はてなキーワード: 玉虫色とは
ぶっちゃけ現行憲法は同性婚を想定していないので、「同性婚を認めなければ憲法違反になるか?」という点ではどちらともとれる玉虫色の表現であると言わざるを得ないが、「同性婚を認めてしまうと憲法違反になる」とかいうのはバカの妄言でしかない。
少なくとも「改憲する必要はない」んだよ。法律っていうのは必要も無いのに思い付きでガチャガチャ弄るものじゃない。
「反対勢力がいるから同性婚が実現できない」って話をしてるのに、「改憲すれば文句言えなくなるじゃん」とかいうバカもいるけど、マジで脳がついてるのか?なんで同性婚に反対する勢力が「同性婚に反対できなくなる」ことを求める改憲に賛成すると思うんだよ。改憲は国会で議論するんだよ?知らなかった?「IHで沸かしたお湯でタービン回して発電すれば電気代節約できるじゃん!」とか言い出すバカか?
あえて書かないってのは分かる
自分もそうしてるし
突っ込まれたら答える(その答え方も事前に用意しておく。その内容も玉虫色にしておく)
の元増田です。
詳しくはこれまで投稿したとおりですが、大まかな所感としては次のとおりです。
総論
○行政に対する訴訟・不服申立ては、行政側にとって百戦百勝して当然であり、監査請求も同様(たぶん)。
○裁判では原告(監査請求でいう請求人)の主張に反論しなければ、反論しなかった部分はその主張が認められる。よって、多少粗雑でも指摘しうる点はすべて主張に盛り込む方が戦術上お得。
○そのような中で、請求人の主張が一点でも「理由がある」とされたことは重大。(請求人大勝利)
○したがって、「請求人の主張の大部分が退けられたから請求人は誤っている/ほんの小さな事」という主張は、少なくとも行政的には妥当ではない。
各論
○Colaboを調査して新たに作成した資料【表3】により請求人の主張の多くを退けているが、【表3】の信憑性に疑義を呈するような文言が監査結果に含まれており、文書中で矛盾していないか。
○請求人の主張にない部分まで踏み込んで是正を求めるのは、通常の不服審査事務から見ると不自然ではないか(極めて異例、とまでは言えないかも)。
○その他文書中で矛盾と思われる箇所が複数あり、違和感がある。
(以下の2点の可能性があるのでは、と考えています。①急遽結論をひっくり返す必要があった、②事務方の原案に納得のいかない委員側が自ら筆を取った。)
これを踏まえた上で、Colabo弁護団による声明(https://colabo-official.net/20230104/)を見ていきます。
本件監査においては、なんら違法行為は確認されず、監査請求人が主張した事実のほとんどは認定されませんでした。
一部について「不当」との指摘がなされましたが、後述する通りこれも、都の明示の指針にColaboが従っていなかったと認定されたわけでもなくより透明性の高い行政に向けた、担当部局に対する改善の指摘というべきものにすぎません。
(声明文第1の2)
○前述のとおり、論点になりうるものはすべて取り上げるのは通例であり、その中で一点でも不当と指摘されたことは重大であることから、この声明文は妥当ではないと考えます。
(というか弁護士なら当然それを知ってますよね?という思いからこの声明文を見る目が自然と厳しくなってしまいます。)
○住民監査請求は都に対してのものであり、「担当部局に対する改善の指摘」というのは制度上当然です。その中で
「領収書が示されていない事項が本件経費に計上されている」
「仕様書に記載される文言そのものからは委託事業の経費として計上することに妥当性が疑われる」
「受託者に対し、本事業が補助事業ではなく委託事業であること、また、本事業が公金を使用する事業であることをあらためて指導徹底すること」
などとの指摘は、担当部局を通じたColaboへの指摘といえるのではないでしょうか?
声明文第2の1~8については、監査委員がColaboを調査して新たに作成した【表3】に基づき請求人の主張を「妥当ではない」としたことをもって、自らの正当性を主張しています。
これはこれで良いのですが、これまでColaboが公表してきた資料と矛盾が出てくるような気がします。Colaboとしては、【表3】が正しい、という理解でよろしいのでしょうか?
人件費・法定福利費(税理士および社会保険労務士の経費)(略)について一部、妥当性に疑義が指摘されました。また事業全般についての改善についての勧告も行われています。
Colaboとして不正な経費の利用を行ってきたとは考えておりませんが、(略)
(声明文第2の9)
Colaboとしては、「税理士報酬及び社労士報酬を全額計上しており、本事業の実施に必要な経費以外の経費が含まれること」(監査結果文書)について、不正ではないと考えている、という理解でよろしいでしょうか?
領収書の記載が抽象的であることについては、監査委員も「本事業の特性上やむを得ない事由があることは理解できる」としています。すなわち、虐待やDVから逃げてきた若年女性を保護するという本事業の特性上、その女性やスタッフの居場所の特定につながり得る情報は記載できず、このことは一般的な必要性として監査委員も認めたということです。
(声明文第2の9)
これはさすがに誤読です。
本事業の特性上やむを得ない事由があることは理解できるものの、証ひょう書類としての性質上、領収書として認められるか否か疑義が生じるような領収書が含められていることは不適切である。また、領収書が示されていない事項が本件経費に計上されていることは不適切である。
「本事業の特性上やむを得ない事由があることは理解した上でも不適切」
であり、かつ
「そもそも領収書すら示されてない事項が計上されているのは不適切」
と指摘された(Colaboの理屈を受け入れたとしても不適切と指摘された)ものであり、真逆の解釈といっていいでしょう。
領収書か抽象的であることを良しとする監査結果についても疑義がありますね。そもそも公務員には守秘義務がありますから。
Colaboの言い分を認めると、世の中の相当数の領収書は抽象的で良くなりそうです。国税庁は認めてくれないでしょうけど。
○こういう文書では「何が書かれているか」も重要ですが、「何が書かれていないか」の方がより重要であることが多いですね。議会でのすれ違い答弁を見ているみたいです(あれは大部分があえてです。)。
○監査結果の、請求人の主張を退けている部分はともかく、結論部分はかなり強い筆致で担当部局による当該事業の監督状況を批判しています。あそこまで書くことはそうそうないことを受け止めるべきと考えます。
○この監査結果及び声明文をもって「結論が付いた」「大した問題ではなかった」などとしている方が、大学教授等を含めて数多く見受けられます。おそらく大部分の行政職公務員はそうは読みとりません。研究経験のない行政職公務員の、大学教員への転職(天下り)は批判的に見ていましたが、需要がある意味が少し分かった気がします。
○いずれにしても2/28までに実施されるという、担当部局による調査及び措置を待ちますが、それまでにもいろいろ動きがありそうですね。住民訴訟も行われるようですし。
○「行政側にとって百戦百勝して当然」いや、行政訴訟及び法に詳しくない人の意見であってそれは違う。近年行政法も色々変えていて、行政は住民の意見を取り入れようとしてる。必ずしも勝つのが絶対ではない。
○民間 対 民間の訴訟じゃ無いからな。Colaboは一応、行政側なので、100%清廉潔白で当然。1%の疑義を証明された時点で即死。仮にも弁護士がコレを分かっていない筈は無いのだが……。
語弊がありましたね。
もちろん行政側が100%勝つわけではなく、敗訴事例もあります。ただ、行政側は百戦百勝するつもりで行政を行っています(リスクを判断しています)し、その上で負けた者は法的な責任は負いませんが相応の評価になる、と御理解ください。
その上で、①原告が勝訴することは稀であり、その場合は大きく報じられること、②Colaboは今回行政側に立っており、負けは許されないこと、という結論に変わりはありません。
○都庁の担当部局の人がこんな声明文見たら頭の血管切れるんじゃないかと心配になる…。 民間で言えば下請け業者の不始末で大恥かかされた上に「私たち何も悪くありませーん」みたいに言われてる状況でしょこれ
都庁の担当者とうまくコミュニケーション取れてないんじゃないかと心配になりますね。
報告書の類いや領収書など、あらかじめコミュニケーションを取っていれば問題になる部分ではありません。
前に投稿した、音喜多議員の「もっと柔軟な対応ができないのか問い合わせ」など、政治の力が悪い方向に働いていなければ良いのですが。
○『議会でのすれ違い答弁を見ているみたいです(あれは大部分があえてです。)。』が分かりやすい。議員・役人が「そうすること」にメリットがあるのは分かるが、弁護団は議員でも役人でもないのにああなのは謎だ
これは相手の出した論点をすべて潰さなければ負けである、という通常の訴訟戦術からくるものだと考えています。
ただ、これをする場合は相手の論点をすべて潰さねばなりませんし、ネット上のレスバで潰したところでほとんどメリットはありません。
今回のColaboの場合は、行政争訟の行政側のように黙して語らず、主張は法廷で行うのがよろしいのではないかと考えます。
あえて書かないってのは分かる
自分もそうしてるし
突っ込まれたら答える(その答え方も事前に用意しておく。その内容も玉虫色にしておく)
書かないなら割りきって全部にコメントを出さず「都の指導に紳士に対応していく」とだけコメントするのがよかったのでは、と感じています。
一部に触れ、一部に触れないと目立ちますよね。
2009年11月のいわいる事業仕分けから、もう13年も経った。「2位じゃダメなんですか?」の質問の発言で非常に曰く付きとなったアレだ。
ところが最近、13年も経ってまだなおナゼ「2位」という言葉が出てきたかが理解できてない人がかなりいる事を知った。それどころか、スーパーコンピュータの京は、事業仕分け時点で世界一になることが明白だったなどという認識まで飛び出す始末である。
ただ、資料もなしにどこが変だと言っても仕方あるまい。何がどうして「2位」なのか、少し語ろうじゃないか。
初期の次世代スーパーコンピュータ (この時点では名前が付いていなかったが、以下わかりやすく京と呼ぶ) 計画 は、補助金を投入してのHPC産業育成に目を向けられていた[1]。世界一の性能を出していた海洋研究開発機構の地球シミュレータが、NECのSXシリーズをベースにしたベクトル型であり、ベクトル型のスーパーコンピュータは日本のお家芸とみなされていた。これを育成することが一つの目標。そして、立ち遅れていた当時の世界のスーパーコンピュータの潮流、スカラ型の開発に追いつくこと。これがもう一つの目標となった。結果、世界でも類を見ないベクトル型とスカラ型のハイブリットなどという中途半端な方式になる。実に日本的な玉虫色の決定と言えるだろう。しかし、補助金の注ぎ込みが不足し、事業者持ち出しの負担が大きくなってしまった。結果、事業費負担が高額になることを嫌い、NECと日立の撤退する[2]。これにより、世界の潮流通りのスカラ型とならざるをえなくなった。
CPUはというと、世界のスーパーコンピュータの潮流では当時から既に汎用のx86アーキテクチャのCPUが既に多くなってきていた中、富士通はSPARC64VIIIfxを採用した。よく国産CPUと表現されているが、SPARCの名で分かる通り、当然命令セットは米国Sun Microsystems (現 Oracle) のセカンドソースであり、端から端まで国産というわけではない。更に、業務用UNIXをささえるマシンとして一世を風靡したSPARCではあるが、当時ですらもう下火となっていた。京の事業費の約半分、実に600億円が、この専用CPUに注ぎ込まれることになった。なぜその選択をしたのか。富士通のサイトには省電力と安定性が理由として書かれている[3]。しかし、その省電力という目標も、後述するように微妙な結果となってしまった。また、ソフトウェアの使いまわしも微妙となった。
計画は2005年に始まる。世界でも類を見ないベクトル型とスカラ型のハイブリットという構成もあり、概念設計にはしっかり時間を費やした。2007年9月には性能目標は10P FLOPSと示した[4]。稼働開始は2010年、2012年に完成という工程も同時に示されている。直前の2007年6月のTOP500を見ると[5]、1位のIBM BlueGene/Lが370TFLOPS。5年後に30倍という性能を目指したことになる。当時の発表としては、世界一が取れるような計画だったが、しかし日進月歩の分野で5年は結果的に長かった。
さて、前述のように、ベクトル陣営は2009年5月に撤退を決めた。10P FLOPSの性能と決定した時には、ベクトル側も居たのに、そこがぽっかり空いた状態。10P FLOPSのあてはいつついたのだろうか? 2009年7月の報告書[6]では、スカラ単体で10P FLOPSを達成できること、ベクトル部は存在していても接続まわりの性能が不足していて問題があったことが表明されている。結果的に、なくなってよかったというトホホな内容だ。さて、同報告書では、稼働開始前の2011年6月に、ベンチマークだけでも10P FLOPSを達成してTOP500の1位を目指すと書いてある。どうしてこうなったのだろうか。
遡ること半年の2009年2月3日、米国国家核安全保障局(NNSA)はIBMと新しいスーパーコンピュータ Sequoiaを展開すると発表した[7]。性能は20P FLOPS、京の予定性能の実に2倍を達成するという発表だ。しかも、提供開始は2011年~2012年。京の1年も前になる可能性があるという。
そう、双方が計画通りなら、京は2012年、提供を開始する時には既に2位になっているという話題が出ていたのだ。なるほど、それはあせって2011年にベンチマークだけでも「トップを取った」という実績を残したいわけである。
さて、その後のSequoiaはというと? ある意味計画通りだろう、2012年に提供が開始され、2012年6月のTOP500[8]では予定通り20P FLOPSを叩き出し、1位になる。しかし、2012年11月のTOP500[9]では、Crayとオークリッジ国立研究所が作ったTitanが叩き出した27P FLOPSという数字ににあっさりと抜き去られ、2位になる。まるで幽遊白書のラストのような展開だ。しかも、SequoiaはIBMのPower系アーキテクチャで構築されたA2プロセッサだったのに対して、TitanはAMD OpteronとNVIDIA K20Xの組み合わせ。汎用性でも差を開けられている。これはお手上げというものだろう。
さて、話は京に戻す。京が有名になったのは2009年11月13日の行政刷新会議、いわいる事業仕分けである(ここは参考文献は要るまい)。このときまで、そんな計画があることを知らなかった人の方が多かったのではないだろうか。どういうニュアンスで言ったかわからない、まるで日本を貶めているかのように聞こえる「2位じゃダメなんですか?」という言葉が非常にインパクトを与えたことだろう。
さて、じゃぁ何が2位なのか。だ。前述の通り、この時点ではIBMのSequoiaに追い抜かされることが見えていた。TitanはGPUの調達など細かい話が決まってきたのは2010年なので、この時点ではほとんど影がなかったはず。ということで、3位じゃなくて2位としたのは、Sequoiaを意識してのことだろう。つまり、「2位じゃダメなんですか?」というのは、1位を諦めて2位の性能で我慢するべきということではなく、客観的に見れば「2位になるのが見えているのだけど、何で1位と言ってるの?」という話になってくるのが見て取れる。蓮舫氏がそこを意識してたか知らんけど。
共同事業者が撤退し、一応強気に「大丈夫」と言ってはいるが、本当に達成できるかは周りからは疑問符が付くグダグダなプロジェクト状況、ほぼ専用設計で量産時にどういう問題が出るかわからないCPU、ソフトウェアも新規制作。税金の投入は中途半端で、産業を育成したいのか企業負担を増やしたいのかよくわからない(だから撤退する事業者が出る)。そもそもここで出来たスーパーコンピュータ、CPU抜きにしても売れるのか分からない。そりゃ、金田康正教授でなくても、京にはため息が出るというものだ。
さて、京は何を達成したのだろうか? 京は完成前ではあるもののベンチマークを実施し、見事11P FLOPSを叩き出し、2011年6月[10]と2011年11月[11]のTOP500でトップに躍り出る。この分野に日本ありと示した…かどうかはわからないが、一つの実績として言えるのは間違いない。いや、経緯のグダグダ感からして、見事なプロジェクト進行だったと称賛できる。しかし、前述の通り共用を開始した2012年9月[12]にはTOP500ではSequoiaに追い越されており、直後のTOP500ではTitanにも追い越されて3位となっていた。1位は、ベンチマークだけの存在だったと言える。
では目標の産業育成としてはどうだっただろうか。京をベースにしたスーパーコンピュータ PRIMEHPC FX10[13]やFX100は、東大[14]、名大[15]、キヤノン[16]、九大[17]、信大[18]、JAXA[19]、核融合科学研究所[20]、気象庁気象研究所と、調べるだけでも国内実績は多くある。国外実績は、台湾中央気象局[21]、シンガポールナショナルスパコンセンター、豪州 NCI、英国 HPC Walesと、それなりにある。ただどうだろう。産業としてうまくいったのだろうか。有価証券報告書を見ても、その他のセグメントに入ってしまっているため状況がつかめない[22]。謎ではある。とはいえもし、産業としてそれなりに育ったのならば、有価証券報告書で報告する事業セグメントとして独立したものを与えられてしかるべきだったのではなかろうか。少なくとも1000億も出したのだ。そのくらいではあってほしかった。更に言うなれば、特に競争の激しい国外市場をうまく取り込めたかというと、産業育成という視点では頑張ったとは思うものの心もとない結果だったように、少なくとも私には見える。
消費電力の面はどうだろうか。上述の通り、SPARCを使う理由には省電力が上げられていた。これをライバルのSequoia、Titanと比較してみよう。2012年11月のTOP500[9]で見ると、京は12.6MW消費するとある。Sequoiaは7.8MW、Titanは8.2MWだ。実はこの時の報告のあるスーパーコンピュータの中で、最大の電力消費量を誇っている。高いほうがいいのではなく、消費電力は低いほうがいいので、これはかなり問題がある。
費用面はどうだろうか。これもライバルと比較してみよう。京は日本円にして1120億円かかっている。対してSequoiaは2億5000万ドル[23]、Titanは9700万米ドル[24]だ。2012年11月で見るとドル円相場は82円なので、Sequoiaは約205億円、Titanは80億円となるだろうか。京のプロセッサ開発費を除いたとしても、数字が違いすぎるのだ。
纏めてみよう。京は、一時期でベンチマーク上だとしても、TOP500で1位を取った。これは「夢を与え」(平尾公彦氏)た結果だったろう。しかし、それは砂上の楼閣でもあった。しかしそれを実現するための費用は米国の5~10倍で、性能は実は半分、消費電力は1.5倍という結果になり、産業育成も盛り上がったかどうかは判然としない。こんなところだろうか。
近年のスーパーコンピュータを含めたHPC分野はどうなっているだろうか。近年のクラウドコンピューティングの流れを当然HPC分野も受けており、主要プレイヤーとしてAWSの名前が挙がっている[25]。またレポートでは挙がっていないものの、Google Cloudも猛追しており、円周率の計算では1位を叩き出している[26]。必要な時に、必要な規模で構築できるクラウドコンピューティングの波は、さてHPC分野でどこまで浸透していくのだろうか。産業育成の方向が、2009年時点では確かにハードウェア開発だったろう。しかし、事業仕分けへの反発により、日本は方向性を間違ってしまったのではないか。私は、そんな気がしてならない。
[1] ttps://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/hyouka/kentou/super/haihu01/siryo2-3.pdf
[2] ttp://www.nec.co.jp/press/ja/0905/1402.html
[3] ttps://www.fujitsu.com/jp/about/businesspolicy/tech/k/whatis/processor/
[4] ttp://web.archive.org/web/20130207162431/https://www.riken.jp/r-world/info/release/press/2007/070914/index.html
[5] ttps://www.top500.org/lists/top500/2007/06/
[6] ttp://www.jaist.ac.jp/cmsf/meeting/14-3.pdf
[7] ttps://www.llnl.gov/news/nnsa-awards-ibm-contract-build-next-generation-supercomputer
[8] ttps://www.top500.org/lists/top500/2012/06/
[9] ttps://www.top500.org/lists/top500/2012/11/
[10] ttps://www.top500.org/lists/top500/2011/06/
[11] ttps://www.top500.org/lists/top500/2011/11/
[12] ttps://www.riken.jp/pr/news/2012/20120927/
[13] ttps://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-24020620111107
[14] ttps://pr.fujitsu.com/jp/news/2011/11/14.html
[15] ttps://pr.fujitsu.com/jp/news/2013/05/15.html
[16] ttps://pr.fujitsu.com/jp/news/2013/08/6.html
[17] ttps://pr.fujitsu.com/jp/news/2013/08/22.html
[18] ttps://pr.fujitsu.com/jp/news/2014/02/13.html
[19] ttps://pr.fujitsu.com/jp/news/2014/04/7.html
[20] ttps://nsrp.nifs.ac.jp/news/PS-next.html
[21] ttps://pr.fujitsu.com/jp/news/2012/06/25.html
[22] ttps://pr.fujitsu.com/jp/ir/secreports/2015/pdf/03.pdf
[23] ttps://arstechnica.com/information-technology/2012/06/with-16-petaflops-and-1-6m-cores-doe-supercomputer-is-worlds-fastest/
[24] ttps://web.archive.org/web/20120727053123/http://www.hpcwire.com/hpcwire/2011-10-11/gpus_will_morph_ornl_s_jaguar_into_20-petaflop_titan.html
[25] ttps://www.sdki.jp/reports/high-performance-computing-market/109365
[26] ttps://cloud.google.com/blog/ja/products/compute/calculating-100-trillion-digits-of-pi-on-google-cloud
今日買い物して薬局から出たら、高校生くらいの男の子がバイクでたむろしてた。
バイク自体は地味で普通だったんだけど、よく見たら排気口?みたいなところが玉虫色で、改造してるんだろう。
ブリリリリリリリリリリリリリ!!!!!
ブリリ!!
ブゥ!!!
ブゥオーン!!ブリリリリリリリリリリリリリ!!!!
ってめちゃくちゃうるさい音を出しまくってて、ガソリンめちゃくちゃ臭いしクソうるせーし最悪だった。
通る人通る人をチラっと見たりして、なんだか
『このバイクかっこよくね?』
って言いたいのが見てすぐわかる感じ。
なんか見ててちっちゃい子が自分の音付きおもちゃを友達と見せっこしながら
『俺のロボなんてこんな機能付いてるんだぜ!ギュウイーン!!ギュルルルルル!!!』
みたいにやり合ってるのを彷彿としせる感じだった。
うぐいすリボンの荻野幸太郎さんが以前に、「表現」としてのAVの権利と「セックスワーク」としてのAVの権利を概念として(どちらが上とかではなく、論点を)区別する話をしてたけど、まさにそういう話だ。
例えば、AVにおいて演者が「オーガズムに達する演技」をすることはあるだろうが、その「演技」というのは必ずしも演者としての映画的な「演技」ではなく、コミュニケーション的な「演技」を意味する場合もある。それはフィクション的な嘘ではなく、建前としてのある意味の「現実」である必要がある。
「セックスワーク」のAVとしては、そういうところに「実際に性行為を行っている必要性」というのがあるんでしょう。
私はAV見ないので知らんけど。
ボクシングの映画では実際に殴り合う必要は無いし、「リアリティ」とやらの追求のために殴り合わせるのは虐待だろうが、ボクシングの試合中継では実際に殴りあって居なければならない。時に八百長があったとしても、それは例外。
AVというのはその両方の側面がある。
フィクションを撮る時の倫理観とノンフィクションを撮る時の倫理観は区別されなければならないが、作品ごとには「どちらでもある」とか「どちらでもない」という玉虫色の多様な表現が存在することに留意する必要がある。
https://www.nhk.jp/p/bs1sp/ts/YMKV7LM62W/episode/te/XLJ547N44X/
こちらを見て、正直いって、25%ぐらいはいいこといっていたが75%が酷すぎたと思う。
【前提となる自分の背景】
===(Nスペ目次)=====
===(Nスペ目次)=====
もう、10年何をしてきたのかという諦めの気分。いま目次を書いてみると、たしかに1時間で
まとめるとこうなるのもやむ無しという気がしてきたが。結局 so whatが無いんよ。
自分が思うso whatは個人単位の戦争をすればいいので「日本で勝負するのは辞めよう」
未だに海外に行かない日本人研究者層が歯石のように積もり積もって自分の首を締めていると思う。
特にドン引きしたのが、ネパールの人材の青田買い。何をしているかというと、「早めに内定を出して日本語教育をしている」
ということ。インド人エンジニアには見向きもされないから、更に安い国としてネパールを選択し、その安物エンジニアを供給
しようとしているようだが、はっきりってその見向きをされていないインド人にどれだけお金を払うかの方が大事。
安いエンジニアは誰も要らない。
わざわざ日本語を勉強してこようみたいなモチベーションのネパール人が使えるわけがない。SIerの下請けにしかこない。
私はカンボジア人のエンジニアと仕事をしていたが、当然英語だし、たしかにコストは安いし、その割に国のトップみたいな
人材だが、その人がわざわざ日本語しかできない人と働くとは思えない。
そういう楽をした内向きの戦い方が全ての元凶だろう。
自分さえどうとでもなればよいという考え方の方が実は日本を救うと思う。いま一時帰国して、この番組を見て
理系人材の扱いが自分の卒業した12年前時点と1bitも変化していないことにショック。
日本の若者がむしろ自分の内向き志向をコロナ等で深めている気がしていることを憂慮する。
松尾豊さんが言っていた「兵站がない」っていう言葉、日本人はとても好きなんだけど、兵站って無限にないんすよ。
僕は国力を上げるにはもう中国化するしか無いと思う。権力への批判機構みたいなのが多少弱まろうが、兵站がない以上
ただし、理系においてはITのような【今トレンドである】ようなものやAIのようなチャラチャラした学問ではなく
、生命科学、物性、宇宙、ITのすべての学問に戦力的集中を行う。
その代わり文系人材、F欄大学などは廃止する。申し訳ないが、これをやらない限り、日本全体が沈下する。
しかし、そしておそらくみんなそれでいいと思っている。なので、そりゃ無理よ。
阪大生命科学の人がオートファジーみたいな研究は芽が出ないから選択と集中を行われては困るというような
言い方をしていた、それは本当にそのとおり。しかし、選択と集中を行わないために選択と集中を行う必要がある。
シャープが選択と集中を進めた結果潰れたのではなくて、選択と集中をしても潰れる流れをせき止めれなかった。
文系の教授のウクライナ情勢での解析の体たらくを見ていてもドン引きする。置きにいったコメント。自分は専門外だからと
小泉特任講師のように画像解析など普通にするべき理系的アプローチも解析もできず、歴史というわかりにくい概念でけむにまくだけで、
この千載一遇の研究結果を元にissueを提言するべきところで何もできていない。
はっきりいって文系という学問がそういう性質があるのはやむをえないがそういう置きに行くことをしていると、当然
なりふり構わない、中国などに勝てるわけがない。日本人全体が苦手なので、玉虫色にしたがって、その結果兵站が
尽きる。当たり前のことである。