はてなキーワード: 生涯賃金とは
あちこちで見かける「フェミニズムはおばさんの若い女性への嫉妬」という言説。
いろんな人が何度も「それは違うよ」「誤解だよ」と繰り返し説明していても消えないので、きっとアンチフェミにとっては「そう思うのが気持ちいい」んだろうなあ、と思うけど、やっぱり間違っていると思うのでここでもう一度否定しておく。
当たり前だが、フェミニズムの考え方に触れ、自分のものとして取り込む年齢は様々だ。
子供のうちから性差別についての情報に触れていれば、人によっては相当若いうちからフェミニズムに共感するようになる。
医学部入試の点数操作問題などは、これから大学入試を受ける世代の子たちにもずいぶん影響を与えたのではないだろうか。
若いときには見えていなかったことが見えるようになったり、知らなかったことを知ることもある。
社会に出て、いろいろな経験を積むことによって、自信のなかった若者が図太さ、たくましさを身に着けていくというのは性別問わずあることだと思う。
「嫉妬している」と思われるのって意味がわからない。まるでそんなことないから。
というか、そう思うのって、「性的に欲求される」ことが価値のあることだと思っているからだよね。
「自分が好きな相手」以外の人から性的な欲求を向けられるのって、多くの女性にとっては不快だったり恐怖でしかないんだけどな。
性別が女であることによって不快な思いをした経験のある女性は、そりゃもうたくさんいる。
生涯賃金の差だったり、家事労働時間の差だったりという統計で出てくるような差は厳然として残り続けている。
電車に乗っているだけで痴漢被害にあう女性も多く、夜道を歩くにも一人暮らしをするにも性被害にあわないように用心しなければならない。
昔よりはよくなってきていることもたくさんあると思う。
でも、昨今女性専用車両を女尊男卑だと言ったり、性的に強調された女性の表現を全年齢のメディアや公的な場で使用したり、ということも続いている。
フェミニズムは、自分のためでもあり、自分よりも若い女性のためでもある。
一般女性と風俗嬢がバランスシート上でどのように計上されるかを考えてみたい
この際の評価について「歳をとったからといって評価を下げるのはおかしい。簿価会計とすべきだ」という意見が一部の女性からあるようだが
IFRS(国際会計基準)では時価会計とすることが求められているので、女性の棚卸資産としての評価は毎年洗い替えすることが必須である
資産評価については個人差があり、人によっては歳をとって評価が上がる人もいるが、通常は年を経る毎に右肩下がりとなるのが一般的である
評価の具体的な算出方法については、専業主婦モデルや共働きモデル、一生おひとりさまモデルなど各モデルによって計算方法が異なってくるのだが、
こちらについてはシカゴ大学 サンショク・ヒルネツキー教授の論文「女性の働き方の考察について」に詳しいのでこちらでは割愛する
とりあえず例として結婚後に専業主婦になるケースで評価を算定してみよう
とある女性が年収800万円(定年までの生涯賃金約3億円)の会社員と結婚するとしよう。この場合算定の基礎となるのは
生涯賃金3億円であるが、当然のことながら今すぐに貰える1000万円と10年後に貰える1000万円に同等の価値は無い
(利子率を7%と仮定すると、10年後に貰える1000万円は今すぐに貰える500万円と同一価値となる)
将来得られるであろうCFを利子率で割り引くDCF法によって計算された生涯賃金が2億5千万円であるとしよう
ここから必要な生活費等を差し引いた可処分所得が1億円となれば、妻の取り分はその2分の1となるので、棚卸資産の評価は5000万円となるわけだ
この相手との結婚を見送り、更に高い年収の相手を探すことも可能だが、歳をとるごとに自身の評価は下がるので時間との戦いにもなってしまう
この場合、「自らの資産評価を少しでも高め、評価が下がる前に売買を成立させる」という手法が一番有効な戦略と成り得る
一方でパパ活女子やデリヘル嬢、セクシー女優などといった人たちについても考えてみる
彼女たちはバランスシート上は流動資産ではなく、固定資産の機械・設備に計上される
働く形態(キャバクラ、ソープ、ピンサロ)などによって法定耐用年数は異なるが、一般的なモデルケースでは20歳から働きはじめた風俗嬢の耐用年数は15年となる
一般女性と異なる点として、風俗嬢の場合は機械・設備なので毎年減価償却を行う必要があり、定率で価値が逓減していくという点が挙げられる
一般女性の有効的な戦略は「自らの商品価値の最大化」であったのに対し、風俗嬢が取るべき戦略は「自らの肉体を使って得られるキャッシュフローの最大化」となるわけである。
さて、ここまで読んで頂ければ賢明なるはてなーの皆様には「私たちは買われた」という表現が会計学上は全くもって誤りだということが分かって頂けたのではないかと思う
日曜日にあなたたちが家族連れで遊園地に行き、1人1000円払ってジェットコースターに乗ったとする
この1000円でジェットコースターを購入したのであれば「私たちは買われた」という表現が正しいのだろうが、あくまで1000円はジェットコースターに乗る対価でしかない
そしてジェットコースターは大勢に乗られることで摩耗するので、毎年減価償却を行い価値が逓減していく
私は一部フェミニストの人たちの議論に参加するつもりはないし、そもそもそういった議論自体に興味が無いのだが会計学を学ぶものとして誤った表現がまかり通っている
現状を看過することは出来ないので、表現の間違いについてだけは指摘させて頂きたい
タイトルそのままの内容なので閲覧には注意されたい。一部の人にはつらい記憶を思い出させてしまうかもしれない。女性視点の体験記は数多くある一方で、男性視点のものは少ない。妻が妊娠すると男性も覚悟を決める。しかし、(過去の自分も含めて)何が起こり得るかはぼんやりとしか想像できない。稚拙ながらも自分の体験と後悔を書き残しておけば、その解像度が上がるかもしれない。そう思い投稿する。
分娩室。妻につながれた医療モニタが歪なサインカーブを描いていた。正確にはサイン波の絶対値のような概形でゼロ区間が長い。波形がピークに近づくにつれて妻のうめき声が大きくなる。これが陣痛発作だ。間欠的な小休止を挟みつつ、数分おきに発作が起こる。モニタの値が妻の痛みを表している。全力で妻をサポートしたいなら、助産師の動きを脳裏に焼き付けて、完全に模倣すればよい。一挙手一投足に意味がある。プロの動きを邪魔しないように、分娩室の俯瞰映像を想像して立ち振る舞う。男性は手が大きいので、より効果的にさすることができる。胎児の心臓が止まっていると分かったのは、6時間前のことだった。
妻がついに妊娠した。待望の我が子で、出産月のコントロールなどとうに諦めていた。妊娠後の検査は全て正常、胎児の推定体重は発育曲線のど真ん中。妊娠週数を横軸としたグラフに推定体重を書き込み、発育曲線なる2本の曲線の間にあれば正常とされる。何も定量的な説明はなかったが、胎児の体重はおそらく正規分布に従うので、上下の発育曲線は平均±数σを表しているのだろう。曲線の離れ具合から、発育が進むにつれて分散が大きくなると読み取れる。ちょうどそのど真ん中で、初めての我が子は順調に育っていた。早々に名前をつけて、膨れ上がった妻のお腹に毎日のように話しかけた。
無痛分娩に興味があった。背骨と脊髄の間にあるわずかな空間に麻酔薬を注入して分娩にともなう母体の苦痛を軽減する。一定のリスクはあるが、メリットが大きく上回る。無痛分娩のためには麻酔科医の予定を抑える必要がある(※後で知ったがこれは産院によるらしい)。出産予定日は3月末だった。つまり、無痛分娩を選択することで子の早生まれが確定する。ひょっとしたら4月生まれになる可能性もある。そんな淡い期待を胸に、私たちは自然分娩を選択した。
私は3月生まれであることがずっとコンプレックスだった。早産の早生まれ、背の順は常に先頭、鬼ごっこではいつも鬼、50m走のタイムは肥満児より遅く、ドッジボールではただの的、組体操のピラミッドでは頂上から落ちて何度も死ぬ思い。身体的・精神的な発達の遅れに由来する傾向は「相対年齢効果」と呼ばれ、特に男子の場合は生涯賃金の観点で一生の足枷となる。これは歴然たる統計的事実として知られている(ちなみに、女子もしくは学力上位の男子ならばこの呪いの例外となる。興味があればGoogle Scholarで検索してみてほしい)。子の幸せを願う親として、自分と同じ思いをさせてはならないという使命感が、自然分娩の選択を後押しした。
出産予定日に陣痛が起こり、病院に着いてから胎児の心臓が止まっていると分かった。1週間前の検診では何も異常がなかったため、その間のどこかで突然死したことになる。我が子の突然死。目の前の現実を受け入れられず、ただただ夫婦二人でむせび泣いた。
分娩室。妻から我が子が押し出されてきて、一瞬の静寂が広がる。子はすぐに医師がどこかに連れて行ってしまった。分娩室は静まりかえっている。蘇生の可能性はゼロ。突然、遠くから赤ちゃんの元気な泣き声が聞こえてきた。我が子の声ではない。不快な、怒りに近い感情が湧き上がる。元気な泣き声がナイフのように心に突き刺さる。どうしてうちの子は。心に深い闇が広がる。妻の一言で、自分が強い嫉妬の感情を抱いていることに気づかされた。「向こうの子は無事に生まれて良かったね」妻はいつの間にか、すべてを受け入れていた。
妻と私、そして布で丁寧に包まれた我が子。一晩を一緒に過ごすことになった。「かわいいお顔を見せてくれてありがとう」口ではそう言いつつ、顔が明らかに赤黒く変色し、傷ついた皮膚から血が流れているのに言葉を失った。病室に来る助産師達はしきりにスキンシップや沐浴を勧めてくる。私はこれが全く理解できなかった。腐敗防止のために徹底的に冷やされている我が子を触り、その金属的な冷たさを感じるだけで心が締め付けられる。おくるみの下にはきっとドライアイスがあるのだろう。定期的に交換してくれている。なぜ進んで苦しい思いをする必要があるのか。言語化できない恐怖感があった。あまりにも触らないためか、助産師が手形と足形を取ってくださった。このとき抱いていたのは恐怖感ではなく、エゴ由来のただの現実逃避であったと後に気づく。
役所での手続きは事務的には簡単で、精神的には苦痛でしかない。病院で受け取った死産届に記入し、役所に提出すると火葬許可証が発行される。予め出生届の記入方法を調べていた。死産届の様式が出生届とほぼ同じであるのに気づき、スムーズに記入できたが、子の名前を書く欄はない。様式からも現実を突き付けられた。火葬業者によっては、代理で届けを出してくれるらしい。
火葬場では地獄のような時間を過ごした。大人と違って赤ちゃんの棺はとても小さい。100サイズの段ボール箱とちょうど同じくらいの大きさだ。棺は私が運んだ。今でも100サイズの同じくらいの重さの段ボール箱を持つと当時の記憶がフラッシュバックして涙が出る。火葬後のお骨上げはただただ拷問のようだった。赤ちゃんの骨は割り箸のように細く脆い。頭蓋骨は割れたプラスチックの破片のようだ。「産道を通るために赤ちゃんの頭は形が変わるようになっている」という知識が目の前の現実と急に結びつく。赤ちゃん用の骨壺はすぐには入手できない。仕方なく、急ぎホームセンターで入れ物を購入した。「こんなのでごめんね」
我が国における年間の自然死産数は約8000程度で推移している。その他、新生児死亡や乳児死亡も含めると、毎年約1万人を超える赤ちゃんが旅立っている。これほどまでにつらく悲しいことがあるのかと、絶望に打ちひしがれていたが、同様の絶望は人知れずそこら中で起こり、大きな悲しみを背負っている人達がたくさんいることを知った。死産を繰り返した人、出産で妻と子を同時に失った人。つらい経験をした家族達が集まって語り合う自助グループが数多くあり、「グリーフケア」という名称で様々な取り組みやビジネスがなされている。関連書籍も多く(「産声のない天使たち」「誕生死」等)、図書館には必ずあるだろう。供養の方法は複数あり、水子供養の場合はずらりと並んだ小さな骨壷を目にすることになる。「天国で友達たくさんできるかな?」
ポジティブに捉えると、妻と一緒に同じ苦難を乗り越えたことで、お互いの心の結びつきが一層強くなったように思う。妻との関係性が、これまでにない、かけがえのないものに変化した。妻の人柄や屈強なメンタルに、改めて敬意を抱いた。
後悔は二つある。
第一に、無痛分娩を選ぶべきだった。出産が遅れるほど分娩リスクは高くなる。無痛分娩であれば、出産予定日よりも前に強制的に分娩させられるため、リスクが相対的に低いのではないか(正確には医師に相談されたい)。本事例では、出産予定日の1週間前には無事であったため、無痛分娩であれば死産を避けられていた可能性がある。「4月生まれになるかも」などという勝手なわがままで我が子を間接的に殺したのでは、という自責の念に駆られている。
第二に、我が子ともっと向き合うべきだった。完全に冷え切った子に触れるのには勇気がいる。スキンシップや沐浴を勧めてくる助産師がサイコパスのようにさえ思えた。これは完全に誤りである。夫婦水入らずで、最後の姿をまともに見られるのは、このタイミングしか残されていない。火葬したら骨になってしまう。家族写真・手形・足形・遺骨だけでいいのか。せめてスキンシップだけでも、精一杯向き合って、家族の思い出を作るべきだった。
皆さん、心優しいコメントをどうもありがとうございます。お察しのとおり、子が旅立ったのはコロナ禍前です。ちゃんと言葉にできるようになるまで、事実を客観視できるようになるまで約2年半かかり、同時に、受容が進むにつれて記憶が薄れるのに気づき、一気に書き出しました。的確なご指摘が多く、勉強になると同時に、自分自身の認知の歪みにも気づかされ、励まされました。
本記事へのトップコメントはこちらからご覧になれます。つらい思いをしている方が、少しでも前向きに、励まされることを願っています。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221225220743
・この国では「生きにくい」というより、この国では「昨日よりは今日、今日よりは明日の生活がより善いものになっていく希望を持ちにくい。むしろ転落していく傾向にある」。
・海外から帰ってきたら分かるよ。日本の際立った特徴はすみずみまで整いまくったインフラと大勢のご老人。一方で、生気の無い顔をして足早に歩き、電車に寿司詰めになって通勤する中年男女。子供は申し訳程度にいて大人しくしてる。
この国は過剰なインフラを維持することと、生産人口に対して多すぎるご老人の意向を忖度しつつ手厚く世話するために膨大な金を費やしていて、そのために圧死しかけている。言い換えれば、現状をなんとか維持するのに精いっぱいで発展のためにまで割くエネルギーが無いんだよ。
・個々の論点に突っ込むなら、失業率が低いとか、物価が上がらないとかだけでは生きやすくはならない。物価の上昇以上に個人の所得が増えなければ。
2018年のデータだと、大卒・院卒の女性が60歳までフルタイムで働いた場合、稼げるのは2.4億。高卒で1.9億。男性なら、大卒以上が2.9億。高卒は2.6億。
女は、大学や院まで出て正社員でずっと働いても、高卒の男より稼げない。途中で出産したり、専業主婦やパートになればもっと差がつく。
そんなん男と女で好む業界・業種が異なるという選択の結果でしょうって何度説明されたら理解するんだ?
大卒以上女の多くが一般事務的な低スキルのルーティンワークに就きたがり、ワークライフバランスを重視して管理職になるのは拒否
高卒男の多くが若いうちは建設現場や工場で危険な重労働をして、年次が上がるにつれてスキルを高め資格取って熟練工や管理者
というキャリアの差があるなら、高卒男の方が生涯賃金が上になるのは当然、逆にそうじゃなかったらアンフェアだろう?
技術者なら高卒でも凡人でも比較的安定して稼げるけど、もう学校の時点(工業高校・高専・大学工学部)で圧倒的に男しか進学しないし。
男だって事務でずっとヒラで定時帰りしたいですという根性なら生涯賃金は女の平均並みだろうよ。そういう風変わりな男がいても一般事務の求人で男は採用されない差別という別の論点もあるが。
「若い女性であるあなたはマンコと出産能力という数億円の資産を既に持ってる大金持ちですよ」と教えてあげれば若い女性の自殺が減るかもしれない。
いや、自殺は増えるだろ。
その数億円の資産とやらを、縦軸に金額、横軸に年齢をとってグラフにしたら、どうなるよ?
2018年のデータだと、大卒・院卒の女性が60歳までフルタイムで働いた場合、稼げるのは2.4億。高卒で1.9億。男性なら、大卒以上が2.9億。高卒は2.6億。
女は、大学や院まで出て正社員でずっと働いても、高卒の男より稼げない。途中で出産したり、専業主婦やパートになればもっと差がつく。
お前は膣と子宮に主な価値のある存在だ。その資産価値は数億円にも相当する。15年も経てばカス同然になる「資産」だがな。
働いて稼ぐ?どうせ男にはかなわないが、せいぜい頑張れよ。
・女性の肉体の価値は男性のそれと比べて圧倒的に高いので、同じ層の男女を横に並べても全く釣り合わない
・かつての男は肉体の価値の差を生涯賃金の差で埋め合わせることで女と釣り合ってようやく結婚ができた
・賃金の男女格差が狭まった今、男は差し出せる生涯賃金差額が殆ど無くなってしまった
・購買層が急激に(相対的に)貧乏になった結果、女体の価値はそのままなのにも関わらず大幅にディスカウントしないと交換が成立しなくなってしまった
・今まで通りの価格で買い取る業者を探す女は買い手が見つからず、「自分を(一昔前の)普通の値段で買う男がいない」とぼやく
・高値で売れた時代を忘れられない女は詐欺師の「ウチなら今まで通りの価格で買いまっせ!」の言葉に釣られ騙される
稼げる女が貧乏なイケメンと結婚する…なら普通に漫画にありそう。
実際はどうなんだろう?所謂「下方婚」についての調査ってあるの?「妻の収入の方が高い夫婦」っていう調査。
まあ、男の方が「稼げない」だけで外見も内面もイケメンっていう優良物件なら稼げる女だって結婚したいと思うだろうよ
(ツインターボで稼ぐ必要すら無い程稼いでいる女ならば。たとえ結婚して妊娠出産しても困ることが無い様な環境で稼いでいる女。そんなの一握りだろうけど)
男だろうが女だろうが結局「内面」と「外面」が整っていれば稼ぐ稼がない関係なく愛されるっていう…
努力じゃどうにもならない部分よな。外面磨くのも限度があるからメス入れるしかないし、内面は…表面だけ取り繕ってもボロ出るから。
美しい心根と美しい顔・身体を持って生まれた奴は生涯賃金と同等かそれ以上の資産を持って生まれたに等しい。
ま、ブサイクで性根が腐ってても、自分で稼ぐ能力あればそれで十分なんだけど。そうじゃないのが大方だからな…。
と我が身を振り返る。