンションの上がった人間は突拍子もないことを言い出すの典型を目の前で見た。
1章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
そして迎えた当日、前泊する為に祖母の家に行った私が「杖あります?」って聞いたら、自信満々に「無いわ!でも多分大丈夫だと思うから!☺️」
まって??
いやもう、「なんで??」の一言に尽きる。
だって言ったもん、「買う」って言ってたやんけ。母さんがおばあちゃんの膝を考慮して折りたたみ式の勧めたり口酸っぱくして杖を持っていけって言ってたから。そりゃあ買ってると思ってたし若くないんだから過信しないでくれ、たのむから。
ここで私が間違ったのは不安に思いながらもすぐそばのショッピングモールに走って杖を買いに行かなかったこと。これが後に解決できない大問題となる。
今なら過去の私をぶん殴ってでも杖買ってこっそり自分のスーツケースに突っ込む。もし声だけでも伝えられるなら夜とか関係なしに「杖を探しに走れ〜!!!!!」って叫ぶ。絶対に。
「何かあったら現地で買うわ!」って言ってたから大丈夫かと思ってた。
予想してたとおり毎日足が痛くなるくらい歩く超弾丸ツアー。15歳の私でそうなんだから70代の祖母はさぞ辛かったと思う。
でもね?普通に考えて膝にボルト埋まってて普段杖ついてんのに、どう見ても歩くツアーに杖の1本も持ってかないなんて、そんなことある?
現地について2日目くらいに高級店が並ぶ通りで杖を見つけた。べっ甲の持ち手のついたツヤツヤの杖だったからこれならおばあちゃんも満足だろうと思って「杖ありましたよ!」って声かけた。のに。
「でもね〜、ここ(現地)の人に合わせてあるからおっきいのよ」
現地で買うって?言ってませんでした????
ちょっとマジでよく分からないんだけどそんなん最初からお前わかってたの?つまり絶対買う気ないのに買うって言ってたんか?って。
既にツアーの列から遅れて添乗員さんに迷惑かけてんのに何言ってんの?って。
オシャレでプライドの高い祖母にとって杖を着いて歩くのは格好悪いと、ただそれだけだったのだ。
イタリアに着いて初日、夕方に到着したのでそこからバスに乗る。着く少し前に機内食が出たから夕飯は無し、この日はホテルに直行して寝るだけ、明日から観光が始まる。
10時間以上のフライトで腰は痛いしケツはもじょもじょするしで、10時間前に一瞬顔を合わせた人たちと一緒のバスに乗ってホテルへ向かう。
ホテルの部屋へ入り、荷物の整理をして、今すぐシャワーを浴びて寝たいところだが事は起こった。
シャワーが出ないのだ。
普通、コックを上下に動かせば水が出るし、それをひねれば温度調節ができる。少なくとも日本ではそうだ。
このシャワーはどうだろう。コックを上にあげると蛇口から水が出る。コックをひねって温度調節も可能だ。それでも蛇口から繋がるシャワーはうんともすんとも言わなかった。
困った。いちおう先進国なのに世界共通で必須のものの使い方がわからないなんてことある?私はある
長旅直後に知らない土地で使い方がわからなくてゆっくり風呂にも入れないなんて哀れだね。
しばらく考えて、海外経験の豊富なおばあちゃんなら知ってるかなと思って聞いてみたら、祖母はすぐに「フロントに連絡するわ!」と。
あんたも知らないんかーい
いやいいんだけど、知らないのは別に良いのだけどね、ここでフロントに連絡してもイタリア語なんてさっぱりだし、なんなら英語も怪しい祖母と孫で外人のスタッフとコミュニケーションが取れるなんて到底思えない。
それだけは勘弁してくれの一心で私はひたすらスマホで使い方を探した。
その間も祖母は3分に1回「やっぱりフロントに聞いた方が良いんじゃないかしら」と言ってきた。祖母なりに心配だったのだと思う。その自信はどこから来るのかだけ聞かせて欲しい。
型番を検索しても外国語のページが出るばかりで、祖母によるホテルスタッフ襲来の圧を受けながら色々いじくっていたら、ふとした拍子にシャワーから水は出た。
蛇口から水を出した状態で蛇口の先の部分を引っ張るとシャワーが出る仕組みだったらしい。初見殺しか?
なんでこんなとこで1人謎解きやってるのかさっぱり分からないが、ホテルスタッフを呼ばれる前に解決できたのはファインプレーだったと今も思っている。
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
歩く!歩く!歩く!
超弾丸ツアーはひたすら歩く。海外旅行に行く層なんて暇と金のある金持ちのじいさんばあさんが主なのに、旅行会社のツアーは「夢の🎶イタリア一周」だとか、「スペイン♡世界遺産ツアー」だとかの移動にかなり無理があるツアーばかりを組んでくる。
例に出したのは私が実際に祖母(父方 母方)と参加したツアーだ。そしてどちらも参加者の平均年齢が60を越していた。
老人、己の体力を過信するな。
もしかしたらゆったりしたツアーもあったかもしれないけど、私が知る前に祖母は申し込んでいたから知る由もない。そゆとこの報連相大事だと思うんだ!
数日で全部を回ろうなんてツアーでは大体の日程がメチャクチャ歩いてるか数時間バスに乗るかの2択になるが、直射日光を浴びて歩いたジジババばかりのバスなんて小学生の遠足帰りのバスより爆睡率が高い。
寝息の聞こえる静まり返ったバス内は幼稚園のお昼寝の時間と同じ空間だった。
日に当ててから涼しいとこでゆっくりさせるのはね、寝かしつけの方法なんよ。
私はイタリアに行ってまでソシャゲのガチャを引いて、推しが出ては「ありがとうイタリア…😭🙏」とTwitterにつぶやくだけになった。景色は飽きる
大体このガイドはやたら大声でハキハキと話す細身な40代くらいの女性が多い。あとなんかダサい旗持ってるよね、キティちゃんとか。
そんで、そのハキハキしたおばさんガイドはめちゃめちゃ歩くのが早かった。大股でズンドコ行くので必死で追いかけるが、配布のトランシーバーで早口で観光地の説明をするから忙しい。
実績解除のための観光だ。この現地ガイドにより観光はRTA(リアルタイムアタック)に様変わりした。
参加者も置いていかれないよう頑張って着いていくが、ここで忘れちゃいけないのが祖母だ。
観光は現地ガイドが先頭に立ち先導しつつ、はぐれる人がいないよう1番後ろを常勤のガイドで挟む姿勢を取る。
私が息切れしながら振り返ると、横にいたはずのおばあちゃんがいなかった。
前に言った通り祖母は膝が悪く、普段杖をついているくらいだから当然歩くのが遅い。それに杖無しというデバフ+でこぼこの石畳+傾斜が拍車をかけた。
「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
うん、まあ、なんだろう。同情できない。
列の1番後ろでガイドさんに付き添ってもらって悪態をつくって、どう???
ガイドさん、ごめんな。
杖があればどんなに楽だっただろうと今更ながら後悔したし、この旅行中頭の10%くらいでは常に杖のことを考えていた。ちなみに今でも百均で杖を見ると「この!クソ!!これがあれば!!」と思う。500円しないで買えるんだぜ?
閑話 クソ重スーツケース
表題の通りである。おばあちゃんのスーツケースがバカクソ重いって話。
おばあちゃんのスーツケースが重量制限心配になるくらいマジでバカ重かったんだけど、
「何も入ってないのよ〜このスーツケース古いから〜」って言ってたし、古いスーツケースの重さなんて知らんからそんなもんかなって思ってた。ハードケースだったし。
重量制限は23キロまでで、おばあちゃんのは20キロくらいだったはず。行きの時点でこれって土産のも買うはずだけど大丈夫????となったがホテルで開けて驚いた。
ナニモ…入って…ない…❓
スーツケースが古いとかそんな問題じゃねーよ。ギチギチに布詰めて「何も入ってない」なんて言える姿勢は逆にすげーよ。
ちょっと冷静になったけどこの後のお土産タイムで早速おばあちゃんが買ったワインは旅行中ずっと私のスーツケースに入れて運ばれた。たまにスーツケースから瓶が擦れて酒屋の音がした。
旅行の回数が多いだけの自称旅慣れてると本当の旅に慣れてる人というのは別物だ。
閑話3つ目である。ちなみに書いてあること全部まだ2日くらいで起こったことで、たかだか1週間程度の旅行でよくここまでネタがあるなとしみじみ思う。
一応海外旅行に行くからには大体のツアーには現地の有名料理が組み込まれている。Tボーンステーキもそれのうちの1回。2日目の夕飯だったかな。
ガイドさんがメニューを読み上げてなんかよくわからんサラダとか食べて、例のメインは来た。
ミスター味っ子で存在だけは知ってる料理だけあって私は若干テンションが上がっていた。
漫画の微かな記憶では左がヒレで右がサーロイン、さっぱりしたヒレを先に食べ脂の乗ったサーロインを味わうのが鉄板だと味っ子の顔のうるさい審査員が言っていた。
記憶のTボーンの比率は約1:2、出てきた肉の比率は1:5くらい。申し訳程度のヒレ肉に思わず笑ってしまった。これ、わざわざTボーンにする必要ある?
まぁそれは例によって外国なのでサーブされた人によって大きさも全然違っていた。海外に行ってまで日本のような画一化を求めるのが間違っているとも言える。日本が細かいのか、海外が雑なのか。
肉質にも差があって、同じテーブルのおじいさんは「固すぎて食べられない」と言っていた
私のは食べられないって程じゃなかったけど、先に言ったようにツアーの参加者は老人の方が大体だ。その人たちにこれは重いんじゃないかと思う。
そっかーとか思いつつ1人で黙々と食べてたら祖母が
「そうかしら?私のすっごく柔らかいのよ!ほら!」
と、見せつけるように肉を切っていた。肉が固いと言っていた人の目の前で。
何故。
嫌がらせか?と思ったが、別に祖母はそんなこと考えておらず、ただ思ったことを言っただけだ。それがナチュラルにマウントになる人なのだ。純粋培養のヤバ人(やばんちゅ)である。悪意は一切ない。
そしてその素直な性格がこの旅行を悲惨にした一番の原因である。
ただただ、いたたまれなかった。ここで私が「そういう意図はないんです!」なんてことは到底言えないし、言ったところで祖母は理解するような人じゃないし、わたしにできることと言ったら押し黙って肉を食うだけだった。
言われた同じテーブルの人たちは「人によって差があるのね〜」とかで流してくれた。大人だ。
3章 「こんなとこに住む人の気がしれませんよね」
イタリアといえばベネチア、水の都。今回のツアーももちろんベネチア観光が含まれていた。
こんなにネタがある時点ででお察しだとは思うが、祖母はかなり癖が強い。私と年代が違うから、というだけでなく単に人間としての癖が強すぎる。だから付き合うにはかなりコツなり話し方なりに工夫が必要だ。特殊食材?
祖母の特徴を端的に並べると
・謎の自信を持つ。
・反面、少々過剰に心配性な面もある。
・介護の息抜きに海外旅行へ行っていた。特にヨーロッパを中心に巡っていてイタリアにはもう何回も来たからもう飽きちゃったくらい!が旅の口癖だった。
謎の自信、杖の件はこれが遺憾なく発揮された結果だ。このエピソードで祖母の人間性が伝わったかと思う。決して悪い人ではないから逆にタチが悪いのだ。悪意じゃないから私もそんな強く言えないし、そもそも強く言えるような間柄でもないのがさらに状況の悪化に拍車をかけた。私は押しに弱い典型的な日本人であったから余計に。あの場にいたのがアメリカ人かもしくは私たちの母だったら「ダメよ!杖を持たないと出発しないから!」と断固拒否の姿勢を見せただろう。私も1人ストライキを決行すればよかった。
ここで問題なのが「イタリアにはもう何回も来て飽きちゃった!」の口癖だ。
わざわざ12時間飛行機に乗ってケツを酷使して見知らぬ土地に降り立って言うことがそれなの、普通にやばい。現地ディスしたい行動力の鬼なの?
修学旅行の同じ班に到着直後から「もう来すぎて飽きちゃった!」なんて言う奴がいたら、そいつ絶対回る友達いないでしょ。もし現地の京都人に聞かれて初手からぶぶ漬けを出されても文句は言えない。花輪くんでもそんなマウントは取らん。
しかし一番直近でも10年以上前、イタリアだって発展し続けるのだ。祖母は旅の間中も思い出のイタリア(思い出補正マシマシ)に浸り続けている。
ベネチアは陸から少し離れた場所にあり小さな船に乗って向かう。
海の水は綺麗ではないが、所狭しとゴンドラが並び、ヨーロッパの建築様式で作られたカラフルな屋根や壁に白い柱、窓の一つ一つまで細かな意匠が凝らされた建物がずらりと並び、それらが海の上に浮かぶ光景は圧巻だった。色んな作品の題材になるわけだ。これは日本では見れない、世界は綺麗なものがいっぱいあるなぁ、連れてきてもらってありがたいなと素直に感謝した。
水に浮かぶふかふかした地面の繋ぎ目を歩き、現地ガイドさんの説明を聞きツアーの皆さんもワクワクした目で街を見渡しているその時
「こんなとこに住む人の気がしれませんよね〜」
見れば祖母が隣の人になかなかの声量で話しかけていた。あえての悪意とかではなく井戸端会議で「や〜ね」とでも言うような表情で。
やめろや。思うのはまだ良いとして、百歩譲って話しかけるなや。瞬時に吹っ飛ぶ感謝。もっとありがたがらせてくれ。
隣の人はどんな反応をしたっけ。曖昧に相槌を打っていたっけ。でもこの場で言うべき言葉ではないことだけはわかる。
KY発言選手権があればこの発言はかなり上位に食い込む確信があるし、さらに現地で言ったことで芸術点も加算、相当な高得点を取れるはずだ。エピソードとして聞く分には良いのだけども。
これによって私は生涯ベネチアを思い出す際にはこの時の祖母の発言とあのいたたまれない気持ちを思い出すのだ。なんの呪いだよ。
以上、ベネチアでの思い出でした。
まぁこの後も絆創膏を探してドラッグストアの店員(イタリア人)に「Where is バンドエイド?」と英語で聞いたり(結局買えなくて私が持っていたのを渡した)自由時間で迷子になったり私が素敵な羽根ペン買ったら「お金あるわね〜」と本人にその気はなくても嫌味と取れる事を言われたりがありましたがエピソードとしては”弱”なので口頭で説明すれば良いかと思います。
四章 40万()のアクセサリー
「無いわね〜」
「何かなくしたんですか?」
「アクセサリーが入った袋がないのよ」
昨日はあったはずのアクセサリー類がまとめて見つからないのだという。身なりにこだわる祖母だ。アクセサリーもこの服にこれを!というものをあのギチギチのスーツケースに詰め込んできたらしい。
「あら、どうしようかしら〜……40万くらいするんだけど……」
パタパタと探してる最中の爆弾発言に思わず固まった。なんだって?
「あれ全部で40
膝の手術を3回受けた70代祖母が同行者の孫に無断でイタリア縦断超弾丸ツアーに申し込んだ話。
一章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
三章 こんなとこに住む人の気がしれませんよね
四章 40万()のアクセサリー
五章 ナポリと靴
七章 ローマの夕食
・激重スーツケース
・自慢話と夏の空
・ボッティチェリに敬意を示して。
・嵐ってすげぇや!
孫が中学三年になるのに合わせて祖母が海外旅行に行きたいと言い出した。
昔は海外によく行っており孫と一緒に行くのが夢だったんだそう。
そこで白羽の矢が立ったのが、2番目の孫で初の女の子のわたし。
おばあちゃんは息子しかいないから初めての女の子をかわいがって、よく自分の好みの服やらを買って着せられた。娘がいたらしたかったことを私にしてる感じ。
あとまぁ「孫と一緒に旅行!」ってのが老人にとってはステータスなんだね。「孫と海外旅行をするくらい仲が良くて金銭的にも裕福な家庭」みたいなさ。
「あらお孫さんと旅行?いいわね〜羨ましいわ〜」って言われたいのもあったと思う。そりゃあ孫連れて旅行してる人がいたらそういう反応しかないでしょ。
当時は何も知らんかったから旅行行くのに全然賛成で二つ返事でOKしたし海外行けんの楽しみにしてた。
祖母は膝が悪く何度か手術の経験もあるため、最初は膝のこともあるしバンクーバーあたりのひとつの都市に留まってゆっくりしようねって話してた。
それが5月のある日
って。ねぇ、あんた。
パンフレット見せてもらったらまぁイタリアを北から南まで大移動する8日間の超弾丸ツアー。母が「大丈夫なんですか?」と心配そうに聞いても「大丈夫よ〜!」で聞きゃしない。
身体に爆弾抱えてる人がどうしてそこまで自信満々になれるのか。謎です。
テンションの上がった人間は突拍子もないことを言い出すの典型を目の前で見た。
1章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
そして迎えた当日、前泊する為に祖母の家に行った私が「杖あります?」って聞いたら、自信満々に「無いわ!でも多分大丈夫だと思うから!☺️」
まって??
いやもう、「なんで??」の一言に尽きる。
だって言ったもん、「買う」って言ってたやんけ。母さんがおばあちゃんの膝を考慮して折りたたみ式の勧めたり口酸っぱくして杖を持っていけって言ってたから。そりゃあ買ってると思ってたし若くないんだから過信しないでくれ、たのむから。
ここで私が間違ったのは不安に思いながらもすぐそばのショッピングモールに走って杖を買いに行かなかったこと。これが後に解決できない大問題となる。
今なら過去の私をぶん殴ってでも杖買ってこっそり自分のスーツケースに突っ込む。もし声だけでも伝えられるなら夜とか関係なしに「杖を探しに走れ〜!!!!!」って叫ぶ。絶対に。
「何かあったら現地で買うわ!」って言ってたから大丈夫かと思ってた。
予想してたとおり毎日足が痛くなるくらい歩く超弾丸ツアー。15歳の私でそうなんだから70代の祖母はさぞ辛かったと思う。
でもね?普通に考えて膝にボルト埋まってて普段杖ついてんのに、どう見ても歩くツアーに杖の1本も持ってかないなんて、そんなことある?
現地について2日目くらいに高級店が並ぶ通りで杖を見つけた。べっ甲の持ち手のついたツヤツヤの杖だったからこれならおばあちゃんも満足だろうと思って「杖ありましたよ!」って声かけた。のに。
「でもね〜、ここ(現地)の人に合わせてあるからおっきいのよ」
現地で買うって?言ってませんでした????
ちょっとマジでよく分からないんだけどそんなん最初からお前わかってたの?つまり絶対買う気ないのに買うって言ってたんか?って。
既にツアーの列から遅れて添乗員さんに迷惑かけてんのに何言ってんの?って。
オシャレでプライドの高い祖母にとって杖を着いて歩くのは格好悪いと、ただそれだけだったのだ。
イタリアに着いて初日、夕方に到着したのでそこからバスに乗る。着く少し前に機内食が出たから夕飯は無し、この日はホテルに直行して寝るだけ、明日から観光が始まる。
10時間以上のフライトで腰は痛いしケツはもじょもじょするしで、10時間前に一瞬顔を合わせた人たちと一緒のバスに乗ってホテルへ向かう。
ホテルの部屋へ入り、荷物の整理をして、今すぐシャワーを浴びて寝たいところだが事は起こった。
シャワーが出ないのだ。
普通、コックを上下に動かせば水が出るし、それをひねれば温度調節ができる。少なくとも日本ではそうだ。
このシャワーはどうだろう。コックを上にあげると蛇口から水が出る。コックをひねって温度調節も可能だ。それでも蛇口から繋がるシャワーはうんともすんとも言わなかった。
困った。いちおう先進国なのに世界共通で必須のものの使い方がわからないなんてことある?私はある
長旅直後に知らない土地で使い方がわからなくてゆっくり風呂にも入れないなんて哀れだね。
しばらく考えて、海外経験の豊富なおばあちゃんなら知ってるかなと思って聞いてみたら、祖母はすぐに「フロントに連絡するわ!」と。
あんたも知らないんかーい
いやいいんだけど、知らないのは別に良いのだけどね、ここでフロントに連絡してもイタリア語なんてさっぱりだし、なんなら英語も怪しい祖母と孫で外人のスタッフとコミュニケーションが取れるなんて到底思えない。
それだけは勘弁してくれの一心で私はひたすらスマホで使い方を探した。
その間も祖母は3分に1回「やっぱりフロントに聞いた方が良いんじゃないかしら」と言ってきた。祖母なりに心配だったのだと思う。その自信はどこから来るのかだけ聞かせて欲しい。
型番を検索しても外国語のページが出るばかりで、祖母によるホテルスタッフ襲来の圧を受けながら色々いじくっていたら、ふとした拍子にシャワーから水は出た。
蛇口から水を出した状態で蛇口の先の部分を引っ張るとシャワーが出る仕組みだったらしい。初見殺しか?
なんでこんなとこで1人謎解きやってるのかさっぱり分からないが、ホテルスタッフを呼ばれる前に解決できたのはファインプレーだったと今も思っている。
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
歩く!歩く!歩く!
超弾丸ツアーはひたすら歩く。海外旅行に行く層なんて暇と金のある金持ちのじいさんばあさんが主なのに、旅行会社のツアーは「夢の🎶イタリア一周」だとか、「スペイン♡世界遺産ツアー」だとかの移動にかなり無理があるツアーばかりを組んでくる。
例に出したのは私が実際に祖母(父方 母方)と参加したツアーだ。そしてどちらも参加者の平均年齢が60を越していた。
老人、己の体力を過信するな。
もしかしたらゆったりしたツアーもあったかもしれないけど、私が知る前に祖母は申し込んでいたから知る由もない。そゆとこの報連相大事だと思うんだ!
数日で全部を回ろうなんてツアーでは大体の日程がメチャクチャ歩いてるか数時間バスに乗るかの2択になるが、直射日光を浴びて歩いたジジババばかりのバスなんて小学生の遠足帰りのバスより爆睡率が高い。
寝息の聞こえる静まり返ったバス内は幼稚園のお昼寝の時間と同じ空間だった。
日に当ててから涼しいとこでゆっくりさせるのはね、寝かしつけの方法なんよ。
私はイタリアに行ってまでソシャゲのガチャを引いて、推しが出ては「ありがとうイタリア…😭🙏」とTwitterにつぶやくだけになった。景色は飽きる
大体このガイドはやたら大声でハキハキと話す細身な40代くらいの女性が多い。あとなんかダサい旗持ってるよね、キティちゃんとか。
そんで、そのハキハキしたおばさんガイドはめちゃめちゃ歩くのが早かった。大股でズンドコ行くので必死で追いかけるが、配布のトランシーバーで早口で観光地の説明をするから忙しい。
実績解除のための観光だ。この現地ガイドにより観光はRTA(リアルタイムアタック)に様変わりした。
参加者も置いていかれないよう頑張って着いていくが、ここで忘れちゃいけないのが祖母だ。
観光は現地ガイドが先頭に立ち先導しつつ、はぐれる人がいないよう1番後ろを常勤のガイドで挟む姿勢を取る。
私が息切れしながら振り返ると、横にいたはずのおばあちゃんがいなかった。
前に言った通り祖母は膝が悪く、普段杖をついているくらいだから当然歩くのが遅い。それに杖無しというデバフ+でこぼこの石畳+傾斜が拍車をかけた。
「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
うん、まあ、なんだろう。同情できない。
列の1番後ろでガイドさんに付き添ってもらって悪態をつくって、どう???
ガイドさん、ごめんな。
杖があればどんなに楽だっただろうと今更ながら後悔したし、この旅行中頭の10%くらいでは常に杖のことを考えていた。ちなみに今でも百均で杖を見ると「この!クソ!!これがあれば!!」と思う。500円しないで買えるんだぜ?
閑話 クソ重スーツケース
表題の通りである。おばあちゃんのスーツケースがバカクソ重いって話。
おばあちゃんのスーツケースが重量制限心配になるくらいマジでバカ重かったんだけど、
「何も入ってないのよ〜このスーツケース古いから〜」って言ってたし、古いスーツケースの重さなんて知らんからそんなもんかなって思ってた。ハードケースだったし。
重量制限は23キロまでで、おばあちゃんのは20キロくらいだったはず。行きの時点でこれって土産のも買うはずだけど大丈夫????となったがホテルで開けて驚いた。
ナニモ…入って…ない…❓
スーツケースが古いとかそんな問題じゃねーよ。ギチギチに布詰めて「何も入ってない」なんて言える姿勢は逆にすげーよ。
ちょっと冷静になったけどこの後のお土産タイムで早速おばあちゃんが買ったワインは旅行中ずっと私のスーツケースに入れて運ばれた。たまにスーツケースから瓶が擦れて酒屋の音がした。
旅行の回数が多いだけの自称旅慣れてると本当の旅に慣れてる人というのは別物だ。
閑話3つ目である。ちなみに書いてあること全部まだ2日くらいで起こったことで、たかだか1週間程度の旅行でよくここまでネタがあるなとしみじみ思う。
一応海外旅行に行くからには大体のツアーには現地の有名料理が組み込まれている。Tボーンステーキもそれのうちの1回。2日目の夕飯だったかな。
ガイドさんがメニューを読み上げてなんかよくわからんサラダとか食べて、例のメインは来た。
ミスター味っ子で存在だけは知ってる料理だけあって私は若干テンションが上がっていた。
漫画の微かな記憶では左がヒレで右がサーロイン、さっぱりしたヒレを先に食べ脂の乗ったサーロインを味わうのが鉄板だと味っ子の顔のうるさい審査員が言っていた。
記憶のTボーンの比率は約1:2、出てきた肉の比率は1:5くらい。申し訳程度のヒレ肉に思わず笑ってしまった。これ、わざわざTボーンにする必要ある?
まぁそれは例によって外国なのでサーブされた人によって大きさも全然違っていた。海外に行ってまで日本のような画一化を求めるのが間違っているとも言える。日本が細かいのか、海外が雑なのか。
肉質にも差があって、同じテーブルのおじいさんは「固すぎて食べられない」と言っていた
私のは食べられないって程じゃなかったけど、先に言ったようにツアーの参加者は老人の方が大体だ。その人たちにこれは重いんじゃないかと思う。
そっかーとか思いつつ1人で黙々と食べてたら祖母が
「そうかしら?私のすっごく柔らかいのよ!ほら!」
と、見せつけるように肉を切っていた。肉が固いと言っていた人の目の前で。
何故。
嫌がらせか?と思ったが、別に祖母はそんなこと考えておらず、ただ思ったことを言っただけだ。それがナチュラルにマウントになる人なのだ。純粋培養のヤバ人(やばんちゅ)である。悪意は一切ない。
そしてその素直な性格がこの旅行を悲惨にした一番の原因である。
ただただ、いたたまれなかった。ここで私が「そういう意図はないんです!」なんてことは到底言えないし、言ったところで祖母は理解するような人じゃないし、わたしにできることと言ったら押し黙って肉を食うだけだった。
言われた同じテーブルの人たちは「人によって差があるのね〜」とかで流してくれた。大人だ。
3章 「こんなとこに住む人の気がしれませんよね」
イタリアといえばベネチア、水の都。今回のツアーももちろんベネチア観光が含まれていた。
こんなにネタがある時点ででお察しだとは思うが、祖母はかなり癖が強い。私と年代が違うから、というだけでなく単に人間としての癖が強すぎる。だから付き合うにはかなりコツなり話し方なりに工夫が必要だ。特殊食材?
祖母の特徴を端的に並べると
・謎の自信を持つ。
・反面、少々過剰に心配性な面もある。
・介護の息抜きに海外旅行へ行っていた。特にヨーロッパを中心に巡っていてイタリアにはもう何回も来たからもう飽きちゃったくらい!が旅の口癖だった。
謎の自信、杖の件はこれが遺憾なく発揮された結果だ。このエピソードで祖母の人間性が伝わったかと思う。決して悪い人ではないから逆にタチが悪いのだ。悪意じゃないから私もそんな強く言えないし、そもそも強く言えるような間柄でもないのがさらに状況の悪化に拍車をかけた。私は押しに弱い典型的な日本人であったから余計に。あの場にいたのがアメリカ人かもしくは私たちの母だったら「ダメよ!杖を持たないと出発しないから!」と断固拒否の姿勢を見せただろう。私も1人ストライキを決行すればよかった。
ここで問題なのが「イタリアにはもう何回も来て飽きちゃった!」の口癖だ。
わざわざ12時間飛行機に乗ってケツを酷使して見知らぬ土地に降り立って言うことがそれなの、普通にやばい。現地ディスしたい行動力の鬼なの?
修学旅行の同じ班に到着直後から「もう来すぎて飽きちゃった!」なんて言う奴がいたら、そいつ絶対回る友達いないでしょ。もし現地の京都人に聞かれて初手からぶぶ漬けを出されても文句は言えない。花輪くんでもそんなマウントは取らん。
しかし一番直近でも10年以上前、イタリアだって発展し続けるのだ。祖母は旅の間中も思い出のイタリア(思い出補正マシマシ)に浸り続けている。
ベネチアは陸から少し離れた場所にあり小さな船に乗って向かう。
海の水は綺麗ではないが、所狭しとゴンドラが並び、ヨーロッパの建築様式で作られたカラフルな屋根や壁に白い柱、窓の一つ一つまで細かな意匠が凝らされた建物がずらりと並び、それらが海の上に浮かぶ光景は圧巻だった。色んな作品の題材になるわけだ。これは日本では見れない、世界は綺麗なものがいっぱいあるなぁ、連れてきてもらってありがたいなと素直に感謝した。
水に浮かぶふかふかした地面の繋ぎ目を歩き、現地ガイドさんの説明を聞きツアーの皆さんもワクワクした目で街を見渡しているその時
「こんなとこに住む人の気がしれませんよね〜」
見れば祖母が隣の人になかなかの声量で話しかけていた。あえての悪意とかではなく井戸端会議で「や〜ね」とでも言うような表情で。
やめろや。思うのはまだ良いとして、百歩譲って話しかけるなや。瞬時に吹っ飛ぶ感謝。もっとありがたがらせてくれ。
隣の人はどんな反応をしたっけ。曖昧に相槌を打っていたっけ。でもこの場で言うべき言葉ではないことだけはわかる。
KY発言選手権があればこの発言はかなり上位に食い込む確信があるし、さらに現地で言ったことで芸術点も加算、相当な高得点を取れるはずだ。エピソードとして聞く分には良いのだけども。
これによって私は生涯ベネチアを思い出す際にはこの時の祖母の発言とあのいたたまれない気持ちを思い出すのだ。なんの呪いだよ。
以上、ベネチアでの思い出でした。
まぁこの後も絆創膏を探してドラッグストアの店員(イタリア人)に「Where is バンドエイド?」と英語で聞いたり(結局買えなくて私が持っていたのを渡した)自由時間で迷子になったり私が素敵な羽根ペン買ったら「お金あるわね〜」と本人にその気はなくても嫌味と取れる事を言われたりがありましたがエピソードとしては”弱”なので口頭で説明すれば良いかと思います。
四章 40万()のアクセサリー
「無いわね〜」
「何かなくしたんですか?」
「アクセサリーが入った袋がないのよ」
昨日はあったはずのアクセサリー類がまとめて見つからないのだという。身なりにこだわる祖母だ。アクセサリーもこの服にこれを!というものをあのギチギチのスーツケースに詰め込んできたらしい。
「あら、どうしようかしら〜……40万くらいするんだけど……」
パタパタと探してる最中の爆弾発言に思わず固まった。なんだって?
「あれ全部で40
腸のあたりがパンパンに張ってキリキリと差し込むような強烈な痛み。指で腹のあたりを触ると固い。中で詰まってる。
夜中1時に痛みで目が覚め、一人で脂汗をかきながら布団の中で悶絶していた。指先は冷たいのに全身が汗でぐっしょり濡れている。
救急車だけは呼ばないようにしたかった(身近な人間に便秘で夜中に救急車を呼んだ人がいるため)。
とりあえず、まずは痛みを抑えるためにロキソニンを飲んだ。そのあと布団乾燥機をつけて、お腹と手足の先を温めつつ腸のあたりをマッサージ。
15分くらいするとプラセボ効果なのかもしれないが、僅かに痛みがやわらいできた。
30分くらいしたら、ふたたび眠れるくらいには痛みがやわらいだ。
朝7時に起きると痛みはおさまっていたが、腹は相変わらずパンパンに張っていて苦しい。
朝9時30分頃、ようやく起き上がることができたのでコーヒーを淹れて飲んだ。
コーヒーで消化管が刺激されたのか4〜5日ぶりの便意を感じトイレに直行。
今までの経験上、ここで慌てて出そうと力むとロクなことにならないことを知ってる。肛門が切れたり、固い便が途中で詰まって動かなくなったりするのだ。
無事、肛門が切れることもなく綺麗さっぱり出すことができた。出産したあとってこんな気分なのかも。
みんなも便秘には気をつけよう。
劇場版ガンダムSEEDから思う「今のアニメの作画」※ネタバレ無し
ガンダムSEEDは、DESTINY終盤が放送されている時期に友人から勧められてハマった。私は当時小学生。人生で初めて買ったCDは玉置成実の『Reason』だった。
…こんな書き出しだが、「ガンダムSEEDシリーズは私の世代にとって革新的で思入れが強くて〜」といった話ではなく、『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』を見て感じた「近年のアニメの作画」に対する率直な思いについてまとめたもので、作品評価は含まない。
できれば拡散されたい。
人の意見が聞きたい。
劇場版SEEDの情報が解禁されるにつれ、SPOT映像も順々に公開された。
そのうちのひとつ、海辺で語らうキラとラスクのシーンで、キャラクターの動き・表情が機械的で実に不気味だと感じた。特にラクスが顕著だった。人が手で描いたはずなのに、瞬きなどはまるで3Dモデルに見える。例えるならVtuberのモーションに近い。
結論から言うと、劇場版SEEDは全編をとおしてほぼそのような絵でできていた。
昨今のデジタル作画特有の「完璧に均一で色に溶け込むほどの極細な線」が、画面内をなめらかに動き続ける。
メカ類は基本的に3Dなので、ピタリと止まることなく常に画面内を揺蕩っていた印象だ。
正直行って、絵(?)が動き過ぎだと感じた。
やたらに動くだけでその動作に意味を伴わないため、少し酔うほどだった。
これは果たして、作品の演出として本当に必要な手間なのだろうか?とつい考えてしまった。
ただし「SEEDシリーズの作画」に関しては、テレビシリーズの頃よりオタク達からよく指摘を受けていた。
週ごとに絵柄が変わったり、バンクを多用して展開上違和感のある映像になったり…(ムウのヘルメットの話ではない)。
これらを今の技術で改善し、あの頃からのファンへ自信を持って作品を発表することも、製作陣の課題のひとつだったのだろうと想像している。
ネットに触れていれば「ヌルヌル動く作画」といった表現はよく目にするだろう。昨今の制作サイドにおける流行りの表現方法であり、今の視聴者層に響く華のある映像なのだろう。
ただ、劇場版SEEDはいわば「ニュルニュル動く作画」で、私にその手の専門知識はないが、全ての絵に凄まじいコマ数を詰め込んだ映像なのだろうと思わされた。
おそらく手で描いていない部分もある。きっと今の技術を使えばそれもできてしまうのだろう。
少し大袈裟に言えば、3Dロボット・デジタル効果・ニュルニュルと動くキャラクターの映像が流れる中で、たまに手描きっぽく思える絵が混じって目立つ感じだ。
私が幼少期に見たデジモンやゾイドのような、手描きの絵の中にゴリゴリの3Dが混ざっていた時代からは見事に逆転したような印象を受ける。
芸術分野のことばに「不気味の谷」というものがある。簡単にいうと「決して3次元ではないが2次元の域は超えつつあるリアルな創造物」のことで、例えばAI生成の人物画像に対して抱く感情のことだ。
「ヌルヌル作画」を超えつつある昨今のアニメ映像…薄給と聞くアニメーターにとって本当に必要な手間なのか?手描き丸出しのアニメはもう古いのか?それとももうできないのか?それは技術・人員・時間、どれが原因か?
犯人はいまだ逮捕されておらず、俺としては逮捕されるかどうかはどうでもいいが、ひき逃げするような人間は捕まってほしいなあぐらいの謎の当事者感覚が持てない言葉しか出ない。
それよりもひき逃げされた結果として頭蓋骨骨折、肩甲骨骨折、肺挫傷になり、通行人に見つかるまでに20分程度放置された結果として、本当に死ぬところであった。
人間、ガチのマジで死にかけると言う経験は本当に死ぬまではなかなか経験しないものである。
俺もこの事件が起きるまでは、ぼーっと自転車に乗っていたら電柱にぶつかったぐらいが死にかけたエピソードとして上位なぐらいの平凡な人間であって、ここまで重大な事件(めちゃくちゃ捜査されている)になるとは思わなかった。
この時間で頭を強く打ったせいだろうか、俺は何だか無感動な人間になったとよく言われる。自分でもなんかそう感じる。
とりあえず退院はできたが身体はズタボロであり、被害補償なんてない。
今はホテル滞在5日目だが、クレカが止まるまではホテルにいようかなと思っている。もう何もしたくない。轢かれた時の衝撃で俺の気力やらなにやら全部すっ飛んだんだろう。
社会人になって数年、仕事が忙しくなり、職場で理不尽な事が増え、それが精神的な余裕の無さに繋がって彼に距離を置かれ、それがさらに心の余裕を…というスパイラルの果てに破局。
異性と肌を合わせる事が数少ない癒しの手段だった自分にとって、パートナー不在状態は、ゲームで言う所の体力が少しずつ減っていく状態も同然だった。もちろん他のストレス解消法も色々と試してみたものの、セックスと同等の効果を感じられるものには結局巡り会えず、週末は一人でひたすら呑んでタクシーで深夜帰宅してばかりだった。
そんなある週末の深夜、自分でもよく覚えてないが運転手に実家の住所を告げていたらしく、気が付くとx万円のタクシー代を立て替えてくれた兄に抱きかかえられて部屋に運ばれていた。それが拙かった。季節は残暑も厳しい頃。Tシャツにハーフパンツ姿の兄に「おんぶ」された時、その密着感と体温から猛烈、いや激烈な感覚が体を駆け巡った。「これだあああ!!!!」と。「ここにいるじゃん!!!!」と。
で、その夜のうちに兄と関係を持った。
「こうでもしないと自分はダメになってしまう」「私のためだと思って」「誰にもしゃべらなければいい。死ぬまで秘密にするから」「一回だけでいいから」「入れなくていい。ただ抱き合うだけでいいから」と、泣きじゃくる私に兄が折れる頃には夜が明けていた。人倫に反する事だという自覚は微塵も無かった。シャワーも「カラスの行水」同然に済ませ、兄のTシャツとトランクスをはぎ取り、ひたすら兄との密着感を貪った。
入れなくていいという言葉で無理矢理妥協させた兄ではあったが、そんな約束最初から守る気など自分には全くなかった。兄は割と本気で抵抗したが、半分本気半分演技の涙でねじ伏せた。
数ヶ月ぶりのセックスはただただ気持ちよかった。勿論自慰はやってたけど、物の数に入らない位によかった。「脳味噌が痺れる」というのはまさにこれの事かと。途中で何回ヨダレを兄のTシャツでぬぐった事か。
事後、兄は私の頭を撫でていた。どんな顔をしていたかは、何となく見れなかった。
ちなみに実家で兄と同居している両親(というか、兄「が」両親と同居しているのだが)は一階の寝室で寝入っており、二階の兄の部屋とは比較的離れていたので気づかれずに済んだ。
私は同じ二階の元の自分の部屋へ行き、押し入れに仕舞われた布団を引っ張り出して裸のままひっくり返った。しばらくして、兄が私の服とバッグを持ってきてくれた。
両親には、「仕事が行き詰まって精神的にきつくなってホームシックになった」と説明した。実際そうだったし、ひたすら仕事の愚痴をこぼし続けたので、両親も疑わなかった。父は一人娘の突然の帰郷に気をよくして「今日も泊まっていけ」と言ってくれた。二日目の夜は、兄は早々に寝てしまっていた。それが兄なりの拒絶の意志表示なのだと私は察した。
日曜の夕方、兄が車で最寄りの駅まで送ってくれた。道中、私たちは一言も喋らなかった。駅に着いて、「まあ、無理すんなよ」と兄が言うと、私は「ごめん、ありがと」と言い残して帰路に就いた。少なくともこのときまでは、自分はこの一度きりで終わらせるつもりではいた。
兄とのセックスの効果は絶大だった。自分のミスは激減し、相手のミスを許す余裕も生まれた。何より、兄との行為を反芻しながら自宅でする自慰が、その効果をより長く持たせてくれた。夜もぐっすり眠れるようになり、肌の荒れも目に見えて解消していった。
が、それが永久に続くわけでもなく、2ヶ月も経つ頃にはその効果は薄れつつあった。これは拙い。また「補給」しないと。そう思った時には既に携帯で兄に電話していた。
そして、何だかんだでなし崩し的に、兄と一ヶ月に一、二度セックスするようになった。両親にばれるわけにもいかず、また私のアパートの住民達にも、兄を彼氏だと認識されたりしたら万が一の場合も考えられるので、ムラッと来た時はアパートと実家の中間の駅に兄を呼び出し最寄りのホテルに直行、そして数時間後に別れる、という流れだった。勿論ホテル代その他諸々の費用は全部私持ちで(兄は自分が出すと言っていたが私が拒んだ)。
今冷静に振り返ってみても、相当に人の道を踏み外してるなとしみじみ思う。あの頃は自分が気持ちよくなる事しか考えてなかった。兄に対しても、あれでも一応男なんだから別に損はしてないはずだと自分勝手に思い込んでいた。セックス自体も完全に受け身で、兄に何かをしてあげようという発想すら無かった。
けれど旦那(になる人)とつきあい始めて、本気で結婚を考え始めた頃になって、「ああ、私はこの人に絶対に言えない秘密を抱えて一生過ごすのか」とか「私をこんなに信頼してくれているこの人を、自分は一生だまし続けて生きていかなければならないのか」という事に気づいてしまい、また兄にも同じ業を背負わせてしまった事を深く後悔し、何となくそれ以後自分で兄を遠ざけてしまった。自分の結婚式でも目を合わせずじまい。実の兄の体を求める度胸はあったくせに、謝罪する勇気は私にはなかった。今思えば最低な卑怯者だな。
そうやって実家自体とも疎遠になった頃、兄から結婚式の招待状が届いた。届いたその日の夜、兄の携帯から電話が鳴った。思わず電話に出た。兄は陽気な声で「お、元気?」と。私はその場で泣き出し、何度も謝った。兄は「お前も旦那とうまくやれてるみたいだし、俺もようやく人並みに落ち着けるし、お前が苦しむ事はもう何も無いだろ」と言ってくれた。
別に落ちも何も無い。兄との関係は今も旦那には黙ったままだし、兄との肉体関係もそれ以後全く無い。ただ、あのとき兄が自分を受け入れてくれたからこそ、今の自分があるんだろう。匿名で吐き出せる程度にはなれたのでここに書く。
発射もされなかった
コーチはサラダ油かなにかを使ったらしく、大量に腸内に入れられたようだった
誇張して覚えているかもしれないが、帰り道に油が肛門から垂れ流しで気持ち悪かったのを覚えてる
遅刻が多いから後で残るようにと言われてコーチと二人きりになった末のことだった
平成生まれだし怒鳴られることはあっても体罰は受けたことがなかった
でも知識として、お尻ペンペンの存在、その際に脱ぐこともあるとも何故か知っていた
何発か手じゃなく、多分冊子を丸めたもので叩かれた後で肛門をいじられた
なんだろうと思ったが不思議と抵抗はせず罰の延長と思ったままレイプされた
特に口止めもされずそのまま帰された
家には、泥だらけで帰ったら裏口から入って、シューズなど汚いものを洗う専用の洗濯機に汚れた服を突っ込み
パンツ一丁でリビングを横断してる時も油が垂れてて気づかれないかスリリングだった
それまで気づかなかったが、肛門に傷が入っていて洗うと痛かった
でも耐え難い激痛ではなかったし、寒いので湯船に浸かった
1週間経たないぐらいで親に病院に連れて行かれた
理由は言われず、その年は出てなかったと思うがたまに冬季喘息があったのでそれかなと思った
親は俺がレイプされたことを何故か察していたらしくその検査だった
コーチのやったことは何か良からぬことではないかというぼんやりした問題意識はあったので素直に全部話した
多分警察の人だったのか、日を分けて何人かの人に同じことを話した
親は別に泣いたり怒ったりなどせずいつもと変わらない態度だった
野球には行かなくなった
気になってコーチの名前で検索したが特に出てこなかったので事件になっていないようだ
中学生になり野球ではない部活に入ったら、かつての他校の野球仲間が先輩にいた
コーチはホモで小6に手出して辞めさせられたんだぞと先輩は面白話のように話してきた
俺のことは知られてなかったのか、俺がいないところで噂されてたのか
俺一人だけがレイプされて伝播するにつれて小6ということになったのか、何人もレイプされたのか
物理的傷はとっくになく、心理的傷も大してないが、コーチの犯行の全容は気になっている
今更親に聞くのもなあー
小さい頃から自分の二面性というか、「どうしようもなくキレやすく、暴力を振るう時期」と「人生に対して完全に悲観的になってしまう時期」があることを自覚していた。
感情コントロールで非常に苦しんだ。安直に「どうにかしてこいつを殴りたい」と思ったことは数え切れない。もちろん行動には移さない。それくらいの社会性はある。
母親も祖母も「躁」のときはキレまくっていたし、散財しては父親に怒られていた。とにかく元気でハキハキと仕事をこなすのだが、一旦怒らせると自室のものを全て壊された。
「鬱」のときはまた別の地獄が家庭に漂った。料理も育児も全部放棄。家にいると陰鬱が移るから、友達のいるところへ逃げ込んだ。
自分は二人の様子を見て「こうはなるまい」と中学生時に決意した。以降、明確な人間関係のトラブルや、差し迫る危機などには縁がない。
が、薄氷を渡り続けている。イライラしたらオンラインショッピングで数十万円分の買い物をする。それがパートナーにキレる前のストッパーとして機能している。どうしようもなく鬱な場合、隙があればすぐに死んでしまうような気がして、救急外来のグロテスクな密着番組を見る。死は常に自分の隣に存在する。躁フェーズでは死は丁寧にマスキングされる。
ジェットコースターという例えは言い得て妙だ。「人生ってこんなに素晴らしい」と涙を流した数ヶ月後には「死にたい」という気持ちにどっぷりと浸かっている。自分の人生は忙しい。躁であれば数日徹夜で記事を書けるし、執筆後のフルタイム労働だって楽勝だ。鬱になると全然ダメだ。仕事が終わったらベッドに直行、そうしなければ死んでしまう。双極症の自殺リスクはうつ病のひとより結構高いらしい。それはそうだと思う。どちらに感情が揺れ動いていたとしても、自分にとって「死」は階段を一歩駆け上がるよりフランクな行為だ。ただ痛いのだけが嫌だから後回しにしている。
鬱から躁へ動く瞬間は天国にのぼるくらい気持ちいい。シャブをやったことはないが、それに似たような気持ちだと思う。躁から鬱は地獄だ。文字通り立ち上がれなくなる。まともに職業をやれているのは逆説的に「このレールを外れたら死ぬ」と思い込んでいるからだ。
先ほどちょうど躁転の瞬間があった。今日という今日まで人生というものに飽き飽きしており、いつどのように死ぬかを考え、遺書を3通したためていたが、今は何と、将来の輝かしい未来ばかりが脳内を駆け巡っている。だから慰みにこんな文章を書いている。
自分はおそらく長くは生きていられないだろう。一ヶ月前は全てが灰色がかって見えた。大切にしてくれる友人やパートナーや家族といった有機体を凌駕する「脳内物質に振り回される自分の滑稽さ」と「永遠に続く単振動の苦しみ」がそこにはあって、逃れる方法はただひとつだ。自分はきっと(多分ひとより短い)一生の大部分をこの病気に振り回されて終わるのだろう。ラピッドサイクラー型に有効な治療法は少ない。
だが、少しは粘ってみるのだ。
双極性障害は「双極症」に名前が変わった。だからどうということでもないが、毎日這いつくばって、延々と続く日常にしがみついて、双極症の世界を生きている自分にとって、少しだけありがたく思う。
2000円ちょいくらいまで値下がりしてて買おうか迷ってたからちょうどよかった
そんで買わなくてよかったと思った
それでもクリアしたのは90人中たった8人
やめやめwww
自分の行動によって歴史のIFが楽しめたり、キャラ独自の話があるならまだしも、全然ねーからなあ・・・
爽快感もないし
フォトモードあるのにとるきにならない汚さってひどいよ
これまで無双でキャラはとりたくなっても景色とかがきれいとかおもったことねーし
これなくていままでどおり衝車がドアぶちやぶるイベント待つ必要あったりとかだったらもう絶対ダメだった
オープンワールドにするってことだけをがんばりすぎて肝心の無双らしさとかファンがもとめてるキャラゲーっぽさをないがしろにした駄作ですわ
武器もどんどん強いのでてくるのがこれまで楽しかったのに、武器を拾えなくて自分でつくらないといけないからめんどすぎて1回も作ってない
dlc?かなんかの攻撃力300くらいのやつを誰にでも装備させてた
無双おろち3もクソだったし、戦国無双5もクソだったし、無双はもうダメなんかなあ・・・
さーてよーやくスターオーシャン6やるかなー
今年中に終わるかなー
ヘルシオはメンテが結構面倒なのでズボラ家電ではないし、かといって高いだけのオシャレ家電でもない。ちゃんとしたヘルシオのススメを書こうとしたが、私もろくな使い方してなかった。
カルニータスを作るときにラードが必要なんだけど、豚脂からラード作ると油かすが出る。そのままだと油が染み込み過ぎてて直食いはあまりにもキツい。ザルに上げといてもすぐ冷めてシミシミは解除できない。で、ヘルシオの出番。天板に角ザル受けられるトレイに角ザルと肉かすのっけてサックリあたため(自動機能)。ちゃんと油が抜ける。トレイに油が溜まるので、カルニータスに突っ込んで無駄にならない。
カルニータス作ると当然ながら動物性の油脂がついた調理器具が出るわけで、それを食洗機直行して下水に流したら大迷惑。普通にグリストラップが詰まるのでやっちゃだめよ。お湯で溶かしてボロ布に吸わせるのが常套手段だが、水びたびたの状態で可燃ごみに突っ込むのにはちょっと抵抗がある。調理器具と濡れ布巾をおまかせ蒸し(適当なタイミングで止める)でだいたい拭って布ごとポイ。あとは食洗機でよい。
魚系のキワキワを狙う低温調理をやる場合、調理器具からも菌をできるだけ減らさなきゃならん。ヘルシオには除菌機能があって熱消毒と乾燥までやってくれるので、大変良い。本来は哺乳瓶等用で異常独身男性には無関係な機能って思ってたけど、こういう使い方もある。最上位機種にしかない。型落ちでいいから最上位機種買ったほうがいい。普通の調理でも、最上位機種なら炙り焼き機能で鶏肉つっこんでボタンポチで私くらい上手に焼いてくれる。
これ読んで「欲しい!」って思う奇特な人、結婚しませんか?キッチン作業台と調理器具およびその棚以外の家具がほぼない独身男性です。
俺の大学の同級生もそれで、毎年年末になると連絡を送ってきて、別に頼んだわけじゃ無いのに店の予約とかしてくれてたんだ。
飲み会とかならいつでもできるし、わざわざ年末の忙しくて騒がしい時に行く意味なくない?てずっと思ってた。
でもそいつがすごい熱心だし、そこまでしてくれるならまあつきあってやるかくらいの気持ちで参加してたんだ。
まあ行ったら行ったで、他の元同級生にも会えるし、近況とか聞けて同窓会がわりになるというのは確かにあったから。
きっと落ち込んでるだろうなと思って、たまにはこっちから「今年の忘年会どうする?」ってラインしてみたんだ。
そしたらそいつは「今はそんな気分じゃ無い」って怒りだして。
俺だって他のやつなら気を使ってそんな連絡はしないんだけど、そいつはいつも忘年会ですごい楽しみにしていたから、話をふったら気持ちが明るくなるかなと思っただけなんだけど。
まあもうちょっと様子見た方が良かったのかなと反省はしてたんだけど、そいつは二、三日してから突然忘年会のメンバーのグループチャットに
「20年忘年会の予約係で疲れた。あとはみんなで勝手にやってくれ」的なメッセージを爆弾投稿。
こっちは「は?」って感じだよ。
だって俺は正直行きたくないなと思いながら付き合いで行ってた立場なのに。
他の奴らだって多分そんな感じだよ。
それで返信どうしようかなと迷ってて。
そいつの病気のこととか考えて、本心は言わずに「予約係させて悪かったな。これからは俺も予約手伝うよ」
的なことを社交辞令として言えばいいのか。
でもさあ、ここでそういうふうに言ったらますますそいつが勘違いしてしまうような気もして。
ここははっきり「正直そんなに行きたくなかったけど、お前がすごく熱心だったから、それじゃあ付き合ってやるかぐらいの気持ちだった」と言った方がよいのか。
その方が、もしこれからも長く付き合いを続けていくつもりなら親切なのかなあ。
だって予約係とかいうけど、こっちだって20年付き合わされてきたんだ。
病気とかになってどうするんだろう、見舞いにだっていこうと思っていたのに。
どうしたらいいんだろうな。
安心の住処にたまに出るあいつ、招いてもいないのにいつの間にかどこからか、長い触角を揺らし、ガソリンを塗りたくったような人工的なテカテカの体をもつあの生き物のことを、現代日本で知らない人はまずいないだろう。
一人暮らしの敵、家族で住んでても敵の、Gの呼び名で呼ばれるあれだ。
名前を冠した噴射タイプの殺虫剤、「巣まで皆殺し!」とかいう物騒なキャッチフレーズの置型殺虫剤は広く知れ渡り、恐怖と憎しみを一心に受ける虫だ。
メスのカブトムシやカナブンもほとんど同じ見た目をしているくせに、あの平べったいからだと長い触覚、何より自宅に現れるという点でこれだけ嫌われるというのもなかなか可哀想な話だ。
たしか中学生。夕方頃。いつものようにリビングにいて、ちょっとそこまでと廊下に出たときだった。普段はスリッパを履いているが、ほんの10mの移動だからと一瞬の素足の瞬間だった。
ぐねり
こう表現するのがおそらく一番近い。左足の土踏まずのあたりで何かを踏みつけた。土踏まずの部分は名の通りペッタリと地面を踏む形でなく半円状の空間ができるが、そこに”何か”はベストフィットした。
なんか踏んだな、とは感じたものの、そこまで硬いものではなく重力に従って私の足は踏み降ろされ、その勢いのまま
ずりゅん
”何か”がズレた。
巨峰くらいの大きさの粒から若干水分が抜けて薄くなり、それをまるごと踏みつけてしまった。ズレた感覚は皮から実が押し出されたのだろうと直感的に感じた。それまでの人生で一番近い感覚がぶどうだった。
あってるけど合ってない。
あとはそのまま、足を退けて目に入った明らかに果物とは違う毛の生えた脚に自分でもよくわからない叫び声を上げて垂直に飛び上がった。
叫び声を聞きつけた家族が跳ねる私と事故現場を見て混乱していたが、説明している余裕なんてない。
感覚を振り払いたくてビョンビョンと飛び跳ねながら風呂場に直行し、足裏を風呂掃除用の硬いブラシで力を込めて擦った。おいてあった掃除用洗剤やらアルコールやらをぶっかけて風呂椅子に腰掛けて片足の裏を半泣きで覗き込み、一心不乱にこすり洗いをする姿を自分で俯瞰して、そういう妖怪のようだと一瞬思った。砕けたパーツがくっついていなかったのが不幸中の幸いとでも言うべきか。
気の済むまで洗って風呂を出ると事故現場はもう無かった。聞けば兄が後処理をしてくれたという。「バラバラだったわ〜」とのコメントは余計だが、見なくて済んだのはありがたい。身体部分と羽部分が分離していたといい、つまり、あのときの「ずりゅん」は上から斜めに力が加わったことでソレが分解された感覚だったのだ。ぶどうと思った厚みと感覚の納得感とともにあの類の甲虫を踏むのはぶどうを踏むときに似ているという本当に要らない記憶が残った。
余談だがその後しばらくはひたすらインターネットで同じ体験を検索し、よくあることだと自分を納得させた。調べた中で多かったのは靴の中に潜んでて気づかず踏んでしまうケース。出勤前に勢いよく踏み抜いて「パンッ!」と音とともに弾けさせてしまった人もいた。スリッパの中にいたとの投稿もいくつか見られた。しかし、ネットをいくら探しても私と同じ生足で踏み抜いた人はいなかった。あれはゴキブリの警戒心と人間の迂闊さが合わさった一瞬の奇跡の出来事だったのだ。そんなレアな体験をしたいと頼んだ覚えはないのだが。
無理なお願いとはわかっているが、基本的に警戒心が強く薄べったくて危険からの反応速度が0.11秒とも言われる奴らのくせに、人間が必ず使う箇所に隠れるのはお互いのためにやめていただきたい。こちらも無駄に命を奪ってしまった罪悪感が残り、「力が強すぎてちょっとのことで人間を殺してしまう巨人」の気持ちはきっとこんな感じなのだろう。
以上、ゴキブリを素足で踏んだときの感覚は半乾きのぶどうを踏んだときと同じである。この文章を読んだ方もその感覚を想像してみてもらえると、あの時の私も浮かばれる気がする。
10:30 愛車のポルシェ(1000万円以上)でフレックス出勤。ジーパン姿でホットドック片手に会社の玄関に到着。
10:45 ベルリン支社に早口のドイツ語で米国債300億ドルの売り注文をするように指示
10:50 社員専用のスタバで高級コーヒー。出向中のイギリス人と早口の英語で談笑。
11:30 昼休み。美人OLを連れて健康志向の高級ランチ(@4000円)を食べる。その後出向イギリス人と社員専用のグランドでクリケット対決。
14:30 昼休み終了。外人役員の前で、早口の英語で新しい金融商品のプレゼン。役員は大喝采。
COOLに立ち去るが、部屋を出て資料補助の美人OLとハイタッチ。
15:15 ベルリン支社より、午前の国債取引で40億ドルの利益が出たとの報告メールを確認、小さくガッツポーズ。
それを美人OLが目撃、クスリと笑う。照れ隠しに爽やかなウインクで返す。
それを受け、美人OLから社内メールが届いてた。【タイトル】ばーか(笑)【本文】取引成功おめでと!
15:20 社員専用のスタバへ、キックボードで移動。出向中のドイツ人と談笑。話題は「MBA留学時代の思い出話」
16:00 フレックスなので退社。ポルシェでジムへ直行、みっちり2時間体を鍛える。
18:35 歩いているとでかい水溜り発見。20万のコート水溜りにサッと敷いて「姫、おとうり下さい」。高級ディナー(@35000円)。
20:00 シティホテルのスイートルームで美人OLと濃厚なセクス。
20:03 イキまくってまだ痙攣している美人OLを尻目に、COOLにホテルを出る。
21:20 帰宅。シャワーを浴びて真っ白のバスローブに着替え、片手には高級ワイン。高級葉巻をいっぷく。ひざには黒猫。
21:30 パソコンの電源を付け、仕事スレに「残業おわた たいしにたいしに 発泡酒とコンビニ弁当食う@35歳ハゲ」と書き込み。
22:30 ブランデーグラスと皿を全自動食器洗い機にほうりこむ。仕事スレに「土曜のヘルスだけが楽しみ @35歳ハゲ」と書き込み。
知り合いにも留学先で繋がった友達にも読まれたくないからXでもInstagramでも書けなかったことぶちまける。
留学するまでぼんやり好きな国だった。いつか観光に行きたいと思ってたし、ベトナムの街並みとか写真で見る分には好きだったよ。
でも年末海外で年越しするんだけどベトナムは候補から外してもらった。マジで無理。
人の印象でなんかもうマジで自分の人生に接点持たせたくなくなっちゃった。
寮制で、アジア圏、中東圏、東欧圏からの学生を受け入れてた。専攻全体では日本人は毎期いるか
いないかで、アジア系人口比は中国の次に韓国、ベトナム、タイ、台湾、日本くらいの順。
そういう環境でベトナム人男(けっこうな数)からストーカーされて、寮で逃げ場なくて、勉強しようにもこっそり横だったり後ろだったり座られてキショいLINE送ってくる。
ベトナム人女子に嘘つかせて呼び出す、同じ寮のベトナム人女子に部屋にいるかどうか、何してるか内通させる、他の国の男としゃべってないか見張らせる。
ジトっと視線感じるなと思ったらおもむろに身体に手を伸ばそうとしてくる。拒否ったらキッショい「どうして拒絶するの。僕は傷ついたよ」の旨のクソLINE送ってくる。
ベトナム人女子経由で謎の贈り物を渡してくる。やめてと言ったら何をどう説明したのか教師を経由して渡してくる。
あなたは私の恋人じゃない、行動をどうこう指図するべきじゃない。あなたは私の先生じゃない、私によかれと思って何かを教えようとするな。勝手に私の授業や履修コースを(お前と同じ教室になるよう)変更しようとするな。それを私の周囲に進言するな。
なんかもうハ?ハ?ハ?の連続。
日本人がやれ非モテはコミュニケーション下手だ、やりチー牛がどうだ囃し立てて盛り上がってても、ベトナム人のコミュニケーションにもなってないサルみたいな脳直行動思い出したらチー牛なんてめちゃくちゃ他人を思いやって自分の挙動に迷いが出る(だから端からみるとキョドって見えてしまう)、優しい「人間」だよ。
実のある留学だった、と言い切るには留学中通してベトナム人にされてきたことが不快すぎて思い出にノイズが入るんよ。
男は人間のコミュニケーションができない粘着ストーカー、拒否ったら「自分がいかに傷ついたか思い知らせてやる」タイプの被害妄想過多。女はそういうベトナム人男に日本人を差し出そうとする嘘つき…。
最終的に私が寮出たよ。ベトナム人のいない環境じゃないと安心して留学生活送れなかった。
それだけ書くと留学自体最悪だったみたいに聞こえるけど、ベトナム人が異常だっただけで、私が出会った他の学生達はいい人たちだったよ。
留学生はアジア圏、中東圏、東欧圏から来てて、自然とアジア勢は同郷で固まる。日本人は私1人だったから色んな国の子達に助けられて、本当にありがたかった。
寮出て最初に生活基盤作るのにめちゃくちゃ親身になってくれて、大きな荷物の買い出しのために色んな人に声かけてくれた中国人。コイツ人に頼ることを恥ずかしがってるなって見透かされてたんだと思う。母親みたいに助けてくれてた子が同い年だと知った時びっくりした。恩返しし切れてないくらい助けてもらった。カッコよかった。2人して同じ時期に母国の彼氏と別れたの笑った。
コミュニケーションで困った時に日本語の辞書と英語の辞書持って来てくれて一緒に手続きやっつけてくれた韓国人。あと昔軍で2年間日本語学習官に任官されたっていう韓国人呼んできてくれたとき本当に本当に嬉しかった。母国語で寂しさとか悔しさとか、憤りをぶちまけたかったんだ。それは日本語じゃないと出せなかったんだ。そんなどうしようもない情けない気持ちを異国で日本語で聞いてくれてありがとう。
台湾人の友達ありがとう。留学中いっぱい外に引っ張り出してくれてありがとう。台湾人だけで旅行した方が気楽だったろうに、快く受け入れてくれて、私が同じ状況だったら出来るかな、そうありたいなってずっと思ってた。あなた達がいなかったらずっと寮で留守番してる学生だった。写真フォルダ皆んなでいっぱいにしてくれてありがとう。
中東とかポーランドも含めて、友達を通してそれぞれの母国について知れたことよかったな。
世界地図見た時、中国も韓国も台湾も「あ、友達の国だ」ってなるの。
皆んなの母国語の音の響きが「なんか知らない音」から「なんか知らないけど耳に馴染む音」になったよ。
実体験による印象って本当に強くて……
……それだけにベトナム人への「嫌い」が拭えないんだよな〜〜〜
自戒とか今後に生かすことがあるとすれば、私が留学を機にベトナム人が「嫌い」になったように、日本に留学したことで嫌な思いして「もう日本に関わりたくない」って気持ちで帰国する人もいるだろうってこと、それか留学先で出会った日本人に辟易して「日本ムリ」になる人もいるだろうってとを想像すること。
助けられる立場にいるなら力になること。
私は今後も海外に行くの決まってるから、誰かにとって「留学先で出会った日本人」として見られる自覚を持ち続けること。
……くらい?