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はてなキーワード: 生老病死とは

2020-12-14

anond:20201214010626

いいじゃん。それっていつ死んでもかまわないってことでしょ。

病気事故心配しないで済む人生って平和じゃん。涅槃寂静じゃん。

きみはこのまま一生楽しくない人生を送って、静かな喜びとともに死を迎えるといいと思うよ。

死の恐れから解放される人生なんてなかなかないよ。

生老病死一切皆苦がこの世界真実だって見方もある。

苦界を楽しそうに生きてる連中のほうが間違っているのかもしれないよ。

どうせ長く生きても100年ぽっち。ほんの少しの辛抱だよ。

2020-12-09

anond:20201208213349

生の喜びが生老病死愛別離苦と言った生に伴う苦に、総体として勝ってると信じられない人生というのはやはり惨めな境遇と言って差し支えないんじゃないかな。

俺、仏教徒じゃないから、この辺の仏教における捉え方ってどうなってるのか分からないし気になる。

2020-12-08

anond:20201208192522

いやいやそれちょっと違うだろ

「生の苦しみ」イコール惨めな境遇じゃなくて

生老病死愛別離苦等々の根源的な苦しみのことじゃないの

まあ現代邪教ではあるよね

2020-10-17

仏教は単に当たり前のことを言っているに過ぎない

こないだ、増田見てたら「私は悟った」みたいなことを言っていた人がいた。

単純に、非常に失礼だが、「馬鹿だな」と思った。

悪いけど、悟るなんてことはない。悟りを開くとか、生きて仏になるとか、そんな人はいない。

それは単に、仏教思想というか古代仏教思想の説いたことを誤って理解してしまったがためにそんな解釈を生んでしまったのだろうと思っている。

 

根本的に誤っているのは、原始仏教が生まれた背景をものの見事にみんな無視するからである

考え方がまるで逆で、当時の世間に流布していた思想からの脱却を、悟りを開いたとか、覚ったとか、多分そんな風に言ったのであろう。

要するに「輪廻転生」に象徴される、人は定まった運命の中でしか生きられないという、あの現代にも続くインドカースト的な考え方からの脱却に他ならなかっだ。

一切は空なりとは、つまり輪廻転生であるとか、そんな迷妄な考え方・思想には実体などない、そういう意味なのである

そんなの言ってたら、永久に人は苦しみから逃れられないと言っているようなものじゃないか、とゴータマは覚ったのである。これこそがほんとの悟り・覚りなのだ

から釈迦牟尼世尊の超絶的な苦行の話が逸話として出てくるのである、そうした苦行には意味がないのである

 

ところが、馬鹿無知民衆は、あの四苦、すなわち生老病死の「生」を「生きる苦しみ」と解釈してしまったのである。あるいは一切皆苦という言葉をこの世には苦しみしかない、などと全くの誤解をしてしまったのだ。

生老病死は、これは「死」は別なのである。これは四つではなく三つの苦しみ説く言葉であり、生・老・病の三つとも解決不能な苦しみのことを例としてあげたのである

この言葉は、人は、生まれてはすぐ死に、病んではすぐ死に、老いてはすぐ死ぬ、ということを意味する。

考えてみたらわかる。原始仏教は今から2500年前の劣悪環境インドで生じた思想である。人は生まれたら大半がすぐ死んだのである乳児死亡率は今とは比較にならない。病んだって、その多くは治療方法すらなく死んでしまうし、老いたって病院介護など期待できる世の中ではなかったのだ。

 

ブッダ達が言ったのは、古代インド思想輪廻転生などのそれ以前の問題として、解決不能の苦しみ(生老病死)があるってみんな知ってるじゃないか、だったらせめて解決可能な苦しみをどうにか解決していこうではないか、というコロンブス的な発想の大転換だったのである

 

このように考えれば、仏教はアホほど簡単なことしか言っていないことがわかる。

一切皆苦とは、修行者らに対するテーマのようなものである現実問題のみを解決していこうという超現実志向を表す言葉である

一切皆空とは、この世には実体みたいな、どうにも出来ないものなどないと見よ、という極めて強い教えなのである

諸行無常とは、輪廻転生みたいな、永久に変わらぬ事柄などない、という希望を与える言葉なのである

諸法無我とは、神のような存在意思に頼るのではなく、物事に対する法を見出し、その法に従って問題解決していこうじゃないかという、当たり前のことなである

 

こんなの、実際はすでに現代社会常識しかない。

みんな世の中に出て、例えば大人仕事という問題解決にあたっているはずであろう。

例え、どうにもならん問題があっても、ストレス発散くらいするはずだ。

少なくとも人権主義思想は、すべての人にとって平等社会の実現の根本思想になっている。

そして、私たちは、法律であったり、科学であれば法則であったり、マナーだったり、様々なルールだったり、あらゆる物事に対して法を実際に使っている。

 

まり、とっくの昔に、仏教など不要社会になってしまっているのだ。

私たちにとって、仏教は本当に単なる当たり前のことを言っていただけなのである、2500年も前に、だ。

から、悟った・覚ったとか無意味なことを言っても何の意味もないのである

 

但し、変な思想とか妄想に取り憑かれていてそこから脱出したのなら別だけどなw

2020-10-05

anond:20201005155615

URLありがとうね!読んだ!

アンチナタリズム、私も過去仏教の方から生老病死=四苦の概念を通して少し学んだことある

主義としては理解できる部分もある…というか、もしかすると旦那がこっち寄りの意見なのかもしれないな。

今の自分が丸ごと受け入れるには大きすぎる問題だと思ったから、今後少しずつ自分価値観とすり合わせていってみるね。

夫婦で納得できる結論に至れるように頑張るね。

2020-09-15

ありがとう安倍総理

私は反出生主義者なので安倍政権下で日本少子化が加速したことについては安倍総理感謝しています

出産によって生老病死強制され、新たに苦しむ人がこれ以上増えないよう総理大臣が変わってもさら少子化が進み、無子化を実現し非存在絶対安全平穏が守られ続けること願います

2020-08-10

人達祈りの果ての「平和世界」は、我々の感情喪失させる

日本平和

日常堅牢さはこの100年で確立するようになった

巨大な暴力である戦争によって理不尽死ぬことはなくなり、飢えや疫病や大虐殺による死も少なくなった

規律と富と技術により、かくして生命を長らえさせることが容易になったこの世の中で、かくして人間リアルは失われるようになった

この先、人間生老病死すら克服し、神の庭でプカプカと浮くような生態を獲得するかもしれない

「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」

もはや、そこでは死ですら救済にならない、何故だろうか


誰しもが生命危機という危急の事態から遠ざけられ、子孫を残すことすら、社会的責任を果たすことすら自由になるようになった

人類史上、ここまで多くの人間がそうした「平和」を享受し、それと同時に「平和」という呪いを受けるようになったことはなかっただろう

我々は死ぬまで本当の感情を、本当の必然性必死さ、危急さ、緊急性をもって人生を歩まなくなった

食べ物ですら、「情報を食べている」と揶揄されるようになった

本当に食べたいものですら、我々はもはや自分で決められなくなってきている

自分が何をしたいのか、自分が何を求めているのか

我々に自分自身の意思はなくなってきている、カオナシかのように

もはやこの世界では、死ですら、セックスですら、コロナウイルスですら、戦争ですら救いにならない

システム化された社会はその修復力で、破滅回避したいという先人の願いが故に、日常を堅持するようになった

それは本当に切実な願いだったからこそ、そこを否定することが誰にもできない

だって、目の前で自分の愛する者が死んでいく現実肯定できる人間など、誰も居なかったのだから

今の世界は、数千年かけてやっと実現した願いの果てなのだ

無かった事にしてはいけない

でも、平和な世の中は真実、我々の魂を救っただろうか

救わなかった

「あの男には死ぬまで純粋な怒りなんて持てない」なんてセリフアカギで述べられたが

そうなのだ、この世界人間の中には、死ぬまで本気になれない人だっている

少年よ、我に返れ」と唱え、自分自身に戻り

「生きよ、堕ちよ」と、極限状態になった時にそれでも生き汚く、生き延び

自分が何者であるかを胸に刻み、望んでこの世界に生まれた二度目の赤子として自分自身の人生を歩み出す」ことを目指すしかない

政治による救い、社会システムによる救いなど得られない

それぞれの個別作業として、自分自身のオリジナルでパーソナルな苦悩と悲哀を母胎にし、何度も自分人生を再規定するしかないのだ

人間可能性を、この平和というシステムなんかでは人間本質尊厳は損なわれないことを信じるしかないのだ

花を咲かさな方法って言うのがあるの

…水も栄養も十分に与えるのよ

そうすると植物安心して花を咲かさないわ

咲かせるにはその逆

――タカちゃん

私もタカちゃんと同じ

別に描くことにこだわる理由なんてないの

ただ思い切り何かをやってみたかっただけなの

…私の場合 病気きっかけを与えてくれた

何もない所から頑張ろうとする方がムズかしいのよ

タカちゃんの方が大変だと思うわ

…でも何か見つけて…

――戸田誠二「花(生きるススメ収録)」より

「望むのは平和。ほんの少しの譲歩。

そしてわずかな共感と、刹那のふれ合い。

それだけしか望みません。

それだけで、わたし達は立派にやっていける。

その後のことは“みんな”が上手く形にしてくれる。

私はそれを信じています

だって信じて貰えなければ、私は人間でさえなかったんですから

あの日、あの夜。あの馬小屋の中で

虫けらのままで死んでいたんですから

――橙乃ままれ魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」より」

2020-07-09

幸福に生きねばならぬという現代常識について

幸福とは何かと考えてみて私は任意対象への熱中のことだと考えるようになった。

かに熱中している間、人はあらゆる熱中の対象以外、生老病死忘却している。

「人は何事かに熱中しなければならない」

そのような規範意識もまた苦痛を呼ぶことは別にして、何事かに熱中している人間苦痛を忘れていることもまた事実なのだ

であれば、何事についても熱中できるような人間性を今からでも構築するべきなのか悩む。

2020-07-04

あれだけ東京コロナ感染してるのにはてな民感染者が1人もいないのが不思議

もしかしてはてな民って肉体ないの?

肉体を捨てて精神体のみで生きる存在なのか

生老病死から解放されて悩みなんかもなさそうだけどその割に日々何かに怒ってるなー

はてな民が何を言おうと実体がなければ実世界アクセスできないんだけどね

2020-06-18

まれなければよかった

生老病死なんてなかった

2019-06-07

anond:20190606235722

でもそれだと勝手に産んどいて勝手に殺すわけで二重に罪じゃん、生老病死の生&死で

反出生主義の言うところの加害者は親で、被害者勝手に産み落とされた子供のほうだと思ってたんだけど

親は全力で被害者に罪償わなきゃだめじゃね?

2019-05-23

anond:20190522224201

なるほどねー。

議論すべき内容か否かは兎も角として論点は整理されてたのでわかった。

とはいえ、ここは増田なので致し方ないとしても、元増田はこの記事自分スタンスを明らかにしてないよね。

この記事の書きようからするとヴィーガンではないのではないかと思ったんだけど、勘違いかな。

それは兎も角、まず一つ目の論点苦痛を感じるかどうかということだけど、本当にそれが論点であるなら、屠殺手法フォーカスが向くはずであって、現在運動の方向とは必ずしも同一ではないよね。

だって屠殺のもの否定した運動を展開しているわけで。

そもそも先進国屠殺場では屠殺される動物苦痛を与える屠殺方法は用いることができないことになってる。

大脳を持ち自由神経終末のある脊椎動物に限られるのであれば、大脳苦痛を知覚しないブロックされた状態であれば、当該動物苦痛を感じていないと結論することができるわけで、既存屠殺手法攻撃することはできない筈だよね。

また、家畜におけるアニマルウェルフェアをどう評価するかについては議論がわかれるところだけど、飼育方法は兎も角として産ませ育てることすら否定するのだろうか。

生老病死の四苦を知る仏教観念なのだろうかね。そんなわけないだろうけど。

植物がどうのっていうのを「稚拙」と論じるのは勝手だけど、日本的宗教史観に基づいて考えた場合に、逆に植物苦痛を感じないのだろうかと考えることは自然なことだとは思うのだが。

振り返って、人は植物動物わず生命を食べずに生きることができない(無機物のみで生存することができない)ことに気付けば、命に対して線引きをすることの愚かさに気付けそうなものだが。

からこそ、感謝をもって食す、食物を大切にするという風に考えを昇華できないところに思考限界が見える気がするが、これは宗教的なバックボーン問題なのかもしれず一概に否定することもできない。

というか、そもそもヴィーガンでもないかもしれない元増田に言っても無意味かもしれん。

2019-05-21

生きているだけで年を取るし病気になる。生老病死の四苦とはよくいったものだ。

生きるのがしんどい、だからといって死ぬのはもっとごめんだ。

じゃあどういう形が理想なのか?

死後もログインできる電脳世界こそが理想の最終形態だろう。

そこでは現実世界での年齢や病気関係ない。肉体から開放され、年も取らないし病気にもならない。

永久的にその場にとどまり大切な人たちと過ごすことができるのだ。

現代科学においてそんな技術がないことは到底わかっているつもりだが、気分が落ちたときはどうしてもそのことをずっと考えてしまう。

2019-01-22

anond:20190122111259

健常児でも、平和世界でも戦争のある世界でも金持ちでも、紀元前からみんなそれを思ってるから

生老病死が、4苦としてあげられるんだよ。

そう考えることは障害者特権じゃない

2018-06-09

anond:20180609213552

釈迦思想輪廻転生と密接な関わりがあるから無理だろ

輪廻転生がなけりゃ生老病死なんて死が全部解決しちまうんだから

釈迦輪廻採用していたかもしれないが俺は採用しないって立場を取るのはあり

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