はてなキーワード: 独自研究とは
どこかのお嬢様がそうやって声を張り上げた時には、すでにパンティは異世界へ転生していたのである。
なかなか鋭いツッコミだ。確かに、何も知らなければそう思うかもしれない。だがしかし、これは間違いなく転生、パンティ転生である。なぜなら、一部のパンティには生命が宿るからだ。
それはいつどこで現れたのか分かっていない。未だに謎とされている。古くは1700年代のヨーロッパで存在が確認されていた。
清らかな乙女のパンティに寄生し、時間をかけてパンティと一体になる寄生生物。
そう思った時にはもう遅い。パンティ生命体は転生の準備を終えている。10分もしないうちにパンティは消え去るだろう。
パンティ生命体の生態は謎に包まれているが、少なくとも地球上の生物が進化したものとは考えられていない。あまりにも生物としてのあり方が違いすぎているからだ。
一説には、パンティ生命体は清らかな乙女から何らかのエネルギーを得ているのではないかと言われている。ちゅうちゅうと吸い取っているらしい。しかし、研究は進んでいない。清らかな乙女のパンティを常に観察することなど不可能だからだ。人としてできない。
パンティ生命体は乙女からエネルギーを得て異世界のゲートを開く。そして、パンティごとゲートへ飛び込んで異世界へ消えるのである。
とある狂った学者の独自研究によると、パンティ生命体は異世界からやってくるらしい。異世界Aとしよう。そこでパンティ生命体は生まれる。パンティ生命体は我々の住む世界へやってきて乙女のパンティに寄生する。そしてパンティと一体化した後、ゲートを開き異世界Bへ移動する。
転生とはある生き物が別の生き物へ生まれ変わることだ。パンティ生命体は異世界Bへ移動する際に全エネルギーを消費して死んでしまう。異世界Bでは死んだ生き物は必ず新たな生き物へ生まれ変わるというルールがある。だから、パンティ生命体はわざわざ異世界Bへ行って死ぬのだ。
その謎はパンティ生命体の生き物としての弱さにあるとされている。
パンティ生命体は異世界Aでは常に狩られるだけの存在。他種に勝てるだけの力はなく、唯一の特殊能力が透明化なのである。その特殊能力さえも完璧ではなく、我々の世界までたどり着く個体は全体の一握りとされている。
種としての目標が別の種への生まれ変わり。パンティ生命体はおそらく自分のことが大嫌いなのだろう。自己の存在に耐えられないのだろう。
なんとも悲しい生き物である。
弱者男性論盛り上がりすぎてて面白いので当事者独自研究発表する。
私の弱者性は実家がヒョロヒョロで親が毒なことくらい。恋愛弱者といえばまあ恋愛弱者。愛を知らずにすくすくと体は健康に育ったキモいモンスターだよ。普通に愛されてみたい、っていう欲はあるよ。その普通ってなんだよ、ってのは全くわからないんだが。
弱者男性問題、このへんにメインの問題がありそうで、何が救いになるのか本人にすらわからんのよ。眼が悪ければ眼鏡をかければいい。育ちが悪いなら頑張って矯正だ(21のときに頑張ったから箸がまともに持てるようになったよ!褒めて!!!!!一人称が私なのも育ちの悪さを隠そうとして矯正した結果なのよ!!!でも根本的に口が悪い!助けて!!!)。顔がキモいのはしゃーない。どうしてもっていうなら整形だ。今は、有名な弱者性ならなんとかカバーできる環境がある。
じゃあ、毒親育ちで歪んじまった私のメンタルは何が救いになるんだ?わからんのよ。本人にすら何が救いになるかわからんので、手近な「モテなさ」「金のなさ」「キモさ」「育ちの悪さ」とかを原因として弱者性を訴えるんだろうな。わからんから救われなさを叫ぶか、黙って悶々としてるか、私のように割り切って世の中クソやなーって思ってるしかない。
で、私って弱者なんだろうか。今挙げた手近な弱者性全部持ってるけど、それが解決したところで私が胸張って幸せに生きてけるかっていうと、疑問符が付く。特に「幸せに」の部分。今はもうとっくに実家から離れてて、離れた当時は「生きるのってこんな楽だったんだ」って思ったよ。でもやっぱ人生は辛い。心が不安定になるたびに実家への恨み辛みが無限に出てくる。それが弱者性なのか?
そもそもなんで自分を弱者と定義付けたいんだ?生きづらさをざっくり分かって欲しいという欲求だろうか。確かに分かって欲しいなぁ。頑張ったんだねヨシヨシしてもらいたい欲求はある。これが愛なのか。愛されたいなぁ。
というわけで、私の欲求は「がんばったのでヨシヨシしてもらいたい」です。ガキのころから褒められた回数なんて、読書感想文で先生に褒められたのと、お土産の日本酒が大当たりだったときの友人と、美容師に「いい眼鏡してますね!」って言われたのと、増田で野菜くずの活用方法書いたときにはてなーから褒めてもらったのと、会社の人に「食材無駄にしないの凄いね!」って言われたくらいで、たぶん5回です。2回が野菜くず。クズにも使いみちはある、いわんや私をや。ほめて。
「Wikipediaを引用した論文は全て無価値」みたいな言説を見て、どうにかしてWikipediaを引用してるのにマトモな論文を構築したくなったので考えてみた。
ひとえに、Wikipediaの記事自体には新奇性がない、あるべきではないから。記述に根拠が示されていても、それは元となる論文か何かがあるはずで、その論文にあたるべき。孫引きはNG。仮に記述に新奇性がある部分があったとして、それは独自研究や個人の見解であって、引用元として信頼性がない。そして独自研究や個人の見解はWikipediaのルール的にも注意書きが付与、または根拠不明として削除される。つまり、Wikipediaの記事は「引用元として不適当」なのだ。
さて、前提でかなり高いハードルをこさえてしまったが、飛び越えられるだろうか。
Wikipediaという誰もが編集できるweb百科事典の最大手、しかも多言語、研究対象としては価値があるものだろう。しらんけど。Wikipedia自体の研究にWikipediaのページを全く引用しないというのは現実的ではない。少なくとも「Wikipedia:五本の柱」は間違いなく引用されるだろう。
ただ、これは反則技に近いので、Wikipedia自体の研究以外で、Wikipediaを引用したい!というゴミみたいなモチベーションで考えていく。
クソみたいな例えで申し訳ないが、例えば「明らかに間違ってるのに10年間訂正されずにWikipediaの記事に残り続け、その誤りが割と浸透してしまった」みたいなパターンに対する研究。これならWikipediaは少なくとも誤りが広まった要因の一つとして考察に入るだろう。考察に入るなら引用される。これは情報伝達に関する学問的な面白さもあって、良い論文になる可能性がある。
これは多分きびしい。ある事象に対して「一般的にこういうふうに捉えられている」という根拠として、Wikipediaを引用することはできるだろうか。自分で編集できちゃうから厳しそう。
今 冷たくなっていく 二度と目を覚まさない 俺は
俺は桜を見ていた 今立っている足元には多くの死と俺と無念と怒りと死と涙とオニギリ、巻き込まれて死んでいった無数の動植物の死骸と黄金の精神 が埋まっている 今 薄桃の春が美しく咲いている この足元から立ち上る命で 春を感じる
https://youngjump.jp/goldenkamuy/
長い。今北産業
・選挙に行け
・ゴールデンカムイを読め
誰しも、それが最後の言葉になる可能性がある。だから今伝えたい。ゴールデンカムイをよめ。
ネタバレなし
以下の文章にはネタバレ、いわゆるスポイラーはありません。これにより記事はより空気力学的に洗練され、その結果としてより高速で疾走できるようになりません。
アンサイクロペディアはウィキペディアのパロディであることを知らないのであれば、充分注意して、救急箱を手放さないようにしてください。
ゴールデンカムイ最新刊17巻は今日発売されたばっかりだ。ぜんぜん間に合う。買ったか?ゴールデンカムイとは、2016年まんが大賞を受賞し、イギリスの大英博物館の看板になるくらいすごいのだ。
かってないのか?いつお前はチタタプ言えるかな?ってこのアシリパさんに言われなくていいのか?
http://www.kamuy-anime.com/character/asirpa.html
ゴールデンカムイは、まず出てくる登場人物全員の気迫が違う。エンジン音が違う。全力だ。
ボーっと生きてる人などいない。荒れ狂う葛藤をかかえながらも怒らず笑わず表情筋が動かずボーっと生きてる「ように見える人」もいるのだ。
ヒンナヒンナをネタバレなしに説明するなら、アニメ公式のいうhttps://twitter.com/kamuy_anime
冒険・歴史・文化・狩猟グルメ・ギャグ&LOVE和風ラッコ鍋ウエスタンがしっくりくるだろう。
舞台は気高き北の大地・北海道。明治時代後期、日露戦争をくぐり抜けた「不死身の杉元」杉元佐一は、ある目的のために大金を欲っしてた。
一攫千金を目指し 砂金を求めて北海道に渡ってきた杉元を待ち受けていたのは、網走監獄の死刑囚が隠した莫大な埋蔵金への手がかりだった。
圧倒的で、畏怖の念を抱かせるほどの大自然! VS 凶悪、変態で【禁則事項です】な死刑囚! そして、誇り高き変顔の天才アシ(リ)パさんとの出逢い!
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シライシ@shirasiri 安定のいつめん てかマジ久しぶりやろ海(笑)
#白石#アシリパ#杉元佐一#くりからもんもん#cute#kawaii#pink#二階堂#関節#みんながみんな狂人#f4f#北海道開拓の村
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出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。
雑多な内容を羅列した節があります。
https://tonarinoyj.jp/episode/13932016480028986524
読んだ?血は戦争が始まったら怖くても否が応でも血を見なきゃいけなくなる。苦手とか言ってられなくなる。
選挙に行こう、我々は無血で政治を決めるやり方を生み出した。我々にできること一番のことは選挙に行くことだ 並ばなくていい期日前投票制度もあるし 投票率上がるから会場で献血みたいにジュースとカップラーメンくれ。
選挙行ってもムダだって?まぁすぐに恩恵はわからんさ。筋トレと一緒だ。 続けるか否か
昔海で遊んだ経験があれば 海で楽しいという思いをしていれば 辺野古を埋め立てようという議員に投票はしない そうニュースで語る人を見た
知らないと、本当にどうでもよくなってしまうのだ。
開拓され消えた樺太のアイヌの村は 消えていった。北海道のアイヌもそうなる 厳ついグルグルピアスが言う。
知ること それが行動の第一歩だ
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https://anond.hatelabo.jp/20190319222712
・相性ぴったりの政党はどこ?ドキドキ♡えらぼーと占い(追記)
https://mediasapuri.jp/2019/04/24/7565/
政治は、投票率の高い世代の意見を重視する。意見がないと、いないものとして扱われてしまう。
議員に意見を出す方法は、何も投票だけではない。指先や喉から言葉を出力して、それを届けることができる。どこに?「住んでる都道府県」+知っている政党 でググってメールアドレスをゲット。
~について意見を聞きたい、回答を選挙の参考にしたいと伝えれば、民の望む方向へオールを漕ぐだろう。
正直、「あたしこのパイ嫌いなのよね」とニシンのパイを食べなくても、現状それしかないのだ。ニシンの部分を避けてカリカリのところだけ食べる選択肢もある。ニシンはニシンを食べたい人が食べればいい。
・ンチャヌプコロ
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54833
心で感謝しているのに、 それを態度で示そうとしないのは、 プレゼントを包んだのに、 渡さないのと同じことだ( ジグ・ジグラー)
オッサンには人権が無いし、人権を主張するオッサンはモテない。なぜなら、人権を主張するのは弱い男だからだ。弱い男は女にモテない。強い男は自身の人権を主張せずとも有利でいられるほどの強みを持つので特に主張しない。つまり弱い男はモテもしないし人権も無い。
世の中そうなっているように見える。
性的価値をとっぱらった真の男女平等、もはや「男女」を付けることすら不要の「人類平等」の観点からすると、危険労働も肉体労働もやさしさ・やさしくなさも人権擁護もポリコレも性差なく"平等"に行われることになる。言い換えれば、「女は女から降りた」、「男は男から降りた」世界だ。
しかし、それを主張することはいわゆるモテないタイプの男女平等と呼ばれ、女性から不評を買う。つまり女から降りたくないようだ。現代では弱い男は男らしくあろうとしても特にメリットがない、結婚できないし、出世しても責任や仕事が増えるだけで給料も増えない名ばかり管理職。男から降りたがってる人が増えているように見えるが、もちろん、数が激減してしまった"強い男の椅子"に座るために自分をシバいて男らしさ路線で行く人もいて、その辺の人生の選択の葛藤がある。
そもそも人権を主張するのは、表現の自由と同じ、弱者の最後の砦だ。
弱すぎて人生が不利すぎてキツいんですけどなんとかしてくれませんか。
表現が歓迎されなさすぎてキツいんですけどなんとかしてくれませんか。
現代では意味合いや印象がだいぶ変わってしまっていますが、そもそものポリコレや人権の発祥した歴史的経緯は、強者~凡人の人が「さすがにそれは弱者に対してひどすぎないか?」という良心が働いた結果、獲得したものでしょう?たぶん(独自研究)もうちょっと「みんなでそこそこ幸せになれないか?同じ人間なんだから」という意思が、そもそもの根源じゃないんですかね?
だから、ポリコレ、人権、表現の自由というのは、弱い側が有利・強い側が不利な概念なんですよ。そもそも強い側はあまり人権を主張しなくて済む。立場が強いので大切にされるし表現し放題だから。
だから弱い男は人権を主張することになるが、しかしそれは「私は弱い男である」と対外的に示してしまうことになり、つまりモテなくなる。しかも、主張してもあまり人権擁護は獲得できない。オッサンの人権擁護へ投じられる社会リソースはごくわずかだ。
では、なぜオッサンのモテが人権とリンクしているかというと、性的価値の低い弱い男を大切にしない女性の価値観が政治的影響力を増しているからでしょう。
男ならもう少しは弱い男をも大切にすると思うのですが。
むしろ「フェミニストやミサンドリストの目に入ったら騒がれて面倒だから」という程度ではないでしょうか。「子供に見せるのはヤバい」と言う人がいたとしてもせいぜい建前で、実際にそんな心配をしている人がそれほどいるとも思えません。「という方向に収束しているらしい」というのはあなたの思い込みか、あるいはそんな大人の建前論に引っかかってしまったがゆえに(あなたが「〝子供〟の立場からこのトピックで論を立てたい」と考えるあまり)採用してしまった間違った(あるいはあまり意味をなさない)前提なのではないかと言う気がします。
18禁のレーティングを、子供を守るためのものなんて本気で考えている大人は、ごくごく少数でしょう。それは「なにも考えてないから」ではなく、「大枠としてある子供と性という真の問題解決にコストと労力を費やして社会全体として傾注するつもりがなく、といって当該のイシューが原因または遠因となって実際に子供が傷ついたとき、責任も取りたくないから」といったところだと思います(まあ、そういうのはなにも性に関することだけではないです)。
大人というべき立場の人たちが、当事者である子供の性欲の「安全かつ倫理的」な解消に無関心なのは、そもそも彼らに当事者性がないからです。彼らの中にも青春時代に異性や同性との関係を求めて煩悶した人はいるでしょうが、それでもどうにか切り抜けたり、あるいは同じような片割れをうまく見つけて乗り切ったり、それでどうでもよくなってしまったのです。放っておけば今の子供たちも適当によろしくやって育つだろうみたいな、一種の生存バイアスですね(青春時代にしくじって身を持ち崩した人は、ここには含まれません。そんな人たちのなかには、次の世代の子供たちに同じ思いをしてほしくないと活動する人もいれば、逆に同じ目に遭わせてやろうと引きずり込んでくる人もいることでしょう)。
だいたい、そもそもみんながみんな若いからといってそこまで性欲に支配されるわけでもありません。そこを間違えると、単に個々人のフェティシズムを満足させるためというだけの成年向け創作を、隠された人間の本性を暴き描いて禁忌の扱いを受けた真実みたいに思い込むことになりかねません(そういう人こそ、本来「成年向け創作」を鑑賞すべきではない人だと個人的には思いますし、成年向け創作はそういう人に多かれ少なかれ実際に悪影響を与えていると思います)。性は究極のプライベートなので、親しい仲でもそうそう意見を述べ合ったりすることもない問題ですから、知見もたまりにくい。娯楽としての偏った性知識は勝手に変な方向に積み上がっていくんですけどね。
ところで思ったのですが、
このnoteでは「フィクションに影響されてロリコンは子供に手を出す危険性がある」という主張と「ロリコンは子供に手を出さないのにその努力を台無しにするな」という正反対の主張が混ぜられている。
このあたり以降であなたが書いていることを読むに、ペドファイル(ここに「ロリータコンプレックス」を含めるとしても、未成熟な身体性を持つ少女への愛好のことで、成年女性に対しての性衝動は皆無か、あっても薄い)と、いわゆるロリコン趣味者(社会倫理としては許容されていない、制服を着た女子高生なども性の対象にする成年男子。機会があれば同世代の女性とも普通に性的接触を行うし、また女子小中生であっても「女体」であれば性的な対象となる)の意味の切り分けができていないので、話が通らなくなってしまっているように思います。後で出てくる「子供に手を出す人の7割はロリコンじゃない、という話、あれは信用していない」というあなたの考えありき――Wikipediaでいうところの独自研究――で話を進めているからですね。
そもそも大元のネタは成人男子が男児型の人形を買って性衝動を語っているという話から始まっており、「ロリコン」の話ではありません(元ネタの人は自分は男児ではなく女性が好きで、単にネタとして言っただけ、みたいな話になってるようですが)。このあたりも、あなたが書きたいことを書くチャンスが来たと前のめりになりすぎて、周りが見えなくなっているのではないかと感じた理由です。
詳細
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トリアージは言わば、「小の虫を殺して大の虫を助ける」発想であり、「全ての患者を救う」という医療の原則から見れば例外中の例外である。そのため、大地震や航空機・鉄道事故、テロリズムなどにより、大量負傷者が発生し、医療のキャパシティが足りない、すなわち「医療を施すことが出来ない患者が必ず発生してしまう」ことが明らかな極限状況でのみ是認されるべきものである。しかし災害の規模が対応側のキャパシティを超過しているか否かを一切考慮せず、ただ単純に「災害医療とはすなわちトリアージを行うこと」「重傷者は見捨てるのがトリアージ」「トリアージ=見殺し」だとする認識も蔓延している。