はてなキーワード: 産業振興とは
日本においてはケインズ主義は別に失敗してなかったからな。新自由主義は世界史に残るレベルで大失敗したが。一度一人あたりGDPがトップクラスになったのが一気に低迷。世界最低の成長率を20年続けた。
大前提として政府は金の動きを整える必要がある。その上で、何が政府がやって、何を民間にやらせるか。なおかつ極力現場に近いところに裁量権をもたせるようにしていくべきだろう。
ケインズ主義にケチが付いたのは、ケインズ主義単独では突然起きた供給由来のインフレに対処できないということだ。石油産出国の戦争とか、経常赤字化した状態の外貨借金。
オイルショックに対してサンシャイン計画が動き出し、一時は蓄電池、太陽電池は世界一位だった。また2000年頃は一人あたりGDP世界2位までいった。
https://finance-gfp.com/?p=4592
これはケインズ主義の功績。1990年までの科学研究投資の結果。
基礎研究や萌芽研究周りは確実に政府が金を出さないとならないやらないとならない。他にも起きるのは稀だが影響が大きな要素もこれも政府が金をだす必要がある。防災、インフラ、医療、文化保護。
その上で、供給由来インフレが起きる要素を予め平時に金をかけて潰しておくということだ。一つは産業振興でもあるが、そのもととなるのは基礎研究投資、萌芽研究投資。
発達障害の増田や人間がブログやこことかで「発達障害の問題は自分がされたら人一倍痛がって悲しむが、他人が痛がって悲しんでいるのが脳からして理解できない」からだなんて開き直って特性を言ってたが
そんな危ない奴それこそ、マトモに稼ごうと思えば現代では殺し屋かテロリストかイスラム国の戦闘員くらいしか適職ないからな
かろうじて数字に強そうだからってITに雇い入れたら数年でIT業界も懲り懲りでコミュ力重視がさらに加速しただけだし
そんで発達障害の分際で人並み以上になりたいのになれないと社会に憎悪して糖質拗らせる犯罪者予備軍化をネットで醸成していってるご時世だが
でもこういう特性って古代とか中世の戦争とかでは重宝された特性なんだろうなって思うんだよな
発達障害のキチガイって良心なんかまるっきり持ち合わせてないし理解できないから、人に対して危害を加えることに何の躊躇いもないし、アイドルグループとかフードルとか地下アイドルみたいなのに粘着して一度恨んだら常人を越える集中力でターゲットに粘着してナイフでめった刺しにして警察に捕まったり、暗殺キメたりストーカー化して不法侵入とか強姦かまして警察に逮捕されて死刑か無期懲役なんて事件だって過去結構あったし
発達障害御用達の撮り鉄とか、電車脱線直前の妨害行為しまくった挙句に、それを止めに来た人らに暴れまくって、平気でピストル腰に下げた警察官にさえ喧嘩売ってるわけじゃん
ITでも国家権力に喧嘩売る系の発達障害犯罪多発してたわけだし
そういう意味では、冷戦時代のソ連とかアメリカみたいに、国が養成してテロリストとかにしたら、国益的に役に立つんじゃないだろうかって思うんだ、こういう他人に害しかなさないゴミにも生産性を付与する方法考えるのが、これからの産業振興に大切なんじゃないか?
いろんな縁があって参加したとある田舎の地域おこし団体で、イラストレーターを使って簡単なチラシを作る役割をやってたんだけど、もう続けるのがキツくなってきたため、脱退することにした。
自分が地域おこしというものを考えるにあたって重要視しているのはやっぱり「産業振興」で、その中のひとつに「観光」があるという構図ならまだいいんだけど、今の団体は産業振興もなくはないものの、それよりもまず観光だ、といわんばかりに「観光」を第一に推すかたちになりつつある、というのが理由のひとつ。
ものすごく目立って金になる観光資源があるわけではないし、年間を通して観光に力を入れられるヒューマンリソースがあるわけでもない。だから当然関係者は手弁当なんだけど、年配の人からするとやっぱり「(関係者も含め)観光資源があってみんなワイワイしている」という事実があるだけでもう「地域おこし達成!」みたいな満足感が得られちゃうというのがあるんだよなーと。
最近ようやく収益も上げられるようになってきて、少ない金額ではあるものの関係者に報酬を渡すことができるようにはなっているんだけど、役員に「お祭り大好き」な人たちが居るおかげで「別に報酬いらないだろ、お祭りなんだし」みたいなところに持っていきがちで、ビジネスとして成り立たないのも一因として濃い。
観光でもなんでも、持続可能なシステムを作って、運営してこそ初めて「産業振興」だし「地域おこし」ではないかと思うんだけど、ひとたびビジネスにしようとするとものすごくケチな話が多くなってきて、チラシ作ってるだけの自分みたいな末端の人間も辟易するぐらいのものが醸し出されるようになりつつある。
年配の人たちにとってはセカンドライフなんだろうけど、自分みたいな若輩者にとってはキャリアの真っ最中というところにも認識のズレがあるんだよなあ。
今のところ「パワポでならチラシ程度作れないことはない」レベルの人は居るっぽいので、自分が抜けても「チラシのクオリティが10から1まで下がる」程度の影響力しかないだろうし、そういう意味では後腐れなく抜けられるポジションで良かったと思う反面、少なからず「地域のためになるなら・・・」という動機で、無報酬の役割にn年間従事してきて、その思い半ばで辞めようと思うに至ってしまったというのも、それはそれで悲しいものがなくはない。
無償でやることの難しさを改めて噛みしめる次第。
「戦争のおかげで科学技術が発展した」とかドヤ顔で言っちゃう人たちがいる。
「インターネットの元であるARPANETは軍事用ネットワークだったんだぞ!」みたいな大嘘を
未だにバラ撒いている人たちでもあるが、それは脇に置いておく。この人達の言っている事は本当か?
本当に戦争のおかげで我々はより優れた技術の恩恵を受けているのか?
サルファ剤もペニシリンもレーダーもその起源は軍事目的とは関係のないところで始まっている。
それらを「戦争によって(後々民間でも普及するほど)広く使われた」なんて言い出したら何でもありじゃないか?
最初に結論じみた事を言っておくと、「戦争のおかげで科学技術が発展した」という言葉は
間違ってはいないが誤謬がある。話を分かりやすくするためとりあえずターゲットを両大戦に絞ろう。
おれが言いたいことは二つだ。ひとつは「その予算が別に使われたらまた違った『発展』があり得た」事だ。
「戦争のおかげで科学技術が発展した」というのは、分解すれば「戦争という非常事態では、
国家によって採算性や費用対効果を度外視した大量の予算と人員が動員される。ために
日頃日の当たらない分野が劇的な進歩を遂げたり、ある分野の研究が大きく加速したりする。
よって戦争には技術を発展させる効用がある」と言い表せよう。だが、国家がその予算を別方面に
使っていたらどうだろうか。マンハッタン計画では現在の価値にして約250億ドルの予算が投じられた。
その金によって人類は原爆と原子炉と放射線障害に関する幾ばくかの知見を手に入れた訳だが、
例えば同じ金額が平時に教育と産業振興に投下されていたら、別分野で大きな進歩があったのではないだろうか。
その多くは「今までの3倍頑丈なミシン」とか「今より半分の価格のゴムタイヤ」とか「ちょっとイケてるコーヒーショップ」
といった地味極まる結果として出てくるだろう。しかしそれらが相互作用し、あるいは積もりに積もって、
「収穫加速の法則」的結果を生んで今より遥かに科学技術が進歩した世界が表れないとは限らない。
もうひとつは「戦争による死傷者が起こすはずだったイノベーションはどうなる」って点。
太平洋戦争で軍民合わせて約310万人の人々が亡くなった。戦傷者や震災関連死ならぬ戦災関連死、
戦争で将来をズタズタにされた人を含めればもっと多くの人が未来を失っただろう。彼ら彼女らが
生み出すかも知れなかった「科学技術」とやらは、君たちカウントしてるのか? 科学技術に限らない、
生まれてくることの無かった名社長・名先生・名作家・名俳優・名選手始め名哲学家から名漫画家まで
途方もない可能性が潰えてしまった。戦争があったからこそ生まれた名作や優れた発明があるのも事実だろう。
だがそのために十万百万単位で人が死ぬことを肯定してしまっていいのか?
ヘンリー・モーズリーや沢村栄治を知らないとは言わせんぞ。なるほど確かに生み出されるのは
「科学技術」では無いから「戦争のおかげで科学技術が発展した」という言葉の範疇ではなくノーカンだという
論法もアリだろう。じゃあ聞くが科学技術とやらはそんなに偉いのか?
ところで、太平洋戦争によって失われた国富はどのくらいだろうか。資料に寄れば
「昭和10年の資産的一般国富総額は1,868億円(昭和23年末価格12兆1,388 億円)、終戦時の残存
資産的一般国富総額は1,889億円(同12兆2,754億円)であった。つまり、日本は太平洋戦争で、
日本政府は、西アフリカ地域にまで行って金銭的支援を約束したそうだ。そのころ、中央アフリカや南スーダンでは大惨事の最中である。
ちなみに、支援といって金銭や食糧などを送っても、ODAなどではおよそ末端の庶民にはほとんど届かないそうだ。為政者や役人などがまたぞろ中抜きしていくからである。もっとも、今般の西アフリカ支援というのは、「開発」が目的であるから、おそらく国家的な産業振興で、土建屋の工事や、大規模なプラントや採掘現場などに費消されるのだろうが。いま福島第一原発では、作業員がもらうはずの手当も中抜きされてヤクザにわたっているそうだ。しかし世界では、ヤクザどころか、国家権力の関係者が公然と抜いていくのだろう。
ところでその西アフリカであるが、いま、ライオンが激減していて、絶滅しかねないほどだそうだ。
「開発」、さらに近年は「持続可能な開発」(sustainable development)というのが流行っている。国連など国際的にさえも、「開発」というのが強調されている。しかし、人間からすれば「開発」であって産業や経済の点で実に都合の良いものであろうが、「開発」の実態はつまり、地球破壊や生物殺戮であることが多い。
正直に言って私は呆れもするのだけれど、そもそもヒトというのも動物であり生物であり地球の一部であり、たとえて言えば地球の細胞みたいなものだ。その「細胞」が、母体を傷つけている。どれほどまでにヒトの自我や欲求や生存意欲は膨張していくのだろう。端的に言って、癌だ。
世界人口はどんどん増えていき、地球では暮らしていけないところにきている。だから「宇宙開発」にも躍起だったりする。地球外で暮らす方法だとか、月や火星の探索、さらには資源を掘り当てようということまで研究中だ。
日本のいまのひとたちはよく「ガマン」と言うけれども、人類は客観的にみて、ちっとも辛抱していない。だから、私からすると、呆れるし、滑稽にみえるのだ。
佐賀県が県立高校に5万円のタブレットをばらまこうとしている。
朝日新聞:タブレット個人負担撤回を 佐賀・嬉野市議会が意見書 http://www.asahi.com/edu/articles/SEB201309190005.html
ネットでは「高すぎ、泥タブなら2万で済む、俺ならiPadが欲しい」といった意見が見られた。
このニュースを読んで、私は喉に小骨がつかえるような違和感を感じた。
どうして教育の中身を、何を教育するかを論点にしないのだろうか?
生徒を教育するという目的が達成されるのなら、タブレットでもスマホでも大学ノートでも構わない。
手段ばかりが、ハードウェアばかりが論題にされている。
どこかで見たことのある構図だなと思ったら、まんま公共事業とそれに対する批判の図式と同じだ。
地域住民の便益や産業振興といった目的は棚に上げられ、いきなり「道路を作る、ダムを造る」という話になる。
納税者の利益を増進させることが目的なのに、その手段でしかないインフラ整備ばかりが議論される。
肝心の目的(納税者にどんな利益があるか)は後回しにされるか、場合によっては全く議題にのぼらない。
実のところはインフラ整備そのものが目的だから、こういう議論のスタンスは『正しい』とも言える。
佐賀タブを批判したい人は、論点を変えなければ勝てない。
ハードウェアについて議論している限り、どっちに転んでも(無償配布 or 実費負担)教育の質を高める建設的な話にはならない。不利益は佐賀の高校生がかぶる。
ちなみに、もし私が佐賀の高校生だったら、ヤフオクに「これが噂の佐賀5マソタブ!」と銘打ってガジェオタに高値で落札させる。
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知財関連なのでと経緯をいろいろと読んでたら法律関連が微妙に混乱してるように見えた。
気になったので、ちょっと突っ込んで調べてまとめてみた。
まず第1に、ゲームの「ルール」それ自体には著作権は及びません。
「ルール」はゲームの根幹を成すものではあるが、「著作権」は「表現」を守るものであって、「アイデア」を守るものではないからです。
ゲームの「ルール」と言うのは「アイデア」の部類に属すため、著作権法の対象外なんですね。
したがって、「遊び方を盗んだ」だけなら、少なくとも著作権では守れません。
では守る方法は無いのか?ですが。
「アイデア」を守るには、「特許権」「実用新案」などがありますが、
と言う事で、ゲームにはどちらもなじみません。
まぁ、これら二つとも基本的に産業振興のためのものであって娯楽は想定外ですから、この時点で登録の対象外になりますが。
と言う事で、事実上「ゲームのルール(遊び方)」と言うものには権利が無いんですね。
しかし、ゲームのルール「ブック」。つまり「遊び方の説明書」と言うのは「ルール(アイデア)の表現物」となり、これは著作権の対象となります。
そこで今回の状況をチェックしてみたのですが
eo お金ないんでルール読んで妄想遊戯: 東方版シャドウハンターズに、池田氏が困惑
説明書について、なんだか怪しそうです。
他のところも情報収集してると、一応、カードについてはそれっぽい変更を加えていたそうですが、それも微妙なようです。(URL失念。あゆ屋のブログ記事の消去されたものだったかな?)
と言う事で、どーもこの辺りで著作権法の二十七条翻訳権、翻案権等、を踏んづけているように見受けられます。
とはいえ、本格的にチェックするには実物で見てみないとなんともいえません。
そこまでやる気は無いのでルールについてはこれくらいで。
ところで、電源不用ゲームと言うのは、ルールだけで終りと言うものばかりではありません。
汝は人狼なりや?のように、ルールだけでも十分成り立つものもあります(カードでペルソナを決めるなどはフレーバーであって、ゲームルールの本質では無い)。鬼ごっこ、かくれんぼなども、ルールだけで成り立つものでしょう。
これとは別に、ルールが道具を使うことを前提としたものも大量にあります。トランプのゲーム各種のように。お手玉、あやとりなどもそうですね。他、福笑い、カルタ、人生ゲーム、囲碁、将棋 etc...ドイツボドゲを並べても面白そうだが、際限ないのでやらない。
今回のシャドウハンターズもそのように、いくつものカードやコマを用います。
そこで、問題となったものを見てみると
eo お金ないんでルール読んで妄想遊戯: 『シャドウハンターズ』 東方版
ボードのデザインがオリジナルとほぼ同じなんですね。手直しが若干入っている程度。
ボードのデザインと言うのは、言うまでも無く「表現物」です。よって、著作権法の対象となります。
そして、権利管理者が「アウト」をTwitterで明確に示した時点で、「完全にアウト」なんですね。
権利者が再販のために動いているたと言う話や、デザイナーと権利関係についてまとめるのに2年かかってるなども含めると、今回の行為を怒るのももっともかと。
以上のように、ゲームのルール(遊び方)それ自体は法律による権利としての保護対象にはなりません。
したがって、シャドウハンターズを「参考に」オリジナルでボード、カード、ルールブックを再構築した場合は、オリジナルゲームとして販売可能だったわけです。
ゲーム製作者は腑に落ちないでしょうが、これが法律の解釈になると考えられます。
実際に、ついこの前の釣りゲーの法廷でも、「創作表現(著作権が発生する)」であるのか、或いは「ルールの普遍的表現(著作権が発生しない)」であるかで争われています。「ルールについてのよくある表現である(表現ではあるが創作ではない)」と言う考え方な分けで、「ルール」が似てることが問題じゃないんですね。
そして今回はルールの問題よりも、ボードの表現がコピー改変なので、こちらで完全にアウトです。
ゲームに使用する表現物のコピーと言う意味では、任天堂花札をベースにキャラクターを入れ替えていたタイバニ花札騒動なんかが最近の参考になりますかね。
てな所で。
サーチ中に意匠「権」を想定して語ってる方が。しかしゲームのボードなどには「意匠権」を及ぼすことはおそらく無理です。
デザインの意味で「意匠」の単語を用いることは(知財関連を語る上では紛らわしいですが)間違いとはいえません。
しかし、特許権、実用新案権と同じく、意匠「権」となると、産業利用であることと、登録主義であるため、このような娯楽の場合、権利は無いと考えておくのが妥当かと。
今回はおそらく意匠登録は行われていないと思われますので、意匠権は発生していないかと。(理由修正)
著作権は「無方式主義」であるため、表現された物があれば自動発生します。
商標権は「既知の商標」と言う概念があるため、未登録でも認められる「場合があります」。Perl を第三者が勝手に登録したが無効化した!なんかが、最近あった例ですかね。コナミ登録商標問題はすでに過去かな。逆に認められなかったのが「東方Project」商標登録問題です。
と言う事で、特許権、実用新案権、意匠権の性格は、著作権、商標権とは若干違うので、法律として語る場合は注意しましょう。
http://anond.hatelabo.jp/20120906191656
突っ込み受けました。
ボードや駒でも意匠登録すれば権利受けられるよー……という事で、打ち消し入れました。