はてなキーワード: 白線とは
両親は共働き。
2歳か3歳くらい、歩いて喋れるくらいから保育園へ通っていた。
そこに始まり、おおよそ常識と呼ばれるものは親に教わっていないことを後に知る。
特に洗顔・歯磨き・手洗い・うがい。あと交通ルールと他人の家でのふるまい。そもそも親がしているのを見ないのでなかなか習慣付かなかった。
小学校に上がり、数字がただそこにあるものではないことを知る。みんな当たり前に20くらいまで順番に数えられる。その前提からスタートしてる衝撃。幼稚園はお勉強があるらしいが保育園は自由だったからなぁ……。絵本好きだったので文字は読めた。
家でTVは付くものの、時間的に終わってたり、そもそもアニメ見てると怒られてたために小学校内で誰とも話が合わない。
たまにドッジボールに誘われてもぶつけられるのがメインであるため次第に参加拒否。あとバラエティ番組の真似が流行っていて、雑巾を人の口に突っ込んで笑いまくってる人たちがいて、アレとは少しでも関わらないでいられるように避けまくっていた。
あるとき何の気の迷いか、父が古本屋でときめきトゥナイトの4巻?とかを買ってきてくれた。マンガというものを初めて知る。読み方がわからないし中途半端巻なので何も分からない。
小3か、セーラームーンが好きな子と知り合えたためセーラームーンだけ視聴許可が出る。学童でセラムンの話をするか児童館の本を読んで過ごす。
アニメは引き続き禁止だったが、ニチアサは親が寝てるため見放題だった。当時やってたのは美神とかたるるーとくんとか。ママレードボーイはOPは覚えてるんだけど中身を一切覚えてない、やはりエロは強い。
小4か小5くらいに学校にマンガを持ってくる不逞の輩が出現し、クラス中でマンガが流行る。
マンガとの初めての真っ当な触れ合い。
ただ学校は当然マンガ禁止なので、放課後、親が帰ってくるまでの間に借りたマンガを隠れて読む。
マンガという共通の話題で人と話せるようになったが、「あいつが触った本は汚い」といった言われ方をされるようになり、借りられなくなり放課後古本屋に入り浸るようになる。
そういえば当時「横断歩道の白線からはみ出たらがんになる」というルールが流行っていたらしいのだが、私には「白線を踏むとがんになる」と伝えられていた。地方によってルールが違うタイプかと思っていたけど、白線に乗るのが正ルールなのは全国共通っぽい。まぁつまりそういう扱いだったってこと。
まぁそんな感じで「常識」「普通」を知らないために、どうしても日常のあらゆることで齟齬を起こすしつけ込まれてバカにされる。
そして変人、おかしい人、問題児といったレッテルを貼られ何においても仲間外れにされる。
小5頃から、絵を描かせてスゴーイと言いながらプークスするような女子のイジメが始まる。絵を人前では描かなくなるが、手を変え品を変え「ちょっと親切にして裏切って反応を楽しむ」「おだてて木に登る猿を見て嘲う」みたいな手口のイジメが私に対して流行るようになる。
修学旅行の班決めがその最たるもので、班決めを嫌がる私の態度辺りから親が中受を決意。
で塾に通うようになってからラノベの存在を知る。スレイヤーズ。オーフェン。
富士見ファンタジア文庫にハマり、塾をサボって本屋の文庫本コーナーで何時間も立ち読みするようになる。
教育ママが激しくなり、叩かれながら必死で勉強する(なお母は今「親が子に手を挙げるなんて信じらんない」とワイドショー見ながら憤っている)。
再度マンガゲームアニメラノベが禁止される。父が気まぐれで買ってくれたときめきトゥナイト4巻?、前後をこっそり買い溜めてあと2冊でフルコンプとかのところ、あえなく捨てられた。
ゲームは触れる機会がなかったのでその時点では特になんてことはなかったのが、ポケピ・テトリス・たまごっちといったキーホルダータイプのゲームに触れてしまいアウト。
借りたテトリスが見つかり母親に金槌で壊されてしまう。塾の友達には無くしたと言い張り、弁償しろと言われるも無視して逃げ回り縁を切られる。
中学受験は成功し女子校へ入学。親の帰宅までアニメが見られるようになる(黙認)。遅ればせながら友達からポケモンの存在を教わりハマり、休み時間にやらせてもらう。また別の友人からコバルト文庫と京極夏彦を教わり、また別の友人から封神演義(アンソロ)を教わる。図書室で小学校の比にならない蔵書量に感動し入り浸る。月曜日はお昼を減らしてジャンプを買いキャッキャする。
休みの日に遊びに行こうと誘われて行ったのが作者サイン会で、サイン本は残念ながら母に見つかりライターで着火・水道水で消火の上ゴミ箱に投棄された。
ネットは父の気まぐれ(いい方)により1日1時間制限で許可。1時間なので基本は学校のPC室。家にパソコンない子が携帯から夢小説読み過ぎて請求がン万来て親に怒られたみたいな話も聞いた。自分は携帯禁止。
毒吐きネットマナーでマナーを学び、18禁サイトでアクロバティックな性癖を巡り、自分でもとほほのHTMLを見ながらテキストサイトを運営し、レンタルBBSを設置し、絵茶をし、小説やマンガを書き、友達と「ファンに家特定されてストーカーされて警察沙汰」みたいなネット噂話とかしながらお互いのサイトを巡り合う。
小学校時代を知る人がいないし、話が通じないからとイジメてくる人がいない。エロ話を茶化してくる男もいないしまさに天国。
やっと人と人並みにコミュニケーションが取れるようになる。
親は敵だったので反抗期はかなりアレだったものの、オタクとしては幸せな中高生時代を過ごし、大学進学。
酒も飲めずTVの話題も分からず現実の恋愛もオシャレもしない女にできる会話はない。(オシャレは禁止されてなかったけど、やろうとしてたら禁止されてたと思う)
ストイックに勉強だけするなら大学ってのもありだと思うけど、友達欲しがったのが色々と間違いだった。
ネットに入り浸り、人間観察「何が普通で何が普通でないか」「空気を読むというは具体的にどの状況でどういった行動を取るのか」の研究を始める。
バイトという実戦も繰り返し、結果「最低限の偽装はできるが『なんかおかしい人』であることを悟られないのは無理」という結論に。
そもそも我慢してウェイの言う『普通』をするメリットがないことも多く(例えば女らしくするとセクハラされやすくなるし、みんなで一人の欠点を嘲うのに楽しさや仲間意識を感じられない)、あと「『普通』じゃない人間が生理的に無理」という一定数の人に普通らしくふるまって見せるのはかえって逆効果であることもあり、今や偽装すら放棄してヤバい人のレッテル貼られたまま過ごす立派な社会不適合者に成長。
あとバイトで金を稼いだので特に合意なくマンガアニメゲーム解禁ってことにした。部屋が埋まるほど買ってるので反動〜〜ってなってる。
という訳で、結局のところ親がガチの「生活の常識」を教えないといけないのと、マンガアニメゲームを禁止すると小学校という最初の社会で孤立して深刻なコミュニケーション欠陥を抱えるので、なんでもかんでも制限するとこうなるよの悪い例として展示しとく。
冬のアリア旅、4泊5日、1200キロ走破で充電12回の内訳に対する所感(*1)
これの前の記事が 冬の電気自動車の遠出は本当に厳しい。航続距離も減るし、とにかく充電スピードが落ちます だったのでEVというのは主語がでかいし、ちょっとなということで書こうと思った。
表題どおりなんだけれど、どこで充電するかで快適さ含めて変わってくる。たしかに冬はEVにはちょっと厳しい季節なんだけどさ。
記事内にあるように「一番充電できたのは浜松SAにある大きな充電器で30分で33kWh、一番少なかったのは道の駅の古い充電器で30分で10kWhでした。」これが諸悪の根源。
実は浜松SAの充電器は国内最大級でMAX150kwhの出力がでるものと、90kwhがでるものが設置してある(*2)
道の駅にある充電スタンドはMAX20kwh(*3)だったりがざらだったりする。
EVの充電は0%に近いほど高出力帯で充電ができて、満充電に近いほど出力を落とさなくてはいけない。水槽に水を入れるのに最初はバケツでいけるけどそのうち、灯油ポンプでゆっくりいれて最後はコップでいれるようなもの。
アリアは最大130kW(*4)での充電に対応しているので、浜松で30分充電して20kwh程度ということはかなり余裕がある状態で充電をしていたのではないかと推測される。
ちなみに、勝間氏のアリアは満充電で500km走るとのことなので90kwhの電池容量を搭載しているモデルということになる。(*5)
そこで「どこの充電スタンドはどれくらいの出力がでて、何口用意されている。
出発地点はどこだから、40%くらいになるのはこの辺、ということはどこそこのスタンドで充電しよう。」
これは正直かなりめんどくさい。かなりめんどくさいのだけれど、EV過渡期ということもある。
酸っぱいぶどうかも知れないけれど、気にしないといけないくらい長距離運転するなら計画立てて運転するくらい必要だと思うし、ちょうどいい休憩にもなるのであまり困ってない。
ちなみに、EVは長距離高速移動すると街乗りするよりも電費(≒燃費)が悪くなる。(*6)
ということで、保有車は 2022年納車のTesla model3 LR (82kwhの電池積んでたはず)(*7)なのでその例をあげる。
なお、Teslaは最大で250kwhの出力がされるスーパーチャージャーという充電ネットワークを自社で敷設している。
それってどんくらい早いのというと、空に近いと15分間で250km分くらいは充電できるくらい。なので、日本政府はChademoをやめてNACSに統一しましょう。(*8)
例に出すのは、一昨年の年末(2022-2023)の移動記録(*9)
スーパーチャージャー(以下SC)の利用をメインで計画した時のもの。
自身は主に関西から九州までの移動でこの時は路面凍結するくらい寒かったので今回の記事とまあ同条件かなと。
自宅から倉敷SCに移動 206km 53%消費 (3.8km/kwh)
倉敷SCから広島SCに移動 157.8km 44%消費 (6.9km/kwh) 雪の関係で下道いった記憶がある。
広島SCから別府市まで移動 352.5km 84%消費 (4.2km/kwh)
別府市の日産でchademo充電 9分 5%→12% 外気温6.5℃
宿を出てちょろちょろ移動
別の場所に移動してお代わり充電30分 33%→61% 外気温10℃
大分市から熊本城前の商業施設へ移動 158.3km 39%消費 (4.0km/kwh)
山鹿市からめかりPAに移動 170.5km 39%消費(4.3km/kwh)
めかりPAで充電 30分 20%→44% 外気温8.9℃ (めかりは40kw出る)
めかりPAから広島SCへ移動 192.4km 40%消費(4.8km/kwh)
広島駅から倉敷SCへ移動 153.5km 34%消費(4.51km/kwh)
倉敷SCから自宅近くのスーパーマーケットへ移動 210.2km 47%消費 (4.4km/kwh)
chademo充電器がピンキリなので充電に時間かかるのと、効率よく充電できてないのが勝間氏の不満につながっているのではなかろうかと思う。
まとめてて思ったのだけれど、アリアのエネルギーマネジメントがいけてない説あるかもしれない。
ちなみに、上記のとおり長距離を運転するばかげた計画を立てていますが、
「オートパイロット」という名前の自動運転のふりをした”運転支援システム”は名前はともかく優秀に感じております。
運転の疲労度が全く違う。これに関しては、2021年時点で日産、トヨタ、ホンダと乗り比べて全然違ったのでテスラにしたくらいある。(*10)
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(*3):20kwhでも急速充電と呼ばれています。おかしい。
(*4):とはいっても、この最大って数パーセントからある程度たまるとだんだんおちていくので爆速充電できるわけでもない。
(*5):アリアは65kwhモデルと90kwhモデルの2種類の販売のようだ。
(*6):ガソリン車は長距離を走ると車重が減るので負荷が減る。また、高速移動すると空気抵抗の影響が大きくなる。ゆえにEVはとても流線形をしている。
(*7):Teslaは数車種しか売ってないように見えて買う時期でマイナーチェンジが入ってたりする。
(*8):chademoはガラパゴス規格なんですよ。。。 北米版の日産車でもNACS充電できるようにしてたりするんでマジでお願いします。
(*9):Tesla車はテレメトリーデータをサーバに送信している、そのデータを取得して保存できるサービスがある。ちなみに自身はTeslaMateを自鯖で運用中。昨年11月から止まっててかなしみ。
(*10):長距離運転するので運転支援メインで考えてました。スバルは燃費がいけてなかったのでアイサイトは見送り。現時点レクサスに積んでる運転支援が良いらしいので試してみたい。テスラの車線認識は白線消えてても認識してるのですごい。
眼の見えない偏屈な琴の先生の話で、検校ってのは盲人の最上級の官名のことらしいので、主人公はわりとえらいおっさんなんだと思う
この柳のおっさんは全盲で、柳の一人称視点で進むから、この作品では視覚情報は描写されないんだよ
この風、草の香りすんなとか、この女生徒しとやかに戸を閉めたな(推測)とかそんな感じ
柳のおっさんは昔は目が見えていたらしく、子供の頃見た夏の風景を思い出しながら、今もそんな花が咲いてる季節なんかなみたいなこと柳は語るけど、実際に花咲いてるかどうかは読み手にもわかんないわけ
御付きの人に手引きされながらも自分の家と教え場の行き来をするから、「渡り廊下」とか「庭」とか「校門」とかの言葉は柳の語りには出てくるけど、そこがどんなところかという視覚情報は描写されない
もちろん先に述べたように聴覚、触覚、嗅覚などを介しての描写はあるけど、具体的にどんなところなのかはよくわからないんだよ
でも小説としてすらすらと読めてしまって、読者である自分にとって「渡り廊下」ってただの言葉でしかないんだよと自分で証明してしまったようで気落ちした
何も描写が無くても問題がないってことは、いつも小説の中の世界を想像せずに、場所や風景を読み飛ばしているということだろう
もっとこう『指輪物語』とか『はてしない物語』とか『死のロングウォーク』を読んでいた中学生の頃は一つ一つの情報に目を凝らして小説の中の世界や登場人物の顔を想像してどきどきしながらページをめくってなかったけか
NHKの20minという20分の短いドキュメンタリー番組の『見えない人の見る世界』の回で、とある全盲の女性が自分は脳内に偏見スタジオがあると言っていたことを思い出した
今いる場所が商店街と聞いて、周りの音や活気を感じて、自分の脳内の偏見スタジオにパーツを組み上げてどんな場所かを作り上げていくとのこと
両側の白線は掠れていて、敷かれているタイルはモスグリーンでみたいな想像風景を、同伴者の話や新たに出てきた情報で間違っている部分を修正し、偏見スタジオで組みなおしていくみたいに世界を見てるんだってさ
目の見える自分とは違うなとか、面白い話だなってドキュメンタリーを見た直後は思ってた
でも、『柳検校の小閑』を読んでから、小説を読むときだけは小さな情報から世界を予測して組み上げて修正してのスタジオが自分の脳内にもかつてあったよなと思った
・産直市場
→似たような展示ばかり驚く。昔の田舎の暮らしって同じだよな。
→全く同じでびっくりする。北海道から沖縄までそこまで代わり映えしないよな。
→10か所も回ればパターンが同じなのが見えてくる。都会のように金かけられないから仕方ないね。
・道路
→舗装って全国同じだから全く同じ景色に見える。ガードレール、カーブミラー、白線、全部同じ。
・お城、神社仏閣
→観光の目玉にしてるけどそこまで変わらないよなあ。教科書でやったとこだ程度。
・温泉街
→同じすぎて恥ずかしくないの?ってレベル。
→展示内容が全国ほとんど同じで驚く。わかったことだけ書くしかないからしょうがないね。
→だいたい同じ。時代が同じだと違う人物なのに書いてあることが似通ってたりする。
→昔の交通の要衝って今は何もない、同じような場所だよな。立札に書いてあることもだいたい同じ。
・絶景
何の学科か分からないが、何かを調べる授業があり、何故かその調べ物をする場所がとんでもない傾斜の坂の上の山の中にある。
傾斜が凄まじく、自分は途中まで自転車に乗って登っていたのだが進む事すらできなくなり、あまりのことに笑いながら自転車を諦めて脇の空き地に横たえて置いて坂道に縋り付くように四つん這いになりながら道を登り始めた。路側帯の白線が何故か普通に帯のように紐のようになっていて握れるので、それに掴まりながら登山のようにアスファルトの道を登っていく。他にも同じ様に山の上に向かっている生徒があり、状況のとんでもなさに苦笑して笑い合いながら目的地に着いた。
山の中腹にある開けた空き地は周囲を木々に囲まれ短い下草が青々と茂っていて、そこに図工室にあるような作業台や角椅子が整然と並んでいる。細部をよく覚えていないが、本類、資料?文献?は卓上に置いてあったのかもしれない。本棚は無かった気がする。そこで多くの生徒、教師が角椅子に座り何かを調べたり読んだりしている。
男女の教員、1人はふくよかで豊かな癖毛をした落ち着いた服装の長髪の中年の女性、1人は顔色が極めて悪い、短髪で目をひん剥いたようなギョロ目をした和装の男性。で、何故か自分はその男性の向かい側で古書を見ていて、その古書は神社の御由緒のような、神社に伝わる書物の由来が記載された目録のようなものだった。読んでいるうちに、その神社の建立当初、帝から賜った宸翰が今に伝わっていると書かれており、へぇええ〜!!!と顔を上げると、夢なので唐突に、目の前の教職の男性の脇に60代くらいの落ち着きのある痩せた神主さんが居て、「持ってきましょうか」と言う。は???凄すぎる、見て良いのか、やべー!!と心中で慌てふためきながら大人しく待っているうちに、夢なので唐突に周囲に人は居なくなり、その作業机には自分と教職の白服の男性、少し向こうにふくよかな女性の教員だけが居て、何故か神主さんが神社に贈られた上等の和菓子をあけて自分と男性教職員に出してくれる。
そのひとつをようく覚えていて、それは艶々ぴかぴかとした光沢のある、一つ一つの粒がしっかりとしている黒豆のような茹で小豆?あんこ?に覆われたぼたもち/おはぎで、実際存在するのかと検索してみるとそのような物は見つけられなかったのだが、自分が見つけられなかっただけでどこかには存在するのかもしれない、それを美味しく食べた。あまりの旨さにまた感動して目を見開きながら顔を上げて目の前の男性教職員を見ると、わかるぞと言うように相手はうなずき、「本物は内側が7層になっているんですよ」と教えてくれて、こんな小さい和菓子の内側に何が7層も入っているのか気になって仕方がなかった。
夢なので唐突なのだが、我々の机の横手には、自分達が登ってきたはずのアスファルトの急斜面は無く、けばけばしくない、ぼろくもない、使い込まれた年代物の神楽殿があった。開け放たれたそこには、奥の方に木札のような、30センチ程の高さの有りそうな折紙に包まれた書状がいくつか重ねて立て掛けられていた。あまり恭しい扱いとは言えないように見えたが、粗雑に扱われているようでもなかった。そのうちのいくつかを今から読むのだろうか?神主さんが紙を開いて書面を出してくれたあたりで目が覚めた。
艶々の黒豆に覆われたあのぼたもち様のなにかが気になって仕方がないが、ぼたもちではなく生菓子かもしれない。
電車の中で大声で独り言を叫んだり、セルフ車掌したり、すごい勢いで車両間を移動してるアレだ。
それも一人ではなく数人いた。というのは、養護学校や作業所が沿線にいくつもあったからだと思う。
部活とかで少し早めに駅に着くと、大体同じ時間に鉢合わせしていた。帰りの時間にも、スーパーマーケットなどにいたりする。
彼らは知的障害だったり精神障害だったり強迫性障害だったりいろいろ背景があるはずだが、ここでは狂人とよぶ。世間はそうとしか見なしてないのだから。
俺は彼らを応援していた。
電車の中で狂人が行動を始めると、車両から次々と人がいなくなる。大声で広告を一つ一つ読み上げたり、虚空に向かって何か漫画?の台詞を叫んだりする。
下手すると、十数人いたはずの車両からみるみる人がいなくなり(すっと隣の車両に移動したり、駅で一旦降りて別の車両に小走りで移動したり)、車両には座る俺と大声で単調に話す狂人の二人だけになることもあった。
また、所謂汚言癖というのか、有名人の名前と卑猥な言葉を叫ぶおばさんと鉢合わせることもあった。一見そうとは見えないただの主婦みたいな女性が「○○、ちんぽなんだろ!」みたいなことを叫ぶ。ますます周囲から人がいなくなるが、それを自覚しているらしく、「目を逸らすんじゃない!」と叫んでいた。その叫びを聞いたのは俺だけだ。
この二人は、叫ぶほかに身体的な他害性はなかった。二人きりになっても、俺にかかってくることは無かった。
ジャージを着た、丸刈りの二十代くらいの男性がいた。丁寧かつ単調な口調でいろいろな人に「○○ですか?」「○○(アニメのキャラ?)っていいですよね」と話しかけたり、大声で独り言を発する。もちろん狂っている。たまに介護者?が横にいることもあったが、その時はずっと介護者に話し続けている。
観察していてわかったのだが、彼が話しかけるのは、女性が多かった。最近、ぶつかりおじさんという言葉が流行ったが、彼はそれに近いのかもしれない。
ある時、このジャージ男が駅のホームに現れ、ある私立の女子高生に話しかけ続けていた。執拗かつ、延々と。女子高生は移動できない理由があるのかそれとも逃げちゃダメだと思ってるのか、白線の内側のレーンから動かず、微妙にしかし鬱陶しそうにうなずいたりしていた。周囲に人はいるが、誰も助けに行かない。俺も、時刻表板の後ろでそれを観察しているけど助けない。助ける必要を感じない。そして電車が来て、やっと女子高生は解放されるかと思ったら、ジャージ男も同じ電車に乗っていった。多分電車の中でもずっと話すのだろう。
読んでもらえればわかると思うが、俺は何か清い心とか、福祉的な精神で狂人を見守ってるわけではない。最近、「公共の場で大声を出してしまう障害の人もいます。見守りましょう」みたいな啓発ポスターがあるが、そんな生暖かい見守り心ではない。
ただ、彼らのような存在が、好き放題する。既存のコミュニケーションを破壊する。自分が健常で正常で普通だと思い込んでいる連中に突撃する。そういったことでしか、既存の、閉塞し続ける社会は破壊できない、と思っていた。だから応援していた。
卑猥な言葉を吐き続けるおばさんや、女子高生に絡み続けるジャージ男を見て、俺は興奮していた。彼らの様に一線でも百線でも超えて社会を撹乱する行動はとらず、ただ応援する俺は卑怯かも知れない。ただ、ずっと彼らを邪魔せず、社会や普通の人たちの人生を意識しようがしまいが攻撃し続ける彼らを邪魔しないことが、変革に繋がるんだと思っている。
最近、会社に馴染めず、相談しに行った心療内科で、WAIS3などを受けたりしたところ、俺は発達障害の一種らしいことがわかった。まだ最終診断や手続きはしていないが、そう認定してもらう方向でやっている。
俺はいよいよ彼らの同類に近くなる。(発達障害は障害ではない、という人もいるが)
俺は、狂人を応援し続けた自分を、自分なりに誇りに思っている。
会社の別部署の後輩に、俺よりもコミュニケーションがやばそうな人がいる。彼は周囲を疲弊させてるが、俺は彼も応援している。
なんで、所謂健常者の決めたコミュニケーションに、障害者が従わされ続けなければならないのか。なんで、自分を排除する社会を愛さなければいけないのか。
隙間とは例えば道が2人が接触せずにすれ違って通れる幅の時に女性が中央寄りにいてすれ違えなくなってると言う感じです。
車の通る道なら歩行者と車を区切る白線の車側にいる人のことです。
これで伝わると良いんですが…
道を歩いている人で一人分はないけど半歩くらい寄れるだろうって隙間空けてる人なんなの?
狭い場所ならこっちが半身にしてもぶつかるとかあって、何故かこっちが悪いみたいに嫌な顔される。
車とかならぶつかりそうな位置だから危なくてクラクション鳴らすか気がつくまでノロノロとついて行く感じになるんよね。
男相手ならぶつかっても良いやってなるんだけど女性の場合は痴漢とかいわれそうだから困るんだけど?
せめて理由教えてくれない?
駐輪してすらいないと断言したい。
駐輪場つーっても白線引いてあるだけの空間なので自前のスタンド必須。
というか折りたたみとか携帯できるスタンド持ち歩けよ、迷惑なんだよ。コンビニとかでどうしてんだよ。迷惑かけてんだろ、どうせ。クソが。
そんでチャリが倒れてみろ、こっちが悪い事にされかねねー。
ウチの地域のケーサツは「触っただけのつもりでも肉眼で見えない微細な傷がつくんだよ」とか頭の具合を疑う事を真顔で言うタイプのケーサツだぞ。絶望しかねー。
そんな微細な傷、屋外の駐輪場に止めた時点で、ちょっとした砂埃にヤラレ済みだわ。
その論法で言うと通路にはみ出した車輪に引っかかったゴミ袋にも「肉眼で見えない微細な傷」がついてるけど、まだ捨ててないから自分の持ち物に傷がついたんだけど弁済してくれんのか?ってDQNしたくなるだろうが。
あえてのロードバイクチャンなんだろ?部屋に持ち帰って磨けよ。好きなんだろ?
こんなボロボロにする程度の気持ちならママチャリにしろよ、ちゃんとスタンド付いてるから。
ライトすら増設してねーの、ケーサツ仕事しろとしか言いようが無い。走行中にしょっぴけ。
でもって大家もクソでクソなのが真理。
どうして、お外のルールを守らせないことにみんな平然としていられるんだ?って話なのよね
お外のルールを守れないで育った子の面倒、誰がみんの?
ワイも何度か逆ギレされましたわ
でも流石に白線をローラーシューズで走っている子、高めの椅子の上で跳ねたりしてる子いたら、
逆ギレされようが『危ないよ』ってやるよね。死なれたら夢見悪いもんね
ほんとホームドア設置されてよかったね、
あと、世の中には音に生まれつき過敏な人もたくさんいる
なのにどうしてそういう人らに無駄に負担をかけるのか?って話ですよ
あるいは静かを買ってるんだからキッズスペースがないとこでは静かにさせろって話ですわ
まぁ大人になっても泣くの当たり前!!!!!って開き直ってる人らいるから交わりませんね
また泣く・騒ぐ大人として社会へリリースされるわけだけど、誰が責任取りますの?って思う
いい加減、どうしようもない親に指導はするようにしよう
前文に追記
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追記です。
そもそもストライクボールとか基本的なところもわからない方が多い、とのことなのでそこから説明しておきます。
投手がホームベース方向に向かってボールを投げ、それを打者が打ち返して野球のゲームは進んでいくわけですが、投手がどこに投げても構わないというルールなら、バットが届かないところに投げ続ければいい、ということになり、野球は不成立になります。
そこで、投手は打者が打てるところに球を投げ続けなければならなくなるようなルールがあります。
打者が打てないような変なところに球を投げたら、その球は「ボール」と判定され、打者が打てそうな真ん中付近のエリアに球を投げるとそれは「ストライク」と判定されます。
「ボール」は打者が打てないくらい遠かったり高すぎたり低すぎたりする球なので、そんな「ボール」を4球投げたら投手は打者と勝負する気なし、として、打者は無条件で一塁に進んでいいというルールになっています。
対して、打者が打てそうないいところに球を投げ「ストライク」となっているのに、それを3回も空振りしたり見逃したりする打者は出塁する資格なしとしてアウトとなり、次の打者と交代しなければならなくなります。
これが「三振」です。
なので、ストライクは3つでアウトとなり、ボールは4球で出塁できます。
そしてアウトが3つになれば、その回は終わって攻守交代となります。
では、打てるところ、ストライクとなるゾーンはどこか?というのが次にわからないところでしょう。
投手と捕手の間、また、打者のすぐ横に、本塁(ホームベース)と呼ばれる塁があります。
高さの上限は乳首あたり、胸の位置となり、下限は膝の位置となります。
では、本塁の上空に、膝から胸の高さまでの、本塁型の柱があると想像してください。
この空想上の立体に、投手の投げた球の端がわずかでもかすればそれはストライクです。
ただし、ストライクゾーンに入らなかった球でも、打者がバットを振ればそれはストライクとなります。
なので、打ちにくいボール球を振ってしまうのは打者にとってメリットがありません。
ボールは見逃し、ストライクだけを振るのが基本ですが、変化球や目の錯覚を利用して、投手はボール球を振らせようとしてきます。
また、打者が打った球が、一塁と三塁の間のゾーンを通過しなければ、それはファールとなり、打者は進塁できずストライク扱いとなります。
ただし、ファールは何球打っても2ストライクまでしか増えず、三振にはなりません。
ホームベースから一塁に向けて、白線が引かれていると思いますが、基本的にはこの線より外にボールが行けばファールです。
ただし、一塁ベースより投手よりを通った打球がその後ファールゾーンに出ても、それはファールとなりません。
打球が一塁ベースの外側を通ったか内側を通ったかでファールかどうか判定されます。
(もちろん三塁線も同様です)
フライの場合は落ちた箇所がファールゾーンかフェアゾーンかで判断され、ホームランの場合はフェンス際に立っている黄色いポールの内を通ったか外を通ったかでホームランかファールか判定されます。
塁(ベース)は4つあり、走者が一塁から二塁、そして三塁へ行き、最後に本塁を踏めば1点入ります。
走者は塁を踏まずに飛ばしたり、前の走者を追い越したりしてはならず、順番に一つずつ塁を踏んで進塁する必要があります。
追記終わり
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WBCで野球見て盛り上がったけど、いまいちルールわからん?と思った方はいると思う。
そこで、簡単に、初心者が混乱しがち、というか、いまいち納得できてないようなルールを簡単に説明しようと思う。
それがわかると走者の動き、守備の狙いなんかもわかるようになるので、ちょっと見え方が変わるかも?
目新しいことや複雑なことは言わないので、野球よく知っている人は、特に得るものはないエントリだと思いますのであしからず。
まず、出塁と進塁、そしてタッチアウトとフォースアウトの差について説明した後、タッチアウトやケースごとの走者の動きと、それに対応した守備の動きを説明するよ
野球の基礎的なルール、ストライク3つでアウト、アウト3つで攻守交替、走者が本塁を踏めば1点、みたいなのは知っていると思う。
それをもうちょっと深めて考えると、まず走者を塁に出す「出塁」と、走者を次の塁に進める「進塁」という2要素から攻撃が成り立っているのはわかると思います。
出塁に関しては多分みんな知っていて、ヒットを打てば塁に出れるし、打たなくとも四球、死球、エラーなどでも塁に出れますし、これはとても分かりやすいと思います(振り逃げ以外)。
難しいのは進塁のほうだと思うので、進塁についてのルールを解説していこうかな。
走者をアウトにする条件として、基本はタッチアウトです。
ボールを持った野手が、ボールを持った手で走者に触れると走者をアウトにでき、走者を消せます。
ただし、走者が塁に触れている限り、走者をアウトにできません。
塁が安全地帯ということですね。
しかし、タッチをしなくとも走者をアウトにできるのがフォースアウトです。
タッチされない限りアウトにならないのであれば、次の塁にすでにボールが送球されているなら、無理せず元の塁に戻ればタッチされず、アウトにならないはずです。
しかし、打った直後の打者走者は一塁に到達できないならバッターボックスに留まる、などはできませんし、一塁に走者がいる場合は打者走者が一塁に行かなければならないため一塁走者は一塁に留まることができません。
このように、自分の後ろに走者が飽和していれば前の塁に戻ることはできません。
このような場合、ボールを持った野手は走者にタッチせず、ボールを持って次の塁を踏むだけで走者をアウトにできます。
これがフォースアウトです。
一番多く見るのが、打った直後の打者走者は、一塁でタッチされず、一塁を踏んでいる一塁手がボールを捕った時点でアウトになっているケースで、これもフォースアウトです。
一塁走者がいる場合、内野ゴロでダブルプレー(ゲッツー、併殺)があると思いますが、あれも二塁でフォースアウト、一塁でフォースアウトとなるため、タッチプレーにならずに速やかに送球されるのがポイントです。
ここからが本番だよ!
野球初心者のわからないところで一番多いのが、今何で走ったの?今何で走ったらダメなの?だと思う。
結論を言うと、基本的に走者はいついかなる場合でも進塁を試みることが可能です。
しかし、野球の多くの時間では、ボールをフィールド真ん中にいる投手が持つため、むやみに進塁を試みてもすぐさま投手がボールを塁に送球するため、タッチアウトにされていまします。
なので走者は基本的には走れません。
そこで、打者がボールを打って転がし、守備がボールを保持しない時間を大きく作れば、その隙に走者は余裕をもって進塁を試みられます。
しっかり打てば大きな時間を稼げるのでたくさん進めますし、しっかり打たなくともとにかくバットに当てて転がせばそこそこの時間を稼げます。
その走者が進む時間だけを最低限確保するために、ボールをバットに当てる行為が「バント」です。
もちろん隙があれば走者は走れるので、投手の球を捕手が捕りそこなった際にもよく進塁が試みられます。
また、捕手から最も遠い塁が二塁なので、投手が投球モーションに入ってから捕手が捕球、それを二塁へ送球するまでの時間を利用して一塁走者が二塁進塁を試みることがあります。
これが盗塁です。
もちろん二塁走者が三塁へ、三塁走者が本塁へ盗塁を試みることもありますが、難易度が跳ね上がります。
いついかなる場合も走者は進塁していい、と先ほど言いましたが、例外があります。
それはフライアウトの間です。
打者が滞空時間の長いフライを打ち上げた時も走者が走ってよいなら、打者は滞空時間を競うようになります。
そうなるとゲームがバグってしまうため、「フライの間は進塁できない」というルールがあり、もしフライの間に進塁してしまっていたら、一度元いた塁に帰塁しなければならない、という決まりがあります。
しかし、裏を返すと、野手がフライをキャッチした瞬間に元の塁に張り付いていたら、野手がボールを捕った瞬間に「進塁しちゃダメルール」が終わるので、また元の「いつでも進塁していい時間」が復活します。
そこで、フライの間は塁に張り付いておき、フライがキャッチされた瞬間に進塁するのが「タッチアップ」です。
よく見られるのは無死または一死で三塁走者がいる場合、外野フライを打ち上げれば三塁走者がタッチアップでき、本塁に戻って得点になるケースで、これは特に「犠牲フライ」と呼ばれることもあります。
ポイントは、キャッチした外野手から、進塁先の塁が遠いほうがボール到達までの時間が長いので、本塁へのタッチアップが最も簡単で、次にライトフライで二塁走者が三塁へのタッチアップが多く見られます。
二塁は外野から最も近いので、一塁から二塁へのタッチアップはほとんど起きません。
先ほど書いたように、ボールを捕球した野手と、進塁先の塁の距離は直接、走者が走れる時間に結びつくため、大事な概念となります。
得点が入る本塁は外野から最も遠い位置にあるため、外野から本塁への送球が最も時間がかかります。
そこで、二塁に走者がいる場合は、二塁打ほど大きな当たりを打たずとも、内野手の間を転がして抜くようなシングルヒットでも、得点が入るケースが多いです。
そのため、三塁だけでなく、二塁に走者がいる場合も、「得点圏に走者がいる」と言われます。
例えば、無死または一死で二塁走者がいる場合外野にボールが抜けると一点入る可能性があります。
二死であればあとひとつアウトを取れば交代なので、最も守りやすい基本の守備位置となりますが、無死または一死ならば次のプレーでの交代はまずないので、1点を争う場面だと二塁走者の本塁突入を防ぐ必要があります。
そこで内野をぎりぎりゴロで抜くようなヒットで点を入れられないために、外野手は基本の守備位置よりずいぶん前に出て、バックホームで走者を刺せる位置で守ります。
これが「バックホーム態勢」です。
「バックホーム態勢」は二塁走者を本塁に返さないために有効ですが、外野手の頭を超えて長打となるリスクを持ちます。
打球速度の速い鮮やかな外野前ヒットなら、そもそも走者は三塁でとまるため、バックホーム態勢の狙いは本当にゴロで内野を抜いていくヒットを刺す、となります。
これが、3点差で勝っているチームの終盤、とかであれば、1点を防ぐより1アウトを確実に欲しいと考えることもあり、バックホーム態勢を敷かないケースもあります。
一塁に走者がいて、カウントが3ボール2ストライクの時、ボールならば四球で走者は進塁でき、ストライクなら打つため、打者は必ず投球に対してアクションします。
そのため、打者が三振しない限りは捕手が投球をそのまま補球することがないため、一塁走者は少しでも早く次の塁を目指すために盗塁並みのスタートを切ってきます。
通常なら走者一塁で外野前ヒットなら走者一二塁となりますが、フルカウントで一塁走者がスタートを切っており、打球が三塁から最も遠いライト前に放たれた場合、一気に走者一三塁とできるケースが多いです。
走者がぼーっとしてると一二塁で止まってしまうため、このような抜かりのない走塁をする姿勢はとても大切です。
ただ、スタートしても打者が三振してそのまま二塁で盗塁死する三振ゲッツーもありますし、内野ライナーで帰塁できずダブルプレーという不幸なケースもありますが、少なくとも通常よりよいスタートを切るのは間違いないです。
これが2アウトならもっとそうで、三振したりライナーだったりするとその時点で交代となるため、走者が飛び出すことにリスクがなくなります。
外野フライもそうで、無死または一死なら、外野フライを捕球されると走者は塁に戻らなければならないので、リスクを持ったスタートはできませんが、二死ならフライアウトの時点で交代なので、帰塁にメリットはありません。
2アウトならどんなフライでも走者はスタートを切るので、外野フライが抜ければ一塁走者が一気にホームインすることも珍しくありません。
ちょうどWBCメキシコ戦で周東が一塁から一気にホームインしましたが、あれは通常は2アウトからしか起きないようなプレーで、捕球されないことを確信した走りを見せた周東の判断力が、走力以上に光ったプレーでした。
外野手も逆に、捕球できる素振りを見せれば走者は動けないので、明らかに頭を超えるような球でも、捕球できるように見せるため振り返ったり手を上げたりして走者をけん制しつつ、速やかにクッションボールの処理に移ることもあります。
このように、カウントや状況によって走者のスタートがまるで変ってくるので、球場に行けばぜひ見て欲しいところです。
走者はリードを取ってスタートするのに対し、打者走者は打ってから走るので一番遅いですし、一塁はいついかなる場面でもフォースアウトです。
そのため、微妙な打球の時、最もアウトにしやすいのが一塁への送球です。
そこで、確実にひとつアウトを取る時は、三塁走者の本塁突入を無視しても一塁に送球します。
これが基本です。
ただ、走者が一塁にいれば一塁だけでなく二塁もフォースプレイに、走者が一二塁にいれば一塁二塁三塁全てがフォースプレイになりますし、満塁ならば本塁もフォースプレイになります。
なので、走者がたまると失点のリスクは高いですが、フォースプレイにできる塁が増える分、守りやすさも上がります。
走者一二塁の時は、内野手が捕球すれば自分から一番近い塁に走る(投げる)だけでフォースアウトにできますので、送球ミスのリスクが下がります。
1死二三塁の時、一塁があいているため本塁がフォースプレイでなくタッチプレイになりますが、タッチプレイはアウトにできる確率が下がり、ダブルプレーを取りにくくなります。
そのため、二三塁の時にあえて一塁を埋め、本塁フォースアウトからの一塁アウトを狙える満塁策もあります。
特に、同点の裏の回で走者二三塁だと、三塁ランナーが返った時点で試合は終了となりますから、一塁を埋めるデメリットはありません。
無死一塁の場面、打者が送りバントをすると、打者自体は一塁に生還するほどの時間はありませんが、スタートの速い一塁走者を二塁に進める時間は確保できます。
この時、野手がバントを好捕したならば、二塁に送球すれば走者をフォースアウトにできる可能性があります。
仮にバントを二塁に送球しアウトにできればファインプレーなのですが、二塁がセーフになってしまった場合、「野手選択」という送球者のエラーが記録されます。
それほど一塁をアウトにすることは簡単で、その他の塁をアウトにすることは難しいのです。
よく、1死三塁などの場面で内野ゴロを打つと、本塁に投げても間に合いそうなのに、一塁に投げるケースが多く見られます。
それはそのくらい、本塁タッチプレイでアウトにすることは難しく、そのリスクが一塁で確実にアウトを取ることと釣り合わないと考えているからです。
野球はどう頑張っても3アウト×9回の27アウトの間しか攻撃できませんので、ひとつのアウトを確実に取るプレーは実はとても大切なことで、そのために1点を差し出すこともいとわないケースもあるものです。
そのあたりの選手の考え方は、野手の守備位置を見るとある程度わかります。
内野手がベースを結んだ線より投手に近いところにいれば、内野ゴロでも確実に本塁アウトを狙うバックホーム態勢で、通常守備位置なら一
頭がおかしいんだろうな。
試しに自分たちが通勤ラッシュの時間に自転車で車道を走ってみれば無理な要求をしているのは分かるはずだろ。
まあ奴らの場合は実行に移させた所で、車道の左端ギリギリをバイクみたいにすり抜けていけばいいだけじゃないかと周りの迷惑も考えずにスイスイと身勝手に走り抜けるのだろうな。
そうして「全然平気だったぞ。たまーに車にぶつかりそうになったけどな☆」とのたまうのだ。
ふざけた奴らだ……こんなのが交通安全とは何かを考える権限を持っているんだから交通事故がなくなるわけがない……。
今の日本の道路で自転車が走れる道は文字通りの「シャドウ」しかない。
車道と路肩の中間、白線直上一本橋をひたすら走り続けるしか道はない。
その道を時速5kmのママチャリが塞げば、他の自転車はそれに合わせて時速5kmで走るのだ。
何故なら白線の外側では制限速度60kmの道を自動車が時速70kmで駆け抜けているのだから。
それも「キープレフトが大原則!自動車教習所で習いました!」と白線ギリギリに幅寄せしながら走るのだ。
白線からちょっとでもはみ出せばバンパーに跳ね飛ばされるのは目に見えている。
自動車が来ないタイミングを見計らって一瞬のスキをつけばママチャリを抜かすことも出来るだろう。
だがその一瞬にもしもママチャリが蛇行すれば一緒に車道に倒れ込み、今度は時速70kmで突っ込んでくるタイヤの餌食になるのである。
「自転車はシャドウを走ってください」とは、道路行政からの「自転車なんて邪悪な存在はそもそも公道を走らないでください」というメッセージだ。
ふざけやがって、SDGSなんて知ったこっちゃないねという態度が目に浮かぶ。
日本は京都議定書なんて口先だけで掲げておいて、エコカーを推進しますと言っておいて、自転車なんて悪魔の乗り物は光の当たる場所に居るべきではないと言い張るのだ。
歩道を白線で半分に区切って、その片方に自転車レーンを設けるだけも急場しのぎの対策はできるはずなのに、それさえやらないのだ。
ほんの僅かな手間暇さえ惜しんで、法律だけを強引に押し付けることを選んだのだ。
「シャドウを走る存在しない前提の乗り物が、何故か突然車にぶつかったのなら、それは道路行政の闇に飲み込まれた運転手たちが悪いのである」で押し通すことを選んだということだ。
マジで終わってるなこの国
何も書いてありません。そもそも正式には『視覚障害者誘導用ブロック』です。
線状誘導ブロックは沿って歩け。点状警告ブロックはここは停まって注意。それだけ
駅のホームを例にすると
となっていると思う。この場合、利用者は横に延びているブロックに沿ってホームを並行に移動し、点状ブロックで線路に近づいていることを理解する。
JIS規格や国際規格はあるけど色の決まりは無いよ。でも原則黄色となってる。
渋い顔されるけど規格内なら問題は無いよ。消火栓やAEDと同じくデザイナーや建築士の法令チキンレース。
バリアフリー新法の中にあったりして設置すると良いことがある。ただ自治体によって設置義務の規準が曖昧だったりする。
問題の根本は圧倒的無理解だから何も解決して無い。今回の場合は施設設計の人間にブロックの意味を誰一人理解していなかったのだろう。上で述べた使い方を知っていれば点状にアンパンマンの顔仕込む発想は出てこないだろう。(白杖を当てたり足で踏む場所なので)
来たら子供どかせばいいという意見は商店街とかでよく見る点字ブロックの上に自転車を悪びれも無く停めて利用者が当たって倒れると逆ギレする人と同じだ。
アンパンマンミュージアムに来ないでしょと言うのは論外。少し前に話題になったアポ無し飛行機搭乗や乙武氏の一件と違い正規の手段と施設が用意した器具を利用しているのだから何もおかしいことではないし、ぶっちゃけアンパンマンミュージアムが「視覚障碍者は来ないでほしい」と言ってくれれば今回の問題も起きなかった。見せかけのポーズだけバリアフリーが一番厄介。
手すり、スロープ、エレベーター、点字ブロックを全撤去してトイレの場所やマーク、AEDや消火栓もパン工場の中に上手に隠された足腰丈夫な健常者専用アンパンマンミュージアムがあるならとても見てみたい。
駐車場入口付近にとまっている車が見事なまでに白線をはみ出しており(車で白線をまたぐような位置)、駐車場の広さ・構造上、非常に出入りの邪魔である。
邪魔ではあるが出入り自体はギリギリできないわけではなく、自分が借りているスペースを害されているわけでもないので、毎日の出入りにストレスを覚えつつも、具体的な対策は何もできないでいる。
移動してくれとかとめないでくれというつもりは毛頭なく、白線内に収めてとめてくれさえすればよいだけなのだ。
毎日当たり前のようにはみ出してとめるので、本日、写真を持って管理会社に申し立てをした。
本来の借り主の別の所有車なのかもしれないし、その車がどこの誰のものなのか、本来契約しているのかどうか、そんなことは知ったことではないし論点ではない。
(契約者ではない者が勝手に使っているかもしれない状況で、確認すらしようとしない態度はどうかと思うが…)
私からの唯一の望みは「白線内に収めてとめるよう注意すること」であると明確に伝えたが、それでもなお動かない、動こうとしない様に辟易している。
@ochamet_tklab
三苫選手の蹴り返したボール(半径11 cm)が1.88 mm(半径の1.7%)だけライン上にギリギリ残っていたことでゴールが認められ、スペイン戦に勝利したそうですね🙌
我々の住む地球大気(対流圏)の薄さ16 kmは、地球半径6371 kmの0.3%です。もしこれがノーゴールなら、陸上に生命はいません。
今日はじっくり見た
たぶん地球=ボール 地球大気圏(地球生物の住処)=白線と捉えて書いてるんだろうな
この文だと「もしも摩擦という存在がなかったら」みたいなそっちの言い分のように勘違いされる
俺が喩えるなら前述のも含め「もしこれがノーゴールであれば我々は地球人ではなく地球外生命体です」だったら伝わると思う