はてなキーワード: 独りよがりとは
私は基本的に仕事中毒の人間であり、仕事を抜いたら何も残らない。
もし仕事を辞めたら孤独で無趣味で何の面白みもない引きこもりになるだけだ。
私の仕事は独りよがりであり、作っては捨てての無駄な労力ばかりかけている。
仕事においては報連相が大事なんていうのは、うんざりするほど聞き飽きたフレーズではあるが、私はそれが嫌いだ。
まずは相手が何を求めているかをきちんと確認して仕事の方向性を決めて、
作成している途中の段階で何度も都度確認をしながらコンセンサスを得て、
最終的にゴールにたどり着くという段取りが重要なのは分かっている。分かっているがそれが嫌いなのだ。
仕事の相手は顧客であったり上司であったりするが、その相手が何を求めているかなんて大体ソイツ自身にも分かっていない。
言語化することをサボっていたり能力がなかったり、理由は様々だが、とにかく相手にヒアリングすることなんて時間と労力の無駄だと私は思ってしまう。
だから私は最初から全部作り上げる。作成途中で7割程度の完成度のものなんて見せても、不出来な部分を指摘されて不愉快になることが分かり切っている。
そうして完成させた成果物を出しても、いやそういうのじゃないんだよね、というお気持ち一つでバッサリと捨てられる。
こんなの作るのに時間かける前に、ちゃんとコミュニケーション取ろうよと言われる。
私は雑談が非常に苦手であり、休日をどう過ごしているのか、どんな趣味があるのか、といった話ができない。
飯食って昼寝してネットサーフィンしてで終わりだよとしか思えないのだが、普通の人がそうではないことは知っている。
雑談ができないから、何を考えているのか分からない不気味な人間としてカテゴライズされ、異物として扱われる。
仕事は仕事として、割り切って扱ってもらうことはこの人間社会では難しい。
まあそんな仕事の中身についての話はどうでもいい。結局は給料をもらって生活が出来ている、それだけだ。
人生は、予期せぬ出来事で満ちていると言われるが、私の人生は単調で予測可能だ。
朝起きて、仕事をして、夜になったら寝る。毎日同じようなことの繰り返しで、時が過ぎていく。
過去の私が、もっと相手の心に寄り添うような行動を取っていれば、という場面も思い浮かぶが今更だ。
まあみんな大体そういう後悔のいくつかはあるだろう。そういうものだ。そしてその8割は勘違いだとも分かっている。
過去の行動を誤ったと解釈することもできるが、こういう行動をとった結果が私なのだから、無理しても仕方ない。
仕事中毒の人間が家庭を犠牲にして働いて、職を失ってから後悔するという話もよくあるが、私にとっては贅沢な話だと思う。
その家庭をそもそも築けなかったのが私だから、完全に下位互換でしかない。
もう若くはない。この先、同じような毎日を繰り返して老いていくのかと思う。
去年一月、いまだに経験0なのが嫌だったのと、誰かに抱かれれば少しは自己肯定感がマシになるかと思ってネットで募集していた何人かとしてみたのだが、なんというかあんまりいいものでもなかった。
まずは人見知りがひどいので行為中も緊張しっぱなしだったのと、何をしたら相手が喜ぶのとかが全く分からないから全て手探りなのと、こんな状態だから気持ちいいとか感じる余裕が全くなかった。
最後に会った人はなんか独りよがりな感じで、キスマークとかつけられちゃったけどそれも嫌だったな やってる間ももさっさと終わらないかなーとか思ってたのを覚えている
それ以降こういったことはしていないが、やっぱり誰かを好きになってからやるからこそ意味があるのだなと寂しくなってしまっている
何でだろうなあ
「飯を食う」のモチベの中に「ゴミを片付ける」が入ってないからどうでもいいとなっちゃうんだと思う
もし次の機会の「飯を食う」があればゴミも片付けるし
「部屋を掃除する」のモチベの中でならすごく積極的にゴミを片付けるんだと思う
解決するには「部屋をきれいに保つ」をモチベに入れるように仕組みを作るしかないかもしれん
次の人のことを考えてないのか?と問われたら考えてないんだと思う
別に独りよがりとかじゃなくて、その瞬間にそうなってしまってる
でもこの目的遂行のために最小限の労力しか払わないのって人生においては大事で
初めてここに日記を書く、というか自分個人と特定されているTwitter(とかつて呼ばれていたもの)には書けないような感情が渦巻いてきてどこにも捌け口がなかったからここのアカウントを取得した。誰かに見て欲しいし意見が欲しい、という気持ちが0ではないがここでそんなことは期待してない。リアルでこんなことを話せる友人がいれば相談したいがプライドが高い自分にはこんな内容を相談できる友人が余りにも限られている。だからここに書いていく。自分の思考の整理のためにもアウトプットすることにした。読みやすさは考えられてない。
自分:アラサー男 恋愛経験が豊富かはわからないが人生で5回程度は異性とお付き合いしていたことがある。
普通に人を好きになったつもりだった、でも今までと違う。明らかに精神に異常を来している。
その人は知人の知人で、通話を一緒にする機会があって知り合った。自分より年上で職種は違えど同じ業界の仕事をしている。1度目は気が合うなと思ったがTwitterで繋がった程度で接点は他になかった。また知人づてで一緒に話すことがあり、翌日翌々日と連日通話をし、寝て起きて仕事に行くために切るまで繋いでいた。自分に気があるのかと思ったし、そこまで告白はしないもこちらは好意があるというのは発言から伝わっていたと思う。LINEも日中度々していたが、数日後から急にドライになった。通話をすれば以前とは少し違うが優しく対応してくれる、急な電話にも対応してくれる。しかし違和感がありどんどん自分の中に焦燥感が募って行った。徐々に距離を取られているように感じた。自分なりの試行錯誤はしたが、どれも上手くいかずだった。この時点で自分の失敗した点はいくつかあった。自分の環境が悪く家族がいるお茶の間でVCをするハメになっていたため、気恥ずかしい話は全部流してしまっていた。相手からのサインかもしれないところを流した。他の点は後に考察して気付いた点なのでそこで書く。
最終的にどうなったかというと体調を崩し、そのまま精神的にも崩れてしまい、捌け口のない自分はTwitterで大荒れの天気模様を垂れ流し最終的にその女性に、夜中に連絡して話を聞いてもらってしまった。この時点で、その相手への好意による問題だとは気付いていたが、そんなことを本人に言えるわけない、今言ったところでなんの勝算もないと思いはぐらかしながら聞いてもらった。
効果は覿面ですぐに元気になった、翌日も心配なメッセージが届いて幸せだったがそこで初めて自分のことを見つめ直した。自分は話すのが得意だと思っていたし何気ないことを多く話すことが得意(表現が微妙)、相手も発話量が多いので気が合うと思っていた。でも、違うことに気がついた。その人ちゃんと自分のことや考えを織り交ぜていた、そもそも人と仲良くなるためには、相手知り相手に知ってもらわなければならないからそうだろう。
今まで自分はそこに気が付いてなかった、もちろん話す時に自分の考えや自分のことを述べることもある。だがそれは自分の自慢や実績ことが多くいわゆる"痛い"内容だったのではないか、そうとしか考えられなくなっている。今まで自分が他人としてたコミュニケーションは上辺だけのものに感じられる内容だったのではないかと思う。それは今回の相手以外にもだ。それまで、たくさんの話す機会があったのに無碍にしたのは自分だと後悔した。自分で修正しなければと思っていたのに、その夜たまたま相手からかかってきた電話でテンションが上がりまた相手が言わんとしたことをうやむやにして聞いた、相手もわざわざ言葉にしてほしい内容(自分のその相手の関係性の話ではない)ではなさそうだったがそのままでは今までと何も変わっていない。本当に自分は馬鹿だと思った。
その後は相手も用事で数日開けていたため、朝まで通話していた名残から少しメッセージは送っていたが用事に集中してもらうよう、邪魔にならないようにメッセージを切ったりしていた。用事が終わって相手が疲れていそうなタイミングで少しメッセージを送り、相手がオフラインになってるのに気づき謝罪した。疲れているのがわかっていたのにすぐ会話を続けようとしてしまった、なんとも独りよがりだ。
それからずっとどうするべきか考えている。精神的にはまたしんどい状態になっており、食欲もなければ寝もできないし何をやってもうまくいかない。結果はどうであれ気持ちを伝えるべきだとは思う。では気持ちを伝えて相手がうなづいてくれることはあるのか?3割ぐらいはあるかもしれないが、自分視点で見た自分と同じように相手が認識しているのであればダメだろう。もし最初に好意を抱いていてくれてたくさん時間をとってくれていたのなら、0ではない。
好きで一緒にいたいというなら今は時間を置くべきではないか?全くもってその通りだが、多分このままでは体がもたない。だからこれからある程度相手の暇そうな時間に電話をして、今までのことに気を付けて話し、自分のことを伝え相手のことを知ろうとしようと思う。
2.3回話したら、好きだと伝えようと思う。つまりこの1週間ぐらいの間で勝負をつけたい、じゃないと体が持たない。それこそ独りよがりで相手のことを考えていないコミュニケーションじゃないかと思う。
でも自分にできるのは、自分の体の限界を踏まえてそれが限度だと思う。それでフラれるなら仕方がない、自分がまともな人間だったなら掴めたかもしれないチャンスを落とすことは更なるダメージになるだろうが、この状態が続くよりはいいように思えてしまう。このアウェイな状況で好きだと伝えることを考えると気が重い。なのにフラれたとしても楽になる可能性もかなり感じている。いや、告白したら頷いてくれるとどこかで期待してるからなのだろうか。この一件で、プライドも高く話しも上手いと思っていた自分はズタズタになった。恥ずかしがりでなんでもトライせずに上手くいくように仕向けたりしてきた人生だったから、若い頃の経験値が足りなかったとも思う。趣味などで比較的大きな成功体験を積み、そこで天狗になってしまっていたからそれ以上挑戦することもやめてしまった。そもそも今までの恋はなんだったんだろうか。これも一つの結論が自分の中では出た。好きな人は中学まではいたこともあったが、思いも知られることはなく振られることもその人に彼氏ができることもなかった。高校以降人と付き合うことがあったが相手が好きでどんどんアタックした経験はなかった。相手も俺に好意がある、という前提のもと好きになることばかりだった。そういう意味では自分から好きになったというのは10年以上ぶりの経験である。それだけ好きなのかもしれない、ただ久々なだけかもしれない。もう一つ可能性がある、最初は相手からも好意を感じていた。だから目の前で梯子を外されたようになって意固地になっているのではないか。ただ、自分のこれまでの気質では考えにくい。そういう状況で意固地になると、知人の知人ということもあり自分の高いプライドに傷がつく展開になってしまうからだ。今はそんな高いプライドも筆箱に入る物差しより小さく、高かった鼻は折れて包帯でぐるぐる巻きであるが。
そしてその人がいろんな人との関わりを書き込むたびにどんどん思考が歪む、自分は一体どんなやつに見られていたんだろうと。しょうのない可哀想なやつなのかもしれない、優しい人だから付き合ってくれてるのかもしれない。いたたまれなくなってきた。どうするのがいいんだ、今は一旦退いて機会を作り直すのか、もうどうしようもないのか。答えを教えて欲しい、試行錯誤する元気はもうない。自業自得だけど。もしフラれてもいい機会になるだろうとは思う、恋だってきっと今はそれしか見えてないだけで広い視野で見ればもっといい出会いもあるだろう。この考え方、自分は嫌いだから救いがないが..
アラサーになってこんな思いをすると思わなかった。
追記:寝れなくて勢いだけで書いたけど、自分が初めて付き合ったのは別に初恋ではなかったな。でも振られて後で自分の悪い部分がいっぱいあったことを理解したから近いものを感じてそう書いた。
おれは結婚することとはパートナーが老いていくところを一番近くで見守ることができる権利だと思っている。身体的な、見た目の変化もあるけど、精神的な、考え方とかだったりを感じることもでき、とても満足している。もちろんパートナーの幸せがベースなので、いつもニコニコしていてもらうために一生懸命尽くしているつもりだ。もちろん足りないところや、独りよがりなところもあったりするんだろうけども。
そろそろ結婚して20年になるのだけど、パートナーが更年期障害が始まったようで、メンタルが大崩壊している。昔から気性が激しい人ではあったけど、ふとしたことで怒ったり泣いたりし、また自分の感情のコントロールがうまくいかないことに想い悩み、また泣いている。おれに出来ることは話を聞いたり宥めたりすることくらいしかなく非常にもどかしい。
そんなこんなで最近思ったのは「相手の老いていくところを見守る」ということについて、覚悟が足りなかったかもしれないということ。例えば病気や怪我で入院だとか、老後の介護だとか、障害を抱えて特別なサポートが必要になるとか、そういうことは念頭に置いていたけど、更年期障害についてはこんなに大変なことということは考えが及んでいなかった。老化というのは単純に身体機能が衰えていくというだけでなく、身体が変化していくことにより思いもよらぬところで色んな影響が出ていくのだなと実感した。
はてなブログで男性型更年期障害を書いてる人がいたが、女性特有なものではないようだし、おれもそのうち訪れるんだろうな。それにしても我々人類はこうもホルモンバランスに振り回されるものなのか。
CoCで2PLやりたくない奴の話してもいいですか?
じゃあやるなよという話なんですが、もうやらんので、ただの愚痴です。
元々4PLとかを一緒にやってて、私がこの2PLやりたいと言ったら、じゃあ私一緒にやりたいです!という話が出るほどまあまあ仲が良いい方でした。
2、3回ぐらい2PLを回った結果、その子の癖がまあ〜合わん合わん。
(エモいというのは巷で言う花とか柊とかそういう奴です。)
これは私が合わんな〜と思う話ですので、他の方はなんも思わんのでしょうが…
その子、私に殺されたがるんですよね。
9割殺されたがってたので、そういう癖なんだと思います。
いや別に、そういうシナリオ、PC、PLならいいんですが、違うシナリオでもそうなんですよね。自分の身をすぐ犠牲にしようとする、というか。
その子、別に死んでもいいですけど、殺されてもいいですけど、死にたいです、殺されたいです!みたいな発言が多くて。
一回ならまだしも、ずっと言うのよ。そういうシナリオ回る私が悪いんか?そんならすいません。
ここからはただの考察なんですが、多分オナニーしてんですよね。殺されオナニー。
CoCって、死なないと継続PCで他シナリオ行けんですよね。死ぬとロストで、もう連れていけない。
そんで、継続だと大抵後遺症とかがあり、そのシナリオ踏まえた人生になるんですよ。
そいつを殺しても、私のPCはそいつを殺した人間として生き続けないといけない。ずっと残るんですよ、キャラシに…
私にお前を殺したという重荷を背負わせてニヤニヤすんなボケ!!!!!!!!!!
シナリオで相方に殺されて満足して気持ち良くなってるんじゃなく、ただ普通に、死にたがりの殺されたがりなのかもしれません。CoCの楽しみ方が刹那的なだけかもしれませんね。
死にたがりオナニーに付き合って殺せばよかったんですか?それってすごい独りよがりじゃないんか?一緒に話を作り上げるtrpgではないんか?ああ?じゃあ死ねやカス。
と言わなかった私を褒めて欲しいです。
相手もおんなじこと思って、私んこと嫌っててほしい。あいつ私のいうこときかん、殺されたいのに殺してくれん。もうやりたくないって。
もう私のこと2PLに誘わんでくださいね。
当方歴=年齢、独りよがりの恋がご破算になったので、来年いいスタートを切るため、学んだことを共有します。
相手はお酒を飲んでいて、話のトーンが合ったので連絡先を交換しました。
記事の性質上、参考にするのはおすすめしません。あの人に届きませんように。
洋画とドラマに造詣が深い人だったので、オススメ聞いて、作品見て感想答えられるようにした。通話しながら同じドラマ見たりもした。
ただし、失敗したとき、これきっかけで好きになったものを触れるたびに思い出す呪いになってしまうので諸刃の剣。
(チャラン・ポ・ランタンのマッドネスって曲はこの手の呪いに効くかも)
音楽の趣味が似ていた。おすすめの曲聞かれて答えたり、ここの歌詞好きって話したり、一緒にライブに行ったりした。
向こうが暇な時に電話をかけてくれる。好きな人からの突然の電話が嬉しくないことがあろうか、いやない。たとえ出られる状況になくたって嬉しい。
なお、途中からこれはできなくなっていった。こっちが話を聞きたい、聞いてもらいたい状態になってしまっていった。
香りがハマるかは正直賭けだけど、僕はそのブランドの定番より喜んでもらえる当たりを含むセットを贈った。覚えてたことに対する喜びのあとに、いい香り見つけた喜びのメッセージが嬉しかった。
最近寒くなってきたね!気になる冬アイテムある?→コートとか見てるー→じゃあ買いに行こうよ!(超概略)って感じにデートに誘った。額は関係なかった。喜んでる顔が見たくて仕事頑張って予定合わせて有休取った。店員さんと、僕と好きな人しかいない3人のファッションショー、時間を止めたかった。その日のデートでは向こうからカラオケも提案してくれて、一緒に好きな音楽を歌った。カラオケって相性わかるよな?と笑っていた。
最後のデートは人生で一番幸せな日だったが、気持ちが昂ぶりすぎて帰りの新幹線で気が急いた。
結果、相手が大切にしているだけの時間が自分に対する不安を増幅させた。
告白に限らず、双方向のリアルタイムコミュニケーションが必要な話題はテキストを使ってはならない。
その場で消化できなかったイベントは、次に回してゆっくり育てていかなければならない。
告白の次に来た返信は、僕が相手から貰ったお菓子への言及だった。その後も服への反響、僕の好きなアーティストが駅をジャックしている様子の写真を送ってもらったりした。
遠距離でかつ仕事の休日も違うのに、その場の楽しさにかまけて、後先を考えた行動ができなかった。
後から電話の時間を作ろうとしたが、向こうが話せそうな時間にこっちがたまたま仕事の打ち合わせがあって話せなかった。
それから電話が鳴らない間、相手は相手の大切な時間を過ごしているだけなのに、こちらが勝手に不安を募らせた。
不安が極限に達したとき、電話でアドバイスを仰いだ。「もし、僕が諦めたいと思ってるなら?」と聞いたら、「告白されてそのまま他の話題を続けてなあなあにする人は、重要な場面ではぐらかしそう」って言われた。またいつもどおり話そうという、彼女なりの気遣いだったかもしれないのに。
結果、自分から嫌われに行くメンヘラムーブかまして、後から取り戻そうとして、叱られて終わった。最後はそれはそれはみっともない男だったからきっとふっても後悔はないはずだ。
仮にうまく行っていたとしても、不安になってしまう状況に向き合う度に崩壊の危機に面しただろうし、長くは続かなかっただろう。
いま自分にアドバイスできるなら、とりあえず自分を信じるべし。積み上げたもの思い出せ、全力少年すな。
「不安やストレスへの向き合い方」として「相手に期待しない」という方法を使うことでじっくり待つことはできたはず。「相手に期待しない」を表明しない限りはネガティブな要素を持たないので副作用もない。
実際、ここ数日は一定の効果を実感している。友人から返信が来ない時に忙しいんだろうなと自分を納得させることができている。今までの僕は相手に期待し、求めすぎていた。
基本的に相手が自分のことを好いてくれている前提。失敗やらかしている中で「ポジティブな反応が期待できるでしょう」ってその通りにするとブロックされます。
僕はふられた日、次のカラオケで歌おうとしていた115万キロのフィルムを聴きながら泣いた。
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取り戻そうとしないこと。いいな?お前はふられた男だ。身の程をわきまえろ。ギフト贈ったりしちゃいけないぞ。今年もよろしくとか言っちゃいけないぞ。
前を向いて生きる君が一番カッコいいぞ。
そいつは人懐っこい性格なのか、たまの帰省でやってくる見知らぬ俺にも触らせてくれるいいやつだった。
猫を挟んだ母との会話も自然、その子の話が中心となり、母は楽しそうで。俺の代わりというよりはもはやかつての俺以上に猫中心で暮らしているんじゃないかと羨ましかったり、母を頼んだぞといった気持ちでいた。
そんな愛の独占者からはじめてプレゼントをもらったのは数年前のお盆だった。
まだ暑い季節。築50年は超えてると思うボロい実家。猫類から人類への贈り物はGだった。Gの死体だった。
フィクションだけの話だと思っていたが、まさか本当にGを咥える猫がいるとは!
俺はGが大嫌いで、ボロ屋で毎年Gが出ても一目散に逃げて母に退治を依頼する軟弱ボーイだった。視界から外れることの方が恐いがそれでも目視も耐え難いので丸投げ一択。依頼して外出だ。一人暮らしをするときも何が一番不安だってGが出たときに一人で対処しないといけないことで恐怖に震えていた。まあガチガチに対策してなんとかシャットアウトしているのだが、毎年夏は憂鬱になる。
閑話休題。
当然俺は飛び起き距離を取り母に報告して玄関で爆発物処理を待ったのだった。
また余談なのだが、俺にもわずかながら彼女といふものが居た期間がある。軟弱学生ボーイだったころだ。そして軟弱学生独りよがりボーイでもあった。
今でも4℃やピケ、ダサピンク、サイゼリヤ問題などの話題が盛り上がるとチクりと胸が痛むのだが、そう、俺は初めてプレゼントでどう考えても喜ばれないアクセサリーをプレゼントしてしまったのだった。当時はそれが彼女に似合うと思っていたんだ。本気で。俺は頭がわいていた。舞い上がっていた。独りよがりボーイだった。
当時これはイケると思ったプレゼントは思ったより喜ばれず(露骨に嫌がられなかったのは感謝しかない)、それが原因じゃないにしろなんだかんだで別れてしまった。
Gをくれた、人の心がわからない哺乳類モンスター。それでも俺はあのキャットが嫌いではなかった。なんせ猫は猫であるだけで愛らしいのである。
一方、人間のやらかしプレゼントは被害甚大だ。俺がGの死体を笑顔でプレゼントしたらその人は俺と絶交を返礼してくれるだろう。あ、爬虫類飼ってる友達はGが餌とか言ってたけど。それでも人to人じゃ喜ばないだろう。
Gを贈られても愛される。猫ってすっごくズルくないか?あるいは人が猫に寛大すぎないか?
人が喜ばないプレゼントを贈っても苦笑されつつ許されるような、そんな猫のような人に私はなりたい。できればついでにあのときに戻ってプレゼントを選びなおしたい……。
なんてことをつらつら考えていた。なぜ今そんなエピソードを書いているかというと、明後日の帰省のときにはもうそいつは居ないからなんだな。Gをプレゼントしたあいつが居ない実家は寂しいなと感じているので、やっぱり猫はズルいよな。
いや「過去の判例+法律事務所の解釈」と「素人の根拠なき感想」
なら前者の方が信頼性があると思うのは当然ですよね?
素人である自分の方が正しい!と思い込むのは別に良いんですけどだったら根拠示して下さいよってさっきから言ってますよね?
それもせずに自分の方が正しいと主張する事こそ独りよがりそのものなんじゃないですか?
あとそもそもの話
「名誉毀損が成立し辛い政治家に対する不正行為の報道に基づく批判であっても罪が確定していないなら犯罪者呼ばわりは名誉毀損である」
というあなたの主張って
「根拠も判例も無く一般人である相手の事を「名誉毀損を犯した犯罪者」呼ばわりしている」あなた自身にかなり刺さってませんか?
「中学生で覚える言葉」を、「知ってる」というところで満足して、実際に実行できているかどうかには一切気をまわさない、というのもなんていうか、独りよがりな「知性気取り」の特徴だよね。
概念は単なる知識であって、自己啓発本のような実践に必ず価値があると説くものじゃねぇよ。
普通は、ある種の普遍的な教えというのは、「普段からできているか」と気にすることで役に立つものだと理解しているものだけど。
反証可能性という概念に対する反論だって存在するだろ?普遍的なんて言葉を何にも考えずに言っているところがお里が知れるぞ?要はお前が考えていることは普遍じゃねぇんだよ。
ブックサンタとは自分の選んだ本を、経済的に本を買えない家庭の子どもに寄付するという活動だ。
ランダムに本を選んで贈るのではなく、その子の趣味嗜好を聞いて選んで贈るらしい。
いいじゃんそれ、と思って自分も本が好きだしやってみようと思って本屋に行ってきた。
結論から言うけど本をプレゼントするってめちゃくちゃ難しいね。
ブックサンタは毎年小学生向けの本が少ないとポスターで見たので小学生向けの本を選んでたんだが、
いや〜それ子どもにとって100%嫌な大人ムーブだな〜と気づき
いや〜普通の文庫は少し難しいか?もっとライトめな方が良いか?と気づき
次に青い鳥文庫の前に行って青い鳥文庫から出てるホームズを選んだけど、
いや〜そもそも今の子どもって一体何が好きなのか全然知らんな?と思い至り
いや決して選んだ本が悪いというわけではなく、自分のリサーチ不足・自分に子どもがいないので、これで良いのかな?ほんとに?!ちゃんと子どもに人気だよね!?大人の独りよがりになってないよね!?子どもに押し付けみたいになってないかな!?みたいな…
なんか書けば書くほど言い訳になってきてしまうな〜!言いたいことも言語化できないこんな脳みそ
でもまあきっと自分の子ども時代に空想科学シリーズがあったら絶対読んでるし、ホームズとかみたいな古典で大人にも人気シリーズの本は誰かが贈ってる率高いだろうし、いいんだろうな
また参加をするときはしっかりと子どもに人気の本を調べてから行こう
【追記】
お褒めの言葉とかもあり、ありがとうございます
空想科学シリーズが本当に人気とわかってホッとした〜楽しく読んでくれると嬉しいな!
お金の方が良い〜というのは確かにわかる感情ではあるんだけど、
誰かが自分にプレゼントしてくれた・サンタさんが来てくれたって経験も大切なんじゃないかな〜と自分は思ったので今回本をプレゼントしました
あとまたこういった取り組みをするときに自分と周りに子どもがいないと好きな本ってわかんないから、
もしよければ「こんな本好きだよ!」「こんな本好きだったよ!」を書いてもらえたら助かります