はてなキーワード: 生存権とは
子どもを持てず恋人にも恵まれない負け組は人から迷惑をかけられても「わー、おめでとうございます♡」って応援してあげないといけないのね
どれだけ業務負担が増えようがどれだけ煽り散らかされようが「わーおめでとうございます♡」って反応しないと自己肯定感の低い社会不適合者扱いされるのね
でもさぁ
お前らって私が「単純に妬ましいしウザいからそういうことやめてほしい」って正直に心情を話したら足蹴にするじゃん
それだから「世間には迷惑に感じる人もいますよ」って発信しているのにお前らそういう権利も奪おうっていうわけ?????
いよいよ日本は勝ち組にしか生存権が与えられない世界になったんだね
負け組が負け組らしく傷を舐め合うことすら許されなくなったんだね
いいよもう
だったら社会は私の面倒を見てよ
これはマジな。
生物学的女の生存権と利害対立しているのを見ないふりして、まとめてTERFだヘイターだ言っていればいい人達は気楽だな。
【速報】「心は女性」女装写真で偽り、施設利用の女性らに性的暴行 障害者支援団体代表の男に実刑判決(読売テレビ) - Yahoo!ニュース
意識高い系の生活保護受給者である統失の姉は、憲法の生存権を持ち出して生活保護受給は何も恥ずかしいことではないと主張している。
そして同じ口で「刑法39条があるから私は殺人をしても無罪だ」と言い、包丁を振り回して家族に暴力を振るい、物を破壊する。とても意識が高い姉だと思う。
なんとなく稀に一億人に一人の人間は「いらない感じになるのでそいつは死んで良い」というとき、その根拠を理由に生存権は廃されて死んでもらってもいいってこと?
死刑などで罪刑法定主義を前提に法律上の適用を繰り返し裁判などの手続きを踏んでようやく人一人を殺して良いっていうのが現在の法治国家の限界だと思うんだけど
変に人権尊重とか言われてるから、自分が生きていてもいいって勘違いしちゃうだろ。
みんな本音では役に立たない人間とか、迷惑をかける人間とか、ちゃんとコストを払わない人間とかには死んでほしい、いなくなってほしい、目の入らないところで消えてほしい、もし苦しんでいるならそのまま苦しんでほしいって思ってるわけじゃない。
そうだから、本音ではそいつらに人権っていう無条件での何らかの補償をするための自分の負担っていうのを許容できない、ってことなんでしょ。
社会を構成する時のルールとして、人権、特に生存権なんてものがなければそんな前提は全くいらなくなるわけだから、ムダで邪魔で汚くて役に立たない迷惑をかけるだけの人なんていらない、って言えるわけじゃない。
みんな本音ではそうしたいならそうしたいって言ってくれよ。
勘違いするだろ。
植松聖の事件とかをちゃんと批判してるんだから、生存権があっていいって思って発言してるのかと思ってたのに、コストを払えないとか迷惑をかけるならやっぱり死んでくれたほうがいいって、皆内心では思ってて、結局そう言ってるようなもんじゃない。
「役に立たない人はいなくていい」だと、その先は選民思想になって息苦しい世界になるんよ
「どんな人でも生きていていい」は社会的にコストもかかるけど、安心を生み出す
そして平和をもたらすんだよ
「役に立つ人しか生きていてはいけない」は、障がい者や高齢者はいなくていい、となってしまう
働けない=価値がない、なんてなったら、他人が敵になって、最終的には争いになる
基本的人権、生存権ってのは理想主義ではなく、とても現実的な考え方で、これなしだと差別もあるし格差もあるし、避妊手術や粛清に繋がるんだよ
と障がい者になって分かったよ
あの時は元気だったからなぁ
みんなもいつ「役立たず」になるか分からないからさ、どんな人でも生きていていいってこと、もっと信じるべきだよ
そういやTwitterで、三菱UFJ銀行につとめてた若い女性が作業所に通うことになって嘆いてたけどさ、誰でもそうなる可能性があるからさ
引越し代、マッサージ代、タクシー代とかは自治体が待つことが多い。引越しはこの中だと要求されることは多くても金出すことはすくないか。
この人ほんとにケースワーカーかな。適当に検索して生活保護バッシングしたいだけじゃないの
引っ越し代をもってくれなかったら生活保護利用者が最初に入居される劣悪なシェルター、無底に入ったら永遠に個室アパートから引っ越しできないでしょう。アパートも建て壊しになった時に引っ越し代を捻出できないから生活保護を利用しているのだし、マッサージは国保で受けれるところだったら出るけど、タクシー代も病院に通うのにどうしても必要とケースワーカーが判断したら出るね。第二次安倍政権が生存権が保てなくなるほど引き下げたので、いま生存権をめぐって裁判してるよ。いのちのとりで裁判で検索。あと、そんなに生活保護利用者が羨ましかったら、貯金使い切って、生活保護が適用できる家賃のとこに引っ越して申請してみ?しないだろ。きついぞ。生活保護バッシングは誰も得しないからやめろ
特に信者、作品についての苦言(軽蔑するという、作品を滅す訳でもない文言)に対してやれ「○ね!」だの「自殺しろ」だの、何の権利があって殺そうと考えるんだ?
なんでそっとしてやれねぇんだ、人が意見言っちゃいけねぇのか?
(想像してみてくれ、もし自分の子供が自殺した後に見ず知らずの垢から自殺しろと大量のリプが来る事を)
誤って告訴してしまってその前の事を忘れがちだけど非人間化の一環だよな、生存権の侵害だ俺なら狂ってしまう
それと紅白、なーにがボーダーレスだ、放送枠と広告ばっか優遇されてる「推しの子」ばかりゴリ押ししてて、他の作品呪術しかねぇよ、アレか?
1日中わんにゃんコンテンツの検閲をするだけで生存権を行使(?)できる
在宅可ペット不可(ペットへの渇望がわんにゃん鑑定に資する唯一の動機であるため)
また、人の家のにゃんちゃんの動画像を盗用してわんにゃん欲求、わんにゃん承認欲求を満たす者の告発
質の高いわんにゃんコンテンツを流通させて、ろくにわんにゃんを育てられない雑魚を満足させる
わんもにゃんも複数飼ってると相互作用効果によって指数は指数関数的に増大するが、多頭飼いにはリスクもあるため、わんにゃん鑑定士による健康状態の精査が必須とされている
ストレスや傷病の兆候があった場合は家の間取りや電信柱などから住所を特定し、付近の獣医部将校と連携して威力偵察を行う
抵抗があった場合は、わんにゃんにストレスを与えないように消音した小火器によって無力化する
組織的かつ大規模な抵抗に対しては、わんにゃんにストレスを与えないようにセグウェイなどで構成された機械化大隊により都道府県ごと制圧する
https://anond.hatelabo.jp/20240214185555
↑ この増田。信仰があれば死ぬの怖く無いは同意できないが。中世でも現代でも、割と宗教関係者は生き汚かったり死ぬの怖いって言ってるので、信仰というよりも洗脳の類いであろう
まず、大前提としてワイは神を信じている
と言っても、3大宗教の信徒でも、教典のある宗教を信仰しているわけでもなく、八百万な日本的なアニミズム文脈のおれおれ宗教観を持っている
いや体が動かなくなっても食べなきゃ死ぬでしょ。食事拒否すればいいじゃん。
本質的に人間は生きるために常に食べたり呼吸したり自分で能動的に活動してる。受動的に生かされるなんて状態ないよ。
というか本当に生きることに心が拒否すると食事も受け付けなくったりするよ。私はそういう状態に陥ったことがある。
食事は点滴で食事拒否の意思も出せない状態の人間ならそもそも安楽死の意思でさえ出せないだろう。そういう状態の人間の心理を他者が断罪することは単に権利侵害でしかない。
そうじゃない状態の場合、腕動かせなくても死ねるんだわ。生きるのをやめるだけないんだから。
そしてその死が苦痛にまみれてて安楽死の方法が楽なんて、両方試して死んだことある人はだれもいない。
だからなんでそれは残酷といえるのかさっぱりわからない。耐えがたい苦痛に関しては途中から意識が遮断される気がする。大けが経験した人間の感覚だと
予め言っておくが、自分は「安楽死反対派」である。それもかなり強く反対している。
ネット上ではたびたび安楽死に関する法整備を求める意見が見られる。
経済的な理由による安楽死は論外として、病気による耐えがたい苦痛を避けるための安楽死を求める意見は一定の支持があるようだ。
だが、主張は結構なことだが「国家によって安楽死を認める」ことがどれほど重大なことか理解していない意見が多いように見受けられる。
あくまで自分の意見だが、「安楽死を認める要件」として最低限以下のようなものがあってしかるべきだと思う。
安楽死とは、要するに医師などにより生命活動を停止させること、即ち「殺人」に他ならないのは疑いなく事実である。
即ち、「安楽死を法的に認める」ということは「国家によって殺人を承認する」ことに他ならない。
国家によって認められた殺人と言えば、「死刑」もそれに相当する。死刑の判決を言い渡すのは言うまでもなく裁判所だ。
当然殺人を法的に認める以上、安楽死についても裁判所による手続きがなければならないと考える。
医師によって、患者がもはや死を避けられない状態であることの証明が必要だ。
主治医はもちろんだが、感情的な選択を避けるためには利害関係のない複数の医師による中立的な判断がなければならないと考える。
当然、安楽死を「行う」医師がどれほどいるかという問題もある。
これが難題である。
その意志が、短期的な抑うつ状態や、周囲や「世間」の圧力に左右された一時的なものでないかの証明が非常に難しい。
2019年の透析中止死事件では、透析を続ける苦痛のあまり透析中止を決断したとされるが、終末期に至って透析中止を撤回したいと言いながらも助からなかったとされる。
本人の意志とはこのように揺らぐものであり、かなり長期間の意志確認は必須である。中立の公証人による証明があってもいいかもしれない。
同様に、安楽死を決めたものの直前になって「生きたい」と意志表示したならば即座に安楽死を中止しなければならないだろう。
また、周囲や世間の圧力でないことを証明するためにも、「安楽死」を美談にしないようにマスコミやSNSには厳重な自制と規制が求められるだろう。
特定の病気になったら安楽死するべき、なんて世論が広がることはあってはならない。
なまじハラキリ文化の日本であり、「潔い死」が受け入れられやすい社会的素地があるのはかなり危うい。
「安楽死を法的に認める」ためには、「安易な安楽死は認めない」という国民の意識改革がなければならないという矛盾がある。
これらの議論を進められるだけの十分な社会的な理解が日本にあるかというと、正直言って「ない」と言わざるを得ないのではないかというのが自分の意見である。
特にマスコミやSNSに関しては、現状ではほぼ絶望的なのではないかと思われる。
なお、昨今の安楽死議論の中には「終末期患者を生かし続ける社会的コスト」に言及するものがあるがこれは論外で、
憲法25条の生存権を見れば明らかなように、国民には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」し、
国には「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とされている。
国民が生存を望むならば国は生存を保障しなければならない憲法上の義務が存在する。どれほどのコストを支払ってもだ。
つまり、一番手っ取り早い方法は憲法25条の改正と言うことになる。
当然自分はこのような憲法改正には賛成しないし、国際人権A規約にも反する。ハードルは極めて高いと言わざるを得ない。
いくつかコメントが来ていたので補足。
繰り返すが、自分は「安楽死反対」の立場からこれを書いている。
これくらい厳しく要件を掛けなければ、恣意的に運用されかねないという強い懸念があってのことである。
コメントにあるように「経営者が労働者に家族の安楽死を要求する」なんてことが起こりかねない。
裁判所の決定を要するとしているのも、時勢に強く左右されかねない行政ではなく、常に法の番人たるべき裁判所が決定すべきと言う考えからである。
実際、裁判によって決定した死刑囚の署名を時の法務大臣の意志で停止した過去の例もある。
そしてこの程度の要件をクリアできないのであれば、そもそも安楽死を法制化するべきではないというのが主旨だ。
国民の生存を保障するためにある国家が、それに相反する法制を行うことがどれほど困難なことかということについて、頭の片隅にでも残れば幸いである。
個人的には本人の自由意志が確認できなくなった段階で安楽死を認めるべきではないと考えている。
「本人の自由意志がなければ生存権を行使している」と見なすべきであり、当然国家はそれを保障しなければならない。
この時点で「本末転倒だ」と思われる人は多いかもしれないが、安楽死法制化は終末期医療のコスト削減策「ではない」。
あくまでも本人の自由意志によって死を選択する自由を与えるための法制であるべきであり、
医療コスト削減が目的にすり替わるのであればそもそも法制化の目的を見誤っている。
なお、現行法制でも積極的安楽死ではなく、延命治療終了による消極的安楽死は行われており、この手続きで不備があるとは思えない。