はてなキーワード: 用心棒とは
村人陣営
夜の間にプレイヤーの中から1人を指定し、そのプレイヤーがコロナか否かを知ることができる。
・検死官(霊媒師)
昼に処刑されたプレイヤーがコロナか否かを知ることができる。その性質上、死亡時に役職が公開されるルールでは使用されない。
夜の間にプレイヤーの中から1人を指定し、そのプレイヤーに自粛を促すことでコロナの襲撃から守ることができる。ただし、自らを守ることはできない。
通常は2人一組の役職であり、お互いを抗体所持者であると認識できる。つまり自分以外に1人、確実に人間であるプレイヤーを知ることができる。
コロナ陣営の勝利条件は、人間をコロナと同数以下まで減らすことである。
・コロナ
非感染者(人間)に化けた病原体であり、村人を騙して感染させる。夜の間にコロナ以外のプレイヤーの中から1人を指定して襲撃する。コロナが複数いる場合は、お互いをコロナであると認識できる。
コロナの味方をする非感染者(人間)。PCR検査センターや検死官にもコロナではないと判断される。特殊な能力は持たず、嘘をつくことなどによって非感染者陣営を混乱させ、コロナに有利になるように動く役割を持つ。コロナ同士と異なり、コロナと狂人はお互いを把握できない。
先週から在宅勤務に切り替わったが、指示も無ければ与えられた仕事もないので鬼平犯科帳(二代目中村吉右衛門)を見て時間を潰している
第1シリーズ、第2シリーズを見終えたのでお気に入りの回を紹介したい
・「血頭の丹兵衛」(第1シリーズ第4話)
密偵となる小房の粂八初登場の回。粂八が平蔵に直談判して「オメェただのこそ泥じゃねえな」と見破られるシーンは必見。柄本明の適当な演技が面白い。
・「血闘」(第1シリーズ第5話)
同じく密偵となるおまさ初登場の回。盗賊たちに手籠めにされたおまさを救出にいく平蔵。
「てめぇあの女の情夫(イロ)だな」と言われて「貴様ら外道にあの女の情夫が斬れるか」と返す場面は必見。恰好良すぎてうんこ漏れそう。
・「兇賊」(第1シリーズ第9話)
引退した老盗賊が平蔵の正体を知ろうとして後をつけるもあっさり見破られる場面が面白い。芋なますと芋酒が美味そう。
浪人に扮した平蔵と盗賊が意気投合するよくある展開。一本眉の手下が釈放され残された妻子に平蔵から預かった金子を渡しにいくところは名場面。ちょっと泣いた。
軍兵衛さん弱い。
・「本門寺暮雪」(第2シリーズ第9話)
犬が強い。
ネット上でホストファンタジーなどといろいろと悪評を聞くが、自分でやってみないとなぁと思ったので。
ちなみに買ったのはロイヤルバージョンで、1年前に買っていたが、どうにもやる気がでず、1年間寝かせていた。
最近やった他のゲームはアストラルチェイン、FF9、カップヘッドなど。
先に結論を書くと、FF15は80点くらいの作品で、決して悪い出来ではない。良い部分があるが、粗削りな部分があるといった評価とも異なる。
むしろウェルメイドであり、ゲームとしてウェルメイドでありながら、圧倒的なセンスの悪さが、FF15を怪作たらしめていると思う。
先に悪い部分を書こう。
ほぼ前情報なしでプレイしたので、作品オープニングでタイトルとともに、Stand by meが流れたときは、センスの悪さに鳥肌が立った。
自分に忍耐がなければ、電源を落としていただろう。それくらい、21世紀のこの時代にStand by meは気持ちが悪かった。
旅がテーマ、男4人の旅というのは知っていたが、だとしてもだ。
ホストファンタジーという揶揄からもわかる通り、キャラクターは大不評のようだ。
自分は野村ファンタジーにはそれなりの耐性があるものの、全員黒い衣装ってどうなの?とは思う。
あと車の乗り方。ヤンキーか。
終始、画面がシュールな笑いに包まれるのだが、製作者がこの笑いを意図したものなのか、天然なのかがわからず、笑っていいのかどうかよくわからない。
口調は主人公のみ気になったが、それ以外のキャラクターは特に気にならなかった。
100万回くらい言われているのだろうが、駆け足&説明不足。しかし、この原因はあとで考察する。
ファンタジーなのか現代なのかはっきりしてほしい。道路は異常に整備されているが、車の数は少ない。
誰がどういう目的であんなに道路を整備したのか。車は一般人でももてるのか、特権階級だけなのか。
帝国はなぜ空から襲ってくるのか。道路に非常線を張れば、一発で主人公を捕らえられるのにバカなのか。
良い部分
オープンワールドゲームとしてよくできていると思う。地形も良いし、世界もそれなりに広い。
仲間とのパーティがあるオープンワールドゲーとしてはよくできていると思う。特にチョコボの出来が非常に良い。
チョコボに乗って初めて、やっとFF15やってよかったと思った。それまでは苦行だった。
車は、道路を走っているだけなので、個人的にはあんまり良さは感じなかったが、人によっては、あのドライブしている感じを楽しめたのではないかと思う。
オープンワールドゲーでは終始走り続けないといけないので、そこに車によるオートドライブというのは新しい世界の魅せ方だったと思う。
アクションゲームとしても良くできている。特筆すべきものがあるわけではないが、やっていて気持ちよさは感じるのでよかった。
さて、FF15はゲーム部分としてはよくできていて、ストーリー部分は終わっていて、演出とセンスが壊滅的であると書いた。
その理由はFF15のオープンワールド化とこれまでのFFのギャップにあると思う。
基本的にはFFはストーリードリブンのRPGと見做されていた。FF13が一本道とバカにされたように、FFはこれまでストーリーを語ってきた。
そのため、FF15でもストーリーを語りたい、クリスタルや帝国、王家、召喚獣が出てきて、いろいろやりたいという欲望が製作陣にあった。
一方で、オープンワールドゲームはストーリーを語るのに、あまり向かない。または、現状でストーリーを語るうまいフォーマットが生まれていない。
ゼルダBotWでも、かなりストーリー部分は淡々としていた(ゼルダは基本淡々としているが)
オープンワールドでは、どうしても小さなクエストを回りながら、大きなストーリーを進めていくというプレイスタイルになる。
世界には小さな、しかし大量の点としてのクエストがあり、そこを自由にまわりながら、その世界を楽しむことがオープンワールドの面白さなので、
ゼルダであれ、ホライゾンゼロドーンであれ、Falloutであれ、大きなストーリーは、主人公個人の動機に依存する物語で、世界を救う動機ではない。
一方で、FF15の場合は、国と国の間の大きな物語を語ろうとしてしまっている。つまり、従来の線としてのストーリーだ。
すると、この王子は親父が殺されて、国が崩壊しており、もしかすると自国民が路頭に迷うかもしれないのに、ふらふら旅をしているお馬鹿さんになってしまう。
国が滅んでいるのに、シドニーに頼まれて、ワックスを取りに行ってしまう。それ、やる必要ある?とプレイヤーは突っ込んでしまう。
結果として、オープンワールドゲーの楽しさである回り道が、ストーリーにとっての罪悪感を生んでしまい、
どちらを重視するプレイヤーにとってもしっくりこないプレイスタイルをつくってしまっている。これがFF15のゲームとして見たときの一番の欠点である。
もちろんキャラクターが気に入らない、ファッションが気に入らないという感想はあるかもしれないが、
上記のオープンワールドと大きな物語の矛盾こそがFF15を怪作としているところだ。
ノクティスと仲間たちは、戦争孤児で、シドが引き取って育てていた。つまり、ただの村人である。
ノクティスが18歳になったときに、一般人では手に入れることが不可能な高級な車が見ず知らずの人間から送られてきた。
そこには、こう書かれている。「世界を見よ。そして、自分が何者かを知れ」
ノクティスはこれを機に旅に出ることにする。
グラディオラスが言った「おまえ一人では心配だ。用心棒がいるだろう?」
4人の旅が始まる。
旅の途中で、ノクティスは謎の力を手に入れることになる。
その力をめぐって、帝国軍とやりあうことになり、帝国に追われることになる。
たまには幼馴染のシドニーのところに戻って、車を修理したり、彼女のお願いを聞いてあげる。
世界を少しずつ回るにつれて、帝国とルシス王国の争いに、巻き込まれていくこととなる。
おそらくこういう導入の仕方の方が、すんなりと世界に入れたのではないかと思う。
FF15はとにかく惜しい作品なんだけど、インディーゲーや小さいメーカーがつくったゲームと異なり、
開発期間がもう少しあれば、開発資金がもう少しあれば、といった話で解決されるものではまったくなく、
このゲームをどういうゲームにしたかったのかが不明確で、昨今のスクエニのディレクターをやれる人が少なくなってきているのを如実に表していそうだ。
四日ほど前に文春によりお笑い芸人EXIT兼近さんの前科がすっぱ抜かれ、瞬く間にテレビやイベントの出演が取り消されていくのを悲しい思いで見守っておりました。
『少女売春斡旋』の凶悪な字面に「は!?!!?」と驚愕したものの、ふたをあけてみれば貧困層出身の少年が学のない状態で知らずに犯罪を犯していた、という切ない話で、少女と言っても当時の兼近さんと同い年の十九歳、売春斡旋といっても『あくどい商売してたヤクザから離れて個人的に売春してた女友達に用心棒を頼まれた』が内実らしく、刑も罰金十万円で済んだそうです。
その辺の詳しいことは文春本誌の記事に書いてあるのですが、いかんせん見出しがセンセーショナルでちゃんと読んでない人からすると「幼い女の子を騙くらかしてウリやらせてたのか?」と思われかねないのが辛いところ。
以下要約書いてくださった方のツイート。↓
https://twitter.com/exit_mochiP/status/1169368952213889025
なので兼近さん本人もこのことに言及するツイートで「文春を買って読んでください」って書いているのですが、そういうとこ、そういうとこだよ……!とこちらは複雑な気持ちで頭を抱えました。後述しますが彼はヤバいレベルにピュアです。敵の売り上げに貢献するな。でも多分敵だと思ってないんだろうな。
さて、この騒動は様々な要素が密接に絡み合っているため擁護派も批判派もその辺ごっちゃに主張し合い、収拾がつかなくなっているきらいがあります。
「今更生してるからいい」「過去のことでも罪は罪だからテレビ出るな」「イケメンだから馬鹿な女が擁護してるけど女の敵」「とてもいい人なので応援したい」「前科があるならいい人ぶるな」「おもしろくないから消えろ」「おもしろいから頑張って」「そもそも貧困の問題」「これだから底辺育ちのDQNは」etc…
その人によって何を重視するかは違いますし、この手の騒動によくいる『別に本気で怒ってるわけじゃないけど人気ある奴を叩きつぶしたい』層もネット上には多いのであちこちで大混戦ですよ。
とりあえず事実としては、『現状兼近さんは法的になんら問題ない状態』です。
謹慎も謝罪も引退も必要ありません。八年前に処罰されたことで問題にケリはつきました。それを不服としている被害者もいません。
にも関わらず番組降板が相次いでいるのは、世間の感情が彼を許せるか許せないかがわからないからです。
ツイッターを見る限りは擁護派がかなり多いんですがヤフコメとか掲示板などは批判派が多いですね。テレビ局やイベント主催者としてはクレームが来る恐れがある人間を使いたくないと思うのはしょうがない。しょうがないんですが、私としては、もうちょっと真摯に倫理について考えてほしいと思ってしまいます。更生してる人の芽を潰すのが世間の総意になっていいのでしょうか。
結局のところ法律でカタがついている以上、この問題を語るにはどうしたって感情論になるのでここからは私の主観フルスロットルでいかせてもらいますね。
まずね、彼の境遇を考えればあれが罪だとわからなかったのは無理ないです。
極貧家庭で育ち、飢えた時は妹とわざと雨にふられて同情したご老人にご飯をもらうという技でしのぎ、高校中退して働き、周囲の人間がみんな半グレ系で反社会的なことが当たり前になっていた、という背景があったうえで、十八の頃に風俗店に勤めだしたんですよ。
風俗店というのはお金と引き換えに人間(主に女性)の体を性的に扱える店なわけで、建前上は生殖行為そのもの(いわゆる本番?)はないということになっているものの、悩める青年に北方謙三が「ソープへ行け(そして童貞を捨てろ)」とアドバイスしたことが有名であるように、実際は売春が行われているわけです。
私は日本では売春は禁止されていると認識していたものですから、堂々と繰り広げられるその手の話がしばらく理解できなくて、いくつか風俗店レポを読んでやっと「要は売春なんだな!?」とわかったんですが、いまだに何故あれが正規の商売として成り立っているのか納得はいってません。
私はこの世で一番ダブスタが嫌いなので、税金を払ってる風俗店だろうが個人の援助交際だろうが売春を認めてはいけないと思っています(弱い立場の人が傷つきやすいから)。
しかし、風俗店が許されている世の中で、学のない風俗店勤めの少年が、個人売春をする少女を手助けすることが罪だとわからなくても責められないです。だってやってることほぼ同じだもの。
まぁ法治国家である以上建前は大事であり罪は罪なので、彼が罰を受けたことに異論はありませんが、同情の余地はあるでしょう。少なくとも痴漢とか強姦みたいな積極的性犯罪と同列には並べられません。
兼近さんの話では、捕まって初めてそれが悪いことなんだと知った、ということでした。二十日間勾留され、同じく捕まっていたおじさんに字を教わりながら又吉さんのエッセイを読み、芸人という仕事に憧れを抱きその後上京に到ります。完全に小説のあらすじだった。映画化もしそうなぐらいドラマチックな生い立ちと理想的な更生ルート。
私がディレクターなら「兼近はいい奴だから」とか「たいした罪じゃないから」などというたわけた理由ではなく、「更生しており倫理的に問題ないから」と堂々と表明して続投させます。流されやすい世間のイメージが気になるのはわかるけども、誰か一人ぐらいそういう気概と倫理観を見せて欲しい。
ただまぁ、元々ネタがちゃんとおもしろい人達ですから、劇場はやっていけるみたいです。
あと芸人仲間からの擁護が物凄い。こんなに擁護されてる人初めて見た。一度だけ取材した先の店の店主とか一度だけ共演した人とかたまたまちょっと話した人とかまで擁護してて、兼近さんの人に好かれる力半端じゃないなと思いました。うん、いい子だものね……。
兼近さんってよく『いい奴』『いい子』と言われますけど、それって普通に想像するような性格の良さじゃないんですよ。箍が外れてる。あれは正直正しくない域の優しさです。自分の身を守らないで愛を振りまいてるんですもの。そんなの聖人か狂人でしかないじゃないですか?
酔っぱらって道に倒れてた女性をベンチまで連れてって座らせてあげて、靴が脱げてたことに気づいて引き返して取ってきてあげていた、みたいなわかりやすい優しさエピでは伝わりきらないヤバさがある。
私は長く彼を見てきたわけではない大変ライトなファンなので詳しくはないんですが、それでも色々ファンの間で物議をかもした発言を存じております。
例えばEXITのイベントのチケット転売について「転売屋さんも生活があって頑張ってるから」とか、前述した「文春を買って読んでください」とか。
転売への最終的な対策は『とにかく席を増やして価値を下げる』『とにかくサインを大量に書いて価値を下げる』になるあたり、人を規制するより自分が頑張ればいーやという思考が見て取れて、マジで……そういうとこ……。
最たる『優し過ぎて怖い』エピソードは親との関係全部ですね。テレビではめちゃ美談にしてましたけど、あれ言ってないこと沢山ある。
お母さんとはまだわかります。子供が飢えてるのに見栄を気にしておばあちゃんに助けを求めるのを許さなかったとか、兼近さんが家に入れたお金を恋人に使ってしまったとか、ちょいちょいどん引きエピはありますけども、子供四人をシングルマザーが育てるのは大変だったでしょうし、兼近さんもトイレの鍵を全部閉めるみたいな悪戯をしてよく学校に呼び出されていたらしいので「なんだかんだで育ててくれた」という感謝があるのかもしれません。
でもお父さんは……なんだ? 早々に離婚して養育費も送らずクワガタに入れ上げてた人という印象しかない……。それで息子が芸人として人気になりそうになると現れて、ツイッターアカウント作ってEXITのファンとやりとりしてほかの芸人さんとも絡んで特に悪びれもせずにこにこしてるのなんなんですかね。FBに「大ちゃんが稼いだ金を総取りできる日はいつくるのか?」とか書いてるのシャレにならん。
大体の人はこの手の親とは自立したらあまり仲良くしたくないと思うんですが、兼近さんはなんのわだかまりもないような笑顔で仲良くしてるし一緒にテレビ出て決めポーズするし「マンション買ってあげたい」などと言うのでこちらの情緒が乱れきります。そういう感じだから一部ファンがお父さんをちやほやするんですよ……いいのかそれで。いいんだろうな。悟りでも開いてるのか?
本当にね、この人保身という概念があるのか?と疑ってしまうぐらい無防備な部分が多くて、誰にも聞かれてないのに月給明かすし、住所明かして案の定侵入されて引っ越すはめになったのに引っ越し先の住所またうっかり言っちゃうし。
今回文春に探られた過去も本名じゃなければもうちょっと見つかり辛かったと思うんですよね……。相方さんは『りんたろー。』にしてて本人は自分のこと『かねち』って言ってるんだから芸名『かねち』でもいいじゃないですか? それを馬鹿正直に本名名乗って北海道に住んでたことも言っちゃって騒動前に「芸人にならなかったらなにしてた?」って聞かれたら「反社」って答えている……。
でもそういう人だから私は彼が大好きだし、きっと彼の身近にいる人達もそうなんだと思います。可愛いいたいけな子供で、かっこいい無鉄砲なヒーローで、冷めた賢明な苦労人で、明るく無邪気な道化者で、その全ての人格が危ういほどの優しさで統合されたのが兼近大樹。傍にいればいるほど好きにならずにはいられないんじゃないでしょうか。
文春記事直後のりんたろー。さんの表明文凄かったものな。さすが常日頃からかねちは太陽だと主張してる人だ。兼近さんもなんだかんだいってりんたろーさんのこと凄く信頼してるように見えますし、youtubeでもちょいちょい二人の世界で笑い合っているのが微笑ましくて好きです。
だからコンビ仲については心配してません。ファンはほぼ幻滅してませんし、劇場人気があるので収入も生きていけるぐらいには入ると思います。
でもテレビで彼らを見る機会は減るのかな、と思うと本当に残念でなりません。
日本のテレビ界とお笑い界の損失ですよ……あんなに優しくて明るくて平和な人達、今後出てくるのだろうか。爽やか美形を出せばいいってものじゃないんだ……かねちはかねちじゃないと駄目なんですよ。
彼の苦労ゆえの達観と優しさと儚さと人類愛が、機転の利く返しが、独特の豊かな感性が、セクシー系の女性に触れないようにする節度が、いかなる場でも怖気づかない度胸が、美しく華やかな容姿が、全てが好ましく最強でした。
犯罪を犯罪とも気づけない環境にいた少年が、あんなに明るく人を笑わせようとする人間になれたのは奇跡だし、その光をもっと輝かせて欲しかったです。
これから騒動がどう動くかわかりませんが、どうか彼の誠実な魂に見合った素晴らしい結末を迎えられますようにと願ってやみません。
(盛大に擁護しといてこんなこと書くのはなんですけど、芸人さんて「おもしろくていい奴ならええやんネタにしたるわ」みたいな芸人的身贔屓人情擁護することが多いのがちょっともやる。悪いことは悪いことなのでその辺でうやむやにするのはあまりよろしくはない……。
あと兼近さん、自分の中で整理ができてても世間<正義鉈をふるう曖昧模糊な思念の集合体>には伝わってないから、真面目な落ち着いた文章か動画で説明したほうがいいですよ……文春とかインスタはやめて……)
近くに学校がいくつかある駅前商店街で、客は若い女の子を中心にたくさん来る。行列こそできないが、客足が途切れることはない。
「夜なのに暑いな」
俺は独りごちてシャツの袖をまくった。もう長袖も限界の季節だ。
俺の両腕にはヤクザだった頃に入れた紋紋がびっしり入っている。その頃ももうそんな時代でもないのに、言われるがままに入れてしまった。
後悔はしていないが、未だに面倒がつきまとう。
今は長袖を着て隠しているから、こんなにイカツイおっさんがタピオカミルクティーを売っていても、怖いもの知らずの女子高生や子供達にはクマの着ぐるみの様な扱いをしてもらえるが、さすがにこれはマズいかもしれない。
そんな事を考えながら、人通りの途切れた夜の街でクマとタピオカミルクティーが描かれたブラックボードを店内に片付けていると、後ろで足音が止まった。
「あ、あの!」
振り返ると女子高生が縮こまって立っていた。
「違うんです! 私をこのお店で働かせて欲しいんです!」
そう言って、長袖シャツの手を腹の位置で祈る様に組み合わせるのを見て思い出した。
「クビになっちゃったんです。お父さんがお金貸せって怒鳴り込んできて……みんな怖がっちゃって……でも、クマの店長さんなら」
客の女子高生にくまのプーさんみたいに呼ばれてる事を俺はこの時初めて知った。
「親父さんはカタギなのか?」
コクリと頷く。
「じゃあ俺なら親父さんにビビったりしねえわな」
彼女が頭を下げた。
「俺は、雇い主兼用心棒ってワケか。ウチの店は小せえカウンターの路面店だからあんまり涼しくねえけど大丈夫か?」
彼女が袖口を押さえた。足も真っ黒なタイツだとその時ようやく気づいた。
「私、寒がりなので大丈夫です」
「私、フルで入れます!高3だし、受験しないから学校は別に行かなくても…」
「でもそうすると」
「時給はとりあえず1300で良いか?」
「え? そんなに?」
お嬢は毎日閉店までよく働いた。学校が休みの日は開店から晩まで。
「お嬢、たまには休んでも良いんだぜ? 別に店だって毎日開ける必要はねえんだ。この店が年中無休なのは、俺がタバコ代と晩酌の酒代位しか金と時間の使い道がねえからなんだしよ」
「お酒飲むんですか?」
「毎日オールドグランダッドを一杯だけな。俺の流儀でね。多くても少なくてもいけねえ」
「あ、そういう飲み方もあるんですね」
お嬢は棒銭を持ったまま珍しいものでも見る様な顔で俺を見ていた。
親父さんはお嬢が入って1カ月後にやって来た。
足元があやしい男が店の前を行ったり来たりしていた。ひどく老けて見えた。
そのアル中の男が再度通り過ぎた所で、俺はゴミ袋を持って店の前に出た。
戻って来ようとした親父さんと目が合ったが、おどおどと引き返して行ってしまった。
用心棒らしい事は何1つしていないが、役目は果たせた様だった。
夏休みになり、お嬢が太鼓判を押すので、タピオカ入りフラペチーノとやらも売り出したら、店には行列が出来た。
なかなかに儲かったが、ブレンダーにかける手間が掛かるので、目が回る程に忙しかった。
冬になって、2人でホッとした。正直もう二度とやりたくない。
それから半年経った3月1日、店のシャッターがガンガンと叩かれた。
「この貼り紙何ですか?」
シャッターに貼り付けておいた紙を目の前に突き付けられた。
「見た通りだよ。店はもう閉めたんだ。元々このビルの建て替えまでの1年の契約でね」
「私、卒業しても働くって言ったのに!」
「店は別の所でやる」
お嬢の顔が若干ほころんだように見えたが、続けて隣県の駅名を言うと、それは消え失せた。
立地の条件や雰囲気はここと似た様なものだが、電車で1時間半の所だ。近くはない。
「じゃあ、もう……」
「鉛筆ビルの店舗の上の2、3階のアパートと丸ごと借りれたんだ。俺と副店長の寮にしようと思ってな」
「そう……ですか」
「どう思う、副店長?」
「え⁉︎ 私?」
「他に居るか?」
「良いんですか⁉︎ あ、でも……お父さんが」
「親父さんにはコレで手を切らせるさ」
「お嬢が受け取らなかったボーナスだよ。フラペチーノで稼いだ金なんだからあんたのもんだろ」
話はつけられるだろう。そういうのが得意な知り合いの力を借りても良い。あの手の男は力関係に敏感だ。
「引っ越したらすぐ出来るよ」
「……勘弁してよ」
当会は、滝本太郎会員から2014年6月7日付で提出されていた当会理事の辞任願につき、改めて固い意思を示され、2015年3月31日付でこれを受理しました。
辞任理由は一身上の都合ですが、具体的には、下記に転載した横浜弁護士会からの同日付の弁護士としての「戒告処分」の理由要旨のとおりです。
記
被懲戒者は、2013年6月4日、A社から、同社所有の建物の賃貸借契約の解除について相談を受けた。
これによると、A社は、同建物において産婦人科診療所を開業していた医師Cの遺族から同診療所資産一式の譲渡を受けた懲戒請求者との間で賃貸借契約を締結していたところ、懲戒請求者が宗教団体であるB教会の会員であること等が発覚したため、これを理由として同賃貸借契約を直ちに解除し、翌5日に予定されている同建物での産婦人科診療所開業を阻止したいということであった。
被懲戒者は、B教会の商法と伝道行為による被害者の救出活動に長年取り組んできたことから、同診療所資産の一部であるカルテ等が流出してしまうと取り返しがつかないことになってしまうと考え、同月4日夜から翌5日早朝にかけて、依頼者ともに同建物の賃借人である懲戒請求者に無断で同建物の鍵の付け替えを行い、契約解除をし鍵を付け替えた旨の通知書を同建物入り口に貼り付けた。
被懲戒者の上記行為は、違法な自力救済行為というほかなく、弁護士法第56条第1項に定める弁護士としての品位を失うべき非行に該当する。
自力救済(じりききゅうさい、じりょく - 、英: self-help、独: Selbsthilfe)は、民事法の概念で、何らかの権利を侵害された者が、司法手続によらず実力をもって権利回復をはたすことをいう。
刑事法の自救行為(じきゅうこうい)、国際法の自助・復仇がこれに該当する。
これを規定した条文はないが、現代の民事法では例外を除き禁止されている。
自力救済の典型例として、自身の駐車スペースに無断駐車された際、タイヤをロックして金銭などを受け取るまで足止めする行為がある。
こうした行為を容認すると、実力行使できる方が有利(力が正義)ということになる。
こうなると、腕力・武力・地位などで権利回復の度合いに差異が発生する。
また私刑を行う用心棒や自警団など実力行使を請け負う私的機関がはびこって社会秩序の維持が難しくなる。
またマフィアや暴力団などが市民を警護する対価として金銭(みかじめ料)を徴収するなど、非合法組織の資金源ともなってしまう。
映画「グリーン・ブック」は黒人と白人(イタリア移民の子)が一緒に旅する話だけど、イタリア人ファミリーも基本的に黒人が嫌いで、黒人が家の修理に来るとイタリア語で悪口言ってるのね。イタリア移民と言えばマフィアもすぐそばにいて、主人公の白人はもともと用心棒っつうマフィアすれすれのところで仕事しているからけっこう執拗に"助けてやるぞ""仕事紹介するぞ"って勧誘もされてる。これもイタリア語。白人の主人公はそういう環境で育ってるから「黒んぼのお供なんかやめてこっちで美味しい仕事しようぜ」なんてイタリア語会話を暗号の一種だと思って使ってるんだけど、ロシアで教育受けて数ヶ国語理解できる黒人ピアニストには筒抜けだったってオチが用意されてる。これは元々の映画に英語字幕で入ってるから意味はわかるんだろうけどたしかに吹き替えでこれをどう表現するかは気になるところではあるね。ちなみに日本語字幕ではイタリア語だとは提示されてなかったはず。
とは言え、逆に2ちゃんねるの映画板で秀逸だったタイトル「猿が英語喋ってる時点で地球だって気付くだろ」ってのがあって、アメリカ人はすべての言葉が英語で話されていても全然気にしない、という話もある。グリーン・ブックのそれも「見ている人間も暗号だと思ってた」というひっかけがあるわけでそういうところまで気をつけて映画見ると面白いのかもしれないね。どうでもいいけど。
しょせん男はただの用心棒
“城があった・・・・・いや、城でなくても、工場でも、銀行でも、賭博場でもかまわない。当然、衛兵が、守衛か、用心棒であっても、一向に差し支えないわけだ。さて、衛兵は、つねづね、敵の侵入にそなえて、警戒をおこたらなかった。ある日、ついに、待ちに待った敵がやってくる。ここぞとばかりに、警告の合図を吹きならした。ところが、奇妙なことに、本隊からは、なんの応答もこないのだ。敵が、衛兵を、難なく一撃のもとにうち倒してしまったことは、言うまでもない。うすれていく意識のなかで、衛兵は見た。敵が、何者にもさまたげられず、門を、壁を、建物を、風のように通りぬけて行ってしまうのを。いや、風のようなのは、敵ではなくて、実は城のほうだったのだ。衛兵は、ただ一人、荒野のなかの枯れ木のように、幻影を守って立っていたのだった・・・・・”
こないだ「宇宙よりも遠い場所」いしづかあつこ監督のインタビュー記事内で「ファンにできることはありませんか」という質問に「「このアニメが好き」って、一言発信していただくだけで、すごくうれしくなりますね。」と答えていたのを読んでふと「案外こういう怪文書でも巡り巡って彼らの活動支援になったりするのかなぁ」なんてことを思ったので感想を書くことにした。ちゃんと見てから感想書きたい気もするけれど、以前よりもいの完走レビュー書いたときは1ヶ月費やしたので時間の制約上1〜3話程度の感想になっている。
それっぽく並べてあるけど、作品の優劣は付けてない。容赦して。
~のみ見放題…対象サービスでのみ全話見放題。その他のサービスでは有料配信。
~のみ最新話無料…対象サービスでのみ最新話見放題。その他のサービスでは有料配信。
私はTVでアニメを観ない(BS見れないし、TOKYOMXもAT-Xも受信できないし)ので、配信情報はこれ以外の手段について書いている。
恋のデスノート。やっぱりA-1 Picturesのラブコメは面白い。ラブコメの中では圧倒的にセリフ量の多い会話劇。
テーマとして恋愛頭脳戦を掲げているので、メインの二人が「表情に出さないけど思考をフルスロットルさせ、頭の中がカオスになっている」っていう様子を面白おかしく絵にする難しさがあるんだけど、あの手この手で彼らのジェットコースターみたいな心情変化を演出している。
BGMのアレンジといい「恋愛頭脳戦とかいう新しいことをやってるみたいでその実、思春期真っ只中な高校生男女なんやで」っていうベタな部分を昭和チックなラブストーリー調に演出するとこが非常に良くて、あくまで二人が大マジで恋愛を繰り広げているからこその面白さ(大マジだからこそ面白いっていうのは「月間少女野崎くん」もそうだよね)にちゃんとフォーカスしている。不意にときめいた瞬間を「ラブ・ストーリーが突然に始まりそうな曲」で笑わせてくるところとか最高だった。どういうオーダーしたらあの曲になるんだろう。
そして青山穣によるイケボ解説が最高。最近良かったナレーションだと「ティラミス」の大塚明夫(陰毛役)、「プラネット・ウィズ」の小山力也(おっぱいのくだり)、「ダグ&キリル」の上田燿司(本作のノリはコレに近い)とか。淡々としているようで、ちょくちょく感情を見せてくる生きたナレーションが全体的なテンポ感を規定している感じがあるので、冒頭のあれは毎話必須な気がする。
「かぐや」はともかく「御行」「藤原」っていう独特なネーミングは竹取物語の登場人物が元ネタなのね。そのメイン3人のキャラデザについて。原作者インタビュー記事に「まつげを『女性漫画家の書くまつげ』っぽくしてほしいってお願いした」みたいなこと書いてたけど、確かにかぐやと御行の目元が非常に艶っぽくて、ラブコメらしからぬ奥ゆかしさを印象づけてる。個人的に畠山守監督作品の「静かに視線を伏せる男性キャラ」が好きなんだけど(「昭和元禄落語心中」の菊比古師匠のことなんだけどね)、本作の御行も単に目つきが悪いっていうだけではなく、見栄っ張りでありながら動揺しやすい性格がちゃんと表情に現れててすごく好き。一方のかぐや様も御行ほどではないにしろ目つきが悪い(やや吊目ぎみ)のに表情が豊かで、しかもベクトルが「侮蔑」「焦燥」「優越」「失望」「失意」とか、そっち!?な方向。それでいて、ときめいた瞬間のかぐや様めちゃくちゃ可愛いっていう。
作者天才かよって思うのが「頭脳戦ゆえ落とし所が難しい話の流れをジョーカーこと藤原千花のサーキットブレーカーというかインターセプトが鮮やかにキマって、ちゃんと短い尺の中でオチがつく」という構成。藤原のキャラクターとしての自由度が高いのもあって毎回不意打ちを食らっちゃう。また藤原はメイン二人と比べて柔らかい線で構成されたキャラデザなので、メイン二人のきつい目が交互に映る緊張感からの、柔らかい線で描かれた千花の目が映ることで緊張→緩和の流れが出来てるので、どうあっても笑ってしまう。そういえば御行の急な行動→かぐや様がときめくっていう流れのときも、かぐや様は全体的に柔らかい線になるよね。かわいい。そういう部分も含めて緊張と緩和の流れが完璧なので、何度でも観て笑える。1話もう20回位観たかも。早く3話観たいな。
話題のOPは水野良樹作曲。すっかり「いきものがかりの人」から「アニソンの人」になりつつある。
「濃いアニメを作るスタジオ」ことマッドハウスの新作(監督含む主要なスタッフ的にはワンパンマンとかACCA13区の布陣)。20年くらい前に書かれたライトノベル原作。現代を舞台にしたSF(少し不思議)サスペンス会話劇。
クオリティが高いというのもあるけれど、作りが完全に映画のそれ。各シーンをぶつ切りしていく演出とか、その中で登校シーンみたいなリフレインを入れて時間経過を表現してたり、ブギーポップとの会話で変化する主人公の感情を日常生活の行動を切り取る形で淡々と表現してたり、凄く尖った演出になってる。写実的な背景(背景:アトリエ・ムサ)も気合いが入ってて、屋上のシーンで敢えて遠景のカットが多い。リアリティの強い世界観を持った作品。
あと劇伴が印象的。本作の劇伴は「聲の形」「DEVILMAN」でおなじみ牛尾憲輔。穏やかなのに心がざわざわする美しくて豊かな音楽は聲の形っぽさを感じるんだけど、不穏な空気をシンセの重低音で表現してたり、カットの切り替わりで音楽をぶつ切りして、直後の無音で緊張感を演出する等、映画の劇伴で使う手法を地上波アニメでやってる感じがある。あの音ってスマホで出せるのかな。サントラ欲しい。
その会話も、ブギーポップという非日常の存在に、学校という日常空間(会話する場所は必ず校舎の屋上)の中で会うっていう、ブギーポップの実存性(不確実なはずなのに、確かそこに存在しているっていう感じ)が凄く不思議。そういえばそんな話を二人もしてたっけ(多重人格についてのくだり)。あと同級生との、少し距離感を感じさせる会話なんかすごく小説っぽい。
会話劇として「あの作品っぽいなぁ」みたいな作品をいくつも思い出すけど、(このライトノベルが刊行された時期的に)私がこれまで触れてきた多くのライトノベル作品が「ブギーポップは笑わない」の下流に存在しているわけで、非常に感慨深い。
それにしても、ブギーポップを演じる悠木碧すっげー。中性的な声を持つ声優さんって貴重だけど、その中でも特に、声に含みがありすぎる感じ(本人もよく「私の演技は情報を詰めすぎてしまう傾向がある」と言ってる)がたまらない。あと宮下藤花も悠木碧が演じてるってことに最初気づかなかった。
EDは「やがて君になる」のOP曲でおなじみ安月名莉子xボンジュール鈴木。すき。
水島努x横手美智子の新作。空飛ぶ用心棒の日常アニメ。またバンダイナムコからスマホゲームが配信予定。
水島努監督作品「ガールズ&パンツァー」が「清く正しく美しい戦車の可愛さを描く、女の子が中心の世界」なのに対し、本作は「ならず者のはびこる男社会の空を、プロペラ機で逞しく生きる女の子の話」なので、決してやさしいせかいではない。戦闘シーンが両方共ガチなのは共通。
アニメーション制作をGEMBA(CG)、ワオワールド(作画)が行っており、主要キャラ(コトブキ飛行隊、飛行機)が基本的に3DCG。対してモブは作画キャラなので、3DCGキャラと作画キャラが同じ絵の中にいる不思議なアニメに。3DCGキャラの利点として、細かい作業を行うとき(マジで細かい作業)の手元がちゃんとしているところと、飛行中の機体を引きで見たときの良さが際立ってる(実際、作画のモブキャラは飛行中、引きの絵が無い)。あとトゥーンレンダリング調のキャラに対して飛行機は写実的。なんか3Dゲームに出てくる飛行機みたい。年季の入った感じとか、個性のあるペイントとか。
相変わらずミリタリー関係の演出がヤバイ。まず怒涛の専門用語による会話から始まる戦闘。何言ってるか全然わかんない。艦橋で交わされる、ウィットに飛んだテンポの良い会話はさすが横手美智子って感じ。そしてほぼ完全再現?される出撃前儀式。いやその計器を指差し確認されてもわからんし。燃料とか油圧とか確認してるんだろうけど。機体は既存の飛行機が今後も登場する模様。1話は隼、紫電、零戦。その後敵機とドッグファイトに突入するけど、ガルパンでもあった「回転する砲塔視点」みたいな視点が結構使われてて、機銃視点で天地がくるくる回り、敵機と追いかけっこしながら銃弾が飛び交うシーンが続く。攻撃側の狙う場所が(アニメ的には飛行機の胴体を攻撃するのが絵的にわかりやすいんだろうけど)羽根の付け根部分を射撃→燃料タンクに着弾→燃料が漏れる→引火→爆発っていう描き方がガチ過ぎて笑った。着弾した場所にちゃんと弾痕あるし。他にも、相手の後ろに取り付いて攻撃するっていうパターンが徹底されている上に「後ろに取り付いてきた敵機に対して、急制動による捻り込みで背後を奪う」からの「エース機と思しき敵機に捻り込みを使って背後を取ろうとするも、裏をかかれて被弾」とか。主人公を追い詰めた敵機がとどめを刺そうとしたタイミングでタイムリミットになり引き返すシーンも、一瞬だけ燃料メーターを映して「燃料が帰還分しか残ってないよ」って演出したり。機体をフラフラさせて煽るシーンは笑った。どんだけ描写を練ってるんだ。同じ空戦でも「ガーリー・エアフォース」とかなりベクトルの違う魅せ方なのが素敵。
で、音がブッチギリでヤバイ。空間的な変化を丁寧に反映した音響はさすがとしか言えない。大音量ヘッドフォンか、部屋が震えるくらい大音量のスピーカーで視聴推奨。出撃前後で言うと、出撃前はエンジンのドコドコ音が響いていて、滑走路を走行中エンジン音が徐々に変化してるのに加えてタイヤのガタガタ音が重なり、空中に出た瞬間、空間的な広がりを感じるエンジン音と風切り音に。風切り音も通常飛行と雲の中を進むときとで音違うし。縦に旋回する時、機体がギシギシ軋む音は感動した。機銃の音も、発砲する機体が映ってるとき発砲音は乾いた音(パパパン)が聞こえるが、撃たれる側が映ってるとき、遠くで鳴ってるような残響(ボボボン)になってるとことか。命中した音も、近くだとキキンッっていう軽い音と弾丸の風切り音が混ざってるが、引きだとガガンッっていう重い音に変わってたり。
音楽はガルパンに引き続き浜口史郎。戦闘シーンの音楽がめっちゃかっこいい。ミリタリーとストリングスの相性って抜群だよね。
ちなみに戦闘シーンはガルパン以上に説明的な会話が無いので、ニコニコ動画等ミリタリーに詳しい人たちと一緒に観たほうが良いかも。私も全然わかんない人なのでニコニコ動画のコメント付きで観ようかな(音のクオリティ的に、ニコニコ動画の品質で妥協しづらい…)。「解説つけなくても視聴者は付いてきてくれるはず」という水島努監督の強いメッセージを感じた。ちなみに毎週更新の公式webラジオでレシプロ機の詳しい解説を見ることができたり、できなかったりする。
「メイドインアビス」のキネマシトラスによる不条理文学。2クールかけて主人公が成長する姿を描く。原作はなろう系小説。1話は1時間スペシャル。
最近よくアニメになってる異世界転生(転移?)モノだけど、オバロとか転スラのようなヒロイズムと大きな距離がある。こういう作品の共通した性質としてゲームライクな世界観というものがあって(本作のゲームライクな演出は「デスマーチから始まる異世界狂想曲」に近く、絵としてのGUIも結構練られている)、主人公がただの村人Aではないこと(異端というか特別)の記号になってるんだけど、本作の主人公は俗物的で、上記のようなヒロイズムに対するポストヒロイズムみたいな感じ。勇者D(X人目)。転生によってアドバンテージを得た勇者が転生先で成功するお話に対し、本作は転生によってディスアドバンテージを得た主人公が、転生先でそれに抗う、あるいは異世界人のように逞しく生きながらえるお話。
王前で主人公が慟哭するシーンは、異世界転生モノの持つ「現実の世界において「自分は社会から不当に虐げられている」という漠然とした不満のようなものを持っている人たち」というメッセージを強く表現してる。なんとなく「風と共に去りぬ」を思い出した。風と共に去りぬは南北戦争を描いた小説で、差別や不条理と戦う女性のお話、だっけ。本作における「剥がしたり消したりすることのできない盾」は彼が例の勇者であり、同時に排斥の対象であることを知らしめるレッテルになっていて、彼が戦っているあらゆる不条理がこの「盾」に集約されている。そういう意味では、最初に仲間になったのが奴隷っていうのも大きな意味があるよね。
面白いのは「1ヶ月後にやってくる敵の襲来」というイベント。彼が勇者である以上逃れる術はないので実質的に盾と同じ不条理の象徴ではある(特に2話は、「襲来を乗り切って生き残るんだ」というセリフが何度も登場する)んだけど、同時に彼がただの大罪人ではなく世界一利用価値がある人間であることの担保になっていて、ワンチャンあらゆる不条理を打ち負かす可能性を秘めていること(世界に借りを作ることができる)。タイトルはそういう意味なのかな。
大変大変大変!!!
お友だちのそんなにファビュラスじゃない美人姉妹の車がマカオでオカマ掘られたってことで、
どんだけーって感じよ!
私も恐ろしくなって
肝心要の用心棒ということで、
世の中の流れね。
最初ナビもいらないと思ってたけど、
あったら便利だし、
今じゃ欠かせないし。
後ろの画面を映しながら走れたりして
なんかゲームの画面みたいよ。
さすがにそれ見ながらは走れないけどね。
画質はそこそこだけど
でもさ、
これ前ならいいけど、
後ろの人が丸見えなので、
これってプライバシー的には大丈夫なの?ってぐらいはっきり映っちゃうので心配になるわ。
後方録画中ですってステッカ貼ってた方がいいのかしら?
でもこれさ、
しっかり常に録画されてるから
自分も正しくしっかり走ってなくちゃいけないので
うふふ。
やはり美味しいわね。
まあなかなかよ。
夏の麦茶パックを消費していくわ。
なにかホッツ麦茶ウォーラーに加えたら良いフレーバーってないかしらね?
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!