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はてなキーワード: 猟奇殺人とは

2021-11-09

最近クワクしてきたな

猟奇殺人増えてきてそのたびに犯人過去が炙り出されるの繰り返し

こんなのザ・ノンフィクションくらいしかあり得ないからな

普段テレビ見てて触れる人間じゃないんだよ

2021-10-05

anond:20211004190149

大抵の猟奇殺人犯は友達がいない。

休日に一人で死体解体するには、休みの日に遊ぶ友達がいない方が好都合だからだ。

まり休日友達と遊んでいないということは、当日のアリバイが無く、

である可能性が高いのだ。

2021-09-27

anond:20210927040321

お母さんが昔猟奇殺人鬼だった頃の話よ。

お母さんは昔猟奇殺人鬼で、東京都ブラックジャックと呼ばれていたわ。

間違いね

東京都ジャックスロウ、じゃなかった、なにかしら。東京都ジャックリッパーと呼ばれていたわ。

夜な夜な道で一人で歩いてる人を襲って、その首を街灯の下に置くという事を繰り返していたわ。

青白い、恐怖で歪んだ顔が、白い蛍光灯の下でぽつんと輝くさまは、人の一生の儚さを感じさせてとても美しい芸術だったわ。

貴方を生んだ今でも、あの時の事を思い出してわくわくしちゃうの。

話してたらなんだかまたやりたくなってきたわ。

うう、手が震える。ちょっと夜の散歩にいってきますわね。

2021-08-09

キムタクが如くこと「ジャッジアイズプレイしたはてなーいる?

キムタク龍が如く下駄履かせたネタゲーだと馬鹿にしてたけどネタ抜きで普通に面白い

ソープの個室でキムタクピエール瀧ボコられる絵面とか面白すぎて腹抱えて笑っちゃったけど、キムタク過去担当した裁判現在猟奇殺人に結びついていくあたりから熱中してしまった。

続編楽しみだわこれ。

2021-08-06

anond:20210806231648

猟奇殺人の度に裁判精神鑑定してるし

証明するまでもなく自明じゃないっすか、それ

2021-07-14

27歳自分の半生

振り返り。忘備録

0~2歳 赤子 

 中流家庭に次男として生まれる。よく泣き、興味をいろんなものに抱き大声で喚く活発な子供だったらしい。ベビーカーが嫌いだった

3~6歳 幼稚園

 幼稚園では人見知りの一方、見知ると良く大声で騒ぎ活発に遊ぶ子供だった。先生が変わった事で親が幼稚園を変えさせる。

そこでも活発で、自分より足が速く喧嘩も強い子といつもつるんでいた。喧嘩もよくしていた。

同時に絵が少し上手く、傷つきやすい繊細な子でもあった。運動レゴ、一人遊びも好き。目立つのも嫌いじゃなかった。

7~9歳 小学校前半 

 活発で成績も悪くなく、よく騒いでいた。親が厳しい事に不満を持っていた。このころから少し不安障害的傾向もあったが隠せていた。忘れ物も多くした。

鬼ごっこをしたり折り紙が好きだった。ゲーム殆ど出来ない家庭で、漫画禁止だった。友達ともあまり遊べなかった。

1012歳 

 初恋をし、その子の事が大好きだった。完全に諦めるまで10年かかる。勉強クラスで一番できていたが、親が黙っていたらしい。

11歳あたりで不安障害が顕著に出てくる。

 ゲーム漫画禁止外遊びも制限されていて、そのせいで友達から恨み言を言われる事もあった。

活発で友達とはポケモンの話をしたりしていた。12歳ごろから勉強が苦手に感じ始める。

13~15歳 中学時代

 強迫性障害になる。勉強も落ちぶれる部活も上手く行かなかった。初恋の子彼氏が出来る。

2chにハマったり猟奇殺人犯について調べたり、同時にたまに明るい子になったり暗くなったり。

勉強をしてもゲームが出来るわけでもないので、ずっと不満が溜まっていた。このころからこっそりゲームをしたり、友達カラオケに行ったり、親を裏切る事を学び自由になる。

15歳ころから絵を描き始め、特に娯楽があったわけでもないのでハマる。

16~17歳 高校時代

 勉強は落ちぶれたままだがそこそこの高校に行く。強迫性障害で苦しみつつ、部活は上手く行き無くなっていた自信を取り戻し始める。

 後輩で経験者が入ってきて自信を少し失う。小説ポチポチ書いたりする。

 当時はあまりメジャーでなかったスマホFPSにハマったりする。絵を描き続け、2chのコミュニティで崇拝する人に出会う。

 アニメにも出会い、SAOを見て熱中する。

18~19 浪人時代 一人にハマる

 勉強と言うより、自分一人の時間に没頭する。幸せ時間でもあった。自分で色々思索を巡らしたりする。結局志望大学には受からなかった。

 アニメを見る事が癒しだった。

2023 大学時代 サークルに沼る

 1年目に昔の初恋の子に遭ったり、久しぶりに恋をしたりしてフラれ、2年目に一発発起してサークルに入る。ケガや挫折経験しつつ、荒波に揉まれ2年間努力した後そのまま退場。

 自分を好いてくれる人も居たが結局付き合わなかった。

 就活の時期はイラストゲーム関係就職したいと思い、予備校に入ったりするが、やる気も無く上手く行かず。結局ずるずるとニートに入る。美大に入りなおそうか考える

24~27 ニート時代

 初めの2年間は家庭内のごたごたの対処23歳で居酒屋バイトを辞め、実家寄生しつつ24歳の中盤にイラストバイトを始め月1万を稼ぐ。実質ニート

 友達と月一でキャンプに行ったり飲み行ったり、運動をしたりしていた。ここらあたりでFPSにハマりはじめる。自宅で密造酒を作りはじめる。

 残りの二年、コロナ初め頃の25歳で初彼女ができるがすぐフラれ、マッチングアプリで会いまくり一年で6人に経験人数が増える。挿入まで行かなかったは3人なので男女関係になったのは9人。

 自分いかに今まで人と向き合って来なかったかを知る。

 イラストバイト仲介先に文句を言って切られ、26歳の最後半年は本物のニートになる。その間にプログラミングゲームエンジンの勉強をする。生活習慣が乱れ、振り返ると病んでいた。

 3年間と3か月ニートしていたことになる。でも27歳、ニート生活も終わりだ。いや終われ

2021-03-03

anond:20210302171038

というよりも韓国フェミニストは同じ国のオタクが頭抱えるぐらい過激なんだよ

気に入らないコンテンツはなんでも糞をなすりつけるし、特にメガリアって連中の活動猟奇殺人にまで発展したことあんのよ

そんなところの人間権利訴えて誰が聞くねん

2020-10-09

暴力に囚われていないという幻想

 それは幻想に過ぎなくて、我々は常に暴力行使する側であり暴力を甘受しなければならない側でもあるんだな。

 我々は常に暴力を振るっているし、そして常に暴力に晒されている側でもあるんだな。

 何というか、そういう単純な地平が思いのほか人々には見えていないようなので、僕としてはビックリすること頻りなのである

 暴力を使ったことのない人間などいない。暴力は我々の内部に根差しているし、我々は暴力行使する。我々はそれによって何かを成そうとする。それが人間という生物基本的な行動パターンじゃないかと思う。何故世の中の人はそういう理解から遠ざかっているのか、自分暴力主体ではなく暴力をただ甘受する哀れな人間であると何故誰もが名乗るのか。僕としてはその辺が不思議でならない。何故あんたたちは暴力主体であるという意識を持てないのだ? 我々は暴力普段から行使しているではないか、誰かを貶め誰かを踏みにじり誰かを圧殺することを通してでしか自らの繁栄を築き上げることなんてできなかったじゃないか、何故その意識から逃げるのだ? などなどと思う。

 「我々は被害者だ」という文言は勿論限定的文脈においては成立する。例えば、道を歩いている時に突然誰かにぶん殴られたとして、「俺は加害者だ!」などと宣う人間はいかにも不自然である。勿論、そういう文脈において人は被害者に成りうるし、俺も別にそれを否定しているわけではない。しかし避け難く我々は被害者であると同時に加害者であるのだ――それを誰もが理解していないということに対して原初的違和感を覚えざるを得ない。何故皆はその共通普遍認識から遠ざかるのか? 何故我々が加害者であるという意識を誰しもが持たずに生きているのか?


 ホッブズの『リヴァイアサン』。その書物をご存知だろうか。多分、殆どの人々がかの書物最初から最後まで読み通したことはないと思うのだけれど、社会科世界史の授業で、「人間万民万民に対する闘争状態にある」という著作中の警句を大いに聞かされた人は多いのではないだろうか。勿論これは事実でありまた慧眼である。いや、少し違うな。勿論、我々は皆お互いにお互いのことを殴り合っているわけではない。勿論、我々は皆が皆お互いのことを殺したり犯したり盗んだり騙しているわけではない。常にそれを行い続けているというわけではない。勿論、そのことくらいは俺にだって分かっている。でも、問題はそうじゃないんだ。我々が、この世界において、そういう具体的な行為に及んでいるわけではない。勿論それは分かっているのだけれど、でも、問題はそうじゃないんだ。僕たちはそれと分かるような暴力行為に出るわけじゃない。勿論、誰もが誰かの門前で誰かを殺したり誰かを犯したり誰かから盗んだり誰かを騙しているというわけじゃない。勿論、そうなんだけれど。

 でも、結局のところ我々は誰かから盗まなければ生きていけないのである

 誰かを、騙さなければ生きていけないのであるし、誰かを犯さなければ生きていけないのであるし、誰かを殺さなければ生きていけないのである。それはとても自明ことなのだ。

 勿論、我々は誰も殺したことがない。そうだと思う。俺もそう思う。俺は誰も殺していないし、誰からも盗んでいない。誰かに関して騙したことはあるかもしれないが、よく覚えていない。

 でも誰かを傷つけたことはあるし、誰かを貶めたことはある。勿論それはそうだ。誰をも貶めず誰をも傷つけずに生きている人間などこの世にはいない。有り難いことにそれは明々白々の事実で、俺も例外なく誰かを貶めたり傷つけたりすることを、かつて息をするかのように行っていた。俺は誰かを踏みにじり、誰かを貶め、誰かを傷つけ、誰かの価値を下げていた。何らの見返りがあったわけでもない。そのような行為を冒すことによって自分自身に対して何らかの報酬があったわけではない。でも、俺はそれを毎日のように行っていたのである

 俺はある時にふとそのことに気付いたのだけれど、特にショックと言うべきショックはなかったと思う。一応きっかけと言うべきものはあって、それは当時俺の身近にいたパワハラ上司に対して憎悪の念を燃やしていた時であった。あの上司には価値がない、あいつには生きている価値がない、あいつは自己反省のできない俗物だ――そんなことを考え続けていた時に、何となくそのことが、ストンと腑に落ちたのである

 そう、つまり、俺もあの上司根本的には一緒じゃないか、と。

 自分のことを振り返ってみれば、自分だって誰もを貶め傷つけてきたじゃないかと。それをさも当たり前の行為のように行ってきたではないかと。

 まあ、仕方ないよな、と。そう思ったのである

 まあ、仕方ないよな、だって、俺は俺だもんな、と。だって、俺は俺なのだから、誰かを貶めたりするくらいのことはするだろうな、と。

 そんな風に思ったのである。俺は俺だから、俺は多分当たり前のように誰かを貶めたり傷つけたりするだろうと、自分としてはそれは明々白々の事実だと、ふと思ったのである。ある時に俺はそれに気付いた。まあ今更そんな青臭い自己発見について長々と語ることに些かの恥ずかしさがあるのだけれど、でもそれは個人的には大発見だったし、その発見について自分はこの数年間というもの忘れたことがない。俺は誰かを――


 そう、人は誰かを貶めなければ生きていけないのである。そのことは明らかなのだ

 ずーっと昔、多分十五年くらい前なのだけれど、俺は猟奇殺人犯の伝記を読むのが好きだった。とても好きだった。彼らは変わった人物で、我々とは少し違ったものの考え方をした。

 中でも印象に残っているのは、かの有名なジョン・ウェイン・ゲイシーで、彼の残したある一言が俺はとても好きだ。俺はその一言をここに書いてみることはしないけれど、でも、俺はその彼の一言がとても気に入ってしまったのである。その一言を聞いて、俺は、素朴にそうかもしれないな、と思ったのである。それはまるで、俺自身無意識の内に誰かを貶め誰かを傷つけ続けて生きてきたことを、ある時ふいに直観したのとまるで同じくらいに、臓腑に染み込んでくる言葉だったのである。ああ、そうかもしれないな、と俺は思ったのだ。その言葉に。


 話が脱線している、閑話休題

 とにかく我々は日々誰かを貶め誰かを傷つけ、時には犯したり殺したり盗んだり騙したりしながら生きている。それはあまりにも自明のことじゃないか、と俺は思う。

 我々が今日まで辿ってきた歴史を振り返ればいい。

 我々の人生はどこから始まったのかと言えば、当然二十年前であり三十年前であり四十年前なんだけど、我々の祖先はどこからやって来たのか、という話をした時に、辿ることのできる歴史には果てがない。我々は遺伝子ボートに乗って何千万年も旅をしてきた、あるいは、何億年と旅をしてきた。

 我々の中にある遺伝子の声を聴く時に、そこには声にならない声がある。我々はその声に耳を澄ませ、そしてある程度言語化された呻きを聴くことができる。我々は、その微かな声を頼りに、歴史を辿ることができる。我々は遺伝子ボートに乗って何千万年も旅をしてきた、あるいは、何億年と旅をしてきた。

 当然ながらその歴史暴力と共にあった。恐らく、そこには絶えざる暴力連鎖があった。我々は多分誰かを殺し続けてきただろうし、誰かを犯し続けてきただろうし、誰かを騙し続けてきただろうし、誰かから盗み続けてきたことと思う。

 我々は誰かから犯され続けてきたし、誰かから騙され続けてきただろうし、誰かからまれ続けてきたと思う。


 だってそうじゃないか

2020-10-08

暴力に囚われていないという幻想(改稿)

 それは幻想に過ぎなくて、我々は常に暴力行使する側であり暴力を甘受しなければならない側でもあるんだな。

 我々は常に暴力を振るっているし、そして常に暴力に晒されている側でもあるんだな。

 何というか、そういう単純な地平が思いのほか人々には見えていないようなので、僕としてはビックリすること頻りなのである

 暴力を使ったことのない人間などいない。暴力は我々の内部に根差しているし、我々は暴力行使する。我々はそれによって何かを成そうとする。それが人間という生物基本的な行動パターンじゃないかと思う。何故世の中の人はそういう理解から遠ざかっているのか、自分暴力主体ではなく暴力をただ甘受する哀れな人間であると何故誰もが名乗るのか。僕としてはその辺が不思議でならない。何故あんたたちは暴力主体であるという意識を持てないのだ? 我々は暴力普段から行使しているではないか、誰かを貶め誰かを踏みにじり誰かを圧殺することを通してでしか自らの繁栄を築き上げることなんてできなかったじゃないか、何故その意識から逃げるのだ? などなどと思う。

 「我々は被害者だ」という文言は勿論限定的文脈においては成立する。例えば、道を歩いている時に突然誰かにぶん殴られたとして、「俺は加害者だ!」などと宣う人間はいかにも不自然である。勿論、そういう文脈において人は被害者に成りうるし、俺も別にそれを否定しているわけではない。しかし避け難く我々は被害者であると同時に加害者であるのだ――それを誰もが理解していないということに対して原初的違和感を覚えざるを得ない。何故皆はその共通普遍認識から遠ざかるのか? 何故我々が加害者であるという意識を誰しもが持たずに生きているのか?


 ホッブズの『リヴァイアサン』。その書物をご存知だろうか。多分、殆どの人々がかの書物最初から最後まで読み通したことはないと思うのだけれど、社会科世界史の授業で、「人間万民万民に対する闘争状態にある」という著作中の警句を大いに聞かされた人は多いのではないだろうか。勿論これは事実でありまた慧眼である。いや、少し違うな。勿論、我々は皆お互いにお互いのことを殴り合っているわけではない。勿論、我々は皆が皆お互いのことを殺したり犯したり盗んだり騙しているわけではない。常にそれを行い続けているというわけではない。勿論、そのことくらいは俺にだって分かっている。でも、問題はそうじゃないんだ。我々が、この世界において、そういう具体的な行為に及んでいるわけではない。勿論それは分かっているのだけれど、でも、問題はそうじゃないんだ。僕たちはそれと分かるような暴力行為に出るわけじゃない。勿論、誰もが誰かの門前で誰かを殺したり誰かを犯したり誰かから盗んだり誰かを騙しているというわけじゃない。勿論、そうなんだけれど。

 でも、結局のところ我々は誰かから盗まなければ生きていけないのである

 誰かを、騙さなければ生きていけないのであるし、誰かを犯さなければ生きていけないのであるし、誰かを殺さなければ生きていけないのである。それはとても自明ことなのだ。

 勿論、我々は誰も殺したことがない。そうだと思う。俺もそう思う。俺は誰も殺していないし、誰からも盗んでいない。誰かに関して騙したことはあるかもしれないが、よく覚えていない。

 でも誰かを傷つけたことはあるし、誰かを貶めたことはある。勿論それはそうだ。誰をも貶めず誰をも傷つけずに生きている人間などこの世にはいない。有り難いことにそれは明々白々の事実で、俺も例外なく誰かを貶めたり傷つけたりすることを、かつて息をするかのように行っていた。俺は誰かを踏みにじり、誰かを貶め、誰かを傷つけ、誰かの価値を下げていた。何らの見返りがあったわけでもない。そのような行為を冒すことによって自分自身に対して何らかの報酬があったわけではない。でも、俺はそれを毎日のように行っていたのである

 俺はある時にふとそのことに気付いたのだけれど、特にショックと言うべきショックはなかったと思う。一応きっかけと言うべきものはあって、それは当時俺の身近にいたパワハラ上司に対して憎悪の念を燃やしていた時であった。あの上司には価値がない、あいつには生きている価値がない、あいつは自己反省のできない俗物だ――そんなことを考え続けていた時に、何となくそのことが、ストンと腑に落ちたのである

 そう、つまり、俺もあの上司根本的には一緒じゃないか、と。

 自分のことを振り返ってみれば、自分だって誰もを貶め傷つけてきたじゃないかと。それをさも当たり前の行為のように行ってきたではないかと。

 まあ、仕方ないよな、と。そう思ったのである

 まあ、仕方ないよな、だって、俺は俺だもんな、と。だって、俺は俺なのだから、誰かを貶めたりするくらいのことはするだろうな、と。

 そんな風に思ったのである。俺は俺だから、俺は多分当たり前のように誰かを貶めたり傷つけたりするだろうと、自分としてはそれは明々白々の事実だと、ふと思ったのである。ある時に俺はそれに気付いた。まあ今更そんな青臭い自己発見について長々と語ることに些かの恥ずかしさがあるのだけれど、でもそれは個人的には大発見だったし、その発見について自分はこの数年間というもの忘れたことがない。俺は誰かを――


 そう、人は誰かを貶めなければ生きていけないのである。そのことは明らかなのだ

 ずーっと昔、多分十五年くらい前なのだけれど、俺は猟奇殺人犯の伝記を読むのが好きだった。とても好きだった。彼らは変わった人物で、我々とは少し違ったものの考え方をした。

 中でも印象に残っているのは、かの有名なジョン・ウェイン・ゲイシーで、彼の残したある一言が俺はとても好きだ。俺はその一言をここに書いてみることはしないけれど、でも、俺はその彼の一言がとても気に入ってしまったのである。その一言を聞いて、俺は、素朴にそうかもしれないな、と思ったのである。それはまるで、俺自身無意識の内に誰かを貶め誰かを傷つけ続けて生きてきたことを、ある時ふいに直観したのとまるで同じくらいに、臓腑に染み込んでくる言葉だったのである。ああ、そうかもしれないな、と俺は思ったのだ。その言葉に。


 話が脱線している、閑話休題

 とにかく我々は日々誰かを貶め誰かを傷つけ、時には犯したり殺したり盗んだり騙したりしながら生きている。それはあまりにも自明のことじゃないか、と俺は思う。

 我々が今日まで辿ってきた歴史を振り返ればいい。

 我々の人生はどこから始まったのかと言えば、当然二十年前であり三十年前であり四十年前なんだけど、我々の祖先はどこからやって来たのか、という話をした時に、辿ることのできる歴史には果てがない。我々は遺伝子ボートに乗って何千万年も旅をしてきた、あるいは、何億年と旅をしてきた。

 我々の中にある遺伝子の声を聴く時に、そこには声にならない声がある。我々はその声に耳を澄ませ、そしてある程度言語化された呻きを聴くことができる。我々は、その微かな声を頼りに、歴史を辿ることができる。我々は遺伝子ボートに乗って何千万年も旅をしてきた、あるいは、何億年と旅をしてきた。

 当然ながらその歴史暴力と共にあった。恐らく、そこには絶えざる暴力連鎖があった。我々は多分誰かを殺し続けてきただろうし、誰かを犯し続けてきただろうし、誰かを騙し続けてきただろうし、誰かから盗み続けてきたことと思う。

 我々は誰かから犯され続けてきたし、誰かから騙され続けてきただろうし、誰かからまれ続けてきたと思う。


 だってそうじゃないか

2020-08-09

普通であろうとした僕と普通にならなかった作家の話

好きな作家がいる。彼はどうも「普通」に対して何か思うところがあるらしく、その作家作品には普通になれない人々が多々出てくる。

ここでいう普通ではないというのは猟奇殺人者とかセックス依存症とかそういうのじゃなくて、普通の両親の元に生まれ普通に進学して働いて~っていうレベルの話だ。

作品に出てくるのは、ただただ働かない人、夢を追いかけ続ける人、家から出ることがほぼできない引きこもりとかがいた。

僕の人生もなんか微妙普通じゃなかった。幼いころ父をなくして片親育ちだし。でも親は新しい人を見つけてその人の子供まで作った。でも結婚はしてない。

そのうえ僕も気にしなきゃ表面化しないレベル精神障碍者だった。これが原因で大学では3留することにはなった。

ちなみに作家と僕の年は近かったりする。そんなことはどうでもいいか

僕は普通になろうとしてた。普通大学を出て普通にそれなりの会社就職してサラリーマンになって~な人生を歩もうとしてた。

でも普通じゃなかった僕にはどうもそれがうまくいかなかった。

僕が不通になろうとして、大学に進学して、普通になれなくて、留年したとき作家作品にであった。

普通になろうとしなかった作家が書く普通じゃない人々の日々は当時の僕にはなんというか元気をくれたと思う。

その作家が書く普通じゃない人々はなんというか少しだけリアルだったと思う。そういうありかたもアリなんだろうかと思わせてくれた。

まぁでも結局のとこ、僕はその作品出会ってから3留してなんとかして大学卒業し、それなりの大きさの会社就職して、今もまぁそれなりに働いてる。

完全に普通になれたかというとそうではないけどまぁ普通に食えてて倒産危機とか全然考えなくて済むサラリーマンにはなった。

作家は今も作品を書いている。普通になれない、ならない人たちを書いている。そして僕はその作品を楽しく見ている。

落ちもないしままりもないけど、普通とか関係なく前に進めてる。それでいいのだと思う。

2020-07-14

anond:20200712141747

俳優創作する女性ファン言動にも似たことを思ってました。

関係性オタ、というんですか?

BLにしなきゃ…みたいなファン多い…。

いやBLじゃなくても、創作ネタに使われる…ファンアートがファンアートじゃない…。

弟が舞台やちょこっとドラマに出るようになってから共演者相手BL妄想や、ファンアートを装った妄想が多く届きますよ、本人にも、私たち家族にも。

直接送りつけられることもあれば、こんなのがネット上にあるよ、と知り合いから届きます

送ってくれる人は悪気なくて、こんな風に描かれてるよ~ってネタっぽくは言うんですが(ほとんど同級生や幼馴染みのしわざ)。

正直、恋愛感情の夢?妄想も怖いです、ストーカー化するんじゃないかと。

でも私も兄も、芸能活動してる本人の弟もそのあたりは覚悟していて、ストーカー家族に関わるものは断固警察介入させますからね、とデビュー前に母と約束していた。

予想外に困ったのが二次創作の的になることで、BLもそうだし、BLじゃなくてもファンアートもそう。

兄弟みんなオタクなので二次創作もわかりますBL趣味腐女子もわかります

でもいざ、自分自分の役がBLにされてみると、本人も最初は苦笑…だったのが、たまに怒りをにじませるのが増えてきたなぁと。

腐女子テーマの「私がモテてどうすんだ」の映画に出演しているTHE RAMPAGEメンバーが、「好きな人メンバー同士のカップリング妄想してたら?」に対して「それはちょっとキツい」「それはちょっと怒ります」と答えていましたね。

わかるわかる!これだよ!と。

弟はグループではないですが、同世代で仲の良い共演者遊んだりしていて、インスタにあげるたびに「関係オタク」の女子たちがBL目線でくいついてくる…。

相手さんは、そういうのも人気を高めるために必要だと思っていてスキンシップするんですけど、弟はそういうの基本ダメ

これは弟ではなく先輩□□さんのインスタですが、

○○くんと一緒にいるんですか?

○○くんとスタライして!

結婚しちゃいなよ!

よくあるコメントですが、まれに○○くんと××さんとの関係推しの方に、□□さんが間男扱いされるコメント入っていてびっくりしたり。

一緒に映ってるの○○くんじゃなくて弟です…。

でも何か言われるかも(付き合えとか、間男だとか浮気じゃんとか…)なので、弟はネタばらしせず沈黙してます

……

……

ファンアートです」って、絵や漫画上げてる方多いですよね。

"ファンアート"って…本人に見られてもいい"応援"ですよね?

違うのかな。まずここが違う?

でもファンアートと言われたら本人は応援意味だと思います名前を出して鍵かけずに発信されてますし。

ファンアート……の漫画…、(これは同級生がサーチして弟に送ってきたものですが)、完全に妄想では???二次創作では??

ファンアート…シナリオ内になかったifを妄想して、描いてる人の趣味嗜好ごりごり反映しててもファンアート??

最近見た漫画は弟のファンではなく共演者ファンが描いたもので、弟の役はその漫画では他愛もない脇役でギャグみたいな内容でしたけど…弟は「こういうのって本人見てないと思ってるのかな」と。

内容はBLではなかったですが、演じたキャラクター揶揄するギャグ

先輩相手だったので「俺□□さんに、こんな(失礼な)こと言わんよ~!」みたいな反応してて。

かにその辺弟はめちゃくちゃ礼儀には気を付けていて、役もそんな無礼講キャラでもなかったので、「伝わってないんだな~」と本人が反省してましたが…。

きれいな一枚絵でも、「なんでこれ、一人(○○くん)だけ目ェでかくてまつ毛バシバなんやろ(他は男性的に描かれてる)」「"ウケ"なんじゃない?」「やめーや」って話したこともありますし(がんばって鍛えてるのに一人だけやたら女性的な見た目に描かれる)

←これほんと本人も俳優友達くんたちもみんな嫌がるけどよく見ますよね。特定の方"だけ"急に女の子みたいに描くので…ウケ…?を察してしまって、きれいな絵だなー以前に「あっ…」となってしまい「これは…たぶん見ちゃだめなやつだったね~」「○○くんには見せられんね~」。

文字だけの妄想ツイートでも、「○○(共演者)くんこんなドクズじゃないのにね」「妄想なのに、断定系(~しそう、~してほしい、じゃなくて、~するよね絶対、~した(小説風?))だとマジでそれしてるっぽくてやだ」とかも…

猟奇殺人犯役似合いそうな顔!とかほんと家族は傷付くので…(兄弟みんな顔にてる…泣)。

もっと売れてあっちこっちでありもしないゴシップ書かれるようになれば、こんなくらい気にならなくなるよ~

有名税ってやつ?攻撃するような誹謗中傷じゃなければがまんしなきゃね~

なんて家族では言っていますが…

ファンアート勢、夢勢、妄想ツイート勢、BL勢…みんなちょっとでも相手実在してる人間だよって思い出してね…見てますから。見て、これ知り合いや友人同士で言われてもやだなぁって思うようなこととして、伝わってますから…。

ツイートも、投稿も鍵じゃなければ見えてますよ。

批判したいとかじゃなくて、ファンで、絵とかツイート見せたいという思いなのだとしたら、ちょっと内容のこと考えてね…それ言われて喜ぶ?それ妄想すぎない?大丈夫

自分創作活動のネタにして、自分が褒められるネタにしたいだけにみえしまう時、あります

妄想妄想です。それはファンアート、ファンツイじゃなくて妄想二次創作!!

せめてそういうのは隠れてやってね!隠れていればこちらも見て見ぬふりできるからね…。

ほんとに、Twitterなら鍵つけるだけでこちらもあえて掘ろうとしませんから…。

描くとSNSで人気者になれるかもしれないけど、推し自身推し仕事仲間や家族が傷つくかも嫌かも気にするかも、よりもそれは優先する楽しさなのかな?

もし応援したい気持ちがあれば、仲間内でこっそり交換しあったりする楽しみ方してみないかな?

感想応援なんかはすごくすごくうれしいし、事務所マネさんがわざわざ感想ツイートキャプチャー送ってくれたりするのでうれしいみたいです、ファンアートも保存させて頂いてます

(でもこれ先輩俳優さんが、インスタで「ファンイラストありがと!」って反応したら「反応しないのがマナーです!」「消してください!」って怒られたみたいで、えーっ応援絵に反応ダメってどういうこと!?となって、私もそれはわからんな~と、今回のこの記事に繋がりました…)

から応援のしかたちょっとだけ考えてほしいな。

そして最後

いかがでしたでしょうか?」ブログ

「妹が一人いるようです!」

いねーよ、姉だよ。姉と兄だよ!!

みんな、信じるなよ!

(追記しました)

Twitterで回ってきて、あっそういう意味に見えちゃうかなと思ったところを修正しました。

Twitterで周囲の人が悪いとおっしゃっている方もいました。送ってきてくれる周囲の人は悪くないので、そこは理解してください。

なにより、どこでどういう反応されているのか収集するのは本人だけじゃできないので、事務所さんからスクショもらったり、周囲の人が教えてくれているのが仕事で助かっているので。

なので、だれでもみれるところにワンクッションもなしにあるものなのに、それを見たり教えたりする奴が悪い、みたいなのはやめてくださいね…。

2020-03-25

anond:20200119154128

死刑の最大のデメリットは引き渡し条約が結べないことだろ。

外国人犯罪者にとっては逃げ得だし、死刑になりたがる猟奇殺人鬼みたいなのもいるし、死刑が罰になると思ってるのは普通感覚を持った人間だけでかえって犯罪者を利するだけなんじゃねえの?

2020-03-22

anond:20200322172519

金儲けが叩かれてるんじゃなくて作品意味合いが変わったか評価が変わっただけ

今回は金儲けだからマイルドだけど、「命を大切に」ってメッセージ作品話題になった後、それが世間を騒がす猟奇殺人犯の作品だったと判明したら評価は激変する

2020-01-25

桃次郎 - 唐の国編 -

鬼ヶ島実態は、

鬼王支配下の、唐の国から逃げ落ちた

弱小鬼種の隠れ家であった

海辺で起こる猟奇殺人

隠蔽に腐心する兄

目前に迫る大戦危機



弟桃次郎が、村を旅立つ!

2020-01-02

[]1月1日

ご飯

朝食:おせち適当。昼食:おせち適当。夕食:おせち適当

調子

むきゅーはややー。今日も家でむっきゅりしてた、親がおせちをくれたので堪能してた。

それから、ひたすらにソムニウムファイルプレイ

AIソムニウム ファイル

infinityシリーズや、極限脱出シリーズのメインライター打越鋼太郎さんがディレクターシナリオを書いてるゲーム

一気にグランドフィナーレまでプレイ。このゲームめっちゃ好きです、Ever17越えって言葉はあまり言いたくないし、極限脱出シリーズで既にそれは成し遂げてるとも思うけど、わかりやすく言っちゃえばEver17を超える打越鋼太郎最高傑作だったと思う。

猟奇殺人を追う刑事バディものという真面目な導入から、開始五分で面白選択肢めっちゃめっちゃあって往年のP&Cタイプアドベンチャー彷彿とさせるコメディ色がかなり強い内容、(EVEシリーズを書いたこともあるライターから、そりゃまあそうなんだけど)

まずこのコメディの部分が、かなり読みやすくて面白い。

良い意味でくだらないし、数クリックで読めるあっさりした内容なので、往年のこめっちょのくどくどしたしつこさがないのが好印象。(僕もう、こめっちょが嫌いすぎてことあるごとに「こめっちょはくどくて長い」と書いてるせいで、本当にこめちょが長かったのかどうか具体的にどれぐらいなのか、自分の中でどんどん肥大化している気がしなくもなもない)

量もかなり豊富で、最後まで楽しませてもらえた。しょうもないダジャレやド下ネタとパロネタが大半なのだけど、それだけに頭空っぽにして読めて楽しめた。

次に、真面目な部分は、とあるSF超常現象を巡る入り組んだ複雑な事件で、流石の打越鋼太郎だけあってグイグイ引き込まれた。

ただまあ、作中ある人物が映った段階で「あーあのネタかな? でも、そのネタだとしたらXXX、XXXXXXX、XXXXXXで通算3回ぐらいやってない? 好きすぎない?」と思ったのは正直な気持ちではあるけども。

けれど、別にそれが悪いと言ってるわけじゃなくて、何回も何回も挑戦しているネタだけあって洗礼されてて、今回はずいぶんシンプルでわかりやすくまとまっていた。

横筋がこのSF超常現象を巡る殺人事件だとすると、縦筋にあたる物語的なテーマである家族愛とのマッチ具合がとても良かったかのも大きい。

僕が、家族愛もの特に血の繋がってない疑似家族)大好き差っ引いても、物語として泣かせる良い話だった。

特に、みずきを巡る一連のストーリーは涙なしにも読めないし、最後選択肢自分で選ばせる構造ゲームらしさもあって大好きだ。素直になれない子供気持ち文章だけじゃなく声の演技からも伝わって来る、みずき役の黒沢ともよの熱演も見所。

この、ストーリー部分とSF部分がちゃんと密接な関係にあって、SF部分があるからこそストーリー部分が輝くし、ストリー部分があるからこそSF部分に深みが出るって構成は、さすがこのジャンル第一人者だけあって本当に綺麗で面白くて、最高だった。

いわゆる「悪いやつ」が少なく、ほとんどの登場人物が好感のもてる良いやつだったこともあって、グランドフィナーレで流れるムービーは笑いながら見ていたのに、妙な多幸感とお別れを惜しむ気持ちで笑いながら泣いてしまった。

正直、パンチラインでかなり打越さんのことをマイナス評価してしまっていたのだけど、これでぐーんと評価し直した。今年また新作が出るそうなので、これはちゃんと新作のうちに買おうと思う。

あと、ちょっと気になるところとして、打越作品恒例といえば恒例のもいっこの方のあのSFネタ

これだけ、作中で明確な説明がされていなくて、ボヤかした表現だけで終わっていたと思うけども、もしかしてグランドフィナーレの最後の一文であるあの作品彷彿とさせる意味深な英文だけで説明したつもりなのだろうか。

だとすると不親切だけども、続編への布石みたいなものかなあ。(続編出なさそうだけど)

R11で、もうあのネタとの決別を図ったと思ってたけど、わりとそうでもないみたいだなあ




○本格スマホRPG

ガチャピン。40連。じゃんけんグーで勝利。虹は、ゴムーン1個。新規加入は、SRセン、SRユーリSRティナ。

なんかSR加入がめっちゃ続いた。何気に恒常SRもずいぶん揃ってきた。未加入の恒常SRは、アンジェ、ヴェリトール、アステール、サビルバラの4人。

2019-11-16

はてなブックマークページのNetflix広告が消せない

当方Androidユーザー

ブコメを読もうとする度に動画再生されてパケット無駄になる

しかNetflix推してくるのは猟奇殺人もの

add block を入れてみたがNetflix広告は消えない

はてブ依存対策かよ

みんなどうやって消してんの?

2019-10-27

やりたいことをするのが人生だ!っていうけどさ

そのやりたいことが女児レイプとか、女児監禁レイプ殺害だったらどうするんだって話だよね。

思春期時代猟奇殺人犯が大好きで、猟奇殺人犯について四六時中調べてたんだけど

多分そういうのを理解しようとしている自分アウトロー自分に酔ってた部分も多分にあった。けど

何より法や世間倫理があるのにもかかわらず、自分のやりたいことをやってる彼らに憧れた部分が一番大きいと思うんだよね。

の子youtuberとかゲームデザイナーに憧れるのに似てるかもしれない。

実際に、大して法の無かった時代(つまり乗り越える壁の無い時代)のジルドレなんかは正直見ても何も思わなかった。

テッドバンディみたいな、法や倫理にがちがちに固められた時代猟奇殺人器には憧れた。

結局、やりたい事があっても、それで人を傷つけたり苦しめたりするのが嫌だから、結局しないんだよね。

地獄変を見ても思うのが、俺はこんな何かに心酔して、何かの為に自分人生を捧げられないなって事。

みんながみんなやりたいことをやったらこの世は地獄みたいになると思うよ。

でもやっぱりやりたいことをやりたいわけで、俺はこの先一体どう生きていけばいいんだ、どうやれば幸せになるんだって考えるたびに

深淵から変な奴が顔をのぞかせるわけなのよさ。。

2019-08-15

浦沢直樹の偽物感

正直、マスターキートンは大好きだし、パイナップルアーミーも大好きだ。

アニメ猪熊柔に恋をしたこともある。

だけどさあ、MONSTERの「本当の恐怖」は……ないよね……。怖いか……?

猟奇殺人や死亡事件に興味を持つ程度の好奇心があれば、アレ、ダメだと思うだろー……。

多重人格探偵サイコもそうだったけど、演出過剰で覚める。映画セブンですら犯人の恐ろしさの描写に苦労の臭わせてるというのに。

あのね、琵琶法師っているでしょ。既に答えは出てんのよ。彼らは自分たちが出しゃばっちゃ、物語りの面白みは半減するってことを。自分黒子だってことを。

「本は月に10冊は読むね」と誇らしげに語るコンサル谷崎潤一郎も読んだことがないことがままある。そういうやつらは大体MONSTERを読んで「めっちゃ面白かった」などと言う。

浦沢にも聞いて欲しいんだが、もう少し他の作品も見ましょうね……。

2019-07-19

京アニの件で「これはテロだ!」って言ってる人たち

が、たくさんいるけどなんでなの?

「これは大量殺人事件ではなくテロリズムである」という文脈で言われている印象がある。

自分の中での"テロ"の意味は、

暴力や圧倒的な力を使って、有利な立場から自分の(政治的/宗教的な)目的を達成する行為

だと思ってて、殺人放火要求を飲ませる手段の一つだと思っていた。

今回は、殺人放火自体が主目的のように感じたので、猟奇殺人事件快楽殺人事件カテゴリかと思っていた。

が、上の意見をよく目にしてなぜ?と思った。

思いついたのが以下のパターン

1.テロ意味を知らない人が、犯人を「大量殺人犯め!」と罵るより「テロリストめ!」と呼称したほうが、"効く"と思っている。

 悪名としてのレベルが、殺人犯<テロリストだと思っていて、犯人を強く非難する目的殺人犯ではなくテロリストである呼称している。

2.テロ事件認定されると判決が重くなったりなど、法律的処遇に差があるのでテロ事件として取り扱うべきだと主張している。

個人的感想としては、犯人にはこの先地獄のように辛く苦しい人生を歩んでほしいと思っているので、2.なら納得感ある。

2019-06-28

anond:20190623235725

ナンパ師に飯と酒おごってもらったら御礼にセックスしてあげることはあるけど会ってそのままセックスってやばすぎん?ホントのヤリ目か猟奇殺人犯か判断する予備時間すらないじゃん

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