はてなキーワード: 狼藉とは
いやナチ全体が福祉国家的で無かったら、慰安婦制度が福祉国家に基づくものって発想どっからでてきたん?
って全然間違いなくないよ。綱紀粛正や性病予防はどの軍隊も気を使ってて、慰安婦制度はその一形態でしかないんだから。
勝手にずっこけてりゃいいけど別に全体主義でも説明できると思うよ。あるいは権威主義体制は民主主義体制よりも統治者の無謬性が求められるから、と説明してもいい。
もっと個別の話をするなら、日独両国は大規模な侵略を仕掛けてその統治が長期間に及んだからだね。
そういう状況では兵士の不満が蓄積し、被支配民を見下すので乱暴狼藉が多くなる。一方軍上層部は民心離反を恐れるので兵士の性管理を始める動機ができる。
で、軍政下っていうのは緩やかな無政府状態だからね。本国では法と体面を気にしてできない「軍による管理売春」ができてしまう。
日独の慰安所があったのは基本的に占領地だけ。朝鮮台湾から連れていかれた慰安婦はいても、朝鮮台湾に慰安所はなかった。そこは占領地ではなく、一応法の支配が及ぶ場所だからね。
左派の人達は自分達はマイノリティであるという自覚を持った言動をしてほしい。
例えば「普通は~」とか、「大多数の~」という言い方をしてはならない。左派はマイノリティなのでこのフレーズは誤りだからだ。
行動も、右派や中道の人達より清廉潔白でなければならない。一般国民はマジョリティに対しては仲間意識が働くため、右派・中道側の多少の狼藉や不正行為は気にならない。パンツ盗もうがハラスメントやろうが収賄やろうが、影響が枝葉であれば許される。
しかし左派はマイノリティであるため、一般国民は左派を外部からの抵抗勢力やスパム業者の類とみなしてしまっている。つまり左派は国民的ヒールポジションであり、スピード違反程度でも激しい反発が巻き起こる。
左派は日本ではそういうポジションになってしまったのだ。しばらくは行動や言動に最大限気をつけ、今までの至らなかったところを反省し、機を伺うのが最適解だろう。
1950年代のアメリカで流行した、「男子学生が女子学生の寮に押しかけて狼藉を働き、戦利品としてパンティーを奪う」という悪ふざけの一種。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E7%8B%A9%E3%82%8A
ケガ人や停学者が出ることがあった一方、大学の古い体質に対する抗議という一面もあったようで、
むしろこれを歓迎する女子学生もおり、中にはパンティーに自分の連絡先を書いて渡した者までいたらしい。
(一橋と津田塾の「ストーム」みたいなものだったのだろうか?)
一時は春の年中行事のようになっていたが、キャンパス内での男女交際がオープンになると、この風習も廃れていったという。
君の言ってることをさらにまとめれば、そこらへんの木っ端ライターとしての仕事さえもらえないのは媒体に合った作文のお作法(ライティング技術)が未だ「身になってない」からで、分かりやすさや表現力と同様に、これらは写経等「努力」によってどうにかなるものだと言いたいらしいな。
しかも「『中身』を伝える」ということ自体も同じ次元に落とし込んでしまっている。
君の言う通り、拙くても伝わる表現もあるが、拙いために何を言っているのか伝わらない表現というのもある。以下は伝えたい内容(概念)に努力あるいは才能が追いついてない例と言えるだろう。
逆に表面的には美しく詩的でも中身が空っぽ(大したことを言ってない)という文章もある。例に出したら怒られそうだが「祇園精舎の鐘の声」とかその類じゃないか。
だから中身を伝えるということにそういう巧拙はあまり関係ないと思う、ただ焦点とすべきは、(分かりにくかろうが)伝わる表現にはなっているか、いないかということだろう。
俺はそれについてどんなに努力(写経)しても伝えることができない中身があるものだという趣旨のことを何度も言っている。
なぜそれを否定するのか。
いっそ写経すればより伝えられる中身が増えるかどうか、その真偽はどうだっていいんだよ。「もう諦めさせてくれよ。」
俺はもうそれなりに努力をした。「才能のせい」だと思えば楽になれるのに。それを「努力が足りないから」みたいに書かれてしまってはまた努力しなくちゃならなくなるじゃないか。
というかなぜ賢ぶりたいとか厨二病みたいな話になってるのか。
ただ対象化して人に伝えることができる物事を増やすということが賢ぶるようなことなのか?言語を道具にいろいろな物事を対象化して思考を深めるということは極めて内的な作業であって、本質的に対外的な側面は無いのでは?
こういったことは、分かりやすくとか美しい表現で話すみたいなこととは全く異質な話だろ。
だいたいもともと元増田もトラバも雑感綴る日記感覚で俺が書いたもので、トラバは俺が元増田の内容を補完する目的で書いただけなのに、なんでその「俺だけで完結してたツリー」に君がここまで食い下がってくるんだい?
何か賑わってるエントリがあって、君もトラバすることでツリーに加わって、それにまた誰かが君のトラバへトラバを返してきたなら、それは相手の方が喧嘩を売ってきた形ととれるけど、俺に対する君の行動はもう一方的に君の方が喧嘩を売り続けてるだけだよね。
俺は自分の信じたいこと、才能によって伝えられることが決まってしまうということを信じ続けるためにこうやって書き続けてるけど、君がここまでこのツリーに執着する意味が分からない。他人のツリーに対する単なる闖入者あるいは狼藉者でしかないのに。
辻斬り程度で終わらずなお反論する熱が冷めないのはなぜ?信じたいことがある人の前にふらっとやってきて(それだけならまだいいのに)否定の言葉をかけ続けるって意地悪にもほどがある。
ちょくちょく賢こぶるとかそういう話にずらして話をループさせてるのは君の方だよ。もう黙ってくれよ。
波物語(NAMIMONOGATARI)の狼藉の影響で、各自治体が施設利用に対する締め付けを強烈に厳しくしている。
具体的には、「原則として開催中止か延期。どうしても公演をやるなら、観客を含めたすべての施設利用者の陰性証明を行うことで許可する」というものだ。
その影響で音楽フェスだけじゃなくいろいろな方面に影響が出ているのでまとめてみた。
そもそも、「弱者男性」という概念がフェミニストの弱者性を盾にする理論(権力勾配論など)を無効化するための概念だから。
まあ、今までフェミニストが批判してきたものにはいろいろあるけど、それに対する反論と共に最近のものをあげてみよう。
何件か、性犯罪が証拠不十分だったり、証言がうまく取れなかったりして無罪になることがあったことで、「疑わしきは被告人の利益に」といった原則について批判するような言説が表れ、フラワーデモなどを通じて、刑事処分に対する粗雑な意見が出てきた。
医大入試で女子の得点が減らされるということが差別だという批判があった。
しかし、これはそもそも過重労働の勤務医を医局人事で回すためだった。この問題を解決するためには、多額の資金を半永久的に投じるか(=不可能)、高度な医療にかかりにくくする(自腹を切れる金持ちはかかれる)が、誰も答えられず批判された。
具体的な被害者の存在しないコンテンツや広告について、女性差別を肯定する風潮に繋がるとか、あるいは見た人が不快になるといった批判を繰り広げた。
そんな理由で規制できるなら、解放同盟の狼藉と同じことができてしまう。
また、規制しろとは言っていないという言い分もあったが、実質的に商業的に排除されたら成り立たないのに、おためごかしにすぎない。BLやTLを表示図書(エロ本コーナー・専門書店オンリー)にしてから言え、という話になるだろう。
男性によくみられる、闘争的だったり支配的だったりするような傾向について、有害な男らしさとして批判し、排除を求める言説が繰り広げられた。
だから、「負の性欲」とか「統計的傾向」で女性の性向がさぐられ、その倫理性を厳しく吟味されるようになった。
つまり、フェミニスト批判者は、フェミニストの主張を単純に適用すれば問題があり、逆用することもできるという批判を繰り広げてきたわけだ。で、これに対してフェミニスト側は「女性は差別されてきたから」「権力勾配があるから」「弱者だから」といった、弱者性を盾にする理屈で批判を無効化しようとした。
しかし、実際には、権力を持っている女性も、権力を持っていない男性もいるし、強いフェミニストもいえれば、弱いアンチフェミニストもいる。こんなのは当然の話だ。
そこで、それらを基に「弱者男性」という概念を用いて、弱者性を盾にするフェミニストの立論を無効化しようとしているわけ。
最初から、喧嘩売ってきやがったフェミニストの方を見てるんですよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4702368850467300258/comment/RIP-1202
人生が楽しいとか楽しくないとか、この世に生きる価値があるとかないとか、そういうのは一切関係ないんだ
相手が望んでいるかどうかわからないことを、無理矢理押し付けるのはやめましょうっていう、幼稚園児でもわかるくらい簡単な話なんだ
出生の当事者は誰か
親もそうだけど、なにより子供本人だ
いいや、していない 一切していない
精子とか卵子に意思能力を認めるんだったら、少年法は撤廃しないといけないし、性交同意年齢も0歳にしろって話になってくる
子供、生まれることに関しては完全に受け身で、どうすることもできないんだ
人生最大のイベントを、一切抵抗できず、同意もまったくしていない人にいきなり押し付ける それが暴力じゃなくてなんなんだって話だ
人に紅茶を強制的に飲ませてはいけません、っていうアレ、アレに賛同できる感覚をもってるのに子持ちのやつ、まさかいないよな?
相手に意識がないのをいいことに狼藉を働くって意味では、酔わせてレイプすることよりもよっぽど酷いぞ、子供を生むって行為!
そこんところどう思ってんだよマジで
マジで教えてくださいよ
これに関していろいろな意見を見たが、大まかに2つに分けられると思う。
・マネタイズしないのが悪い
自分としては両方とも筋が通った話かと思うが、マネタイズしないのが悪い(だから私が儲けても作者に還元しなくてもよい)という言い分のVtuberが時々見られたので処刑しておいた。
さて、フリーゲームはなぜフリーなのか。これはモノづくりをしたことがある(それをフリーで公開したことがある)人でないとわからないかもしれないが、ぶっちゃけ反応が欲しいのである。
ある人は手紙で、ある人は会話で、ある人はSNSでコミュニケーションをとる。その形がたまたまゲームなりの創作物の人もいるのだ。
誰かに喜んでもらいたくて、誰かの楽しいという一言が欲しくてゲームを作ったはずなのに、それをすべてVtuberに横取りされて、投げ銭という目に見える形で自分の人気のなさが明確に表れたとき、「誰かが喜んでくれるかも」が「誰も喜んでくれなかった」に変わってしまうのだと思う。
この時増田が欲しいのはもちろん反応である。「せめて実況者は投げ銭をしてくれ」は、反応が得られないならせめて収益の一部でも…という妥協案なのだろうと推察する。
もちろん、インターネット黎明期のような牧歌的な時代は終わった。新参者は「規約に書いていなければ何をしてもよい」ぐらいの狼藉をやってのける。作者は新参者を教育してやるぐらいの勢いで細かく規約を作るのが次世代の流れかもしれない。
そして新人実況者、Vtuberの諸君はフリーゲームがなぜフリーなのかをよく考えておいてほしい。そして、著作権ぐらいは守れよ…最低限な…
お願いだからな…
六月朔日
武威ノ本最大規模の宗教団体である梵天堂が出した制札が世間を騒がせた。いわく、
武威ノ本で最大の家臣団を抱える西サンジバル藩王国は、対価が必要になるものの梵天堂の荘園を兵站線に組み込むことが可能になった。他の勢力を大きく引き離した形である。だが、それよりもすでに梵天堂荘園から日常的に徴発を行っていたヒポポタマスー帝国の行為が問題となった。
帝国幌生家の言い分は「我が家の足軽大将たちは浪人を一時的に雇った傭兵であり、浪人の範疇に含まれる」との無茶なものであったが、押領ではないかとの厳しい批判を浴び、梵天堂に詫びて禁制を出してもらう道を模索することとなった。
武威ノ本では日ノ本の戦国時代とは逆に寺社仏閣の方から各勢力に禁制を出すのである。
騒動はこれで終わらなかった。
問題発生後、ピポポタマスー帝国の足軽大将たちは制札を出すようになったのであるが、その書式や署名が怪しいとの指摘が相次いだのである。この手の文章は武威家諸法度で用語などが定められている。
逸脱は民衆の不信を呼び込むこととなった。
ついにあるとき、地弥呼と呼ばれる足軽大将が南蛮寺院 兎社からの物資調達に際して、「須田教団からの承諾を得ている」と出した制札が大問題となった。実は須田教団は武威ノ本における代理布教団体の立場にあり、兎社自体は六星教団の持ち物だったのである。兎社からの徴発に際しては六星教団の許可が必要なはずであった。
このような権利確認の疎漏から制札の正当性が疑われ、徴発を行った地弥呼の軍団は解体された。地弥呼は経緯の説明がないまま蟄居となった。しかし、すでに兵の腹に収まった兵糧が返還されたかは不明である。
続いて足軽大将、澪生狼の兵がかつて株魂大社の神社から刈田を行ったことが問題となった。事態が発覚すると、その兵2名は破門を宣告され、責任者である澪生狼自身も永久破門の危機に晒された。軍団の物資調達能力をまったく失った彼女は、蟄居という名の隠居道楽に興ずることとなった。この時の絵日記が後世に残されている。
あわてたヒポポタマスー帝国の幌生家は大半の部隊を一時解散する暴挙に出た。頭を低くし震えて各宗派の慈悲を請うたのである。そのため、帝国の抱える問題は衆人に広く知れ渡ることとなった。
ちなみに幌生家には兎耳形兜を着用した凹田という武将がいたが、2つの事件に直接の関係はない。彼が野良制札を出していないとは言っていない。
ところで、西サンジバル藩王国にも浪人上がりの武将は多くいた。しかし、彼・彼女らは主たる為力家に規律を叩き込まれ、常雇いによって刈田狼藉の悪習からは離れていった。兵農分離が成し遂げられない武将は一部にいたが・・・・・・
また、先に出てきた昇国の居戸家は荘園からの物資調達に慎重で、基本的には道を借りるに留めていた。そのことについて家臣や領民の一部に不満は出たが、他にも財源があるため、これが可能だった。どの家にもできる芸当ではないため、居戸家のようにしろと求めることはロジハラ(ロジスティックハラスメント)と呼ばれている。
一方、勢力拡大を最優先するヒポポタマスー帝国の武将は浪人時代の習慣が矯正できないまま、軍勢の規模を大きくしてしまった。当然、規模が大きくなれば刈田狼藉の被害も大きくなり、宗教団体の厳しい目に晒されることとなる。
勢力図上は順風満帆にみえる帝国であったが、その前途は多難といえる。
楠永玉秀の謀略