はてなキーワード: 物体とは
「1は0の次の数」みたいな定義を使った証明がありますが、私が証明の意義を理解してないからなのかもしれませんが、ただ回りくどく等式を説明してるだけのように見えてしまいます。
というのも、たとえばこの等式の状況は自然言語で表せば、青い玉と赤い玉が一個ずつあったとして、これらに対して二個ある黒い玉とペアを作ろうとしたならば、余りが出ずペアが作れるということだと思います。
ペアにしたとき余りが出ないということは、物体がなんであるかを無視してその数だけを考えたときに、一方と他方の個数が一致しているということでしょう。
今、黒い玉は2個だといったのだから、それと余りなくペアが作れる赤い玉一個と青い玉一個について、物体がなんであるかを無視して、いやこの場合色の違いさえ無視して「玉の個数」ととらえたならば、この個数も2個であるはずですよね。
そして色の違いを無視した個数というのは、色の違いを無視しないで数えた各玉の個数の合計と同値でしょう。
そして1+1=2というのは上記の議論を踏まえた命題「~二個である」を個数に注目して定式化したものにすぎないなのですから、上記の議論が正当なら、それに定式化されたものとして対応している1+1=2という等式も正しいことになる、と私は考えています。
しかし上記の議論は「証明」とはまた違うような気がします。ですがだからこそ、1+1-2の正しさは別に「証明」によってなされるほどのものでもないと思いました。
に対して常軌を逸した返信が来た。
こういわれるとさすがに、お前の書き込みにしたって「説明」や「定義」「ありません」等の定義がないんだがって言いたくなるんだけどこいつがおかしいんだよな?
映画やアニメ、漫画等で見てる時はそういうものだと思って見てるけど、改めて考えると不思議だなと思うファンタジーの設定ない?
そんなの真剣に全部描写してたらスピード感も無くなるだろうし、余計に疲れそうだしで描写を望んではいない。
凄い高さにジャンプしたり、そのまた逆に凄い高さから着地、凄いスピードでダッシュしたりした場合、
接地してた箇所にすんごい衝撃ないの?って不思議。
ドラゴンボールみたいなのは空飛ぶレベルなので脳内ではセーフ判定。
分子とか停止してるレベルだと真っ暗にならないの?って不思議。
固さも気になる。呼吸すら辛そう。
元いた場所の事後って物質まるまる消え去ってるので、移動する物体の大きさによって偉い事起きるんじゃないかなって不思議。
劇的に寒い。
冬の便座は温かいに越したことはない。その方がいいに決まっている。
学業や仕事から離脱し、わざわざ氷のように冷たい物体に尻をべったりと押し当てに行くなど意味が分からない。
拷問と何が違うというのだろう。
まあ、こんなに不平不満をもらしている手前、私の職場の便座が温かいわけがない。
拷問と何が違うというのだろう。
なぜわざわざ「スピリチュアルな」と形容しなければならないバイト先にいるかといえば、理由はいろいろある。
遡れば十年近く前、大学卒業直前に父が突然亡くなり、それがトリガーで鬱になったとか……それが原因で何年も正規雇用でまともに働けていないとか……父が亡くなってから母の認知症が進み、家族のことを全員忘れてしまったとか……そういうあれこれで私の鬱も何年経ってもなかなか寛解せず……
まあ、人生いろいろある。
いろいろあって私は「スピリチュアルな」「バイト」をしている。
この増田のトピックとしてはさほど重要な話ではないので、詳細は省く。「スピリチュアルな」「バイト」にわざわざ就く経緯の説明としては、こんなもんでいいだろう。
バイト先はスピリチュアルグッズや、怪しいけど合法の、薬っぽいものなどを通信販売している会社だ。
あんなもん、どこの会社の、どんな奴が売ってんだよ、と皆さんも人生でちょっとは思ったこと、ありませんか?
私もそう思っていました。私のような人間が経営の一端を担っています。スピリチュアル業界の未来が心配。
ここまで読んでいただけたなら大抵の人が理解していることと思うが、私はスピリチュアルグッズも、怪しいけど合法の薬っぽいものもまあ小馬鹿にしている。
なぜ大して好きでもない商品を販売する職場で働けているのか。理由は二点ある。
一点目は、給料が良いのだ。
ちょっとExcelとWordが使えて、ちょっと正しい日本語が扱えるというだけで、随分と歓迎されている。私のような経歴ではなかなか巡り合えない、好待遇のアルバイトだと思う。
二点目は、働いている人の善さだ。
ここで言う「人の善さ」とは、スピリチュアルらしく開運オーラを持つ人だとか、いつも笑顔で縁を引き寄せる人だとか、そんな話ではない。
うちの会社に限った話かもしれないが、スピリチュアルグッズを取り扱っている会社にしては社長も社員も、全くスピリチュアルに傾倒していない。
ここからは憶測と、ちょっとした悪口になるが(ここまでも大概だが)、おそらく販売する側が正気でいないと、正気じゃない人間にまともに売り込めないのだと思う。
正気じゃない商品を正気じゃない人に親切に売りつけるには、正気でいなければならない。
ビジネスの考え方ってこうじゃないとな、とも改めて思える。
少々話が逸れたが、本題に入る。
スピリチュアルなバイト先は給料も良く、人も善いというのに、トイレの便座が冷たい。
わざわざ温かいオフィスを離れ、冷たい便座に尻を押し当てに行きたくない。何度も冷たい便座に座りたくない。
おかげで乏尿になってしまった。乾燥していてよく水分は摂る癖に……膀胱炎になったらとんだお笑い種だ。
スピリチュアルに携わっているくせに乏尿だの膀胱炎だの、代謝が悪そうな人間になってるの、可笑しくないですか?そうでもないか。
だが、最近冷たい便座に座る回数が減った。シフトを減らされたのだ。
薄々予想はしていた。三人いたバイトのうち一人が解雇され、もう一人は週三、週二、週一と見かける回数が日に日に減っていき、ある日とうとういなくなった。
しかし、私はシフトを減らされるのみで、なぜか解雇されなかった。おまけに会社はバイトを二人解雇したと同時に、正社員を数名雇っていた。
そうして念願叶って冷たい便座に座る回数が減り、また、それに応じて給料も減ることになった。
後者は全くもって望んでいなかった。本当に。
給料が減れば必然的に精神は不安定になる。鬱の非正規雇用者というのは、そういう生き物だ。
でも、鬱だろうがなんだろうが、人間は案外しぶとい。私は運命と精神疾患者に厳しい世間に抗うため、副業を探すことにした。
今のバイト先と兼業できて、同業じゃない、スピリチュアルとは無関係の、いいバイト先を……
と思いながら面接を受け続け、なぜか今よりも胡散臭い気配が漂う会社で副業をすることが確定した。
なんでだよ。普通、なんかこう、こういうときは起死回生の展開があるはずだろ……
でも、私は「起死回生の展開」なぞ存在しないことを知っている。なぜなら、私の人生だからだ。私の人生に、そんな展開は都合よく訪れない。
会社のドアもまあボロく、「チェンソーマンに出てくるボロいドアに似てるな、貼り紙はないけど」というのが会社の第一印象だった。
だが、そんな印象に反して面接をしてくれた社長は優しく気さくで、なかなか楽しい気分で面接ができた。オフィスワーク経験も活かせそうだったので、内定の連絡には二つ返事で承諾した。
オフィスのドアに貼り紙はなかった。だが、面接のとき見えなかったオフィスの壁には、大量の紙が貼ってあった。
壁の紙にはおそらく慶弔用と思われる筆ペンで
「論理的思考で世界を回す!」「社会人として自立を意識」「ポジティブシンキングが良い結果を生む!」
などと書いてあった。もっと書いてあったが、全く覚える気がないので、これ以上思い出せない。
「社会の嘘」が書いてあるな、と思った。
スピ会社でも思ったが、この会社でも「ここで聞いたことはすべて信じないことにしよう」と思った。
だが、待遇が良く、人が善いのはスピ会社と同じだ。オフィスワーク経験も活かせている。
いいんだ、これで……
温かい……
そう、温かかったのだ。便座が、温かい!
待遇が良く、人が善く、どうしようもなく胡散臭く、オフィスに出勤する度に、名札が渾名で書いてあるタイプの居酒屋に来た気分になるけど、というかこの会社、トイレにすら「社会の嘘」の紙が貼ってあるけど、そんなことはどうでもいい。
便座が、温かいのだ!
私は心底感動した。
便座が冷たいスピリチュアルなバイト先と、便座が温かいキショい居酒屋みたいなバイト先。
どっちも別に好きではない。正直目くそ鼻くそだが、真冬に便座が温かいことは、とんでもないアドバンテージだ!
今の時期だけはお前を愛することにする!
夏になったらどうなるか知らんが!しばらくよろしくな!
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1+1=2 と 2+2=4 のどちらを「簡単な問題」の例として使うかは、文化や教育の違いによると考えられます。
日本では、算数の学習を 1 から順番に進めることが多いため、1+1=2 が最も基本的な計算であり、また、1 は単数であるため、比較的覚えやすいという理由から、1+1=2 が「簡単な問題」の例としてよく使われます。
一方、アメリカでは、算数の学習をより実践的な問題から始めることが多いため、2+2=4 がより身近な問題であり、また、2 は 1 よりも 1 つ多いという比較がしやすいという理由から、2+2=4 が「簡単な問題」の例としてよく使われます。
具体的には、アメリカの幼稚園では、数字を数える練習として、2 つの物体を並べて「2」と数えたり、2 つの物体を組み合わせて「1 つの物体」を作ったりするといった活動がよく行われます。そのため、2+2=4 という計算は、幼い頃から身近な問題として捉えられています。
また、アメリカでは、算数の学習において、計算だけでなく、問題解決能力や論理的思考力を育むことも重視されています。そのため、2+2=4 という計算は、単なる計算問題としてではなく、より複雑な問題を解くための基礎として捉えられています。
このように、1+1=2 と 2+2=4 のどちらを「簡単な問題」の例として使うかは、文化や教育の違いによって、その意味合いや意義が異なってくると考えられます。
非慣性系の座標系同士が慣性系に対してそれぞれ同じ加速度を持っている場合は、一方の慣性系の運動方程式を立てるときに他方の慣性系の加速度は項として現れないと考えて合っていますか?
エレベーター内の物体の動きというようなものをを考えるとき、地表面を慣性系と考えていいのは、遠心力やコリオリ力が小さいから「無視できる」というふうに聞きました。
でもこれって「無視できる」んじゃなくて「無視するまでもなく存在しない」と表現するのが妥当な気がしたんです。
地球は自転も公転もするのでその地表面は非慣性系であるのと同時に、エレベーターや電車の中での動きみたいな地上で行われる日常的な物体に対する物理的考察は、基本的に地表面を基準として行われていると思います。
地上でエレベーターが静止している場合、エレベーターが存在する地表(に固定した座標)と、エレベーターに固定した座標は、理論的には全く同じ加速度でこの宇宙内を運動しているはずですよね。
そしてエレベーターが上昇すると、エレベーターに固定した座標の加速度には、地表と同じ加速度に上昇運動分がプラスされているだけという形になると思います。
このとき、エレベーターの中の物体に対して運動方程式を立てるとき、慣性力として現れるのは、「無視できる」からとかじゃなくて、理論的に物体の質量にエレベーターの上昇運動分の加速度のみをかけたものになると考えて合っているでしょうか?
参考書で慣性力を考えるとき最初は(慣性系から見た物体の位置ベクトル)=(慣性系に対する非慣性系の原点の位置ベクトル)+(非慣性系からみた物体の位置ベクトル)という式を立てて、これを二階微分して出る加速度の関係式を運動方程式に代入するというやり方でした。
ようは、慣性力は、二つの座標系の関係性のなかで論じられているのだと思います。
そうするとこれが、地表と地表に対して動く物体内の物体という、非慣性系が二つ出てくる場合には、非慣性系の座標系同士の関係性のなかで同じように論じられる。そして上記のやり方だと、慣性系そのものの位置ベクトルないし速度加速度を考えなかったのと同じように、一方の慣性系の加速度、地表を基準とするなら地表の加速度は考える必要なく、運動方程式にも地表の加速度に由来する慣性力は現れようがないのかなと直観的に思いました。
ただ、慣性系一つに、非慣性系二つという三つの座標系を仮定して式を導くというのが、自分の計算力不足で煩雑になりすぎてお手上げだったので、本当にそうなるのか自力では導けませんでした。
実際はどうなのか回答していただけるとありがたいです。
でもそもそも慣性系っってどこにあるんですかね??太陽系も銀河系に対して公転してるらしいし、銀河系も公転してて、というか時空間自体静止せず膨張してるというのであれば慣性系ってそもそも存在するの?ってなるんですけど。
女性漫画家の男性キャラの履いているズボンの股間周りのシワの描写が女性のそれになってるケースが多い。
男性キャラの股間あたりに水平なシワが左右の太股の付け根を股間の部分を通って横断している描写になっている人が結構いる。
男性諸氏はご存知かと思うが男性のズボンの股間部分のシワはこうはならない。
底にまとまった体積の物体がついていて布がその面積分盛り上がっているから、シワは太ももから股間に向かって斜め下に向かう形になる。
女性漫画家の描くズボンのシワはちんぽがないようにしか見えないシワになっている。
布がちんぽの体積で盛り上がっていることや、縫製がちんぽのぶん余裕をもたせた形になっている事を分かっていない作家って多いんじゃないか。
女性向けのズボンは平坦な股間にぴったりな縫製になっているがそこの違いに意識が向いていないように見える。
男性は物心ついたときから小便のたびに自分の性器を見るし、公衆浴場やプールの着替えで他人の物を見て大きさの違いなどを実感したりと股間に意識を向けることが多い。
だが女性は便器の腰掛けて尿の出る部分は見えないし、単に平坦な場所なので、せいぜい小学校高学年の修学旅行やプールの着替えで毛が生えたかどうかくらいでそれ以外は他人の股間に関心を持たないのだろう。
いやたぶんVRChatそのものには漂っていないよ
あくまでVRChatのオフ会で水タバコカフェに集っている投稿をよく見るし、そして私もオフ会で誘われたっていう自分の経験が二回くらいあるだけっていう私の観測範囲の話ではあるのよ
まー正直誘われた時はいつか行ってみるかなーでも煙草だしハマったら健康にまずいしやめとくかなーぐらいの認識だったけどさ
グミ配ってそれを食べた人が体調不良起こして販売元や製造会社に強制捜査が入ったってニュースをたまたま見たのよ
んで取材受けてる販売元見て私はたまげたね、水タバコカフェだったのさ
映像に出てくる"合法"の文字、「ブリブリになりますか」「効くっすよ」の会話、違法になる前に駆け込み需要があるとインタビューにモザイクなしで応える店員
学生の頃スピードとか名前つけたり法が追い付いていないものを合法だよ依存性は少ないよーとかで誘い込んで次第に重いものに手を出させたりって手法を使ってきますよーって感じで注意喚起されてたけどさ
2023年でももちろん名前や細かい手順は違うけどその方法をバリバリやってるし今回は私も普通に巻き込まれるとこだったんだなーって寒気がしたのよ
現時点で水タバコにはまっている知り合いは距離を置くしかないかと考えている、下手に止めるように説得したところで丸め込まれる危険性が滅茶苦茶高い
※タイトルや以下における「エンジニア」とはソフトウェアエンジニア的なものを指すとする。
この時期に各種アドベントカレンダーで見かけるような、あるいは平時でもはてブの「テクノロジー」タブに上がってくるような記事は魂に訴えかけるものが皆無な浅い記事ばかりだ。マネジメントがどうのだとか、○○プログラミング言語で△△してみましただとか、無味乾燥なこと甚だしい。それはなぜかというと、そうした記述はいわば児戯を一生懸命やっているだけであって、社会や世界のことをなんら考慮しておらずなんの影響も与えることができないものだからだ。
求職側において、個人ブログ等で発信することでポートフォリオ代わりになり、転職活動に有利になるというインセンティブがある。求人側から見ると、自社ドメインの技術ブログ等で発信することで採用市場におけるプレゼンスを高めたいという動機がある。この双方向の動きにおいては、情報を多く出したもん勝ちであるため、浅い記事が量産されるというわけだ。
求職者は人材会社の陰謀に嵌められて義務的に情報発信させられていることも多く、被害者だとも言える。しかし、求人側がこの動きに加担するのは非道徳的である。たかが採用のために競合と人間の認知許容量を巡るゼロサムゲームを繰り広げて貴重な人類の知的エネルギーを浪費しているのは端的に反社・売国奴である。
IT業界は、火のない所に無理やり火をつけてからなるべく複雑な消火のソリューションをなるべく高値で提供するというブルシットジョブの宝庫である。何社もの企業がキラキラ業界ヅラして犇めいている分野においても、冷静に見るとその分野自体が社会に不要(それどころか有害)であるということはよくある。自分が携わっている分野においては正常性バイアスでそう感じないかもしれないが、他分野を見たときには同じように感じる方は多いだろう。
そもそもがブルシットジョブなのだから、それについて何をどう語ったところで本質的に伽藍堂なのである。
AIは身体性を持たないため、記号を記号としてしか処理できず、現実の実体が持つ意味と結びつけられないという記号接地問題が課題となっていた。特にサーバーレス環境において、エンジニアもAIと同様な状況に陥っている。コードを書いてCDでデプロイしてクラウドで動かすという開発のサイクルは現実の物体との関わりがなく、自分の行いが現実においてどういう意味をなすかという意識が希薄になるからだ。そのような状況では空論を弄ぶことしかできなくなるのは当然の帰結だ。
記号接地問題を解決する側にいるはずのエンジニア自身が同じ問題に囚われるとは、なんたる痛快事であろうか。
エンジニアというのは誰でもできる職業なのに高給取りだというイメージが付いており、思考停止しているくせに一発逆転を狙う馬鹿を呼び寄せている。
また、仕事それ自体によって、あるいは仕事で金を稼ぐことによって自己実現をしようと企むナイーブな価値観が蔓延している。もともと馬鹿ならそのままぬくぬくと馬鹿のまま育つし、大学で一般教養を学び大学院でコンピュータサイエンスを学んだような本来は"頭の良い"人までそうした朱の馬鹿共に交わってより赤き馬鹿に成り下がってしまう環境なのだ。
「重力波の起点が質量の存在じゃないとでも?」と述べていますが、これは重力波が質量のある物体が加速することによって発生するという事実を指しています。
しかし、私が言及していたのは、重力波が存在すれば、質量のない場所でも空間は歪む可能性があるという点です。
これは一般相対性理論に基づいており、重力波が質量のある物体から発生し、その後空間を通過する際に空間と時間を歪めるという現象を指しています。
そして空間が歪むと質量が生じることがある、という考え方も一般相対性理論に基づいています。
したがって、空間が歪むと質量が生じるというのは、エネルギーと運動量が空間に流れ込み、それらが特定の方法で結合して質量を形成するというプロセスを指しています。
しかし、質量mを持った物体がmc^2だけの力を有するので、質量とエネルギーが等価であるというのは一般に知られているから、「質量mと加速度aがFという力になる」とってもあながち間違いないのでは?
他の人の目を通して見たことないし白が白とは確定してないけど、白は落ち着く、赤は攻撃的、黒は暗いって認識はあるよね
じゃあ弱者が不細工とか、そもそもの美人とかって感覚さえも後天的な刷り込みだけど、結局こういうのってイデア的な絶対不変的なものが存在するわけではなく、自信や思い込みが形を変えて物体にエネルギー(力)を与えてるのに過ぎないのでは?
もちろんそうした偏見の情報はいくらか遺伝子に刻み込まれてはいるかもしれないが、影響の大きさ度合いであれば文化的継承の過程で口伝(もしくは感覚の共有に過ぎないかもしれないが)の結果の方が大きいのであって、もしそうなのであればそれを抜け出すことは本人の意思ひとつである程度は可能に思える