はてなキーワード: 犠牲とは
私の父は認知症だ。現在はとある老人ホームに入ってもらっているが、このたび認知症が故のセクハラが多いとのことで、追放されることになった。
注意したり投薬を増やしたりと頑張っていたのだが、収まる気配はない。癌の治療のため、ガンマナイフを脳にあてたことによる高次脳機能障害かもしれないと言われた。
健康な時の父は全くセクハラとは無縁だったので正直悲しいものはあるが、脳の問題や精神病なら本人にもコントロールできないだろうし仕方ない。
そして現実は小説と違って、追放された後にとりあえずゆっくりしてから潜在能力を開放…というわけにはいかない。新しい受け入れ先を探す必要がある
当初、私は父が癌でお世話になっている病院の地域連携室というところが勧めてくれる施設なら、スムーズに受け入れてもらえると思っていた。
多少は不自由や価格の問題があるだろうが、それは仕方ない。とにかく受け入れてはもらえると思っていたのだが、結論として勧めてくれたところは全滅した。
父のセクハラが思ったより見境が無く、面談に来てくれた看護師にも、手を握ったり、キスをせがんだりということがあってのことではあるのだが。近年はどこの施設も審査が厳しく、セクハラが激しい認知症患者は受け入れられないとのことだった。とある施設では相談員と施設長判断で受け入れを合意してくれたのだが、受け入れの2日前に、その施設の本社のリスク・コンプライアンス室というところからストップがかかってちゃぶ台を返されたこともあった。「施設が見つからない」「あそこもダメだった」と相談すると、父がお世話になっている病院の担当者や医者はみな驚いていた。医療・介護の業界では、現場の従事者と本社のスーツ組の感覚は少々ずれているようだ。
あらゆる施設を当たってはいるのだが、どうやら普通の老人ホームは無理で、精神病院しか受け入れ先がなさそうだ。
「場合によっては身体拘束することがあります、というか9割がた最終的には身体拘束すると思います」と精神科医には言われている。
がん性疼痛が発生してもロキソニン程度の薬しか投与できないと思ってくださいと言われている(麻酔不可)。
おそらくだが一昔前は現場の介護士の方々の苦痛を犠牲に、父のようなモンスターと化してしまった人間もそれなりに尊厳をもって穏やかに死ねたのだと思う。
あー、あの駅はイケニエなのだな。一人だけ犠牲になってもらって、物見高い観光客などにサラシモノにして、ワラワラ寄って来たところで商売して経済効果を得るというビジネスプランだw
ある意味、昔話などによくある「魔物の被害を免れる」か「山の神海の神などに豊作や大漁を願う」ための人身御供の少女みたいな境遇ってところに同情して「かわいそう」と吐露したのが呂布サンの本心なのかも知れない。知らんけどw
حُرِّمَتْ عَلَيْكُمُ الْمَيْتَةُ وَالْدَّمُ وَلَحْمُ الْخِنْزِيرِ وَمَا أُهِلَّ لِغَيْرِ اللّهِ بِهِ وَالْمُنْخَنِقَةُ وَالْمَوْقُوذَةُ وَالْمُتَرَدِّيَةُ وَالنَّطِيحَةُ وَمَا أَكَلَ السَّبُعُ إِلاَّ مَا ذَكَّيْتُمْ وَمَا ذُبِحَ عَلَى النُّصُبِ وَأَن تَسْتَقْسِمُواْ بِالأَزْلاَمِ ذَلِكُمْ فِسْقٌ الْيَوْمَ يَئِسَ الَّذِينَ كَفَرُواْ مِن دِينِكُمْ فَلاَ تَخْشَوْهُمْ وَاخْشَوْنِ الْيَوْمَ أَكْمَلْتُ لَكُمْ دِينَكُمْ وَأَتْمَمْتُ عَلَيْكُمْ نِعْمَتِي وَرَضِيتُ لَكُمُ الإِسْلاَمَ دِينًا فَمَنِ اضْطُرَّ فِي مَخْمَصَةٍ غَيْرَ مُتَجَانِفٍ لِّإِثْمٍ فَإِنَّ اللّهَ غَفُورٌ رَّحِيمٌ 3
5-3.あなたがたに禁じられたものは、死肉、(流れる)血、豚肉、アッラー以外の名を唱え(殺され)たもの、絞め殺されたもの、打ち殺されたもの、墜死したもの、角で突き殺されたもの、野獣が食い残したもの、(ただしこの種のものでも)あなたがたがその止めを刺したものは別である。また石壇に犠牲とされたもの、籤で分配されたものである。これらは忌まわしいものである。今日、不信心な者たちはあなたがたの教え(を打破すること)を断念した。だからかれらを畏れないでわれを畏れなさい。今日われはあなたがたのために、あなたがたの宗教を完成し、またあなたがたに対するわれの恩恵を全うし、あなたがたのための教えとして、イスラームを選んだのである。しかし罪を犯す意図なく、飢えに迫られた者には、本当にアッラーは寛容にして慈悲深くあられる。
وَمَا مِن دَآبَّةٍ فِي الأَرْضِ وَلاَ طَائِرٍ يَطِيرُ بِجَنَاحَيْهِ إِلاَّ أُمَمٌ أَمْثَالُكُم مَّا فَرَّطْنَا فِي الكِتَابِ مِن شَيْءٍ ثُمَّ إِلَى رَبِّهِمْ يُحْشَرُونَ 38
6-38.地上の生きとし生けるものも、双翼で飛ぶ鳥も、あなたがたのように共同体の同類でないものはない。啓典の中には一事でも、われが疎かにしたものはない。やがてみなかれらの主の御許に召集されるのである。
趣味や家族の時間を犠牲にしてまでお金を稼いだり勉強したりする、自己研鑽に一生懸命な人の気持ちが本気で理解できなくなっている。そのことに気づき、驚愕した。
何故だろうと考えると、それほどの自分のための研鑽のインセンティブがないからだと気付いた。
今の自分を支配するのは、「行き着く先は一個人の死である」「死後に干渉できることなどなく、観測することもできない」「死を前にしては、殆どのことはどうでもいいことである」という、仏教的な虚無主義だった。
死後自分に残せるものがないなら、死後のために努力して意味があるのか。生きている間に直接関与できない人間のために努力する意味があるのか。報われるかも分からない努力をしようというほど粋な心意気をしているわけでもない。ならば、今自分が大事にしたいもの、幸せを感じられるものに時間投資をすべきだろう。そのような刹那主義に気付かないうちに至っていた。
ふと、元々そんな気質だったかと省みてみる。幼少期から一貫して、真面目な性格であった。学生の本分だから勉強はするし、将来選択肢が増えて生きやすくなるから成績を上げる。両親の期待と投資があるから報いようとする。果たしてそれは、学歴という成果につながった。
また、学生時代からは漠然と知性体を創りたいと考え、その道に邁進した。その原動力は恐らく、価値観の合う同世代がいない孤独感を埋めたいという動機であった。
知性体を創りたいという想いは、自らの才能に見切りをつけた時点で潰えた。いかに研究しようとも生きているうちには創れないだろうという確信、大局観を持つのが苦手な自身の研究適性のなさ、研究者として生きるのが難しいという社会的な制約。そういったものをひっくるめて、才能がないと理解した。
やがて会社に勤め、その孤独感だけを手元に残して働くようになった。目の前の仕事に邁進する中で孤独感は膨らみ、誰かと一緒に生きていきたいと言う思いが募った。迫る孤独への焦りと言い換えても良い。
そして、出会いを求め、結婚した。極めて運の良いことに、価値観が合い、一緒にいて気安くかつ幸せに暮らしていける相手と結婚できた。その結婚による変化は劇的だった。端的に言えば、自分のために研鑽するうえでの最後の動機であった孤独が、満たされてしまった。
学生の頃の残滓で社会人博士も目指したが、もはや優先するものが変わっていた。続くわけがなかった。
妻と子供という自分より大切なものができた時点で次に意識したのは、自らの死だった。かつての自分にとって、死は「作業が止まるイベント」でしかなかった。だから、それまでにできることをやらねばならないと言う焦りに繋がった。しかし、今の自分にとって、死は「何を遺すか」になった。自分のために遺しても意味がない。であれば、自分のためにする研鑽も意味がない。
あと思いつくものといえば、勉強が必ずしも良い未来を保証しない年齢に差し掛かっているのかも知れない。また、元々の気質として、好奇心は概要に触れるだけで満たされ、何か行動に移すということが厭わしいと思う所もあるのかもしれない。
総括すれば、自分のために努力する動機を失ったこと、自分よりも優先したいものができたこと、死への意識の変化、そして年齢と気質。そういった物が集まって、自分のための研鑽をしなくなったのだろう。
ならば、今私がすべきことは、自分のための研鑽をしなくなったことを嘆くのではなく、家族のために何を遺せるかを必死に考え、そのための努力をすることなのかもしれない。
古の時代から、ニンニクはその強烈な香りと力で人々を魅了してきた。しかし、誰も知らぬ間に、その白い皮の下には隠された陰謀が潜んでいたのだ。
ある秘密の会議で語られたという。ニンニクはただの香辛料ではない。実は、全宇宙に張り巡らされた「香りの結界」を操作するためのキーアイテムだったのだ。ニンニクを食べるたびに、我々の体内で微細な振動が生じ、その振動が古代から存在する「香りのネットワーク」を通じて、全ての生命体に微妙な影響を与えているという。
なぜ、吸血鬼はニンニクを恐れるのか?それは彼らがこのネットワークに干渉する存在だからだ。彼らは、香りの結界の外に存在する暗黒の力と結びついているが、ニンニクの香りがその接続を断ち切るから逃げざるを得ない。
さらに驚くべきことに、ニンニクを大量に摂取した者は、一時的にこのネットワークにアクセスすることができるという噂がある。彼らは「香り使い」として知られ、意識せずに他人の感情や行動に影響を与えることができるようになるのだ。
だが、この力を手に入れるには代償が伴う。口から漂う独特な香りにより、彼らは他者から孤立し、次第に社会とのつながりを失ってしまう。それでも、彼らは全宇宙の香りの流れを支配するため、その犠牲を甘んじて受け入れる。
気づかぬうちに、あなたもこの香りのネットワークの一部になっているのかもしれない。今日、ニンニクを食べたあなたも――。
次にニンニクを手に取るとき、それがただの調味料であるとは思わないことだ。その白く輝く球根には、遥か昔からの陰謀が隠されているのだから。
京都アニメーションの新作が発表された。
落胆した、そして悲しくなった。
一方は既存のシリーズの劇場版、もう一方は新規とは言えかつて京アニで制作した同作者の「日常」の流れを汲んでるので、似たようなテイストになるのは明白だ。
京アニは完全新規の企画を立ち上げる体力はまだ戻ってきていないことをまざまざと証明させられた。
あの放火殺人事件によって、京アニの精神的支柱・大黒柱とも言える木上益治氏を失い、武本康弘、西屋太志、池田晶子も居なくなった。
実は事件後、犠牲を免れた人達の中からも大勢が京都アニメーションを去っている、監督・キャラデザ・作画監督クラスの人間がごっそり京アニを辞めたのだ。
きみの色公開中の山田尚子はもとより、ヴァイオレット・エヴァーガーデンのキャラデザの高瀬亜貴子ももう京都アニメーションには在籍していない。堀口悠紀子は事件の数年前にはすでに辞めている。
その他の作画監督級のアニメーターも退職して上京したり、廃業したりしている。
2010年代の京アニは特に自社原作オリジナル作品に力を入れていた。
会社として多数のオリジナルIPを生み出せる強みを存分に活かしていたが、それを担える才能はあの事件でほとんど失われてしまった。
今度の「新作」も、既存もしくは既存に近い性質の作品ばかりだ。
傍目には復活できたかのような京都アニメーションだが、今回の新作発表会で事件から5年以上経ってもかつての力を取り戻せてはないという現実を無惨にも突きつけられた気がした。
京都アニメーションの強みというのは、商業主義と表現主義のバランスだ。商売として売れなければどうしようもないが、だからといって表現も捨ててはならないという強固な意思の強さだ。それは犠牲になった木上益治氏の影響力も強かったからだ。華々しいテレビや劇場の裏で作っていた短編作品などは極めて表現主義的なものだった。
その木上氏を失い、多数の才能も失った京都アニメーションは今後、商業主義的な作品ばかりになっていくのだろう。
それがとてつもなく悲しい。
土方の愚痴。
近隣住民の方から信じられないクレームをいただいて心が折れてしまった。
おそらく,その方は我々を人間扱いしていない。
ただ,社会の大多数の人も,心の奥底では我々を人間扱いしていない。
建設業従事者は残業がつかない―正確には定時に出勤し定時で帰っていることになっている―上に,給料が安い。
楽そうに見える仕事にもその仕事なりの苦労はあるかもしれないが,建設業は肉体的にも精神的にもつらい仕事だ。
靴や手袋など衣類の消耗が激しいため,金がかかる。夏場は飲み物を準備するのに,金と手間がかかる。
にもかかわらず,20代の後半で月の手取りが16万円,ボーナスは1.5か月分,定期昇給はない。残業もつかない。
正直なところ,みじめだと思う。工業大学を卒業したが,土木・建築系の学科を選んだのが間違いだった。
そういった人たちの給料が高いと,まともに道路が作れないし家も建たない。食料の値段は高騰し,税金はさらに高額になるだろう。
ただ,その犠牲の上でのうのうとくつろいでいる人が「〇〇って必要不可欠な職業だから尊敬している」とかいうたびに吐き気がする。
だから,自分の利益と我々の仕事が衝突するとき,例えば食料品の値段が高いとき,インフラを維持するための税金が高いとき,近隣の工事の音がうるさいとき,
信じられないほど残酷なことを口にできる。
食料品の値段が高い,というのはよくわかる。しかし,その矛先がなぜか農家に向かい,農家が利益を出すために価格に転嫁することを認めない。
私の体験で言うと,作業の合間の休憩中,施主に「そうやって日陰で休んでないで働け,金払ってやってるんだから」と言われたことがある。
60寸前、間も無く定年再雇用をするかどうかの意思表示をするタイミングの大卒からずっと働いてきたという人。
定年再雇用での待遇ダウンすることに対しての文句を言っていたのを聞くことに。
確かに話の内容からしたら、制度の趣旨に沿って一線を退き、後進の指導のみというわけじゃないので、そのような不満があるのはわかる。
ただ、転職経験者として「それは悪手で何ら良いことがない」と言いたいことはあった。
まだ辞めるかどうかは明言しちゃいけないし、「他に行くところがなかったら残る」は言っちゃいけない。
確かに出来る人だし、辞められると困ることはあろうと思う人だが。辞めることを取引カードにしたところで、会社は何も気を遣っちゃくれない。
むしろ、それで残ったら市場価値が無いと見られ、さらに評価されなくなる。
いつぞやに聞いた
いつまでも残るかのように働き
しかないのよ…
それでどれだけきっちり、自分の休みを犠牲にして引き継ぎをして退職しても、退職後に欠席裁判されることもあるけどね。
それは、組織の問題にせずにいない人のせいにした方が波風立たないからね。それやったところで問題の本質に切り込まず先送りしてるだけだから、後ほど問題が深刻化して対処できなくなるのがオチだけど。
古戦場と呼ばれるソシャゲのGvGイベントがあり、そのGvGイベントから逃げるなという文字通りの意味だ
ブラウザゲームでありながら今も40万人以上のアクティブを誇るソーシャルゲーム、そこでしか得られない報酬と順位というトロフィーを目的にスマホを17時間触ることを強いられている
実際は強いられていないのだが、ある一定の層以上になると強いられているのとほぼイコールになるのだ
GvGでありPvPでもあるこのイベントはある一定以上のプレイをするとなると自分ひとりで完結することができない
最大30人が所属できるギルドに所属し、そのギルドの順位を上げるために自分の余暇を切り崩すのだ
自分は喜んで余暇をささげているのだが、上位プレイヤーになってくるとそうでもないらしい
数カ月に1度のイベントごとにギルドの空きメンバー募集が行われ、またイベントごとにギルドの解散やゲームの引退報告が出る
自分には関係ない世界だが、GvGの勝敗のために急に休みを確保するプレイヤーがいたりと負担は大きいのだろう
勝手に競技性を見出し遊んでいるのが上位プレイヤーだと言われたらそれはそうなのだが、個人的な憧れの一端でもある彼らがゲーム自体に疲弊し何かを犠牲にしてまでゲームを行っていることに対して疑問を抱かないわけでもない