はてなキーワード: 牛肉とは
日本中で「チー牛」と呼ばれる特定の男性たちが姿を消していくという奇妙な現象が始まったのは、ある年の初夏だった。
チー牛は、独身で恋人のいない若者で、特にアニメやゲームや匿名掲示板が好きな層に多く見られる。
彼らが突然、街からいなくなったことに気づいたのは日本の有名な匿名掲示板はてな匿名ダイアリーの仲間たちだった。
「最近、はてなで見かけるチー牛の連中が減ってないか?」と、一人の男性が友人に話しかけた。
友人も同じように感じていた。「ああ、そういえば。最近、彼らの姿をほとんど見かけないな。」
その頃、もう一つ奇妙な現象が日本全土で起きていた。牛肉の価格が急激に下がり始めたのだ。
肉屋やスーパーの棚には、豊富な牛肉が並び、しかもそれが驚くほど安価だった。
一般市民は喜んだが、食肉業界の専門家たちは首をかしげた。「どうしてこんなに安くできるんだ?」
チー牛たちが消えた理由を突き止めようと、数人の増田が調査を始めた。
彼らは消えた友人や知り合いの足取りを追い、やがてとある廃工場にたどり着いた。
彼らが工場の中に忍び込むと、そこで見たものに息をのんだ。巨大な冷凍庫の中には、無数の肉の塊が詰め込まれていた。その中には、見覚えのあるチー牛たちの顔が……。
「これが……チー牛の肉だったのか?」一人の増田が震える声で言った。
その時、背後から足音が聞こえた。振り返ると、食肉処理業者の一団が不敵な笑みを浮かべて立っていた。「見つかってしまった以上、君たちも同じ運命をたどることになる。」
増田たちは必死に逃げ出したが、その後も次々と行方不明になる者が出始めた。そして、牛肉の価格はますます下がり続け、日本の食卓を賑わせるようになった。
しかし、一部の人々はその安価な牛肉を口にするたびに、消えたチー牛たちのことを思い出し、恐怖に震えるのだった。彼らの運命を知る者は、少しずつ増えていったが、真実を公にすることは誰もできなかった。
こうして、日本からチー牛たちが完全に姿を消し、同時に牛肉の価格が史上最安値を記録するという怪奇現象は、長い間人々の記憶に残り続けるのであった。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB137Q50T10C24A5000000/
https://www.youtube.com/watch?v=z75z1JcZBPI
「肉屋も『あり得ない』と言ってる」輸入牛肉の仕入れ値1.5倍で国産牛と“逆転現象” ミートショック問題でスーパーは牛肉売り場を縮小も
https://twitter.com/doughimself/status/1792881025934037230
とうとうこの日が来ました・・・ 円安により海外産牛肉の仕入れ価格が国産和牛肉の仕入れ価格を超えました。😬😬
これからが値上がりの本番だ
ハンバーグって牛肉100%ですよね?夫に「まずい」と言われました。
外がボソボソしてる上に中がぐちゃっとしてて気持ち悪い。
と言って箸をつけません。
夫がハンバーグを作ると、牛豚合い挽き(この時点であり得ない)で、玉ねぎは入れるわ牛乳、パン粉は投入するわ、変なんです。
「正直に言ってみ?こっち(夫レシピ)のほうがうまいだろ?美味く作ることが目的であって牛挽き肉100%でハンバーグを作ることが目的じゃないんだから」とかドヤ顔で言われました。
キモくないですか?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11297188681
ブルアカ、という名前は耳にしたことがあり、とても人気があるのも知っていた。スマホゲーはやったことがなく、YouTubeでプレイ動画を少し観ると「もういいや」となって興味を失くしていた。
しかし今季アニメ化とのことで、試しに観てみたんだ。で、二話まで観てみたんだけど正直それほど面白いとは思えなかった。世界観が謎なのはもとより、どのキャラクターの顔も性格も設定もスタンプ絵のような既視感あるものにしか思えなかった。はっきりいえばそれが原作をやらなかった理由でもあり、一言で現せば"狙い過ぎ"だと思ったから。
こういうキャラクターを出して、こういう世界観にすれば戦闘が盛り上がるし、あとこうしたバックボーンがあれば…みたいな、如何にもオタクが好みそうな要素を分かりやすく提示し、それにまんまと引っ掛かって釣られるのはどうかなと。もちろん、それが悪いことでもないと分かってる。商売だからね。売れなきゃ意味がない。だからある程度市場調査をして、どちらかといえば尖るよりは角を丸める。ホームランを狙うよりはヒットを狙うわけだ。そこでオタクに媚を売る。美少女、暗い過去、重い世界観。どれもがオタクの大好物。それでコンビニ弁当みたいな美少女たちが加工食品な世界観でパック詰めされた牛肉を食べるような物語を展開する。すべては予定調和で、泣き叫んで牛が死ぬ瞬間を目にすることは決してないような物語を。
こうしたオタク保守的作品がヒットするというのはオタクにも責任があると思っている。狙い過ぎの作品であるのは大抵のオタクは気づいているはずで、大抵のオタクは敢えてそれに乗っかっている。そうすることでテンプレ型の作品はより安定し、傾いた作品は淘汰され類似品ばかりが増えていく。このサイクルを止めるのはオタク自身が一度「それはもう飽きたよ」と云うべきなのだ。分かっていながらそれを拒否するのは自らのアイデンティティを否定することになるからで、「飽きたよ」と言えば自分がもうオタクではない気持ちになり、オタクは冷めた大人になることを酷く怖れる。だがそれは違う。定型な美少女には待ったをかけるべきで、そうした美少女を否定したところでそれはあなたのオタク性を否定することにはならない。何故ならオタクとは本来、自らの拘りを強く抱くものであり、拘りがあるからこそ自らの意思表示をしっかりと行って然るべきだからである。
オタクはそろそろ自覚した方がいい。このままでは紋切り型の美少女だけが歳を取らず、自分ばかりが歳を取っていくことになるということを。