はてなキーワード: 現状分析とは
マイルドヤンキー論なんかを読んでみては
https://www.tkc.jp/cc/senkei/201411_interview/
経済停滞が背景としてあると思います。非正規雇用の割合が高くなっているし、なかなか将来の夢を持ちにくい状況になっている。景気がよかったときは、みんな「今日よりも明日がいい」と信じていました。だからヤンキーも上昇志向を持ちやすかった。ところが、この20年間で生まれ育った今の若者には、そうした幻想を抱くことさえできない。別に東京に行ったところでおいしい思いはできないだろうし、だったら「地元でまったりと居心地よく暮らしていた方がいい」と考える
(中略)
もうひとつ、携帯電話やソーシャルメディアの普及によって、地元の友だちと密接な人間関係が築けるようになったことも理由として挙げられる
だそうな。冷静に自己分析と現状分析ができているから、といえるかもしれない。
実際、統計を見ていると、上京したからと行って生活水準が上がったり、良い生活をできている化というとそうではなく、格差と社会の階層化がより強くなっている事が見て取れる。
それから中高年やら老人にとってみると「人口減少だ!」「空き家だ空き地だ!」って大問題なんだが、
若い人から見ると、上にいる老人はほっとけば退場していくし、家賃や土地代はどんどんタダみたいになっていくし、若い人が少ないから競争率低いしで、地方の方が使えるリソースが多いから純粋に暮らしやすいんだよね。
よくある話でコード書けなくて紙芝居しかできないくせに高い給料もらって…っていうのがあるけど、
SI業界のベンダーだと、コード書ける人でなおかつクライアントとの折衝(あなたはこれがやりたいと言うが技術的にこうだからこっちの方が合理的だという交渉)とか、進捗管理、工程管理がまともにできる人がほぼいないと思っている。
まあいるにはいるが各ベンダーで本当に卓越したエースだけができて他はダメダメという印象。
ユーザとの会話とか進捗、工程の話って技術文書そのまま出すのでは足りない場面が多々あって紙芝居必要じゃないか?
紙芝居(とその前提となる知識や現状分析)とかファシリテーションとかそれなりに技術体系があって、それができる人が非常に少ないから高い単価がついてると思ってるんだが…
多分はてなにいるコンサル嫌いな人たちってベンダーの人だと思うんだけど、コンサルなしで遂行可能なプロジェクトばかりor無能なコンサルばかりだから叩いてるんだろうか。教えてほしい
※上記はベンダーと関わりのあるコンサルの仕事っていう観点で出したけど、戦略とか企画とかベンダーがいない段階の仕事ももちろんある。ここではベンダーの人から見たコンサルのイメージを知りたいのでそれらは無視してほしい
※あと、俺個人は前職が不夜城でコード書きまくる会社だったからコード書けるけど、コード書けない同僚も多いしコード書けるかどうかはコンサルの能力に決定的な影響はないと思ってる
追記:
プロジェクト上の役割の要否や現実の振る舞いについて聞きたかったんだけど個人の性格に関する話が多いな…それって仕事で関わった人の話?それともプライベートの知り合い?
という説を支持するコメントに見える。。。
フィジビリティを考慮せずに客の言うことをはいはい聞いて最終的にベンダーに尻拭いさせるのがいかんという指摘だね。納得がいく原因だ。ありがとう。
未熟なコンサルだとよくある話だし、それなりのベテランでもうまく客とベンダーの折り合いをつけられずベンダーが見積もりを何回も繰り返して工数を無駄にするケースも多いね。
国民の皆様の暮らしや生活の「閉塞感」は何ら改善していない、むしろ、将来に向けて、新たな光が見えない、というのが実感ではないでしょうか。
私は、この背景に、「日本は将来何で稼ぎ、何で雇用していくのか」が見えていない、ということがあるように思います。
これまで、「日本は高度なものづくりでやっていけるんだ」「いやいや、ものづくりは古い。金融とITで食べていくんだ」
「これからは内需だ」「いやいや、これからは、成長するアジア市場に出て行くんだ」
「それじゃ、企業はみんな海外にいってしまうんじゃないか」と、様々な議論がでています。
これに併せて、根拠のない日本礼賛論、何も生み出さない悲観論、実態から乖離した観念論が飛びかっています。
どれも、真実の一面をとらえているのでしょうが、日本の産業の将来像を示しているとは言えません。
全体として、日本の産業の将来像を示し、それに向かって行動を起こさない限り、国民の皆様の閉塞感は払拭できないと思います。
そこで、今回の「産業構造ビジョン2010」では、徹底して、日本の産業の課題と、世界の動きを分析しました。
そこで明らかになったのは、世界の企業や市場の新たな動きに取り残された、日本の官民の「行き詰まり」の現状です。
この行き詰まりを打開するためには、現状分析に立脚して、政府、民間を通じて、発想の転換を行う必要があります。
徹底した現状分析から、混乱した議論に対して、いくつかの「神話と真実」が見いだせます。
例えば、日本は過剰貯蓄だから消費の比率を拡大しないといけない、という議論を良く耳にします。
しかし、最近では、日本の家計の貯蓄率は、既に米国を下回り、先進国の最低水準となっています。
所得を増やさないで、消費を拡大するのは持続可能ではありません。
しかしながら、賃金の水準を見ると、2000年代の戦後最長の景気拡大期においても、賃金の上昇は見られません。
企業がもうけすぎているから、企業に負担させて消費者に再分配すべきだ、という議論があります。
しかし、国際的に見ると、労働分配率は先進国で最高水準だというデータもあります。
いずれの事実も、「単なる再分配ではなく、全体のパイを増やし、それを所得の拡大につなげていく、という好循環を作り出さなければならない」ということを示しています。
近年、日本の産業は、付加価値拡大の多くを、自動車等の特定のグローバル製造業に依存してきたのは事実です。
しかしながら、実は日本の輸出比率は国際的には低い水準にあります。これは、特定の企業以外の多くの企業は、世界の成長市場と直接つながっていないことを示しています。
グローバル製造業に極度に成長を依存している日本とドイツは、労働生産性が大きく改善しても、賃金水準はこの20年間殆ど向上していません。
これは、特定のグローバル製造業に依存した成長モデルは、新興国との賃金競争に直面して、なかなか賃金があがらないことを示唆しています。
日本全体の付加価値をあげていくためには、特定のグローバル製造業以外の産業が、成長市場につながっていく必要があります。
日本の企業については、「日本のハイテク技術は世界一。だから日本企業は強い」という議論があります。
しかし、液晶でも、DVDでも、日本企業が世界を席巻していたのは最初の数年だけで、世界市場が急拡大するとともに、日本企業の世界シェアは急激に低下していっています。
企業の利益率で見ても、多くの業種で、日本の企業は、同業種の世界の企業と比べて、半分以下の利益率になっています。
こうした事実は、特定企業や、特定製品の問題というよりもむしろ、日本の産業に共通したビジネスモデルが、世界から取り残されていることを示唆しています。
グローバル化については、見方が分かれています。「グローバル化は国内雇用の空洞化を招く」という議論があります。「だから、外需ではなく内需依存に転換するべきだ」という議論もあります。
確かに、保育園の待機児童問題など、国民の需要に供給サイドが追いついていない、潜在的な内需拡大分野は、たくさんあります。
しかしながら、市場全体で見ると、市場拡大は、少子高齢化が進む我が国や他の先進国から、新興国に移行するのは明白です。
日本が衰退しないためには、むしろグローバル化を積極的に進めるしかありません。
しかし、国内立地の国際競争力の低下をそのまま放置してグローバル化だけ進めれば、国内から雇用も付加価値も失われてしまいます。
最近のアンケート調査によると、この数年で、アジアの中での日本に立地する魅力、すなわち立地競争力は、急激に低下しています。
実際に、日本企業も外国企業も、日本国内の拠点を他のアジア諸国に移転する例が、次々と出始めています。
この、いわゆる「空洞化」を回避するためには、グローバル化を止めるのではなく、税制も、空港・港湾等の社会基盤も、国際的に魅力あるものにすることにより、付加価値や雇用を生む拠点を国内に引きつけていかなければなりません。
人材も、グローバル市場で戦える即戦力の高度人材を一人でも多く育成し、あるいは呼び込まなくてはなりません。
さらに、グローバル化を進める一環として、日本で付加価値や良質な雇用を生んでくれる外国企業は、積極的に呼び込んでいかなくてはならないのです。
「企業を補助するのか、労働者を支援するのか」「外国企業を支援していいのか」という国内の内向きの配分論ではないのです。
グローバル化に直面して、各国政府は、国内で付加価値と良質な雇用を獲得するために、熾烈な競争を行っているのです。
日本だけが内向きの議論に終始していては、衰退するしかないのです。
厳しい現実を直視した上で、なお、日本の産業には新たなチャンスがあることを忘れてはなりません。
環境・エネルギー制約や少子高齢化は、日本が世界各国に比べて極めて厳しい挑戦を強いられる社会課題です。
しかし、日本の技術を活かして、世界に先駆けて課題解決のビジネスモデルを示せれば、むしろ新たな国際競争力の源泉になります。
こうした数々の「転換」を実現するためには、政府はもちろんのこと、企業、産業、そこで働く方々、各々が変革に向けた行動を起こさなくてはなりません。
そして、官と民の関係も、世界の動きや、社会課題解決の要請を踏まえて、新たな関係を構築していく必要があります。
「産業構造ビジョン2010」は、その具体的な処方箋を示したものです。
雇用を生み出すのは企業であり、産業です。雇用の質を高めるには、企業、産業の競争力を高めることが必要です。
その先に質の高い雇用、賃金の上昇、消費の拡大という好循環が見えてきます。単に企業の利益を上げさせるために、ビジョンを提示し、政策を打つのではありません。
その先にある、「国民の皆様一人一人が豊かさを実感する」という目的に向かって、閉塞感に満ちている現状と課題をしっかりと受け止め、官と民双方の、今後のあるべき姿と処方箋を、我が国全体で共有することが必要です。
Changelogを入れたら末尾が切れてしまった…Changelogはリプにします。https://anond.hatelabo.jp/20220308162009
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https://twitter.com/igorsushko/status/1500301348780199937
最初はTwitterに流しましたが(https://twitter.com/Vorspiel2/status/1500677825044819971)、誤訳を修正し、追加情報を入れて清書しました。
なお、この文書の真正性について、まずこちらの評価をご参照ください。(イギリスの情報サイトBellingcatの幹部Christo Grozev氏による)
https://twitter.com/christogrozev/status/1500196510054637569
以下はその翻訳です。
昨晩[日本時間3/5早朝]、FSBの内部告発文書と称するものが公開された。そこには、ロシア軍のウクライナでの失敗と、今後数週間~数ヶ月におけるロシアの惨状の予測が記されていた。これが本物かは分からない—ウクライナは以前に、心理戦の一環として偽のFSB文書をリークしたことがある。
だがこれはそれとは違うようだ: 情報源は信頼できるもので(gulagu.netの創始者)、偽造にしては遥かに長い文書だ(長くなるほどボロが出やすくなる)。
私はこの文書を、知己のFSB職員2人(現職または前職)に見せた。2人とも、これは間違いなく同僚が書いたものだと判断した。彼等は結論のすべてには同意しなかったが、それはさておき。
文書はこちら。一読の価値がある: https://www.facebook.com/vladimir.osechkin/posts/4811633942268327
内部告発というのが仮に真であったとしても、内容に虚偽が含まれている可能性にご注意ください。
更に、私はロシア語は分からないので、露→英訳時に意図的か否かを問わず誤情報が紛れ込んでいる場合にはそのままになります。この点について、ロシア語が理解できる方はチェックをお願いします。
以下本文です。
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[冒頭は英訳者Igor Sushko氏のコメント。氏はウクライナ出身・アメリカ育ちのレーシングドライバー]
以下は、現職のFSB分析官による、ロシアの現状分析を英訳したものである。長いスレッドになるので心して読んでいただきたい。シェア歓迎。全文で2000語以上になる。カーテンの裏で起きていることに対する高度な洞察であり、幅広い題材を含む。
文意を明確にするための補足を、必要に応じて括弧書きで加えている。[日本語訳時に、追加の補足を角括弧書きで入れている。] では始めよう:
最近はろくに眠れていない。ほぼ24時間勤務で、頭に靄が掛かったような状態だ。過労なのだろうが、まるでシュールな世界の住人になったような気分だ。
パンドラの箱は開いた—本当の世界規模の惨劇は今夏までに始まるだろう—全世界の飢餓は避けられない。ロシアとウクライナは小麦の主要産地なのだから。(コメント: 世界規模の飢餓が起きるという予測には同意しない。)
我が国の指導者層に本作戦(ウクライナ侵攻)を決断させたのが何かは分からないが、彼等は揃って我々(FSB)の責任だとしている。我々の分析は非難され、もっと沢山報告を出すよう、最近はますます圧力を掛けられている。
こういう政治コンサルタント、政治家、権力者ども全員が混乱の元凶だ。何より重要なのは、誰もこんな戦争が起きるとは知らなかったということだ—開戦は誰に対しても秘匿されていた。
一例を挙げる— ロシアに対する隕石攻撃(コメント: 西側諸国による制裁を指すと思われる)[これは露→英訳時のミスと思われる。詳細はhttps://anond.hatelabo.jp/20220322231355を参照]があった場合の結果と影響の分析依頼があったとしよう—
そこで攻撃のモードを分析するが、一方これはあくまで仮説であって細部を強調するな、とのお達しがくる。なるほどこのレポートはどこぞの官僚がチェックリストとして使うもので、分析結果はロシアにとってポジティブなものでなくてはならない、
そうでなければ「仕事ができていない」と詰問されるんだな、と理解する。したがって、我々にはどんな攻撃にも対抗手段が揃っている、という結論を出さざるをえない。もう完全にやりすぎだ。
ところが、蓋を開けてみればこれが仮説ではなく現実に起こっており、こんな仮説に基づいた分析など全くのゴミ屑になってしまった。制裁に対抗できていないのはこのためだ。こんな戦争が起きることは誰も知らず、従って制裁への対抗策も準備していなかったのだから。
これは秘密主義と裏表だ—誰もが知らされていないのなら、準備のしようがあるだろうか?
カディロフは激おこだ。ウクライナが「FSBからキーウのチェチェン部隊の情報をもらった」と吹聴したことで、我々(FSB)と連中は一触即発になりかけた。
カディロフの部隊は戦闘に入る機会すらなく壊滅し霧消した。FSBからウクライナへのリークがあったという情報を私は持っていないので、推測するにその可能性は1-2%だろう—とはいえ、可能性を完全に排除できるものではない。
我々の電撃戦は完全に失敗した。そもそもが完遂できないタスクだ: ゼレンスキーと部下を開戦3日で確保し、主要な建物をすべて占拠し、城下の盟を誓わせたとしたら、
ウクライナの抵抗は最小限に抑えられただろう。理屈上は。だがそれがどうした? こんな「理想的な」展開であってさえ、解決不能な問題が残っている: 我々は誰と交渉する気だ?
ゼレンスキーは排除するとして、よろしい、では合意に署名するのは誰だ? ゼレンスキーが署名するなら、彼の排除後は合意は役立たずだ。ОПЗЖ(ウクライナの親露派野党)は協力を拒否している。
臆病者のメドヴェドシュク[実業家。プーチンの友人]は逃亡。指導者は他にもいるが—ボイコ[野党党首]は拒否、彼の支持者も理解しないだろう。ツァリョーフ[DPR・LPR議会議長]を呼び戻そうにも、ロシア国内ですら不評。ヤヌコーヴィチ[前大統領]を戻す? どうやって?
占領は不可能、ということになれば、我等の撤退後、[ウクライナ]新政府は10分ももたずに倒されるだろう。
占領するにしても、必要な人員がどこにいるというのか? 司令部、軍警察、防諜、諜報—ウクライナ人の抵抗を抑え込んだとしても、50万人は要る。これに更に補給と兵站が加わる。
こんなのは決まりきったことだ—質の悪いリーダーシップを量で補おうとするなら、何もかも分が悪くなる。繰り返すが、これは「理想的なシナリオ」での話だ。現実はそうではない。
それでどうなっているのか? 総動員を掛けることはできない。理由は2つ:
1)総動員を掛けたらロシアの国内問題で自壊する: 政治でも経済でも社会でも。
2)我々の兵站は今日ですら伸びきっている。これだけ巨大な分遣隊をウクライナに送り込めたとして、何が得られる? ウクライナ—広大な国土を持ち、我々に向けられる敵意は半端ない国において。
我々の道路はこんな大部隊の補給に耐えうるようできていないから、何もかもがストップするだろう。現在の混乱状況を鑑みれば、指導者層がどうにかできるものでもない。
この2つの理由が同時に存在している。どちらか一方でも、失敗には十分だというのに。
ロシア軍の損失について: 実数は分からない—誰にも。開戦から2日間は何がしかの情報が入ってきたが、今となってはウクライナで何が起きているのか誰も把握していない。主要師団との連絡は途絶えている。(!!)
通信は回復するかもしれないし、攻撃を受けて散開しているかもしれない。司令官ですら戦死者数・負傷者数・捕虜数を把握できていない。戦死者の合計数は千人単位だろう。1万人か、5千人か、2千人ですんでいるか。
こんなことすら、司令部の誰も知らない。もしかしたらロシア兵の戦死者は1万人近くかもしれない。しかもここにはDNRとLNRの戦死者は含んでいない。
ゼレンスキーを殺害ないし捕縛したとしても、状況は変わらない。我々に向けられる敵意はチェチェンのそれ並だ。今となっては、ウクライナの親露派ですら公然と我々に反抗している。
それもこれも、(ロシアの)トップがすべて決めたから。こんなシナリオ(ウクライナ侵攻)など、先制攻撃を受けない限り起こらないと聞かされてきたから。
我々が脅威を高めていくのは、戦闘によらず交渉で結果を出すために必要と聞かされていたから。ウクライナ国内でのゼレンスキー批判の準備も、ウクライナ侵攻など考慮にも入れていなかったから。
今日、ウクライナ市民の死者数は幾何的に増加しており、抵抗は強くなる一方である。歩兵部隊は都市侵入を試みているが—落下傘部隊20隊のうち、わずか1隊が「暫定的に」成功を納めたのみ。
モスル侵攻を思い出してほしい。まるで同じだ—どの国でも起こることで、何も新しいことなどない。ここ数十年のヨーロッパでは—セルビアが一番良い例だろう—都市を包囲しても数年は持ち堪えられる。ヨーロッパからウクライナへの人道的支援が始まるのも時間の問題だ。
我々のひとまずの期限は6月だ。というのは、6月になったらロシアには経済というものが無くなるからだ—何にも残らない。
大局的には、来週には(ロシアで)(戦争賛成派対反対派の)両者の一方が崩れるだろう。こんな(ロシア国内の)緊張状態は長続きできない、というだけのことだ。
分析のしようもなく、混乱状態で予測の立てようもなく、何が起きるか確度を持って言える人間など(ロシアには)誰もいない。
直感に従って、しかも強い感情に動かされて行動するなどというのは最早ポーカーではない。だが賭け金は釣り上がってしまい、どれかしらの手段はうまく行くだろうという望みに掛けるしかない。悲しいけれど、人間は往々にして計算違いを起こすし、そうなればすべてを失うことになる。
見渡してみれば、ロシアにはアウト[ポーカーにおいて「これを引けば勝てる」というカード。「勝ちの目」]が無い。勝ち筋などなく、どうやっても負けるしかない—ということだ。(ここで一旦中断。小休止後に再開する)
(ここから後半。こちらはもっと興味深く、ラストには喜ばしい方向で驚くべきことが記されている)
我々は前世紀の失敗を100%なぞっている。「弱っちい」日本を蹴散らして瞬く間に勝利するつもりが、実は我々の軍はずたぼろだった。[日露戦争]
その後、また勝ちを目指して戦争[第一次世界大戦]をおっ始め、軍隊再教育のためにボリシェヴィキの徴兵を始めた。当時よく知られていなかったボリシェヴィキは戦争反対のスローガンを掲げ、ああいった行動に出た…
プラスの面も見よう: 懲罰部隊を前線に送り込むなんてことは考えもしないよう、我々は手段を尽くした。政治犯や社会不適合者を徴兵したら、前線の士気は下がるだけだ。
敵軍(ウクライナ)の戦意は高い。恐ろしく高まっている。戦い方をよく知っているし、有能な指揮官も多数居る。武器も補給もある。世界的な人道破局の舞台を整えているようなものだ。
我々が最も恐れていることは: 首脳が古くからの問題を新しい問題で糊塗しようとしていることだ。ドンバスで2014年に起きたことの大きな理由がこれだ—我々は西側諸国をクリミアの「ロシアの春」から引き剥がす必要があった。それで、いわゆるドンバス危機を演出し、西側の注意を逸らして
交渉材料にするしかなかった。だがそれで問題はさらに大きくなった。そこでエルドアンに圧力を掛けてサウス・ストリーム(ガスパイプライン)を4本引かせた上で、シリアに侵攻した。
ソレイマニ(イスラム革命防衛隊)が自分側の問題を解決するために、わざと偽情報を我々に流したために起きたことだ。その結果、クリミアの問題は片付けられず、ドンバスの問題も無くなっていない。
サウス・ストリームは(ガスパイプライン)2本に減らされ、シリアは宙吊り状態だ—我々が撤退すればアサド政権は倒され我々は無能扱いされるが、我々が駐留し続けるのも困難だし意味もない。
こんな「ウクライナ電撃戦」を誰が思い付いたのかは知らない。もし仮に我々が正しいインプットを受け取っていれば、少なくとも初期の計画には疑問点があり、大部分を再評価するよう指摘できただろう。それはもう大量に。
それが今や、我々はクソみたいな(PGな言葉遣いは英訳者による)ハマリ状態で、どうしたら良いかも分からない。「非ナチ化」「非武装化」というのは分析のカテゴリには無い。というのも、具体的に数値化されたパラメタが無く、目的達成を何をもって評価できるのか分からない。
今や我々は、頭のおかしい参謀がトップにヨーロッパとの紛争を決断させるのをただ待つだけだ。要求は制裁の緩和だ—制裁を弱めるか、それとも戦争か。
西側が拒絶したら? その場合、本物の国際紛争に巻き込まれる可能性も否定しない。1939年のヒトラー同様に。我々の「Z」[紀章]は鉤十字同様に扱われるだろう。
(ウクライナでの)局地的な核攻撃はありうるか? イエス。但し軍事目的ではない。こんな兵器は防御を崩す役には立たない。使うなら目的は我々以外(西側諸国)の恫喝だ。
我々はウクライナに全責任をおっ被せるシナリオの土壌を作っている。ナルイシキン(ロシア対外情報庁官)と配下のSVRは、ウクライナが密かに核兵器を製造していた、という証明をせっせとこさえている。クソったれ。
連中は、我々がとっくに分析し放棄した論を押し通そうとしている: [核兵器開発の]専門家やウランがあったことの証拠や証明など、でっち上げることは不可能だ。ウクライナには劣化同位体238[ウラン238。劣化ウラン]が1トンある—だが問題にはならない。核燃料サイクル上、作り出すことを秘密にはできない。
「汚い爆弾」にしても秘密裏に製造することはできない。ウクライナの古い原発では、それに必要な物質は副産物として最小限産出されるのみだ。アメリカはMAGATE[IAEAのロシア語表記]と共にこういう施設を監視しているから、こんな論など出したら馬鹿にされるだけだ。
1週間後には何が起きているだろうか? 2週間後でもよい。我々はドツボにハマり、古き良き、空腹の90年代を思い出すことになるだろう。
市場が閉じつつあるのに対抗して、ナビウリナ[ロシア連邦中央銀行総裁]は正しい措置を講じているようではあるが、所詮は船に空いた穴を指で塞ぐようなものだ。状況はどのみちどんどん悪化し続ける。3日とか5日とか7日、などのうちには最早解決しない。
カディロフが地団駄を踏んでいるのも故ないことではない。彼等には彼等の野心がある。彼は「無敵」として名をあげた—もし失敗したなら、自分の部下達に引き摺り下ろされることになる。
それからシリア。「諸君—耐えろ、ウクライナは片づける、そうしたら我らのシリアでの地位を強化する。」実際のところ、ロシアの分遣隊はいつ補給が切れるかも分からず、その後には熱波が待っている…
トルコは海峡を封鎖したし、シリアに物資を空輸するのはかまどに金をくべるようなものだ。しかもだ—これはすべて並行して起こっている。ひとまとめにして分析する時間すら無い。
我々の現状は1943-1944年のドイツのようなものだ—だがこれはウクライナでの「初期状態」にすぎない。
過労でくらくらするし、これは夢で、実は以前と何も変わっていないのではないかと思うことすらある。
監獄について—今後も悪化するだろう。ナットは血が滲むまで締め付けられるだろう。どこでも。有り体に言って、純粋にテクニカルな観点では、現状をコントロールし続けるにはこの手しかない。
我々は既に総動員体制だ。だがこんな体制は長く続けられない。タイムテーブルがどうなっているのかは分からないが、状況は悪化の一途だ。国家統治というのものは、総動員を掛けたら狂い始めるものと決まっている。しかもだ: 100mを疾走できるとして—それをマラソンでやったらどうなるか。
で、ウクライナ問題について100m競走よろしく飛び出したものの、よく見たら参加登録したのはマラソンだった、ということだ。しかもこれは、現状のかなり簡潔な要約でしかない。
更に皮肉なことを言えば、私はプーチンが核の赤ボタンを押して世界を終わらせるとは信じていない。
まず、それを決められるのは1人ではない。誰かが反対するだろう。このプロセスには多数の人間が関与している。「赤」ボタンを1個押すだけ、というものではない。
経験的に知られているとおり、制御構造に透明性があるほど、問題点は見つけやすい。誰が何をどうコントロールしているか混沌としているにも関わらず、虚勢を張った報告ばかりが飛び交う状況にこそ、問題が潜んでいるのが常である。
「赤ボタン」システムが言われているとおりに稼働するかは確信が持てない。それに、プルトニウム燃料は10年毎の交換が必要だ。
3つ目、これが最も唾棄すべきで悲しいことだが、私個人の信念として、側近や忠臣すら近づかせないようになったプーチンが、自分自身を犠牲にするなどとは思えない。
プーチンが恐れているのがCOVIDなのか暗殺なのかはどうでもいい。もしプーチンが、自分が最も信頼していた人々すら恐れているのだとしたら、自分自身と最愛の人々を破壊するなんてことができるものかね? (英訳終)
その記事の全文は読めないが、それは専門家会議の見解というよりも、専門家会議を構成する一個人の見解なんじゃないの?
もし大多数の国民や事業者の皆様が、人と人との接触をできる限り絶つ努力、「3 つの条件が同時に重なる場」を避けていただく努力を続けていただけない場合には、既に複数の国で報告されているように、感染に気づかない人たちによるクラスター(患者集団)が断続的に発生し、その大規模化や連鎖が生じえます。そして、ある日、オーバーシュート(爆発的患者急増)が起こりかねないと考えます。そして、そうした事態が生じた場合には、その時点で取り得る政策的な選択肢は、我が国でも、幾つかの国で実施されているロックダウンに類する措置を講じる以外にほとんどない、ということも、国民の皆様にあらかじめ、ご理解いただいておく必要があります。
【新型コロナウイルス感染症対策専門家会議 「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(2020 年 3 月 19 日) 】
あと、"そもそもコロナ舐めきって対策怠った"のをアベ・スガ内閣以外のせいにするのは無理筋よ。昨年2月14日の毎日新聞の記事の段階で、すでに後手後手であると与野党それぞれから指摘されている。与党内から"政府の対応は後手後手だ。首相官邸の意思決定に医師の意見が入っていない"なんて言われているし、公明党が感染症対策などの専門家会議の設置を政府側に要請している。これらの指摘を受けてか、専門家会議が発足したのも別の資料によれば2月14日だ。
新型コロナウイルスによる感染症で国内初の死者や感染経路が不明な患者が確認されたことを受け、与野党は14日、それぞれ対策本部の会合を開いた。各党とも「フェーズ(段階)が変わった」との認識を示し、感染拡大への危機感を募らせている。
(略)
自民党の対策本部会合では、入国拒否の対象を中国全土に拡大すべきだとの意見が相次ぎ、医療機関向けのガイドライン策定を求める声なども出た。会合後、ある出席者は「政府の対応は後手後手だ。首相官邸の意思決定に医師の意見が入っていない」と不満を漏らした。
連立を組む公明党は対策本部の会合で、感染症対策などの専門家会議の設置と、感染の現状や対応などについて安倍晋三首相が記者会見で国民向けのメッセージを発するよう政府側の出席者に要請。政府与党連絡会議では、山口那津男代表が「引き続き水際対策や国内感染症対策の強化、適時適切な情報発信など万全の対策を講じてほしい」と首相らに求めた。
一方、野党側は「政府は初動対応の遅れに加え、感染の封じ込めに失敗している」として、追及を強める構えだ。国民民主党の玉木雄一郎代表は、党の対策本部役員会後、記者団に「ざるのような水際対策で、国内感染も抑え切れていない」と指摘。中国全土を渡航中止と入国拒否の対象にするとともに、経済対策として消費税率を8%に引き下げるよう政府に求める考えを示した。
共産党の小池晃書記局長も記者団に「政府の対応は後手後手に回っている。ちぐはぐなことが起きている」と批判。政府の緊急対策では不十分だとして、補正予算の追加編成と集団感染が起きたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の乗客乗員の早期下船を加藤勝信厚生労働相に電話で直接要請した。
(略)
それ以降の専門家会議について言えば、専門家会議はコロナを舐めていたどころか、とりわけ初期においては、危機感のあまりにむしろ前のめり気味で現状分析と対策案を打ち出すようになり、助言の域を超えているのではないか?と政治家との領分について問題視されるほどだった。
https://www.naika.or.jp/jsim_wp/wp-content/uploads/2020/11/nichinaishi-109-11-article_18.pdf
■■■ INDEX ■■■
その1 https://anond.hatelabo.jp/20210416100355
その2 https://anond.hatelabo.jp/20210416172732
その3 https://anond.hatelabo.jp/20210416233400
その4 https://anond.hatelabo.jp/20210416233727
■■■ 追記歴 ■■■
■■■ 本文 ■■■
その1で大阪で勢力拡大中のイギリス型変異株の特性について、その2で大阪府の発表する検査数の注意点、その3、その4で大阪府新型コロナウイルス対策本部会議の資料の内容から、大阪府でのcovid-19急拡大の理由を探ってきた。
大阪府新型コロナウイルス対策本部会議資料についてのまとめを行うとこうだ。
つまり、3/18、3/26の会議ではそれぞれの二週間後の感染者数を大きく見誤り、重症者数増分はさらに大きく見誤ってしまった。陽性者数に関しては3/31の会議で実際の数字を予測し、4/7の会議では実際よりも多く見積もっていたが、重症者数増分については依然として大きく見誤ったままだった。
陽性者数については変異株の特性について比較的柔軟に対処はできたが、重症者の増え方については、変異株の特性として、60未満のこれまで低リスクだった層も重症化するようになったこと、発症から重症化までの速度が上がったこともあって、大きく予測を外した。この結果、大阪府は4/13に確保重症病床数を上回る重症者を出してしまうに至った。
これを避けることができたか、検討してみよう。その3で述べた通り、ステージIIIの指標である、10万人・週あたりの新規陽性者数が15人を超えたのは専門家会議のあった3/26で、3/31にまん防要請、4/5にまん防発令に至る。ステージIIIの指標到達から、まん防発令に至るまで10日もの時間がかかっており、対処が遅れる事となった。
さて、ここでまん防を3/26日時点で発動していれば感染拡大を食い止められたのか?変異株の特性と、吉村知事が繰り返し強調している、「まん防は今年1月の緊急事態宣言の内容とほぼ同じ」という主張から考えてみよう。変異株の感染力の強さは、これまでの説によると既存株と比較して、1.25倍~1.75倍。国立感染症研究所の第一報によると1.32倍という事である。東洋経済のcovid-19まとめサイトによると、今年の緊急事態宣言中、大阪府の実効再生産数が一番下がった時で0.68だった。仮に現時点でのcovid-19陽性者が全て変異株感染者であり、今回のまん防で同じだけの行動制限ができて、なおかつほかの条件も同じであれば、変異株の感染力の強さが0.68の逆数、1.47程度だとすると、新規感染者数は全く下がる事が無い計算になる。下限の1.25倍、感染研初報の1.32倍であっても、感染者数の減少には、今年の緊急事態宣言の何倍もの時間が必要になるだろう。
つまり、今年の緊急事態宣言と同じ内容を繰り返していたのでは適切な対処にならない可能性が十分にあるという事だ。
ここでもう一度、どうすれば大阪の医療崩壊を防げたのか考えてみると、変異株のリスクを適切に評価し、また変異株の蔓延具合を適切に把握するだけの検査体制があれば、適切な時期に、今年1月に行った緊急事態宣言よりも強い内容の緊急事態宣言を打ち、医療崩壊を防げたのではないかということである。この変異株リスクの評価や蔓延具合の予測は誰にでも出来るものではなかったのかもしれない。しかし、英国という先例があった以上、絶対にできないというものでもなかったと個人的には思っている。
昨年ダイアモンドプリンセス号での集団感染で、covid-19騒ぎが他人事ではなかったと感じたように、英国での変異株の蔓延の仕方を国や自治体の専門家が適切にリスク評価して、対策を講じていれば防げたのではないか?というのが今回の結論である。
ほぼ素人なもので、明確な誤認や異論、反論などあれば、AnonymousDiaryでトラックバックを付けたり、はてなブックマークで指摘していただければ対応できるものに関してはしていきたいと思っています。以上
■■■ 追記1 ■■■
変異ウイルス「人の接触“半分減”でないと拡大抑えられず」 https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20210415/1000063061.html という記事の中で、以下のような記述があった。
分析結果は、15日のモニタリング会議で、都の「専門家ボード」の座長を務める東北医科薬科大学の賀来満夫特任教授が明らかにしました。
今回の分析は、1人の感染者が何人に感染を広げるかを示す「実効再生産数」が、感染力が強いとされる「N501Y」の変異があるウイルスの場合、従来のウイルスの1.43倍になるとして計算しました。
1.43倍は国立感染症研究所の報告をもとに仮定した数値です。
その結果、「N501Y」の変異があるウイルスが広がった場合、人と人との接触を30%減らしても、1人が1.1人に広げることになり、感染は拡大するとしています。
一方、接触を50%減らした場合は1人が広げるのは0.79人で、半分程度まで減らさないと感染拡大を抑えられないとしています。
感染研の第一報での感染力の強さが1.32倍というのを、そのままRt倍率にすれば良いものではないようで、自分の論考ではそこが間違っていた。しかし細かい数字はさておき、考え方の方向自体はあっていたようだ。
仮に今年の緊急事態宣言中、大阪府の実効再生産数下限0.68に1.43を乗じると、0.97となる。今年最大級に人との接触を減らした時でも、新規患者数の減り方はとても緩いものになるという事だろう。
ただ、海外の研究では「N501Y」の変異があるウイルスの場合、「実効再生産数」が従来のウイルスの1.9倍だという報告もあります。
不安な報告だ。
東京都モニタリング会議の公開されている資料には目を通していたのだが、動画の方を見ればどうもこの様子も流れていたとの事。公開資料は現状分析が主で、こういったことには全く触れてなかった。
この増田は東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の会長である、森喜朗氏の問題発言についての所感である。
多くの人がこの問題に対して擁護や批判を述べているが、その中で、最も興味深い話は下記の記事にある経団連会長である中西宏明氏の話だ。
https://mainichi.jp/articles/20210208/k00/00m/020/164000c
この発言の興味深い所は「本音の部分での考え」と「本音に対する評価」が混じっている所にある。こういった本音であるという事自体がけしからんと思う人がいる一方で、事実としてこういった本音があることを認識しているのは、現状分析としては正しく、その部分においてのみ一定の評価をしている人もいるだろう。
(尚、私は中西氏の発言についてはこの記事しか読んでいない事はお断りしておく。)
私はこの発言を通じて、性差に関して言えば、本音に対しての評価が正しくとも、決してそれを吐露してはいけないという事を改めて感じた。本音がどうあれ、先ずは本音を隠して、形式的な振る舞いをする事が大事なのである。そして、形式的な振る舞いをするにあたっては、様々な困難もあるわけだが、その困難は絶対に限りなく近い相当程度、受忍されるべきである。
「三つ子の魂百まで」という諺もあるように、私は、人の持っている潜在的な感覚や価値観というのは、一度ある程度構築されてしまったらそれを変えるのは容易ではないと思っている。
先程の本音に対する批判にも様々なものがあるが、その批判が本音の是正を求めるという意味であった場合には、本音では女性軽視の気持ちがある人に心からのジェンダーフリーを求めるのは不可能なので、全く無意味な批判となる。
批判の対象は本音を出してしまった事に対して向けられるべきで、私なりに批判してみると、
といったところだろうか。
私はタイムマシンに乗ったことが無いので想像であるが、もしも明治、大正時代にタイムスリップして当時の人に「100年後には女性に参政権がある」という話をしたら、さぞびっくりされるのではないだろうか。
今では女性に参政権があるというのは当然だと思う人が、ほぼ全てと言って良いレベルで殆どだろうし、もっと言えばあまりにも当然すぎて、当然を当然と思うことすら無いだろう。
我々の行うべき事は現在を変えるというよりも、未来を変えること、それに尽きるのだと思う。先人が努力した様に、我々も努力をし、未来の礎となり、未来の人にとって男女平等を当然とさえ思わせないようにする事である。
そのためにはどうするか。
先程の女性参政権を例に挙げれば、我々がこれを当然と思っているのは生まれてきたときから女性に参政権のある国に生まれ育ち、女性参政権に対して反対する声を聞くことの無い環境にあるからではないだろうか。(世の中色々な人がいるので、女性参政権に反対する人も中にはいるだろうが、少なくとも私は聞いたことが無い。多くの人も同様ではなかろうか。)
少し話が逸れるが、女性参政権を例に出したのは、若干不適切だと思う。実際に権利を手にしたわけであって、純粋に「形」だけでは無いのがその理由だ。ただ、私が伝えたいことがより伝わると考えて、あえて例に持ち出した事をご承知いただきたい。
話を戻す。
この事から考えると、我々が出来ることは「形から入る。そして、その形が自然になるまで根気強く待つ。」これに尽きるのでは無いだろうか。
根気強く待つ期間が世代を超えるかもしれないので、その間に傷つく人も相当数いるであろう。
もちろん、今の犠牲を甘んじて受ける事は無い。むしろ、今大いに抗うことがより良い未来に繋がる。
もう一度言う。
女性蔑視発言をした者が会長職にいるのは、形として相応しく無い。この一言に尽きる。
余人を持って代えがたい等々、様々な擁護と会長を続けるための理由が出ているが、これこそが前述した、形式的な振る舞い、ここでは森氏が会長を退く事にあたっての困難であり、「調整力」「これまでの実績」程度の事ではお話にならない。残った者で何とかならなくても何とかしなければならないのである。
スピード違反をしたドライバーが普段どんな運転をしているのか、どれくらいのドライビングテクニックがあるのか、その様な事は関係なく、ある一定のスピードを超えたら違反は違反である。
所感は以上。
蛇足になるが、別な側面から考えると、森喜朗氏を擁護する面々も、あえて氏を批判する必要は無い事を付記しておく。
失言の是非や氏の思想に対して批判したく無ければしなくても良い。形から入るという考え方に立てば、失言をしてしまったので会長職を退くという形が重要なので、氏のこれまでの実績や、(擁護する人から見た)人柄を否定しなくても良い。
先程、スピード違反の例を出したが、ドライバーがどの様な人間かは関係ないので、そのドライバーに対して「素晴らしいドライビングテクニックだ!」「普段は安全運転をする人だ」などの感想があっても良い。
私は本音の発露は良くないとしているが、感情が湧き出ること自体を否定しているわけではない。
配達員の感想は色々あるけど、店の感想はコンサル絡んだ胡散臭い成功体験ばっかなので個人店の感想を書きたい。
売上微増、でも手間を考えたら正直赤
出店している地域が対象になるって聞いてから準備始めたので地域内では早い方
その後、よくあるUberEatsのお約束(メニューいくつ以上、複数店舗とか)を対応しつつ改善させていったので、他店と同じ土俵に立てたのはもう少し遅め
注文は増えたが劇的ではない。UberEatsのおかげでこれまで逃していた客が一気に入った!なんてコンサルの言うアレは無い
結局なんだかんだで店や厨房のレイアウト、容器等の準備が必要だった。あと配達員臭い癖に待機場所護らず急かす。UberEatsの最下層は店
客のテイクアウト初回って思っている以上にハードル高い。個人店相手は特に。だから分かりやすいチェーン店とかが人気になる
金額もUberEats対応で店とは変わるけど、じゃあ量の増減とかは簡単には出来ない。盛り付けもそこまで頑張れないし、配達員ガチャが外れると意味ない。でも客に取っては容器開けた時の料理が店のイメージになる。ハンバーガーや牛丼がどんなに寄ってても客はマックや吉野家のイメージを悪くはしないだろう
限られた金額で店と同じくらいの満足度を客に提供するには限界あるし、UberEatsで増えた注文と売上はその労力にたいして安かった。テイクアウトOnlyなら良いけど、通常営業と並行は正直面倒
商圏が広がる言っても自転車で行く範囲だし、店の人間が言うのもアレだが提供している料理に対しての値段はボッタクリレベル。でも店の取り分は店以下
家から出たくないとか時間の有効活用で利用するのは構わないけど、もし好きな個人店なら行ってあげて。そっちの方が店もサービスしやすいから
http://komuro.blog.jp/archives/54814607.html
要約すると
日本の経済は凋落が著しいが、今回の都政選挙で小池が圧勝したことに象徴的なように、
日本人は現状維持の傾向が強固であるため、今後も経済政策が改善されない状況は続く。
しかし、自分はこうした状況には絶望しておらず、政治に期待せず、民間、個人レベルでやれることにはまだまだ可能性があると思う。
と、こういう内容だ。
上野千鶴子もそうだが、日本のメディア露出が多いリベラル系社会学者の本音とは、
貧乏人どもウゼェw俺らの目に入らないところで勝手に生きるなり死ぬなりしろ自己責任www
なんだな。ということをつくづく痛感するね。
個人レベルで可能性がとかふわっとしたこと言われても、具体的にどういう可能性なんですか?と聞かれれば、
身のあることは何も答えられないだろうし、
今や日本は20年、30年前の貯金を食い潰しているだけで、選択肢というのはどんどん狭まっていく一方だ。
宮台は援助交際女子高生の研究と終わりなき日常というタームに象徴される90年台末から2000年台初頭にかけての、
社会状況分析で名を挙げた人だが、自分のかつての仕事が、なんの意味もない言葉遊びに過ぎなかったという結果をどう考えているんだろうか。
今や誰も当時の宮台が提示したフレームワークを使用して思考している人間など誰もいない。
宮台真司本人さえ、自分の過去の仕事を捨て去っているようにみえる。
宮台真司が提示する現状分析など、常に、その時その場でのそれらしい思いつきにすぎない。ありがたがって拝聴している人間の気がしれない。
僕の勤め先は長年にわたり新規採用を絞っていたから、僕より年下の人はなかなか増えず、僕は常に若者だった。
責任がどうとか現状分析をもとに最適な動きをするとか考えるまでもなく、言われたことをするだけの日々が続いた。
もともと何に対しても消極的な性格もあって、上役のオッサンどもの「こんなときの対処法」を勉強することなど当然してこなかった。
時が経って、僕もオッサンと新人さんとの間に挟まれるくらいの年齢になり、まだ役職はつかないが勤務年数もそれなりになった。
年下の人がいる、という感覚が新鮮というか違和感でしかない。僕の直属ではないにしろ同じ部署に年下の人が来たから、なにやらお教えすることもあるんだが、違和感しかない。僕は教えてもらう側ではなかったか?
この違和感が優越感に変わったら老害なんだろうな、と気を付けながらも、面倒な事柄を年下の人へ押し付けたりし始めた自分がもう嫌でしかない。
ともあれ、年下の人は僕のことを先輩だと認識しているわけで、上に書いたとおりなにやら尋ねられたらお教えしたりはするのだが、それがオッサンどもの見解と違うことがあまりに多いことに気づいた。
それと、年下の人は僕に「判断」を求めていることにも気づいた。僕に何かを言わせようとしている。僕に「指示」を出させようとしている。そこで僕はそれっぽいことを言うのだが、年下の人はそれを気に入らない。なぜかって、オッサンどもが示した大枠と僕の指示が整合しないから。
そう、ずっと消極的で勉強せず日が暮れるのをボーっと待つようなことしかしてこなかったから、どうしていいかがわからない。判断ができない。指示をするにしてもその業務の難しさとか量の多さの判断がつかない。
「これはまずい」と思いながら他方で「僕のような一生ヒラの小者が今さら焦ってどうする。オッサンへ投げるか逃げるかすればいい」とまた消極的になったりしている。
また春が来て、僕はまた歳をとり、新人さんもまたやってくる。
さて、僕はこの先生きのこれるのか…
どうしようもなく追い詰められてる人間にこの言葉で迫るのはまじでやめろ。まあ俺は追い詰められてる人代表ではないから、他の人はどうかは知らんけれど。少なくとも俺はこの言葉を言われただけで、「ああ、こいつとは分かり合えない」と断絶を感じる。こいつに何を言っても無駄だと思ってしまう。
それは周りの人間からしたら、その人がどうしたいのかがわからないから出てくる言葉なのはわかるけどさ。追い詰められてる人間は何がしたいかなんてわからんわけよ。わかってたら追い詰められてたりしないからさ。
で、なんでそこまで追い詰められてるかを説明しなきゃ、どれだけ辛いかを周りの人間に理解してもらえないんだが、この説明自体が難しい。単純でわかりやすいきっかけがあれば説明もしやすいし理解もされやすいだろうさ。でも些細なことでも、長い間の積み重ねで心が折れることがある。それを「ちゃんと言ってくれないとわからない」なんて言われても、こっちだってどう説明しようかわからんし、そもそも心がくじけてしんどいところをどう説明すればいいのよって思う。
でさ、この間心療内科に行ったんだけど、行ったことを後悔したわけさ。ああ、結局理解されないんだなって。
そこでも結局何がしたいのって聞かれるわけだが、そんなの一言で説明できるかよ。うまく説明できるほど口が達者でもないし、口が達者ならここまで追い込まれてねえし。
でもさ、心療内科行ってみて得たこともある。俺が欲しかったのは寄り添ってくれる人なんだと思う。現状分析してアドバイスしたり解決策を提示してくれるような人はいらないわけ。もうこれ以上何もやりたくないのに、さらにあれをやりなさい、これをやりなさい、今のままじゃだめだとか、そういう追加のタスクを投げられても、すでに抱えきれない状態なんだ。死ぬよ。
俺自身は追い詰められてるけど、振り返ってみると逆の立場で「それはこうすればいいじゃん」とかアドバイスしてたことがあったし。そのアドバイス、相手は馬鹿だなぁ、そんなこともわからないのか、俺ってできる男、みたいな気持ちでアドバイスしてなかっただろうか。今の自分が強く思ってる「そんなのいらない」ということを俺自身がやってるわけさ。
「こうすればいいじゃん」ていう解決策はさ、追い詰められてる人間にだってわかるさ。わかってない場合もあるけど。でもそれを行動に移す気力がないわけよ。追い詰められてる状態の人間にさらにがんばれって言ってるもんだよ、それ。がんばれないからつらがってるわけじゃん。その状態が理解されないから追い込まれるわけじゃん。
だいたい「そんなのこれやるだけじゃん」と簡単そうにアドバイスをするやつは、現状を知らないから言えるだけというのを理解して欲しい。同じ立場・状況に置かれてその現状を実感した上でのアドバイスなら聞いてやれなくもないけど、そんなこちらの状況をまるで知りもせずにする上から目線アドバイスなんて、さらなるストレスでしかない。気分としては安全地帯から石投げられてる気分よね。
介護問題で悩んでる人に、それはもう施設に入れるしかないじゃんとかアドバイスするのは簡単だろうさ。でも、その施設に入るまでの間は何も変わらないわけよ。あんたが面倒見てくれるわけ? 違うよね。
老人が運転してた車で若い人が命を失う。免許を返納させろ、それをしなかった家族も同罪だなんて、無責任に言ってる奴ら。それだって現状を見てないわけよ。免許を返納したあと、その老人の世話を周りの家族が見なきゃいけなくなる。それどうすんのって視点が欠けてる。返納させればいいじゃんって言ったあなた、あなたが面倒見てくれるんですか? タクシー使えばいいじゃんって? そのお金はどこから出てくるのよ。タクシーくるまでの間、どうすればいいのよ。口でいうだけなら簡単なんだよ、それちゃんと実行できるの? 正論のつもりで言ってるのかもしれんが、それめちゃくちゃ無責任な発言だぞ。
・・・ああ、ちなみに。俺は介護で追い詰められてるから、老人に若者や子供の命が奪われる現状が憎くて憎くて仕方がないよ。老人なんて等しくこの世から消滅してしまえと思ってるよ。老人の肩を持つ気はさらさらない。自分のばばあ憎しから拡大して、世の中の老人全部が憎悪の対象だよ。
ただ、老人なんてみんな死滅してしまえと思うのと同じように、現状をよく知りもしないくせにアドバイスのような、その実相手を追い込めるだけでしかない呪詛をばらまく奴らも同じようにこの世から消滅してしまえと思ってる。
別にさ、俺の状況知ってるわけでもないやつに、なにかアドバイスしてほしいなんて欠片も思ってねぇよ。ただ話を聞いてくれよ。
とりあえず現時点で、同じ境遇に置かれてる家族と傷のなめあいして心を紛らわせてなんとか耐えてるよ。紛らわせたところで俺を追い詰めるものが消えてなくなるわけじゃない。本当にクソみたいな世の中だ。
ああ、気がついたら呪詛が出るな。すまんすまん。
まあこれで何が言いたいかって言うとさ、追い詰められてる人間、疲れてる人間にさ、「お前はどうしたいんだ、どうしてほしいんだ」って聞くときはさ、ちゃんと本人に寄り添ってからにしてやってほしいってこと。
本人がどうしたいのかってところはさ、すげえ大事な部分だし、それを聞かないと周りも何もできないんだけどさ。それを聞き出すのが第一声なのは、少なくとも俺はめちゃくちゃ傷つく。ああ、こいつには時間がないんだなって思うもん。そんな単刀直入にすぐ説明できるようなもんじゃないし、そもそも自分でもわかってないのに、開口一番それってことは、お前の相手してる暇ねえんだよってことなんだなって思うもん。ああ、こいつには理解されないんだなってその時点で無力感感じるね。
追い詰められた人間が自ら助けを求めに行くのって、めちゃめちゃハードル高いの。そんなのが簡単にできるのであればそんなに追い詰められてないだろうしね。
それでも助けを求めに来たときは、まずアドバイスじゃなくて話を聞いてやってくれ。溜まりに溜まったものが渦巻いてて、本人はどこからどう話したらいいかよくわかんない状態だからさ、急かさず、ただそばにいるだけでいいさ。お前の話はしなくていいよ。ただ本人のそばで、うんうんって聞いてやってくれ。それだけでだいぶ救われる。
絶対に、そのプロセスを飛ばしてアドバイスなんかしないでくれ。ああ、やっぱり何を言っても無駄なんだ、伝わらないんだって絶望感しか残んねえから。
何がしたいのか、どうしたいのか、ってのはとても大事なこと。追い詰められてる本人には見えてないもんだからね。だからどこかのタイミングでそれを切り出さざるを得ない。でもそれは、どっちかっていうと、追い詰められてる人と一緒に見つけるくらいのスタンスでやってほしいのよね。まあそれができりゃ誰も困らないんだけどね。
追い詰められてる人に対してもなんか書いとくかね。
とりあえず、貯め込むのだけは良くない。絶対に良くない。これだけは間違いない。だからどこかに吐き出すのだ。吐き出す際、王様の耳はロバの耳方式が良い。返信を期待しないところに吐き出すのが一番だ。何も解決しないけど、溜め込んだものを吐き出すのは大事だ。
増田に書くのもいいし、怪文書としてマスコミに送りつけるとかでもいいんじゃない、知らんけど。誰に見せるでもなく、紙に書き出すとかもありよ。吐き出せ吐き出せ。
そんなことしたって何も解決しないけどさ。少なくとも頭の中でぐるぐるぐるぐる悪い感情がループしてるのからは気が紛れると思う。
誰かに助けを求めようとする人は偉大だ。追い込まれてる状態なのに、拒絶されるかもしれない・理解されないかもしれないという恐怖を抱えながらも、助けを求めに行ける君はすごい。俺は尊敬するね。
君はどうかはしらんが、俺はようやくわかったよ。アドバイスがほしいんじゃなくて、現状を理解してもらいたいってのが俺のしてほしいことだってね。だから理解されないかもしれないけど、助けを求めに行動をすることにも意味はあるとは思うよ。そのせいでさらに傷つくことになるかもしれないけど、そこから見えてくることもあるかもしれない。
まあ悩みの大本がさっさと消えてなくなってくれるのが一番なんだがね。
https://anond.hatelabo.jp/20171029085625
ひどいディベートの授業の体験増田があったので、ディベート経験のある自分が解説してみる。
ディベート経験は5年くらい。大学から始めて、高校生の指導やディベート甲子園の運営、全国大会出場などをしてきた。
何について討論するのかを決めなくてはいけない。
元増田にあった、「ルーズソックスに賛成か?反対か?」ではディベートにしづらい。中高生では基本的に政策ディベートというものを論題にする。
例えば、「日本は生徒のルーズソックスの着用を禁止すべきである」
という、行うことがはっきりしており、肯定と否定に分かれる事ができるテーマが望ましい。
また、現状で肯定側と否定側の意見が戦えるほど現状の価値観が偏っていない論題が望ましい。
もしルーズソックスは校則で禁止されてる場合は、この論題をすべきではない。
今までディベート甲子園で行われた論題はここにある
http://nade.jp/koshien/proposition
ゆるい論題だと、「ドラえもんは未来に帰るべきである」「日本の学校は制服を廃止すべきである」などがある。
これは大前提。1チームは2~4人。というのも、スピーチをする機会というのは試合を通して4回しかないからだ。
自分の考えとは関係なく、機械的に決めたほうがよい。また複数回行い、肯定側・否定側を両方経験することが望ましい。
ディベート甲子園では、試合当日に肯定側か否定側のどちらになるのかが決まり、複数回試合をする。
ディベートをするには、立論というものを最低限準備する必要がある。これは討論の土台となるものである。
肯定側は、論題を肯定する政策の中身と、それを行ったときに発生するメリットを説明する。
この立論がディベートの試合の中で土台となり、試合の一番最初にスピーチする。そこから討論を行っていく。
逆に立論中に述べられなかった論点は後から出してはいけない。出してしまっても審判は、その発言を無効と判定する。
なので言いたいことはできるだけ立論にいれる。中学生なら4分、高校生なら6分にまとまるよう原稿を用意する。
メリットは、「現状分析」「発生過程」「重要性」の3つから構成される。
現状分析では、主にルーズソックスが規制されていない状況で起きている問題について説明する。
できるだけ問題が大きいことを主張する。例えば、ルーズソックスを履いていることで犯罪に巻き込まれやすい、と設定する。
この問題を具体的に説明できるよう、資料を集める。例えば、高校生が犯罪巻き込まれる率、ルーズソックスを履いている高校生への印象調査、声をかけやすいと言った定性的な資料など。
発生過程では、ルーズソックスを規制したときに、この問題が解決されることを立証する。
現状では、ルーズソックス履く→下校時にそのまま遊びに行く→声を声をかけられる→トラブルになる であるが、
プランを実行すると、規制されるとルーズを履いてくると怒られるので履かない→下校時に遊びに行くが、声をかけられる率が減る→トラブル減少
というルートを立証する。
重要性では、このメリットが発生したときに、それがどれだけインパクトがあるのかを示す。
青少年のトラブルは精神に悪い影響を与え、学業を疎かにさせる。それは国全体の産業と競争力に大きく影響してくる。
できるだけ大きいほうが良いが、大きくするとそれだけ立証が甘くなるので注意。
デメリットは、「現状分析」「発生過程」「深刻性」で構成される。
現状分析では、現状で特に問題が起きていないことを述べる。現状サイコーという訳である。
週5日も校則され時間の大部分を占める学校生活でみんなルーズソックスを履いていきて、おしゃれとして、自己表現として楽しんでいる。
発生過程では、立てるデメリットが起こる過程を立証する。デメリットを「多様性の低下」としてみる。
ルーズソックスが規制される→学校に履いてこれなくなる→時間の大部分を占める学校生活で自己表現ができなくなる→画一的な人格が形成される
とか。演繹的に論理の矢印を作ったら、主張を補強する資料を集める。
「ルーズソックスは私を表現するもの」と言っている資料だったり、服装の厳しい学校の卒業生はクリエイティブな職業に就く割合が低いみたいな資料を探す。
深刻性では、デメリットが発生した場合にどれほど深刻なのかを述べる。
画一的な人格形成によって、クリエイティブな思考が苦手で国際競争力が低下するとかかな。あまりよい深刻性が思い付かないが。
ここまで準備して始めて試合ができる。
各側の発言機会は4回。スピーチ担当者以外は話してはいけない。(準備時間を除く)
①肯定側立論 4分
②否定側質疑 2分 (肯定側立論にわからないことを質問する。反論はNG)
③否定側立論 4分
④肯定側質疑 2分
⑥肯定側第一反駁 3分 (否定側立論に反論する + 否定側第一反駁の反論に再反論する)
⑦否定側第二反駁 3分 (肯定側第一反駁に再反論する +議論をまとめる)
⑧肯定側第二反駁 3分 (否定側第二反駁に再反論する + 議論をまとめる)
①発生過程を削る
②重要性(深刻性)を削る
のいづれかになる。
発生過程というのは、A→B→C→Dのようにつながっているものうち、一箇所でも切れば、例えばB→Cを完全に切ると、全く発生しなくなる。
完全に切るのは難しいので、B→Cの半分を削る、という反論の仕方になってくる。
例えば、メリットの現状分析の、ルーズソックス履く→下校時にそのまま遊びに行く→声を声をかけられる→トラブルになる、だと
1. 規制なくても全員履いてるわけじゃないよね
2. 全員が下校途中に遊びに行かないよね
3. ルーズソックス履いてるからといって声かける人の割合がわからないよね
みたいな反論になってくる
重要性への反駁だと、
みたいな反論になる
ここまでやれたとして、ジャッジができる人間がいないと教育としてのディベートに価値はない。
議論をまとめて、メリットとデメリット、どちらが大きいか判定して、勝敗をつける。
ジャッジは、すべてのミクロな議論について、どういう反論があったかと説明し、最終的にどちらが優勢で、なぜその判定をしたのかを話す。
その結果、立論におけるメリット・デメリットが何%削れたのかを定量的に示す。
先程出てきた
を元に、紙に丸を書いて、メリットとデメリットの大きさを書いて判定するやり方が取られている。
ディベートのジャッジは通常ディベート熟練者が行う。つまり有効なディベートは経験者がいないとまともに成立しない。
ディベートをやるときは、1つの論題に対して数ヶ月かけてリサーチ、立論作成、試合を繰り返し、議論を熟成させていく。
この過程で、反論のポイントの探し方、強固な論理的思考力、頭の回転速度、スピーチの聞き取り及びメモの方法を学んでいく。
ディベートで一人前になるには2年くらいかかると思っている。授業で1回やったとか、企業研修で1日とかでは決して身につかない。
中学校、高校の場合は、地域のディベート甲子園事務局に連絡を取ろう。
それか近くにディベートサークルがある大学を探そう。指導に来てもらえるかも。
大学生・社会人の場合は、サークルに入ろう。探せば色々出てくるよ。
とにかく指導者が付いて、じっくりやらないと身につかない。
http://japan-debate-association.org/contest
想像を絶するスピードと論理、資料の殴り合いが見られて、初見ではほとんど理解できないだろう。
だがこういう世界があるということを知っておくのも良いだろう。
1. まあまあ読みやすくなった。やればできるじゃん。
2. んで読んで思ったんだけど、増田の言ってることってやっぱ違うよ。だってシン・ゴジラって別に、(福島第一原発を題材にしているとはいえ)福島第一原発の現状分析・告発するためのものじゃないじゃん。
あれでやりたかったのは「重大な危機であっても、みんなが一丸となって力を合わせれば必ず乗り切れるよ」ってことでしょ?
「軽トラから載せられた日雇い労働者がゴジラに特攻させられる描写」「『ボロボロの感じで虚脱状態で「延々続く収束作業を無言で見守る」』みたいなエンド」とかやり出したら、このテーマからぶれて「結局みんなが力を合わせたところでムダである。結局人命軽視の姿勢で多大な犠牲を払うしかない。我々はその現実を受け止めるべきだ」みたいなテーマになっちゃうんじゃないの?
もし仮にそういうテーマをやりたいとしたらNHKスペシャルでやってるようなドキュメンタリーを撮ればいい話で、あえて虚構としてのゴジラを今の時代に撮った意味を考えるべき。
3. 追記
なんか書きかけて消したみたいだけど、「批評(≒告発)性のある描写をやってしかるべき」ってんなら、稿を改めて「シン・ゴジラのテーマは生ぬるい」ってことを書いたらどうかな。
俺は↑で書いたように、①シン・ゴジラのテーマは「重大な危機であっても、みんなが一丸となって力を合わせれば必ず乗り切れるよ」にあり、②そのテーマを貫徹するには増田の言うような描写は不要である、って言ってるだけ。そもそも①のテーマがおかしいってんなら、別の議論が必要。
それはそれで読んでみたい気もするから、具体的に理由付けて論じてみてよ。
それと「JAP慰撫史観」(そもそもこの言葉の意味がよく分からないんだけど)って言うけど、「みんなが一丸となって力を合わせる」ってことがいかに大変かは『日本のいちばん長い日』を観れば明らか。どこがどう「慰撫」なのか。
http://tororosoba.hatenablog.com/entry/2016/04/05/010108
まず1つは、認可保育園の累進性の見直しです。(もっと激しくする)
今は、世帯年収などに応じて、0円~8万円ぐらいになってますが、これを15万円ぐらいまで引き上げる。
(比率は慎重にする必要があって、本当に困ってる人が入れないなんて本末転倒な事態にならないように)
これをすると、いわゆる「福祉的に困っている人」と「普通の共働き家庭」の切り分けが進むのと、本来は「保育サービスってお金がかかるものなんだ…」と認識する事
で、その金を使っていわゆる認可外保育園~保育サービス施設みたいなものを増やす。採算性のとれる価格設定(10~20万とか)
これで保育可能人数を底上げしていく。というのがよさそう。
これは計算が合わないだろ。
「その金を使って」というが、得られる収入はごくわずかなのに、そこから出す支出は超過大だ。
「15万円の保育料にすれば、採算が合うだろう」という見込みだ。だが、累進性を拡大するということは、15万円の保育料を払うのは、一握りの金持ちだけだ。大多数の人は、はるかに低い保育料だ。それでいて、保育園としては、採算性のとれる価格設定(10~20万とか)を見込んでいる。
15万円を払うのは金持ちだけなのに、全員に15万円を請求しないと採算が取れない。これでは計算が合わない。
計算を合わせるためには、どうする? 低所得者には低めの保育料を要求するなら、財源が必要だ。財源を得るには、次のいずれかが必要だ。
(1) 認可外だけでなく、既存の認可保育園でも大幅値上げをする。(既存の補助金を廃止・減額する。)
この二つの方法のどちらでもいいが、とにかく、どちらかの方法で財源を得る必要がある。「一部の金持ちからだけ金を得る」という方法では、とてもまかないきれない。
http://anond.hatelabo.jp/20151001133903
いうまでもなく意識高く起業したのではないから、就職した初年度に会社からくる初めて見る諸々の給与明細など、送られてくるたびにまた税金があるのかとビクビクしたものだ。
時には貯金について日夜考えすぎて、頭がハゲて、病院嫌いにもかかわらず皮膚科に行き、やる気のない態度の悪い医者にハゲ薬をもらい、治したことも今となっては微笑ましい思い出だ。
もともと自分自身には才能があるとは思わない。だが、就職をしてかつ継続するにあたり
大切だと思ったことを記念に書いておきたい。
■■信念
なぜかというと、クライアントの要望やプロジェクトメンバーの意見など常に相対的で、移ろいやすいからだ。
クライアントAがXがいいといっても、クライアントBはYがいい、クライアントCはZがいいという。
それで重要なのが信念だ。これは唯一己のうちにある絶対的なものだ。
この信念を強くもって、自分の足下に大きな杭として打ち込んでおくのだ。
そうすれば異なる考え・ニーズを前にしてもぶれずに前に進んでいける。
杭をしっかり打ち込んでいないと、進むべきベクトルはぐるぐるまわりで、メンタルがもたないだろう。
あと、この杭がないと困難の中、事業を継続していくことが難しい。
トライアンドエラーを繰り返し、うまくいくこともあれば、うまくいかないこともあり、
正直「もう辞めたい」と100回以上思ったことがあるが、その度に信念に基づいてその言葉を打ち消してきた。
■■人脈
人脈は大切だ。当初人脈を作りにビジネス交流会にも行ったが、結論として分かったのは、これは悪くは無いが、絶対にいく必要のあるものでもないと分かった。
そうすれば磁石のように素晴らしい人格・知性を持った人たちと出会える。
では、どのようにすれば己がよい人脈となれるか?
自分に投資をすることだ。投資といってもなにも高額なお金を投資というのではない。
時間と教養について投資をするのだ。一番ROI効率が高いのは、読書だろう。
とにかく自分の専門分野と隣接する領域について読みあさること。
自分の場合は、就職をして平日は月曜から金曜まで仕事をして、夜はなにもない家に帰って、ずっと読書をしていた。
特に就職をすると起業家と異なり、助けてくれる上司はいるが大半は無能だ。
自分で問題を解決しないといけないので、問題の現状分析・解決法は膨大な読書量による
知識によっていくつか得られるのだ。
このように知識・問題解決能力が身についたら、それを出会うビジネスマンたちにGiveしよう。
とにかく与えること。そこから人脈の輪が広がる。
■■付き合う人
逆に得体の知れない人もかなりやってくることがある。
いったいどのようなビジネスモデルで利益をあげているか、どのような収入で食べているのかよく分からない人。
後になって腑に落ちないそのビジネススキームを振り返ると、やっぱりあの人詐欺師だったんだと分かることもある。
得体の知れない人に出会った場合、その人を見る時、倫理観によって判定するのがよりよいと思う。
参考としては、ベンジャミンフランクリンの13の徳が役に立つだろう
節制、沈黙、規律、決断、節約、勤勉、誠実、正義、中庸、清潔、平静、純潔、謙譲
得体の知れない人の話しを聞いて彼の人となりが、13徳から非常に乖離している場合、
さっさと距離をあけるべきだろう。
実際に私も起業をして、危ないことがいくつかあった。
それは、業界的に非常に有名人でかつメディアにも露出している人がいた。
その人が、私に一緒に日本・東南アジアでビジネスをしないか?と持ちかけてきた。
だが、彼の話をよく聞くと、現地の人を馬鹿にしたり、自分は仕事をしないで稼ぐ、といっていた。
私はこれを聞いて、この人は危ない人だとすぐに分かった。
それよりフランクリンの13徳の方が優れているのだ。そしてこれに照らし合わせて、やばい人と思い、私は彼と距離をあけた。
数年後彼は逮捕された。
自分の判断基準をもち、素晴らしい人と付き合っていきたいものだ。
■■己の人格
なぜかというと、仕事は所詮生身の人間同士によって成り立っているからだ。
そして、この人と一緒に仕事をしたいと思われないと、仕事の継続性がたち消えてしまう。
人は好きな人、好意を持てる人と仕事がしたいのだ。嫌なやつと仕事をしたい人はいないだろう。
メカニズムとしては、人は、大脳辺縁系でその人が好きか嫌いかを判断し、それを大脳新皮質で論理的に意味づけをするのだ。
これはよく知っておいた方がよい。
いくら論理的に正しいことをいっていても、嫌なやつ、人格的に破綻しているやつであれば、他者の大脳辺縁系は嫌いな奴と判断し、
それにともない大脳新皮質で論理的に適当に言葉を組み立ててあなたの意見をリジェクトするだろう。
理想は、崇高な人格をもち、深い知性・教養をもてることだろう。
もちろん私はこの域には達しておらず、死ぬまで目指していきたいと思っている。
以上、就職をして大切だと思ったことをつらつらと書いてみた。
結局のところ、私は運良く、素晴らしい人に恵まれ、多くの人に助けてもらった。
私は、どちらかというと綿密に事業計画書を書いて起業をしたというより情熱に動かされて起業をした。
いうまでもなく緻密に計画を立てて起業をしたのではないから、起業した初年度に役所からくる初めて見る諸々の納付書など、送られてくるたびにまた支払いがあるのかとビクビクしたものだ。
時にはキャッシュフローについて日夜考えすぎて、頭がハゲて、病院嫌いにもかかわらず皮膚科に行き、やる気のない態度の悪い医者にハゲ薬をもらい、治したことも今となっては微笑ましい思い出だ。
もともと自分自身には才能があるとは思わない。だが、起業をしてかつ継続するにあたり
大切だと思ったことを記念に書いておきたい。
■■信念
なぜかというと、クライアントの要望やプロジェクトメンバーの意見など常に相対的で、移ろいやすいからだ。
クライアントAがXがいいといっても、クライアントBはYがいい、クライアントCはZがいいという。
それで重要なのが信念だ。これは唯一己のうちにある絶対的なものだ。
この信念を強くもって、自分の足下に大きな杭として打ち込んでおくのだ。
そうすれば異なる考え・ニーズを前にしてもぶれずに前に進んでいける。
杭をしっかり打ち込んでいないと、進むべきベクトルはぐるぐるまわりで、メンタルがもたないだろう。
あと、この杭がないと困難の中、事業を継続していくことが難しい。
トライアンドエラーを繰り返し、うまくいくこともあれば、うまくいかないこともあり、
正直「もう辞めたい」と100回以上思ったことがあるが、その度に信念に基づいてその言葉を打ち消してきた。
■■人脈
人脈は大切だ。当初人脈を作りにビジネス交流会にも行ったが、結論として分かったのは、これは悪くは無いが、絶対にいく必要のあるものでもないと分かった。
そうすれば磁石のように素晴らしい人格・知性を持った人たちと出会える。
では、どのようにすれば己がよい人脈となれるか?
自分に投資をすることだ。投資といってもなにも高額なお金を投資というのではない。
時間と教養について投資をするのだ。一番ROI効率が高いのは、読書だろう。
とにかく自分の専門分野と隣接する領域について読みあさること。
自分の場合は、起業をして平日は月曜から土曜まで仕事をして、夜はなにもない家に帰って、ずっと読書をしていた。
特に起業をするとサラリーマンと異なり、助けてくれる上司はいないのだ。
自分で問題を解決しないといけないので、問題の現状分析・解決法は膨大な読書量による
知識によっていくつか得られるのだ。
このように知識・問題解決能力が身についたら、それを出会うビジネスマンたちにGiveしよう。
とにかく与えること。そこから人脈の輪が広がる。
■■付き合う人
サラリーマンの時とはことなり、起業をするといろいろな人に出会える反面、
逆に得体の知れない人もかなりやってくることがある。
いったいどのようなビジネスモデルで利益をあげているか、どのような収入で食べているのかよく分からない人。
後になって腑に落ちないそのビジネススキームを振り返ると、やっぱりあの人詐欺師だったんだと分かることもある。
得体の知れない人に出会った場合、その人を見る時、倫理観によって判定するのがよりよいと思う。
参考としては、ベンジャミンフランクリンの13の徳が役に立つだろう
節制、沈黙、規律、決断、節約、勤勉、誠実、正義、中庸、清潔、平静、純潔、謙譲
得体の知れない人の話しを聞いて彼の人となりが、13徳から非常に乖離している場合、
さっさと距離をあけるべきだろう。
実際に私も起業をして、危ないことがいくつかあった。
それは、業界的に非常に有名人でかつメディアにも露出している人がいた。
その人が、私に一緒に日本・東南アジアでビジネスをしないか?と持ちかけてきた。
だが、彼の話をよく聞くと、現地の人を馬鹿にしたり、自分は仕事をしないで稼ぐ、といっていた。
私はこれを聞いて、この人は危ない人だとすぐに分かった。
それよりフランクリンの13徳の方が優れているのだ。そしてこれに照らし合わせて、やばい人と思い、私は彼と距離をあけた。
数年後彼は逮捕された。
自分の判断基準をもち、素晴らしい人と付き合っていきたいものだ。
■■己の人格
なぜかというと、仕事は所詮生身の人間同士によって成り立っているからだ。
そして、この人と一緒に仕事をしたいと思われないと、仕事の継続性がたち消えてしまう。
人は好きな人、好意を持てる人と仕事がしたいのだ。嫌なやつと仕事をしたい人はいないだろう。
メカニズムとしては、人は、大脳辺縁系でその人が好きか嫌いかを判断し、それを大脳新皮質で論理的に意味づけをするのだ。
これはよく知っておいた方がよい。
いくら論理的に正しいことをいっていても、嫌なやつ、人格的に破綻しているやつであれば、他者の大脳辺縁系は嫌いな奴と判断し、
それにともない大脳新皮質で論理的に適当に言葉を組み立ててあなたの意見をリジェクトするだろう。
理想は、崇高な人格をもち、深い知性・教養をもてることだろう。
もちろん私はこの域には達しておらず、死ぬまで目指していきたいと思っている。
以上、起業をして大切だと思ったことをつらつらと書いてみた。
結局のところ、私は運良く、素晴らしい人に恵まれ、多くの人に助けてもらった。