はてなキーワード: 生花とは
はてブでユニバーサルデザインと言えば、トヨタのタクシーが度々批難されているが。
それよりもユニバーサルデザイン化が急務なもの。
それが墓地ではなかろうか。
車椅子で墓石の前までつけられるUD墓地が何時だったかはてブでホテントリしてた。
それが理想だが、そこまでは無理としても。
昔ながらの墓地、急な坂道や階段を上ったところにあるものが少なくなく。
足腰衰えてきた高齢者には厳しい。
結果どうなるか。
生花の代わりに造花を供える墓が増えてきた。
これなら水を運ばなくて済むし。
夏場でもすぐ枯れたりしないし。
水汲み場に自由に使えるバケツや柄杓が置いてあるみたくドローンも置いてあって。
水汲んだバケツと、ついでに持ってきた生花とお供えもドローンで運んでもらう、みたいな。
でも200gドローンじゃ無理か。
いや、積載量多いドローン運行できる特区にして運行径路もプリセットした区間のみタブレット画面上のボタンをポチッと押すだけ、みたいな。
無理?
千昌夫です!
それはそれで綺麗ね!ってなるけど、
造花だったら造花でも、
あのCM結局なんだかんだいって、
話題になってるからCMとしてはマジで大成功なんじゃない?って思うわ。
であのルーペ持ってる人の掛けさせてもらったけど、
惜しげもないそのルーペ感で拡大されて見れるし、
ただ本人の前だったから試せなかったけど、
本当は私もお尻で踏んづけてみたかったところね。
あれは実は仕掛けがあって、
ルーペを縦向きに置いてるからお尻の割れ目に入って潰れないわけで、
ルーペを横向きに置いてお尻で乗っかるときっと壊れてしまうトリックなのよ。
でもまあ、
くれぐれも造花か生花かを見分けるために
お尻で踏んづけるのはやめて頂きたいわね。
うふふ。
冬布団も出したいところだし
石油ファンヒーターもそろそろ出番よ!
山のベリーの詰め合わせがあったので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
友人の結婚式の余興で、ブーケブートニアの儀式というのをやる。各テーブルから新郎が1本ずつ花を集めて、花束にして新婦に渡すというやつ。
余興メンバーで話し合いを続けていて、プリザーブドは高いし生花は扱いが大変なので、造花にする方向でまとまった。問題は花の調達先。
一番乗り気の友人Aが、100均のやつで賄う気満々で正直引いた。
どれだけ節約したいんだよ…と思ったけど、「高いものをあげても新郎新婦に気を使わせてしまうから」「100均でもラメスプレーとかラインストーンで飾ればかわいくなるから」だって。
確かにググると「100均の造花で高見え手作り結婚式!」みたいな記事がいっぱい出てくる。ほとんど新郎新婦向けだけど。
捨てるに捨てられない、キラキラにデコられた100均の造花の花束って…そりゃもらうこと自体は嬉しいけどさ、置き場所悩みません?私なら悩む。ハンドメイドとか、そもそも花自体、私が興味なさすぎるだけなんですかね。そういうのきっちり飾る家もあるだろうし…
Aは元々倹約家だし、今回も一番お金のことを気にしているので(「みんな生活があると思うから」って)察したい気持ちは山々なんだけど、100均でも全然オッケーだと思ってるのは単純に好みの違いでもあるんだろうな。
新婦の好みに合わせるのがベストだけど、正直わかんない。特に好きだと聞いたことはないけど、嫌いそうでもない。旦那さんとは面識がない。
なんかもう買ってしまいそうだったので、とりあえず待ったをかけて、昨日手芸屋と造花専門店を見に行ってきた。どれも100均よりは品良く見えるけど、一輪150円も500円も素人目には大して違わない。専門店はアレンジメントの相談も乗ってくれるみたいだし。
私は地元を離れてそこそこの都会暮らしなので、地元でここまで造花の選択肢はないと思う。ちょっとお金かかっちゃうけど、私が良いのを買っていく方向で、折れてくれませんかね…。
今日もFAX論議が盛り上がっているけど、確かに今更FAXはあまり使わない。
会社の機器は複合機(COPY+プリンター+スキャナー+FAX)となっており単体の機器はデザイン事務所などでしか使っていない。
FAXさえなければ電話回線を一本減らせるし経費削減にもなるんだよね。
立派な自社サイトがある葬儀屋でもネット上で生花のオーダーを受け付けている会社は今まで1件しかなかった。
これは理由がありそう。
葬儀社に務めている方がいたら教えてください。
また、銀行および金融機関の部署によっては情報漏えいを避けるためメールを利用してはいけないそうだ。
これは仕方がないね。
メールも使うけど証拠が残って欲しくないやり取りに関しては電話かFAXいいんだってさ。
そんなわけでめんどくさいけどまだまだFAXは生き残りそうな予感。
語れる人がいるようでいない。
この前は語ろうとしたら聲の形の方が好きだという話になってその話ばかりになったし
微妙に距離ある知人が好きで結構見たそうだが、視点が違いそうな気がしてならなくて語りに行きにくい。
ツイッターは、あー……どうだろ(適当)……って感じで自意識込みで語りづらい
あっ!ここがあるじゃないか!
何がよかったって、テッシーが良い。
Anotherの方も読みました。ほんといい。
「見たってか、ならやるしかねえな」みたいな流れほんといい。
これは小説のほうにあった話だけど、寝る前にしてる妄想とかほんといい。俺もする。ぶっ壊すかありえない話を想像する。
俺はオカルトなんて信じてないが、あれくらいロマンある妄想してるヤツで痛すぎないヤツ、友人に欲しいよね。
ぶっとんでなさすぎて、そこそこ常識的で、ノリよくて、田舎奴(バカにはしてないよ)で女に免疫なくてよ。
子供の頃から一緒だったりもするからそこまではって感じもあるわけでしょ?うらやましー。
瀧くんも小説のほうでは会いたい的なこと言ってたじゃん、まあ、合うと思うよ。その上で、会うとも思うよ。男視点でのみつはちゃん話いっぱい聞かせてもらえ。
やっぱ奥寺先輩っすわ~~~~~~~~~~~~~~やりてえ
本日記は、新海誠監督による劇場アニメーション映画『君の名は。』および『秒速5センチメートル』の結末に関する内容を含みます。
今日、新海誠監督作品『君の名は。』を観て、私はふたつのことを思った。
ひとつは、新海氏の監督作品でまだ観ていない、『星を追う子ども』と『言の葉の庭』を観てみたい、ということ。
もうひとつは、「新海監督って、一貫してるなァ」ということだった。「観てない作品があるのに、一貫してるかどうかなんてわからないだろ」
とは自分でも思うのだが、「一貫してるなァ」と思ってしまったのだからしかたがない。
『秒速5センチメートル』の二人は、なぜ最後に、本作のような形で、出会えなかったのかなァ、ということを考えた。
あの二人を、本作のような形で、出会わせなかったものはなんだったのだろう、『秒速5センチメートル』にあって、
本作になかったものなんだったかな、と考えて、それは、罪悪感とか後ろめたさのようなものではなかったか、と私は思った。
なぜ罪悪感なんかを抱くかといえば、「大切な存在を小さくしたのは、時の流れるままにした、他ならぬ自分だ」と思うからで、
一方の本作で罪悪感なんかを抱かないのは、「大切な存在を小さくするのは時間のせいでも自分のせいでもなく、
人智を超えた力によってそれをスパッと忘れさせられてしまうから」である。
喪失感はあるが、「喪失させたのは他ならぬ自分だ」という後ろめたさはない。
一緒に観に行った友人が、『秒速5センチメートル』で劇中の時間を多く割かれた恋愛のディテールが本作ではほぼ描かれないことを、
「欲をいえばもっと胸キュンしたかった」とか言って少し不満がっていたのだが、私はなんとなく、それはこんな理由じゃないかと思っている。
私の憶測に過ぎないが、『秒速5センチメートル』では、長い「時間」を見せることで、大人になった主人公が罪悪感というか、
後ろめたさというか、申し訳なさというか、そんな感情を抱いているのだと、観客に理解して欲しかったのだろう。
第2部以降、主人公が送る日々を見る観客は、「彼の心の中では彼女との思い出の領域はもう増えないのに、
その他の領域は大きくなるばかりだ」ということがわかる。
彼女の存在の相対的大きさの縮小に慣れようとする彼が、その「慣れようとした」という自覚によって、
思い出や、かつて抱いた強い想いを粗末にしているような疑念や後悔を感じ始めることも。
恋愛のディテールが長く描かれたのは、そんな第2部以降の時間とのバランスをとったからだろう。
一方、本作では、「何か大事なことが色々あったはずなんだけど、思い出せない」という、喪失感だけを観客に共有して欲しかったのだろう。
そのために、観客を「二人に恋をさせたものが色々あったのだろうけど、断片しかわからない」という状態に置くことを選んだのだろう、と私は思う。
本作で、再会を果たす直前の主人公は『秒速5センチメートル』のモードに入りかけている。
それは時間が経つにつれて、「思い出せないままにしている」自分を責める気持ちが徐々に強まるからだろう。
きっと、時間とともに何事かを忘却したり喪失したりすることに対して、罪悪感のようなものを感じてしまう、というのは、
しかし、本作の二人は再会できる。それはおそらく、本作の世界観では「忘れる」だけでなく「思い出せない」もまた、
時間のせいでも自分のせいでもないからだろう。「時間という要素によって、出会えなかった」物語を描いた人が、
「時間という要素がないのなら、出会える」という物語を描いたのだ、と私は思った。
新海監督の2作品、『秒速5センチメートル』と『君の名は。』の対比は、生花と造花を思わせる。
なんと自宅に居る時間は5時間だけ?継続してたらデスマーチよ。
法律守って作業者が自宅に9時間いられるようにマネジメントするのがお仕事。
(鎮火の初動は、終電まで働かせといて健康管理は自己責任とか言う人の排除から)
というわけで、みずほ銀行が最近また話題になったので、振り返ってみよう。
で、記憶に新しい2011年の東日本大震災システムトラブルの影響で、
システム刷新して再発防止するぜ!というのが2012年スタートの話。
みずほコーポレート銀行にみずほ銀行が吸収合併されて、
はい、クソメンドクサイですね。
しっかし、この合併って超ややこしくて
とか並べると、ウワー関わりたくね-って判るでしょ。
今のみずほ銀行は、旧みずほコーポレート銀行なので、旧富士銀行なのね。
法人格(法律上の会社人格)も、SWIFTコード(世界的な銀行識別番号)も、旧富士銀行のを使ってる。
でも、日本国内で使う統一金融機関コードは、旧みずほ銀行で、旧第一勧業銀行で、旧第一銀行なのね。
なぜなら、旧第一銀行の統一金融機関コードは0001で、旧富士銀行が0003だから。
しかも、元みずほコーポレートたる興銀は企業向けメインで、元みずほ銀行は個人向けがメイン。
AKBと宝塚歌劇団が合併したみたいなもんスよ。そりゃ一歩も引かないわな。
という政治的決着を経て、
外向けに儲かってるところは興銀の日立
(全銀システムはそもそも開発保守をずっとNTTデータがやってるんで、そこしかやるところがないという)
そして三菱東京UFJ銀行の開発はちゃんと終わりました。あそこも無茶やりました。
旧UFJは派閥抗争で完全に疲弊しきった所を、天下の三菱御三家、東京三菱銀行が救済しました。
だから、旧UFJ系(日立)は「実利で残した」という形で、東京三菱側(IBM)が完全にコントロールしてた。
主導権が完全に旧東京三菱側にあるので、旧UFJ(旧三和銀行)がなんか言っても鼻で笑われるレベルね。
つまり、クライアント(依頼主)側の命令系統がキッチリしてるかどうかが全て。
家を建てる時にさ、大工と左官職人と配管職人とガラス屋と設備屋が居るから完成しないとか、無いでしょ。
それぞれの職人にそれぞれの指示をして、結果として一つの建物ができるのはそんなに珍しく無い。
(もちろんちゃんと連携しとかないと穴空いてないから換気扇付けられんとかあるんだけど)
だもんで、日本IBMのプロジェクトマネージャーに全権委任して、組み直せば終わるよ。
みずほ銀行内の揉め事は、全部林さんがOK/NG決めて、IBMのPMが采配して進める。
要は、クライアント(依頼主)側の意思統一ができていないのが一番の問題。
これは、ベンダーがーとか多重請負構造がーとか、そういう問題じゃない。
第一勧業銀行と富士銀行と日本興業銀行の合併が終わってないのが問題。
(外面の話じゃなくて、内部的に一つにまとまってるかってことね)
自社もまともにできてないのにSIとか臍が茶を沸かすぜ。
みんなコダワルねぇ。
ヤヤコシイということだけ判ればエエのに。
とするじゃろ
/*合併前の法人格リスト 第一勧業銀行, 富士銀行, 日本興業銀行*/
社名変更(みずほ銀行, 吸収合併(吸収合併(第一勧業銀行, 会社分割(富士銀行, 富士リテール)), 吸収合併(新規設立(みずほ統合準備銀行), 会社分割(日本興業銀行, 興銀リテール))))
社名変更(みずほコーポレート銀行, 吸収合併(富士銀行, 日本興業銀行))
社名変更(みずほ銀行, 吸収合併(みずほコーポレート銀行, みずほ銀行))
第一勧業銀行が第一銀行から来てることは知らなくて良いなんてコメントは甘い甘い。
日本では古いほうがエライ。それは実にシンプルに帰属意識や誇りに結びつく。
今をときめく日本銀行よりも第一銀行(第一国立銀行)の方がエライのよ。
よしもと新喜劇とAKBと宝塚歌劇団が合併したみたいな話に例えると
「じゃあそれで」
「えぇ……」
「しないだろJK」「含めるに決まってるだろ?」「千秋楽だけ生花は衣装扱いで」
「えぇ……」
「どうかな?公演の日取りは決まってるけど」
「「「おおむね順調です!」」」
(三行で正確に知りたいってのは業腹ってもんだ)
例えば「ホモ」は差別用語って言われるようになったが、別に自らを「ホモ」っていう同性愛者はたくさんいるし、
「八百屋」とか「魚屋」「肉屋」も自らを「青果店」「鮮魚店」「精肉店」なんて言わない人もたくさんいる。
「青果店」なんて「生花店」「製菓店」と被ってかえって厄介にしている。
前にいいともで年寄りの爺さんが自分のことを「つんぼ」って言ったらテレビ局が謝罪していたが、
自分を指していうのも駄目なのはおかしいし、きっと「『つんぼ』という言葉を不快に思う人がいる」ってことで
残る系プレゼントのすすめ( http://anond.hatelabo.jp/20150903082100 )と
「残る系プレゼントのすすめ」へのすすめ( http://anond.hatelabo.jp/20150903230536 )
を読んで、どちらもピンと来なかった20代後半女子も書いてみます。
この3項目で進めますね。
理由は簡単。
「なぜ彼はこれをくれるのだろう?」と考えたときに、プラスのポイントが浮かばないからです。
「ブスなんだから、これでもっとちゃんと化粧しろよw」とか、「服ダサいんだよw」とか、嫌味にしか受け取れません。
私が卑屈すぎるのでしょうか?
なので基本的には喜んでいただくのですが、唯一の問題は残ってしまうということ。活用しようと思うと必然的に常に目につくところにあり続けることになります。
尊敬している上司や仲の良い友人からもらったものなら、それを見る度に活力になるでしょう。
ですが、悪い人ではないけどどうしても生理的に受け付けない、なんて人からもらってしまうと、見る度になんとも言えないイライラを感じてしまいます。
モノは悪くないだけに、何度か使った後は見えないところに仕舞いこむか、家族に譲ることになりがちです。
具体的には、こんな感じでしょうか。
あれ、今治タオルって消耗品というには長く使えますね。今治に限らず、無地の白タオルであれば相手に対しての印象もそこまで残らないので、微妙な人にもらってもありがたく使えそうです。