はてなキーワード: 用事とは
保育園や学童のそばを通るとああいうマナーが悪い…というか交通ルールをご存知でなさそうな子乗せ自転車とか送迎する親の車たくさんいる
こっちが歩行者の時に歩道爆走子乗せ自転車とか徐行の標識無視してスピード出すミニバンとかに轢かれかけたことあるけど、どっちも運転してた親に睨まれて意味分からなかった
子供を乗せてたり子供に関わる用事があったりしても交通ルールを無視して危ない運転していい理由にはならないのにね
個人やその家族の特定したりネットでオモチャ扱いするのはよくないけど、ああいう自分の都合>交通ルールの人たちに彼らがいかに迷惑な存在で自転車や車の乗り方を改めないと色んな形で危険な目に遭いかねないということを知らせるには丁度いい機会なのかなと今回の騒ぎを見ながら思ってる
長年連れ添った仲の良い老夫婦がいて
「片方が先に死んだら、さみしくないように壁に埋めよう」
と言い交わしていた。
しばらくして、婆さんが先に死んだ。
爺さんは悲しみ、約束通り婆さんの死骸を壁に埋めた。
すると、ことある事に壁の中から「じいさん、じいさん…」と婆さんの呼ぶ声がする
爺さんはその声に「はいはい、爺さんはここにいるよ」と答えていたが。
ある日、どうしても用事で出なくてはいけなくなったので村の若い男に、留守番を頼んだ。
「じいさん、じいさん…」
男は答えた。
最初のうちは答えていた。
けれどしかし、婆さんの声はなんどもなんども呼んでくる。
「じいさん、じいさん…」
やがて、男は耐えきれなくなって叫んだ。
「うっせえ! じいさんはいねーよ!」
すると、壁の中から鬼の形相をした老婆が現れ、「じいさんはどこだあ!」と叫んだ
すると突然、まばゆいばかりのスポットライトが飛び出したばあさんを映し出す
「JI-I-SA-Nは」「どこだ!」ステージにばあさんの声が響く
詰め掛けたオーディエンスはばあさんの久々のステージに期待で爆発しそうだ
今晩も伝説のリリックが聴ける。ストリート生まれヒップホップ育ち。本物のラップが聴けるのだ
キャップを斜めに被りオーバーサイズのTシャツをきたじいさんがターンテーブルをいじりながら目でばあさんに合図する
「 ここでTOUJO! わしがONRYO! 鬼のGYOUSO! ばあさんSANJYO!
違法なMAISO! じいさんTOUSO! 壁からわしが呼ぶGENCHO!
(ドゥ~ン ドゥンドゥンドゥ~ン キュワキャキャキャッキャキュワキャ!)
どこだJI-I-SA-N老人MONDAI! そんな毎日リアルなSONZAI!
SAY HO!(HO!) SAY HO HO HO HO!」
じいさんのプレイも好調だ。オーディエンスの熱狂はこわいくらいだ。
まだ、俺らの時代は始まったばかりだ、そんなメッセージがばあさんの口から飛び出していく
本物のヒップホップが、ここにあるのだ。
私は関東圏在住の某アニメオタクだ。私の追ってるジャンルが、東京駅のショップで限定グッズを販売することになった。有給とって買いに行こうかな、と同じジャンルのオタ友と話していたところ、彼女の友達が購入代行をしてくれるらしく、私の分もお願いできることになった。
そのオタ友と一緒に都内で開催されるイベントに行くことになった時に、オタ友が、購入代行してくれた方(以下、Aさんとする)と待ち合わせてグッズを受け取ろうと言ってきた。私は深く考えずにOKした。
イベントが池袋だったので、Aさんとは池袋駅で待ち合わせすることになった。Aさん自身も池袋に用事があると聞いていたので、同じようにオタクの方かなと思った。代行のお礼に、代金とは別にコンビニでちょっとしたお菓子を買って渡そうと思って、グミとチョコレートを用意した。
池袋駅で待ち合わせしたAさんは、オタクでもなんでもない、普通の、綺麗な人だった。Aさんはオタ友に、「久しぶりに会うんだし少しお茶しない?よければ増田さんもお話ししませんか?」と聞いきた。しかし、オタ友は急いでいるからときっぱり断ってしまった(本当はイベントまでまだ時間はあったが、イベント前にアニメイトに行く予定があったのだ)。Aさんも、急いでいるなら仕方ないねと普通に引き下がった。それから、私が推しているジャンルは漫画を読んだことがあること、ショップに行ったのは初めてだったけど色々売ってて楽しかったと言ってくれた。
Aさんは別れ際に、東京駅は通勤経路だから、また何かお使いがあればオタ友経由で言ってねと声をかけてくれた。私は代行のお礼ですと、コンビニのお菓子を差し出した。Aさんはお菓子が好きだから嬉しい、と受け取ってくれた。Aさんと私たちは、一分足らずで別れた。
オタ友とアニメイトをブラブラしてる時に、Aさんとオタ友の関係性について聞いた。高校時代のクラスメイトで、オタ友の交友関係の中で、唯一のオタクじゃない人だとも言った。私にはオタク友達がいるだけなので、羨ましいと思った。
アニメイトのレジ列に並んでる間、私はAさんのことを考えていた。池袋に用事があるって本当だったのかな。わざわざ来てくれたんじゃないかな。綺麗できちんとした感じの人だった。どうせアニメイトなんかいつでも来れるんだから、それより、Aさんにお茶をご馳走した方が良かったのかな。あのお菓子も、オタクじゃない人に代行を頼んだお礼にしてはしょぼすぎかも。
イベント終わりにご飯を食べながら、オタ友に、Aさんは池袋に用事あったのかな?と聞いた。オタ友は、買い物とか、映画とか、なんかあったんじゃない?と興味なさそうだった。Aさんとはどれくらいぶりに会ったの?と聞いたところ、2年ぶりだと言った。それを聞いて、私は、Aさんに対してものすごく失礼なことをしてしまったんじゃないかと思った。同時に、そんな私たちにも笑顔でいてくれたAさんの優しさというか社会性の高さに、恥ずかしくなってしまった。
まさかそんな、って思ったけど直近半年で考えると自分が浴槽にお湯を張って入ったのは月4回をらくらく切ってた…
いや風呂は好きなんだよ、なるべく入りたい。でも平日は時間がなくてシャワー浴びて即座に次の行動に移らないといけない。
これは親父がEV車に乗っているんだが、その時の経験なんだよな。
親父は100km往復 (つまり、200km)くらい余裕で走れるEVを使っているんだが、その100km走った出先で急遽別の田舎に行かないといけない用事ができた。
100kmかけて戻ったんだが、それからさらに100kmくらい往復しないといけないことになってとても足りないってなったので充電ステーションに行ったんだ。
1回目の充電で50-60%くらい、2回目の充電で80-85%くらいで、満タンには程遠い感じで充電したような気がする。
ちょっと調べてみたら、「1回の充電時間は30分まで」が普通みたいだから、前のは間違えてたね。1時間かけて85%くらいかな。
キレ気味の親父と過ごしてたので時間を長く感じたんだと思う。
EVの充電は充電すればするほど速度が遅くなっていくんだよね。最初はこのペースだと30分で満タンだ!みたいな気分だったんだけれど、どんどん充電率の増え方が鈍化した。
嘘だと思うならEV車を実際に充電してほしい。
でも綺麗なエリアがあるとコントラストで汚さを理解できて、片付ける意欲がわく
ここで大事なのは「まずは見た目片付いてるように見えればいい」ってこと
ダンボールに分別せずに突っ込んで、あとで片付けるとしてしまって、押入れか何かに突っ込めばいい
また家から帰ってきた時「うわ、綺麗じゃん」という驚きは心を癒してくれる
そして日々、綺麗エリアを死守する
なるべく家に物を持ち込まないこと
ダイエットみたいな物で、入れる物より捨てる物が増えれば必然的に片づいていく
まだ家に食べるものがあるのに食料を買って結果捨ててしまうみたいなことも起きなくなる
これは本当に効くのでオススメ
どのような用件でもいいので、人を部屋に招く用事を作る
我々は締切がないと動かない生き物です
締切を手に入れましょう
ただ歩いてるだけなのに「コフーコフー」ってやたら息が荒い。H×Hにそういうデブいたけど本当にそういう呼吸するんだな〜って感嘆(?)したのはいいが気持ちが悪い。何か食べてるとクチャクチャペチャペチャ音を立てるのでやはり気持ち悪い。階段の昇り降りはトットットッ……という軽快さは微塵もなくドス、ドス、ドス……と重量感と一歩ごとの妙な間が存在する。さっさと歩けデブ。あ、デブには無理か。
お菓子の箱や袋を捨てるのが嫌なので「まだ入ってますよ」という建前のつもりっぽくカスだけ残す。麦茶のボトルを洗って新しいのを作るのも嫌なのでボトルにミリ残しで冷蔵庫に放置する。トイレットペーパーを取り替えて空の芯を捨てて予備の補充をするのも嫌なのでミシン目ひとつ分の何も使えない紙だけ残す。という具合に些細なことすらやりたがらない。歩いて5分10分の場所すら車に乗る。何か用事ができると最初の一言は「めんどくさいなあ〜」である。とにかく動きたがらない。だからデブなんだろうけど。
「痩せたい」が口癖だが根本的な食生活を見直す気はない。この頃はダイエットするのだと意気込んでジムに行き始めたが、ジムへ行く前にプロテイン入りのシリアルバーを貪り、1時間ほどしてジムから帰宅すると「お腹空いたあ〜」とポテチの袋を開ける。それを一人でモリモリ食べると今度は「頑張ってきたし休憩する」などと抜かして寝始める。この一連の流れを見ていると脳みその代わりに脂肪が詰まってるのかと思うほどである。
ブラインドを閉じる
コピー機の電源を切る
モニターの電源を切るのを忘れない
システムの打刻
最終退館の入力
照明を落とす
施錠とセキュリティを起動
廊下の消灯で一度真っ暗になる
エレベーターで1階に降りる
表玄関は閉じているので裏口に向かう
大通りを歩く
高速道路沿い、高架につく明かりが深夜でも明るいオレンジ色をしている
小さく歌を歌いながら帰る日が多い。頭を空にするための歌なので、なんの歌でも良い。TikTokで聞いたサビしか知らない歌でも、学生時代の合唱コンクールの課題曲でも。車が多いから迷惑にはなっていないと思ってる。
いつも曲がらない角を曲がって帰る日もある。知らない坂の先の景色をみたり、通れるかわからない細い路地を入ってみたり。
自転車で帰った日もある。電動式のシェアサイクルはわたしをぐいぐい引くように走った。
自分の足で走った日もある。通りを走るランナーはたまに見るしそれほど浮かないだろうと思った。自分で自分の体をコントロールして、心拍を上げる行動は何かに良い気がした。
酒を買って歩きながら飲んでみようとした日は、缶を路上に落としてしまい中身が噴出した。甘くないジンソーダで助かったと思いながら拾って帰った。
誰にも迷惑をかけない範囲で行う小さな奇行は、私が私に許す小さい遊びだ。1日の大半を仕事に明け渡してしまった今日をちょっとだけ取り返してから自分を寝かしつける、そういう儀式。最初はちょっと外食をして自分の機嫌を取ったりしていたのだが、夕食をしっかり摂るのも憚られる退勤時間になってからは「帰る」ことに遊びを見つけていた。人目につかない深夜に、小学生の帰り道みたいな、誰にも話さない1人遊びがたくさんあった。
何も出来ない日は大抵泣きながら帰る。あの時の自分のなかに何の感情があったのかわからない。悔しいなのか苦しいなのか、誰かに心配されて嬉しいなのか情けないなのか、
あのとき取りこぼしてしまった自分の気持ちはもう、私がわからないってことはこの先誰にもわからない。
泣いている時に頭の中に入っていたのは、周りの人が私に投げかけた言葉だけで、それを咀嚼して反芻しても、なんの味を感じたのかわからないまま、子どものように口角をひん曲げてボロボロ泣いた。マスクの中に水分が溜まって蒸れて、でも外した顔はひどいから付けたまま歩く。
公園の横を抜けて、ファミレスの駐車場を突っ切って、その先の横断歩道は押しボタン式の時間帯。渡った先のコンビニに寄る。朝昼は胃痛を避けるために軽いものしか摂らないので夜は多少好き勝手に食ってやろうと思いながら入店するが、運が悪いと夜中に腹を下すので結局中途半端な惣菜や軽食を買う。大体いつもボブヘアの男性店員がシフトに入っている。コンビニの横の坂道を上ったらあと少しで家に着く。
徒歩25分。家も職場も駅からあまり近くないせいで、電車に乗ってもせいぜい5分短縮できるか微妙な所だから歩いて通勤した。
机に縋り付いている記憶の方がたくさんあって良いはずなのだが、私は長い間、家に帰る道をずっと歩いているような、ずっと夜みたいな感覚を1番よく思い出す。
日中は、
「食事か睡眠、どちらかを満足に出来なくても片方が人並みならまだ保つ」
「このくらいの度数のロング缶を一度に飲み切ると眠れて二日酔いも残らない」
働き始めてから何年かで身につけたおまじないのような「これが出来ればまだ大丈夫」を幾つかポケットに入れて、指先で手触りを確認するような日々を過ごしていた。
「酒や乳酸菌飲料の力を借りて睡眠は取れているからまだ大丈夫」
「胃が荒れていて平日は差し障るだけで、食欲はあるからまだ大丈夫」
「朝は起きて支度できるからまだ」
部屋は荒れているが、不精なので繁忙期はそんなものだ。青クマもデスクワーカーの職業病。
「まだ大丈夫」を肯定的に捉えてサバイブしていたつもりだった。
いつのまに切り替わったかわからないが、これらの一つ一つが「まだ私が壊れてくれないから、大丈夫じゃなくなるのを待つしかない」のカウントになっていた。
勤務中、気を抜くと頭を上げていられなくなった。
ひとの目を見るのは元々苦手ではあるけど、顔を見せるすら苦しくなった。
対面で働くチームメンバーには両手で伏せて早口で指示を出す。通話会議は声を出せれば成立する、まだ大丈夫。
大丈夫な自分を演じているのか、大丈夫ではない自分を演出して逃げ出そうとしているのか、どっちにしろ何かのフリをできているうちは大丈夫なのか、大丈夫ってなんだ?
わたしは席に座れる、手を動かせる、web会議で通話が出来る、謝罪を述べることができる。出来るけど、帰りたいと申し出てある日早退した。これはダメなことだってわかっているからまだきっと大丈夫。平日の明るいうちに外出するのが久々でなんだかスカスカした気持ちになりながら、せめて身体を労わるポーズをとらないと均衡が取れないから大戸屋で品目の多い定食を食べた。ポテトサラダが重くていつまでも口に残った。
わたしにも少ないが友人はいる ありがたいことに定期的に会う用事がある
他愛ない近況の報告をしようとしたら、言葉が出ない日があって、そのとき友人は精一杯わたしを傷つけないように、「頑張る私」を否定しないように選んだ言葉で、心配に思っている、あなたを害するものをあなたは拒否する権利があるとだけ 言葉を投げてくれた
書いて消して何度か回り道しただろう、書かれなかった文にたくさんの気持ちが詰まっていた それに対して言い訳のような自虐で返事をした 最悪だ
病院探しを始めた。
躊躇いは特になかった。「自分に限って」なんていうバイアスは思い上がりだ。弱さを認められる方がまともだと思う、そういうペラペラのプライドを持っていた。「まだ大丈夫」のうちに、近い将来ダメになった時の避難経路を決める、それは賢い判断だと思った。
まあまあ都心に住んでいたので選択肢はいくつかあると知っていたし、思ったよりいっぱいあった。逃げ場ってコンビニほどはないけど歯医者くらいはある。場所を見つけて、予約を取ったあと、メモを書くことにした。
うまく話せるように、話せなくてもとにかく伝わるように。カンペなのか手紙なのか問診票の別紙なのか、わからないけど言葉を起こす必要があった。
相手に自分を「大丈夫」に見せたいのか、「大丈夫ではない」と言わせたいのか、なんだか意図がブレブレのメモ書きになった
紙に書き写す以上はありのままなんてどこにもない、本当のことを書いたのかどうか主観で見てもあやふやな文面。とにかく話せなくなればそれを読むか手渡すかしようと思って、印刷したものを携えて心療内科に行った。初診の予約は平日の昼しか取れないルールで、14時過ぎに中抜けして向かった。
名のついた診断が出た。
有給休暇の残数を尋ねられたり、直近で休養の取れるタイミングなどの話を流れるようにし始めた医師に、そんなつもりではない。 まだ大丈夫だから、もう少しマシになるための方法をくれと訴えたら、それはまっすぐに否定をされた。でも自分に「休め」を許せなかった結果、中途半端な診断書を持ち帰った。
朝、眠りから浮上する感覚を覚えると同時に心臓が跳ねるようになっていた。生きている、意識があるということに気づくと心が怯えるのはまあ自然なことかもしれないとその時は思っていたし、動悸そのものは業務に差し障りないから「大丈夫」「ダメ」の判断基準にならなかった。寝覚めは悪いが寝起きは良いので、遅刻もしなかった。
なんの名前を付けたら良いのかもわからないけど、しっかりと質量のある「ダメ」の感触が胸の中に入っている日がある時やって来た。
もっと、動けないとかずっと泣くとか何かが出来なくなったことを以て「ダメ」に『なる』なのだと思っていたけど、そうではなかった。何がどうダメなのかなんてわからないのだけど、相対的な話ではない、とにかく「ダメ」が去来する朝が来た。突発の休暇をとった。休んだ罪悪感を原動力にその週は出勤する、というサイクルをいくらか続けた。
この頃に、「ダメ」になる階段を一歩降りたような気がしていたが、同時に睡眠も食欲も自分の思う「大丈夫」の基準のままだったのだから、二元論で考えることが間違っていたと思う。
この「ダメ」は、「不安」の名前に片付けるものらしい。抗不安薬の頓服の処方を受けた。「頓服」だから、常用してないからまだ大丈夫。大丈夫の数をまだ数えていた。
そんなわけないのにいつもの道が歪んで見える日
物音が大きく聞こえる日
そんなものをちょっとずつずれながら積み上げてきて、綺麗に縛れない新聞の束のような、歪みが溜まっていくような感じがあった
退職願を書いた。
できるだけ綺麗な文字でしかるべき封書に綴じた正しいフォーマットで、すぐに出せる完璧な一筆を仕上げようと思った。
遺書ではないけど、でも心持ちは少し近いかもしれない。白くて郵便番号欄のない封筒が望ましいとネットに書いてあったがコンビニにも百均にもなかった。緊急で必要になる人もいるだろうに。
下書きをして、それを見ながら丁寧に文字を書いた。書いている間は無心になれた。書いただけで、結局出せはしなかった。
退職願も、診断書も、私にとっての「勝訴」の紙にならなかった。結局私は、自分にバツを付けて逃げるのが怖いまましばらく日々を過ごした。
同僚が出勤してくる
涙が止まらない
10時半過ぎ、何も変わらない
ここにいたらもう駄目なんだ、そういう日がついに来たのだと言われた気がした
そのあとは、とにかく手続きを滞りなく進めなければと、社会人として角の立たないように休職の手配をするために自分の感情はどこか棚の上にでも置いたような感覚で、再診の予約をとり会社と連絡を取り、自分を社会と切り離すことに成功した
今、会社に向かう朝も遊びながら帰る夜も無くした私は、子供の頃からの地続きの自分をあの夜の帰路に置いてきてしまって、残りかすの体だけがここにあるような気持ちで布団に横たわっている。じゃああの夜に私は何を思っていたのか、書き出してみようと思いメモ帳に書きつけるが、結局そこにも何もなかったとわかってしまった。今の私の回想だからそうなのか、本当に何も思うことはなかったのか、もうわからない。
大学時代の集まりではある程度仲いい人同士だから「音痴だからカラオケ無理〜」で適当に回避できてたんだけど
行きましょうって流れになってたらもう断れる雰囲気じゃないだろ
いちいち用事あるとかで断るのもよくないし
どうすればいいんだ
というか、カラオケって難しくない?
すごい真面目に歌っても68点とかなんだけど
もっと曲を聞いてみましょう!って出る
練習しろってこと?でもカラオケの練習とか馬鹿馬鹿しくない?他の人は一切練習せずすんなり歌えてるのに自分だけ必死に猛練習するの?
皆サラッと高得点出してるけどさ
練習しようと一人で行ったときも歌下手すぎて2曲ぐらいで飽きる 一人で何やってんだろ自分って
カラオケ大好きでヒトカラも行っちゃいますみたいな人の気持ちが本当に分からない
大人しい女の子とかもカラオケは好きじゃん マジで意味分からん
酒飲んでつまみつついて喋ってるほうが楽しくない?
夫婦ともに農業を営んでいる。先日、夫と一緒に都内のある役場を訪問することがあった。
農業振興をしている部署に用事があった。補助金のことである。担当者の方が忙しくても大丈夫なように、夫が予めアポを取っていた。「年度末で忙しいとは言っていたが、大丈夫だろう」って言ってた。
当日に市役所に行ったところ、農業の助成金のことでお話を聞いてくれるはずの若い職員の人が、ご老人のお客さんの相手をしていた。しかも、終わる様子が全然ない。時間ばかりが過ぎていった。
ほかの職員の方に聞いて、予めあの彼と約束をしている旨を伝えたところ、「どうにもなりません」ということだった。夫が納得いかずに食い下がったけど、「ここは民間企業とは違う。アポなしでも市民の人との接遇が始めると離れられない」「あのお客さんは農業委員なので……」「どうかお待ちください」と納得いかない答えだった。
30分以上待って、ご老人は帰った。ようやく私たちの番が来たんだけど、その職員の人は謝りもしなかった。こちらはあれだけ待ったというのに。「電話でも申しあげましたが、年度末は本当に忙しくて」と言い訳をしていた。
私も若い頃は、民間企業で働いていた。普通こういう場合は、あの彼と誰かほかの職員が交代するのが基本かなと思う。夫は許していたけど、私はいまだに納得がいかない。この気持ちをどのように整理すればいいのだろう……。
今日は所用があり外出。
道中には大学があり、ふと目を上げると最上階の隅の教室に明かりが灯っていた。
その景色を目に入れた途端口の中にクリームチーズのような味が広がり、なんとなく当時のことを思いだす。
図書館で用事を済ませると雨。尤も家を出るときから既に雨は降っていた。
最近は雨ばかりで気が滅入る。
公園を通れば軒並む桜は枝垂れ桜にように少し首を垂れていたものの花はまだ健在。
そうした桜並木の真ん中を歩いているとふと学友のことが脳裏をよぎり、名前を呼ばれたような気がした。
しかし名前を呼ばれて照れた自分は当時の自分で、今の自分ではなかった。
公園と雨と桜。迫る四月に春を思えば、人は誰しも黄昏るものかもしれない。
妙に身体が気だるく、昨今の気温は寒暖差が著しいので風邪に好かれたのかもしれない。
なので帰宅後は安静に。
さて、習慣としている読書について。
最近はアイン・ランドの『水源』を読んでいる。この小説は全くもって素晴らしい。曰く”20世紀アメリカにおいて二番目に売れた小説”との謳い文句があり、しかしそうした宣伝こそ本作品のアンチテーゼになり得る宣伝文句なのもまた事実ではあるので皮肉的。
久々にこのような、気づけば読み入ってしまう小説に出会った気がする。
巨大なトランクを持ち運ぶのは移動の足枷になるし、何より単純に面倒だ。思い悩んだ末、荷物はそのまま列車の網棚に置き去りにして用事を済ますことにした。前から2両目の後方寄り左側。帰りに回収すれば問題ない。全ては上手く行くはずだった。
たが帰りの列車に飛び込むと、どこにも荷物が見当たらない。あれから丸一日が経過している。もしかしたら誰かが持ち去ってしまったか、あるいは折り返しの終着駅で忘れ物として回収されてしまったのだろうか。いや、そもそもこの列車は本当に昨日と同じ車両なのだろうか。うろうろ探し回っているうち、いつの間にか扉は閉まり、列車は動き出してしまった。しかもこの車両は運が悪いことに特急であるらしく、次々に途中駅を通過していく。そういえば先ほどの店で財布を友人に預けたままだった。このままではいずれ見知らぬどこか遠くの駅で現金も荷物もないまま放り出されて途方に暮れる運命だ。ちょうどそのときカーブにさしかかった列車がスピードを落とした。ぼくはほとんど衝動的にタラップを蹴って線路に飛び降りていた。
そのまましばらく線路を歩いたが、どうも監視されているような気配がする。おそらく列車を飛び降りたためにキセルを疑われているのだろう。どうにか逃げなければと思いあぐねていると、傍らの側溝の壁面に鉄格子の嵌まった半円形の窓が見えた。そういえば聞いたことがある。どこの都市の地下にも中世に作られたカタコンベと呼ばれる長い地下通路が隠されていて、今も密造酒の隠し場所になっているとか。このまま地上を歩いて捕まるのを待つよりは、多少道を知らなくても地下に潜った方がいいだろう。ぼくは錆び付いた鉄格子を蹴り破って兎の穴に飛び込んだ。
地下通路は思いのほか近代的であった。明るい蛍光灯に照らされた白い壁面のタイル。灰色のリノリウムの床面には規則正しい点字ブロックが並び、通路はどこまでも続いている。線路の向きからおおよその方角を推測して歩き始める。虚ろな空間に空しく靴音が響き渡るなか、ぼくの思考は急速に回転する。そうだ、今ならよく解る。あの曲がり角の向こうでは年老いたセロ弾きのストリートミュージシャンが Tom Johnson の Failing を奏でているに違いない。ぼくは彼の目を盗んで空き缶の投げ銭を盗めばいいのだ。そうだ、ぼくはそれで家に帰ることができる、それが今のぼくに残された唯一の道なのだ。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13157432533
っていうか、いわゆる「住民が反対して鉄道駅ができなかった」系の大半は、実際はこれだと思う。
ついでに言っておくと、高岡と新高岡、1.5キロしか離れてないじゃん。
そして無事漏らしたので記念ぱぴこ。
せっかくだからレポするよ。
6月に割と大きめな人前に出る用事があるからいっちょダイエットでもしたろかなと思って、オルリスタットを処方してもらったよ。
昔ゼニカルを使ったことがあり、その時も寝ている間に無事漏らしたことがあったから効果のほどはなんとなく知ってたよ。
久々に揚げ物が食べたくなっていた増田は早速服用したよ。
食事内容はささみチーズカツと冷蔵庫に余っていたししゃも、ハムサラダだよ。
ビールと一緒に胃に流して満足しながら眠ったよ。
その日は在宅勤務だったよ。
こういうのはガスが溜まっているときの痛みだと経験的に理解していたし、コードを書く手を止めたくなかったし、一人だったからそのままおならしようとしたよ。
その瞬間だったよ。
じっとりとした何かがおしりから勢いよく漏れる感触があったよ。
トイレには油たちがどろっと浮いてたよ。
パンツには油がじっとり、ズボンにまで滲み出た…とはならなかったよ。
なぜなら増田は前回の教訓からおむつ型のナプキンを履いていたからね。
ただし、それでもおむつ裏に染み出すギリギリだったので、なんとか一命をとりとめたなと安堵したよ。
油とうんちまみれになったナプキンはそのままゴミ箱に突っ込んで新しいナプキンに変えて増田に書き込んでいるのが今だよ。
ナプキンは必須だよ。できればオムツ型だと寝ているときも安心だよ。
思っているより質量が出るから、普通のタイプのナプキンだと横モレするかもしれないよ。
ただしオムツ型はもっこもこなのでタイトなパンツスタイルには向かないよ。
言いたいことはそんな感じだよ。