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2023-12-12

anond:20231212100921

弱者男性存在しない立場通りすがりです。

まだ信じていた当時、似たようなことを聞いたことがあるんだけど

「足を退けてほしいだけ」「差別しないでほしいだけ」「男女平等にしてほしいだけ」

のような訳の分からない理想論? ではぐらかされました。

2023-12-11

トランスジェンダー関連 自分の考えまとめ

最近トランスジェンダー関係ツイートをよく追っていた

トランスジェンダー(他いろいろの性的マイノリティ)の味方になりたいアライさんとGC側の果てしない論争が目を引いたからだ

毎回議論脱線していき、論破合戦になるばかりで肝心のトランスジェンダーは置いてきぼりの状況が悲劇的だ

なんとなく自分の考えがまとまってきたのでまとめておく

文献を引いてくる気はないし単語かいろいろ間違ってるんだろうけど当事者たちも全然その辺統一感が無いので気にしない

これは自分トランスジェンダー関連をこう思って過ごそうと思っているというまとめである

あの界隈は本当にややこしいのだが、性同一性障害と言われている疾患とトランスジェンダーがまず違うらしい

性同一性障害は数百万人に一人の頻度で発生し、幼少期から自分の体の性別に強い違和感をもって生きていく疾患である

その違和感改善するために適合手術という外科的手術があり、見た目を変え、違和感の根源である生殖器を取り去ることで苦痛を和らげようとする

この手術がめちゃくちゃ体の負担になるのは容易に想像できるし、外科手術だけでなくホルモン投与なども行わなければならない

そこまでしても実際に異性になれるわけではないのでもともと男として生まれた人は妊娠出産はできないし、女として生まれた人は精子を作れるわけではない

それでも手術をしてよかった、見た目が異性らしく見え、生殖器を取り去ることで、周りからも異性として扱われやすくなるし、自分自身がもともとの性別から変われたと思えて楽になった、という人はいると思う

どれくらいいるのかはわからない

もともとが数百万人に一人だし、そこから実際に手術する人は一部だろうし、そこから長きにわたって後悔せずに生きていける人はさらに一部だろう

手術なんてしなければよかった、しても意味がなかった、多少は意味があっても苦痛のほうが大きかった、という人も絶対にいるし、手術をした人の中でどちらのほうが多いのかはわからない

性同一性障害治療の一環としての外科手術はいまだに試行錯誤されている段階であって、決定的な治療ではない

五十年後に同じことをしているかというとしていないだろう

今できる精一杯としてこの不完全な処置をしているに過ぎないし、それが今できる最善なのかもわからない、それでもやる人はい

特例法はそうまでして体を変えた人が特例として戸籍を変えて生まれた時と違う性別で生きていくことを容認する法律だが成立して何年もたっているので現状とはずれてきている

現状のずれとは何か?

もともとこれは性同一性障害患者用の特例だったが、そうではない人々も戸籍の変更を強く求めるようになったこである

性同一性障害ではないのに戸籍の変更を求める人々、それはトランスジェンダーである(と私は理解している)

最初に述べたようにトランスジェンダー性同一性障害は違う

トランスジェンダーという概念性同一性障害を含んでいるが、もっと広義なものであるらしい

本来性同一性障害であれば幼少期から違和感があるはずだが、幼少期には特に違和感がなかった人が人生の途中から違和感を感じ始めることがままある

幼少期から違和感があった人のなかに性同一性障害ではない人もいる

ここが本当にややこしい

色々見てみても、言葉遊びみたいなのになっててわかろうとすればするほど難しかった

今の私の理解としては、性同一性障害ではないトランスジェンダーは、もともとの体の性別にかかわらず自分のことを異性だと思っている人のこと

女の体でも男だと思っているし、逆もまたしか

から外科手術をしたりホルモン投与をするしないに関わらず自分は男ではない(女ではない)と思っているし、必ずしもそれらの医学的補助を必要としない

そして、これは全員ではないかもしれないが自分だけではなく周囲から自分がこうだと思っている性別で扱われることを望んでいる

その一環として自分の望む性別戸籍を変えたいというのは、自然な流れである

性同一性障害だけではなくトランスジェンダーに対しても戸籍変更を認めるか否かが問われていて、おそらく流れとしては認めるべきであるという方向に進もうとしている

で、ここで議論になるのがトランスジェンダーという存在社会の中で存在感を増すということは必然的性別によってわけられていたことが意味をなくしていくということについてである

性別によってわけられていたことが意味をなくしていく話をする前に改めてトランスジェンダーについて話す

トランスジェンダーは幼少期からずっと違和感を抱えている性同一性障害とは異なる

疾患ではないとする動きもあるらしいが、それは非常に納得できる感覚で、トランスジェンダーとは疾患ではなくライフスタイルに近いと考えると私としては非常にすっきりする

ベジタリアンみたいな感覚と似ているなと思う

そういうライフスタイルで生きていくことにした人達

そういう風にしか生きていけないの人たちもいるのだからライフスタイルと一緒にするなと言われるのは間違いないが、トランスジェンダー定義自体がどんどん変わっていっているのでどうしようもない

ライフスタイルだと思うのはデトランスする人たちがそれなりにいるからということと高齢になってから突然トランスする人たちが一定いるからだ

自分の体の性別についての違和感が不可逆的なものなのかどうか、というのは大切なポイントだと思う

ここでベジタリアンのたとえを使うけど、ベジタリアンとして一生生きていくひとと、途中でやめる人、両方いる

もしベジタリアンとして生きていくと宣言して社会的にもベジタリアン認識され、以後一切肉も魚も食べられません、これはあなたが決めたことです、途中で気が変わったといっても無理です、と言われたら困る人は沢山いるだろうな

そしてその人が一生ベジタリアンとして生きるかどうかは寿命が来て死んでしまうまでわからない

いまトランスジェンダーが異性として生きていく、一生そのままだ、と思っていてもそうなるかどうかはわからない

実際高齢になってからトランスする人がいるのだから、いま三十代でそう思っていても六十代になると変わるかもしれない

トランスジェンダーというライフスタイルが定着すれば必然的性別というのは可逆的なものになる

いまそういう概念があるのかわからないが、不可逆的トランスジェンダーと可逆的トランスジェンダーがあるんじゃないのかなと思っている

実際どういう扱いなんだろうな

トランスジェンダーだと思っていたけれどそうではないみたいです、という人たちは確実にいるわけだが、アライさんはトランスジェンダーだった場合を考えてその人が最大限トランスジェンダーとしての生活を送れるように推奨していると思われる

不可逆的トランスジェンダーにとっては歓迎すべき対応だろうけど、可逆的トランスジェンダーは後悔する可能性が高い

GC側は可逆的である可能性を憂慮しているし、アライさんは不可逆である可能性を重く見ている

特に今は思春期の子供たちが話題になることが多いが、当然両方の子供たちがいるし、一方にとって良いことは一方にとっては悪い

唯一にして絶対の正解はない

正解はないのに正解だけを求めようとするとそこからこぼれていく人がいる

置いてきぼりにされる当事者たちの出来上がりだ

さて、そのような可逆的不可逆的が入り混じったトランスジェンダー社会のなかで存在を増していくとどうなるか

当然性別でわけられていた施設はどんどん意味をなくしていく

目の前の人が自分想像する性別とは異なるかもしれない

でも現時点で性別の差は物理的にも社会的にも大きくて、突然その概念をめちゃくちゃにするようなことをすれば社会的混乱は必然

段階的な対応が求められる

私としては性同一性障害をふくめてトランスジェンダーという存在がなくなることはないので、一緒にあるべき社会を考えていくことは絶対必要だと思っている

ベジタリアンという存在はなくならないので一緒に生きていく社会を考えるように

ベジタリアンメニュー、肉魚を食べるか食べないかの事前確認、いちいちそれに対して感想を述べたりしないし過剰反応もしないし拒絶もしない

そういう感じのイメージ

いまトランスジェンダー議論になりがちなのはまだ社会のほうが受け入れ態勢ができてないのに理想論優先で先走ってしまうことがままあるからだと思う

現実的な話ばかりしているアライさんが沢山いる

それに対してびっくりしてしま一般大衆をして理解が乏しい愚者みたいに扱っているのが非常に嘆かわしい

こういう人たちはトランスジェンダーサポートしたいのではなくて、概念で誰かを殴るために活動しているんだろうな

なぜならそんな風に一般大衆論破してもトランスジェンダー理解が深まるわけじゃなくてむしろ反発を呼ぶだけだから

ロビー活動としては下の下、愚の骨頂

たここでも置いてきぼりになる当事者たち

トランスジェンダーは、もともとの体の性別にかかわらず自分のことを異性だと思っている人であり、「トランス女性女性です」の言葉象徴するように常に周囲から自分がこうだと思っている性別で扱われることを望んでいるので、女性スペースがあるなら女性として使用したい、それが許されないことは非常に苦痛を感じるだろうことは想像できる

だが少なくとも現時点でその望みがあるとして十全に叶えることはできない

まだその段階にない

それが性別でわけられたスペース利用についての議論スタート地点

ではゴールはどこなのか?

これは人によって目指すものが異なるだろう

そもそも性別でわけたスペース自体なくしていまいたい人、自分の望む性別のスペースにスムーズに入れるようになりたい人、スペースの問題ではなく医学が進んで実際に身も心も異性のものに転換されることだけを望む人、ほかにもいろいろいるだろう

望むゴールが違えば話はどんどん食い違う

譲歩しているのだ、と双方が思っている

トランスジェンダー関連の話になると必ずトイレフロ問題が取りざたされるが、これについてはそれぞれの思う理想のゴールをきいてから始めたほうがいいのになと常々思っている

混浴を目指す人、身体的な区別を目指す人、ジェンダーでの区別を目指す人、それぞれ違う

いずれにしてもトランスジェンダーという存在を前提とした施設を考えていく必要はあるだろう

私自身の意見としては性別で分けられたスペースは維持されてほしいしそのうえで性別で分けないスペースの併設が望ましいと思っている

性別で分けないことを多くの人が望めば性別で分けられたスペースは縮小していくだろうが、そうでない場合一定数残していく

その数のバランスニーズによって考える必要があるがニーズが少なくともゼロにはしないという感覚があってほしい

それが多様性のある社会というものだろうから

以上、大体私が気になっていたことについての考えをまとめました

色々考えすぎてごちゃごちゃしていたのをまとめられてよかった

満足しました

2023-12-07

anond:20231207090302

結局の所理性で動くなんていうのは理想論であって、根底感情論なんだよ。

いっそどちらかが潰れるまで思い切りやりあうしかないんだよ

ネットリベラルには失望した。

何の話かと言えば、今回のトランスジェンダー否定書籍?の出版中止騒動である。あれを「表現不自由展」を歓迎していたネットリベラルがこぞって賞賛している点である


自分はどちらかと言えば保守寄りな人間であるネット右翼には辟易とするが、とはいえあんまりリベラルなのも好きではない。「表現の自由」と言ったって程度はあると思う。

線引きがあってもおかしくはない。


とはいえ、「表現の自由」を標榜することの重要性は理解しているし、それを掲げるリベラル的なスタンスは世の中には必要だと思う。「表現不自由点展」というのも、

好きな題材ではなかったが、「まあそういうスタンスがあってこそ、世の中全体でバランス取れるよね」とは思っていた。

原子力発電所だって稼働すべきだと思うが、「原発立地地域に寄りそおう」というスタンス理解できる。甘ったるい理想論だって、時には世の中に必要だ。


なので、今回、「表現の自由を標榜する側」であるリベラル層が、出版中止を拍手喝采して、なんなら必死擁護をしている様を見て、愕然として、失望してしまった。

おまえらの掲げていた「表現の自由」とはそんなに薄っぺらものだったのかと。



前述した通り、「表現の自由」だって限度はあると思っている。例えば、エログロの度合いが度を超えていて、明らかに全年齢に有害作品だったら取り締まるのは分かる。

黒か、限りない黒に近いグレーまではまあ取り締まられてもしょうがない。


でも、件の書籍はそこまで黒に近いグレーだったのだろうか。出版されていないし、原著を読むほど熱意もないが、伝え聞くところによれば、まあ確かに問題のある書籍っぽい。

だが、取材方法問題のある書籍や、ある程度偏った認識に基づいて書かれた書籍なんて、山のように転がっている。なんならちょいちょい山手線電車広告だって掲載されている。

技術的な観点から見れば、件の書籍よりもっと有害で、タチの悪いデマが書かれた書籍だってあるだろう。例えば、明らかにデマだとわかる医療系の話題を扱った書籍悪質性が高いと感じる。

がんの標準治療否定するなんて、人の生死にすら影響するし、残された者すら不幸にする。詐欺に近い形式新興宗教を勧める書籍だって、褒められたものではない。

私達は、直近、問題のある新興宗教が及ぼす社会的な悪影響について目の当たりにしたばかりである


そういった書籍ですら出版中止されないし、出版中止に向けた運動などが特に起きているわけではない。にも関わらず、今回の出版中止騒動である

客観的にみて社会的に悪影響の多い書籍差し置いて、「ネットリベラルの主張と相容れない書籍」が出版中止になり、あまつさえネットリベラルの方々がそれを賞賛したり、擁護しているのをみて、

正直うんざりしてしまった。あなた方の標榜した「表現の自由/不自由」とはそんなに薄っぺらものだったのかと。

自分の主張と相容れようが相容れまいが、表現の自由だけは金科玉条である」という話ではなかったのかと。



もちろんTwitter上を見ていれば、色々な擁護や釈明が書かれている。大筋でまとめると「世の中、どんどん悪影響の多い言説がはびこっている。だからこそこの辺で線を引かなければならないのだ」という主張だと理解した。わからないでもない。でも、その言説の前提には「自分は、世の中にとっての絶対的な良い/悪いを正しく判断できる」という驕りがあるように思う。


自分だって、少し前の段落で「やれこの話題は悪質だ」「ほれこれは悪影響だ」などと批評している。批評自体は悪いことだとは思わない。と同時に自分批評が「絶対的に正しい」とは思わない。

自分は、「世の中で絶対的に正しいのは数学くらいだ」と思っているが、その数学だって、前提を変えれば、それまで成立していた公理が成立しない空間規定することができる。

ましてや、社会的な言説なんてのは、その前提が各自価値観に根ざしているので、絶対的に正しいはずがない。ところ変われば品変わるし、「自分絶対的に正しく価値判断ができる」などとは絶対思えない。

からこそ、多様性やら表現の自由やら、自分以外の価値観を許容することが必要なんだろうな、と常々思っている。



その「表現の自由」というものを、今回、元々標榜していたはずのネットリベラル放棄してしまった、ように思う。

自分たちは正しく善悪判断できる、と信じているのだろう。しかしその態度は、とりもなおさず、元々彼らが大事にしていたはずの多様性や寛容を否定する態度だと、彼は気づいているんだろうか。

気づいているなら傲慢一貫性がないし、気づいていないならただただ浅慮だ



そういうわけで、ネットリベラルには失望した。もう彼らの言うことに耳を傾ける気力はなくなってしまった。

2023-11-17

anond:20231117085011

ルッキズムが無くなるわけないのに、ルッキズム否定してどうするの?

資本主義が無くなるわけじゃないのに金を捨てて生きていくようなもんだろ。

親のスネかじって理想論だけ垂れ流すとか、ゴミだな。

2023-11-15

高気密は必要ないけれど気密測定は必要

はてなー大好きな高気密・高断熱住宅の話

家を建てるためにいろいろ調べて各ハウスメーカー工務店・某専門家などの意見をまとめると

「高気密は必要無い」

「気密測定は必要

の2つがもっとも確からしい答えになる

高気密は必要無い

まず大前提として高気密が必要理由は冬の冷暖房コストを抑えたいのが理由になる

(夏の冷房費用は年間を通じて支配的な要素にならない)

温められた空気が外に逃げなければ暖房コストを抑えることができる、という理論

だがこれはあくま理想論現実はそうではない

そもそも住宅は換気が義務付けられているのと、人が出入りするドアの開け閉めでかなりの空気が入れ替わる

また住宅は綺麗な外部の空気を取り入れないとウイルス等のリスクが増える

暖房空気を直接暖める方式効率が悪いことが分かっていて家の躯体や壁などを温める方が効果が高い

床暖房セントラルヒーティング寒冷地では持て囃されていて空気の入れ替わりはそれほど重要ではない

一方で家そのものが熱を逃すことは避けたいので高断熱は非常に重要となる

ただし断熱性の大半は窓の大きさに依存するのでスペック上の数値を追い求めるのにはたいして意味が無い

断熱材の厚さのミリ数を競っても設計で窓を大きく取れば意味がなくなる

断熱材を増やすのであれば窓も高価かつ重いものにしなければならない

気密測定は必要

では気密性は無視して良いかというとそうではない

今時の住宅であればそれなりに気密性は確保されているので冷暖房費は大して変わらないが

そもそも住宅の作りとして気密性測定はした方が良い

人間が目で見たり機器で測定しても分からないような誤差は気密性には数値で出てくる

まりは家の精密さを測定するために気密性は測定した方が良い

ただしこれも工務店等の現場住宅を組み立てるような場合には特に必要だが

大手ハウスメーカーなどのプレファ住宅であれば必要性は薄い

工場出荷の段階で精度は保証されていて組み立てでそこが大きく損なわれることはない

あるとすれば施工不良だがそれは見れば分かるのでまともな業者なら問題にならない

(もちろん一部の大手ハウスメーカーのようにかなりマズイ施工をしているところはある)

そのためプレファブではないような住宅場合は気密性を測定して家の精度を測定することをオススメする

暖房エアコン+補助

おまけに効率の良い暖房だが、よく言われるようにもはやエアコン一択である

他の方式電気やガスなどを熱エネルギーに変換するが

エアコンは室外の熱を電気で取りだしているので非常に効率が良い

とはいえエアコンでは躯体や壁を温めるのに時間がかかるた

床暖房や輻射熱系の暖房を組み合わせて使うのが良い

エアコンが8に対して他が2ぐらいの割合で温めるとちょうど良いというのが経験である

2023-11-07

anond:20231107174350

結局世の中マッチョ思想勝敗が決まってるでしょ

たくさん練習する格闘家が、そうでない人より強いのはあたり前だけど、そいつに1日2時間2セット以上練習するなと縛り付ける権利は誰にもない

世の中がそういう仕組みなのだから、その思想に呑まれないと負けて後悔するのは他者ではなく自分1人だけ

勝ちたいのならたくさん練習するしかないし、未来を見据えた合理的選択肢をするしかない

理想論は結局自分の首を絞めるだけ

そこに気がつけない、というか目をそらしてるから弱者弱者であり続ける

anond:20231107080525

絶妙言葉が通じてないあたりも含めて、アホが図星つかれた時の対応ってそこそこパターン化されてるよな

現実を全く見てない理想論を延々と語ってきたりもするし、実家住み引きニートが誰にも相手されないから、ネット安全地帯から小石投げてるんやろ

2023-11-06

anond:20231104124548

とりあえずこういう真面目な議論をしようとする時にフェミニストを名乗るのは悪手だと思ってる。

昔の酷い男女差別がだいぶ是正されてきた今、フェミニストを名乗る意味は失われてしまったと思う。今の時代女性支援活動するとしたらピンポイントで各事例を細やかに扱うべきであり、全ての女性は虐げられています!なんてのはナンセンス。それでも敢えてフェミニストを名乗るのはその昔の酷い男女差別是正したという実績を利用したいだけの奴が悪目立ちしすぎで、もうフェミニストという名称はそういうアホどもに乗っ取られてしまった。だからご覧の通りまずフェミニストの話なんか誰が聞くかよ!と議論の場にすら立てない奴が大勢湧くので真面目に問題解決を図ろうとしてもお話にならない。

理想論としては冷静に対応しておこうな、というのは同意する。

anond:20231106084039

地方単位で語る場合だと悪い面も平然と言うのに、日本という括りになると突然理想論主体になるよな

その辺が客観性意見か、主観性意見かの違いか

2023-11-02

外野の論じる「理想論」も「現実論」も両方安っぽいだろ

外野の言う「殺し合いは良くない!戦争止めよう!」と、「襲われたら身を守るのが当然だ。だから戦わなければならない」は、向きが逆なだけで両方安っぽい言葉だ。

後者は安っぽくないと言いたい人も居るだろうが、後者には殆ど場合、ある言葉が省かれている。

まり「襲われたら身を守るのが当然だ。だから(自分以外の誰かが)戦わなければならない」ということだ。

どちらも、なんの覚悟責任感もなく発せられた言葉なんだ。安っぽいだろう?

2023-10-19

朝令暮改なあ、省庁が朝令暮改なんだからその下の役所朝令暮改になっても仕方ない気はするよね

事を荒立てず上の命令に忠実で気が利く人間が上に行くだけだもんな

とにかく霞が関の若手さん達はすり潰されず使い捨てられずに虎視眈々と上が全てすげ変わるまで貴方から見える社会俯瞰しつつ良い感じに内側から変えていってほしいけどもそれも理想論だとは思いつつ

応援しています

2023-10-17

なんで男性って戦争好きなんだろうね。

太平洋戦争後、日本の男女比が徴兵された特定世代だけ圧倒的女多数に偏ったように、戦争やると男ばかり集中的に死ぬのに。

女も戦争被害には遭っているけど(原爆も大空襲も男女の区別なく焼き殺した)、

どっちの性別が死にますかといったら、男のほうが死んでるのがもうデータであるのに。

それでも戦争はやめよう!とか言ってるのが女で、戦争は仕方ない!理想論くだらない!みたいなこと言ってるのがことごとく男なのが不思議

自分以外の男だけが死んで、自分は当然のように生き残って女多数の時代謳歌できるとでも思っているんだろうか。

2023-10-12

anond:20231012093810

ワイが子供の頃はモサドの書いた本を読んどったが、「理想論者は近寄るな」と書かれとったので世界平和の望みは薄いと思ってもうたわ

2023-10-10

ジャニーズ事務所はもう記者会見はすべきではない

ジャニーズ事務所はもう一度記者会見をやるべきという声が高まっているが、個人的にはやるべきではないと思う。


まず、記者会見という場を開くと、事務所側としては、そうした場をできるだけ無事に運営するということに関心が向かうことになる。というか、関心を持つなという方が無理であろう。そうすると次に、記者会見という場をコントロールしようとする事務所側に対して、それを理不尽だとしてぶち壊そうとする一部の記者が出てくることは避けられない。結果として記者会見必然的に荒れる。


日本記者会見に比べてアメリカでは更問いも普通に認められていてまともだ、という人がいるが、現実不可能理想論である日本では政治家企業経営者も、そして記者の側にも、そうしたガチ記者会見文化ほとんどない。これまで二度の記者会見でも、一方的に問い詰めるだけだったり、長々と演説をはじめたり、自分の思いを突然語り始めたり、といった素人目にも質の悪い人たちが目立ち、日本ジャーナリストレベルの低さを露呈した。そもそも日本ジャーナリストの大多数は、これまで忖度して性加害に関する報道を抑圧してきた側であり、急にまともなジャーナリスト精神が発揮できるようになるわけがない。


そもそも日本メディアには公共性の高い情報でも懸命に自社のスクープにしようとする悪しき文化がある。アメリカでは大統領がある記者質問に答えないと、次に指名された記者が「まずはさっきの質問に答えて」と促すという。しか日本新聞記者がこれをやったら「なぜ競合他社に助け舟を出した!」と、上司にこっぴどく怒られるに違いない。日本アメリカのような記者会見可能だというのは幻想だろう。



いずれにしても、記者会見をもう一度という前に、メディアジャーナリストはきちんと取材勉強をしてほしい。特にメディア記者会見を開けというなら、ジャニ担やジャニーズ番組プロデューサーを表に出して、自分たちが記者会見をすべきだろう。

2023-10-06

30代後半くらいから出来ることしか自然と求められなくなるんだな

あの業務は任せられるけどこの業務は任せられないって感じで。

上司や他部署から質問窓口になる顔の広い人

後輩に人気があり若手育成係になる人

客先に出しちゃまずいのでお味噌の内部業務する人

自分仕事以外はしないって社内フリーランスみたいになって誰も関わらなくなる人

みんな違くてみんないい。足りないところをおぎなえあえばそれでいいってのが理想論だけど

業務知識に期待できない

コミュ力に期待できない

人望に期待できない

協調性に期待できない

ってそれぞれのポイントで諦められているだけだなと周り見てると分かる

2023-09-25

鬼滅の刃風味のフェミニズム漫画が欲しい

鬼滅の刃みたいな感じで男をこの世から駆逐する

女性たちの戦いを描いたフェミニズム漫画があれば絶対人気出ると思うんだけど

主人公女性)は男からの性加害に遭う→救いを求めるものの、被害女性の救済よりも男たちの体裁を保つことを優先するノットオールメンが蔓延る男社会絶望する→義勇ポジメインヒロインがこの世の諸悪の根源は男であり、男をこの世から駆逐しないことには女性たちは不幸であり続けると正論をぶつける→そんなのただの理想論だ、この世は男共が支配していてこれまで声を上げた女性はみんな殺されてきたと諦めきっている主人公→何やかんやあって男児生産罪が可決され涙する女性たち、こうして女性たちは初めて自分のための人生を歩み始めるのだったというハッピーエンド漫画、誰か描いてほしい

2023-09-24

叶わない夢

喪失とは、価値観アップデートだ。

ポジティブに捉えるならそうなると思う。

僕は人よりも物事を悲観的に捉えやすタイプだと思う。

人よりも答えを出すのに時間がかかるタイプだし、自分認識に対して懐疑的人間だ。いや、そうなってしまったと言った方が正しい。

僕にとって会社を大きくするということは、自己認識の誤りに気づいていくプロセスのように感じる。なぜならば組織は、会社は、社会との利害調整をどのように行ったかによって利潤の最大化が期待される。社会に求められる利害調整の最大公約数システムとして包括的に捉えたときに、会社は拡大する。大抵の場合自己認識が間違っていたことを認めることによって拡大の兆しを捉える。

他方で、自己認識の誤りに気づくということと、創業した会社をどうしたかったのかという点、理想を追求するという点で矛盾が起こる。この矛盾こそが、意思決定の歪みをもたらし、悩み、苦しみ、間違った判断を招いている。

まり、出発点が間違っていた場合継続意思をどのように保つのかという究極的な問いに戻りかねないのだ。

左派資本主義に向いてない」僕はそう思う。

学生時代から自分比較的左寄りの人間だったと思う。しかも、その左寄りの発想が稼ぎを生み出すという点で相応しくないかもしれないということもまた、おそらく大学生のうちからうっすらと気づいていたことなのかもしれない。

自身の持つ価値観のものが、欲望との接合点になかった場合、もれなく葛藤に堕ちる。社会適応することの難度が高くなっていることを実感する。

だけど自分は、今思えばその手の悩みを「生きるためには仕方ねえ部分もあるだろ。じゃあお前はもう一生社会構成員にはなれねえだろ」と一蹴できるタイプ人間でもあると思う。この社会のものが悪意駆動ということに対して、しかたないで済ませられる程度には理解があると思う。でもそれは、なぜそう思えるかでいったら、「たまたま自分能力的に言えば比較的上位レイヤーとして生まれ育つことができた」と自覚しているからだと思う。客観的に言えば自分は怖れられるタイプ人間だし、マッチョなことを言うタイプだと思う。そんな自分が「思想でいったら労働党寄りだし、保守層って感じでもない。」って言ったら驚かれるかもしれない。

これは自意識問題なのだ。なぜそのような自意識ねじれが起きてしまうかで言えば、理由一言で表される。つまり

成熟した社会では、どんな能力を持つ若者ですら相対的弱者であるから

その構造認識している。少なくともそう思う。

その中でも、「究極的な競争に身を置く」ことを決断したということでもある。これは正直普通決断じゃない。よっぽど深刻な悪意を孕んでいるか、よっぽど誠実かつ相当自分能力を過信していないとできないことだと思う。おそらく自分後者だった。

高い能力から繰り出される成熟社会における付加価値へのこだわりは、組織拡大に悪影響を及ぼす。自己認識社会認識のズレが引き起こす諸問題従業員困惑させる。

会社拡大は大まかにいって採用事業つのマーケットから価値を認められることが重要だ。正直うちらのようなサイズ会社採用マーケットで選ばれることの難度は鬼高い。

労働集約ビジネス個人能力依拠して成立するとするならば、その個人能力付加価値要素になると認められない限りは品質の維持ができないことを意味してしまうが、そもそもそのようなフィールド品質競争優位をもたらすことを兼ねてより企画してはいけないのだ。当然創業メンバーは気が狂っているので、その手のマーケットトップブトップの品質を出すことくらいできなければとても起業なんて博打を打ってでないだろう。だけど現実的採用できる人員構成のことを鼻っから検討もしていないことも同時にある。

自分場合は「未経験でも自分の想定している通りの経験を踏めば誰でもできるようになるだろう」って信じていたし、そのことが自分を常に悩ませてきたと思っている。

育成に取り組むことも組織拡大において一番最初に捉えてしまうかもしれないが、経験的に言って、それがもっと最後に取り組むべき課題であると言わざるを得ない。

なぜ銀行人件費に対して支出することを許容しないのかのその意味をずっと考え続けていたが、彼らはやはり確率的にそのような支出が取り返しのつかないことになる可能性を誰よりもよく理解している。

高い品質を維持することの難しさと、顧客定着の難しさを同時に学習する。理想論で言えば顧客定着のその割合が高ければ高い方がいいに決まっている。でもなぜ現実的にそうなっていないのかをもっと深刻に考えるべきだ。「自分であればその課題を克服できるのではないか」という安易な驕りが、成長を妨げる可能性を考慮していない浅はかさをまず呪うべきである

はっきり言おう。自分がつくりたかったのは自分平穏だっただろう。

そのために、自分と同じ夢を見てくれる人ができる限り多くいてほしいと願った。

それは、今もこれからも望むべきではない。

2023-09-21

anond:20230921154439

天井期待値ってのがある。通路行き来して設定判断するってのもある。

要はハイエナだね。問題理想論であって長期間実行できる奴がいないってこと

書いてて思ったけどパチも天井機能付きが出たかハイエナは狙えるわ

パチ信者ではないけど期待値追えるギャンブルってパチかカウンティングポーカーぐらいかなって思いましたとさ

2023-09-20

anond:20230920125225

理想論では範馬勇次郎並みの武力があれば政治でもなんでも自分の思い通りにできるとは思うよ

政治武力権力、影響力など様々な概念の力の総合で優劣が決まるだけやな

2023-09-13

anond:20230913145146

現実的じゃない理想論は、雑(=不正確な部分を含んでいておおざっぱ)ではない

その認識はない感じ?それ理想論じゃなくてただの不正確で雑な虚言ですね

2023-09-03

社会学現実を救わない

俺はネットで見かける「馬鹿なお前らに俺が教えてやる」みたいな態度をとる奴が嫌いだ。

そのジャンルが「社会」だと余計に腹が立つ。

まり他人よりも社会理解しているからそれを無知蒙昧な輩に教えてやらねば、みたいな態度をとる奴だ。それだけではなく、社会についての知識マウントだけ取って人に教える気もない奴も腹立つな、考えてみたら。

そしてそういう態度を取る人間は大体が左翼思想ぽいんだな、これが。

その理由が分かるんでちょいと解説していく。上で述べたような態度を取る奴を分かりやす社会学徒もどきと呼ぼう。いちいち書いてると長い概念から

まず、社会学徒もどき他人よりも社会理解している気になっているのはおそらく根拠のない話ではないだろう。実際に彼らは社会学を勉強しているはずだ。その上で彼らはまだ実現されていない理想社会を自らの是とした。

この、まだ実現されていない理想社会を掲げる時点で彼らは左翼である。これに意を唱える社会学徒もどきは流石に不勉強だと思う。

で、理想社会を実現するために、彼らがする行動が自分理想を広めることである

から、彼らは社会学徒もどきな態度に出る。

考えてみればなんの不思議もなく、彼らは彼らの理想を実現するために具体的な活動をしているだけだ。

ただ、俺は思う。社会学徒もどき達は自らが学んでいる社会学というものが、他のどんな学問よりも虚学であることを理解していないのでは?と。

社会構成するのは自身をも含むすべての人間だ。それをマクロ視点でまとめ上げて学問とする時点で、一人一人の人間という実から離れて単なる理想を追求する虚学となる。社会学徒自身もかつては誇りを持って自らを虚学だと自認していたはずだ。

なのに、社会学徒もどきはそれを理解してないんじゃないかね。

自らが学んだ社会学が現実を救うと思ってる。だから理想社会を実現したいし、そのために理想を広める活動をする。

でも、そんなことはないんだよ。

社会学には思想の血は流れていても、人間生活の血は流れていないんだ。

社会学というのは、例えばガソリン代が値上げされて困るとか車通りの多い道に信号がなくて困るとか、そういう人間生活を救わない。

社会学徒もどきはそういうのは社会とは言わないと言うかもしれん。でも、社会学徒もどき無知蒙昧な輩だと思ってる人たちは、たぶん自らの生活社会が地続きだと思ってる。というか俺がそう思ってる。

社会学は虚学だけれど、社会のものはどうしようもないくら現実なんだよ。

から社会学には現実は救えないし、人々も理想論が現実を救わないことくらい分かってる。

分かってないのは当の社会学徒もどきだけだ。

から、俺は社会学徒もどきが嫌いだ。

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