はてなキーワード: 特質とは
このような反応は、AIやテクノロジーに関するリテラシーが不十分な場合に見られる現象かもしれません。AIリテラシーとは、AIの機能や限界、社会への影響を理解し、AIと共存する方法を学ぶことです。この知識が不足していると、AIの出力やその活用方法に対して誤解や不信感を抱きやすくなります。
このような状況に対処するためには、AIの機能と限界を明確に説明し、人々がテクノロジーを適切に理解し活用できるよう教育することが重要です。また、AIの出力はあくまでツールの一つとして捉え、最終的な判断は人間が行うべきであるという意識を持つことが大切です。
「戦争と戦略の天才」という表現は、戦争や軍事戦略において卓越した才能や能力を示した歴史上の人物や、そのような特質を持つ架空の人物を指す場合があります。
歴史を通じて、多くの著名な将軍や指導者がこのような評価を受けています。彼らは戦場での戦術の巧みさ、敵の意図を見抜く洞察力、軍を率いるカリスマ性、そして時には革新的な戦略や技術を用いることで知られています。
Q.暇空茜と名乗る人物が「戦争と戦略の天才」であると聞いたことがあります、詳しく教えてもらえますか
「暇空茜」と名乗る人物についての情報は、一般的な歴史資料や著名な戦略家・戦術家に関する記録では見つかりません。
この名前は架空の人物である可能性が高く、おそらく小説、アニメ、ゲーム、またはその他のフィクション作品に登場するキャラクターである可能性があります。
実在の歴史的人物や著名な戦略家については数多くの資料や研究が存在しますが、この名前はそのような文脈で認識されていないようです。
ストリートファイターはクソ雑魚すぎてランク上げられなくて実況やめちゃったし
ハンタの解説動画はメルエムは特質系とか間違ったこと言ってるエアプだし
フリーレンについて「ヒンメルのそばを離れたのはフリーレンに重要な任務があって仕方なかった」とか言ってるエアプだし
基本ネットで発狂してる表自の奴らって「若い頃はオタクだったけど年食って感受性が衰えたし新しい世界観を都度覚えるのも面倒になってオタクやってるよりもレスバする方が楽しくなったオタクの抜け殻」だぞ
40過ぎて春クールのアニメ楽しみだなーとかsteamのセール楽しみだなあとか言える能動的なオタクであり続けられる奴はレア
自分の生活に直結する政治の話とか、二項対立でバカでもわかる男女論とかそういう現実のしょっぱい話ばかりするようになって架空世界にのめりこめなくなる
〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎と和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法」である。これは、山口や和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。
私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法」からの流れの中で位置づけるべきだと考える。
同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊の合憲化(57)、③日本の経済的地位に見合った国際貢献の必要性、④国連軍や国連の警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリストや武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲は必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から、護憲の立場からの改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである。
同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲論である。同提言は軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国の軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから、北朝鮮や中国の軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪と過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラルは過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである。
佐藤が語る、愛国心の必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである。佐藤の饒舌から、私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。
馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事・平和維持活動において殉死・殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後の平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊」追悼施設が必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。
ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官の川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交を批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合、日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツが独自のイラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたからである。翻って日本の場合、多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国や国際社会の理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。
元国連職員の吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端と吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍の軍事活動に積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理に反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使を容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである。
なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文「山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実の国際政治の中で、山川はソ連の侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間の努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活を改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤が柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。
10.おわりに
これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤は沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮やアルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実的平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略と植民地支配の反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分は国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的に保障する国家―先進国主導の戦争に積極的に参加し、南北間格差の固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である。
大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派の大国化路線に対抗して、日本の経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪と補償は必要とした路線が、東アジア諸国の民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合の破綻といった状況に規定された、リベラル・左派の危機意識から生じている。九〇年代の東アジア諸国の民衆からの謝罪と補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本の私たちが、進んで過ちを正しみずからに正義を回復する、即ち日本の利益のために」(69)(傍点ママ)歴史の清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本の利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争や植民地支配を可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立つリベラル・左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡を消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である。改憲後、蛹は蛾となる。
ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル・左派が意図的に計画したものと捉えているわけではない。むしろ、無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向の寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力のからみあい、もつれあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治的立場から期待されている人物が統合の象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物が実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴と人物の未分性という日本政治の特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能を果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディアに追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリストや発言力を確保しようとする学者、無様な醜態を晒す本質的には落ち目の思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからみあい、もつれあって」、集団転向は進行している。
ところで、佐藤は、「仮に日本国家と国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家、同胞の日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル・左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまったからには、自国の国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤を賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間を異端者扱いするのが目に見えている。
この佐藤の発言は、安倍晋三前首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族に配慮するという意図からだろうが、アメリカは一丸となって事件に対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである。国益がからむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)
文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ、総連弾圧をめぐる日本の言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したことを物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル・左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権が北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本のリベラル・左派は安倍政権ごときに敗北したのである。
〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル・左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである。侵略と植民地支配の過去清算(在日朝鮮人の人権の擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的・侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲か護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使を容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである。容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界の諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連の民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア、世界の平和にとって大きな災厄である(73)。
改憲と戦争国家体制を拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア・知識人等を徹底的に批判すべきである。
註
(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。
(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。
(3)ただし、編集者は佐藤が右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。
(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。
(5)インターネットサイト「フジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37
「ハンターハンター」の念能力は、やはり実在するとしか思えない。
まず、念能力を表現するための基本的な数学的モデルを設定することが可能だ。
このモデルでは、念能力者のオーラの量をO、念能力の強度をP(Power)とする。
これらは直接的な関係を持つと仮定し、次のような線形関係を持つ。
P = kO
ここで、kは比例定数で、念能力者の技術的なスキルや訓練のレベルを表す。
次に、念能力の種類による違いを考慮に入れる。念能力は大きく分けて6つのカテゴリー(強化、操作、変化、具現化、放出、特質)がある。
これらのカテゴリーは、念能力者の個々の能力や性格によって異なる強度を持つとされる。
これを数学的に表現するために、各カテゴリーに対応する重み係数w_i(iはカテゴリーのインデックス)を導入する。
これにより、念能力の強度は次のように表される。
P = kO \sum_{i=1}^{6} w_i
さらに、念能力者が特定の念能力を使う際の精神的な集中度や意志の強さを考慮に入れるために、心理的な因子Mを導入する。
この因子は、念能力者の精神状態や感情、意志の強さなどを表す。
P = kO \sum_{i=1}^{6} w_i M
ただし、この数学的なモデルは、念能力の複雑さと多様性を一部捉えているが、まだ完全ではない。
wikiみると、性自認、性同一性はgender identityの訳語であって、意味としては同じものだそうだ。心の性というのが、実在するのかよくわからない。
ジェンダーが社会的構築物というのは、フェミニズム学者が主張してきたわけで、自分の肉体の性に違和感を感じるのに確たる医学的・生物学的根拠はないのか?ない、というのが正しければ、不可逆的な手術は人体への毀損であり、誰にもそんなことをすると権利はない。
あるいは、男女の脳には器質的な違いがあり、脳と肉体のアンマッチは往々にして起こっており、それが性別違和として発現しているということなのだろうか。こちらが正しければ、ジェンダーは単なる社会的構築物ではなく、生物学的特質に所以する慣習だということになり、みだりに男女の役割分担を撤廃することには慎重になるべきということになるのでは?
国や企業が女の特質には金を払わないから、に尽きると思っている
男に多い営業職や運送業などは、男性の多くに備わっている特質である体力腕力に対して高い給与を与え、優遇している。
それに対して女に多い事務職はマルチタスクを要し、些細なミスも許されず高度な判断能力が要求されるにも関わらず給料が低いのもそうだけど
それ以外にも女に多く備わっている性質は当たり前のものとされ、インセンティブが与えられない事が多い。
例えば医師、看護師、介護士、保育士、エステティシャンなど、人の身体に直接触れる仕事は性的安全性の観点から女性が求められる事が多い
男性客は女性に身体を見られてもさして気にしないが女性客は男性に見られるのを嫌がるという点で
明らかに女性労働者にアドバンテージがあるにも関わらず、その特質によって特に賃金が上がる事はない
また、性犯罪に限らず全体的に女の方が男よりも犯罪の比率は低く、会社が従業員の犯罪によって被害を被る率も低い
https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/68/nfm/n68_2_4_7_1_0.html
仕事場にアメリカ人がいて、彼はアメコミと漫画アニメが好きなんだけど
それで彼のアメコミいけてない分析点として面白かったのは「キャラが古い」ってことらしい
「スーパーマンは登場して90年たってるらしい。バットマンも90年。比較的若いスパイダーマンでも60年くらい」
アメコミ知らんけど、たしかに俺の知ってるアメコミキャラって昔の作品だよね
それにくらべて漫画は若いという。それが人気の秘密なんじゃないかって分析してた
かれはジャンプ系が好きなんだけどほとんどが2000年以降の作品だし、古いワンピースも90年代に連載開始
「日本は18くらいの子が自分の漫画描いて凄いね、アメリカにもインディーがちょっとはあるけど
基本的にはDCとかマーベルと契約して古いおじいさん時代の作品を引き継いで描くよ」
と言っていた
俺はそれ聞いてうれしさより、日本のダメなところってそれだよなって思ったんだよね
よく日本ではパナソニックはダメだよね~富士通はだめだよね~とか言うけど
でもそのだめな会社に勝てない若い会社ってなんなの?って思うんだよね
給料安いとかいうけど、そういう企業にほいほい入っていく馬鹿な学生もね
そして優秀とされる人も結局は外資というかgoogleなどに入る事に熱心だよね
結局他人が作った組織に入る事が優秀さのバロメーターになってる
アメリカ人はワールプールとかIBM指して糞だよなとかわざわざ言ってないよね
そんなこと言う暇あったらベンチャー作って新規産業を生み出すでしょ
アメリカが日本と違うのって創立10年20年の会社がわんさかあって若くて元気があるってことだよね
この日本においてマンガは例外的に新陳代謝が繰り返されるのほんと特質すぎる
ジャンプがとくに凄い
葬送のフリーレンに関してはどうも海外でエルフはアスペルガー、魔族はサイコパスとか言われてるらしくて、そっちの方が無理だなって思う
アスペルガー(ASD)全然そんなんじゃねーし!って怒りが沸くし
おそらくサイコパスの方も一般的に言われるジャーゴン化した「サイコパス」であって、現実のサイコパスではないよね?
現実のサイコパスって寧ろその特質によって経営者や政治家などで成功している人が多いし、
アスペルガーに関してはよく巷でいわれる感情がないだの人の気持ちが理解出来ないだのは全くの間違いで
寧ろ定型よりも感情は豊かで人の気持ちは分かるからこそ社会に適応出来ずに困っているんだから本当に的外れ
個人的には葬送のフリーレンの魔族の描写って、どちらかというと排外主義を感じるなーと思う
見た目が人間とほぼ同じで同じ言語を話す相手を「理解不能な化け物」と切って捨てる設定には、在日韓国人差別とかそっちの文脈を感じる
母親を慕うか弱い子供の擬態をして生き延びようとするエピソードとかね、子供のように見えるけれど騙されるな、非常になれ、というのが強調されているのが示唆的
普通のファンタジーだと魔族ってもっと上位者として君臨するか騙すにしても戦略的なイメージがあるので、特徴的だなーと。
どちらにせよ精神科とか催眠療法とかが扱ってる範囲ではある、まぁ混んでるから予約取るのは面倒だが
先天性なら脳の特質、そういう感覚を寝起きに覚えるって性質を持ってたんだろう
世の中には「アファンタジア」っていう脳内イメージをまったくor部分的に持てない人が数%もいて、その逆もいるらしいし、脳の個人差は大きい
忘れ去ってるけど何かしらの出来事が記憶の奥底にあって、それが原因っていうまぁアニメや漫画でありがちなやつ、実例もないわけじゃない
普通っつーか別に精神異常に分類するほどじゃない(というかそういうのは本人が生活に支障を来すぐらい困ってるか、が病気かどうかの基準だし)
原因に興味があるなら調べたり診断して貰ってもいいんじゃね
俺だったら興味はあるな、昔のオカルト板みてーだ
まず「お気持ち表明文」というのは「数値的な議論や論理的な議論展開を期待しているにもかかわらず、求めていない意見や感想を述べてしまうレポートや論文」という意味で良い?
そういう意味なら、適切な(?) 国語教育のおかげなんじゃないかと思う。
例えば最近の新卒とか大学生が小学校低学年だった時の学習指導要領である平成20年の「国語科の教科の目標」は下記の通り記載がある。
国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し,伝え合う力を高めるとともに,思考力や想像力及び言語感覚を養い,国語に対する関心を深め国語を尊重する態度を育てる。
これだけ見ると立派なんだけど、日本の国語は道徳教育という絶対に外せない存在があって、学習指導要領の一番下にこんなことが書いてあるんだよね。
道徳との関連についての事項
国語による表現力と理解力を育成するとともに,人間と人間との関係の中で,互い
の立場や考えを尊重しながら言葉で伝え合う力を高めることは,学校の教育活動全体
で道徳教育を進めていく上で,基盤となるものである。また,思考力や想像力及び言
語感覚を養うことは,道徳的心情や道徳的判断力を養う基本になる。さらに,国語を
尊重する態度を育てることは,伝統と文化を尊重し,それらをはぐくんできた我が国
なお,3(2)には,教材選定の観点として,道徳性の育成に資する項目を国語科の
特質に応じて示している。
そして3(2) で説明される望ましい教材の観点っていうのは下記。
ア 国語に対する関心を高め,国語を尊重する態度を育てるのに役立つこと。
イ 伝え合う力,思考力や想像力及び言語感覚を養うのに役立つこと。
ウ 公正かつ適切に判断する能力や態度を育てるのに役立つこと。
エ 科学的,論理的な見方や考え方をする態度を育て,視野を広げるのに役立
つこと。
オ 生活を明るくし,強く正しく生きる意志を育てるのに役立つこと。
キ 自然を愛し,美しいものに感動する心を育てるのに役立つこと。
ク 我が国の伝統と文化に対する理解と愛情を育てるのに役立つこと。
ケ 日本人としての自覚をもって国を愛し,国家,社会の発展を願う態度を育
てるのに役立つこと。
一般的な生徒がこの学習目標を達成したかはさておき、この教材選定軸から選ばれたものは必然的に道徳の教材みたいになるんだよね。
そんでもって日本における「道徳」といえば儒教で、そして儒教的な考えってのは「年長者の考えが常に正しく、それに対して同意する」という日本人そのものみたいな考えじゃん?
変な話かもしれないけど、日本において国語教育において自由な議論とか自由な感想とかっていうのは存在しない。だって先生が常に正しいし、先生が気に入る提出物が評価されるし。学校教育において生徒の生殺与奪の権利を与えられてるのは担任教師でしょ?
お気持ち表明文はロジカルじゃないという言い方だけど、この学習指導要領の下なら、お気持ち表明文は十分ロジカルじゃない? だってそれ以外の答えは絶対に正解にならないように教材が選定されるんだから、理論的な正しさを議論するよりもさっさと媚びへつらう方が点数が高いに決まってる。おまけに中学とかは内申点がついてまわってくるから、もっと媚びへつらった答えを書く圧力がついてまわる。
テンプレを教えるのは良いが、そのテンプレがゴミだと害悪でしかない。正直、小学校の先生にロジカルな文書作成が出来るのか疑っている部分があるが、出来るというのであればそれをきちんと教えてほしい。
個人的に教師に教える能力が無いと疑ってるのは同意だけど、仮にロジカルな文書作成方法を教えたとして、生徒がロジカルな答えを書いてくるかは疑わしい。ディベートだってなんだって、年長者が知っていて、かつ正しい答えがない限り日本の授業では議論の対象にならなさそうだから。
それにディベートやロジカルなトピックを学習要領に入れたところで即座に「ロジカルで教師の受けがいい答案例」と銘打った教材が出回るのがオチじゃないかな。生徒はそれを読んで回答を書き、教師もそれを読んで回答を採点するみたいな…
持久力のある筋肉と瞬発力のある筋肉、太りやすい体質とやせやすい体質があるように、音感やリズム感、ゴッホのような色覚異常さえ、先天的な個人の資質というものがあるよね。科学や論理的思考、記憶力や考え方さえ、先天的要素と後天的要素の混在は避けられない。
身長が高くて運動が好きだからバスケを志すのと、ゲノム解析サービスで言語野に優れた特質があると判明した個人が小説家を志すのとは、どう違うだろうか。
後者が、特にゲノム解析をしたわけではなく、単に「自分は小説が得意なのでは?」「自分は小説が好きだ!」と思って志すのは、どう違うだろうか?「言葉の扱いが得意な人間が小説家に向いている」という差別を助長する?
教育だけ特別視してるみたいだけど、スポーツに限らず部活動を自主的に選ばせるのは、良くない制度かな?
小さな子が「バスケやりたい」「将棋やりたい」と親に願い出るのを、許すべきではない?
あなたは、今、どんな職業をしていて(答える必要はないよ)、それは自分の選択じゃなかったの?自分の得意を活かすものではなかったの?
ゲノム解析サービスで不得意と判定された資質(実際に判定されることなく、神様だけが知っていてもよい)を覆すほどの後天的努力を傾けて勝ち取った「得意」だけが、賞賛されるべき「得意」なのかな?
こうなんというか佐藤が口にすることは戦争をして自分の欲しいものを手にするとかいうのですが、まずこれの言動のナンセンスなのが、女の子は武器をもって戦争をしないので滑稽
なんですね、言動自体が。日本人は歴史科学的に男ではないので、ドラクエのモンスターとかをみても分かるのですが、その特質として、現在の多くの者が必死で隠しているように
女の子+性狂い+幼稚な悪魔、というのが日本人の3要件となるわけです。もちろんこの3要件が合体したものが現出していた時代もあったのですが、平成26年からずっとないわけですね。
それでそもそもの日本人がナチュラルな状態におくと何をするか分からないというか、そういう研究もないし、まあとりあえず原始の日本人が何をするかというのは分からないのですね。