はてなキーワード: 番宣とは
10月に異世界食堂2が放送されることを記念しての番宣動画なんだけど、
なんと2回目のゲストには
背が高くてイケメンで料理も出来て、人気者のサプライズゲスト(声優には伏せておいた)はずなのに
もこみちが出てきたときの反応が薄い。マスクで口元が隠れてたせいかもしれないけど。
この動画を見ていた普通のおっさんの感性から言うと、この反応は想定外。増田には書かずには居られないと思ってPCを立ち上げ今こうして、感想を書いている。
もこみちがサプライズゲストでやってきたら若い女声優は口元抑えて「きゃーきゃー!」とか言ってテンション爆上がりする、
やっぱイケメンにはこういう反応だよねえってテレビなんかでよく見るやつを期待したんだけどそれが見れなかった。
それがこのあたりのシーン
今朝の事だった。
テレビ朝日を観ていたら、4月28日(水)の晩に放送される
「世界で急上昇!オニ推し動画ベスト50 SNSでバズってる50本をランク付けしちゃいましたSP(スペシャル)」
という番組の番宣が流れていた。
番宣を見て、クソだと思った。
この番組は、世界中でバズっている動画を厳選してあらかじめモニターから
「これはすごい!」と思った動画はどれか、アンケートを取り、そのランキング順に
50位からインパクト満点の《オニ推し動画》を発表する、今までになかった新機軸の動画バラエティー!
YouTube、Instagram、TwitterなどのSNSでバズっている、
いま話題の動画を怒涛のようにお見せしていきます。
果たして選ばれた映像とは?そして第1位に輝くのはどんな動画なのか!?
前々から言われていた事だがインターネットが広まり、これまでテレビを観ていた層がインターネットに
娯楽を求める様になった事に、テレビ側が対抗し
テレビ側は、「インターネットから番組で使うネタを集めて来る様になった」と言える。
テレビや新聞の基本は取材は足で、じゃなかったのか?
インターネットから拾ってきた話題の動画を流して、番組に出演してる芸能人が
その動画に関して一言か二言コメントする、実に低予算で製作できそうじゃないか。
今回の話はテレビ朝日の話だが、テレビがクソになったなと思った。
関係しそうな増田
結局緊張感はテレビ次第:テレビがクソという話
芸能人の通り魔:インターネットの話
エヴァでは「女性は弱い」という描かれ方が旧劇からされてないので良い
・マリの「どこにいても見つけ出してみせるからねワンコ君」への違和感。そんなにシンジに思い入れある?
・トウジー!生きてた
・綾波が「私は綾波レイじゃない」というと、「そうなの、そっくりさん」という流れで自然に肯定されてたのがよかった。
・その後もレイはプラグスーツを脱がないけど、「汗水たらして働いて」周りに受け入れられるにつれ、
「エヴァパイロットではない自分」としてのアイデンティティを確立できて、プラグスーツを脱ぐことができるようになったのがよかった。
・レイが委員長に「おやすみって何」「おはようって何」ってたくさん聞いたとき(それこそ赤ちゃんのように)、委員長の答えがお母さんのように優しくて、
よかったねという気持ちと、女に母性を求める意図が透けて見えて気持ち悪かったという気持ちの両方があった。
・トウジやケンスケがシンジに話しかけるシーン、自分は大人になったのにいきなり14歳のままの同級生(シンジ)が出てきたらどう接していいか戸惑うだろうなと思った
・ケンスケのことをアスカが「ケンケン」って呼んだのが一番衝撃だった。そして全裸のアスカ。動じないケンスケ。あっ・・これはやることやってませんか?
アスカとシンジがくっつくものだと信じていたので、あこりゃだめっぽいなと少し悲しみがありました
(と思ったけどこれ、ケンケンが大人でアスカが14歳の体だから動じなかっただけなのかな。そしてラストでは大人の体になっていたので無事ケンケンとくっつけるとか)
・アスカにもDSSチョーカー。後で明かされるけどアスカも人造人間で使徒入りのため?
・だんまりなシンジにアスカが無理やり食事をさせて、そこで無気力にしてるかと思ったら、勢いよく家出していって驚いた。鬱の人ってそんな衝動的に行動できる?
・アスカがレイに「サードのこと好きになるように設計されてる」と言ってたのが印象的だった。そしてアスカもそう。悲しい。
アスカも人造人間だったんだ。式波に改名されてたのも理由があったんだね。
シンジが庵野の投影だとすると、モテモテな自分みたいなのが透けて見えて少し嫌だった。
・アスカがシンジのこと「好きだったわよ」というのがよかった。過去形!「卒業」という感じを受けた。
なお、ラストでシンジも「僕も好きだったよ」と返すの、さわやかだと思ったけど、庵野がアスカの声優に一方的に恋してたエピソードもあるので、
「お互い好きだったけどうちらもう卒業だね(アスカにはケンケンがいるし、シンジにはマリがいる、あとボク庵野には安野がいるし)」みたいな良い話風にねじまげるのはちょっと…と思った
・レイが渡したカセットプレーヤーを跳ねのけたのはどういう心境だったんだろう。ただの拒絶?プレーヤーを拾ってくれてたはずの本当のレイはもう死んじゃったから?
・ペンペンがたくさんいてほっこりした。トウジと委員長とツバメのシーンでも思ったけど、子を産み、次世代に託していくことの尊さのモチーフがいっぱいあったね。猫とか。
・シンジの「どうしてみんな優しいんだよ」の嗚咽、緒方さんほんとよかった。
旧劇で「どうしてみんな優しくしてくれないんだよ」みたいな台詞があったけど、そのアンサーだと感じた
・レイがシンジに「名前を付けてほしい」とお願いするシーン、ラストのほうでユイがゲンドウに「子供の名前決めてくれた?」と尋ねるシーンとの対比でよかった
・レイが目の前でLCLになっちゃうシーン、シンジにまた新しいトラウマを植え付けるなんてひどい…と思っちゃった
・加持さん!一瞬綾波式波みたくクローンかと思ったけど子供!ミサトさんは産休とったんだろうか?とる暇なさそう。
あと死んだお父さんと同じ名前つけるってどうなってるの?呪い?
・シンジ乗船後にアスカとサクラが話すシーン、アスカは「監視」としてシンジを引っ張ってたんだな・・・と切なくなった。ヴンダーに乗らなくてもいいとも言ってたし、それだけじゃないだろうけど。
・マリがアスカにべったり。レズ的に好きなの?そういえば漫画版ではマリはユイにガチレズで…と思ったけどラストでマリはシンジと(ry
・13号機がトリガーなの、13っていう忌み数と関係あるのかな?
・ヴンダーがめっちゃ攻撃受けてるとき、クルーがみんな最速で状況伝達していてよかった。パリでのマヤとのやり取りと違って弱音を吐かない。
・リツコがためらいなく速攻でゲンドウに発砲したのよかった。旧劇では撃てなかったので…
リツコのベリーショート、昔の男(ゲンドウ)からの「卒業」感を感じて好き。評判悪いけど。
・ゲンドウが脳みそ拾うところちょっと笑っちゃった。要るんだそれみたいな。
・ゲンドウが意味深なカタカナ語いっぱい話すの、ビジネス用語を多用しすぎる上司みたいで笑っちゃった
・ところで六分儀ゲンドウっていう旧姓が新劇ではなかったことになった件、考察必要ですか?惣流→式波の改名も意味あったわけだし…。それともユイの苗字を綾波にしたかっただけ?
・ミサトが一番好きなので、ミサトのサングラスが銃で吹っ飛んで彼女の感情が見えるのがよかった。
誰かが言ってたけど、ミサトとゲンドウはサングラスで視線の全部を、アスカは眼帯で視線の半分を隠してシンジと目を合わさないという考察。これでやっとミサトの心が見えるようになる。
・サクラ「怪我したらエヴァに乗らんでいい、ちょっと痛いかもしれないですけど我慢してくださいね」、その通りなんだが、めちゃくちゃだな…
・ミサトがシンジを庇って「私がすべての責任を取ります」というシーン、よかった…よかった…
・そのあと、シンジと抱擁を交わすシーン、シンジ大人になったなあという感じ。親愛はあっても、その間にあるのは大人のキスではなく、他人である別の人間との適切な距離感。
・量子テレポート、めちゃシュバババってなってて笑うでしょあんなの…
・親子対決、いきなり特撮っぽいなと思ったけどミサト家や学校やらでいきなりスケール感のおかしいエヴァが暴れてるの、どういう演出なの…?シン・ウルトラマンの番宣ですか?
・シンジがゲンドウと対話したいと伝えたの、大人になったなという感じ
・ゲンドウの過去、全く想像通りのやつがお出しされてそうだねとなった
・ゲンドウがピアノ好きなの、Qでのシンジとカヲルのセッションが効く演出でいいなと思ったけど、シンジのチェロ設定どっかいっちゃった?
・冬月はなんで(どういう理屈で・どんな感情で)LCLになっちゃったの?
・ミサトさん…死んじゃって悲しいけど、加持さんのところに行けてよかったね
・ゲンドウがシンジの中に「そこにいたのか」ってユイを見出してよかった。
ユイがいなくなっても、いなくなったからこそ忘れ形見のシンジを大事にしなくちゃいけなかった。
ゲンドウが幼いシンジを大事そうに抱きしめるシーン、今まで描写がなかったので良かった。シンジと向き合えないっていう不器用な愛情だけじゃなくて、やっと向き合えた。
人は子を産み育てることが尊いという生命賛歌。生きてていいんだという存在の肯定。
・この辺旧劇とそれほど伝えたいこと変わってないのかな?と思ったので、こんな大々的に焼き直す意味はあったのかな
・どこだったか忘れたけどシンジの突然のすしざんまいに笑っちゃった
・大人ゲンドウを子供シンジが見つめ、今度は子供ゲンドウを大人(少年)シンジが見つめるのがよかった。親のインナーチャイルドを息子が癒してあげたんだね。そういうことあるよね。
マリがシンジに執着するの、漫画版を読んでいたらマリがユイにガチレズ感情を持ってたためにユイの息子(シンジ)に執着してたって視点を持てるけど
ゲンドウの追憶で出てきた、マリがゲンドウにユイを紹介したシーンでBSS(僕が先に好きだったのに)の波動を感じ取れと…?
その流れから惚れた相手(同性)の息子(異性)に「だーれだ」「胸の大きいいい女」って躾込んでるって考えたくなくないですか…?【追記ここまで】
・アスカケンケンカプを公式でダメ押ししててつらかった。そんな、余ったの適当にくっつけるみたいな…
・カヲルの救済はなんで加持だったの?接点あった?あと渚指令ってなに?
・「今度こそ君だけは幸せにしてみせるよ」とか意味深だったけど、円環とか言ってたからループ世界だったんだね。
・ユイがこのためにエヴァにいたんだというのもよかった。子の背中を押して親は去る。
・槍に貫かれて「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」はものすごくきれいだなと思った。ここでも「卒業」を感じた。
シンジに、ゲンドウに、レイに、アスカに、カヲルに、すべてのエヴァンゲリオンに、そして『エヴァンゲリオン』という作品に。さようなら。
・シンジとマリがくっついたの、旧劇にはいなかったマリ(安野)を手に入れて救われましたっていう庵野と嫁のストーリーだなと感じた。
なんで神木隆之介なの?君の名は。?なんでスーツ着てるのに昼間から仕事してなさそうなの?
そもそもシンジとマリって接点あった?なんでマリはDSSチョーカー外せるの?
ていうかDSSチョーカーずっとつけっぱだったんだ…
チョーカー外すってモチーフはエヴァの呪縛からの脱却ってわかるけど、それはエヴァを槍で刺したのとシンジが大きくなってるのでもう分かるし…虚構から現実への移行のトリガーとして外したの?駅構内で?
・レイとカヲルとアスカが遠くにいて(遠くの虚構)、こっちにはシンジとマリ(庵野と安野・現実)、そして宇部新川駅(庵野の出身地)という現実に帰っていく。
これは、シンジとゲンドウに仮託した庵野の個人的な成長ストーリーだったのだ…
【終劇】
今年からGPがカタカナでグランプリになりました、とかマジでどうでもいい。
決勝戦の見せ方があまりにもグダグダすぎて、流石にドン引きです。
M-1とは元々月とスッポンの差があったのが、もうそれが今年は月とマントルくらい開いた。
後発のはずのキングオブコントの方が、よっぽど見せ方上手い。
…一言断っておくが、Creepy Nutsを責める気はなくて、彼らはむしろもらい事故の被害者だと思う。
かの有名なM-1の出囃子、FATBOY SLIMのBECAUSE WE CANみたいにしたかったんだろうけど、耳に残りすぎて逆にネタ前に毎回かかったら見る側はネタに入っていけない。
漫才なら、出だしはだいたい「どうもー!〇〇です」って威勢よく入るからまだしも、
R1はピンネタでフリップ芸なり世界観強めのコントだから、出だしは静かな入りがほとんど。
…告知パートに紛れて、ドラマの番宣入れるなよ。M-1で上戸彩は番宣一切しないだろうが。
緊張感が削がれるし、大会の格もそれだけで落ちるんだよ。
番宣ありきで広瀬アリスをブッキングしたなら、来年はまた違うキャスティングなのかよ。
まだ、局アナに回させた方がよかったわ。
…マジで意味不明。ただでさえ尺パツパツなのに、なぜあんな長い時間、優勝決定直後という美味しいタイミングを、冠スポンサーのU-NEXTの社長を壇上で待たせたまま、1本目のネタをプレイバックしたのか。
なんか転換でもしてたのか(いや、してない)
あそこは普通、盛り上がりの最高潮なんだから、優勝者の第一声から、審査員に大会の講評を聞きながらエンドロールでエンディングでしょうに。
あの静かめな3分間、視聴者の皆さんもじっくり大会を振り返りましょう、やないねん!
…全ての元凶はこれに尽きる。それぞれのネタが、なかば流作業的に披露され採点され消えていく拙速な進行は、すべて2時間という放送枠の短さに起因している。
出場10組+決勝3組、計13ネタをきちんと見せるにはあまりにも尺が足りない。
編成上の理由で、18:30からのサザエさん動かせないのは分かる。
ならばなぜ、19:00〜22:00の3時間枠にできないのか。
日曜21時台は、20時から続く特番枠なんだから、容易に調整できたはず。
結局、Mr.サンデーの2時間特番が入ったってことは、編成的な優先順位がR1は低いってことなのだろう。
それくらいの温度で決勝を放送するから、結局R1の地位も魅力も上がらないんだよ。
審査員の人選も良かったとおもうし、M-1との差別化で取り入れた視聴者ツイッター投票による加点も賛否両論あるとは思うが、わたしはあってよいと思う。
ただいかんせん、番組やコンテンツとしての見せ方があまりにもレベル低い。
まだTHE Wの方が、見せ方としては上だった(あれはあれで、結局は日テレの番宣要素が強すぎてひどいことには変わらないが)
M-1>>>越えられない壁>>>キングオブコント>>>越えられない壁>>>THE W>>R1
である。
ZAZZYじゃないけど、
なんそれ!
シン・エヴァンゲリオン劇場版、公開初日に観に行くのですが、その前に今の気持ちを書いておきたいと思いました。
そして明日3/8、これを見返したとき、どう思ってるのかも楽しみです。
まず、下記のシロクマさんのブログに書いてあることが、あまりにも自分の心情に近いので紹介します。
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■解呪と供養のためにシン・エヴァンゲリオンを観に行く
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/.../20210306/1615017226
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そうなんです。
旧アニメからの26年にわたるファンの自分も、いったいどんな気持ちで最後のエヴァを観に行っていいのかよくわかないのです。
心の準備ができておらず、戸惑いがあるのです。観たくないけど観たい、でも観なければならない。
幾度と公開延期を繰り返すたび、残念さと同時に安心感があったのです。これでまだエヴァが終わらない。まだリアルタイムに語れる子供の頃のままでいいんだ、くらいの。
登場人物の葛城ミサトがいつまでもお姉さんでいて欲しいというファンがいたんですが、その気持ちもわからんでもないのです。
劇中の人物よりはるかに年上になってしまった自分たちを直視したくないのです。
だからQでミサトさんがまた年上になって、またお姉さんでいてくれたことに、甘えのような嬉しさがあったのです。
それが、急に、3/8ですよ。えっもう?てなりましたよ。この26年間の想いに急激にピリオドを打たれる感じ。
番宣で「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」言われて、ああ、伝える側も、完全に終わらせに来てるな、ってのがわかりました。
Qでアスカが言ってた「エヴァの呪い」とは僕ら中年ファンのことです。
この作品に向かい合ってるときはいつまでも大人になれず、10代のノリで語ってしまうのです。
役者さんたちもこれ以上ひっぱれば満足な演技もできなくなるかもしれない。監督もファンも先に進めない。
だからここで終わらせないといけないのです。
終わらなかった例がガンダムです。正確には新作もたくさんできてますが、アムロとシャアの戦いは産業になってしまった。
もう、何が終わりだったのかもよく分かりません。
自分では逆シャアですが、ユニコーンでまさにシャアの亡霊を引きずり出してしまった。そうして旧ファンは喜んだし売れた。
3/8月曜に終われば、この紹介したブログに書いてある通り、エヴァ離れできなかった自分が供養されるような、穏やかな気持ちになれるような…そんなことを期待しています。
だから庵野監督、どうか旧劇のようなわけのわからないラストはやめてください(笑)もう引きずりたくない。
もうネットで考察を書いてファン同士でバトルしあうような熱量はないんですよ…。
さて、僕は明日、何を想っているのか。楽しみです。
無事に解放と供養されているといいな…。
社内で飲み会を禁止にしているのだけど、一部リア充(最近は何ていうの?)社員から猛反発を食らっている。
彼らは口を揃えて「気をつければ大丈夫」というのだけど、どれくらい気をつけているのかを聞いてみたところ割と頭が痛くなる答えだった。
・いつも一緒にいる人間同士ならソーシャルディスタンスは必要ない
・この辺を満たしていれば何人集まっても問題ない
・そもそも手洗い、消毒を徹底しているので、検温して平熱なら問題ない
挙句の果てに、会社負担で飲み会前にPCR検査を受けさせてくれれば全て解決するので受けさせろと言い始める始末。
これはなんと言えばいいのだろうか。
更に掘り下げてみると、どうやら彼らの基準はテレビのバラエティ番組を元にしているらしい。
テレビの中の人間たちがそういう振る舞いをしていて、クラスターになるような感染の広がりをしていないのだから安全だと言いはるのだ。
それでも強行して飲み会を中止にしたが、どうやら影でこそこそ飲み会を続けているという話が聞こえてきた。
それこそクラスターでも発生したら事業継続に思いっきり影響が出てしまう。
飲み会に参加したら出勤停止とかしたいのだが、もともとギリギリの人員で回しているので正直それも困る。
もう少しテレビでも不織布マスクをつけて、今の世の中はこれくらいじゃないとダメ!っていうイメージを広げてほしいのだが。
ドラマの中では唾液がかかり合う距離で叫び合ってる役者さんたちが、番宣でその映像を流しながらソーシャルディンスタンス取って座ってる姿を見ると本当に頭が痛くなる。
まずはじめに、これは夢の話で
普段ならTwitterに書いて終わりなんだけど今回あまりにもな内容で、けれどどこかに書き記しておきたくてとりあえずここに書いておこうかとおもって
夢らしくいろんなことがごちゃごちゃなんだけど
途中何度も同じ場面があって
問題はそこなんだけど
三浦春馬くんがいるんだよ
まるでスキージャンプの途中みたいなあの姿勢で下りエスカレーターにいるの
びくともしない、後ろに伸びた腕に触ってもなんとも言わない
とにかく腕や体全体が冷たくて、触るの躊躇するくらいだったんだけど
いま思い出したけど、あれ生きてない人の体温なんだわ
真剣な思い詰めたような表情で真っ直ぐ前を向いて、スキージャンプの途中みたいな体勢で下りエスカレーターで降っていく
止まらないんだよ
最後の段になってもぴくりともせず、下に転がってた
そんな場面が3回夢の中で繰り返されてた
そしたら信じられないニュースでさ
あ、そういう番宣かな?て思ったの
でもなんか違うみたいで
どうやら本当に起きたことみたいで
え、この名前で一番に思いつく彼のことなの?て混乱して身体が震えてきちゃってさ
なんで?て言いながら泣いてしまった
でもそのなんで?すらも彼や周りを責めてしまう言葉のように思えて
だけどいまでもなんで?って思うよ
けれど、歳が近くて、演技がうまくて、努力家で優しい雰囲気で、好青年で、頭うまくて、踊りもうまくて、チャレンジ精神があって
まだまだミュージカルも上手くなるぞ、できるだけ早くキンキーブーツ観に行くぞ
とにかく観たいな、でも遅くなってもそれだけ上手くなったローラを魅せてくれるだろう
そう思ってたんだ。
つらいなあ
特別ファンじゃなかったけれど、きっとこの先も良い演技をしてくれるって思ってた
若い父親役だけじゃなくて、若手社員役じゃなくて、新米教師役でもなくて
20歳くらいの子どもがいる役とか、ベテラン社員とか、教頭先生役とかさ
勝手にそういう役がくる日を楽しみにしてた
あの三浦春馬がもうそんな役やる歳になったかー!まあ自分もこんな歳だしな
て言う日が当たり前にくると思ってた
こなかったなあ
もうせめて生きててくれないかなって
でも苦しかったんだもんな
生きてるのが
しんどかったんだもんな
そしたら生きていて欲しかった、て言えなくなるんだよな……
そんなことをもうずっとぐるぐるぐるぐる考えてるよ
まさか夢に出てくるとは思わなかったけれど
しかもこんなどうにもできないような形で
まだね、竹内結子さんのことは受け止めきれてないんだ
ちょっともうわかんなくて
でもいつかこうして夢に見るのかな
やだなあ
わかりたくないな
こんな早朝にさ
泣きながらこんな文章打ってんだよ
何やってんだろな ほんと
つらいな
もう一度寝るけど
つらいなあ。
(だいたい)小学生のうちに履歴書を送り、面接を受け、選ばれた人間だけがJrになる。Jrとして活動(バックダンサーやJr専門のテレビ収録等)する。20歳前後でデビューする人が多く、そこを過ぎると辞めるか続けるかで迷い、ひと握りの新ユニットデビューを目指して残る人はどんどん減っていく。
そんな中で無事デビューを勝ち取れれば、そこから更に怒涛の下積み。深夜レギュラーやら雑誌収録、時にはドラマ、CD出して番宣…CDの売上はライブの予算に直結するし、ライブは赤字になりがち(らしい)。
それでも、アイドルだからライブをしてくれる。ファンを喜ばせるためにあれこれ企画してくれている。
ゴシップ誌にも負けず密なスケジュールにも負けず、丈夫な体を持ち、先輩のダンス振付を覚え、自分たちの曲も作り、バラエティ番組のやり方を学び、時にはイケメンなのに過酷なことをやります!みたいな企画にも負けず。
週一で番組に出ながら、新しい武器を作って音楽番組に出陣する。年一回のライブをやっている間も可能な限りはテレビやラジオを休まない。
(ちなみにチケ代も円盤も安めで、グッズも〇〇くんの写真くださいと言えば欲しい写真を買える。当たり前ながらトレーディングではない。私は金を巻き上げているとはそこまで思わない。初回盤買い揃えたりしない限りは……)
はいはいジャニーズ(笑)とか、歌下手くそ(笑)とか、ブスじゃん(笑)とか言われたら腹が立つ。鏡を見ろと思う。
お前の人生を見返せ。鏡には表面しか映らない。表面しか見てもらえない世界で努力している人がいる事実を見てほしい。あと単純に誰かが好きなものをよく知りもせずに叩くな(自戒)
一種のアスリートとして彼らを見ている。誰かを楽しませるプロ。幼少期から修練を積んでいること、努力を継続していること等あらゆる角度から尊敬している。
本気で応援できる、熱血漫画みたいなノンフィクション。本気で恋をしている(気分になれる)時間の高揚感。本気で他人の幸福を願える幸せ。
そういうものが、ジャニーズを好きだという気持ちの根源だと思う。
番組途中に番宣CMがはさまるのだが、なんでギャーギャー叫ぶシーンばっかり継ぎ接ぎしてるの。
別に番宣CMというコンテンツ自体は不快でも何でもなくて、個人的には息抜きになって悪くないなくらいに思っている。
でもその内容が番宣開始初手絶叫みたいなのだとちょっと心臓に悪いというか、正直いって不愉快でしかない。音漏れしないようヘッドホン越しに視聴しているのでなおさら。
CM流す側としてはそれで注意をひこうとしているのかもしれないけど、そしてたしかに注意は向かうけど、それはたとえるなら可愛い犬猫や風光明媚な景色に対して抱く関心ではなく、往来で叫び散らしてる異常者に対して抱く警戒心だ。「観たい」ではなく「避けたい」としか感じない。
「CMの内容を問わずCM認知者全体のn%が番組視聴者になる」みたいに決め打ちをして、そのうえで認知者の総数を増やそうとしているのかもしれないが、仮にそうだとして、その方法が怒声って、、、
有料プランに加入したら広告スキップが可能なのかと思ったが、それは放送済みの番組に対してのみらしく、生放送番組は適用外のようだ。(きちんと調べていないのでこれは誤認かもしれない)
某ネット放送サイトさん、もう少しCMでの声のトーンを落としていただけないでしょうか。まぁここにこんなこと書いても無意味なんだけど。
今回は、ここ1・2年で一番に課金してきた推しについて書きたいと思う。
いや、書きたいというか、この胸で悶々とした思いを吐き出したい。
まだこの思いをちゃんと言語化出来ていないのと、あまり文を書くことに慣れていない為、読み辛さなど有るだろうが御容赦願いたい。
結論から言うと冷めてしまったのである。もう自分でもビックリな位。
私の推しは若手俳優で、とある役を演じていたのをきっかけに推すようになった。
ファンクラブにも入り、他のファンの方々とも細々と交流しながら楽しくやっていた。
のだが。
段々と推しのアラが見えるようになってきたのだ。
詳しくは書かないが、まあうっかり推し本人が色々やらかしたりとか。
事務所の仕事の粗さに溜息をつく事が多くなっていった。取り敢えず、ファンクラブはちゃんと動かそうな?事務所よ。
それでも仕事はそんなに切れずに有ったから、ファン仲間もいたし愚痴をこぼしあいながらだが、まあまだ推すテンションはそんなに下がらないでいられたのだ。
推しを観る機会はドンドン奪われていった。返金の嵐に荒んでいくヲタ心。グッバイ超神席。
ポシャった仕事の隙間を埋める様に、色んな芸能人が動画配信をする様になり、我が推しもコンスタントに配信をする様になっていった。のだが。
ここで、まあ割と塩対応であった推しが「ファンクラブの皆さん大好きです。」と分かりやすくファンクラブ配信でファンサを連発。どうしたの貴方、今までそんな事言った事なかったじゃない。
ファンクラブのバースデーメッセージだって、ほぼ番宣だった貴方がどうしたのよ?!
しかし、このファンクラブ配信も数回やってパッタリと行われなくなった。うん!そういうところだよ!仕事が粗い!
事務所本当に仕事粗すぎるんだよ。取り敢えず、釣った魚には餌をやらんと逃げるという事をいい加減学べ。
そう、ファンクラブが会費泥棒と言って良いほど動かなかったのだ。
バースデーメッセージはほぼ番宣、動画も更新は亀、グッズ販売はうま味が少ない(あと梱包がマジで雑。私は運良くなかったが、商品に傷がついて届いた人もいた)
今まで何となく隠れていたというか、供給が有ったから押し流す事ができていた推しや事務所に対する不満が、
このコロナ禍という異常事態ではっきりと認識出来てしまったのだ。
いままでは「ああ、顔がいい」等思いながらニヤニヤする事ができた。
しかし、その時は「あれ?何で好きなんだろう?」という思いしか浮かばなかった。
全てが急にどうでも良くなって行った。
良いところが見えてこない。
見ないようにしてきた、古株と新参者の溝というか対立もしらけさせるには充分で。
文句を言うな、変えさせようとするな、と古株さんグループは言う。
「そのままの君が好き」と、何でもヨシヨシ。
私は、古株さんの様に何でも手放しで喜べないし、ヨシヨシ出来ねえな、と。
「可愛い!カッコいい!天使かな?!」とTLは盛り上がっている。
何となく悲しくなって、推しが演じたキャラクターの動画を観る。
物凄いときめく。もう何十回と観てる動画なのにアホみたいにときめく。
推し本人より、推しが演じたキャラクターが大好きで推すようになったので
引け目を感じていた部分がもとより有ったのだがはっきりと認識出来てしまった。
この推しは、わたしの一番の推しの依代で、推しではなかったのだ。と。
私のTwitterアカウントはこの推し仲間がほぼ全てのフォロワーである。
そんな所で、これをぶちまける勇気は私にはなかった。
ああ、これがただの推し変で有ったなら、あっけらかんと呟けただろうか。
某半生ジャンルにハマった。
二次元モノの2.5化ではない。ドラマ・映画などのジャンルであり、原作は存在しない。この作品が原作というのか。
なので同じ作品名でツイッターで話している人は実写作品を話している。
ツイッターでは鍵無しで伏せたCP名(太郎×次郎ならばtrjr)で話している人が多数見受けられ、イラストや萌ツイートもよく見られる。
これから書く内容的に突っ込まれそうだから言っておくと、自分は生も言及するタイプなのでツイッターにはこの十年ほど鍵をかけている。
今まで半生ジャンルはツイッターでするなら鍵をかけろピクシブに載せるなと散々言われていたけれど、現状を見ていると半生に突発的にハマった人たちはそんなもの知らない。代わりにCP名伏せ字で通常の検索を行う人とは区別されようとしている。
現状trjr(仮)で検索して引っかかるのはこのCPのみであり、一般人が間違えて検索して見てしまうということはない。
CP名を知っている・もしくは推測できて検索する時点で一般人ではなくこのCPを目的とした人間である。
この現状だったら、trjr(仮)が隔離として有効な以上鍵をかけろと言えないのではないかと思えてきた。
ついでに、はっきり言って絵がものすごくうまい人ではない限り、別人ですと言おうとすれば言い切れるんだよね半生ファンアートって。
よっぽど特徴的な箇所にほくろがある人など以外誤魔化しきれなくもないというか。
昔好きな特撮番組がコミカライズされたときはあまりに似ていなくて服装で見分けようとしたが、女子キャラに至っては服装すら特徴がなくどれが誰なのかわからなかった。プロでさえそうなんだからファンアートだと言わずもがななのはたくさんある。
生ならわかる。実在する役者のセクシャリティに関する内容だ。セクハラだ。
たとえいわゆるガチ恋ファンや夢ファンと言われるあたりのLINE画(古い)や性的な行為をされたとされる妄想ツイートのほうが一般人に見られたときに危うかろうと全くもって誰も注意しないし放置されている現状で、あっちもなんとかしろよ!と思いもするが、同人では何故か注意されるのは役者同士のBLばかりだ。なんでだろうな。
しかし半生ではそこに実在人物の外見は存在しようと実在人物の人格は存在しない。アニメジャンルとどう違うんだ。あちらは声優の声をしているぞ。
半生だからこそ隠れなければならない理由というものが存在しない。生の隠れる理由はいくらでも見つかるけれども半生はついでにこれも隠れておこうねぐらいのテンションであってこれという理由が無い。
言ってしまえば半生は極論鍵をかけなくても良いんじゃないかとすら思えてくる。
だが現状鍵をかけていない半生関連ツイッターアカウントは鍵の人間からは距離を置かれることが多々ある。鍵をかけろ、隠れろという根強い感覚は残っている。
とはいえ十五年~二十年ほど前(同人サイト時代)は鍵をかけていないところもあったような覚えがある。あれは単純に今で言う鍵パカ扱いなのかそれとも鍵をかける文化がまだ育っていなかったのかわからない。
みたいに書いてみたけど、十八年くらい前に本アドで三行メール不可のアドレス請求を行った記憶もあるのであのサイトたちが特殊だった気もする。
鍵の開いているツイッターアカウントを見ていて面白いなと思える行動があった。
そのアカウントは、bio曰く普段は自衛のために鍵をかけているが一時的に開けることもあると書かれていた。固定ツイートを見たところ、番宣などテレビで流れる時間帯には鍵を開けると言っていた。
自分がそのアカウントを見つけたのは偶然鍵を開けていた時間帯だったかららしい。番宣の感想が見たくてキャラクター名で検索をかけたのだから当然だ。
ツイッター上でその番宣が盛り上がっていると伝えるために鍵を開けるのだという。思いつきでそのアカウントのツイートを遡ってみたところ、trjr(仮)の性的な内容のツイートやイラストがいくつも見つかった。
実際トレンドにも上がったらしい(未確認)ため、ツイッター上で鍵を開けてつぶやくのは一定の効果があるだろう。だがそのために鍵を開けるというのは、鍵をかけて一般人の目から隠れるという前提からはずれていないのか。
鍵をかけていた時期のツイートはツイッター検索にはひっかからないという話もあるが、非公開アカウントを公開にしたことがないので実際そのとおりなのかの実証は出来ていない。また、googleに拾われた場合引っかかる。ツイッターは古のmetaタグなどの検索避けは使えないので一生来ないでくれと拒否することは出来ない。
前にも似たような内容でぐだぐだ増田で管を巻いたような気がする。別ジャンルに移動してみてまたおかしな文化だなと気になったので思考整理のためにもと書いてみたが、結局わからない。
生や半生ってどこまで隠せばいいんだろうね。個人的にはもう二次元含めて全部隠してほしいんだけどな。幼い頃好きだったアニメの子のエッチなイラストを不意打ちで見たくないんだよ。
(追記)
(追記2)
3年ほど前にVTuberブームが起きてから今に至るまでに、声優ラジオをずっと聴いていないことに気づいた。かつては声優ラジオにハマっていたのに。
その頃はニコニコ動画のランキングにあがった声優まとめ動画から、声優のことを知ったりそのまま声優ラジオを聴いたりしたものだ(今では、声優に関する動画がランキングにあがることはほとんど無い)。上坂すみれがロリータ服でテルミンを演奏してロシア語をまくしたてる衝撃の初回放送を知ったのもまとめ動画だ。大橋彩香が『へごちん』と原稿を読み間違えて不本意ながらあだ名になってしまったことと、大橋彩香のモノマネをする『へごまね』が声優業界のブームになった一連の流れもニコニコ動画で楽しんだ。小林ゆうが赤いペンでイラストを書き阿鼻叫喚になる鉄板の展開も好きだし、金田朋子の金朋地獄もいい。
ハマった声優ラジオでタイトル名が思い出せるものだと『洲崎西』・『としたい』・『りえぷり』・『おざなり』・『本渡上陸作戦』・『ゆゆらじ』である。どの番組もパーソナリティーのキャラクター性が強くて、しゃべりが達者で面白かった。特に『ゆゆらじ』において、声優を2Dイラストで表現しアニメ風の演出で映像を付けたのは、今思うと現在のVTuber文化に通じるところもあって好きだった。
人が娯楽にかけられる可処分時間は基本的にそう変わらないものなので(昨今では、コロナ禍による自宅時間増加の影響もあるだろうが)、VTuber配信を視聴する人はかつてその時間で何か別の趣味を楽しんでいたはずだ。アニメやゲームだったり、YouTuber・ニコ生・ピアキャスの配信視聴だったり、はたまたキャバクラのように実在人物との交際だったりもあるかもしれない。私にとってそれは声優ラジオだった。
かつてハマった声優ラジオを聴かなくなったのは、VTuberブームにのめり込んで声優ラジオを聴く時間までVTuberに充ててしまったからだ。VTuber配信は声優ラジオより手っ取り早く面白いさを享受できるのがいい。実在の声優と違いキャラクター性がはっきりしていて外見の印象が強いので、短時間で魅力が理解できる。一方で、昨今の新人声優は入れ替わりが激しく、新人声優が主役デビューしても1年したら仕事が無くなっていたということも多い。アニメで目ぼしい新人声優を見つけて、番宣ラジオでその声優の人となりを覚えても無駄になってしまう。よって、ここ数年でデビューした声優はほとんど分からない。
バーチャルユーチューバーの呼称をまだキズナアイしか用いていなかった頃に動画を見たことがあるが、その時は魅力を感じなかったし将来性にも気づけなかった。『みならいディーバ』の仕組みを真似ているだけで特に面白くはないなと思っていた。ちなみに、『みならいディーバ』だけでなく、『gdgd妖精s』・『てさぐれ』などの声優ラジオの雰囲気を汲んだダテコーアニメも好きだ。声優ラジオ文化はダテコーアニメを通じて、キズナアイから派生した現在のVTuber文化へと昇華したのだろう。最近『すこだワ』を聴いて、声優ラジオの雰囲気を懐かしく思い出しながらそんなことを考えた。
せっかくだから好きなVTuberについても述べよう。ホロライブ所属の『赤井はあと』と『大神ミオ』だ。最近の『赤井はあと』はホロライブでもトップレベルの再生数を持つほどの人気があるので特に説明するまでもないが、ゲテモノ料理配信やMAD動画作成といった他のVTuberではまずやらないことをやるのがいい。『大神ミオ』は企画立案と司会進行能力に長けており、ホロライブメンバーを複数人集める企画では特にそれが顕著だ。中でも、『ホロライブ幼稚園』・『猫又おかゆ裁判』・『食レポ名人』・『擬音王決定戦』が好きだ。(今確認したら『ホロライブ幼稚園』のアーカイブは削除されていた。任天堂キャラの自作絵がまずかったのだろう)
VTuberの配信は、ゲームやカラオケの配信に絵がついてるだけだの、オチの無いおしゃべりで大量のスパチャを集めるバーチャルキャバクラだのと揶揄されることがある。そうした揶揄の対象になるようなエンタメ性の低い配信を望まないことも、『赤井はあと』や『大神ミオ』の企画力のある配信が好きな理由でもある。VTuberブーム時は、これまでにないエンタメが登場したことのワクワクに心躍るのが好きだったが、今でもその気持ちに変わりはない。
それだけに『大神ミオ』の著作権違反による対応として、配信休止となったことは残念でならない。しかし、『大神ミオ』の企画者や司会者としての立ち振る舞いを考えると、この対応は妥当であると言わざるを得ない。仮に著作権違反の責任をホロライブに押しつけることができたとしても、そんなことは『大神ミオ』のキャラクターに似つかわしくないからだ。配信活動を再開したら、また楽しい企画をやってくれることを切に願っている。