はてなキーワード: 特発性過眠症とは
就職活動の時、自己分析をした。しかし、自己分析を通して発見したのは、「過去の自分が他人に思える」「自分の気持ちがわからない」ということだった。しかし、それらしいことを書いて出したらうまくいったので、「この感覚は私の生活上問題ではない」と判断した。
実家に帰省した時も同じような感覚に襲われた。昔自分が書いたものが他人のものに思える。高校に遊びに行っても、どこになにがあるかは覚えているのに、ここで3年過ごした自分を実感できない。
それは、私が自身の問題の根幹を成している過去をすべて否定し、目をそらしていたことのあらわれにほかならなかったのだと、今は思う。
浮気をして、恋人を傷つけた。私にとって、そばにいる人を何らかの形でどん底に突き落とすことは初めてじゃない。
何が恐ろしいかって、同じ過ちを繰り返すところだ。今度こそ大丈夫、私はまともになった、そう本気で思い込んでいた。それがすべて間違いだったと、こういう形しか気付けなかった。
このことを友人に話したところ、「同じ過ちを繰り返すってことはなにか必ず原因があるはずだ。なんでそうなったと思う?過去について考えたことある?」と聞かれた。
この質問は私にとって目から鱗だった。私は現状の問題を過去のせいにするのは、甘えで逃避だと思っていたからだ。だいたいのことは気合で乗り切る。つらくても明るく振る舞う。それが正しいと思っていたから、過去のことなんて、いつもいいことしか振り返らなかった。
「私は親に愛され、なにひとつ不自由なく育った。少し問題はあったけど、それを乗り越えていける家庭だったし、良いことを学んだ」
「私はパニック障害を発症したが、それを乗り越えることができた。そのため、パニック障害であったことは過去のことだ」
「私はかつて多くの人を身勝手に傷つけたが、今はもうしない」
「私は友人たちと楽しく生活することができる」
「私の人生は豊かで、今までの失敗はそのためにあった」
マントラを唱えるように私はこれらのことを刷り込んだ。後ろ向きになることは逃避・甘えであり、常に未来をよりよくするために過去は全て封印すべきだと思っていた。しかしそれが重大な過ちであり、結局は自身の抱える問題の根っこを放置して、腐らせていた。
私は過去の自分を強く否定して、現状の自分を肯定しようとした。その結果、過去と現在とのつながりが断ち切られ、自己の連続性を失った。
私は過去の自分に対して冷たい目線を浴びせ続けた。それが前に進むために必要な「自分に対する厳しさ」であると信じて疑わなかった。
カウンセラーさんはこう言った。「あなたは、過去の自分と同じ目に今遭っている人が目の前にいても、その人に対して自分の過去に向ける厳しさを同じように向けるの?しないでしょう?他人にしないことを自分にしてはいけない、自分の気持ちを抑えるから他人の気持ちにも鈍感になる。過去の自分を抱きしめてあげなさい」
抱きしめる?過去の自分を?抱きしめるに値しない、罪深い自分を?それがなんの解決になるの?
その瞬間、頭の中にはっきりとヴィジョンが見えた。高校生の自分。中学生の自分。小学生の自分。こんなことは初めてだった。
彼らの報われない思いが、私には耐え難かった。それは、私の根っこだったから。それを無視すれば、健常者としてやっていけるんだと思っていた。
小さい頃について、思い出すのは、お母さんが私のことを「かわいい」とたくさん言ってくれた記憶。でもそれは、珍しいことだったから心に残っていたのかもしれない。彼女は病に伏せっていて、感情の起伏が激しかった。私は、彼女は彼女なりに努力し、苦しんでいたから、あのとき優しくしてほしかった、と求めるのは彼女を否定するようで嫌だった。そんな感情を持つ自分は優しさにかけていると思っていた。
カウンセラーさんは「あなたの言う通り、お母さまは悪くないし、仕方がなかったことだけれど、あなたが寂しいと思った気持ちまでは否定してはいけない」と言った。まだ腑に落ちていないし、怖いからあまり考えたくない。
弟が生まれた。年の離れた、かわいい弟。私は弟の世話にのめり込んだ。自分の中で初めてわいた、血の繋がったまだ弱い存在へのとめどない愛情。それは劇的で、強烈だった。
そのとき子供なりに思った。「私は愛されるんじゃなく、愛す側なのだ」と。愛をもらう側じゃなく与える側の使命があって、こうなっているんだ、それはきっといいことだ、と納得した。弟は、ほんとうに、ほんとうに可愛くて、たまらなかった。
中学生の頃に、特発性過眠症になった。居眠りを繰り返してしまうが、成績は下げたくなかったので、勉強を頑張った。けれど、職員室で「そんな病気ほんとうにあるの?」と笑われた。意欲・関心・態度は最後までBだった。ジョーカー観た時、警察にそんな病気あるの?ってジョーカーが言われるシーン、その時のことを思いだして泣きそうになったな。
話は飛んで、あれは高校1年生の頃だった。突然私はパニック障害になった。ほんとうに、突然だった。過眠症は薬も処方されて改善に向かい、友達もできて、彼氏もいて、部活も楽しくて、とてもいい感じだったのに、急にすべてが壊れた。
母は私の発作を思春期特有の不安定さとみなし、「病院なんてとんでもない。寝て治しなさい」と言った。家にいてもずっと不安で逃げ場がなかった。
今なら、彼女がなぜそんなことを言ったのかわかる。自分と同じ運命をたどる娘を「異常」とみなしてしまえば、自分も異常者になってしまうから…だから彼女は悪くないんだ。彼女は精一杯やっていた。
でも私は、ほんとうは、とてもとても辛かった。誰も味方がいなかった。とうぜん高校生同士の恋愛なので彼氏もいなくなった。部活もやめなきゃいけなかった。友達とも接することができなくなった。なんで?とずっと思っていた。ようやくかかりつけの小児科でソラナックスを処方されたが、ずっと不安定だった。助けてほしい、助けがほしい。
私は、これらの気持ちを全て否定することになった。なぜなら、私はこの感情に振り回された挙句、過ちを犯したからだ。感情が暴走するから誤る。ならば、感情をなくせばいい。そう思った。それはある程度は上手くいったのだ。
パニックは昼夜関係なく何度も私を襲った。安心できる時間はひとつもなかった。私が助けを求めたのは、男性だった。性行為をしている間もずっと怖かったが、ひとりぼっちよりましだった。
「助けてあげる」と言われてついて行ってしまった。いけないことだとわかっているのに、やめられなかった。次第に、私はこの関係を肯定するようになった。生きるために必要なんだ、間違っていないんだ、と思い込むようになった。
そこから、私は人の感情を利用する癖ができた。「女」であることを供給すれば、愛されるんだ、と思った。小さい頃可愛がられたかった気持ちや、パニックで孤独だったこと、過眠症という理解されづらい病気も、すべて恋愛感情といフィルターを通してならどうでもよくしてくれるみたいに感じられた。私が弱ければ弱いほど、みんな心配してのめり込んでくれた。
私は当然まともな関係を築けなかった。急に嫌悪感を抱いたり、うっとうしくなったりして、相手を突き放した。悪いことだとわかっていた。私の行動は変わらなかった。
大学生になってうつ病になり、ますます生活が困難になって、当時の恋人にかなり依存して生きていた。生活能力は皆無だった。そのことで自分を責めた。やつあたりもした。彼に世話をされるたびに、「私が何もできないことを本当は馬鹿にしているくせに!」と泣きじゃくって困らせた。認知が歪んでいた。彼を突き放してまた複数の人間と関係を持ち、試し行為を繰り返し、失敗し、変わりたい、と何度も思い、変われなかった。
私は、これらのことに一番蓋をしている。不安定だった自分も全て蓋をしている。この経験をどうこう思う以前に、なかったことにしたがっていた。精神的に不安定な自分も、全て否定した。
だから私は変わらなかった。表面上はニコニコとしていても、ずっと影は付いて回っていた。「私は大丈夫、もうまともになった」何度も何度も思い込んで、実際それは、途中まではうまくいっていたように錯覚された。ほんとうはずっと、ゆがんでいたのだ。
うつ病が治って、しばらく安定していた。この間に、社会生活での困難はほとんど解決された。ようやくまともになってきた、と思った。やがて恋人ができた。弟に感じていた愛情に近いものがあった。なんでもしてあげたかった。でも、相手を大切にしていたつもりで、その根底にはやっぱり見捨てられたくないという気持ちがあった。
私は過去を笑い飛ばしながら話した。こうやってあったことを矮小化して、強い自分を示したかった。そんな自分に恋人が眉をひそめているのにも、私は気づかなかった。
浮気が発覚して、「化けの皮が剥がれた」と彼は私を表現した。その通りだった。私は元から人を愛せないのだ。無理をして軋んだ自分を埋めるように、酒を浴びるように飲み、過食し、そして再び不貞行為をした。私は何も変わらなかった。それどころか、より残酷な化け物に進化した。
人と親密になり、尽くしてやり、コミュニケーション能力を磨き、知識を貯め、あの手この手で、恋愛に限らず、すべての人間関係を求めた。たくさんの友達を作ってそばに置いた。とても満たされていた。
このことで、もっとも近しい人を最悪の形でどん底に突き落とす自分の加害性は、より際立つ結果となったと思う。
私はずっとずっと前から自分の加害性に気づいていたのに、愛されたくてそれを隠す努力ばかりしていて、加害性そのものをどうにかしようとは思わなかったのだ。勉強したり、化粧を覚えたり、流行りの歌を歌えるようになったり、接客でコミュニケーションを磨いたり、そういったことが正しい努力だと思っていた。違った。しかし、努力しているから大丈夫、私は治った。もうひどいことなんてしない。そう慢心した。
不安定な時は一瞬で滑り落ちるようで、気づけば元の木阿弥だった。
そういえば、「コンビニ人間」について彼と話した時に、意見が真っ二つに別れた。彼はあれをバッドエンド寄りの解釈をして、私はすばらしいハッピーエンドだと思ったのだ。あんなに素敵な話はないと思っていた。リトマス紙のように、私たちの住む世界がまるで違うことを、あの小説は示していた。
カウンセリングや友人との対話を通して、私にとても似た精神疾患があることを教えてもらった。17歳のカルテのスザンナと同じ病気。17歳のカルテを見た時は、スザンナと私は全然似ていないと思ったし、その時興味を持って調べてみた時も、こんな人もいるんだな、と思っただけだった。
真夜中のパーティのシーン、スザンナのカルテにはこう書いてあった。
「自己像 関係 気分の不安定。目標不明確 衝動的。自傷行為 カジュアル・セックス。反社会性と悲観的態度が顕著である」
どうしてこれをみてさえ、あの時の私は、これが自分と似てないと言えたんだろうか、何だか笑ってしまう。
それはやっぱり、自分とぜんぜん向き合ってなかったし、そもそも自分がなんなのかもわからなかったからだと思う。
実際のところにているだけで全然違うのかもしれないし、わかったところでなにかが解決することでもない。
ただ、私が住んでいる、この無限に先送りされる世界感は、どうしようもなく加害的で、ちゃんと生きるためにはそれなりの時間と、努力と、誰かの知恵が必要なタイプの問題だったということはわかった。それを矮小化して、根性論を自分に押し付けて、ひとりでやろうとしたから、私は自分の歩く道と、そこにたまたまいただけの罪のない人を焼き払ったのだ。
私は怖い。友達はいまでも私に寄り添ってくれるが、友達がわたしに「あなたの好き」と言ってくれる部分さえ、もしかしたら、こうした歪みや病理の表出でしかないのだとしたら?すべてがひっくり返ってしまう。私ってなんだろう。
私にチャンスはもうないかもしれない。チャンスがあったとして、それに縋る資格すらないのかもしれない。私はそれでも、まともに誰かを愛せる自分になりたい、と、まだ、こんなになってさえ思ってしまう。
くじけそうになったとき、自分がわからなくなった時に戻ってこれるように、増田にそっと流す。
対人関係、自己像、感情などの不安定性及び著しい衝動性の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。
以下のうち5つ(或いはそれ以上)によって示される。
1. 現実的に、又は、想像の中で見捨てられることを避けようとする 「なりふりかまわない努力」(見捨てられ不安)
2. 理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる、不安定で激しい対人関係様式
4. 自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも、2つの領域にわたるもの
(例:通常は2~3時間持続し、2~3日以上持続することは稀な、エピソード的に起こる強い不快気分、苛立たしさ、又は不安)
https://anond.hatelabo.jp/20181022150622
泊まりの検査でガチ睡眠障害の診断(特発性過眠症)食らった者ですが、わかる!わかりすぎ!
朝から眠いし何度でも二度寝できるよ!睡眠計測アプリ使ったら休日の睡眠時間は平均しても余裕の10時間越え、最大22時間超で白目剥いたわ!抗えないんだよねー、眠気に。
何が困るって、投薬が始まっても薬が切れる=眠気増強なので、肝心の朝起きられないってところなんだよね!!
服を買うための服がない、目が覚める薬を飲むために目を覚ますことができない!!!
早寝(就寝時刻20〜22時)してるけどその分ぐっすり翌朝まで寝ちゃうからあんま意味ない!!!
おまけに寝ても別に疲れが取れない!むしろぐったりしてる!!休日とか起きてられないので油断してるとメシが一食しか摂れてないみたいなアレになって「休みなのに異様に疲れてる…何故…?」みたいな感じになる!!!
もう本当どうすればいいんだかね。
医学研究が飛躍的に進むか社会的にこれで何とかなるような方向に働き方改革が進むかぐらいしか思いつかんわ。
あーあ。
何年か前に特発性過眠症じゃね? って言われて診断受けてないけどたぶんそうかな、と思ってるんだけど。集中すると眠くなる。寝落ちする。話題のMacBook Pro i9モデルがVRMオーバーヒートで落ちるように、テンションを上げていくと急激に意識が薄れて寝落ちする。
たぶん寝不足ではなくて、いくら寝ても、余力があっても、朝でも昼でも晩でも、集中すると眠くなる。特に誰かの講演を聞いていると猛烈に眠くなる。眠気がするとかいうレベルではなくて、立ち上がれば治るとかいうレベルでもなくて、いつの間にか話が遠くなっていて気付いた時には目が開いていなくて聞こえてくる言葉の意味が理解できなくなっていて気付くと十五分ほど経って目が覚めている。眠くなる経過を覚えてすらいなくて、起きてから周りの様子を見て眠っていたことに気付くこともある。
集中すると、眠くなる。
……と思っていたんだけど、本を読んでも眠くはならない。PCに向かっていてもそんなに眠くはならない。日中ランダムに落ちることもない。だから「聞きたくない話だから逃げてるんだろ」とか言われてきたんだけど、今日、YouTubeの興味がある解説系動画を見ていて落ちた。二度目か三度目。どうやら、耳から言語を聞いていると落ちるらしい。主に目から入ってくるだけならコントロールできるっぽい。
増田にはこういう人いない?
追記: 20分寝た後はしばらく持つ。一日の中では集中すると何度でも落ちる。本当にVRMオーバーヒートみたいな感じ。cpufreq -u 1100MHz -g powersave すると長持ちする感じ。でも怒られて落ちる。
きっと生きづらさを感じてる人が多いと思うし、そういうブログもよく見る。
でも生きづらいばかりじゃしんどいので、こういう風に生活してるよっていうのを書いてみた。
症状や薬の効き方とかは人それぞれだから、こんな人もいるんだな、くらいに思ってもらえれば。
もしかしたら自分もそうかも?って思ってる人の参考になれば幸い。
--------------------------------
2/3 補足を追記しました
web系メインだけどたまに紙のデザインもしてる、webデザイナー。
興味のあることは勉強するけど、なかったら全くしない。
だから、興味ないジャンルの仕事がきてもどうにか興味ある方向へ繋げて考えるようにしてる。
デザインはどんなことにも通じるから、そういう風に考えれるのかもしれない。
症状としては、夜寝ても寝ても日中眠くてしんどい、お仕事もままならない状態になることが多い。
周りからはサボってると見られがち。
眠さのレベルとしては、起きるために仕事中シャーペンで手を刺したり、お葬式とかでも寝ちゃうレベル。かなり堪えるのキツかった。
あと、眠いって言ったら「俺も眠いんだよね〜」っていう普通の眠気と一緒にされるとイラってする。
でもその人がどれだけ眠いかなんて分かんないしね。
大変だねって言われても、私たちが普通の人がどんな感じなのか分かんないのと一緒。
病院へ行くまでは強強打破とかエスタロンモカ、コーヒーでしのいでた。
一回、強強打破とエスタロンモカの錠剤、コーヒーを飲んでたら急な吐き気と動悸、めまいに襲われて「やばい」って感じたのでやめた。
カフェインとりすぎには気をつけて。
そして、6年前くらいに特発性過眠症の診断がおりた。
ショックよりも「そういう症状だったんだなぁ、じゃあ眠いの仕方ないよね」と、眠気に対してしょうがないと思えるようになったら、ちょっと気持ちが楽に。
なんで眠いんだ、自分はダメなやつだっていう謎の罪悪感から、こういう病気なんだな、なるほど。って感じで逃れることができた。
特発性過眠症という診察をもらうには、病院での診察と、検査入院が必要。
病院は心療内科で睡眠について相談して、大きな病院への紹介状を書いてもらう。
それから検査入院の予約をして、反復睡眠潜時検査っていうのを1日半かけて受ける。
検査の間の待ち時間は寝ちゃダメだから(2時間程度×4回くらい)、なにか暇つぶしを持っていくと良い。
検査入院は個室だったから、30,000円くらいかかった記憶。
これは病院によってまちまちかも。
人によっては特発性過眠症じゃなくてナルコレプシーという診断が下りる場合もある。
特発性過眠症の場合は「あ、眠いな」っていう自覚症状がある。抗えないけど。
あ、そうそう反復睡眠潜時検査の時はこめかみあたりにジェルみたいなのを塗られる。
そのままにしておくと、とっても気持ち悪い。
髪が長いと洗い流すの大変だから、そのまま帰ることになるので帽子かなにか持って行くことをお勧めする。
病院を受診して、モディオダールを飲むようになり、一日最大量の3錠300mg飲むように。
朝2錠、昼1錠で少し残業しても大丈夫になるように飲む時間を調節して、普通に働けるようになった。
たまにそれでも眠気がくることがあって、主治医に確認して400mg飲むことも。
相性が良かったのか副作用は全くなくて、眠気全然来ないし、会議中起きていられるし、仕事もできて嬉しかった。
副作用は感じなかったけど、たまに飲むのをミスって口の中で少し薬が溶けてしまい、あまりの不味さに吐きそうになったことが多々。
ただ一番ダメージきたのが、お財布。高いのだ、モディオダールは。
診察は2週間に1回、2〜3000円くらいで、通ってる病院は2週に1回通わないといけない。
病院によっては1ヶ月1回で良いところもあるみたい。
モディオダールは保険が効いて1錠が約120円、それを1日3錠飲むから約360円、一ヶ月だいたい15,000円くらい診察とモディオダールで飛んでいく。
処方してもらってる時は働いてたから良いけど、この金額はちょっと痛かった。
でも、お金かかるかわりに仕事中サボってると思われるかもとか、また寝てしまったとか、そういうストレスがなくなったのはすごく大きい。
眠いことへの罪悪感がなくなるだけでもかなり視界開けた気持ちになれるって知った。
今は薬を飲んで、他の人と同じように仕事ができてる。
ただ、朝起きれないのは変わらない。
だから職場は出社時間が遅い、有給が時間単位で使えたりわりと融通がきくところを選んだ。
給料はそんなに高くないけど、時間に融通がきくと「遅刻した!」とかがないので、ストレスが減る。
無理のきかない身体なので、それに合った働き方を選ぶようになった。
業種によってはそんなに融通きかないよ!っていうところもあると思うけど、できるだけストレスから逃げる方向でやっていくと精神的にも楽だよ。
特発性過眠症ってあまり知らない先生もいるし、そういう患者が来たことないっていう病院もある。
私が行ったところも、特発性過眠症を診たことがない先生で薬辞典とか症状とか色々調べなから診察したり処方してくれてたので、モディオダールに行きつくまでけっこう長かった。
多分診察受け始めて1年くらい経って、やっと処方してもらえるようになった。
だから病院を探す時はそういう診察もしてるか確認してから行くと良い。
これは申請できる人とできない人がいるけど、少し医療費が安くなる自立支援医療っていうのもあるよ。
先生が「精神科的医療を長期継続する必要がある」と認めたら申請書を書いてもらえる。
自立支援医療が申請できると、自己負担が1割になるから高価な薬の場合はすごくありがたい。
自分の場合は特発性過眠症と併発してる他の症状もあって、それで自立支援医療を受けてる。
特発性過眠症だけだとダメみたいなんだけど、他にも併発してる場合は対象になることもあるので、先生に聞いてみると良い。
長くだらだら書いちゃったけど、モディオダール飲むことで生活安定したよっていう一つの例として読んでもらえれば。
もちろん効く人、効かない人、それぞれだと思う。
でも眠たすぎて仕事できない、生活できない、っていう悲観的なことばかりだとしんどくなるので。
薬を飲むっていう対症療法に過ぎないけど、どうにかなる場合もあるので、眠すぎてしんどい、仕事にならなくてつらいっていう場合は一度診察受けてみることをお勧めします。
私の場合、1年間の医療費が10万以下だったので医療費の控除はしませんでした。
モディオダールを処方してもらって医療費が高額になったのが6月からだったので、12月末の時点でギリギリ10万に達していなくて特に手続きをしませんでした。
参考にならずすみません。
今年に入って、仕事にも支障が出るくらい寝てしまい、困って睡眠外来に行ったら過眠症の診断を受けた身だ。
「なんだそれ、ぐうたら病かよ」とか思われてるだろうなあ、と思いつつ(でも本当に寝てしまう。ごめんなさい。)家族に一応ひと通りの説明はした。「ふうん…」みたいな反応だった。
そして今日。
「すいません…。でもどうしても起きられなk」
私は病気のせいにしていた。きっと。あまり言わないようにしていたけど、でも私は過眠症だからって、ふんぞり返った態度が、気持ちが、顔に出ていたんだろう。本当にごめんなさい。
でもどうしたらいいんだろう。薬も飲んでる。ただ薬が結構体に負担かかると気付いたので、休日は飲まずに過ごしていた。平日は6時間くらいしか睡眠時間がとれないので、休日はどうしても長くなりがちだった。
薬も「過眠症を治す」ものじゃなくて「仕事など絶対に起きていないと困る時間に服用して頭をなんとか覚醒させる」薬。今のところ完治例はないらしい(完治を諦めているわけではないです)。
病気のせいにしないとなると、どうしたらよいだろう。3秒ぐらい考えて、私のせいだと思った。
例えば家族が過眠症ならこれは遺伝なんだ、と心のどこかでちいさく責めていたかもしれないが(性格が悪くてごめんなさい)、誰も過眠症じゃないし。
その過眠症を盾に、「私は病気なんだから」って顔に出して偉そうな態度で周りを攻撃し続けていたんだと思う。迷惑な話だ。
私は迷惑だった。
家族に申し訳ない。お父さんお母さんごめんなさい。申し訳なくて頭を壁にぶつけてみたけど、痛いだけだった。
少し追記(5/17朝)
私の過眠症は特発性過眠症という名前です。薬はモダフィニルを飲んでいます。
一人暮らしを検討してますが、経済的なことと、全く起きられない生活になるんじゃ…という不安もあります。
家族の理解がないとつらいですね。今日も頑張って働いて来ます。
最後の追記(5/19深夜)
様々なご意見をありがとうございました。参考にさせて頂きます。
私に過食はありません。また薬ですが、私が自己判断で断薬したわけではなく、身体に結構な負担がかかる(頭痛など)ことに気付いた時点で医師に相談し、では仕事の時のみにしましょうという話になりました。あいまいな表現で大変失礼しました。
“気付いたら寝ていた”エピソードを挙げればきりのない私が、新しく始めた仕事(主にデスクワーク)であまりに尋常ではないレベルで寝てしまうようになり、怖くなって睡眠外来にかかった。
初めて聞いた。なんだそれ。
よくわからないが、カンタンに言うと脳の中での「眠れ指令」が本来の時間以外、日中にも絶え間なく出てしまい、十分な睡眠はとれているのにとんでもなく眠くなり意識を失うように寝てしまうとのことだった。
病院に行く前、単純に睡眠時間が足りていなくて眠いのでは?と思い予定を全てキャンセルし1日17時間寝て、翌日の仕事に臨んだのだがそれでも変わらず寝てしまい、自分の身体への恐怖で睡眠外来を探したのだ。
今にして思えば高校の入学式で即爆睡したのはおかしかったし(当時の私はたいした問題とは思っていなかった)、バイト中も監視カメラの位置や店長の動きを読んでバックヤードで睡眠をとっていたのもアレだ。友人に誘われたオールも一度も参加したことはない。絶対に寝るからだ。そのことは友人も十分わかってくれた。本当に寝るからな…一度くらい参加したかったな。
高校の担任にお前の睡眠は異常だから、おそらくナルコレプシーか何かの睡眠障害だ。病院に行ったほうがいいぞ!と強く言われたのだが、当時の私は何言ってるんですかセンセ、昔からねぼすけなだけだし病気なんかじゃないですよヘーキヘーキと受け流していた。でもまさか病気だとは夢にも思っていなかったし、今でも信じられない。自分は万年寝太郎の、他の皆は耐えているだろう眠気にも耐えられないだらしないクズだと思っていたからだ。
この病気の困難な点は、他人から見れば「仕事中に寝るクズ」としか捉えられないところだ。自己管理もできない、いつでも寝不足の、気付いたら寝ている寝太郎。社会ではそんな人間は生きていけない。
他人の眠気を体感することは出来ないが、特発性過眠症の眠気は「3日間徹夜をして、難しい数学の問題を解いているような眠気」だとどこかに書いてあった気がする。本当にそんな感じの眠気に襲われる。日中ずっとだ。だが私は、全世界の全員がこういった眠気を乗り越えているのだと思っていた。なので、運転手を生業にしている人たちは超人だと思っていた。
まだ薬は処方されておらず、次回の診察から処方されるそうなのだが、薬か…いままで鎮痛剤ぐらいにしかお世話になってこなかったので、副作用が怖い。
そしてこの病気は10万人に2〜5人というレベルらしく、同じ患者のブログなどもほとんど見つけることが出来ない。確かに即死に至るものではないし、苦しいものではないのだが。
ブログを始めようかとも思ったが、日中寝るという報告だけになるしなあ……
完治はまず望めないようなので、これから一生付き合っていくのだろう。
永眠するその日まで。