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はてなキーワード: 益城とは

2018-03-12

○城(き)

磐城いわき
茨城いばらき
頸城くびき
益城ましき
磯城しき
吉城よしき
築城ついき
結城ゆうき
家城いえき
板城いたき
坂城さかき
船城ふなき

2016-04-20

http://anond.hatelabo.jp/20160419183509

ヤマトの追跡出た

福岡から東九州経由で鹿児島に入っているようです

福岡からの直接の支援荒尾から熊本市阿蘇益城あたりでとまるのが通常で、しか熊本市内で配布が滞っている状況なので

東九州経由で南に物資を送るのは意味がありそうだ

知り合いに被災者が何人かい

益城のすぐ近くに住んでる人もいる

いろんなことにめちゃくちゃ過敏になってて日に日に彼女メンタルが弱っていくのを感じる

何かしてあげたいけど何が彼女のためになるのかもわかんないし

結局何を言ったって衣食住足りた人間が揺れてない地域から優雅に口出ししてるにすぎないんだよなあと思うとやるせない

なにも言ってあげられないし、何もしてあげられないし

どうして私じゃないんだろうと思う というか、どうして私も一緒じゃなかったんだろうと

被災しなかったことに罪悪感だし申し訳ない思いでいっぱい

http://anond.hatelabo.jp/20160419183509

八代市個人的支援したいとしても、出水市に届いた支援物資が全て八代市に行くわけでもない

というか、出水市に届いたほとんどの支援物資需要が高い熊本市益城に送られるだろうし

そもそも、鹿児島宮崎から支援物資出水市に送るというのなら分かるけど

それ以外の地域から支援物資をわざわざ遠い場所に送るのは無駄に人手や配送コストを増やすだけだろう

2016-04-17

[] なぜ県外に避難しないのかとても疑問だ。誰か教えてくれ。

熊本で一連の地震が起きた時、僕は震源地結構近くにいた。

震度6の揺れが来たこともあった。

4/14の最初地震があった時点では、震源地益城とその近くでは大変な被害があったけど、その他の地域への影響は限定的だった。

一部地域水道水が濁ったり断水になったりというライフラインへの影響と、スーパーコンビニから水とパンが消えたというのが主な被害だった。

余震は続いたが、本震は過ぎたことだし、徐々におさまってまた日常が戻ってくるだろうというのが大半の人の考えだったに違いない。僕もそう思っていた。

そして、その不意を突くように、4/16未明、あの大地震が起きた。

南阿蘇村を中心に大きな被害があったことは周知のことだと思う。

この地震以降、僕の周りでも状況の深刻さの度合いが変わった。

ほとんどの店がクローズしており、営業している店を見つける方が難しくなった。当然、営業している店には長蛇の列。

電気水道・ガスのライフラインが止まる家庭が急増した。

炊き出しや給水場などが増え、そこでお世話になることが普通になった。ああ、ここは被災地で、僕も被災者なんだなと実感した。

事態が完全に回復することの見通しが立たない中、これじゃ生活がままならないなと思った僕は県外の実家一時的に帰ることにした。幸いにも僕の実家熊本からそう遠くない。

僕の友人にもそうする人はいたし、テレビでもそういう人たちのことが写されていた。

高速道路が一部閉鎖されたりと多少の交通規制はあったが、通常の1.3倍程度の運転時間実家に帰りつくことができた。

実家では、スイッチを押せば電気が点いたし、蛇口をひねれば水もお湯も出た。

快適だ。僕はあっさりと快適な生活を取り戻すことができた。

こんなにも簡単に元の生活を取り戻すことができたことに、僕は言いようのない違和感を覚えていた。

そしてその違和感が、熊本に漂っていた雰囲気としての深刻さと、そこから簡単に抜け出すことができたこととのギャップだということに気づいた。

もちろん、阿蘇大橋が落ちて身動きがとれない阿蘇人達や家が倒壊するなどの大きな被害を受けた人達を始めとした「どうしようもない理由」を抱え、支援に頼らざるを得ない人達はいる。

だがそれ以外の人達は、案外簡単にこの状況から脱することができるんじゃないか。

僕は実家に帰ったが、友達の家でも、親戚の家でもいいし、宛がないならしばらくビジネスホテルに泊まるでもいい。

緊急事態だし、ゴールデンウィークの代わりの旅行とでも思えば出費のことは我慢できるだろう。

熊本車社会から大半の人は自家用車を持っている。車を使えば簡単にこの被災地から抜け出すことができるのだ。

仕事は、電気が来てないんだから大半の職場では休業だろう。僕の会社も数日間は臨時休業となった。有給をとってもいいだろう。

地震が起きたのは土曜日未明から、土日の間だけでも避難するという選択肢もある。

もちろん県外に出ることを強要することはできないが、何かそこにとどまらなければいけないという思い込みがあるような気がする。閉じ込められたという勘違いがあるような気がする。

絶対にそこに留まらなければならない理由はあるのか?

ライフライン機能しない状況では、金銭的に余裕がある人でもその場所に留まる限り、支援に頼らざるを得ない。

余裕がある人は、県外へと出て、自分支援を受けなくてよい状態にすることが、「本当に支援に頼らざるを得ない人」を助けることにならないだろうか?

その方が、不自由がないからその人自身時間有効に使えるし、win-winな結果になると思うのだが。

[追記]

ついにエコノミークラス症候群で死者が出た。

熊本を出さえすれば、あっけないほどに、いつも通りの生活を送ることができるのに。

旅費をケチっている場合ではない。

「他の人も大変なのに自分だけ」と罪悪感を感じる必要はない。

しろ、前述のように、自分支援を受けなくていいようにすることは、支援に頼らざるを得ない人への助けになるのだ。

合理的感情にとらわれている場合じゃない。

県外へ出ることができるのに避難所不自由生活を送っている人は積極的に県外へ出るべきだ。

2016-04-15

すげー眠い

東北とか東京とか向こうでばかり起きてるから完全に異国の話みたいな感覚(それでも準備はしていたよ)だったけど今回のですげーびびった。

最初軽い横揺れ?が始まって「おっ地震だ」とか悠長に構えてたら急に……テレビとかでいうところの「体験したことの無い揺れ」?がきて立ってられないのなんの。不意打ち度合からすると寝ていたらガクッと跳び起きる現象あるじゃんあんな感じの衝撃が連続して上下左右に揺れる揺れる。しばらくしておさまるまでやべえやべえって心臓バクバクしながら止まるの待ってたら花瓶倒れる音やコップ倒れる音が聞こえてきて「あっコレ大事かも」ってようやく自覚したけどなんていうか内心まだどこか他人事で「やべーこれニュースになるわ」なんて思ってた。とりあえずこぼれたお茶拭いたり親戚から電話受けているとまたズドンと似たような余震が来て落ち着く為にテレビとかツイッター見てようやく震度7とか情報が入ってきた。まあその後は余震の合間に貴重品諸々をかき集めてすぐ避難できるように準備してたんだけど結局家で待機してる間に日付変わっててツイの皆静まり返るわけでさ。皆寝てちょっと心細いとかウダウダ考えるも自分も寝ようってんでヘルメット被って毛布にくるまって一夜を過ごしたんだけどスーッと眠りかけた所にズドンとでかい余震がくるから寝れなかったんだよね。以前震災にあった人とかも心細い思いしながらこんな余震で眠れない夜を迎えたのかな。半泣きで眠りかけた所を余震でたたき起こされてって繰り返しているうちに明るくなってた。今すごく眠い。まだ余震は続いてる。揺れてるのか揺れてないのかもなんだかわからなくなってきた気もするけど眠い。ヘリめっちゃ飛んでる。眠い。まだ自分が住んでる所は地震が酷いだけだけど、益城安心して眠れるようになるといいなあ。眠い

 
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