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はてなキーワード: 産物とは

2024-04-27

GW特有閣僚外遊批判に際して思うこと

参考

https://news.yahoo.co.jp/articles/d86666bff2fecb3d5ca387fec0e264b7f08e4470

 

ここで外遊批判してる人は、留学海外出張駐在なんかと縁遠い、日々半径2キロぐらいで生活していて、海外=遊びとしか考えられないぐらい頭が弱い非正規労働者や、正社員でも小売業サービス業下流ブルーワーカーな人たちなんだろうなぁと思うと、色々と悲しくなってくる。

 

こういう人たちが、世界中のありとあらゆる産物恩恵に預かって半径2キロの中で生きていけるのも、上は閣僚外遊から下は奴隷労働している現地採用日本人まで、世界中で働いている日本人のお陰だというのに。

2024-04-14

anond:20240414192519

それは金目的アフィリエイター無職の人の暇つぶしだと思ってる。病院の待合室で長時間ダベってる暇人年寄り連中みたいな。

フルタイム仕事をしてるか、パートタイム勤務で子育て中なのにX(Twitter)にずっと張りついて情報発信とリプ返してる人たちは家事育児仕事も遊びもぜんぶこなせててすごくね?

まあ全てがSNS上における見栄と虚飾の産物で実生活破綻してるのかもしれんが。

anond:20240414014246

こういう無駄攻撃的な人が寄ってくるのも、つまり子育てにまつわる既存の仕組みが歪んでいることを示している。

現実差別の不当さを叫ぶ人がその固定化に加担してしまう構図。

左派のいつものダメパターン(の反映、口真似)。

女親に特権が行くということは別の角度から見れば女性差別産物でもある。

現状の歪みとは単に男女の不平等ということだけでなく、一部平等と不平等が混在していることによる。

男女の平等ということはいろんな分野にわたって散在するイシューだが、それらは相互につながっている。全体の平等を実現するには部分部分で丁寧に平等を実現していかなくてはならない。

共同親権化は全く正しいと思う。ただそこだけ変えて済む話ではない。政権の、というか日本社会の本気度が問われる。

2024-04-13

anond:20240413190709

そういう普通の、一般的倫理観を持った方々は他人から略奪してまで使いたいとは思っていないので、無断学習をするな、児童ポルノを含む無断学習産物を使うなと言えば理解する

AI推進派は倫理観のぶっ壊れたカルト反社会的人格と「新技術」やビッグテックのカネに目がくらんだ馬鹿絵師嫉妬マン構成される Q.E.D.

2024-04-12

90年代映像見た

全然懐かしいってならない。ファミコンゲーム映像とか見ても現役でyoutubeとかニコ動レトロゲー実況動画とかが大量に上がってて、マリオ3なんて今でも現役でプレイされてるし、映像見ても全然懐かしいって気分にならない。

映像文化が当たり前の20世紀後半を振り返っても、今と対して変わらん。

スマホ持ってる人が少ないとか言われてもせいぜいそれくらいでは。

ファッションとかメイクとかが違うくらいで昭和に起こったようなドラスティックな変化が感じられない。

90年代なんてまるで昨日のようだ。すでに3Dゲームインターネットもあり、i-modeすら存在した。

スマホ動画が見れるとか、そんくらいだろうか?

入れ墨シールつけてるガキを見かけたらさすがの俺も、なつかしー😍 ってなるのかしら?

懐かしさを感じないのは時間距離が縮んでるのだと思う。

時間距離が縮むとは何かと言うと記録が充実しているのだろう。昔の人が文章を通して過去交流したように現代では音声や動画を通して過去とやり取りしている。

もちろんブログでもよい。たまになんでこんな古い記事ホッテントリしてんだーとかいうやつがおるけれども、記事ストックされていくことがWebの良いところであり、新しい人に刺さるということはそれだけ過去遺産が優れている証拠でもあるんだ。

90年代映像を見ていまと対して変わらんなーって気分になったので今と対して変わらないと思いました。それには映像や記録に接する時間が増えているという背景があるのであはないかという考察でした。

もしくは本当に対して変わっていないのかもしれない。90年代日本ぶっちゃけ世界最高峰に進んだ文化拠点であったわけだし、それが30年停滞したとして30年遅れても十分現代と変わらない文化を担ったということかもしれない。

知らんけど。

あとやっぱりEurobeatとかパラパラとか聞いても最近の若者文化だなーってしか感じないのは感覚が狂ってるのだろうか。

90年代をガキとして過ごした自分にとっては、聞き馴染んだ最新の音楽といえばEurobeatだし、今聞いても活力みなぎる最新の音楽っぽさがあって、流行ってる方角とか聞いてもなんかな。

なんかですよね。なんか。よくわからないよな。レモンとか米津玄師とか言われてもよくわかりません。

最近学校リーダーズだっけ?よくわからいませんうっせえわとか言われてもわかりません。

俺の中での聞いたこと無い最新の音楽ドラゲナイくらいでよいと思います

一生一緒に♫ドラゲナイ♫深夜に突然香水のせい〜♫

踊ってない夜を知らないなんてずんだもんが踊ってる動画見て初めて知ったくらいだしな。その時点ですら「なつかしい」とか言ってるガキが湧いてて、2010年以降に出現した作品なんて懐かしかね〜よ。と思ったものです。

ゲームボーイアドバンスですら懐かしくない。

入れ歯ちゃんとかセーラームーンソーセージくらいなら懐かしい認定を認めます

エバポケモンゼルダも現役だし何も変わらねーという感じが大きい。

消えたのはご飯がススム君くらいだし、ご飯がススム君は21世紀産物なので90年代の話をしている今話題にするべきものでもない。わかりましたか

90年代映像が街の映像だったのも問題かもな。この30年はソフト時代だったので、町並みとか外を歩く人の見た目は変わらないけど、コンテンツ通信技術計算資源は爆裂に進化したわけで。

そりゃ町並みや人の風景が対して変わらいっていう俺の感想は当然なのかもしれない。

そんなところです。

2024-04-06

anond:20240406100752

現在どころか鎌倉幕府あたりから妥協産物で生き残ってるから

天皇法皇イギリス王かくらいしかそう言うのは世界におらん

anond:20240406081448

現状の天皇制ってぶっちゃけ妥協産物じゃん

敗戦国体護持と引き換えに当時のアメちゃん主義主張を無理やり受け入れ天皇をあっちのスポークスマンに仕立て上げるしかなかったのが、なんとなく惰性で今まで続いている

から8月になるとわざわざその手の式典に「出して」はアジア向けに配慮したコメントを「言わせて」いる

同じく式典に出てる自民党のお偉いさんより明らかにそっち方面に一歩踏み込んだそれを、だ

政治利用というならあれだって政治利用に他ならないけど、左派に都合が悪くないものからダンマリしてるだけ

天皇制がなくなれば式典は自民党のお偉いさんだけでいいし、いちいちあん配慮したコメントだってさせなくていい

ある意味戦争責任代表してちゃんと引き受けているのが天皇制で、それがなくなったらなくなったで左派もまた困っちゃうのだ

2024-04-01

用法・語法や用例を調べもせずにすぐに間違いだと騒ぐ人々

https://twitter.com/taozikw/status/1774344519770849306

JR東日本の駅でこのポスターをみるたびに、この方は、我が子の出産ではなくて、妻の出産か我が子の誕生に駆けつけようとしているんでないの?と不思議なのですが・・・もしかしておじいさんになるところ?

このツイートリプライ引用を見ると、「我が子の出産」と言えば「(話者の)子が(話者の)孫を産む」以外にあり得ないとする人々が多く見受けられる

しかし、以下の用例はおそらくごく自然に読める者が大多数であろう

長男出産には立ち会えたが、次男ときには……」

男が子を産むことは2024年現在はあり得ないので、日本語話者は即座に「長男が産まれとき」の意味選択して理解できる

 

「我が父の出棺」といえば、大抵は父が喪主になって祖父や母を出棺する話ではなく父の遺体が出棺される話であろう

これと同様に、「〇〇の出産」も、文脈上明らかであれば〇〇が産まれることを指す場合は往々にしてある

 

「母の出産ときにはこうだったが、私の出産ときには……」

というと、

解釈する人はそれぞれそれなりにいると思われるし、話者男性であれば間違いなく後者解釈されるであろう

 

多義的であるので「我が子の出産」はコピーとして悪文ではあるかもしれないが、

文法・語法において「我が子が産まれる」という意味で使うのは間違いではない

しゅっ‐さん【出産】 の解説

[名](スル)

子が生まれること。また、子を産むこと。「男子を—する」

産物ができること。産物をつくること。産出。「—地」

2024-03-29

anond:20240329223901

いまさらLinux使ってるってどういうことだ?Linuxは昔の産物じゃないぞ?

それにWindowsMacのほうがマルウェアに狙われる可能性が高い

地方自治は泥臭くて面倒臭いから価値がある

リニアの延期で静岡県槍玉に上がっているが、現在制度上国と地方は対等で、国策などの都合で引き倒されないための地方自治でもある。数多の利害関係者がおり、総論賛成各論反対があり、その中で粘り強く、泥臭く、着地点を探っていくのが肝要であり、それを国策から押し通すのを是とすると地方自治は損なわれる。

私たちの住む地域の向かいたい所と国策の向かう所が一致するとは限らない。全国的世論と一部地域世論が一致するとも限らない。自分意見多数派というのは偶然の産物であるたまたま多数派にいることをもって、少数派の地域を軽んじるのは、その矛先が自分たちの地域に向く可能性を考えていない点で楽観的であり、多数派に安住できるという傲慢である

いち開業地域に住む人間としては、リニアには乗ってみたいし、静岡県知事の軽率言論には眉をひそめる。経済効果的な面でも関連ビジネス的な意味でも歯がゆい思いをして恨み言を吐きたい人がいるのもわかる。しかし、だからといってこの泥臭くて面倒臭いプロセスを軽んじる言説は、民主主義学校たる地方自治を自ら打ち捨てるようで如何なものかと思う。

2024-03-25

議員の横暴が過ぎる


こんな議員市民派だとか市民党だとか標榜して活動し、目立てば勝ちとばかりに支持を集めるんだからやってられないっすわ。

2024-03-24

賃金格差埋めたかったらもっと女は働け!」

っていうけど

無償労働含めたら女性の総労働時間のほうが長いんだよな

賃金労働しか収入に反映されない構造のもの男性中心主義産物なんだけど

彼らはいつになったら気づくのだろう

2024-03-22

これ、版権絵をSkebで描いて小金稼ぎしてるやつのから出た金言だと思うと、味わい深いな。

言っときますが絵は労働産物だ、使いたいなら相応の報酬払えよ。

医学進歩により不治の病が治療できるようになっても治療費や薬代は無料になるわけがないと同じだ。

問題技術進歩じゃなく無銭飲食だよ

二次創作ってスーパーの陳列棚に並んでいる食材を、金もわず勝手に使って、勝手自己流に料理して、下手したらそれを有料で販売している行為に等しいと思うのですがこれも十分無銭飲食じゃありませんかね?労働産物だとか技術の賜物だとか、大言壮語を騙るには些か不相応な立場だと思いますが。

2024-03-12

AI絵でいくらガチャ回しても著作権を主張できないってマジ?

ちょっと待って。

それなら俳人とかも著作権を主張するのは無理じゃない?

たかが17文字程度、偶然の領域を出ているとは全然言えないでしょ?

偶然の産物しかないなら著作権は宿らないなら、俳句著作権が宿るのはおかしいよね?

別に油田化学権利主張までは否定しないよ。

そういった活動には明確なコストがかかっていて、ガチャを回すための値段が半端ないと思うからさ。

でも、たった17文字筆を遊ばせるのとAIガチャポチに大差なんてないでしょ?

2024-03-09

anond:20240309075252

カルピスのもとになってる乳酸菌は、たまたま見つかった偶然の産物で、二度と同じものを作れないから、もとの菌を国内外数カ所に分けて冷凍保管していて、社員殆ど場所を知らされていないトップシークレット……とか?

2024-03-06

嘘松には手を出すな!

とある嘘松ラノベ作家がここしばらくのあいだ鍵垢になっていたのだが、ちょっと前に出所してきた。

鍵かけた理由炎上が原因と思われるし、これからは心を入れ替えて真面目に作家活動を頑張るのかな……と思いきや、早速のスカッと系嘘松っぽいツイート投稿

これは恐らく、まともな作家としてはもう再起不能だろう。

多数の嘘松アカウントを見てきた者として感じるが、嘘松にはかなり強い依存性がある。特に小説家やその志望者にとっては。

言うまでもないが、小説というのは、言葉だけを使って一つの世界を作り上げるという、とんでもない縛りプレイ産物だ。

しかもあらかじめ、「これは嘘である」ということが暗黙の了解として読者に共有されていることが、基本的ルールとなる。

(もちろん私小説歴史小説のような、虚実を曖昧にすることで成立するタイプ小説もあるが、ここでは普通エンタメ小説に絞って話を進める)

その上で読者の興味を引き続けなければいけないのだ。もはや無理ゲーと言ってもいいだろう。

「あり得ない」「考証が甘い」「で?」「だから?」「は?」

読者の心無い言葉ひとつであっさり崩れ去る、砂の城建設

そんな難行に取り組んでいるというだけで、プロアマわず全ての小説執筆者尊敬に値する。

だが、そういう小説の困難さに直面しているからこそ、小説書きの眼に「嘘松」は魅力的に映ってしまうらしい。

虚構でありながら「これは実話である」という体で語られる嘘松は、当然ながら人の興味を引きやすい。理不尽被害や、そこからの逆転などの刺激的な内容なら読者も、そんなことがあったの!?と食いつかざるを得ないだろう。小説基準で言うならチート級のつかみだ。

そして、現実には人の心をざわつかせる材料いくらでも転がっている。サヨクウヨクフェミとアンフェ、表自とポリコレ、肉食とヴィーガンといった対立は、下品すぎて小説ではなかなか正面から扱うことが難しいが、嘘松なら格好の素材である

また、嘘松では小説テクニックをある程度は流用できる。そのためプロとして最低限の文章力構成力を持つ作家なら、誰でも100RP級の嘘松を連発できて当たり前なのだ

真面目にコツコツと小説を書くよりも、はるかに低いコストで「読者」を得ることができる嘘松

一線級の超人作家ならともかく、こういってはなんだが一山いくらB級作家嘘松活動にのめり込んでいくのも無理はない。

しかし、嘘活を続けていると、作家感性は次第に嘘松にむしばまれていく。

嘘松小説は、現実ではないという一点において共通しているし、前述のように技術として似通った面もある。だが、やはり決定的に別物なのだ

嘘松の多くは、はっきり言ってしまえば、「嘘松(実話)としてなら面白い小説としてはイマイチ」というレベルの内容がほとんどだ。嘘松に特化した想像力では、小説フィクション)を支えるだけの真に力強いアイディアを生み出すことは難しい。

また、嘘松作家の書く小説はどこか薄味で、登場人物にも世界にも魂が入っていないように感じる。「実話」という強力なカードに頼って、世界自力で構築する作業を怠ってきたのだから当たり前だろう。

そして何より、最終的には作家自身が、自分の作るフィクションに興味を保てなくなるようだ。

こんなの、ただの「作り物」じゃないか。「現実」に勝てるわけがないじゃないか、と……

そんな嘘松作家たちの哀れな姿を、俺は数えきれないほど見てきた。

ただ、嘘松特化型クリエイターであることが、必ずしも不幸であるとは限らない。

現に、別のとある嘘松作家も今は、自分自身主人公にした嘘松の延長線みたいな題材の商業作品で大いに人気を博しているようだ。

そういう道もなくはない。経済的成功だけで満足できるのなら、本人が納得できているのなら、それでも別にいいんじゃないかとは思う。

それでも敢えて警告しておこう。

ネットに生息する全ての作家よ。作家志望者よ。

嘘松には決して手を出すな。

もしも本当の作家でいたいのなら。

2024-03-01

2.0四足歩行がしたい

四足歩行サル二足歩行をすることによって、サルはヒトへと進化した。

歩行に使っていた前足は腕となり、物を作ったり運んだりするのに使われるようになったことが進化の要因なのは言うまでもないだろう。

しかしながら、代償としてヒトは歩行(走行)速度を失うことになってしまった。

最速の霊長類はパタスモンキーで、時速55kmで走ることができるのだ。

巨体で鈍重なイメージのあるマウンテンゴリラでも時速50kmあるのだ。

一方でヒトはそれに比べると遅く、ウサイン・ボルトでも瞬間最高時速は44.17kmでしかないのだ。

ヒトが走行する際に両腕は単にバランスを取るだけに動かしているのと比べて、他の霊長類は前足で地面を蹴って移動しているから当然と言えよう。

ヒトがすでに四足走行を試みていることは知っている。

以下の動画は四足走行世界大会の様子であり、ギネス記録にも認定されたとのことである

「四足最速の人類」が記録更新

https://www.youtube.com/watch?v=epxVWHgtwlo

ヒトの新たな可能性への挑戦に敬意を表するが、私が望む四足走行とは少し違う。

動画方法では、骨・関節・筋肉負担が大きく、速度も二足走行に比べたら遅く、頭を下げているので視認性も悪いと、デメリットが多いからだ。

私が望むのは、二足歩行と同様に背筋を伸ばし、両腕を何らかの手段で延長して地面を蹴って(押して?)移動することである

杖(トレッキングポール)を両手に持って登山経験した人ならわかるが、杖を地面に押し付けると両足の負担を軽減できる。

これは上り下り坂道に限ったことではなく、平坦な道でも杖の恩恵はあるのだ。

杖で両足の負担を軽減させながら歩けることはもちろんだが、両足の負担をそのままにして杖で速く歩くことも可能だ。

一歩地面を蹴り出した直後に杖で地面を押し突けることで、歩幅が大きくなって速く歩けるのだ。

しかしながら、それだけでは四足歩行と表するにはまだ程遠い。

杖を使ったとて、両腕の役割あくまでも両足の補助でしかいからだ。

最近は、パワードスーツという物が普及しているそうだ。

アシストスーツや強化外骨格とも呼ばれていて、人間が着用することで筋力を増強するようにアクチュエーターが作動して、重量物運搬など人間動作を強化することができるのだ。

介護運送現場ではすでに現役で使用されているそうだ。

このパワードスーツと杖を組み合わせることで、四足歩行が実現できるのではないか

既存の杖やトレッキングポールを杖1.0として、四足歩行可能となるような腕が延長されたパワードスーツを杖2.0と呼ぶことにする。

2.0は、両足が無くとも歩行や走行可能である

この杖2.0を利用しながら両足でも通常通り歩けば、歩行速度は2倍の時速8kmとなるのだ。

走行速度ももちろん2倍になり、50mを8秒台で走れる人ならばウサイン・ボルト超えの速度になるのだ。

ウサイン・ボルトが杖2.0を使えば瞬間最高時速は88kmになるだろう。

いや、さらに上も目指せるだろう。

人間走行時に背筋(せすじ)をまっすぐに伸ばすだけで、腹筋も背筋(はいきん)も推進に全く使っていないのだ。

陸上動物で最速なのはチーター(時速120km)であり他にも猫科の動物は速く走れるが、猫科の動物がなぜ速く走れるのかと言うと腹筋や背筋を大きく伸び縮みさせることで推進力としているからだ。

2.0でも腹筋や背筋を走行時の推進力とするようにして、さらにその筋力をアクチュエーターで強化すれば時速100km越えも可能になるだろう。

高速道路を車やバイクと一緒に、杖2.0を装着した人間が走っているのだ。

烈海王(バキシリーズ)のように水上を走ることだって可能になるはずだ。

それにしても、アクチュエーターによる筋力増強もなくさらに人を一人背負って水上を走る烈海王は、漫画とはいえすごいものだ。

閑話休題

走行速度の速さを追求することはさておいて、この杖2.0が登場したら自転車以上に便利な移動手段になることは想像に難くないだろう。

あくまでも杖だから電車バスの中にも持ち込むことができるし、店の中でもオフィスの中でも利用できるのだ。

老人や身体障害者にとっても良いものだ。

現在歩行機能が衰えた人は杖1.0か電動カートを使うかの二択だが、そこに新たに杖2.0という選択肢も出てくるのだ。

技術力が向上し大量生産をするようになったら、杖2.0電動カートより廉価に提供されることだろう。

そうなれば自転車時代遅れ産物だ。

セグウェイキックボードローラースケートオワコンだ。

2.0時代最先端を担うナウいアイテムとなるのだ。

現在、杖1.0は老人や身体障害者やケガ人が使用する物というイメージが強い。

登山をする人で杖やトレッキングポールを持っている人でも、日常の歩行では使うことはないからだ。

しかし杖2.0が登場することで、杖はカッコいいアイテムへと変化するのだ。

2.0が登場するにあたって社会軋轢が生じることも想像に難くない。

「杖2.0を装着している人は歩くのが速くてぶつかると危ない。よって規制すべきだ」

「杖2.0公道使用免許を要すべきだ」

といった具合にだ。

しかしながら杖2.0若い人だけでなく、老人たちにとっても役に立つ道具なのだ

2.0使用免許を課そうとしても、老人たちが政治団体を通じて反発するだろう。

老人たちに免許を取れと言うのも酷な話だからだ。

未来世界でも老人は多数派を占めているので老人票は強いのだ。

2.0に対する世論を受けた国会審議の結果どうなるのだろうか。

おそらくだが、杖2.0に関しては何の規制もなく、代わりに自転車運転免許制になることだろう。

「杖2.0あくまでも歩行や走行を補助する物であり、歩行や走行の結果他者危害を加えたとしてもそれはその人の責任であり、免許規制をするのに適していない」

アクチュエーターによる増力は制限があり、速さにもある程度の上限があるので、速度上限の無い自転車よりは安全だ」

「それよりも自転車免許制にすべきではないかヘルメットの装着が義務化されてから何十年も経つのにいまだに着用しない人は大勢いるし、危険運転散見されるからだ」

といった具合にだ。

電動キックボード国会審議の結果、電動キックボードヘルメット着用は義務とならずに代わりになぜか自転車やり玉に上げられて、自転車運転時のヘルメット着用が義務化されたことを思い出してほしい。

2.0の登場にあたっても、同様に自転車やり玉に上げられることは想像に難くないはずだ。

こうした杖2.0が登場する未来を近づけるためにはどうすればいいのだろうか。

2.0現在のところ存在しない以上、杖1.0を使って街を歩き杖の優位性を世に知らしめることだろう。

しかし、約30歳かつ健常者の私が両手にトレッキングポールを持って大股で歩くというのも変質者じみている。

歩行速度のわずかな向上と引き換えに、行き交う人の信頼を大きく損なうことになってしまう。

変質者となるだけならいいが、人込みの多い駅やショッピングモールだと杖1.0は邪魔になりそうで、周囲の人にも迷惑をかけることになるからダメだ。。

それに両手で杖を持つと荷物が持てなくなるのもよくない。

2.0なら必要に応じて腕を縮めたり折りたたんだりするから邪魔にならないし、荷物を引っかけるフックがあって便利となるはずなのだが。(願望)

杖1.0が使えるのは公園くらいだろうか。

しかしながら、公園で杖1.0を使っても歩行のリハビリしか見えない。

セグウェイキックボードと違って全然カッコ良くない。

杖1.0を利用することはさておいて、ひとまずはこの文章を公開して杖2.0理念を広げることとしよう。

ああ、杖2.0よ。

そもそも2.0という呼称がダサイなぁ。

こんなダサイ名前なら流行るわけないよな。

四足歩行の夢はまだ遠いなあ。

いっそのこと杖を持たずに、上記動画の様に手袋を付けて街を四足歩行してみようか。

いや、それこそ変質者だ。

2024-02-29

anond:20240229135444

そんなリスク紀元前からそうだ。

狩りしたり農作業したりして食べてた女が皆無だったとでも?

専業主婦近代以降の産物であって伝統などではない、はフェミニズムが良く使うロジックだろう。  

お前はご飯食べたらウンコでるリスクがある、みたいな話をしている。生きている限りずっとそれはそうだった。

 

正しく言うなら「リスクリターンの計算バグった」だな。

 

リスクが増えたのではなく、リターンのほうの計算が軽くなってるのよ。 

子供を持つ」ことの意味が減ってきた。

ムラ社会てきな外圧が無いし、労働力としての子供も、老後の世話役としての家族も、それほど必要無くなっている。

子育てしなくてもペットを買えば保護欲を満たせる。

都市に住んで給料をもらうことで、子育て結婚利益を。代替できるようになってしまった。

 

この状況で、女性リスク減らしても、子供は増えないよ。

リターンを増やす必要がある。

から子育てしたほうが税金が軽くなったりするのは、まあまあ理に適ったやり方だよね。不足はしてるけど。

2024-02-27

民主主義の一番の問題スピード

民主主義独裁より良いとされている。今までの独裁者がバカばかりだったためこのようなことになった。民主主義妥協産物であるのに聖なる仕組みだと勘違いしている人達が多い。一番勘違いしているのがアメリカ人だ。アメリカ人自分達は民主主義権化であると思いこんでいる。しかし彼らは未だにメートル法採用していないばかりか国民皆保険すらない。いつまでたっても中世のような時代感覚が抜けない。これは民主主義のせいである。民主主義の一番の問題スピードである民主主義である限り何もかもが遅い。最後まで人種差別をしていたのはアメリカ人だ。

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