はてなキーワード: 環境学とは
けこ@harukafilomena
私立大学で研究・教育をしています。わくわくしながら研究したい。りかけいのおんな 工学系 環境学博士
自動車会社いいなって思ってるけど、学生の時某自動車会社に実験にいったら
STEM教育に女が参入してこないのって結局これでしょ。親が就職先がとかウソついてるけど真実は負の性欲でしょ。
ジャップだけじゃなくジェンダーギャップが圧倒的に少ない国でもSTEM分野がボロクソな理由が日本人の言い訳では説明がつかないわけで。
「食べ物で遊ぶこと」や「食べ物を粗末に扱うこと」に対する抵抗感は現代の日本社会でもそれなりに広く共有されている倫理観だと思うけれど、僕の捉え方だと「料理を番号で注文すること」はそれに類する。番号化が受け入れられつつあるのだとすれば、それは食をめぐる倫理観の変化(麻痺)を意味する。
https://twitter.com/hitoh21/status/1544311743500980224
伊藤 弘了
いとう ひろのり
1988年生まれ。愛知県豊橋市出身。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。関西大学、同志社大学、甲南大学非常勤講師。東映太秦映画村・映画図書室スタッフ。「國民的アイドルの創生――AKB48にみるファシスト美学の今日的あらわれ」(『neoneo』6号)で「映画評論大賞2015」を受賞。近刊『仕事と人生に効く教養としての映画』(PHP研究所)。専門は小津安二郎。
講師が沖田とかいう数学教師だったんだけど、授業の半分ぐらいが陰謀論だった。
コロナは茶番、ワクチンを打つことで人がどんどん死んでる、マスクは意味ない、大学院で環境学を学んだ俺からすると地球温暖化の原因が二酸化炭素というのは嘘、俺の地元の北海道はアイヌ民族を原住民族として認めておかしなことになってる、台湾で自虐史観から目覚めた、歴史という教科は嘘だらけ、みんな思考停止してる
みたいな内容を2時間近く密室でやられる訳だから、その場の高校生100人ぐらいのうち5人ぐらいは信じ込んだんじゃないかな。
こんな夢をみた.友人と車でお祭りへ向かう途中,交通事故にあい幽体離脱.「あー死んじゃったかー」とか思ってグチャグチャになった車を俯瞰していると,僕の体は車から這いでて警察を呼び,友人と一緒に立ち去ってしまった.僕は取り残された.
こんな夢をみた。僕は中学校にいて、何人ものクラスメートと顔をあわせた。それも男女問わず、卒業から会わなくなった人達ばかり。最後に、初恋の人と食堂でてんぷら定食を食べた。そこで僕は、彼女は玉子が嫌いだったことを思い出した。あの中学校に食堂なんてなかったことも。目は覚めた。
こんな夢を見た.携帯が鳴り,研究室のソファから起き上がる.時刻は3時過ぎ.伸び上がって靴を履き,立ち上がる.と同時にソファで「目が覚める夢」から 目が覚めた.時刻は4時過ぎ.立ち上がる.と同時にまたソファで目覚める.時刻は5時過ぎ.6時,7時,8時.昼には諦めた.目は覚めていた.
こんな夢を見た。温泉から上がり部屋で一息つくと、脱衣所での忘れ物に気がついた。取りにかえるも、その温泉に戻れない。あるのはロビーと地下への階段。 迷わず下る。1/3ほど照明の点いたバーで、3人が飲んでいた。女性は言う。「私が代わりに探してあげる」。忘れ物はついに思い出せなかった。
こんな夢を見た。私は知らない農家の宴席で、その男の話を聞いていた。男は次第に興奮し、暴れ、自らの腹をナイフで抉った。私は取り押さえられた男の腹から一筋の血が流れる様子を眺めていた。「俺はあの牛なんだ」そう言い残した男は車で連れていかれた。
私は外へ出た。庭には一匹の黒毛牛がいて、気が違っていた。腰のベルトを外して叩きつけると、牛は逃げていった。それを横目で追いながら、川を越え、古いバス停に腰掛けたところで、読んでいた小説を閉じた。タイトルは「牛の首」だった。私は街へ下りることにした。
大きな駅の向こう側へ行きたくなって、地下連絡通路を目指した。下って歩いて上った先で、一人のセールスマンが待っていた。私は家を探していたことを思い出した。マンションの一室へ向かう。「紹介するのはここと同じ造りのお部屋です
お客さんは運が良い。ここのご主人は昨日自殺したので、誰もいません。見るなら今日です」フローリングは酷く黒ずんでいた。部屋を検分していると、喪服の女が階段の上に現れた。木製で高さのある螺旋階段は、このマンションには不釣り合いに思えた。
女は言う。「見よ、あの牛を。涎を垂らし、目を泳がせる、あの醜い黒毛の牛を」それは「牛の首」の一節だった。「ご主人はどちらですか。あの男ですか。あの牛ですか」「牛よ」そう答えた喪服の女は声を上げて笑った。私は部屋を出た。目は覚めた。
こんな夢を見た。高速道路のトンネルに入ると何十もの真赤なランプが光っていて、渋滞のようだった。車が完全に停止するまでブレーキを踏み込み、サイドを引くと同時に、警官に声をかけられた。「車を降りてください。指示に従ってください。」私は他の運転手と同様に非常口へ向かった。
先には窓のない畳部屋があって、黒い長机と弁当が並んでいた。奥から二番目の空席に腰を下ろす。右隣の男性の貧乏揺すりが続く。弁当はやけにコントラストが低い。向かいの女性は口を開けて呆けている。どこかでパキという音。戻ろう、戻ろう、私はつぶやきながら独り部屋を出た。
トンネルに警官の姿は無く、ナトリウム灯がまばゆいばかり。私は車を捨てて歩いた。出口に辿り着いたが、無機質な車列は途切ず、青空の下とても静かだった。脇にはトンネル名が刻まれた石碑があって、それをなぞる。五文字目で指先に鋭い痛みが走った。目は覚めた。
こんな夢を見た。夜祭の喧騒を抜けると、人のまばらな屋外ステージの中央で、男が何やら呟いていた。それらは全て、この地の死者が今際の際に発した言葉だという。石段に腰を下ろし聴き入る。殆どが呻き声でよく聞き取れないが、どれもこれも懐かしい。それらは確か、私の最期だった。
こんな夢を見た。私は窓の無い病院に何年も入院していて、その日は定期検診だった。入院患者の列に混ざって待っていると、前の一人が脇の通路を指差した。「そこから外に出られるかもしれない」
患者達は一斉に走り出した。初めは様子を伺っていた私も、後に続くことにした。無機質な通路を抜け、いくつもの自動扉をくぐると、急に冷たい空気が鼻に触れた。外は夜だった。私は、電灯に照らされた公園と人工の川に患者達が散る様子を眺めていた。
胸許の携帯が鳴った。「早く戻りなさい。外は身体に悪い」それは心の底から私を案じる声だった。「しかし、みんな喜んでいます。こんなにも空気が美味しいのです。こんなにも自由なのです。」話し終えると同時に、別の電話が入った。「ボートを見つけた」
それは汚いスワンボートだったが、迷わず乗り込んだ。ボートは勢いを増す。川底の石を蹴り、橋を越え、カモメを追い抜いた。ついには岩に乗り上げてしまったが、川岸からボートを押していると、その人数は少しずつ増え、豪快な波しぶきとともにボートは川に戻った。歓声が上がった。
ボートに再び乗り込んだそのとき、朝の光が目に飛び込んできた。「もう戻らなければならない」そう思った瞬間、電話で使った『自由』という言葉に重さを感じた。その言葉の意味に初めて気が付いた。目は覚めた。
こんな夢を見た。私は講座「反境学」のガイダンスを受けるため、大教室の扉を開けた。百名以上が座っていたが、私だけ後ろ向きの席に案内された。私の背中で女性講師が言う。「反境学について質問はありますか。」前を向いた学生の一人が手を挙げた。
「環境学とは違うのですか」「環境学も反境学に含まれます」「社会科学ですか」「あらゆる概念が当然含まれます」境界を無くす学問なのか、そう考えた途端、周囲の学生は消え、私は前を向いていた。講師と目が合った。「違います。」目は覚めた。
こんな夢を見た。私は想い出の場所に向かうため、登山をしていた。久々の単独行。ペースは上がり、森林限界を抜け、雪渓に差し掛かった。酷く咳が出る。雪渓は雪と砂が細かく混ざっていて、古い雪崩跡だと思った。視界の端に何かが映る。黒ずんで、痩せた人間の手が転がっていた。
足を止めた。酷く咳が出る。後ろから声がかかる。「ありがとう。○○さんは手伝ってくれるんだね。」初老の女性だった。「なぜ、私の名前を知っているのですか」「あなたに会ったことがあるからです」やはり酷く咳が出る。足元の誰かを、背後の誰かと掘り起こすことにした。
女性は言う。「ごめんなさい。もう、そのシャツの臭いはとれないね」しかし腐臭は感じない。いよいよ咳は酷い。掘り起こした誰かは、結局腕しかなかった。それもぐずぐずに崩れてしまった。私は手を合わせ、先に進むことにした。咳は血を吐かんばかり。痰が喉でゴロゴロと騒がしい。
すれ違った何人かの怪訝な目に、染み付いた腐臭を初めて認識した。視界が狭まり、白黒する。歩く。歩く。そうして日が沈む直前に、山小屋に辿り着いた。咳をすることでしか呼吸ができない。硬い床に雑魚寝する。眠れない。だからきっと白昼夢だったのだろう。こんな夢を見た。
私はベッドに横たわっていた。寝返りをうつと、そのきしむ音と合わせて時計が目に入った。時刻は午前二時五十分。外に錆びた自転車が見える。跳ね起きて質素な窓枠に足をかけると、不意に声がかかった。「子供はどうする」ようやっと、家族3人で寝ていたことを想い出した。目は覚めた。
非常に面白かったが、やはり政治学・法学・倫理学という片方の視点からこの問題を論ずるのは限界があるとも思う。
生物学や医学、環境学、自然科学といった視点も取り入れないと包括的な議論はできないし、
さらに本件は人類の農耕史と狩猟の歴史にも関わってくるうえ、仏教・ユダヤ教・ヒンズー・イスラムといった視点も必要になる。
かろうじてホッブスの契約の概念などが出てくるが、これもやはり近代以降の西洋哲学上の定義のひとつにすぎず、
それだけをもって菜食主義を議論するは素材が少なすぎると言わざるを得ない。
人間を中心にすえた議論においては、菜食の可否は議論の俎上にすら登らないのが当然だし、
なんか高齢者は自粛せずに若者ばかりに自粛を呼びかけている!という言動が散見される。
医師であっても、高齢者医療の実態を知らない小児科医などが、自粛すべきは高齢者だろう、子供の権利を守れ、とか言ってしまう。
だけど、高齢者など高リスクな人々は、すでにに若者よりも自粛して対策してないか?
もちろんネットでつるし上げ食らうような外れ値の馬鹿は一定数いるものの、絶対数では少ないのではないか。
これは高齢者の情報がネットに載りにくいためだと思っているのでちょっと書いておく。
介護施設・病院やサークルなどの規制で、すでに強力な規制がかかっている状態だ。
高齢者やリスクの高い人たちはずっと強いレベルで対策をしている状態になっている。
一方で、一般の人たちは違う。
一般の人たちは、一律に強い自粛をする必要はなくて、行動を変容させるだけでよいので、やめてほしい事を細かく伝えられている。また絶対数では一般の人の方が多い。そのために一般の人たちに向けたメッセージばかりが出ているように錯覚するのではないか。
学校も、修学旅行が中止、運動会が保護者MAX2名で飲食不可、文化祭外部公開は中止、といった影響はあるものの、まぁ今のところその程度だ。もちろん公園閉鎖などもない。
市井感染が広がってしまっているところは、一般の人たちへの要請はさらに強いと思われるが、それはこの程度の自粛ですむようにコントロールができなかった事が原因だと思う。
ところが、高齢者や高リスクの人々向けの施設では全く様相が異なる。多分これは都市部で感染が広がっているところでも似たようなものではないか。
以下の条件が一つでも当てはまる場合には隔離されて特別処理となる。
入り口で問診コーナーがあって一通りチェックされることに。持病の定期検診とかだと、該当した場合、薬だけ渡して診察なしという場合もある模様。
これが何を意味するかというと、高リスクの人がいる家では、帰省されたら介護サービスが利用できなくなるし、病院にもうけられなくなる。
高リスク者は何か体に不調があったりするから高リスクなのであって、これらの社会サービスが受けられなければ生きていけないと言っても過言ではない。
なので、かなり強い強制力を持ってすでに自粛になっているということ。で、リスクが高い人はそれが自分を守るためだと知っているから、素直に従う。
故に、行政が頑張って広報したりしなくてもよいので目立たないだけなのだと思われる。
https://digital.asahi.com/sp/articles/ASN8971TYN7VUHBI00T.html
環境学者で、科学に対する懐疑主義の研究をするダナ・ヌッチテリさんによると、科学への懐疑論は次のような5段階を経て進行する。まずは、「地球温暖化はない」などと、否定から始まる。次に「中国の方が温室効果ガスの排出が多い」などの責任転嫁が始まる。しかし、これでは問題が解決せず、「気候はいつか戻る」という矮小(わいしょう)化につながる。危機が認識されても「温暖化対策には巨額の増税が必要だ」などと、代償が大きすぎるという批判が起き、最終的には「すでに対策は手遅れだ」という悲観論に行き着く。
「否定」→「責任転嫁」→「矮小化」→「対策の代償の批判」→「手遅れの悲観論」という進行は、新型コロナをめぐっても起きているが、地球温暖化などと比べるとスピードがはるかに速い。
高齢者や高リスクの人々が悪い、彼らだけ自粛すればよい、というのはまさにこのパターンに陥っている。
自分がかかったら死ぬという人は当然対策をしているわけで、その結果が、第二派の若年層を中心とした感染状況だ。
この状況で数を少なく抑えられれば、よかったのだけれど、都市部では爆発的に増えてしまった。だから高リスクの人だけが対策するだけでは問題は解決しなくなってしまったのが現在の状況なので、安易に悪者を作って溜飲を下げるのではなく、現実を直視して向き合ってほしいと思う。
レジ袋の有料化「汚染克服」の一歩となるか 海洋学者が出した答えとは
https://news.yahoo.co.jp/articles/3da24d73a9d6fdd4de6f8ff9ab3d9e8ca45f5697
こんなある種の自己弁護みたいな事を海洋学者だのが言い出した時点でやはり世間の批判が多いのは事実なのだろうね。
この人達から見ればレジ袋の消費が減った!成功だ!とか思っているのだろうけど、世間から見れば単にお金を払いたくないから、レジ袋を貰わないだけであり、より不便さを感じるようになっただけだからね。
そもそも今までも一般人はレジ袋自体無駄にせず、ゴミ袋として利用していた人がニュースを見ていても多かったみたいだし、この例からも一般人の方がモノを無駄にしていない人も多く、それこそ海にポイ捨てする人なんてそれこそ極一部の例でしかないからね。
その極一部の事象を規制したいが為に多方面に多大な迷惑をかけているのだから呆れるしかない。
それに上記の言い分では以前はレジ袋以外にもペットボトル、発泡スチロール片、食品容器の空き箱等が見つかっていたけど、有料化以降たった150m見ただけでレジ袋はなかった!効果があった!とかある種の詭弁とも屁理屈とも言えるような事を言い出しているのを見ても何だかなと思うよね。
そもそも海洋汚染についても環境学に関しては長期的スパンで見ないと効果があるかどうかどうこう言えないのにたった1か月でこんな事言い出している時点で環境云々言うのはどうかと思う。
普通に100年、1000年、10000年スパンで物事を見る様な事象だからね。
それにこのレジ袋有料化に関しては環境関係の人からも規制自体が意味の無さから逆に嫌味を言われていた位だから。
最も政府とかが温暖化云々ではなく、海洋汚染に切り替えたのはその辺からもあるだろうね(笑)
また以前から指摘されていた様に案の定海外でも起こっていた万引きの増加を招いたみたいだし、そして衛生上の問題からマイバッグがどうこうとか矛盾した事も相も変わらず言い出しているのも笑える点。
店員の方もクレーマーの対処で大変とかやはり以前から懸念された問題も起きたみたいだしね。
そりゃただでさえ嫌われる様な政策をこのコロナの時期にやれば当たり前だけど批判が出るのは当たり前だよ。
それに実際ドサクサ紛れに有料化した紙袋に対しても批判的な人も割といるのは事実だし、どう見ても企業側からしたら経費削減の言い訳に使っているのも事実だからね。
恐らく今後、海外でも実際起こった売り上げ減少等の事態も起こりだすだろうし、ただでさえコロナ禍でダメージが大きい経済に対して負の影響を与えるでしょう。
実際今ですら揚げ物とかの売り上げとかは落ち込みだしたみたいだからねぇ…。
何にしろ世間の人間からすれば、寄りにもよってこのコロナ禍にしでかした事もあり、環境対策=不潔で不便な代物と言う認識を植え付けたのは事実だろうね。
今までのLEDの強制にしろ自動車やバイクの環境制限にしろ消費者に弊害を押し付ける様な傾向はあった訳だけど、今回に関してはそれが顕著なまでに出てしまったわけ。
本来ならば環境対策と言うのはどうエネルギー効率を上げて、尚且つできうる限り利便性を失わない様にするかと言う事も考慮しないといけないのだけど、この人達はと言えば、ただ単にゴミ減らし=消費活動の減少のみの視点でしか環境対策と言う物を見ていないからね。
そりゃ消費活動が減少すれば、経済活動の低下を招くのも当たり前だし、結果、日本の国力をも低下させているのだから笑えるよね。
しかしgotoと言い、このレジ袋有料化と言い、今の政府や官庁のしている政策が悉くその失策が自身に跳ね返り、自身の世間での評価を下げ、自身の首を絞めているのも笑えるね。
最もこのコロナ禍にどう考えても弊害しかない政策を強行したからこそ世間からの批判が大きい訳だけど。
それに今は少なくとも平時ではないのに政府与党こそ危機感が全くないのはこのコロナ禍を見ていても判る事だしねぇ…。
最も臨時国会の早期開催を求めた野党は野党で5月当時、自民と一緒にコロナ対策に関係ない法案を優先し、元法相の話題ばかりしていたりと危機感の欠片もなかったのは事実だけど。
https://news.yahoo.co.jp/articles/982b5fc84378dc3b8f921d86c93a88f547c09e56
しかしこのコロナが大方世間の予想通り悪化してきたにも関わらず、未だこの手の事を言い出すのだから、政府や官庁の環境関係の人達は余程脳内が幸せなお花畑の人達が多いのだろうなと思う。
どう見ても今はそんなことをしている場合ではないし、普通にレジ袋有料化以降より衛生面でも悪化したとみるのが感染者数の増加を見ても自然としか言いようがないのにね。
色々な意味で普段から思想や権利等とやらを前面に謳っている人達程、こう言う時にも空気が読めない人が多いと思う。
それに今もペットボトルだのプラだののコレ自体、大方の行政及び企業が回収できるシステムが構築出来ており、それでゴミ回収自体は問題はないのにわざわざ絡もうとする事自体、どうみても環境省や経産省が小銭稼ぎをしようとしているからだと言う事だよねとしか思えないんだけど。
そもそもそのプラやペットボトルのリサイクルとやら自体今やこの人達が嫌っていた中国が引き取ってくれなくなったから、国内で飽和状態になり、システムそのものが破綻し始めている訳だしね。
昨今この手のは温暖化では言い訳が出来なくなってきたからか、やたら海洋汚染を強調しだしたけど、これに関しても当時から周辺諸国と一緒になって行わないと意味がない事は散々指摘されてきたし、海洋汚染対策ならば、それこそ海岸沿いにゴミ箱の設置数を増やして、回収していく方が余程対策になるでしょ。
今も回収しているごみならばそれこそ埋め立てなり焼却なりリサイクルなりで処分できている訳だからね。
そう言えば最近エコバッグと言う単語よりもマイバッグとか言う単語を使い出したのもその辺が関係あるのかもね。
しかし関連記事を見てもこの手の似非環境活動家っぽい人達程、象だのペンギンだのの写真を使って、同情を飼いたがる手法を好むよなと思う。
地球の為と言うならば人類が絶滅する事が一番の環境対策だと言うのは当時から環境学者にも皮肉的に言われ続けている事なのに。
今は環境保護が先行しすぎて、経済活動の抑制や生活への弊害まで出ているのだから色々な意味で本末転倒な結果すら招いているよ。
しかも排出権とやら以降更に明後日な意味不明な方向に向いているのも事実だからね。
こう言うのを見ていても自民はよく経済だとか言っているのにこの手の経済抑制や減退しか招かない政策をしだしたりと本当に何がしたいのかが良く判らないよね。
はっきり言ってこの辺はまだ一貫性のあるトランプ大統領の方がマシだよ。
でも今なんて平時ですらない、病気が覆っている時期にも関わらず、計画で決まった事だからと言いこの手の政策を進め、融通が利かないのだから色々な意味で日本の政府ならず官庁も先がないだろうと十分に予測させてくれるよね。
政府は政府でgotoをどうにかして印象操作しようとしたけど、覆せず言い訳をし始めたり、キャンセル補償とか言い出す本末転倒な行動をし始めて面白い事になっているしね。
7月からコンビニ3社でレジ袋が有料化 注目高まるエコバッグも新型コロナ感染リスクに不安の声…対策法は?
https://www.nippon.com/ja/news/fnn2020060549399/
>可能であれば、マイバッグは(店に)持ち込まないというのが、感染対策上はいいということになります
>また、街行くエコバッグの利用者66人に「洗濯をしたことがあるか」と尋ねると、半数以上の52%が「ない」と回答。
>こうした中、環境への配慮から始まるレジ袋の有料化。正しいケアさえすれば、エコバッグも安心して使えるという。
>洗濯できるものであれば洗濯して持ち込むというのがいいし、お店に持ち込む前にアルコール等でしっかりと清拭して(店に)持って行かれるのが望ましいと思います
断言しても良いけど、毎回買い物する度にここまで手間をかける人なんていないよ。
例え意識が高い人であってもアルコールを振りかける程度で毎回洗濯なんかするわけがない。
良くて1週間に1度すればマシな方と言えるし、それならばリスク自体は変わらない。
エコバッグ何枚も買って回すとかする人とか今じゃ奇特な方でしょ。
生花や土に植えている植物はそれこそマイバックの使用なんて、非現実的だからそれこそレジ袋の利用は避けられないし、ホムセン関係は大きいものも多くてそういう意味では非効率的。
それに今ですらケーキ屋やパン屋とか個人商店レベルでは嫌がっている所も多いし、企業においても大手の大企業の良く判っていない上層部だけが賛同していて、現場レベルだと余計な手間ばかり増えて嫌がっている人も多いからね。
スーパーにしてもコンビニにしても店員に余計な手間が増えるばかりだからね。
それと喜んでやっているのか内心嫌がっているのか知らないけど、百貨店なんてただでさえ不景気及び消費税の増税、そしてコロナ禍の直撃で瀕死状態なのにここで更なるレジ袋有料化は余計に客足自体が遠のく悪手にしかならないのも目に見えてる。
それにエコバッグ自体小さいものが多いし、大きいものは入らないので絶対客とのトラブルも今後増大するよ(笑)
はっきり言って代替不可能のものも多かったのにも関わらず、強引に強行させたLED普及の時と同じで良く判ってない人が作った机上の空論による産物であり、これを作った人達はそれこそまともに買い物とかした事ない人達なんじゃないかな?
環境対策で一番有効なのはそれこそ人間の活動を潰す事だから、究極的に言えば人類が絶滅する事だってのは専門家も皮肉交じりで言っている事だからね(笑)
この辺もトランプ大統領がパリ協定から離脱し、環境政策自体嫌厭しだした理由なんだしね。
そもそもあの辺の環境対策とやらも排出権辺りから本気でおかしいものばかりだったから。
海洋汚染についてはポイ捨てが原因ならばそれを減らす努力をするのならば、ポイ捨てを防ぐためにゴミ箱を増やす方が効果的であり、レジ袋以外にも要因自体多いのだからはっきり言ってこんなもの家計のコスト増加及び更なる経済の停滞を招くだけであって、害悪でしかないよ。
今じゃ逆にゴミ箱を減らすとか却って不法投棄やポイ捨てする状況を生み出している本末転倒な結果を訳だしね。
ゴミ箱に関しては彼ら曰くテロ対策とか言っている側面もあるからこれだけが問題ではないのだけどさ。
それにそもそも日本だけで禁じても海外から流れて来るものについては意味がないと言える。
また他の人も言っていたけど、市や省庁が収入を増やしたいだけとかポスト先が欲しいとかそう言う思惑で言っているだけである事ももう一般人は見透かしているからね。
しかし当時の児童ポルノ禁止法でも著作権でも何でもそうだけど、意味のない自身の利益の口実に使う様な対策ばかりして余計に事態を悪化させたりする事ばかりしているなと思うね。
そしてこの手の綺麗なお題目で短絡的な規制をやらかす連中ほどやたら海外デハーとか言いたがる人多いのも事実だよね。
これにしても現状ただでさえコロナが問題になっている中でやらかすから、不潔で不衛生である点が更に問題視され、またコロナ禍で企業や経済の回りが悪くなっている上での家計への直撃を招き、不経済的で、より気軽な買い物が嫌厭される状況を作り出すのだから、ただでさえ不景気な上消費税増税とコロナ恐慌が重なり、悪化している中でやるのは経済的にも致命的な打撃を招く一つの要因と化すし、現状それこそあの人達の大好きな海外では万引きが増加した事例もあるから社会不安の悪化にも貢献する上に米国のカルフォルニアでもレジ袋を禁じたら却ってゴミ袋や紙袋の使用が増えて、CO2発生量が増加したと言う本末転倒な結果を招いているみたいだしね。
先進国がスーパーのレジ袋を禁止しても意味ないよ、という記事。
「海のプラスティック廃棄物の半分は中国、フィリピン、インドネシア、ベトナムの4カ国から来てる」また「カリフォルニアがレジ袋を禁止したら、ゴミ袋や紙袋の使用が増えて却ってCO2が増加した」#環境 https://t.co/g16JFm2Njx— 北欧の理想と現実 (@yasemete) June 21, 2019
これじゃ昨今コロナ禍において地方自治体が言っていた三密ならぬ三不を招く状況になる事でしょ。
エネルギー的や資源的にもこの手の意味のない所か害悪な環境対策の方がより無駄な浪費を招いているのは今まで言われている通りでレジ袋なんてそれこそ石油の残りカスから作られているのだから利用しないと逆に無駄な訳。
つーか、どっかの誰かさんも言っていたけど、変なリサイクルをする位ならばこの辺からも燃やした方が余程マシな訳。
SCP-2419みたいに亡霊の残骸が延々に再生するわけじゃないのだからさ。
ただあの人達はダイオキシンやら二酸化炭素やらがその亡霊の残骸みたいに思えているのだろうけど(笑)
しかしここまで環境問題もあの手の団体や政府や官僚が日本に限らず、悪用しているのだからそりゃ環境学や生態学、地球科学とかの専門家ほどうんざりする状況になっているのは理解できるよ。
この問題も変な国連を介したリベラル系団体や主婦系が絡み各国政府が悪用しだしてからより一層おかしな方向に行ったのも事実。
子供の権利や女性の権利とかでもそうだけど、この辺の団体は本当の意味で碌でもない事しかしないよね。
倫理や道徳や平等とかの綺麗事を言って自らの政治思想に悪用する様な事しかしでかさないから。
そもそも環境対策と言うのだけど、本来は人間の生存圏の延命対策なのだから、宇宙開発も見据えた循環システムの構築の研究にこそ力を入れるべきなのだけどね。
どうも省エネ化ばかりみてその辺すらおなざりにしてそこら辺の技術開発すら停滞させているのが今と言うのを実感しているし、その省エネ化すら的外れな所にばかり向かっているのが今だよね。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020020800167&g=soc
ハワイで施行されているレジ袋有料化 影で万引きが増加する事態に
https://news.livedoor.com/article/detail/15716987/
レジ袋、コンビニも7月から有料化⇒「不衛生では」マイバッグ使用に不安の声も
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5ed83eb8c5b6ef445b7633e3
アンケのパーセントで草。
この国は北朝鮮か何かかな?
ただ普通に知らなかった人が多かったから批判意見も多く出始めたわけで。
しかし万引きと言い、不衛生な点と言い、私以外にも指摘している人がいるのも笑える。
検索の関連項目に万引きと出たから見てみたら、実際海外でも増えていたのな。
当たり前だけど、タイミング的にもコロナが問題になっている時にこの手の不衛生な事をする事自体が問題だからな。
素人考えでも普通にこの位の問題点は速攻で出て来るし、そもそもエネルギー削減策としても意味がないからなぁ…。
この辺もツイッターで指摘している人もいたけどね。
それこそ石油の残りカスから作るもので使わなければ余計に無駄になる訳だし、動物愛誤…じゃなかった動物愛護の観点から見ればそれこそポイ捨てを封じこめる為にゴミ箱の設置を増加したり、きちんとレジ袋をゴミとして高温で焼却する方が遥かに有効だよ。
その分のゴミ収集のコストは上がるけどもお金を回すと言う意味で人材雇用を促進する意味でもそちらの方が今の状況では遥かに良い対策だよ。
それにそもそも環境対策と有料化が直接つながる訳ないし、有料化したから環境保全になると言う理由も屁理屈以外の何物でもないよね。
だからこそレジ袋を貰うと事実上の罰則みたいなものだからこれ消費税と同じで実店舗にダメージを与える景気現対策と断言しても良いものなんだわ。
また普通にこの手の環境を口実にした詐欺的な手段に使われ過ぎて、今や環境問題は排出権や国連とかに代表されるグレタ氏みたいな胡散臭い団体が因縁をつける口実に使われるイメージが根付いてしまったから、そのせいでまともな生態学や環境学、地球科学を研究したりしている人達が逆に大迷惑する事態にもなり始めているのだけどね。
昨今議員もポーズでこの手の事をやりだすだけに余計に性質が悪いよね。
昔からあの人達は綺麗事や綺麗なお題目を立てて、国民から金を毟り取ったり、規制をするのが大好きな人達だけどね(笑)
それにこのコロナ禍ですっかり企業自体の操業が低下して一時期停止に近い状況に追い込まれ、石油価格の下落が初めて起きた事を見てもそちらの生産の方でエネルギーを使用していたと言う事実も世の中には知れ渡った訳だからねぇ…。
要は企業活動ってエネルギー食う事だよねと言うのは事実だからこそ、米国のトランプ大統領も環境対策に因縁を付けた訳だからね。
それとこんな事したらそれこそ余計にネット通販を利用する人も増えるのは目に見えるよね。
トイレットペーパーとか地味に嵩張るし、わざわざ買いに行ってレジ袋でもお金を取られるならば通販使った方がいっそマシと言う人も多いだろうからね。
その時は通販でも色々屁理屈を言ってあの人達無茶な有料化をして景気減退策を余計に促進させそうだけど(笑)
何にしても悪手なのは事実で余計に実店舗から足を遠のくきっかけに繋がるのは事実でしょう。
それにこれを進めている人達はこれらは所詮お題目に過ぎない訳で要はレジ袋を有料化したいと言う思惑だけの口実で使っているだけに過ぎないからね。
現に企業も嫌がっている節がある事を見てもそう言う事だろうしね。
どう見ても環境省や経産省のアレの目的からやっている事でしょ。
しかしこう言うのを見ても、この人達が以下にこの時期でも我欲でしか物事を考えず、自身の決めた予定の通りにしか動けないと言う事が良く判るよね。
単に頭が良いだけの想像力が足りない人達は色々な意味で性質が悪いと思う。
今必要な事はそれこそ景気刺激策であるのにこのタイミングで景気減退策を率先してやること自体、以下にこの人達が臨機応変に物事に対応出来ず、予定通り決められた事しかできない事を象徴しているよね。
これは過去に大反対され、パブコメでも反対意見が大半だった著作権法のDL違法化拡大を寄りにもよってこの時期にやらかしたりした事を見ても判る事。
自民や政府、官僚はどうせ野党はクソザコだから、何をしても安泰だと思って好き勝手しているのだろうけど、こんな事ばかりしていたら今に偉い目にあうと思うよ。
現にコロナもまた今もくすぶり続け、企業補償すらまともにしなかったせいで不渡りが増加したり、倒産も増加し始めた上に学生支援等の問題が山積みになっている中でそれらは手を付けないか、手を付けても形だけしか対処せず、そのくせこの手の碌でもない事ばかりは決まった事だからと言い、率先して行っているのだからね。
倒産もニュースによれば、時期的な意味で受理されないのもあるみたいだから数字に出てこない分を見てももっと深刻なのは事実だと思う。
それはそうとエゴ…じゃなかった、エコバッグ云々で昔そう言えば買い物籠以前は風呂敷を使う社会だったなと言う事を思い出して、色々見てみたら結構なお値段するものなのね。
木ノ幡みら
星咲高校→東京大学教養学部理科一類→東京大学理学部天文学科→東京大学大学院理学系研究科天文学専攻→ 自然科学研究機構国立天文台(NAOJ)
真中あお
星咲高校→東京大学教養学部理科一類→東京大学理学部天文学科→東京大学大学院理学系研究科天文学専攻→ 自然科学研究機構国立天文台(NAOJ)
猪瀬舞
星咲高校→東京大学教養学部理科一類(推薦)→東京大学教養学部学際科学科地理・空間コース→国家公務員試験・総合職技術系区分<大卒程度>合格→国土交通省国土地理院
桜井美景
星咲高校→東京大学教養学部理科一類→東京大学理学部地球惑星環境学科→東京大学大気海洋研究所→国立研究開発法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)
森野真理
星咲高校→東京大学教養学部理科一類→東京大学工学部航空宇宙工学科→東京大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻→国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)
鈴矢萌
グレタ・トゥーンベリさんの「未成年の盾」、今のところ堅牢な性能/日本では「フルメタル・パニック! 」作者の賀東招二氏のツイート、ブラジルではボルソナロ大統領の「ピラリャ」発言が注目を集める
https://togetter.com/li/1441615
フルメタの作者が残念な人間であるのは当時から割と知られた話なので、またやらかしたのか(呆)程度にしか思わないけど、何時もながら相も変わらず、この手の左翼団体が子供を盾にして、反論やらを潰す道具にしている点は本当に悪質だなと思う。
弱者を盾にしたら、世間も反論をしにくい事を最大限悪用しているのが、この手の左翼やリベラル組織または宗教系団体なのは事実だからね。
日本でも共産系や宗教系もこの手の弱者の盾を良く使っていたし、その顕著な例が特に10年ほど前の児童ポルノ禁止法からの一連の騒動だったと思う。
あの時は本当に子供の権利を規制推進側が盾にしまくって、完全に反論を潰しにかかった挙句、規制ばかり推進して、児童保護施設への予算を一切付けないと言う悪質な行為をしでかしたからな。
そして児童ポルノに関しては海外では今だにセックスドール規制等と言い、子供の権利を盾にしているから悪質だよ。
漫画規制した結果、後の結果を見ても逆に実在児童被害が増えた事実から規制は逆効果であったと言えるのにね。
本当にこれら子供を盾にする様な大人が一番悪質な連中であると思うよ。
彼等のせいで冷静な指摘すら潰され続けてきたのは事実。
しかしこの環境問題と言い、子供の権利委員会と言い、今や国連は単なる左翼活動家やカルト活動家の集会場でしかないなと見ていて思うよ。
普通に国家としてはこれら国連への分担金を未払いする事こそ正常な行動ではないのか?と昨今の国連の異常な行動を見ていて強く思う。
冗談抜きでこの子供の盾はラディカルフェミニスト団体やカルト宗教やこの手の左翼団体が悪用し続けた歴史があるから、いい加減なんとかしてほしいもの。
しかしこの手のリベラル左翼っぽい政治活動家がこの環境問題に絡んでから、本気でこの分野おかしくなったんだよな。
(長く書きすぎたみたいだ。途中で切れてしまった。。。)
もう終わりにしよう。書評の批判が当たっているなら、こういうことだ。超大物教員の指導の元、こんな博士論文が書かれ、専門家達が「厳正な」審査をし、超一流の博士号が授与され、それをテコに大学で職を得た人がいる。これがわかったのは、本が出版されたおかげだ。ちなみにこの本、名もない出版社からではなく、京都大学出版会が出している。もちろん、本の出版は著者が勝手にできることではない。本の最後に超大物元指導教員が「解題」を寄せているから、知らなかったはずはない。解題を見てみたところ、基本的にほめていて、特に批判らしい批判はなかった。実はその解題、公開されている博士論文の審査結果の要旨とほとんど同じ。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/199376/1/ynink00705.pdf
本論文は、個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式・文法カテゴリが創発する根源的理由の説明を試みた意欲的研究であり、認知言語類型論という新たな研究分野の基礎を示した先駆的研究として評価することができる。
本論文は日本語の文法事象を中心に扱っており、その記述・分析の面においても、射程の広さと事例観察の綿密さが評価される。分析対象として、格、時制、主語・目的語、自動詞・他動詞、態、形容詞といった広範な現象を横断的に扱い、本論文の主張する日本語の「主体化による認知モード」によって一貫した説明が試みられており、それらがいずれも西欧的パラダイムによる言語研究で標準的に使用されてきた文法概念と完全な対応関係を結ばないことが、説得力をもって示されている。
日本語学で所与のものとして適用されてきた「動詞の自他」や「態」といった文法概念そのものの再検討を迫るという点で、本論文は日本語学研究にも一定の貢献をなすものである。また、本論文は日本語における文法カテゴリや語彙の変容にも照準を合わせたものであるが、その主張は単なる理論的憶測ではなく、万葉集や源氏物語などの主要な古典作品をはじめとする膨大な歴史的資料に基づいたものであり、言語研究において不可欠である言語データの観察の綿密さについても高く評価することができる。
本論文は共時的な言語事例と通時的な言語事例とを並行的に分析し、日本語の言語現象全般と個別現象の解明を目指した統合的研究であり、認知言語類型論という新たな研究視点を提供している点で、学術的価値は高いと判断される。
まさにお墨付きだ。
最後にちょっと真面目な話。『認知言語類型論原理』の問題は、この書評で間違いだと明らかになったことじゃない。学問は古い学説を踏み台にして進んでいく。今の定説もいつかは否定され、乗り越えられていくかもしれない。だから、間違いを含んでいるとわかったこと自体は問題じゃない。それまでの研究に新たな知見を付け加えたのなら、たとえ間違いを含んでいても価値ある研究だ。ダメなのは、従来の研究に何ら新しい知見を付け加えず、最初から間違いだとわかる研究だ。『認知言語類型論原理』はまさにそのような本だと批判されている。もちろん、出版された本に対してそのような批判をする権利は誰にでもある。たとえ批判が当たっていなくても、ある。自由に批判ができることは、学問の発展に不可欠だ。書評子が批判をしたことで将来不利益を被ることがあってはならない。
それにしても、どうして『認知言語類型論原理』は『日本語に主語はいらない』みたいに多くの言語学者から批判されていないんだ? 『日本語に主語はいらない』は大手出版社から一般向けに出たのに対して、『認知言語類型論原理』は学術専門出版社から専門書として出たからか? それにしたって、専門書でも専門家なら読むだろうし、なんならもっと真剣に読むだろう。他に書評は出てないのかとCiNii https://ci.nii.ac.jp/ で『認知言語類型論原理』を検索したけど、ないみたいだ。もしかして京大とか超大物研究者とかの権威に怯んでるのか? 文系の学問がそんな腐敗した世界なら、世間から不要とされるのも無理はない。この腐敗した世界に堕とされても、くだらないことでビビることなく「王様は裸じゃないか! 裸の王様、何を学んだの?」と喝破した書評子には拍手喝采を送りたい。だけど、こんなものを書くために生まれたんじゃないだろ…。
日本の大学、特に文系の学問に対する風当たりが厳しい昨今、文系の学者達は自分たちの存在意義を示そうと必死だ。大学で行われている文系の研究は、どう役に立つかはともかく、それ自体研究としてちゃんとしたものなんだ!ということは前提となっているし、みんなそう信じている。文系の先生達は決してSTAP細胞のようなデタラメをやっているのではないと。
だが、それは本当か? 証拠はあるのか? 最先端の研究は専門家でさえ評価が難しい。たとえばアインシュタイン。一般・特殊相対性理論を作ったけど、時代の先を行き過ぎていて正当な評価がされなかったそうで、ノーベル賞は他の業績に対して与えられた。文系の研究も基本的には同じで、研究の良し悪しを判断できる人は極少数だ。だから、知らないうちにトンデモない研究がはびこっていて、それに社会的評価が伴っていても、ほとんどの人にはわからない。専門家が厳正に評価してくれていることを信じるしかない。
本題に入ろう。最近、1つの書評論文が東大の言語学研究室発行の紀要に出た。
田中太一「日本語は「主体的」な言語か―『認知言語類型論原理』について―」『東京大学言語学論集』 41 (2019.9) 295-313
https://www.amazon.co.jp/dp/4814001177/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_6P9YDbPVN9WJ2
著者は、関西外国語大学 短期大学部 英米語学科 准教授の中野研一郎先生。
普通、書評というのは基本的にほめるものだ。批判はあっても最後にちょっとだけ。しかし、この書評は、冷静な筆致でありながら、酷評も酷評、ボロクソ、クソミソ、ケチョンケチョンのフルボッコだ。一個もほめてない。批判が当たっているなら、トンデモ本に違いない。
一番ヤバいのは、この本が博士論文を元にしたものということ! 一応説明しておくと、博士論文とは、最高の学位である「博士」の学位を取るために大学院生が何年もかけて書く長大な論文で、大雑把に言って本1冊以上の分量がある。もちろん、何でもいいからテキトーに書けばいいわけではない(はずだ)。自分のオリジナルで、学術的に価値のあること、つまり、これまで誰も知らなかった知見を新たにもたらして人間の知識を拡大するような研究の成果でなければいけない。どの分野でもそうだ。
そして博士論文の原稿は、3~5人の審査委員が審査する。審査委員は全員、その分野に詳しい大学の教員だ。審査は3回くらいある。まずは博士論文の大枠ができた後、本格的な執筆にゴーサインを出すかを決める一次審査、そして論文が大体書けた後、論文を大学に提出していいかを審査する二次審査、最後に論文が完成し、大学に提出された後、博士の学位を与えるか否かを決める最終審査がある。それぞれ少なくとも1時間はかかる本格的なものだ。ディフェンスと言われる最終審査の口頭試問は、公開で行われる。最後に別室で結果を審議した審査委員が会場に戻ってきて厳かに合格が伝えられると、みんな拍手で心から祝福する。
ミサト:おめでとう!
アスカ:おめでとう!
レイ:おめでとう。
研究者人生のフィナーレではないが、1つのピークである。こうやって研究者の能力にお墨付きを与えるのが大学の存在意義の大きな一部分だ。
要するに、博士号を取るのはとても大変なのだ。日本だと博士号を持っている人は1万人に1人くらいしかいないらしい。日本の大学は入るのは難しいのに出るのは簡単だとよく言われるけど、大学院の博士課程はそうではない。入るのも修士課程ほど楽ではないし、文系では入っても博士号を取れない人の方が多いくらいだ。これだけ大変だから博士号はアカデミアでは評価される。大学教員になるなら、博士じゃないとエントリーすることさえほぼほぼ不可能。『認知言語類型論』の中野先生は、フェイスブックを見たところ、以前は高校の先生だったみたいだけど、博士号をとってから、50歳を過ぎて関西外国語大学の准教授になったようだ。周知の通り、大学の終身雇用教員の座をめぐる争いは非常に激しい。博士号がなかったら就職できなかっただろう。
博士号はどこの大学でとっても価値は同じ、みたいなことを何度か読んだことがあるけど、あれはデマ。真に受けてはいけない。いい大学の博士号ほど高く評価される(Why not?)。中野先生がお持ちの京都大学の博士号は、京大が超一流なのと同様、超一流の博士号だ。50歳を過ぎて大学に就職できたのも不思議ではない。しかも、中野先生の師匠は、日本言語学界の大物中の大物、山梨正明先生だ。『認知言語類型論原理』に山梨先生が解題を寄せているから間違いない。この大先生は、「日本を代表する理論言語学者の一人」([wikipedia:山梨正明])。中野先生が在学していた頃には、日本語用論学会(2008〜2011)や、日本認知言語学会(2009〜2012)の会長を同時に務めもした大物中の大物だ。ちなみに、山梨大先生は2014年度に京大を定年退官して、2015年度からは中野先生より一足早く関西外国語大学で教鞭をとっている。ちょっとややこしい話だが、博士論文の審査が終わる前に京大を定年退官したようで、審査の主査ではないが、審査委員には名を連ねている。https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/199376 博士論文を書くのに何年もかかるから、こういうことはよくある。
さて、超大物お墨付きの博士論文(を元にした本)はどんなもんなんだろうか。書評から拾っていこう。2節は専門的な議論でよくわからないからパス。3節「日本語に存在しないとされるもの」から見ていこう。まず、1節に同書のまとめらしき部分からの引用がある。
「日本語(やまとことば)」を深層とする日本語において、「形容詞 (adjective)」・「主語 (subject)/目的語 (object)」・「態(voice)」・「時制 (tense)」・「格 (case)」・「他動詞 (transitive verb)/自動詞 (intransitive verb)」といった、従来ア・プリオリに前提とされていた統語・文法カテゴリが妥当していないことも論証した。さらに、「膠着」言語の一つである「日本語」においては、その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしていることを論じた。
(『認知言語類型論原理』[以下、中野 2017] p. 308、書評論文[以下、田中 2019]p. 295から禁断の孫引き。以下、同書の引用は全て孫引き)
昔、『日本語に主語はいらない 百年の誤謬を正す』[amazon:日本語に主語はいらない]という本が出て、言語学者に酷評されたことがある。金谷武洋『日本語に主語はいらない』批判記事一覧 - 誰がログ https://dlit.hatenadiary.com/entry/20071216/1197757579
主語がいらないと言っただけでそうなったのに、『認知言語類型論原理』は、ミニマリストの断捨離なんてもんじゃない。主語だけじゃなく、形容詞、態、時制、格、自動詞/他動詞も、いらない、何も、捨ててしまおう~♪と謳っているらしい。全部なしで日本語の文法はどうなっているのかというと、「その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしている」ということらしい。
これは熊倉千之氏の「音象徴」理論に基づいているそうで、熊倉氏は、
膠着語にかんして、「イメージとイメージを膠でつけるように、ことばができているのです。ですから、具体的なモノとモノをつなげると、言語(コト) としての「抽象」 性が生まれ、新しいことばが作られるのです (熊倉 2011: 18)と述べた上で、日本語の音素はそれぞれ何らかのイメージを持つという観察を根拠に、やまとことばの「音声と意味」には、ソシュールの説に反して、「恣意的」ではなく、密接な繋がりが感じられる」 (熊倉 2011: 30) と主張している。
とのこと。
近代言語学の父、ソシュールの一番有名な恣意性の原理を否定しているが、それ自体はない話ではない。音象徴が当てはまる例として、ポケモンとか怪獣の名前は、音と意味の関係が全く恣意的なわけではない、みたいなことが最近よく言われている。ただ音象徴は基本的にオノマトペ(擬音語・擬態語)や新たに名前を付けるものについての話、しかもあくまで傾向性。言語全体の「語・語句・節の生成メカニズム」になるようなものとして扱われてはいない。しかし、中野説はそういった主流の音象徴研究とは一線を画する。具体的に見てみると、
「あ/a/」は「空間出来の語基」 として、「い/i/・居」 は「様態化の語基」 として、「う /u/・続」 は「プロセス化の語基」 として、 「音象徴」 により語彙を創発させる機能を担っているのである(中野 2017: 247) 。
知らなかったー、日本語ってすごいですね(棒)。たとえば、「合う・会う」は、「あ/a/」+「う /u/」だから、「(出来)動詞」だそうだ。書評子が、
「「出来」が「プロセス化」すると「合う・会う」になるという説明は到底理解できるものではない」(田中 2019: 309)
と言う通りだ。「あい」(愛とか藍)はどうなるんだろう。中野先生によると、音象徴は
「日本語(やまとことば)」の同音異義の語の数の多さと、またオノマトペの豊穣さの、母体にもなっている」 (中野 2017:232)
この主張は、本書の議論を決定的に破綻させるものである。もし「音=意味」という恣意的でない結びつきが存在するならば、同じ音を(同じ順序で)組み合わせれば同じ意味になるはずである。同音異義語の存在が極少数に限られるならともかく、その数が多いのであれば、日本語の全体を「音象徴」に基づいて分析することが不可能であることは自明である。(田中 2019: 310)
確かに。他にも、中野先生は「確かに」・「達する」・「頼みます」・「たった、これだけですか」・「立つ」・「経つ」・「絶つ」・「裁つ」などを例に、
「日本語(やまとことば)」では、音部分が同根であれば、「音象徴」に基づき、その意味・機能も通底している 。 [中略] 「た/ta/」音を語頭とする語は「心的確定(確信)」を基に語彙が生成していることが理解できる。「日本語 やまとことば」の「た/ta/」音は、「音象徴」において「確信」を「意味」とする「音」なのである。 (中野 2017: 255)
と言っているそうだが、「立つ」とか中野先生自身の例でさえ、どこが確信と関係があるのかわからない例もある。この説が無理なのはよく考えてみるまでもない。
そもそも、「音象徴」なんて流行りのタームを中野先生や熊倉氏は使っているが、こういう説は「音義説」[wikipedia:音義説]と言うのがより正確だ。近代以前に唱える人がたまにいたけど、今ではググるとわかる通り素人が唱えているだけのものだ。ちなみに、このような形で同書に大きな影響を与えた熊倉千之氏とは、
1980年「『源氏物語』の語りの時間」でカリフォルニア大学バークレー校にてPh.D.取得。ミシガン大学、サンフランシスコ州立大学などで日本語・日本文学を教える。1988年に帰国後、東京家政学院大学教授、1999年金城学院大学教授。2007年退職。
という人。ウィキペディアでは一応「日本文学者・日本語学者」となってはいるけど、専門はどう見ても文学。言語について言語学界とは関係なく自由に思索・著述をしている人のようだ。そういう独自の言語論を唱える文学や思想の研究者はよくいるけど、普通の言語学者はそういうのはまともに相手にしない。『認知言語類型論原理』もその類の本だったなら、東大で言語学を学ぶ書評子も取り合わなかっただろう。でも、これは京大の言語科学講座で博士号をとるために書かれた論文(が元になった本)なのだ。
他にも同書には、業界震撼の主張が満載みたいだ。是非同書を買って私の代わりに確認してみてほしい。
ちなみに、なんで日本語が英語などと違ってこうなってるかと言うと、中野先生によると、日本語は歴史的に文字を持たなかったからだそうだ。とはいえ、英語だってそうだし、文字で残っている歴史の長さも日本語と同じくらいなんだけど。っていうか、どの言語も昔々は文字がなかっただろ!
ということで、書評の内容は変な言いがかりではないようだ。そもそもこんな空前絶後の激辛書評論文を大学院生が書くこと自体大きなリスクを伴う。(書評子、いろいろ大丈夫か?)無理なイチャモンをつけるためにそんな危険を冒すわけがないし、出版前に東大で止められるだろう。ま、『認知言語類型論原理』は、博士論文の審査から本の出版にいたるまで、誰にも止められなかったみたいだけど!
もう終わりにしよう。書評の批判が当たっているなら、こういうことだ。超大物教員の指導の元、こんな博士論文が書かれ、専門家達が「厳正な」審査をし、超一流の博士号が授与され、それをテコに大学で職を得た人がいる。これがわかったのは、本が出版されたおかげだ。ちなみにこの本、名もない出版社からではなく、京都大学出版会が出している。もちろん、本の出版は著者が勝手にできることではない。本の最後に超大物元指導教員が「解題」を寄せているから、知らなかったはずはない。解題を見てみたところ、基本的にほめていて、特に批判らしい批判はなかった。実はその解題、公開されている博士論文の審査結果の要旨とほとんど同じ。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/199376/1/ynink00705.pdf
本論文は、個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式・文法カテゴリが創発する根源的理由の説明を試みた意欲的研究であり、認知言語類型論という新た
↑ 「統計的に有意でない」というのは「差がない(=平等)」という意味ではありません。
↑意味不明
↑「医学部とそれ以外の学部で女子の入りにくさに差があるというのには、何らかの原因があるのではないか」ということ。「背景にもっと大きな差別問題はある」からこそこの祝辞は東大の入学式にふさわしい。
↑「女子が男子より優れている」とは言っていない。「女子の合格率が男子のそれより低いのは、女子が男子より劣っているから」ではないと言っている。
↑そうですね。
↑「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」はつまり「翼を折られなければ羽ばたけたはずだった」ということ。
↑突然も何も、祝辞の最初から女子学生・男子学生を一般化して取り扱ってきたでしょう。 性差別を批判する文脈では当然です。
とは言え「東大の男子学生がもてる」という言い方も差別的だというのはそうだと思います。「イカ東」みたいな言葉もありましたし。
↑東大の男子学生は「他大の女は頭が悪い」と思っていそうってことでしょう。ここの部分で何を言いたいのかは僕もよくわかりませんでした。
↑実情を知らないようですが、そんなことはありません。東大女子が入れないようにしているのは東大男子です。
これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。
学部においておよそ20%の女子学生比率は、大学院になると修士課程で25%、博士課程で30.7%になります。その先、研究職となると、助教の女性比率は18.2、准教授で11.6、教授職で7.8%と低下します。これは国会議員の女性比率より低い数字です。女性学部長・研究科長は15人のうち1人、歴代総長には女性はいません。
↑東大のオフィシャルな場で東大批判をするのがいいんでしょう。「東大合格おめでとう!東大万歳」なんて祝辞気持ち悪すぎます。
↑確かに
↑第1人者を自称しているんですから、そうなんじゃないですか?
学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して、あたらしく勃興していく学問があります。女性学はベンチャーでした。女性学にかぎらず、環境学、情報学、障害学などさまざまな新しい分野が生まれました。時代の変化がそれを求めたからです。
言っておきますが、東京大学は変化と多様性に拓かれた大学です。わたしのような者を採用し、この場に立たせたことがその証です。東大には、国立大学初の在日韓国人教授、姜尚中さんもいましたし、国立大学初の高卒の教授、安藤忠雄さんもいました。また盲ろうあ三重の障害者である教授、福島智さんもいらっしゃいます。
あなたたちは選抜されてここに来ました。東大生ひとりあたりにかかる国費負担は年間500万円と言われています。これから4年間すばらしい教育学習環境があなたたちを待っています。そのすばらしさは、ここで教えた経験のある私が請け合います。
あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。
↑私立医学部の入試不正なんて差別の一例に過ぎないってことでしょう。
↑「がんばっただけでは報われなかった。まわりの人や環境に感謝しましょう」ということでしょう。こういう趣旨の祝辞わりとよく聞きませんか?
あと毒親から逃げてきた人もいるかもしれませんが、ごく少数でしょう。この祝辞は最初から最後まで「大多数の」東大生に言及しています。
↑そうですね。
↑そういう人たちを助けてやれってことだよ!
↑そんなことは言ってないでしょう。ここでは「恵まれない人々を助けるための学問をやれ」ということではなく、どんな(分野に進もうとも)周りにいる恵まれない人々のことを慮る人間になれということです。たとえブラックホールやニュートリノを研究しようとも。
↑東大生には弱者もいるし恵まれた人間もいるということでしょう。またある面では恵まれていても、別のある面では弱者ということでしょう。
↑ソースはここhttp://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2018/09/10/1409128_002_1.pdfで、六年間の推移が1.17→0.76→1.31→0.95→1.04→1.04でその平均が1.03なので仮説検定をすれば有意でない、すなわち平等とわかる数値なんですが、なんでこんなに持って回った言い方するの?
↑こっちのセリフだわ
↑ここまでの話をまとめると、私立大医学部ではどうやら不正な入試が行われているが東大では医学部はじめ全ての科類で平等な入試が行われている。ということなんですが、これはもはや私大の医学部の問題(もちろん背景にもっと大きな差別問題はあるのだろうが)で、東大の入学式の祝辞の一発目に持ってくる話題としては不適当では?
↑ここ統計データを示せよ。なんで女子が差別されてる話は具体的な数字出しまくったのに女子が優れている話は具体的な数字出さないんだよ。
↑これどういう意味だよ。偏差値の平均は女子の方が上ってさっきお前が言ったんだろ。
↑なんで親の性差別って断言してるんだよ。統計どこ行ったんだよ。
↑並列された三つの主張から導き出される結論は何だよ。ちゃんと言えよ。
↑てか普通に考えたら 第一:女子は安全志向 第三:親が性差別している を要因として 第二:東京大学入学者の女性比率が二割以下 が発生してるって話になるだろ。なんで並列なんだよ
↑「娘の翼を折らないようにしてきた」という父親の事例を挙げて得られる結論がどうして「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」なんだよ。
↑どうやって?
↑どんな目で見られてるかちゃんと言えよ。マイナスイメージ持たれてることはわかるが、それが実情に反して不当ということならレイプ事件の話持ち出す意味がわからないし、そのイメージが正しいと言いたい(文脈的にこっち)ならそれは性への圧だろ。
↑男子サークルって書き方からして完全に男子を悪者にしてるけど他大学の女子が競争相手を減らすために東大女子を入れないようにしてる可能性だってあるだろ。性差別か?お?
↑その原因が東大内の性差別という意味?だったらこんな時代性が交絡するようなデータじゃだめだよね?
↑これを祝辞で喋る意図が明確になるように主張のギャップを埋めて欲しい。
↑これ普通に気になるな
↑後述の話を先取りするけどお前のは恵まれた環境のおかげじゃなくて努力の成果なのかよ。
↑そこ断言するの流石に祝辞としてダメだろ。毒親から逃げて東大来たやついるけどそいつにこれ言えんの?
↑これはまあそういう意見もあるよね。
↑恵まれない人を助けることに繋がらない学問やっちゃいけないの?ブラックホール撮影しちゃだめ?ニュートリノ観測しちゃだめ?
↑「環境と能力に恵まれた東大新入生はそれを恵まれない人々(=弱者)を助けるために使いましょう。」と述べた後で「弱さを認め生きましょう、フェミニズムは弱者が弱者のまま尊重されることを求めます。」と締めるの、結局東大生に弱者であって欲しいのか弱者を助ける存在であって欲しいのかが見えてこない。弱者を助ける存在もまた弱者で、だから他の弱者に助けてもらいましょう。ということなのかな?全員弱者なら女子受験生の話をした意味は?
↑まずこの弱者って特に女性を指してるの?だとすれば女性は謂れなき差別を受けていてそのために被害を受けているという話だったよね?てことは女性は謂れなき差別を受けたままで尊重されるべきってこと?意味不明じゃない?
総評として、全称記号と任意記号の恣意的な混同によってデータを自分の都合のいいように改変して使用する、統計学ひいては学問を完全に馬鹿にした祝辞であったように思える。思想としてのフェミニズムであればこのような「過激な」スピーチにより注目を集めるのも一つの作戦なのだろうが、この人は「学問としてフェミニズムを修めている人間」として「これから学問を修める3000人の東京大学新入生」にスピーチしたわけで、その内容としては甚だ不適当だと言わざるを得ない。
はっきり言って、こんなものを褒めそやす人間は、たとえそれがどれだけメタ的な視点からの評価のつもりでも、科学の世界を脅かすありふれた権威主義の愚か者の集団に含まれる一人にすぎないと言えよう。
増田的には旬を逃してしまった感があるけれど、改めて寝る前に。
先日のはあちゅうしみけんのあれはなんとなくおさまるところにおさまった感があって見ている分には非常に面白かったけれど、
しかしあれだね。こういうことも大っぴらに発表できるようになったのは、なんというか人の生き方がホント多種多様になった時代のおかげだと思う。
自由な生き方、上昇志向・キャリア志向・大手企業偏重・大艦巨砲主義などを優先的には求めないフリーダムな暮らし、そんな言葉が巷に溢れるようになって二、三年だろうか。
その考え方がはびこるのを横目で眺めつつうっすら感じていたけれど、皆がそうなってしまうのはある種ドラッグに溺れるようなもんだとこの件で改めて思った。
婚姻にしても就職にしても進学にしても、自由な生き方をする為には自由に生きれる能力がないと、その先に待っているのは破滅でしかないのではないかな。
最初に挙げた彼らにしても、かたやなんだかんだ慶応卒で良くも悪くもブロガーとして名を馳せて色んなビジネスにちょっかいだして、まぁ不自由なく暮らしている才女、
かたやどんな業界であれトップに上り詰めた腕一本(○ニス一本、と書くか迷った)で生きている芸能人。
この2人だからこそ周りを気にせず自分たちの好きな生き方をできたわけで、目立った才やキャリアや貯蓄や各種のギフトがない人達が「自由な生き方」をして、
いったいどれだけの数が報われるのだろうか。
そのまま自分の偏差値にあった進学・就職をすれば地元でまったり過ごすくらいにはなれたのに、自由な生き方を求めて東京に出てきて何者にもなれなかったり、
そのままお見合いすればまぁまぁ平和な縁談で平凡な家庭を作れたのに、自由な恋愛を求めてハードルを上げすぎて独身アラフォーになったり、
そういう身近にあるセーフティーネットを投げ捨てて「自由な生き方」を選択できるほど、皆は自分の能力に自信を持っているのだろうか?
もちろん優れた人がより優れた生活を求めて色んな自由な選択をしていくのは良いことだと思う。けど、ネットに溢れるこういう生き方の表層だけを見て
自分もこうするべき、古いライフスタイルは可能性を殺す、って判断してしまう人って、どちらかというとその選択をするべきではないような人が多いように見受けられる。
多様化結構、働き方改革大いに結構。でもその風潮が下から上まで広まった結果待ち受けているのは、優れた人がより自由になって、優れていない人が
既存のセーフティーネットよりも更に低いところでも手に入るような薄っぺらい自由しか選べない、格差がより広がるディストピアな世界だけだよ。
自由な生き方はあなたの将来に対して驚くべき効果を発揮します。ただ中毒性がございます。体調家庭環境学歴キャリア能力収入をよく考えて、用法・用量をお守りください。