「物理量」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 物理量とは

2009-09-19

努力=投入心理コスト量(およびその推定値)

http://d.hatena.ne.jp/RPM/20090917/doryoku

最近見た素晴らしい「努力」の定義 - インターネットください

このエントリーを見て,どうもモヤモヤした感じになったので。というのは、現在その言葉を使っている人の意図に全く無い意味を「定義」しているので「提案」にしかなっていないことと、論理的な矛盾点が気になったからである。

http://d.hatena.ne.jp/RPM/20090120/1232391076

努力をしないクズを吊せ!努力が足りない無能は死ね!」 - インターネットください

同じ方のエントリで、問題点の列挙に関してはとても納得ができ、凄いなと思ったのだが、前提がおかしいのではないか。すなわち、

まず前提として「努力してない」「努力が足りない」と言われたり評価されたりするのは、「失敗」したときのみであることに注目した方がいい。

これは違うのではないか。

この前提及び冒頭エントリ定義への反例は、「『あいつ、大した努力もしていないのにいい目見やがって…』という批判」とか、「『あの人,あんなに努力しているのに何で結果が出ないんだろ…』という同情」とか。従って、冒頭定義にはわたしは相当の違和感を持った。加えて、ブコメにも散見されたが、この定義は「みんなの考えているような努力なんか存在しないんだよ」といった内容、もっと踏み込んでいえば「努力するってのは空虚なものだ」という内容を暗に含んでいるように感じる。

さて、というわけで表題に戻ろう。私は、努力定義は表題のとおりなのではないかと思っている。

自分努力の評価は、「投入した心理コストの量」として評価している。

他人の努力の評価は、「投入したと考えられる心理コストの推定値」として評価している。

そもそも心理コストとは何か、ということなのだが、これは気力と言い換えても問題がない。人間、何をするのにも気力が要る。ただし、その必要量は人によって(さらにはコンディションによって)異なる。例えば、芸術系の学生がスケッチを1枚描くのに必要な気力と、私が同じことをするのに必要な気力は大きく異なるだろう。ある行為を行うのに必要な心理コスト多寡は個人差がある。

ということで、努力の評価の不思議も説明できるのではないか。スケッチの例を続けると、絵を描くのが楽しくてしょうがない学生がものすっげえ量のスケッチを描いて大成したとすると、本人はそれに対する投入心理コストは大したことがないので努力したつもりはないが、私から見るとものすごい心理コストの投入結果に感じるので努力したんだろう、と感じるだろう。逆に自分のいやなことをやるときは投入(物理コスト単位量当たりの必要心理コストが大きいので努力に結果が付いてきにくいと感じる。

努力が足りない」という他人への評価は少し複雑だ。このケースでは、「評価者はその行為に必要な心理コストが小さいと感じている」乃至は「評価者は心理コストの推定を行っておらず、それを0としている」ということが考えられる。とにかく他人を貶めたいような人は、ある仕事を行うのに気力が必要だという事実を無視して、物理限界コストの投入を求める。心理コストが0になれば、物理限界のみがコスト投入量の限界を決めるからだ。場合によってはそれすら考慮の対象外になることがある(人間としての限界でなく、それ以上の力で動けという暴論。ex.根性論)。

気をつけて貰いたいのは,あくまで気力は実際の(物理量としての)投入コストとは異なる、という点だ。成功なりなんなりという結果は、実際の投入コストに影響されるものである。従って、努力の量と結果の相関関係は投入コスト量と結果のそれより弱くなる。なので、「努力したorしてない」と「成功したorしてない」という言葉の組み合わせは4通りすべてありうる。

以上、長々と書いてきたのをまとめると、

  • 努力は確かに人によって感じ方が異なる
  • かといって存在しない/空虚なものではない。努力に一定の価値を見出す考え方は肯定されるべきだ

ということだ。自分がやると非常につらいことを他人がやっていることは評価するべきだし、必要だけどやりたくない、辛いことにチャレンジすることは尊いことだ。

ただし、付け加えると、

  • 努力は結果に直接影響するものではなく、「努力」の実際の動作として現れる投入コストに影響されるものだ。
  • さらに、成果は本人の投入コストだけではなく、その問題に対して注がれたトータルのコスト量(他人との合算値)や環境などの条件にも強く影響されるので注意。

でもある。そして、

  • 努力が足りない、と評価された場合はその評価が不当である(実際の投入コストはかなりの量なのに)というケースは存在する
  • 努力が足りない,と評価したくなった場合は実際の投入コストをしっかり見て、適切な評価をするようにする(気力が無限だと思っちゃならん)

ということだ。

あまりまとまっていない乱文だが、ここまで読んでくれたことに感謝する。

【追記】(注:あんまり真面目な議論じゃないので本気で受け取らないでくださいね,笑)

くわしく数式的に定義する。

努力量[心理量]をE, 実際の投入コスト量[物理量]をC, あるコストを投入するのに必要な心理コスト[心理量/物理量]をxとおこう。

この時、Eは次のように定義される。

E = ∑_m ( C_m * x_m )

ただし、mは様々な投入コスト形態を指す。例えば、絵を描くという課題に対する投入コストは「対象物探し」「材料調達」「作成」のための時間、肉体的労力,精神的労力,金銭などがある.ここではこの12項目のみが投入コストだとすると、mは1~12の値をとり、それぞれについて和をとる。積ではないので、ある課題に投入するための努力を小さくするためには、すべての項目についてxおよびCを小さくする必要がある。しかし,ここで

成果 ∝ C

であることにも留意が必要であり、成果の値を一定に保ちつつEを小さくするにはxの低減が有効になると思われる。

2008-07-26

物理オタが非オタ彼女物理世界を軽く紹介するための10人

via : http://anond.hatelabo.jp/20080721222220

まあ、どのくらいの数の物理オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、

「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、

 その上で全く知らない物理世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」

ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、物理のことを紹介するために

見せるべき10人を選んでみたいのだけれど。

(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女物理布教するのではなく

 相互のコミュニケーションの入口として)

あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴うマニアックな人物は避けたい。

できれば伝記が出てる人物、少なくともブルーバックスレベルにとどめたい。

あと、いくら物理的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。

物理好きが『ケプラー』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。

そういう感じ。

彼女の設定は

物理知識はいわゆる「ブルーバックス」的なものを除けば、中学校程度の物理は知ってる

サブカル度も低いが、頭はけっこう良い

という条件で。

まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。

アルバート・アインシュタイン

まあ、いきなりかよとも思うけれど、「アインシュタイン以前」を濃縮しきっていて、「アインシュタイン以後」を決定づけたという点では

外せないんだよなあ。知名度もあるし。

ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。

情報過多なアインシュタインの業績の数々について、特にリーマン空間上の時空の幾何学という数学的側面が強い一般相対論について、

どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報彼女

伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」試験としてはいいタスクだろうと思う。

アイザック・ニュートン

アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな物理学者(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの

という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには

一番よさそうな素材なんじゃないのかな。

物理オタとしてはニュートン力学万有引力法則は“常識”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。

スティーブン・ホーキング

ある種のSF物理オタが持ってる時空制御やタイムトラベルへの憧憬と、一方で時間順序保護仮説を唱えるオタ的な理論物理へのこだわりを

彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもSFオタ的な

「一般相対論破綻」を記述する特異点定理

量子力学重力統合」を提唱する量子重力理論

の二つをはじめとして、オタ好きのする理論世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。

ジョン・フォン・ノイマン

たぶんこれを見た彼女は「モーツァルトだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。

これほどの変態的天才がその後続いていないこと、これがアメリカでは軍事への貢献で大人気になったこと、

数学から経済学までのあらゆる分野に影響を残した天才ぶりはアメリカなら実写テレビドラマになって、

それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、

日本国内でこういう天才が生まれないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。

ジェームズクラークマクスウェル

「やっぱり物理は目に見える自然現象を説明するためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「アンリ・ナビエ」

でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、電磁気学にかけるマクスウェルの思いが好きだから。

(以下思いつかねえ)

レオンハルトオイラー

今の若年層でオイラーを目指す人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。

量子力学よりも前の段階で、力学現象を解析的に取り扱う哲学位相空間の技法は彼で頂点に達していたとも言えて、

こういうクオリティ物理学者数学者の片手間でこの時代に生まれていたんだよ、というのは、

別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく物理好きとしては不思議に誇らしいし、

いわゆるニュートン力学でしか物理を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。

アマリー・エミー・ネーター

(還元論的)物理の「本質」あるいは「原理」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。

「あらゆる基本的な物理量は保存する」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、

だからこそ理論物理学の最も基本的な量はハミルトニアン以外ではあり得なかったとも思う。

複雑系を取り扱う新しい物理」というオタの感覚今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の

源はハミルトニアン(時間並進対称性に起因する保存量)にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、

単純に対称性と保存量の美しい関係を楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。

エドワードウィッテン

これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。

こういう純粋数学チックな物理を元文系の天才物理学者が推進していて、それが非オタに受け入れられるか

気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。

リチャード・P・ファインマン

9人まではあっさり決まったんだけど10人目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にファインマンを選んだ。

アインシュタインから始まってファインマンで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、場の量子論以降の

素粒子物理時代の先駆けとなった人物でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい人物がいそうな気もする。

というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10人目はこんなのどうよ、というのがあったら

教えてください。

「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。

こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。

10人は疲れるなこれ…。穴だらけだわ。そういう意味では元増田すげえな…。

ディラックとかハイゼンベルグとかシュレディンガーあたりを入れたかったが入らなかった。

あと湯川秀樹朝永振一郎も入れたかった。

2008-04-13

http://anond.hatelabo.jp/20080413225222

むしろ物理系の人の方がよっぽど簡単に入っていけるように思いますが。おそらくパターン認識とかデータマイニングとかそういう分野の方だと思いますが、物理やってた人は多いですよ。物理の人は統計力学やってるから色々計算方法のノウハウもわかってるし、エントロピーをはじめ、統計量を「物理量」として具体的なイメージと共に体でわかってるからとても強いと思うんですけれど。

特に変分法なんて、汎関数は全部(相対)エントロピーラグランジアンのどちらかに決まってるんですから。

2007-06-14

情報量子力学物理量として定義したいみたいな感じ。

光だったら

明るさはフォトンの量

色はフォトンの振動数

情報だったら?インフォノン?(勝手に考えただけ)

情報量はインフォノンの量

内容というか質はインフォノンのなんだろ??

っていうかインフォノンって何やねんって話。インフォノンなるものを定義できるか=情報量子化できるかって事。

だってさ、情報の量と質ってリニア関係じゃないじゃん?

ビット情報単位として考えれるかもしれないけど、1ビットで伝えられる情報って不変じゃないと思わない?

情報って何だろうっていう素朴な疑問。

いつか解決したいなぁ。

2007-02-27

大衆は馬鹿だ!

そして俺はもっと馬鹿だ!

http://anond.hatelabo.jp/20070227103138

>自分の頭が良いのか悪いのかがわかりません。

そりゃー、貴方馬鹿だからですよ。頭が悪いから自分の頭の善し悪しがわからないんですよ。

そして自分の頭がいいと思っているアナタ。自分のことを「頭いい」なんて、馬鹿じゃないの?自画自賛?ご満悦?どうぞ道化を続けてください。

自分の頭が悪いと思っているあなた。やっぱり悪いですよきっと。自覚しているぐらいですもん。

さてさて、なにをとちくるった話題で盛り上がっているのかと思ったら、こういう事だったか…。

たとえばさ、「自分の足が遅いのか速いのかがわかりません。」って聞かれてもむずかしいよな。測定できる、物差しがある物理量でさえ、比較対象が曖昧では答えられんよ。

#お、ニセ科学批判ぽい(笑)

それが「頭いい」だ?

こんな議論に参加していること自体、頭悪いよ(笑)

まぁ、メタ議論が好きだしな、はてな住人。

俺も好きだよ。

でも、楽しく読んできたけど、そろそろ飽きてきたので、こんなエントリあげてみる。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん