はてなキーワード: 理転とは
元々数学は苦手だった。小学校の算数はそれなりだったけど、中学生になってからつまづいた。
で、高校2年の頃、微分を最初に学ぶ時に数学の担任がこう言った。
「文系クラスへの進級を決めたやつは微分なんて理解しなくていいぞ。理系に進学するやつでも分からないやつがいるんだから」
これについイラっとした。なので、その日一日中数学2の教科書をずっと睨んだ。
それで、なんか分かった。限りなく小さくても0じゃない世界。そして積分はそれを無限に積み重ねていくこと。
予備校では変な数学の先生に当たって、ひたすら記述式の勉強をした。先生とした数学四方山話は結構楽しかった。
大学の数学はもっと難しかった。大学はいろいろあって勉強に身が入らず、フーリエ変換とか微分方程式とかよく分からないまま卒業してしまった。
で、卒業してから10年、数学には全くといいほど触れてこなかったけど(競技プログラミングの問題で式変形が必要な時に頑張るくらい)、昨日のニュースを聞いて数学の雑学本を買ってそれに載ってる証明とかを書き写したりしている。
久々の数学は楽しい。特に証明は、自分が直感的に思っていることを説明するのではなく、何も分かっていないイマジナリーな自分に段階を踏みつつなるべく短くものごとを納得させる作業だと思っていて、何を示したら疑い深いイマジナリーな自分がものごとを納得するのか考えるのが楽しい。
18歳
19歳
ネトゲ。受かるところが無い+朝起きれると思えないのでセンター利用で有力な大学の夜間学部へ進学。
23歳
4留。理転だったため無理があった。ネトゲしかしていない通算5年だった。
毎日5キロを走り、ベンチプレス80キロをクリアできる頃には、教室で90分座ることが可能な状態に復帰。リハビリ完了。
27歳
ちゃんと勉強するようになってみると、数学の面白さに気付いたため数学教師を目指すことに。
31歳
大した成果は残せなかったが、結構本気で研究に打ち込めたと思う。
博論が通る見込みは無いので見切りをつけて、私立高校の常勤講師としてデビュー。
結局1年契約の常勤講師なので戦いはこれからなのだが、とりあえず今普通に生活出来ている。
・マッチングアプリで女遊びができる!(教師は食いつきがいい、と同僚も言っていた)
困った点としては
・奨学金を約10年分、月12万ずつ借りていたため返済額が凄まじい。
・結婚が遠そう
といった感じ。まあ元ニート、元フリーターで20代半ばからきちんとした生活を初めてするようになって、
30歳過ぎてやっと1年雇用の正規職員になったことの無い人間からすると贅沢は言えない。というか望外だろって思ってる。
なんだかんだ社会復帰ってできるもんだよ。
30歳の2人の子持ち(2歳&4歳)の大卒職歴ゼロ女(パソコンはある程度使える)が正社員として採用されるまでの話をする。
少しでも希望になればになればと思って書く。。
実家も車で一時間ぐらいで普段の手助けはなし。夫は残業多いけど家事育児に協力的。
ある日のこと、子育てが嫌すぎて専業主婦をやめて働こうと思った。まずは子供を認可外保育園に預けた。
人口20万人の都会でも田舎でもない地方都市だと、仕事の選択肢もそうそうあるわけではない。
保育園児抱えてて遠くに働きに行けないというのなら、尚更だ。
ハローワーク行っても、
介護士…
そんな求人ばかり。私は何も持っていない。
優良企業の事務職なんて、派遣会社が全部買い占めていて、残ってるのは月給手取り12万ボーナスなしの事務職とかそんなんばっかり。
子供の保育園のこともあるし、最低でも土日休み希望。そして夜勤はできない。あと体力に自信がないので肉体系の仕事も無理。となるとやっぱりどうしても事務職になる。
試しにエリアを東京にしてみると、都会は求人が多くて羨ましくなった。
確かに私は国立大卒で昔は勉強もよくできたが、文系なので手に職はないし、稼げる資格はゼロで、職歴ゼロだと応募しても応募しても本当に採用してもらえなかった。
頭の良さなどクソの役にも立たない。国立大卒実務経験ゼロより、簿記の専門学校卒業して経理3年やってます、って人の方が需要があるのだ。
正社員はとりあえず無理だなーと判断し、そのうち転職すれば良いやと思って得意な英語を活かして派遣社員になった。
派遣期間中は、周囲の目を盗んで仕事をしているふりをして資格の勉強を始め、それまで最高650点だったのだが、TOEIC920点を取得。
派遣先の企業は本当に働きやすかったけれど、ボーナスなし交通費なしで給料が安かったので1年ほど働いてから予定通り転職を決意。
DODAなどの転職エージェントに登録するも、職歴薄すぎて、ほとんど転職先を紹介してもらえず。
仕方ないから求人の出ていない家から通える範囲の企業に自分の職歴添えて片っ端から問い合わせしまくったら、正社員として雇ってくれるところがあった。営業がんばった。
めでたく一部上場企業の一般職として転職が決まったが、入ってみたら仕事はないし、人間関係が超絶ブラックでメンタルを病んで2ヶ月で辞めた。
家から近くて人間関係良くて、それなりの給料が貰えるなら仕事内容に贅沢は言わない、と決めて、30社ぐらい応募して、断られ続けた。
どうせ落ちるだろうけど、別にいいやと思って気軽な気持ちで応募。
男性は自分の経歴が求人条件を40%満たせば応募するのに対し、女性は100%満たさないと応募しない傾向にあるそうだ。
Facebookのサンドバーグさんのリーン・インって本で読んだ。
それを知ってたから、求人条件を20%でも満たせば応募することにしていた。
結果、年間休日125日の中小企業でエンジニア(ITではない)として採用された。
30歳にして理転。無謀に思えたが、案外何とかなった。
ボーナスも年6ヶ月出るし、職場の人間関係も良くて、仕事は毎日楽しい。
スペック高くて参考にならんわ、って言う人もいるかもしれないけど、一番のポイントは求人条件を見て怯まなかったことだと思う。
とにかく応募しよう。
そのうち何とかなるかもしれない。
これまでの経緯。
・中二で担任の先生に目の敵にされ学校に行く気力を無くす、内申崩壊、進学コースから外れる
・高校には入ったが完全にやる気がなく授業をサボりまくる、なぜか図書室に出入りするようになり読書の習慣が身につく。
・高校を卒業したあとは◯ックオフでバイト、緩めのシフトにして図書館と併用していろんな本を読みまくる
・いつのまにか人並み以上に世間の話が出来るようになっている、なぜお前は大学に行ってないのかとよく言われるようになる。
・結婚する、結婚したところは多少資産に余裕がある所であり、勉強させて大学に行かせようということになる。
現状
クソである。周りの100倍本を読んでいようが平気で偏差値30とか無に近い値がでる(現代文と地理Bは60程度あるから完全に無意味ではないのだが)知的好奇心だけでは学校の勉強は処理出来ず中高6年コツコツと積み重ねて来た奴には勝てないということが次々と証明されている、本当にこのまま続けていて学校の勉強に適合出来る日が来るのだろうか??なんかよく分からない野生の知識人に戻ってしまった方が楽ではないのか??
受験の世界においては私は限りなく無価値である(英語が出来ないからどこの大学にも受からない、そのうえ理転しよういう大いに無理をしている)、正直高卒だけどちゃんと本くらい読めるぜ!!って立場の方が精神衛生上ずっとよかった。
「いくつになっても夢を抱き続けていたい」「年をとっても夢を語りたい」という台詞をふと思い浮かべた。決して若いとは言えない年齢だが「事業としてこうしたことを実現させたいんだ」という人を見るにつけ、「この人はすごいなあ」と思うようになったのはいつからだろうか。
小さいころは学者になるのが夢だと文集に書いてあった。“よくわからない薬品で遊んでボカン!”といった非日常的な世界に憧れていたからだろうか、Dr.スランプアラレちゃんの則巻千兵衛やポケットモンスターのオーキド博士のように、小さいころに見ていたアニメの世界の中にいたコミカルで気さくな学者キャラクターが好きだったからだろうか。当時なぜそうなりたかったのかという答えについて、今や断片的な記憶しか持ち合わせていない。
また、その夢を追いかけることはできただろうか。いわゆる理系の学者に憧れていたが、高校では理科よりも歴史が得意だったという理由から文系を選択した。そんな理由で大学に入ったものの「文科系の学問ってあまり面白くないな」と思い、理転をした。(幸か不幸か、いわゆる文理融合と呼ばれる大学にいたので、退学とか仮面浪人という選択肢は取らずに済んだ。)選択肢はいくつかあったわけだけど、その中でも分野的にはコンピューターが得意だなと思って、情報系に転向した。夢や目的よりも、ネガティブな理由だったりスキルとしてこっちのほうが適正があるなといった理由で自分の進路を決めてきたので、夢は追いかけられていないのだろう。
というか、そもそも夢って何だろう。夢を実現することをゴールとするならば、それに向かって努力をするというレールができる。それを研鑽していけば、夢を追いかけるということになるんじゃないか。つまり夢を抱くということは、ゴールを設定するということになるのだろう。仮に夢が「宇宙飛行士になりたい」というものだったらそれに相応した勉強をして、研究成果を出すことが夢を抱き、夢を追いかけることになる。そんな単純な論理だと思う。
だけど今の自分にはそのゴールが何なのかがわからない。得意な分野・必要とされる分野で求められる事を遂行してここまで生きてきた。いわば、夢の抱き方、ゴールの設定の方法がわからないのだ。
たぶんそれなりに評価されて生きてきたんだと思う。だから夢みたいな確固とした目標がなくても、なんだかんだ生きていけたんだと思う。だけど、いま後ろを振り返ってみると、何も残っていないような気がした。ステージとしてどんどん高いところには立てていると思うんだけど、まっすぐというよりはクネクネした道を通ってきていて、正直この先どうなるかもはっきりとはわからない。
夢がなくても生きてはいける。だけど、夢を抱いていたらどんな生き方になっていたのだろうか。この目で反実仮想の世界が見れるなら、見てみたいものだ。
鹿児島県知事の発言から始まる一連の流れを眺めてて思うんだけど、中高では一般的にどんな科目を教わるんだろう?
私はずっと公立育ちだけど中高一貫だったからたまに認識のずれを感じる。
高校二年までに最終的に私文に行った人も全員数Ⅲまでやってたし、私(理系)も地理日本史世界史倫理政治経済全部やった。
まあ日本史は江戸時代まで、世界史は19世紀くらいまでで終わっちゃったんだけど。
(どっちかっていうと近現代史をやった方が良いと思うんだけどね)
私は(理系にもかかわらずw)数学物理苦手で国語英語社会が得意で得点源だったな。
一番好きな科目は倫理だった。
倫理だけ定期考査が150点満点で、100点分は普通のテスト、50点分は800字小論文。この小論文のお題がいつも面白くて好きだった。
物理化学は終わらなかったけど生物は高二までで範囲完了したから、高三のときの生物選択者はフィールドワークしたりマジックフルーツを食べる実験をしたりしてみんなの怒りを買っていた。
というか文理分けが遅かった。他校の友達は二年からで私は三年から。
国語の授業は高三でも文理一緒だった。正確に言うと文理一緒に4コマ+文系だけプラスで2コマ取れる、みたいな感じ。
理系で必要ないと思う人は自習可だった。でもなんだかんだ言ってみんな授業受けてたな。
私は二次試験で漢文までばっちり出たから普通にガリガリやってたけど。国語好きだし。
私は勉強って好きでいろんな科目教われるの楽しかったなーって思うから科目減らすのには反対だな。
今でも将来的な専攻に関わる科目と同じくらい哲学とか英文学の講義が楽しくてしょうがないし、
私と逆パターンで数学好きすぎて経済に行くつもりだったけど理転して数学やることにした人も知ってるし、
可能性は狭めない方が良いと思うんだよね。
僕は浪人生だ。幸いにして、僕の両親は予備校と生活に関するお金を出してくれる。
おかげで、僕は自宅浪人することなく、一地方都市に出て浪人生活を送ることができている。
先日テストがあった。いわゆる授業での理解度を問うテスト、高校でいえば定期テストみたいなものだ。
僕の結果は散々だった。特に数学。自己採点の半分も行かなかった。記述すべきポイントが抜けていたり、計算ミスをしていたり。
理科でも単純な記号で答えるべきを化学式で答えてすべて×をもらったし、僕は中途半端にしか勉強してこなかったのかもしれない。
振り返ってみれば、やはり僕の選択は中途半端だった。
数学ができないから、安易な選択をしたとはいえ、結局やりたいことは理系の学問だった。
そんなことを周囲には言っていたと思うし、僕自身そう思っていた。
結局僕は高校三年生のころ、理転することにした。とはいえ、今更コースを変えられない。僕は理科と数学を独学することになった。
その結果が今だ。
予備校の偉い人が説明会で言っていた。
「今の時代、大学は名前さえ気にしなければ誰でも入学できるのです。でも。受験生の意識はそうではない。うちでも多くは合格浪人、いわゆるどこかしらの大学には受かっているけど、そこを蹴って浪人する。という訳ですね」
国立2大学に蹴られ、私大を受けていなかった僕は、どこにも受からなかったただのゴミだったのだ。言い換えれば、僕はどこにも必要とされていなかった。
浪人当初は「俺を落としたクソ大学どもめ、覚えていろよ」という思いで勉強してきた。
1ヶ月が経ち、各大学が得点開示を始めた。例に漏れず、僕も受験した大学に得点開示を求めた。
あと数点だった。前期試験を受験した、挑戦圏の大学は全然合格まで程遠いという感じだったけれど、後期試験を受験した「確実に受かる」と言われていた大学は、あと数点、得点率に直せば、1パーセントに満たないところで落とされた。
確かに僕には、理系教科を独学するというハンデがあったと思う。浪人確定のとき、高校の先生はその点においてものすごく同情的だった。
とはいえ、僕はあと1パーセントを突き詰めることのできなかった、中途半端な人間だったのだ。
話は変わる。
僕には親友と呼べる大変仲のいい女性がいた。まあ、同じ年な訳だし、女子としてもいかもしれない。
傍からみれば、「お付き合いをしているの?」とよく言われた。僕としても、彼女としても恋愛感情は皆無だったはずだ。
いや、僕は「好き」だったのかもしれない。今になって思えば、明白は恋愛感情を持っていたのかもしれない。
確かに恋愛感情を抱いている時期があった。中学のときだ。3年、4年も前の話だ。
最近、そんな友人に彼氏ができたらしい。Lineでそんな話が飛んできた。彼氏との関係は「あと一歩」らしい。
そういう段になって、僕は混乱し始めた。もちろん親友だった訳だし、責めるつもりもない。
形だけでもよかったねと祝福しても、心に残るのは複雑な心境だけ。
僕はやはり中途半端だったのだ。結局親友という立場に甘んじて数年過ごしてきた自分が、中途半端な存在だったのだ。
僕はたぶん、今でも彼女が好きなのだろう。たぶん自分の深いところではそうなのだろう。
それでも親友だから、彼女はLineを飛ばしてくる。雑談的な内容でも飛ばしてくる。彼女の彼氏には申し訳ないと思いつつ、僕はどう対応すべきなのだろう。
僕が目指しているのは研究者、知識労働者だ。でもよくよく考えてみる。
僕は中途半端な人間だ。そんな人間に研究者は成り立つだろうか。ただ「やりたい」ではダメだし、一定の成果を求められる。
そんな人間に知識労働など勤まる訳がない。僕は予備校生という立場で生産性のないゴミであるのは明白だ。
そのことに気づいた僕は、どう生きてくべきなのだろう。