はてなキーワード: 特別とは
神はサイコロを振るだけでなく、想像をはるかに超える数の部屋があるかもしれない。実際、無限にある。
約1世紀にわたり、量子力学の旗の下にある理論と観測によって、現実の理解は複雑になってきた。
物体が速度や位置といった絶対的な尺度を持っていた時代は終わった。
これは直感的な宇宙観とは程遠い。コペンハーゲン解釈として知られるようになったものでは、可能性の波があるように見えるがそうではない。
現在でも何が最終的にシュレーディンガーの猫の運命を決めるのかはまったく明らかではない。
ヒュー・エヴェレットは1950年代に、可能性のあるすべての手段がそれ自身の現実を構成していることを示唆した。
この現象を特別なものにしているのは、たまたまあなたがそれを観察しているという事実にすぎない。
エヴェレットの「多世界」モデルは、量子力学の絶対的な奇妙さを具体的なものに置き換える方法である。
可能性のある無限の多元宇宙、あるいはグローバル・ハミルトニアンとして知られるすべてのエネルギーと位置の総和のようなものから出発し、興味のあるものにズームインして、有限ではるかに管理しやすいハミルトニアンのサブシステムの中で無限を制約する。
しかし無限を理解する手段として、この「ズームイン」は足を引っ張ることになりはしないだろうか?
別の言い方をすれば、シュレーディンガーの猫が箱の中で生きているのか死んでいるのかを容易に尋ねるかもしれないが、その下のテーブルが温かいのか冷たいのか、箱が臭くなり始めているのかどうかは考えない。
研究者たちは、箱の中身に注目し続ける傾向が重要かどうかを判断するために、ポインター状態として知られる量子の可能性が、他の状態よりも少し頑固に設定され、いくつかの重要な性質がエンタングルするかどうかを検討するアルゴリズムを開発した。
もしそうならシュレーディンガーの猫を説明する箱は、宇宙のはるか彼方に広がる可能性のある長い要因のリストを考慮しない限り、ある程度不完全である。
エヴェレットの多世界から出発して、研究チームは多世界解釈と呼ぶものを考え出した。無限の可能性のセットを取り出して、我々が通常考えないような現実の無限の範囲を掛け合わせるのだ。
オリジナルの解釈と同様、この斬新な解釈は、宇宙の振る舞いについてというよりは、宇宙を一口ずつ研究しようとする我々の試みについてのものである。
研究者たちは、このアルゴリズムに概念的な重要性はあまりないと強調しているが、コンピューター内部のような量子システムをプローブする優れた方法を開発する上で応用できるのではないかと考えている。
他の現実に、すでにその答えがあることは間違いない。
「虎に翼」を評価してる人って普段どういう作品を楽しんでいるの?
好きなドラマ、映画、漫画、ゲーム、演劇、なんでもいいから教えて欲しい。
なんでかって?
私は虎に翼が面白いとは全く思えない。
正々堂々とハッキリ言っておくのがフェアだろう。
私が朝ご飯をリビングで食べる時間に母親が毎朝見ているから一緒に見せられているが、全然面白くない。
出勤日には食堂や休憩室のテレビで同僚と一緒に見ることもあるが、全然面白くない。
なんでこんなのを見せられなきゃいけないんだろうと思ってる。
つまらない。
虎に翼だけは特別面白いとも思えないし、それ以前にやっていた作品と差があるようにも思えない。
そして、虎に翼は正直言って他のドラマよりもある意味でレベルが低いと思っている。
扱っている題材が単なる恋愛モノに留まっていない分、出来の悪さがより如実に出やすくなっているように感じるからだ。
「じゃあ逆に、虎の翼が好きじゃない人はどんな作品が好きなんだろう」と感じた人もいるだろう。
それに先に応えるのがフェアだろうから回答する。
国産ドラマなら「dele」「民王」「おいしい給食」が最近(もう結構古いな・・・)だと好きだった。
海外ドラマの場合は本当につい最近配信された「フォールアウト」を推したい。
小説だとミヒャエルエンデ、劉慈欣、恒川光太郎、村上春樹といったファンタジー系の作家を好んでいる。
映画ならファンタジー作品だと「チャッピー」のようなSF+人間は愚か、実話系でも「イミテーション・ゲーム」のようにサスペンス寄りなものが好きだな。
全体として、手間暇をかけて世界観、空気感を構築する作品を好んでいるようだ。
さて、じゃあ私は「虎に翼」に対して丁寧な世界観や空気感の構築を感じていないということなのではという仮説が立つな。
うん。そうなんだと思う。
「この時代はこんなにも男女不平等だったんですよ~~~~」と視聴者に語りかける時の説明台詞っぽさは本当になんとかならないのかと感じてしまう。
説明することにばかり意識が言っていて、その中に不自然さが溢れているんだよ。
生まれてから今日まで当たり前のように男女不平等の世界に生きてきた人々であるという感覚がそもそもないとういか、突然あの時代に転生してしまった現代人が必死にあの時代の人間のふりをしているかのような語り口なのはなんとかならないのか。
脚本を作っている人たちの中に、男女の生き方についての「常識」が違ったという前提がすっぽり抜け落ちているようにさえ見えてくる。
「男(女)が~~~なのは当たり前でしょ?」という感覚の当たり前感が薄っぺらい。
劇中でそれをわざわざ再度強調する時の
「女~~~~!!!女ごときが~~~~~!女め~~~~!!!」
「え?女だから駄目なんですか」
「女ごときが~~~俺が間違っているというのか~~~~~」
「それは法律が間違っているんです」
「女~~~~まだ言うか~~~~~~!!!!」
みたいな流れも見ていていい加減うんざりするというか、アレを作劇的に意味があるものだとして監督やディレクターがOKを出している、というよりも後押しをしてより安っぽい作りにしようと頑張っているんだろうなということに程度の低さを感じて目眩がしてくる。
男女平等啓発のための30分程度の教育ビデオならともかく、30時間も尺があるドラマで「物語を通して薄っすらと見えてくる現代とは違う男女観」を浮かび上がらせることを放棄して、露骨にでっち上げた憎まれ役に「女ごときが~~~~」と何度も言わせているのは稚拙と言わざるを得ない。
なぜ、こんなものが評価されているのか、私には本当に不思議でならないんだよなあ。
追記:
皆さんの好きな作品
国産ドラマは「最愛」「vivant」、海外ドラマは「グッドファイト」「トッケビ」、アニメは「PSYCHO-PASS」、本は小説より宇宙物理が好き、映画はネイチャードキュメンタリーが好き。
朝ドラだと「あまちゃん」「ゲゲゲの女房」「エール」大河だと「鎌倉殿の13人」「いだてん」「西郷どん」「真田丸」辺りが好き。
北村薫の推理小説、白石加代子の一人舞台劇「百物語」、柿本人麻呂の長歌、スーシェのポアロ、グールドのバッハとグルダのモーツアルト、ジョージ・セルの「ハーリ・ヤーノシュ」。
漫画課金勢ワイ、この一年で見てるドラマは虎に翼だけ。こんな私が漫画で好きなのは、違国日記、君の心に火がついて、隠密お局、明日カノ、薬屋、町田くんの世界、平和の国の島崎へ、繕い裁つ人、銀太郎さん等
同じくカーネーションが飛び抜けてるという感想だが今回のも秀作。光る君へ、鎌倉殿、拾われた男、エルピス、大豆田十和子、カルテット、大奥(nhk)、MIU404他野木脚本など
今クールはアニメ「ウィンドブレーカー」「転生貴族、鑑定スキルで成り上がる」見てる。/ 一番好きな漫画は「ワールドトリガー」
鎌倉殿と野木亜紀子と坂本裕二が好き…。ごめんね、ど定番で。。マンガは萩尾望都と吉田秋生、小説は恩田陸と村上春樹が好き
虎に翼みたいに、主人公がペラペラよく喋るドラマは掛け合い漫才みたいでわりと好き。逃げ恥とか、ミステリと言う勿れとか、大豆田とわ子とか。
なるほど、色々あるな。
虎に翼以外の朝ドラも見てる人が多くて、大河も見てる人が多いっぽいがそもそも視聴率が高めだからなんともだな。
大河だと鎌倉殿が人気っぽく見えるし、全体として味付けの濃いキャラがたくさん出てきてガヤガヤしてるタイプが好きって傾向が強そうに思える。
なるほど。そもそもの前提として適当に見るような作品として作られているのか。細かい機微を表現することを最初から捨てているとああいった大雑把な演技・脚本になるんだなあ。
「男女の生き方についての「常識」が違ったという前提がすっぽり抜け落ちている」その常識に疑問を抱き戦った女性達の話なのでああなるのは作劇上必然。当時の常識に従い耐え忍ぶ話が見たいなら別の話をどうぞ
ちょっと話が噛み合ってないかな。前提としている常識の違いを台詞によって表現する際の微妙な機微が出せていないという話なんだが。まあこれもそもそもながら見前提の大味演技のせいで削ぎ落とされてしまった部分ということなのかな。だとしても、それを出せない癖にこういった題材を扱うのはなんというか・・・失礼な気がするんだがな。
この人がちむどんどんをどう乗り越えたのかが気になる。
乗り越えられなかった。「ちむどんどんする!ちむどんどんする!」の声を聞きたくなくて別の場所で飯食ってたよその時期。
なんとなく色々分かった気がするので増田で聞いて良かったと思う。
人工子宮は完成しません。人工子宮で誕生した子供には多少の不良が生じます。親として、それを許容できる者はいません。しかもより安価により安全に誕生する方法が存在するのに、敢えて特別のリスクを取る者はありません。使う者がないならば、永久に完成しません。だからこの議論はやめて下さい。
家族は思う所があるし俺は嫌いだけど、地方に住んでる以上最低限仲良くしてるし責任果たす気があるぐらい
あと地方住みのメリットとしては長男だから実家と、大して価値の無いマンションとアパートを家あまりの時代に相続出来る可能性があるぐらいか()
地域と不仲でもないし食い詰めてもいないな
収入は地元の同性だと低くも特別高くもない(所得が少ない北海道の地域)
非モテではあるから地元に出合いはなく東京に行くとしたら婚活目的になるだろうけど、実家を放置して上京するのが正しいかどうかと
そもそも東京行ったら尚更出生率終わってるし、女の数は多いが相対的に高卒弱者男性の俺の立場がヤバそうなんで厳しいのではないかという懸念がある
ワイはラーメンつけ麺を100店舗以上余裕で食ってるが、めちゃくちゃ情報を食ってるやで
ワイはミーハーだから、中規模チェーン店ってだけで行く店からはずし(特別感ない店で健康に悪いもの食べる必要性感じない)
ラーメンデータベースで高得点/Google MAPや食べログで高得点の店の中から、こだわりのXXってウリを作っている店に行ってるやで
Windows OSインストーラーDVDを出品していますが、価格を少し下げたところ、購入すると言ってきたにも関わらず、なぜか現時点で買い手がついていません。なぜでしょうか?以前も古い機器を出品した際、同じように値下げしたのに売れませんでした。今もまだ売れていません。
価格を下げてもなかなか売れない理由は様々ですが、以下のいくつかの要因が考えられます。
他の類似商品と比較して、あなたの商品の価格が高い場合、購買者は競合他社の商品を選ぶ可能性が高いです。価格を下げても、他社の商品との差別化が難しい場合、売れ行きが改善しないことがあります。
価格を下げる代わりに、商品に付加価値を提供することで、消費者に魅力的に映る可能性があります。例えば、特別なパッケージング、追加のサービス、保証などを提供することで、購買意欲を高めることができます。
商品の価格は、ターゲット市場に合わせて設定する必要があります。価格帯や需要のある層を明確にし、適切な価格を設定することが重要です。
価格だけでなく、広告、販売促進、流通チャネルなどのマーケティング戦略全体を見直すことも検討してみてください。X (twitter)? Instagram?
去年の暮れに「「小学生のあこがれの人」ランキング2023」で【推しの子】』の星野アイが第3位になったということを思い出し、AIに聞いてみた。
https://benesse.jp/kosodate/202312/20231225-1.html
Answer: 推しの子のアイが尊敬する人は、作中では明言されていません。しかし、いくつかの候補を挙げることは可能です。
アイは赤坂アカ先生の漫画の大ファンであり、特に「かぐや様は告らせたい」を愛読しています。赤坂アカ先生の作品は、巧妙な心理描写とユーモアで知られており、アイはこれらの要素を自身の作品にも取り入れようと努力しています。また、赤坂アカ先生は新人漫画家に対して積極的にアドバイスを行うことでも知られており、アイは赤坂アカ先生を尊敬する漫画家の一人として挙げています。
2. アイの両親
アイの両親は、アイを温かく見守り、支えてくれる存在です。アイは両親から多くの愛情を受けて育ち、両親を尊敬しています。特に、アイの母親は、アイの夢を理解し、応援してくれる存在であり、アイにとってかけがえのない存在です。
(感想: はあ?アイは捨て子だが)
3. 地下アイドルたち
アイは地下アイドルたちを、懸命に夢を追いかける姿に心を打たれています。特に、星野愛、黒川歌子、市川歌音の3人は、アイにとって特別な存在であり、アイは彼女たちから多くのことを学んでいます。
(感想: 誰やねん)
4. その他
上記以外にも、アイは様々な人から影響を受けています。例えば、アイはかつて所属していた劇団の先輩である海女凪咲や、アイのライバルである星野すみれなども、アイにとって尊敬する人物と言えるでしょう。
(感想: 劇団の先輩である海女凪咲や、アイのライバルである星野すみれ ←誰やねん)
アイは、尊敬する人々から多くのことを学び、自身の成長に繋げています。今後もアイがどのような人物に出会い、どのように成長していくのか、楽しみですね。
○ご飯
朝:なし。昼:キュウリの浅漬けに海苔かけたやつ。キュウリと納豆和えて海苔かけたやつ。バナナ。夜:バナナヨーグルト。間食:柿の種。チョコ。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、おやすみなりー。
SAGA PLANETSから2019年に発売された18禁美少女ゲームの全年齢移植版を遊んだので感想を書く。
前作金色ラブリッチェのファンディスクにあたり、ヒロイン達のアフターストーリー、前作で攻略できなかったミナと絢華のルートと、それと本作独自のエピソードが読める。
前作は、身分の高さや生まれの不幸から来るそれぞれの苦悩と、それを跳ね除けようと努力するために“カッコつける”テーマが魅力だった。
まずアフターストーリーの方はプレイ時間もそれぞれ30分ほどの短編で、内容もあっさり目。
この辺は全年齢移植版であることも大きな原因なので仕方ないかな。
次にミナのルートはかなり期待していたのだけど、ちょっと期待度を上げすぎたのか、しっくり来なかった。
ミナは北欧のソルティレージュという架空の国家の王族で、メーンヒロインのシルヴィアの妹にあたる第十王女。
幼い見た目枠ながら、主人公の市松央路をビシバシ教育する強い態度が良きキャラ。
掘り下げると面白そうな王族の派閥争いのエピソードは前作から色々と布石が打たれていたんだけど、ルートに入った途端、その辺はノータッチ。
恒例の央路が釣り合う男性になるようカッコつけて夢を探すエピソードも、探さないとだなあ、と探すことを表明するところでおしまい。
正直、テーマの掘り下げはかなり中途半端でプレイ時間の大半はイチャイチャパートだった。
イチャイチャパートも、前作や共通ルートで気に入ったミナのキビしくも優しい両面性はなりを潜め、彼女が甘えてくる展開が多め。
もちろん、そういう方向が無しだとは思わないんだけど、気に入った部分とは違う内容だったので、期待の方向を誤ってたかもだ。
強気で上から叱ってくれるミナが好きだったので、それを踏まえたエピソードが読みたかった。
上流階級を自称し庶民の主人公が居るだけで不機嫌になっていた彼女とのルートは、面白かった。
前作の絢華は性格悪い子なんだけど、今作ではコミュ障、陰キャっぽいシーンが増えていて、性格の悪さの方向性が変わっていた。
前作のイジメっぽいパートについて反省し謝罪するエピソードもあるし、メタ発言も駆使してそこのフォローしていたりと、色々と手を尽くしているのが感じれた。
メインキャラたちの因縁とは直接関係ないサイドストーリーながら、上流階級が上流階級と呼ばれる所以、ノブレスオブリージュなど、本流に通ずるテーマを別の視点から描いているのが面白い。
ルートの主役が誰なのかはネタバレになるため伏せるが、前作のあるルート終盤から分岐する異なるストーリーが楽しめる。
前作終盤で存在が示唆されたSFガジェットの掘り下げをしつつ、あくまで前作の選択は尊重しながらも、前向きになったエピソードだ。
あれほど八方塞がりな状況だと繰り返し言及してきたため、かなり無茶で唐突な設定が生えてきている。
ここについては、製作陣も承知の上のようで、続編映画あるあるを言うコメディパートなどで、自己言及的な弁解をしていたのが面白かった。
ただ、多少無理な設定であっても、やっぱりハッピーエンドは良かった。
前作の苦くて静かで悲しいエンディングとどっちが好みかは人それぞれだろうけど、ファンディスクなんだからこれはこれで良き。
ファンディスクであることを踏まえれば、良い意味でIFと少し後の物語を描くことに終始していて、続編ではない作りだ。
主人公の市松央路のカッコつけるシーンが好みだった僕としては、今作のルートではどれもそのエピソードが少なかったのは惜しかった。
とはいえ、彼の手に収まる範疇は前作までで、今作のようなルート群は特別なSFガジェットが必要だったと思うと、ある種の納得感もあった。
都会のっていう感じではないけど一定の知的水準がある集団にいる経験って結構な糧になるな。
機械系の学科ならフィードバック制御とか電気回路のことくらいなら常識レベルにみんなわかるんだが、世間の常識ではない。飲みサーで飲むのが日常なやつも暇さえあればアニメを見続けてるやつも全員わかってるのって特別なことだと思う。
長すぎるのでClaudeに要約死てもらった。39cぁうで。
我が社に一人の上司あり。数年前に入社し、理論を重んじる人なり。
部下たちに次々と本を薦めたが、読む者は少なかった。読んだ私には、さらに本を貸してきたが、結局のところ、読んだ者への特別な扱いも、読まぬ者への制裁もなかった。
彼は、データの分析を命じたが、その指示は曖昧であった。私は尋ねたが、「全てを網羅し、3日で仕上げよ」と言うのみ。こんなデータが役立つはずもなく、案の定、日の目を見ることはなかった。
会議では、現場の問題点を指摘するばかりで、根本的な原因を探ろうとはしなかった。
彼は外部のコンサルタントを好んだが、必要なデータを持ち合わせておらず、多くの案件が立ち消えとなった。それでも幾つかの案件は通ったが、費用対効果は疑問であった。
コミュニケーションを避け、定時で帰宅する姿が目立つようになった。上司の承認が滞り、業務に支障をきたすようになった。
そして、ついに彼は退職することとなった。退職の際、私は彼に進言した。「理論は大切だが、現実と結びつけねばならぬ。コミュニケーションを怠ってはならぬ」と。しかし、彼からの返事はなかった。
昨日は私の誕生日だった。
仕事が終わって彼氏に連絡をすると「車で迎えに来たよ」と返信が来た。
「誕生日何か考えてくれているのかなぁ~」と少し期待をして彼の車へ向かった。
すると開口一番、「今日は1日だし、丸亀製麺でご飯食べよう!」と。
丸亀製麺は、毎月1日は釜揚げうどんが半額で提供される。並盛は170円とお得で、毎月行列ができるほどだ。
私は半額で済まされる女なのかと悲しくなり、泣き出してしまった。
私も丸亀製麺が好きだ。
毎月1日は一緒に並んで食べることもあった。
しかし誕生日である今日はもっとこう、別のものを選択するのでは?と問いたい。
特別な節目の日にいつでも行けるようなチェーン店を提案する彼に心底残念な気持ちを抱いた。
異常な劣等感や、逆に付き合うことさえできればすべてが上手くいくかのような異常な期待は、基本的に「誰かに選ばれたことがない」というのがネックなんだろうなと思う。
自分が持ってなくて他の人が持っている者を目にすると、「もしかして自分はこれを持っていないからダメなのでは?って発想になりそうなのはわかる。
でも、選ばれることって十分条件であって必要条件ではないんだよな。
「選ばれたことがあるから大丈夫」なのであって、「大丈夫になるために選ばれる」わけではない。
自分は、特別モテるわけでもないが、たまたま自分を幸運にも選んでくれた相手がいて、その人と最近死別し、別の幸せを探すのもいいかなという気持ちと、めんどくさいからもういいかなという気持ちの間で毎日行ったり来たりしている。
このまま次を探さずにずっと一人でいたとしても、「誰かに選ばれたことがある」という実績があるから、それほど絶望せずに行きていける気はしている。
なんなら、今後の人生でもっと絶望したい瞬間があっても、「まあでも、選ばれたことあるしな…」と思って多少は持ち直せそうな気がする。
まあ、切ったわけでも切られたわけでもない死別という別れ方なのはまあまあイレギュラーだから一般化はできないと思うけど。
選ばれるという経験そのものは、実際にしてみると、その瞬間は嬉しいが、後で振り返ってみると、そこまで激烈なものでもなく「こんなもんか」と思うだろう。
これは初めての性行為をした後と類似した感想ではないかと思われる。
それは、経験そのものは重要でなく、「「経験したことがあるかないか」がその後の人生で重大な影響を及ぼすからではないだろうか。
誰かに選ばれるってぜんぜん大したことではないし、激烈に人生が変わることでもない。
だから、一度味わってみたら「こんなもんか」って思うだろう。それでも、選ばれた経験が1度でもがあるかないかは重大な意味を帯びるのだ。
(めちゃくちゃ下世話な例えで言うと、性行為をさせてくれた相手がいるから、まあこのまま一生性行為せずに死んでもさほど悔いはないかな、という感じがあるが、童貞のまま死ぬ人はさぞ無念だろうとな。という感じ。でも初めての性行為自体は多くの人にとってそこまでいいもんでもない。あくまで例えであって、実際にそのような経験はしていないし性行為をしていない人を見下した発言でもありません。)
叩いてないじゃん、特別悪い顔でもないしなんとでもなるって書き込んだだけじゃん。
前にも言ってるけど、地域や時代によっても代表的な習い事は変わる
公立小中でも特別な理由がなければみんな習ってる程度にはメジャーな習い事。みんなやってるしうちの子もなにかやらせるかでやらせるような習い事。
逆に塾とかはまだメジャーじゃなくて中学受験とか高校から他県の高校行くほど教育に力入れてて親も医者でお金もってる家庭の人が行くようなイメージだった。
だから増田の地域や時代ではピアノはメジャーな習い事ではなく、ピアノ買うほどまでと言うと上昇志向の強い家庭が習わせてるものだという認識なんだと思う。