はてなキーワード: 目には目をとは
妻と口汚く罵り合う日々が続いている。ちなみに子供はいないので安心してほしい。きっかけは、妻がお前浮気しているだろうと突然、深夜に部屋に怒鳴り込んできたことだ。ちなみに浮気してない。そもそも、別にイケメンでもない金のないはてなーがどうやってセックスしたくなるような女を捕まえられるのか。むしろ教えてほしいくらいである。
とにかく陰謀論に染まっている妻の対応をしているうちに、一方的になじられ怒鳴られている事にものすごいストレスを感じ、口調と勢いを妻のように怒鳴り調にして返すようにした。目には目をである。謎に心が傷つくことはそれでやんだが、そこから倫理観が崩れ去っていくのを感じている。
先程、口論となり家に火をつけようとした人が逮捕されたというニュースを見て恐ろしい気持ちになった。ありうる、と思ったのだ。妻と口汚く罵る最中、もしそこに火があれば手にとってしまう気がする。そればかりではない、包丁があったら手に取りそうな気さえする。
昔は、いくら口論になっても勢い包丁で刺すとかねーよwと思っていたが、とんでもなかった。相手と怒りに任せて口汚く罵り合っていると、だんだん倫理観が薄れ、過激になっていってしまうのだとわかった
だったら目には目を歯には歯をでいいでしょ
今まで何度か現実に死刑存廃の議論したことあるけど一番受け入れられたのがこれだった
凶悪犯罪に対して、懲役刑では軽すぎる。そこから死刑やむ無しとなるひとが多いのだけれど、実際死刑でも刑罰は軽すぎる
目には目をで考えるなら、凶悪犯罪に対する死刑は、目には爪をぐらいの話で全然成立してない
それなら現行法のなかで運用されてる刑罰懲罰をアレンジして妥当な罰を与える続けるしかない
例えば、こんな感じ
無期懲役を完全な終身刑にして、今も運用されてる座らされて壁一点を見つめ続けるという罰を生涯かす
いわば、一生反省させ続ける刑
廃止論者の意見はほとんど被害者を蔑ろにしてることに無自覚だから受け入れられないんだよ
韓国による数々の「嫌がらせ」に対し、自分は嫌な気分になったり怒ったりとかはしないタイプだ。
むしろ、彼らの行動原理やメンタリティがずっと気になっていた。なぜ戦後数世代を経てもなお復讐心に支配され、子供じみた行動をとるのか。
これについて、最近になって自分なりに少し納得のいく仮説が浮かんだのでつらつらと書き記す。
結論からいうと、これは地政学的にかなり微妙なポジションに置かれている韓国の生存戦略だ。
「復讐は何も生まない」
精神的に成熟したキャラクターが、復讐に燃える若き主人公にかける言葉として、おそらくかなりの数の創作物に登場するであろうセリフだ。同時に創作物の中でのみ成立する概念でもある。
現実に目を向けてみると、古くは「目には目を…」のハンムラビ法典から、核兵器による相互確証破壊に至るまで、人類は「不利益を被るような行為に対しては、同程度以上の報復や制裁が発生する」ことを保証することで、身の安全をはかり安寧を得るという戦略を駆使してきた。
「復讐は何も生まない、されど手を出せば復讐されることを相手にわからせることはできる」
韓国の「嫌がらせ」の特徴として、対象が日本のはずなのに、おおよそ関係のない第三国を巻き込みがちなことが挙げられる。
これらの行為には通底する思惑がある。日本に対する嫌がらせが、世界に対してのパフォーマンスにもなっているのだ。
日本という不感症のサンドバッグに対してパンチを打ち込む行為が、そのまま「うちの国に手を出したら、面倒なことになるぞ」という世界に向けてのメッセージにもなっている。
その行為がいかに子供じみていて、非効率で、国家間の取り決めを逸脱するようなものであったとしても、長期的に見れば「他国に攻め込まれづらくなる」期待値がデメリットを上回ると判断しているのだろう。
もちろん、今までに述べたことを全く考えてない、無自覚な嫌がらせも多々あるのだと思う。
しかし、数千年もの間他国に攻め入られ続けてきた国に住む人々のDNAには、間違いなくこの生存戦略が刻み込まれているんだと思う。
それを考えると、なんだか少し悲しくなった。
悪いか悪くないかで言えばそりゃ悪いことだし俺はやらないけど、もとの暴行に比べて同等に酷い行為だとは思わない。
だって、いじめって罪もない弱者に本人が一番やられたくない攻撃をすることでしょ?
だから、昔いじめをした奴に対して本人が一番やられたくない罪もない家族への攻撃するのは、目には目をの理論でいくと正当というか、いじめと同じくらいの罪であってそれより酷い行為ではない。
さらに、いじめ加害者のやった行為がクラスのみんなで無視するとか悪口を言うとかなら同等の罪だけど、もっと直接的な暴行や強要をしたのなら、ネットリンチ程度の言葉の攻撃なんか全然かわいいものでしょ。
要するに小山田圭吾が、罪もない弱者へ本人が一番やられたくないことを繰り返しやってたので、一番やられたくない罪もない身内への攻撃も受け入れるべきってこと。身内は怒るなら小山田圭吾に文句言うべきってこと。