はてなキーワード: 畜産とは
幼少の時分から太り気味で運動神経が悪く、頭も知的障害とまではいかなくても平均以下、顔立ちも極端に不細工では無いがお世辞にも褒められたもんでもない。
家族も自分を愛してはくれたが自尊心を高める様なコミュニケーションは取っておらず、寧ろ優れた所は無く何かと不利な目に合う事が多くともそれに負けず生きていけるタフな心を養わなくてはいけない、そういった教育や意識付けを行う人達だった。
そんな出自なので自分は無意識の内に他人に対して劣等感を抱いていると思われる。それ故に自分のアイデンティティーは身体や知性に依らない、純潔な価値観や思想に有ると考えている。
その結果、他人の振る舞いや思想に対して非常に潔癖な性格が身に付いてしまった。それだけが理由ではないが、それが大部分の理由で友達も恋人も居ない。
やたらと卑下する文章を書いてしまったが、自分が嫌いかと言えば全くそんな事は無い。寧ろ愛している。
先述した様に他者に劣等感を抱き、且つ毛嫌いしがちな人生を歩んでいる為、愛したり信頼したりする対象を見つけられておらず、結局自分自身が一番理想とする生き方や思想を実践出来ている存在だと思っている。
井の中の蛙であろうが、それもまた致し方の無い運命だと思いたい。
こんな浅はかな文章を長々と書いて何をしたいのかと言うと、最近の自分は他者を動物の類だと思っているんじゃないかと思ったからその考えを記録に残したい為だ。
さっきから他者への嫌悪感をつらつらと書き連ねている訳だが、人の居る場所が嫌いと言う事も無い。但し、自分に関わる人間が居るのは嫌だ。
つまり、イベント事など知らない他人が集まる場は寧ろ好ましい。連れ合いも居ない癖にお祭りが有るとフラフラと出掛けたりする。自分は誰の眼中にも入っておらず、盛り上がっている人達を観るのは楽しい。
だが、その輪の中に自分が入れられると考えるとゾッとする。グループに入れば他者の価値観に合わせなければいけない、有限である人生の一部を自分自身のアイデンティティを崩した状態で過ごさなければならない。
それが嫌で嫌で堪らないのだ。
恐らく今までの人生において、他者との関係で得られた利益が少な過ぎたのだと思う。だから自分の価値観の中で他者とのコミュニケーションで得られる幸福感が著しく低いランクに位置付けられたのだ。
その結果どうなったか、利益をもたらさない他者の存在は自分の中で自分と同価値とならなくなっている。動物園で動物を観るのは楽しい、だが家の中に動物園の動物が居たらどうだろう?ハッキリ言って邪魔なだけだ。
その上、他の動物よりも権利の主張に喧しいとくる、成すべき義務に関しては素知らぬ振りをする癖に。躾けたり愛玩でも出来れば良いが、愛護団体が五月蠅い。
こんな面倒臭い存在、もう情報だけで良い。まぁ我ながら非常に勿体無い考えではあるが。
そんな中でもどうしても関わらなくてはならないのが同僚や上司。これらに関しては言い方が相当過激になってしまうが、正直言って最早家畜の類に見えているんだと思う。
生活の糧を得るのに必要な仕事をしてくれるだけの動物。相手は畜生だから価値観が合う事など無い。それでもそれ等の存在無しには生きていけない。
だから彼らの習性を理解し、上手く誘導するべく努める。ウンザリするが畜産家の皆様はもっと大変な思いをされている事だろう。自分も我慢しなくてはならない。
そしてココにこそ、自分が業務中は愛想笑いで応対出来るのに飲み会は死んでも行きたくないのかが分かる。なんで家畜と飲まにゃならんのだ。
君達と過ごしているのは生活の為で有って、対等な存在だと思っているからじゃない。
良い商品となって貰う為に日中家畜を愛情込めて世話をし、さぁ家に帰って本来の自分に戻ろうと思った時に家畜から、『有難う!良かった飲みに行こう!』って誘われたどう思う?
いや…確かにお前が喜んでくれる様には努めたけどそれは業務だからで有って、なんでお前と対等に飲まにゃならんのだ。と思うんじゃなかろうか。
まぁ余り倫理的な考えではないかもしれんが、もう身に付いてしまったものだから仕方ない。
誤解しないで欲しいが自分は決して他者を劣った存在と思っている訳ではない。身体能力や知能指数はきっと相手のが上なんだと思う。
でも自分の価値観は思想に有る、その意味で信頼がおけると感じた相手は殆ど居ないから対等な存在と思えないだけである。
なので逆に他者からしても自分の事を家畜だと思って欲しい。単に生活の糧を得るのに利用する必要のある存在だと考えてくれる相手が自分にとって信頼のおける相手なのだ。
だからこそ、少なくとも最初はお互いの事を家畜だと思い合える相手こそ理想。そこから互いの価値観にシンパシーを抱き、徐々に打ち解けられて初めて信頼がおける。
じゃあ雑に仕事を押し付けてくるだけの同僚や上司が理想なのかと言えば全然違う。先述したが、自分も他人も家畜なのだ。
虐待紛いの振る舞いをする奴が良い畜産家か?愛情を込めて飼育する人こそ良き畜産家だろう。少なくとも家畜にとっては。
そしてヒトなる家畜にとって重要な世話とは礼儀や距離感、相互理解と気遣いなどのグルーミングの事を指すんじゃなかろうか。
何時の日か良き飼育員に出会えた時、初めて他者を人間だと思えるのだろう。まぁこんな偏った思想をしている奴にそんな日は訪れないだろうが。
一度文章を見直すと何だか魯迅の阿Qみたいだ。精神的勝利法とは空しい。それとは違うと信じたいけど…。
まぁそれでも自分は自分が好きだ。だから今こう感じた事も何時か読み返して自分自身を愛でたい。その為に備忘録としてココに残す。
dot 倫理的であるよりも合理的であることを選びたいし、普遍的に思想を広めたいのであれば一定以上合理的である必要があると思う。肉食が合理的であれば肉食を続けるし、非合理的であれば肉食を減らすだろう。
動物の権利といった倫理的な問題を抜きにしても、環境負荷の高さ、持続性の低さから畜産は全く合理的ではない。地球の人口が、100億にもなろうというのに肉食が合理的に考えて持続可能なわけがない。食べただけ肉になる牛が開発でもされれば別だが。
栄養も別に今は肉食でなければ絶対取れない栄養はない。大豆のアミノ酸スコアは100だ。ビタミンB12はヴィーガンが不足しがちな代表的な栄養素で、サプリメントで摂取している人も多い。だが、そもそも畜産では家畜にビタミンB12(硫酸コバルト)を与えているからビタミンB12が肉に多く含まれているにすぎない。肉を経由する必要があるだろうか。
他にどんな合理的な理由を求めているのか知らないが、あなたたちが本当に合理的であるなら肉食を減らす選択をするだろう。
単に享楽的に肉食をやめたくない、という人はそれは仕方ない。その方が素直だ。
まともなヴィーガンなら畜産と同じく、『よりよい現代農業の在り方』を求めて動物の縄張りを荒らさない工場での生産や高性能な柵など非殺傷でいけるならそのほうが良いと思ってるんじゃねえの
個人的に「よりよい現代畜産の在り方というものがあるのであればそれを追求することはよいことだ」と思っているので、現代畜産の非効率的な部分、非人道的な部分に対する批判はあっていいと思う。その過程において「やっぱ畜産いらなくね?代替肉で解決できんじゃね?」ってなるならそれはそれでいいとも思うし。
それはそれとして例えばワイ増田は田舎暮らしで嫁は農業をやっていてワイは農協勤め。
害獣として野生のシカやイノシシが畑を荒らすのでちょいちょいハンターが出動して害獣を駆除するわけだけど、その肉を食うことに対してヴィーガンはどういう考えをお持ちなのかを聞いてみたい。
つまりこれは自然界でもごくごく当たり前に起こりうる「縄張り争い」の結果であり、その地域でより強い殺傷力を盛った生き物が勝利して、死体の肉を食うだけなんだけど、これっていいことなの?悪いことなの?
ちなみにワイの立場は「そういうものだから良くも悪くもない」。
動物さんかわいそうって言われても、ほなら動物さんに食べ物を荒らされる人間さんはどうなんですかって話なわけで。
しかもうちが育ててるのはヴィーガンさんも食べはるお野菜ですからね。
動物さんが健やかに暮らせるなら自分たちは餓死してもええどす!って言わはるんやったらかまわないんだけど、
現代畜産はいったん横に置いておくとして、人間と動物は同じ地球上で生きている以上、生活圏がカチ合うことが当然あるわけでその場合、戦闘に発展することもあるというのは自然界の摂理として避けられない。その際に、相手を撃退した結果として死があった場合、その肉を食うことはヴィーガン的にどうなの?
当然だけど戦闘の結果、人間さんサイドが敗北して食われるのはそれはそれでしゃーない。今でも世界中で油断して敵のテリトリーに侵入した人間さんがトラなりライオンなりヘビなりワニなりに食われてるけど、実際それは人類は受け入れているわけだしさ。
地球環境や持続可能性のことを考えるとヴィーガンがベターなんだよね
小泉進次郎の時に散々、畜産は環境に悪い、畜産が地球温暖化を加速させてるって言われてたじゃないか
このまま地球温暖化が進んだら子孫はベリーハードモードになり滅びていくのは必至。少しでも多くの人がヴィーガンに移行し、ヴィーガンにはならないにしても昆虫食など地球温暖化を加速しない方法を考えるべきだろう。
「そんなん知るか!俺は肉が食いたいんだ!肉を食うのは自由だ!個人の自由を制限するな!虫食うなんてキモい!強制するな!」
というのはわかるよ。
けど、そう言ってるお前らまさか、少子化の話題の時に「個人の自由を制限しても少子化を解決するために女は子供を産め!」とか言ってないよな?
「少子化が進んだらインフラや治安が保てなくて子孫はベリーハードモードになるんだぞ!それをわからないで産まない自由を主張する女は近視眼的で感情論だ!!女の人権を認めない発展途上国の方が子供生まれてるから正しい!!少子化解決のために女子教育を制限しろ女は金を持つな!産まない女はクソ!!女は産め!!フェミはクソリベラルはクソポリコレはクソ!!」
って言ってるミソジニー界隈をそうだそうだと持ち上げてないよな?
そういう奴に限って、ヴィーガン食やコオロギ食が話題に出たくらいで「ヴィーガンは馬鹿www植物だって生きてるんですがぁ?」「地球環境なんか知るか!!そんなものは認めない!!コオロギ食を売る店は不買不買不買!!陰謀だ!!キモい!!無理矢理食わされる!!」
って騒いでた層と被るんだが。
未来や子孫なんて知るか個人の自由を尊重しろ!というのは立派なスタンスだけど、ならいくら少子化になっても子供を産まない女の自由を尊重しろ
乳牛を殴る蹴る...TikTok動画拡散で物議 島根県畜産課「ありえない行為」、警察は動物虐待の疑いで捜査
https://news.yahoo.co.jp/articles/f5925bf09a3e0a4dace2024dcc0d2282a890066a
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1668181352863404033/pu/vid/720x902/ZSjjvEryLwUZvYxw.mp4
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1372208
何とか言えこら
JRAの売り上げは3兆円を超えている。
その1割が納税されるので、年間3000億円の納税が確定している産業だ。
この1割は国の一般歳入になって、4分の3が畜産振興に、残り4分の1が社会福祉に使われるというのが決まっている。
これは馬券の売り上げのみで、実はそれだけではなくて、特殊法人としてのJRAが色々事業をやっている。
キャラクターグッズを売ったり、あるいは競馬場で物販があったり、グリーンチャンネルという放送をやっていたり、色々ある事業収入も年度末の3月末に改めて企業体として決算をすると、その利益の2分の1もまた政府に入る仕組みになっている。
また地方公共団体が運営しているNRAという公営競馬も全国にある。
その一つである川崎競馬では、コロナ禍で川崎競馬組合から県や川崎市への収益分配金は60億を超えた。
それ以外にも北海道を筆頭に全国の牧場やトレーニングセンターで働く人たちの雇用と産業になっている。
外国人の騎手は日本の競馬が世界一安全で文化的にも尊敬されていることを知っていて、こぞって日本の騎手免許を取ろうとしている。
https://anond.hatelabo.jp/20230519002016
動物福祉関係者の意見を見ていると、競馬は他の動物産業に比べると動物に対する扱いが手厚いので意外と比較的好意的だったりする。
ただ、あくまで「比較的」に過ぎないので、動物実験や畜産が「地獄に堕ちろ」レベルだとしたら競馬は「死ね」レベルという程度で、もちろん基本的なスタンスとしては「競馬は動物虐待。さっさとやめろ」である。
かれらにとって動物虐待とは程度問題ではない。動物から搾取し、動物を害するすべての行為が絶対的な悪だ。
ヴィーガニズム、というとベジタリアンと同一視する人も多いが、こうしたいかなる形においても動物の利用を許されないとする立場を指す。
そういうわけなので、当然動物園にも反対するし、ペットを飼うことにも反対する。
いやいや、人間の管理下へ入ることが直ちに動物の不幸にはなんないでしょ? という人もいるかもしれない。
たしかに、人間の飼育下にいる動物はまともに飼われればだいたい野生より寿命は伸びる。餌も野生環境では考えられないほど質的にも量的にも安定して供給されるし、病気や怪我のときも治療してもらえる。天敵もいない。
しかし、室内で飼われるペットは多大なストレスに苛まされている。アメリカの一軒家レベルでも犬が本来ストレスフリーに動き回れる環境としては全然足りない。いわんや日本では(サラブレッドだけは飼育下でも広い原っぱで走り回れる例外的な存在だったりする)。
そもそも犬はちょっとヤバいレベルで遺伝子的にいじられている。耳や骨格が奇形レベルに変形した結果、その特有の病気を抱えている犬種も多い。
特にパグやフレンチブルドッグといった短頭種はすごい。頭がでかすぎるせいで出産時に母犬の産道を通れない。なので、出産時にはほぼ帝王切開になる。
人の手を借りないと出産すらできないわけ。そのへんはインブリードを繰り返した結果、ガラスの脚と喩えられるほど折れやすくなったサラブレッドとかもいっしょなんだけど。
ちなみに仮に人類が今すぐいなくなったら、パグみたいな犬種は滅んで、犬たちの多様性はどんどん先細っていき、交雑のすえに野犬やディンゴみたいな見た目に収束していくだろうと考えられているらしい。
つまり、なんだね、動物虐待といいだせば動物にまつわること全部虐待なわけ。
だから、矛盾を抱えているのは競馬関係者や競馬ファンだけじゃない。おれたちみんなそう。
ペット買ってなくても肉は食うだろう。
肉は食わない人でも化粧品は使うだろうし、病気にかかれば薬の世話になるだろう。
生産性が低い無価値の人間は殺して良いという思想があるとしましょう
しかし欧米の人間は殺されないよう、人間は神の子であるとかの宗教を作って、家畜とは異なる地位を獲得してきたわけです(ヒトラーの優生論は除く)
一方、日本では畜産はほとんどなかったので、農民などが設備扱いで明治以降も重税をかけられました
人に尊厳を与える宗教より、多神教で支配者をそのときどきで神格化するので、長い物にまかれろ思想も拡散されており、欧米に比べて権力への抵抗力が弱いです
選挙権を与えられ投票してみたりはしますが、勤務に忙しく政治活動もあまりしません