はてなキーワード: 目覚まし時計とは
私は幼少期から低血圧で、季節の変わり目や低気圧にも弱い体質である。毎朝目覚まし時計が耳元かつ大音量で鳴り響き、母親に布団をはがされても目が覚めない。意識がはっきりせず時間感覚も希薄なので、毎朝お決まりのように遅刻する。家族や友人、学校の先生など様々な人達には本当に迷惑をかけてきたし、ため息をつかれたり責められたりして毎朝悲しい思いをしていた。自己肯定感が低めであることを社会人になってから自覚したのだが、これは幼少期から続いている「自分の身体をコントロールできないもどかしさ」「寝坊や遅刻に伴う罪悪感」が根底にあると思う。
しかも、どれだけ早寝をしても睡眠時間と身長が伸びるだけだった。こうなると、何が何でも成長したがっていた身体側のバグだとしか思えない。健康優良児かつ問題児である。
職場の上司にも入社直後に相談をした。幼少期から朝起きられないことが悩みであると告げると「気持ちはわかるよ。私も低血圧で朝が苦手なんだ。熱いシャワーを浴びると目が覚めるから、あなたもやってみてね」と笑顔でアドバイスをいただいたのだが、雷に撃たれたかと思うほどの衝撃であった。私はどうやったら意識を取り戻せるのかというレベルの話をしているのであって、「目覚める」の解釈が根本的に違うのだ。あまりにも話が平行線だったので、社会人になってからは平日21時台には布団に入るようになった。なお、それでも社会人2年目までに3度ほど遅刻経験がある。職場の先輩方からは身体を気遣われ、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
私が毎日アラームの音に気がつけるようになったのは、身長が完全に止まった社会人3年目の夏だった。ちょうどその頃、有名大学の起立性調節障害専門の先生とご縁があって「困ったら相談しに来てね」といただいた名刺が今も私のお守りになっている。
これは毎日試行錯誤する中で最近気がついたことなのだが、私が起きるまでには5つくらいの工程があるようだ。
①アラームの音に気がつく→②右目を開く→③両目が見えるようになる→④頭が起きる→⑤身体が起きる
まず、目覚まし時計が聞こえなかった幼少期は①で躓いているので論外である。もはや毎晩失神していたのでは?とすら思っている。
最近の課題は②→③なのだが、同居人に「左目はまだ寝てるの?」と聞かれてようやく、自分が右目から開けていることを自覚した。なぜか左目を開けるのがとんでもなくキツい。試しに動画を撮ってみたら、無理矢理開けた左目が内斜視になっていてびっくりした。その斜視が治るまで10分ほどかかっており、その間に睡魔に負けると二度寝する。しかも、③→④→⑤はスムーズにできる。私にとって、頑張ればよいポイントを見つけられたのはとても革命的だった。
思いつきで書いた文章ではあるが、この記事を読んでいる誰かの気づきになったり、毎朝格闘している同志が見つけられたりしたら非常に嬉しい。
タイトルの通り。私(社会人男性、診断済ADHD)は物心ついてからこの方、朝一人で起きることが全くできない。
正確には、目は覚めているのだがベッドから起き上がることが出来ない。実家暮らしだから毎朝母にどやされて叩き起こされるまでスマホを弄り続けてしまう。
休日は母も起こしに来ないので、朝7時に目が覚めたあと13時すぎにトイレが限界になるまでベッドの上。誇張抜きで休日は毎日これである。
不眠症ではないと思う。いつも11時ごろベッドに入って、12時過ぎに寝付いている。
・目覚まし時計をベッドから手の届かない位置に置く:目覚ましのベルが鳴り響く中スマホから目が離せなかった。
・寝るときスマホを手の届かない位置に置く:「スマホが手元にない」という状況に、何故かこらえ切れないほどの不安感を覚え全く寝付くことが出来ず、深夜三時ごろ限界がきてスマホを取りに行ってしまった。スマホ無しで何とか寝れないかと2週間ほど試してみたが、ものの見事に毎日全く寝付けず。ある日意地になってスマホを取りに行かなかったこともあったが、眠れないまま朝になってしまった。そのまま仕事に行ったが昼間眠すぎて早退した。
・睡眠薬(市販):スマホ無しで睡眠薬に頼ったこともあった。何とか寝付くことはできたが、夜11時に寝て午前2時に目が覚めてしまった。その後は眠れず。
後は病院で処方される強い睡眠薬くらいしか方法が思いつかない。それもずっと飲み続けるわけにもいかないし。
多分私が一人暮らししたら、毎日午後しか出勤できず一瞬でクビになると思う。
どうにか朝起きられるようになりたい。どうしたらいいのか。
「朝目が覚めたらスマホに触れず支度をする」これだけのことがどうしてもできない。
誰か助けて下さい...
タイトルの通り。私(社会人男性、診断済ADHD)は物心ついてからこの方、朝一人で起きることが全くできない。
正確には、目は覚めているのだがベッドから起き上がることが出来ない。実家暮らしだから毎朝母にどやされて叩き起こされるまでスマホを弄り続けてしまう。
休日は母も起こしに来ないので、朝7時に目が覚めたあと13時すぎにトイレが限界になるまでベッドの上。誇張抜きで休日は毎日これである。
不眠症ではないと思う。いつも11時ごろベッドに入って、12時過ぎに寝付いている。
・目覚まし時計をベッドから手の届かない位置に置く:目覚ましのベルが鳴り響く中スマホから目が離せなかった。
・寝るときスマホを手の届かない位置に置く:「スマホが手元にない」という状況に、何故かこらえ切れないほどの不安感を覚え全く寝付くことが出来ず、深夜三時ごろ限界がきてスマホを取りに行ってしまった。スマホ無しで何とか寝れないかと2週間ほど試してみたが、ものの見事に毎日全く寝付けず。ある日意地になってスマホを取りに行かなかったこともあったが、眠れないまま朝になってしまった。そのまま仕事に行ったが昼間眠すぎて早退した。
・睡眠薬(市販):スマホ無しで睡眠薬に頼ったこともあった。何とか寝付くことはできたが、夜11時に寝て午前2時に目が覚めてしまった。その後は眠れず。
後は病院で処方される強い睡眠薬くらいしか方法が思いつかない。それもずっと飲み続けるわけにもいかないし。
多分私が一人暮らししたら、毎日午後しか出勤できず一瞬でクビになると思う。
どうにか朝起きられるようになりたい。どうしたらいいんだろう。
誰かアドバイス下さい。
春頃に行ってきて時間が経った今でもかなり行って良かったと思ってるヴィパッサナー瞑想。
スピリチュアルを舐めきっている俺でも結局今のところかなり生活に役立っていて、瞑想自体もサボりつつなんやかんや続けています。
で、基本的に「行くときに持っていく持ち物ハウトゥー」なんかは公式から連絡があったりするのですが、10日間の合宿ともなると快適な住環境が必要になるわけで・・・
改めて後学のため・備忘録としてネットに残しておこうと筆を取った次第です。
(というか、「自主的に持っていくと良いもの」みたいな記事っていろんなスピ系のサイトなりアフィブログなりがネット上に無限にあるんですが、マジで内容スピリチュアルに偏りすぎていたり、
個人的に「これいらね~」「これ書いといてよ~」「ビュー数稼ぎで中身無いやんカスアフィブログが……」「現在は施設が改善してるから要らなそう」みたいなやつが結構あったので、そんな痒いところに届くような内容を残しておきたいなと)
千葉のダンマーディッチャでは環境等が異なり必要なものも異なる可能性が高いです。あくまで参考程度に。
では、以下それぞれの詳細
かさばるから持っていくかギリギリまで悩んだけど、本当に持っていって良かったです。
普段Vtuberみたり友達と朝までDiscordばかりの私からしたら、慣れない環境での早寝早起き自体がシンプルに難しかったです。
もし枕が頭に合わなかったらより絶望的だったと思う。
ちなみに京都ダンマバーヌの枕はパイプ枕でした。普段パイプ枕の人であれば不要かも。
同室の二人がマジでイビキと寝言がやばかったのであってよかった。
他の部屋は寝言や独り言ヤバい奴が居て大変そうにしてる参加者もいました。
これもかさばるのでギリギリまで悩みましたが、最終的には持っていって良かったです。
普段の生活では「1時間微動だにせず座り続ける」なんてことが無いので「クッションとかいらないでしょ」と思っていたのですが、
人間1時間も座り続けると、どんな体勢であれ体は痺れるし、痛みも激痛に変わっていきます。
マジでどんなに崩しても超痛い。むしろ崩せば崩すほど、時間経過とともに体中が痛くなる。
瞑想中は体の正中線を意識して、背筋を伸ばして座り続けるのが最終的にはマシな体勢でした。
この体勢の維持 + 痛み軽減におしりの下に敷くクッションが大活躍してくれました。
瞑想センター自体にもクッションや座布団等があるのですが、数に限りがあります。
個人的には使ってない枕やクッションとかでも良いので、持参するものがあると便利だなと思いました。
僕は家に余ってたゆるめの低反発枕を持っていきました。
大活躍。センター常備のココナッツ洗剤はイマイチ洗浄力が弱く、シャワーにやや時間がかかります。
シャワールームを利用できる時間には限りがあるので、旅行用のシャンプーで10分前後でガーッ!!っと短時間で洗うのがおすすめ。
大活躍。すぐ乾くので朝の洗顔・夜のシャワーで使う→干す で、なんと期間中1枚で乗り越えられた。
雨が降っても速乾ならそんなに問題なし。2~3枚あればもっと余裕かつ快適。
マジで大活躍700mlもあるとごくごく飲んでも中々減らない。
くしゃみや気温差による鼻水などが多く、人より消費量が多い自信があったので、箱ティッシュを2箱持っていったがマジで大正解。
6日目で1箱終わってちょうどぐらいの感じでした。
合宿場のティッシュは共同なので気にせず使いたいという人は持っていくのをオススメします。
必須。トイレやシャワールームと散歩できるスペースは外にあるため、クロックスが大活躍。
「土でドロドロになるから、アウトドア用の靴が良いかも」みたいな記事も見かけたけどそんなんいらんかったわ。しまむらとかの雑クロックスもどきで十分。
髭剃り、歯ブラシ、シャンプーを洗面所(シャワールーム)の棚に置いておける。
個人的にはひげがない方が瞑想しやすかったので、普段使いのシェーバーを持っていって正解だった。
マスクに匂いがついたりすると、瞑想時に気を散らす原因になる。
換えを使いやすいように1日1枚ずつ計算で持っていって正解でした。
家に余ってたコールマンの一体型のセット+セリアで買った箸スプーンフォークが1ケースに収まるものを持っていきました。
そば、炒めもの、パスタ、ご飯、味噌汁等が出るので「器、器、皿、コップ」の4つが同時に使えるようなセットがあると便利でした。
ホコリ防止+自分のスペースをわかりやすくするためにも適当なバンダナとかをかけておくのがちょうど良かったです。
瞑想センターからの連絡では「3~4枚」と書かれていたが、個人的には1~2枚でも良かったなと言う印象。
瞑想期間中、基本的には頭痛薬・サプリメント・精力剤・カフェイン錠剤などを含むお薬の使用を非推奨としています。
とは言え、持病がある方や偏頭痛持ちの人など「どうしても無理」となってしまう状況もあるかと思います。
そんな場合に向け
○お薬は一応持っていっておく
○コース開始時のスマホと貴重品を預けるタイミングで一緒にマネージャーに預けておき、どうしても駄目なときにだけ取り出す
という形を私はおすすめしたいと思います。(10日間の修行に挑むために予め懸念事項を減らしておくことは特に大切と感じました)
鼻炎が他の人の集中の妨げになりそうだったので、一度アレルギーの薬はもらった記憶あり。
枕などかさばるものを持っていったので、収納下手な私にとってはかなり大活躍。
「肌の露出が多い服は他の参加者の集中の妨げになるので避けてください」と注意文があります。
私はこれを女性向けの注意事項かと思って、丈が長い半ズボンばかりを持っていってしまいました。大失敗。
ジャージパンツやスウェットパンツをもっと持っていけばよかったです。
「男をエロいと思うとか無いっしょ」って思ってましたが、人間10日もシコらず修行させられ続けると、ヤバイ、煩悩の均衡が少しの衝撃で崩れそうな状態にまで行きます。
本当に気が散りますしまた他参加者の迷惑にもなりますので、なるべく長ズボンを多く持っていきましょう。
ちなみに、私の行ったコースでは「寝るとき(且つ公共の場所にいかないのであれば)寝苦しくないように半ズボンOK」と最初のイントロダクション時に回答を得れました。寝やすくてめっちゃ助かった……。
京都の瞑想センターは山奥のため気温差が本当に激しかったです。
ヒートテックも半袖も足りなくて困りました。
あと着脱しやすい上着も持っていったら便利です(ユニクロGUあたりのジップアップパーカーとかカーディガンとかオススメ)
昼間は半袖、夜はヒートテック+厚着なんてこともしばしば。たまたま持っていたネックウォーマーは大活躍してくれました。
朝は鐘がなるし、「チープカシオの目覚まし機能もあるからいけるっしょ~」って思ってたらマジで起きれない日ばかりでした。
起こしてくれたコースマネージャー(管理人)さん本当にありがとう・・・寝起きに自信の無い方は小さいもので良いので目覚まし時計を持っておくと良いです。
持ち物の準備に悩む方も多いかと思います。そんな方の一助になれば幸いです。
あとついでにスピ系のブログの内容がスピリチュアルに傾きすぎて俗なレポートが無く、
なんかムカついたので、一般Vtuberオタクっぽい経験談を適当に置いておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=zjz_EnV6wNA
広瀬香美が最後まで生き残ってずっと集中をかき乱してきてマジで最悪でした。
https://www.youtube.com/watch?v=UfEIharoOH0
私はいわゆる発達障害で、今まで遅刻やミスの多さ、コミュ力の無さ、仕事中の居眠りなどで何ヵ所もの職場で首になってきた
何処の職場でもミスを怒られると萎縮し、それでまたミスが増えるという繰り返し。
居眠りしないようにしようとすると余計に眠くなるし、眠気覚ましのために立ったりストレッチをしようとしただけで怒られて首になっていた
精神科に行って薬も飲んでたけれど、不眠も過眠も遅刻もミスも全く減らなかった
そのためいつも2週間だの3ヶ月だのの超短期で首を切られる事の繰り返し。
でも、今の職場(クローズドで就業)は環境が非常にゆるいおかげで、自分には珍しく3年以上続いている
「作業が終わったら好きにしてていいよ」と言われ、暇な時にはスマホを弄っていても怒られない
あと仕事中にあちこち動き回ったり、別の部屋を訪ねておしゃべりをしても許される空気があって凄くやりやすい
仕事に関係のない話をしたりしても、結果を出していればうるさく言われないというか…凄くやりやすい
眠くなったら立ち上がって自由に歩いたり出来るおかげで居眠りもあんまりしなくなったし
たまにうとうとしてても特に怒られない
大体さー、医療情報とかだと座りっぱなしはよくない(立ちっぱなしもよくないらしい)ってあんなに言われるのに
どうして現実の生活だと仕事中は常に同じ姿勢でずっと立ってるか座っているかしなきゃいけないの……こんなのって絶対におかしいよ!「発達障害」でなくとも身体を壊すっつーの!
今までの職場は辛かった…本当に辛かった…
仕事中に立ち上がってストレッチをしても許される職場に来て、身体的に格段に楽になった
ミスについても「気にしなくていいよ」と言ってくれて、そのおかげか時間が経つにつれてかなり減っていった
一応、研究者として優秀だと誉められたりもするし、
皆さん高学歴で余裕があるからなのかそんなあからさまに意地悪な人はおらず、人間関係的にも過ごしやすい
まぁ辛い事は勿論いっぱいあるし、事あるごとにいい年した独身女の自分は底辺なのを感じて落ち込むけれど
つまり発達障害でコミュ障の無能な女でも、寛容で優しい職場であれば何とか働けるんだよ。大切なのは環境だと思う
でもねー、残念ながら期間雇用なんだよねー
それから、それまで使っていた紙の手帳に加えGoogleカレンダーを用いるようになった事でプライベートでも遅刻はかなり減った
前もって予定を入れておけばリマインドしてくれるので、忘れやすい自分でも何とかなってる
スマホのアラームの細かい時刻設定やスヌーズ機能も普通の目覚まし時計に比べて格段に便利
「発達障害」に必要なのってどう考えても、ゆるくて寛容な職場環境と便利なツールであって薬ではないよなーと思う。近視には眼鏡を、足が不自由なら車椅子を使うのと同じように。
創価中高ですごした増田(https://anond.hatelabo.jp/20220714094742)に触発されて。
今のわたしのように、たとえ大人になってから学会活動をやらなかったとしても、親の庇護下・監督下にあり、人間として成長段階でもある、幼少期・思春期・青年期前半くらいまでを「二世」として過ごすって、人生経験の中で結構なインパクトがある出来事のような気がする。
たまに誰かに話したいな~とか思うけど、世間的な見られ方から、「私親が学会で~」っていうのはいまだに言いづらく、そこでどんな活動をしていたかというのは周囲の非学会員には一切話したことがない。
増田になら…と改めて思ったので、書いておこうと思う。
うちは最初に母が入って、父が母につられて入ったという感じで、活動に熱心なのは母だった。
父は言われて新聞配達してたくらいで、仏壇の前に座るとかそういうことは一切しないライト会員。
私は生まれた翌年の桃の節句の日に入会した。0歳なのでもちろん自発的な悟りとか目覚めとか釈迦みたいなことではなく、親に勝手に入れられた。
このシステムがまずすごいよなと思う。自発的な意思が芽生えないうちから新興宗教に入会って人権的蹂躙っちゃそうだろという気がする。
入会日を桃の節句にあわせたのは女の子だったからだそうです(シンプルな理由)
私自身に学会員の自覚はなかったが、母はバリバリに活動していた。会合なんかにも連れられて行っていた。
地域の役員…地区部長とか? 的な人の家でやるやつと、文化会館といわれる宗教施設でやるやつ、どっちにも連れていかれていたが何の集まりかは全然わかってなかった。
人がたくさん集まってて、同年代の子どももいる集いにつれていかれ、後ろのほうで遊んだり絵本よんだりしてるくらいの感じ。
ちなみにこのころは、まだ学会は日蓮正宗に破門されていなかったので、普通に七五三等で日蓮正宗のお寺にも行っていた。
戦前戦後の墨塗教科書感があり、当時ですらちょっと「え? もうお寺にいかないの…なんで…?」ってなってた。
母が地区の役職についたようで、低学年のころから自宅が週2くらいある会合の会場になった。
家が創価学会の会合の会場になるとか、もしかしたらかなりヘビーな悲劇の二世体験のように思われるかもしれないが、実際にはに集まった大人の人らにかわいがってもらったりおしゃべりしてもらったり、同世代の子どもと楽しく遊んだりという記憶でしかない。
家に人がたくさん来るのがシンプルに楽しいので、自分から会合の場にいることが多かった。
嫌だな~と思ったことはなかった。日常風景みたいな。でもそれは小さかったからで、多感な時期からそうなってたら絶対嫌だったと思う。
会合の最初にみんなで法華経方便品自我偈をとなえたあと、唱題する。
低学年のころ、その方便品の教本(勤行要典という)をみて、会合に来た大人たちに「これは外国の言葉なのか? 何が書いてあるのか?」ときいて困らせた記憶がある。ひらがながふってあるので音だけは読めたが意味不明すぎて…。
あと、会合してる裏で、当時家で飼ってた猫が産気づき、私が猫にかぶりつきで「がんばれー! もう少し!」とかでっかい声ではげましていたので、隣の部屋で会合中の大人らはこっちが気になってしかたなかったらしいということがあった。
会合・座談会の内容は、『大百蓮華』(日蓮の残した著作(まとめて御書とよばれる)の抜粋がのってる会合用のテキスト。月刊)の勉強とか体験発表とか、今思っても穏当な感じだったなと思う。
家で歌われまくってたのと、中学くらいまで学会歌のオルゴール目覚まし時計(なんかの記念品)で起床していたので、今だにメロディーの一部をおぼえている。
https://www.youtube.com/watch?v=Z5ydB2Onbo8
朝この曲で起きてました。奇特すぎ。
役職についてる人がいるとはいえ、子どもの目には会員同士の関係はあくまでフラットな感じに見えていた。
今もあるのかしらないが、当時、学会二世キッズは、学会がやってる合唱団にさそわれることがあった。
しかしこれは入会時とちがい、親に強制的に入れられたのではない。
母に「やってみる?」ときかれたので、そのころウィーン少年合唱団にあこがれていたというただそれだけの理由で「やってみるわ」と答えた次第。
ウィーン少年合唱団にあこがれてなかったらたぶんやんなかったし、やんないならやんないで母は何も言わなかったと思う。
一応入団に際してオーディション的な歌唱テストもあったが、そこで音痴だったら落ちるのかっていうのはわからないし、多分そんなことないんじゃないだろうか。
入ってみたら、多分毎週ではなかったと思う駆れども、日曜日に文化会館で指導があった。
指導は学校で音楽教師してる等、歌舞音曲の心得のある会員が、おそらく無報酬でやっていて、学会歌ではなく一般的な合唱曲の練習をしていた。
「たんぽぽ」(どんな花よりたんぽぽの花をあなたに贈りましょう♪)にここで初めて出会って、なんて素敵な曲なんだろう、情景が目に浮かぶぜ…とめっちゃ感動したのはいい思い出の一つで、いまだにとても好きな歌。でもタンポポは別にいらない…。
小学校が違う気の合う友達もできたし、先生の一人が若めのイケメンだったので合唱団は楽しみだった。
創価中高の増田も似たニュアンスのことを言ってたが、池ちゃんは外国の歴史上の偉人をリスペクトしがちで、それが関係してるのかしらないけど、ある日突然第九…大晦日に歌うあれを練習しますーってなった。
小学生ながらに「フロイデーシェーネルゲッテルフルケン」とかって一生懸命練習したよね…。
なんのためにやってたかというと、当時、学会がヤフド(当時は福岡ドーム)を貸し切って、そこで池ちゃんがやってくる大規模な記念式典をやることになってて、そこに九州ブロック? のみんながあつまって第九合唱する…みたいな話になってたので、そのため。
このときの練習は普段の練習の20倍くらい気合が入っていて、池ちゃんが来ることの重み・貴重さ、池ちゃんの前で歌を披露できることがどんなに名誉かをめっちゃ説かれた記憶がある。
あと、合唱のほかにも「夢や目標をもったら、それがかなうように唱題(お題目を唱える)を一生懸命やりましょう」的な指導があったのだが「でもお題目を唱えるだけではだめ。目標をかなえるためには、そのための努力もかかせない。努力に加えてお題目も唱える。どっちかだけでは意味がない」ということを先生が言っていたのを今でも覚えている。
今の私は別に努力だけでいいだろと思うが、現世利益志向の宗教として、特段変な教えじゃないよなってのは思う。
なんの催しか忘れちゃったんだけど、発表会のために合唱団員の何人かからダンスするメンバーを選ぶってことがあって、私は踊りとかドへたくそなのになぜか立候補。
練習時点でグダグダの踊りを披露してたんだけど、そのとき「自分でやるっていったんだから、責任もってしっかりやろう」という、もはや信仰とかなんも関係ない普通のダメだし(指導)受けたのも印象に残っている。
学会二世には「選挙は祭り」って感覚持ってる人がいるんじゃないかと思う。
実際祭りだし、会員はその時期になると手弁当で友人知人宅を突撃し、候補者のビラをわたして投票のお願いをしていた。電凸とかじゃなくて、家凸。やば。電凸もしてました。
でも不思議なことに、母って、当時凸ってた相手と絶縁どころかいまだに仲いいし、最近できた非会員の友達(母はめちゃくちゃ社交的で友達が多い)に対しても、投票日に投票所に連行する「連れ出し」とか平気でやってるのに、不思議と嫌われてる様子もない。こないだ連れ出し被害食らった人と母と私の3人で飲んだくらい。
私は自分の友達に同じことやったら絶対ドン引きされて絶縁されるだろうなと思うんだけど。このへんは世代感覚なのか、母のキャラゆえなのか、いまだによくわからないところ。
とにかく私は同じことはできないし、したくもないし、そもそも公明党には投票してない。
話がそれたが、当時の家凸は、同じ地区の会員同士で車とかに乗り合わせて回ることがおおくて、子どもの私も車に同乗していた。
完全にお出かけドライブ気分だし、乗り合わせする家の同世代の子とかも来るので、普通に楽しんでついてってた。
あと、当時は親のやってることや信じてることを当然に受け入れていたので、乗り合わせた子といっしょに、信号停止中、後部座席からリアガラスに候補者のチラシを掲げて、後続車にアピったりしていた。
若いカップルがにこにこ笑って、オッケーマーク出してくれたの未だに覚えてる。向こうは覚えてるかなあ。
今おもえばひたすらめちゃくちゃ寛容な人たちだ…それか会員だったのか?
小学生のころから国語と社会(歴史)が好きだったんだけども、中学生になると古文の授業がはじまり、日本史の分量も増えたこともあり、その分野への興味関心は増していった。
母の蔵書である古典文学全集や解説書、文学系文化財の図録本などを開くのが大好きで、たのしみな時間だった。
円地文子が清少納言と枕草子を解説している文章のリリカルかつキリリとした美しさに感銘を受けた。
腐女子としての目覚めとこじらせも発生していて、その脳のままに平家物語の現代語訳を読んで、平経正と守覚法親王の関係(都落ちに際して琵琶返しにいくあれ)に爆萌え。
絶対修学旅行では仁和寺に行きたい!! って心に決めて実際行ったり、数多のいにしえの物語や随筆の舞台になった京都、その登場人物である彼女ら彼らが参詣し今も残っている古寺への興味がすごく高まった時期だった。
しかし学会員は寺とか神社とかを蛇蝎のごとく嫌っており、母もそういうメンタルだったので、京都や、京都に限らず、寺や神社に積極的に行きたがる私との間でちょっと揉めた。
寺や神社を頭ごなしに否定する学会員の在り方に疑問が芽生えてきたのもこのころだった。
教本には、勤行の最後には「諸天善神のおんために」祈ると書いてあり、ご本尊にも「南無妙法蓮華経」の字のまわりに、いろんな神様の名前が書いてあるのに謎すぎる。
(ちなみに改定が入った現在の教本では諸天善神のおんために、部分は割愛されてるらしい。祈れよ)
私は母に、はるか昔から善男善女が祈ってきた場がそんなに悪い場所であるとはどうしても思えない。貴重な文化遺産、歴史の息吹を感じさせるすてきな場所だとしか思えない。そんなに嫌うなんておかしい、というような趣旨のことを懸命に訴えた。
訴えられない、訴えても聞き入れてもらえない学会の家の子もいたのかもしれないけど、私の母はそういうタイプでもなく、私の考え方や言動によって、寺や神社への抵抗感は薄れたといっていた。
そんなわけで、母とはのちに一緒に京都旅行を何度もすることになったし、そんなときには寺や神社にも普通に詣でた。
世間一般は学会に偏見をもっているんだなあ…ということを知ったのもこのころだった。
中学の友達が立正佼成会で、呼び出されて逆折伏されそうになるっていう出来事もあってしんどかった。そして世間からしたらどっちもどっち。
政教分離的なところでも疑問が生じてきて、もやもやすることが増えてきた。
でも学会は小さなころから当たり前に傍らにあるもので、うちは別に多額の献金とかで破産してるわけでもなければ、活動で生活が破綻してるわけでもない。どころかその時点で、楽しい思い出がいっぱいあった。
(今もって)学会の一側面しか知らないにもかかわらず「世間で決めつけられてるような団体じゃないのに…」というジレンマを感じていた。世間で決めつけられてるからには理由があるだろうに…。
ちなみに、法華経の方便品は一体何を言ってるのか? という低学年のころ解消されなかった謎は中学生の時まで続き、ミネルヴァ書房から出てた法華経の日本語訳を読んで解消した。(文化会館の、数珠とかうってるグッズ売り場で普通に買えた)
読んで「シャリホツ!(なるほど!)」みたいな感じあった。(?)
日本語として何を言っているのか? という謎は解消したが、内容は中学生には難しい部分も多く、あまり心に響くことはなかった。
教学試験について説明すると長くなるので省く(説明はここ: https://www.sokanet.jp/kaiin/news/2022070101302/)けど、リンク先にもあるとおり、中学生になると、先述の「御書」やなんやから出題される試験を受けることになる。
一般的な検定試験と同じで、初級~上級みたいな段階的な区分けがあって、当然上の試験程合格は難しいし、そもそも試験も年に1回きっちりあるといかそういうもんでもないらしいがよくわからない。
上級のほうになると、ある程度しっかりした活動してないと受験資格も得られないんじゃないだろうか。
ただ最初にうける、英検で言えば5級的な試験だけは、中学生になったらすぐ受けられるっぽくて、私も中学時代に受けた。
さっきも書いたけど、古文が好きで得意だったので、「御書」の勉強はシンプルにおもしろかった。夜にやってる勉強会も同世代が集まるから楽しかったし、普通に合格した。
でもそれ以降の試験は受けたことないし、受けろと言われたこともない。多分受験資格が発生してない。
高校のころは学会活動への興味はほぼ0になっていたので、文化会館でやる大きい会合だけ顔を出していた。
信教の自由であるとか、折伏や新聞啓蒙、選挙活動についての疑問についてまじめに、ナーバスに考えていたのはむしろ中学生のころで、高校ではもはやあまりそういうことに囚われなくなっていた。
やりたい人がやればいいし、やりたくない人はやらなくていいい、自分はあんまかかわりあいになりたくないかな、くらいの、ごくのシンプルなところに落ち着いてきた。
親は、そういう私の姿勢についてはじめのうちはいろいろと小言を言ってきていたけど、会話を重ねるうち「それも考え方だね」とむこうが折れた感じ。
高校生になると学区がかなり広くなり、生徒数も中学までとは比べ物にならないため、同級生の二世について「あの子学会なんやな…」と会館である大きい会合の場に来て出くわして互いに知ることになる。
けっこういるのにおどろいた。
多分あなたのまわりにもいっぱいいると思いますよ、私がそうであるように口にしないだけで。
学会員の間では、創価大学は超絶いい大学、東大にも負けない日本最高峰の大学! みたいな扱いなので、高校に進学してから偏差値的に全く大したことないのを知って驚いたというか拍子抜けした。
めちゃくちゃいい大学なら目指すのもありかなと思っていたけど、そうでもなかったので、最終的に滑り止めの一環として受験した。
活動自体はどうでもいいかなと思いつつ受験しているの……もうこれは、幼少期からの刷り込みとしか言えないと思う。
偏差値的に大したことなくても、学会員の間ではめっちゃほめてもらえるのもわかってたし…。
当日の試験も易しかったし、学費免除の枠で合格したが、魅力を感じてるわけではないので進学はしなかった。
同じクラスの、割と熱心な二世からは「せっかく合格したんだから行かない?」と最後まで説得されたが「すまん、京都行きたいわ!」ってことで断った。
親でもそんなこといってこないのに…とおもってちょっと引いた。
そんなわけで京都に進学したら、すぐ現地の会員の人が面会に来て、京都の会館(堀川にある立派なやつ)に連れていかれたし、同じ大学の先輩ともつながらせられた。
ちなみに大学には創価学会のサークルがあって普通に活動していた。
極左サークルとかはめっちゃ厳しく規制されてて、校内いたるところに掲示があったが、創価学会のサークルは普通に野放しになっていた。
どっちにしろ私は入らなかったし、学会員としても一切活動しなかった。会館に行ったのも最初の一度くらいだったかな。
この時つながらせられた大学の先輩、1回生前期のかなり早い段階で連絡を取らなくなり、名前も覚えていないのだけど、この人に勧められて宮本輝の『錦繍』を読み、最終章で身も世もなく泣きまくったのを覚えている。
https://ymall.jp/store/e-monz/e05910101214/
https://item.rakuten.co.jp/d-dish/es-01/
昔、ダウンタウンの発明将軍っていう番組でまっちゃんが持ち込んだ発明品があって
例えば寝室には目覚まし時計本体、洗面所にスイッチを置いておく
そうすると止めるために洗面所まで行く必要があり、そのまま顔を洗って二度寝を防ぐことができる
本体側には当然電池が入ってるんだけど、電池の蓋には鍵がかかっていて、鍵はスイッチ側に付いているという徹底ぶり
凄い関心して売ってたら欲しいなぁと思ったんだが製品化には至らず、なのかな
少なくとも売ってるのを見たことがない
今だとスマホ2台で似たようなことができると思うんだがアプリとか無いのかな
「美少女」という単語と「萌え」の接点は深夜アニメとエロゲ―じゃないかな。
(こういうとフェミが「ほらみたことか!萌え絵はエロだ!ポルノだ!排除しろ!」と騒ぐかもしれないが)
一般的に深夜アニメ・恋愛アドベンチャーゲームは「美少女アニメ」「美少女ゲー」と呼ばれてたので、一定年齢以上だと萌えと美少女はイコールなんですわ。
エロゲ最盛期?の2000年代中期くらいでも、既に「萌え」という言葉は浸透していたが、ジャンル的には「美少女ゲーム」と呼ばれてた。
しかし、だからといって「現代萌えの起源はエロゲ」と言い切れるほど単純ではないと思う。
「デ・ジ・キャラット」なんかも今の萌え絵の直接的起源だと思うが、別にエロゲではない。
さらに言えば、デ・ジ・キャラットのこげどんぼの源流はアニパロ誌「ファンロード」にある。
ではファンロードの起源はと、そうやってどんどん遡っていくと、やはり「シベール」とかの話になってしまうのだなあ。
で、個人的な感覚で言うと「現代萌え絵」とか「美少女絵」って、
漫画とかパチンコよりも前に「ゲーム」で目にしやすかったんじゃないかなあと思う。(エロゲ―に限らず)
今の「一億総萌え絵時代」よりも前に「一億総ゲーマー時代」があったわけで。
萌え絵の一般への浸透の話では、ゲームやゲームソフトの販売コーナーで萌え絵に親しんできた土壌があると思うんだよな。
「ガンガン」の話があったけど、あれもゲーム系の会社の雑誌なわけで。
ゲームにそこまで詳しくないからあまり実例を上げられないが、「テイルズシリーズ」なんかは初期から藤島康介がキャラデザだ。(藤島康介も現代萌え絵に貢献した作家だと思う)
ちなみに『エウレカ』の吉田健の絵柄は、『OVERMANキングゲイナー』でカプコンの花形イラストレーターだった西村キヌ、エロ漫画家の胃之上奇嘉郎と三人でデザイン作業をしたことからああなったと思われる。(三人とも似てる)
意外に思うかもしれないが、この中では西村キヌが一番「萌え」色が強い。メインの宣材イラストではなく、少し気の抜けた時の絵はとにかく可愛いし、こたつでみかんを食べたり完全に「日常系」の系譜だ。
で、カプコンから格ゲーの話をすると、「ギルティギア」シリーズが結構大きかった気はする。
かなり萌え成分が多く、なおかつゲームシステムも他社の格ゲーよりも入力が簡単で、画面もアニメ的にスムーズで、素人でもプレイしやすかった。
(田舎にいたからかもしれないが、「女性専用台」を初めて見たのもギルティ)
あと、ゲームだけじゃなくて、やはり「涼宮ハルヒの憂鬱」(それに続く「らきすた」「けいおん!」)の一般への影響はすごかった。
個人的な話だが、それまで「深夜の美少女アニメ」を見ているなんて話は、よほど仲のいい友人にしかできなかった。
(そして、それでも引かれる。何せ、今を輝く細田守の「時をかける少女」を劇場に見に行くという行為がぎりぎり白い目で見られる時代だったのだ。信じられないが)
作品の質に加え、テレビでたまたま見かけたという言い訳が可能なこと、携帯電話の普及で中高生でもネットが利用しやすくなり、趣味の話題が思う存分できたことも大きいと思う。
「萌えの一般への浸透はパチンコ」などと言われることが多いが、ごくごく一部の話でしかないと思う。
家庭教師をしていた知り合いによれば、ハルヒ放映時にすでに中学生の男子の間で人気だったらしい。
あと結構大事なのが、意外にも「モーニング娘。」じゃないかと思う。
そもそも90-2000年代は「アイドル冬の時代」と呼ばれていたほど、アイドルらしい女性アイドルがいなかった。
「見た目や衣装が可愛い女の子」にみんなでキャーキャー言う文化が、今では考えられないほど少なかったのだ。
今のアイドル文化の大きな柱となると同時に、「アイドル=可愛さ」と「スポ根」(オーディションの勝ち抜きや、映画「ピンチランナー」、フットサルチームのガッタス等)を両立させた点も、オタク文化に共通するものがあるのではないだろうか。
かたや、「紙コップで乾杯」「目覚まし時計が壊れてしまった、目覚まし時計を買いましょう」というつんく♂の気の抜けた歌詞も、今の「日常系」の感覚にかなり近いと思う。
とにかく、可愛さをめでるアイドル文化が育まれたからこそ、萌えが浸透する余地が出来たのだと思っている。
と、
とりとめもなく萌えの話を描いてしまったが、「どれが萌えの浸透の一番の要因か」という話は非常に難しいと思う。
そもそもエロゲ絵には女性作家の貢献が大きいとか、少女漫画などへも話が広がるので、個人でこれをまとめるのはすさまじい労力が必要なのだ。
保守的なイメージのあるNHKが「春ちゃん」で萌えに乗っかったのが2009年なので、とりあえずそれ以前の流れがポイントかとは思う。
「先輩、何読んでるんですか?」
「な、なんでそんなもの部室で読んでるんですかあ」
「いや、最近ハマってて」
「そ、そうですか」
「あのさ、最近気になることがあるんだけど」
「なんでしょう」
「同人エロ小説だと、よくヒロインが一晩に100人の相手をさせられたりするんだけど」
「かわいそう」
「一晩が仮に夜8時から翌朝8時までの12時間だとして、1時間に8人だよね」
「そうなりますね」
「長い短いの問題じゃないですよ」
「あと、100人とかいるってことは、一部屋に入りきらないし、順番もなかなか回ってこないから、時間になったらきてもらうとかなのかな」
「そんなシステム考えたこともないですけど、そうなんじゃないでしょうか」
「すると、朝の3時21分とかの順番に割り当てられたらさ、朝2時ぐらいに目覚まし時計をかけて、そこから出かけるわけ?」
「そうなりますね」
「そんで、現着して8分で追い出されるわけでしょ。割りに合わなくない?」
「ち、近くの酒場とかで飲んでるんですよ」
「エロ同人小説の悪役がそんなこと考えませんよ。近くで宴会してるんです」
「100人で?」
「いや、来るのがきついのは終電から始発の間までで、4、5時間ぐらいじゃないですか。
1時間で7〜8人だとすると、5時間だと8×5で40人ぐらいじゃないですか」
「いや、だからエロ同人小説の悪役なんですから、そんなこと気にしないんですよ」
「ともかく、40人ぐらいで近所で酒盛りしていて、時間になったらブザーか何かがなるから出かけていって・・・・で十分ぐらいしたら宴会に帰ってくる」
「帰ればいいじゃないですか、やることやったんだから」
「だって、まだ始発がきてないから、もう少し飲んでいかないと」
「うん、なんかものすごい話が盛り上がってても、呼ばれたらいかないといけないから、一回呼ばれるまでは少しシラフでいないといけない。だから帰ってきてからが宴会の本番」
「まあ、呼び出されていってはみたが、泥酔していて役に立たなかったら、悪役としても「帰れ」って感じになりますよね」
「これ、やっぱり始発がくるギリギリの人が一番辛いよね。終電できて、そこから酔い切らずに3時間ぐらい宴会に参加して」
「その人眠そうですね」
「で、十分もしないでやることやったら、戻れ!って言われて」
「とぼとぼ席に戻ると、もう始発でみんな帰ってて、新しく始発に来た新顔と飲む気にもならないし、吉野家か朝マックで食べて帰るんだろうね」
「かわいそう」
「でもまあ、100人でって言っちゃった以上、そういう役回りの人もいるわけで」
「朝の吉野家でビールを頼んで、ビールをください、ビールをください、って虚な顔で言うんでしょうね」
「狼になりたい、ただ一度」
「さっき狼になったはずなんですけどね」
「羊飼いに追いやられる羊の群れですね」
ガラガラっ
「おはよう!なんの話ししてるの?」
「狼と羊の話」