はてなキーワード: 生主とは
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それな。私にはこれができない。
自分がポンコツだから自分が幸運にも男性とお付き合いできたとしても自分の子は不幸になるだけだから子供を作ろうとは絶対に思わない。
そんなわけで自分は自分で思考が分裂している。合理的で一貫した考えなんかもってない。
人間なんてそのくらいいい加減でいいんじゃね?
ひどい言い方をすれば「母親の正体」=性欲の赴くまま、番とグルになって考えなしに子供生んだ結果苦しんでる馬鹿なのかもしれないが
人間って学習能力があるから、いざその状況になったらいろいろ愚痴をいいながらもなんとかできてる人が多い。
そうやってなんとかした人によって社会は成り立っている。
それだと出生主義者がくるだろ
反出生主義を名乗る人の中でも派閥があって、そのうち反出生主義のことをマトモに理解できてるのって本当にごく一部だと思ってる。
まずは優生主義を唱える人。Xとかみてると、反出生主義名乗ってる半分がこれ。
これは100%反出生主義を誤解している。「アタマが悪いやつがガキを生むな」「ブサイクがガキを生むな」など、不幸の再生産であることは理解してても条件があれば出生を許容してる。出生を許容する時点で反出生主義ではなく、単なる優生主義。優生主義と反出生主義は全く相容れない主義である。反出生主義は優生主義「ではない」。
不幸の再生産、望まない生を与えられる結果を忌避しているのは共通しているが、「ガキを生むな」「オス・メスガキを生むな」「オス・メスと番になるな」という呪いばかりで、言動は子供・男・女が嫌いという全く関係ない話。これに関しては反出生主義と併発しててもおかしくはないが、観測上、偏りはあっても人間全体が嫌いじゃないと不幸の再生産を忌み嫌う反出生主義まで行かない。子供嫌いなんてたまに「分別が付くまで公共の場に出すな」みたいなことを言ってて、出生とは何一つ関係がない。反出生主義は、既に生まれている生に対しては全く関係がない。これらも単に「子供・男・女嫌い」とくくられる人々。既に生まれている生に対してあれこれ言う主義「ではない」。
じゃあ反出生主義とはなんぞや、って話になると簡単で、望まない誕生を忌み嫌う主義ですよ。生まれることに関しては同意がとれないんだから人を生むのは人権侵害。
優生主義やウンタラ嫌いと決定的に違うところは、「生を受けた人間の権利」にフォーカスが行ってるか行ってないか。簡単でしょ。
これに対して、「同意が取れないものに対してどう同意を取れというのか」みたいな、わたしはすっごくあたまがわるいです!!って自己紹介する人がたまに居るんだけど、まあ薬でも盛ってレイプしてるような人なんでしょうね。同意取れないなら同意はとれません。人産みor人産ませの顔をしろ。
いうほど台頭してるか?
ネットが普及して名前を知った人が多いだけで、同じ気持ちが少しでもある人は昔からずっといただろう。
そもそも反出生は子どもを作らないから淘汰される。しかし反出生主義(的思想)は絶えず産まれてくるから、まあ働きアリの中のだらける蟻みたいに一定の人はそういう思想になるってだけの気がする
出生そのものに反対はしない。
この世に生まれ落ちることがなければ幸福になる機会さえ得られないのだから。
だが、一定以上のDNAと財力がある人間以外が子供を産むのは不幸の再生産になるから反対だ。
世界は苦しみに満ちていて、それを乗り越えられるためには数多くのものが必要になるわけで、それを持たずに生まれ落ちるならそこにあるのは幸福な人生ではなく不幸の連続だろうからだ。
って話をするとさ
「つまりさ、お前は出生に反対なんだろ?生命の素晴らしさを否定するんだ!」
とか言って脳を出生主義に焼かれた連中がうざがら見してくるから辟易している。
俺は出生には反対していない。
だが、命や人生が無条件に素晴らしいとは思わない。
理解のない親の元に障害を抱えて生まれたり、親が児童性愛者で幼少期からレイプされて過ごすことになるのなら、そんな人生なんて最初から存在しないほうが良いと考えている。
「生命・人生の無条件の素晴らしさ」を俺は否定するが、それは「生命・人生を無条件に否定している」ということではない。
「自分自身に子どもを残すほどの価値が無い」という自己嫌悪や内面的絶望感と、「この世界は子どもが生きるに値しない」という外界への絶望感が合わさって反出生主義が生まれるんじゃねーの
俺自身は反出生主義がそこまでヤバい思想だと思ってない。苦しみを絶対悪としてそれを避けようとするなら、最初っから生まれなきゃいいじゃんって理屈になるのは筋が通ってる。俺自身も、最大の苦痛である死がいずれ必ず訪れると知った七歳のときの絶望感を覚えている。あの時はどうして俺は生まれてしまったんだと叫びたかった。
なぜ生きている/生きてしまっている/生かされてるのかって驚きこそが、哲学の始まりだ。
それに野良犬なんかの管理で「不幸な犬を増やさないために」って去勢するのと理屈とどう違う? あるい出生前診断や重い障害を持つ人々を重荷とみなす世間のまなざしなど、生命が完全に平等で尊いという考えに疑いをさしはさむ発想は結構身近だ。実は言語化されてないだけで、今まで多かれ少なかれ反出生主義的な発想はあったはずだし、自分は出生主義者だと思ってても、反出生主義的な考えをまったくしたことがないってことはないだろう。ちょっとくらい「なんで生まれたんだろ」「生まれさえしなければ」と考えたことくらいあるんじゃない?
ときどき反出生主義主義者がやべーやつ扱いされるのは、興味ない人を無理やり説得しようとするやつがいるからなんじゃないかって推測してる。
で、当の俺自身は生まれる事の善悪を判断する能力を、そもそも人間は持っていないと思っているんだけど、反出生主義者に聞いてみたいことは結構ある。だからまとめてみた。
望んでもいないのに親によって無理やり生み出され、その後は過酷な運命をたどることになる漫画・アニメのキャラクターは多い。
その中でも私元増田にとって一番印象に残っているのは、ドラゴンボールのピッコロ大魔王編に出てくるピッコロ大魔王(マジュニア)である。
ピッコロ大魔王が誕生したのは、親であるピッコロ大魔王が孫悟空との決戦に敗北した直後のことである。
親から「孫悟空を倒してお前が世界を征服しろ」という願いを込められ、タマゴとなって地球のどこかへ飛ばされた。
産まれたばかりのピッコロは、孫悟空への復讐だけを目標に生きていくことになる。
この時点ですごくきつい。
ドラゴンボールを読んだのは小学生の時だったが、当時は反出生主義の思想は無かったし、ピッコロの過酷な運命という感想も持てなかった。
大人になって読み返してみると、反出生主義の思想を念頭に考えてみると、ピッコロは「産まれてくるべきではなかった」。
作者の鳥山明氏もそのことについて考えてくれたのか、ピッコロにも救済措置としての「生きることの意味」を与えてくれた。
ピッコロ大魔王編の続編であるサイヤ人編で描かれた、ピッコロと孫悟飯の師弟関係、いや師弟関係以上の親子のような絆である。
ナッパの攻撃によって孫悟飯がピンチになったとき、ピッコロは身を挺してかばうシーンがあった。