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はてなキーワード: 無神論者とは

2023-02-27

anond:20230227162644

『うーん、ごめんって言ってるの可哀想から新しいビジネス展開しちゃう!』ぐらいは許されても

教徒様がお困りになってんだろうが無神論者共が!!ヴィーガンせえや!!ね?教徒様もお困りですよね?困ってると言え!!日本人を殴らせろ!!!』はアウトってことですね

2023-01-18

anond:20230117235753

AK47持ってる奴がおったら、そいつ仏教徒でもキリスト教徒でもユダヤ教徒でも創価学会員でも無神論者でも逃げるやんけ。宗教関係ないやんけ。

2023-01-16

宗教面白いけどな〜、宗教勉強することで自分無意識に染み付いてた宗教的な教えが分かるし

宗教比較面白いキリスト教世界が滅びたあとに理想郷が生まれるという教えがあるのでカルト化すると集団自殺を選びがちとか、仏教原理的に男尊女卑なので頭おかしいこと言ってたりするとか

神道太陽神天照大神という女神にしてるけど、女性太陽神世界的にも珍しいとか。でも天照大神はそんなに出番がなくて、実際は男神冒険譚が多いか女神が戦うって珍しいんかなとか。ギリシャ神話だと女神もよく戦ってるなぁとか。ギリシャ神話宗教ってほどではないか

まあとにかく、宗教知識があると相手価値観が薄っすら分かるようになる。世界的なニュースを見てても背景が分かったり

宗教知識として知ってるからこそ勧誘に引っかかりにくくなったりもする。科学勉強たか水素水に引っからないのと同じことだね

まあ鬱陶しいのは分かるけど、なんせこの国はもう千年以上仏教をやってるから文化の根っこに仏教は染み付いてて、自分たちも知らない間に影響を受けてるのは確か

新興宗教勧誘の悪質さは有名だけど、古くからある宗教勧誘の手順は磨いてきてるし、宗教はクソって態度でいると逆にコロッと騙されたりもするんだよな

から無神論者こそ、有神論者を論破できるくらい宗教のことを学んでおいた方がいいんじゃないかと実は思う

2023-01-13

死んでも結局わからない

死後の世界があったとして、死んだらその全てがなんとなくわかりそうじゃん。

からないと思うんだよね俺。何もわからないまま、ただ浮遊してるだけだと思うんだよ。

仏教だったりキリスト教だったり、何かの信者は居場所を探せるんだけど、俺みたいな無神論者は、仮に死後の世界があったら路頭に迷うわけよ。

若い女セックスを観戦してても一週間で飽きそうだし、家族を見守っていても哀しくなりそうでよ。だから俺、宗教に入ろうと思ってんだ。

おすすめ宗教、教えてくれよな!

2023-01-04

カズオ・イシグロ大体読んだけど好きかわからなくなった

わたしを離さないで」(2005)

臓器移植のために育てられた人間の子どもから大人になるまでの記憶を綴る。

かに美しい小説だ。子供から大人になるにつれて、見える世界は広がっていく。たとえそれがどれほど酷なものであろうとも、子供たちはそれを受け入れねばならない。語り手は振り返り、ひとつ出来事を大切に手の中で壊れやすい卵を計るように並べている。

読者も少しずつ、まるで語り手と一緒に育っていったかのように、事の真相を知らされていく。細やかな、性格を端的に示すエピソードミルフィーユのように繊細に重ね、誰もが持つ幼いころの記憶登場人物シンクロさせる手際は見事と言っていい。主役三人の性格の違いとそれによっておこる対立の見事さは、この小説SFというよりも性格劇に分類したくなるほどだ。夢中になってはまる本とは違うけれど、読む価値はとてもある。

しかしながら、感情描写文章リズムがうますぎるあまり、根幹のSF的設定が、ふと荒っぽい夾雑物にまで見えてきてしまう瞬間がないでもない。細密な建造物を支える、太すぎる柱にたとえればいいのだろうか。

そもそも臓器移植のためだったら、人間を育てるんじゃなくて臓器だけ培養すればいい。

どうも舞台となっている世界技術水準や、テクノロジー社会に与えるインパクトの細部の詰め方が幾分甘い。

日の名残り」(1989)

かつて仕えた主人が第二次世界大戦中に対独協力者で、それを理由戦後に没落したため、その屋敷を買った米国人に仕えることになった執事の話だ。カズオ・イシグロ本領である、決定的な本音事実意図的にあるいは無意識に隠したまま語り続ける居心地の悪さ、気持ちの悪さがいかんなく発揮されている。

熟読すると面白いが、何があったかは作中では基本的には明確に語られているのもいい。

かつてはほのかな思いを寄せていた同僚であった女中からも、今となっては過去の人とみなされており、最後自分人生って何だったんだという悔恨にさいなまれるシーンは最高だ。

かつての美しいイギリス風土と、失われた執事美徳悪徳について。感情に蓋をしがちで、行動原理自分の「したいこと」ではなく「なさなければならないこと」になっているひとにおすすめしたい。面白かったので英国メイド執事の本を何冊か読んだ。

遠い山なみの光」(1982)

長崎出身現在イギリスの片田舎に住む悦子(語り手)の所へ娘のニキがロンドンから訪ねてくるところから始まる。ニキが言及する悦子の生涯を、ニキからのまた聞きや、写真の印象だけから詩にしようとする詩人が出てくるのだけれども、なんだか作者自身創作する自分のことを批判的に見ている姿が透けてみえる。全体として、シングルマザーとしての苦しみが複数語られている。

これは褒め言葉としていうのだけれど、読んでいてずっと不穏な感覚をぬぐうことができず、いいようのない気持ちの悪さがある。たぶんその正体は登場人物の会話が互いの自己主張に終わっていて、基本的相手の話を全然聞いていないところにあるのだろう。会話の形をしているのに、対話になっていない。むしろ並行する独白だ。映画脚本のお手本的でもある。

最初のうちは、この違和感終戦直後日本人ならこんなあからさまな会話なんてしないだろうからにも思われた。しかし、明治文豪の名作だって、会話が人工的であることも少なくはない。ただ、この作品ほどのひどい噛み合わなさはまれな気がする。少なくともあちらでは噛み合わせようという努力はしている。

台詞説明したり議論したりする手法は、大抵は粗削りというか不器用な印象を与えるので好まないのだが、この場合コミュニケーション不全というか、相互理解の失敗の雰囲気をよく伝えていて、効果的だった。

浮世の画家」(1986)

情けないかつての画家の話。老い第一線を退いた後も、自分はまだ影響力があると思いこんではいたが、世間自分存在などすっかり忘れている。自分のしてきたことなど、大したことではなかったのではないか、それどころか完全な誤りだったのでは。歴史によってそう裁かれることに怯えている。老人にとって、今までのお前の人生は何だったのか、と問うことほど残酷なことはあるまい。

そのくせ、隠しようのない自己満足防衛がどこまでも続いており、かつては地位のあった老人はどこまでのその虚飾から自由になれない。計算したうえでのことかどうかわからないが、この翻訳日本経済新聞の「私の履歴書」の文体そっくりだと思ってしまうのは、私のやっかみであろうか。

やはりカズオ・イシグロ真骨頂は情けのない自己弁護にある。

充たされざる者」(1995)

よく、入り組んだ官僚機構カフカ的というけれども、どっちかといえばこの作品みたいなのがカフカ的な気がする。過去というか記憶曖昧で、自分そもそも何をしたいのかわからず、その場の判断だけで物語全体が動いており、映画なんかでは必須の究極の目的・ゴールも曖昧だ。「夜想曲集」所収の旅する芸術家あるある話がベースになった作品と同じにおいがする(この短篇集は切り口の優れた良き英国短編集といった趣だ)。

すべての事件が宙ぶらりんのままにされて進み、星新一ショートショートでその場限りの対応しかしない軽薄な男を主役としたこんな作品があった覚えがあったことを思い出したが、読んだときにはどうしてもタイトルが思い出せなかった。それは結局「未来そっぷ」に収録された「熱中」であるとわかるんだが、一番満たされていないのはきっと読者だ。

カズオ・イシグロテーマひとつコミュニケーション不全が前面に出ているだけでなく、筒井康隆虚人たち」を思わせるような、自分が何者であるかわかっていないのにさほど気にしていない空疎さがあり、何かを風刺しただけではないのだろうが、それはまだ読み取れず。

奇妙だ。自分他人記憶の壁が溶けて無くなってしまったみたいな語りであり、語り手は身内だと感じるとちょっとしたことですぐに激昂したりすすり泣いたりして、いったいどういう人物なのかとらえどころがない。すべてが宙づりで半端なまま物語が終わる。語り手はどの街を訪れても、延々と同じことを繰り返すのだろうか。

わたしたちが孤児だったころ」(2000)

両親に置いていかれたのはなぜか、そして母はどこに行ったのか。著者の中では一番残酷な話かもしれない。物理的な暴力よりもその結末が。地獄の寝取らせ小説であり、真理に近づこうとして全員が不幸になる。それでも、なお、愛そうと試みたし、愛されてはいたのだ。

息子が親父と同じ道ならぬ愛という過ちを犯しかけるのは残酷ユーモアがあふれているようでいて、ある種の試練であったのだろう。試練に打ち勝ったからと言って直接幸福になるわけではないのが皮肉でいい。

追記】目の前に日本軍軍艦が停泊してるのにのんきにパーティーしている租界の人々って嫌なリアリティがあった。

忘れられた巨人」(2015)

忘却テーマだが、P・K・ディックのようにアイデンティティ曖昧になっていく離人感よりも倫理的な面を問うているようだ。つまり戦争責任とか政治的意図的隠蔽とか。

国家組織的に目を背ける行為と、個人がつらい過去を忘れることによって救われることの両方が描かれている。ファンタジーもある程度は書けるのがすごい一方で、見たくないものを見ようとしない描写や、自分のことばかりで会話が成り立たない場面は健在。

ファンタジーにしては「危険度」とか「スタミナ」の訳文がちょっといかなとも思ったけれども(別に嫌だと感じるレベルではない)、これは現代日本語としては普通に受け入れられてるのかな。

あと、サクソン人の穴を掘った(ホビットみたいな)家の描写があるんだけれど、これって実際にそうだったのかな? サクソン人の家とググっても出てこなかった。

ちなみにル・グインはこの作品を好まないらしく、ウィキペディアには両者の対話引用されている。

のしようとしたことには敬意を払いますが、私には効き目がありませんでした。うまくいくはずがありません。どの作家文学ジャンルの表層だけをうまく使えません。その深みはなおさらです。そのジャンルと同一化することを恐れるほど軽蔑している限りは。読んでいて痛ましく感じられました。まるで、高いロープから落下しながら聴衆にこんな風に叫んでいるみたいでした。「私は綱渡り芸人と呼んでもらえるのかな?」と。

ル・グインには私の本が好きか嫌いかを決める資格がありますが、私に関する限りは誤ったほうの肩を持っているようです。私は(註:作中では不可解で不気味な存在として現れた)妖精や竜の側に立っています

シグロ氏のご意見をうかがえてうれしく思います。同氏の「私の作品ファンタジーだと人々は思うでしょうか?」という質問に対する、私の明らかな早急な返答に傷つけるような内容があったことをお詫びします。

クララとお日さま」(2021)

人工知能太陽光病気回復させる効果があると思い込むことで起きる珍妙な話だ。

どう考えても不合理で奇妙な信念に従い、偶然によって祈りが叶えられる話で、しか最後はただゴミ捨て場で朽ちていく。これは無神論者による宗教パロディではないか? と勘ぐってしまう。無神論者からすれば、いかなるかたちであれ神を信じる人々は、誤った信念にすがり、存在しない相手効果のない祈りをささげる哀れな人々だ。

カズオ・イシグロSFは、SF主食人間からすると、不合理か古い知識に基づくように感じられる設定が多く感動すべきシーンもそこが気になってしまう。

たとえば、明らかに危険能力向上処置子どもにするような社会は、現代から相当な価値観の変遷があったはずだし、かなりの時間を経ていないと起こりえないだろうが、長い時間経過に伴うテクノロジーの発達については述べられていない。スマホさえ出てこない。

カズオ・イシグロSF設定がときどきザルなのはリアリティレベル小説よりSF風の映画テレビドラマくらいにまで下げていて(下手をすれば寓話絵本レベルまで)、それは脚本家でもあったからなんじゃないかって考えたんだけど、そこまでたくさん脚本を書いていたかまではわからなかった。

かに技術的細部に立ち入らないので古くなりにくい一方で、そこが物足りなく感じられる。新しい技術だけをポンと現代に放り込んだ感じで、今と地続きな感じがして生活感があるのはいいけれど、技術によって完全に変容してしまった人類の心性がもっと欲しいと感じる。未来を描く意味はそこにあるんじゃないだろうか。

だいたい、フレーム問題解決というか一般常識インストールされてないスタンドアローン親友ロボットなんて危険すぎるだろう。誰もアップデートされないスマホなんて使っていない。SFはどこまでリアリティのある技術を出すべきかという問題もないではないが、短編ならともかく長編でこのネタをこれをやるのは、平均的理系知識を持つ読者にとってはかなりしんどい

結論

以上。読んだ順。

私が好きなのはカズオ・イシグロではなく「日の名残り」だった。

追記

わたしを離さないで」だけ既読、似た感想。この小説SFというより寓話に近いと思う(増田も書いてた)。ドナー人権周りの描写も臓器を貰う側の葛藤も削ぎ落とし、搾取される者の命の輝きのみに焦点を絞ってる感じ

こちらのブコメがとても素敵だったので引用させていただきました。不都合がありましたらお知らせください。

2022-12-27

anond:20221227152936

いない。

居たとしたらそもそも最初から概念定義?に当てはまる人ではない。種類が違う。

 

スピリチュアルってのはさ、宗教なんだよね。

迷信である」の言い換えとして宗教とか呼んでるんじゃなくて、

信仰に基づく、という点で宗教

脳と社会人格個人史の結び方が、宗教なんだ。 

 

そういう前提で、例えばなんだけど、

「昔から経験キリスト教徒だったけど、今は無神論者の人いる?」とかさ。

居るとしたら、最初からなんか疑念は持ってた人とかだよね。

「親がキリスト教徒なんだけど、イスラム教改宗させたい。でも話が通じない」とかさ。

当たり前だよね。ヒトは言葉信仰を捨てることはありません。なんなら拷問受けても死ぬまでそのままです。

 

お前はただただ、家族他人詐欺商法しかけたり、逆に自分が高額すぎる無駄遣いしたりしないように、それだけを注意するしかない。

信仰をなんとかしようとはするな。無駄から

2022-12-11

神とかキリストの復活を信じずにキリスト教徒でいることはできるんだろうか?

神の存在とかイエスの復活とかは「んなわけねーだろ」になってしまうんだけど、でもキリスト教の「教え」については共感することが多くて、人生を生きるために心の中に常に置いておきたいんだよね。

まり無神論者だけど右頬を打たれたら左頬も差し出しちゃおっかな〜みたいな感じなんだけど、そういう信仰ってアリなのかね

2022-11-30

anond:20221130195521

親の宗教を受け継ぐことに疑問は感じなかった?おれの家は浄土真宗仏壇があったけど、子どものころに仏壇の前に座らされて反省を促されたりしてたから、アホらしいと思って仏壇を継ぐ気すらない無神論者になった。

わりと幸せ日常生活を送っている創価学会2世だけど、質問ある?

最近、某襲撃事件の影響か、宗教話題ホットエントリー入りすることが多く、概してネガティブな内容を目にする。

そうした記事ひとつについたブックマークコメントに、「宗教ネガティブでない側面を知りたい」というものがあった。

日本人の多くは実質的無宗教であるし、宗教のことで話題になるのはネガティブかつショッキング事件ばかりだ。

宗教をしながら普通に生活している人とはどのようなものだろうか、気になる人がいるのも当然だと思う。

そこで、タイトルの通り、創価学会学会員2世である私が、みなさんからブックマークコメント質問を頂いて、追記する形でいろいろお答えしたいと思う。

何か書いてみようかと思ったけれど、あまり普通に生活していて事件らしい事件もないので、質問募集する形にしたい。何か聞きたいことがあればお気軽にコメントしてください。できるだけお答えします。

なお、2世とは書いたが、厳密にいえば3世4世くらいにはなる。ここでは、生まれときから学会に属しているという意味2世と称します。


以下追記

特に疑問を感じたことは無いな。生まれときからそういう環境から「受け継ぐ」っていう感覚そもそも無かった。気づいたら学会員という属性を持っていたって感じ。それに対して、別に良い気持ちも嫌な気持ちもなかったから疑問はなかった。そういう家に生まれたんだなってだけ。後々ネットで叩かれていることを知ってちょっとショックを受けたりはして、そのせいで思春期創価学会に対してマイナスイメージを持っていたりしたけど、今は特にプラスマイナスも感じてない。俺の家も同じように仏壇があって、子供の頃から座って勤行するように教育されてきたけど、そんなに嫌な気持ちはなかった。ちょっと面倒くさいな~って程度。歯磨きするのめんどうだなーってのと同じ感覚かな。反省を促されたりしてたら嫌になってたかもしれない。自分自身は両親ほど熱心な学会員ではなくて、死後の世界を信じていないから、境遇は近いかもね。


あんまり歴史得意じゃないか一向一揆時代に何があったのかわからないんだけど、「他者攻撃することが是とされる暴力装置として生まれ」たっていうのは私のことを指してる?創価学会暴力装置ってこと?あんまり賢くないのでもうちょっと嚙み砕いて教えてほしいかも。他者攻撃しているつもりはないのだけれども、仮に自分暴力装置なのだとしたら、そのことには自覚的でいたいね


→それマジ?でも、誰かの知りたいって気持ちにこうして応えられる人生で良かったと思ってるよ。そんなに嫌な目に合ってるわけでもないしね。


選挙前に公明党投票よろしくってお願いするやつは実際にやってるね、親がお近所さんを回ってたわ。やめてくれって言われたら素直に引いてるみたいだけど。法的に大丈夫なんか見てて不安になりますわ。ちなみに俺はやったことないし、実を言うと公明党以外の党に投票したりしている。

勧誘っていうのは、創価学会入りなよってやつだよね。やってる人はやってるみたい。でも、そんなにたくさんの人がやってるわけではない気がする。よく聞くのは、人生に悪いことがあって落ち込んでいる人を折伏学会員に誘うことを折伏と言いますしましたーみたいな話。うまくいったら学会員の集まる大会とかで、感動エピソードとしてスピーチしてたりする。「悪いことがあった→折伏→うまくいくようになりました→宗教最高」みたいなパターンよく聞く。で、折伏は、学会活動の中でも大事な行いだとされているから、熱心な人はがっつり取り組むと思うけど、別にノルマがあるわけではない。俺はひとりも誘ったことない。そういう人が多数派だと思う。けれども熱心な人は熱烈勧誘してるかも。それも、単純な善意でやってると思う。よく効くサプリを人に勧めるみたいな感じかな。悩める他人を救うことが世界平和につながるって考えがあるから、本当に悪意なく救おうとして熱烈勧誘しちゃってると思う。それで、何十人折伏しましたーってスピーチしたりすると褒められるのよ。だから熱烈勧誘ちゃう人ができる。でも、勧誘される側からしたら、かなり嫌な気分になることもあるだろうなと想像つくね。熱烈具合は人によるけど、ダメ勧誘する人もいるんだろうなと思うよ。


マジでそんなとこあんの?ヤバない?違う看板ってアレか、例えばサッカーサークルみたいに銘打ってるのに、実際は部員たちが部室で勤行してるみたいな感じってこと?そうだとしたらちょっとびっくりですわ。そこが創価大学だったら入学者の殆ど学会員だろうからまだわかるけど、普通大学でそれやってるんだったらドン引きです。いままで全然そんな話を聞いたことがなかったので、内部的な評価はわからない。けれども、一学会員としては、それは良くないと思う。そういうことすると、ただでさえネガティブ感情を持たれているのに、余計にマイナスイメージ付くし、おっしゃる通り自分たちで首を絞めている感じする。別の看板掲げてるんだったら、それに沿った活動をしなさいよって思うね。


  • 自覚しながらのらりくらりで草」

→?どういう意味


葬式形式と居心地が若干違うかな。学会員友人葬では、坊さん的な人を呼ぶんじゃなくて、集まった皆で題目を唱えて供養をするんだよね。友人が代表になって唱えて、それに皆で唱和する感じ。題目自体普段から唱えているから馴染みのある文言だし、坊さん的な立ち位置の人が部外者じゃない友人だから終始アットホームな感じがある。もちろん葬儀から厳かさもあるけどね。坊さん的な人を呼ぶ場合って結構当たり外れがあるじゃない。なんか説教下手だなーとか素人ながら感じる時もあるし、お金もかかる。そういう問題は無いか個人的には友人葬の方が好きかな。ただ、学会員じゃない人が友人葬に出席する場合、周りの出席者が急にお経みたいなのを唱えだすからちょっと驚くことになるかもね。でも、出席者みんなが葬式に参加している実感が得られて不謹慎かもしれないけど面白いと思うよ。

あと、これは非科学的でかなり主観的な話になってしまうから話半分で聞いてほしいんだけれども、信心している人は死に顔が違うってよく言われるんだよね。生前学会員だった人は死に顔が穏やかだって言われるの。そんなもん眉唾だろうって思ってたんだけど、実際に今まで出席してきた葬儀を振り返ると、学会員の故人の顔色が穏やかなのは本当に思える。というか、学会員じゃない人の葬式に出るたびに、棺桶から覗く顔色の悪さに驚くんだよね。単純に経験してきた葬式の数が少ないからそう思うのかもしれないし、化粧の問題も大きいのかもしれないけど、死に顔を穏やかにしたい人は入会するのもありかもねって思う。


  • 「結局、悪い部分は他人事なんだな」

→良い部分もたいがい他人事だよ。自分あんまり積極的活動してないからね。同じ属性を有しているからといって、他人の行動の責任を負うことはできないでしょ。


自分あんまり熱心な学会員じゃないから、毎日は唱えてないのよね。悩み事があったり、神頼みしたくなったりしたときに、思い出したように勤行してるわ。なんとなく頭をすっきりさせたいときかに唱えると、気持ちが落ち着く感じがある。自分は、最近流行マインドフルネス一種みたいな感じで題目を捉えてて、そんなに無駄時間とは思わないよ。どうせ気持ちが落ち込んでるときなんて、意味もなくYouTubeでだらだら動画見たりしているだけだし、それに代わる行動としてはやる分には無駄の程度は変わらないんじゃないかな。両親はほぼ毎日題目を唱えているけど、瞑想毎日やる習慣にしてる人もいるだろうし、それと同じ感じだろうと思えて疑問を感じることもないかな。しかも、唱えたら(ざっくり言うと)幸せになれると言われているからお得感あるよね。


自分年収は300万程度。まだまだ新米社会人から薄給ですわ。寄付額は0円。全く寄付していない。学会から家族から寄付のお願いはされてないね。されたとしても多分断るかな。薄給なので自分ひとり生きるのに必死なんだよね。将来大金持ちになったら少額寄付したりする可能性あるかもしれんけど、いまのところは余剰金が無いし、あったとしても投資信託とか買うかなー。親の年収推定だけど1000万無いくらいだと思う。寄付は毎年しているみたいだけど、どのくらいの額かは知らないんだよね。でも、世間問題になるようなウン千万円の寄付とかでは絶対にない。多分多くても10万円以内じゃないかと思う、少額と言ってるのは聞いたし。寄付によって家庭が壊れたりとかは無いです。自分大卒なんだけど、奨学金を借りずに親のお金卒業させてもらえたし、金がないか必要ものを買えなかったとかも無い。自分の住んでいる地域では、高額な寄付によって苦しんでいる人は見たことないかな。ニュースでそういう人たちがいるみたいなこと聞いて、マジでいるんだーって初めて知る感じだ。親が身の丈を超える高額な寄付して苦しんでいる子どもとかって大変やな、可哀想だなと思う。何とか救済されるといいっすね。

2022-11-07

1420見てる?

アメリカ人とかは能天気に、俺らアメリカンロシア人を憎んでもいないしプーチンに抗議しないなんて意味がわからない!とかコメントしてるけど、いやアメリカ人以外もだけどさ、(我こそはアメリカ人なりと名乗るのはアメリカ人くらいだ)デモしても何も変わらないから...ていうアパシーじゃなく、なんか余計なこと言ったら取っ捕まってなおかつ正当な裁判が受けられるでもなくまして戦場に送られるかもよ?ていう社会暮らしている時に、あそこに出てくる200%のアパシー市民自分ジャッジできないよ

完全に人生終わってるホームレスのじいさんが、俺は何も怖くねえプーチンはクソだって言ってたけどさ、あそこまで失うものがない状態にならなきゃ口開けないんだよ

別のロシア人 youtuberが、ロシア人ウクライナミサイル落としても大多数が抗議しないが、ロシア軍が仮にモスクワミサイル落としても同じくらいの割合しか抗議しないだろうって言っててなんか納得したよ

宗教テーマの時に大多数が無神論者懐疑論者だったのもよくわかる

メドベージェフスピーチであたかロシア国民洗脳された盲目クリスチャンみたいに思われてるけど大多数はもう何にもいえないし何もかもを諦めてるんだと思うよ

 

てか本当に、ロシア人よ!正義のために立ち上がらないなんて信じられないぜ!!とか思ってるんなら自分モスクワに行って抗議活動先導してみろよと思うんよな

そんなことやって捕まりたくないよな

ロシア人だってそのくらいハードル高いんだよ...

2022-10-17

anond:20221017013034

元増田気持ちもわかるし、親族気持ちもわかる。

俺も無神論者父親が亡くなって、母親とも相談して家族葬にしようとしたけど、父方だけじゃなく母方の親族も結局来たもんなぁ。

まあ今思えば、葬式通夜)来たいという親族気持ちも分かる。死んだ時くらいお別れしたいとか、死んだら葬式来るのが普通とか、そういう価値観があるんだろうな。年を重ねるとそういうことも分かってきた。

難しい話だね。元増田は悪くないとは思うけど、親族気持ち理屈じゃないんだよなぁ。話し合いで解決できるもんじゃない。

四十九日一周忌やるなら、その時に呼んでもいいかもね。やらないなら、もう放置でいいかな。仕方ないもの

2022-10-09

宗教4世愚痴

一応前書きとして、これは一個人の話であって4世皆がそうとは限らないし、内容は割と愚痴

当方宗教4世、母方の曽祖母から始まった信仰連鎖の末端にいる。

よくニュースで取り上げられるような宗教2世の人たちほどは苦労はしてないと思う。親がやる献金は最低限、厳しい縛りもあんまりなかった。他の神社仏閣で手を合わせるなってくらい。

でも、4世となると割と根深問題もあって今は割とこれに悩まされてる。

起点は曽祖母で、彼女は熱心な信者で人望もある人だった。宗教2世祖父ボケても尚、曽祖母宗教の話だけはハキハキとよく喋る。

たまたま同じ宗教信仰していたことをきっかけに祖父祖母結婚。その二人からまれた母は立派な宗教3世宗教無頓着な父(家にほとんどいない)と結婚して4世自分が生まれた。

まれた時に勝手に加入させられ、物心ついたときから決まった方角に手を合わせることを習慣づけられてた環境で育ち、幼い頃は違和感もなく献身的信者をやってた。

運動をやることよりも、勉強するよりも、手を合わせてお経読む方が何よりも喜ばれるから幼い自分は褒められたくてそりゃもう熱心に手を合わせた。小学校4年生くらいまでの話だけど。

祖父信者すぎて、テストでいい点取っても神様のおかげ、試合に勝っても神様のおかげって言われまくるせいで見事に反抗期突入して中学生あたりで完全に目が覚めた。俺の努力じゃボケ!!!って感じで。

それで高校生くらいには無神論者になったけど親にそれを仄めかしたらブチギレられた。扶養に入っている子どもは親に逆らえないのですぐに撤回した。結局、今も伝えられていないし、誰にも相談できていない。

恐ろしいことにここまで代々引き継がれていると、交流のある親戚全員信者しかいない。

信仰してない者は異端扱いどころか、そもそも信仰否定する奴が親戚に誰一人としていない。ガチ孤独

まれた時から洗脳教育されてきた信仰猛者に囲まれてる4世だよ。

選挙権得たら「うちの宗教応援してるここの党に入れてね、皆やってるからね」って強制されたりね。

当たり前のように恐ろしいこと言ってくるんだよ。

「〇〇さんの息子さんは選挙行ってくれなかったらしいよ」

「親不孝だよね」

みたいな会話が平然と祖母と母で行われる。

育児のリターンが親が望む党に票を入れることになっていてドン引きした。人権とは?

世代を超えて長年引き継がれてると、こういう常識として日常宗教がかなり密接になってるからなかなか目が覚めにくいっていう状況。

自分言動思考根底宗教があるんじゃないかって、不安はまだちょっとある。

ネットが普及して、これが当たり前じゃない、おかしいって気づけるようになったのはかなりありがたい話。

教祖がかなり馬鹿にされてる掲示板とかMAD見て、笑える程度には自分信仰を捨てられていると思いたい。

2022-09-08

anond:20220906185819

つか共産党がまるで他の政党と同程度に真っ当な政党であるかのように扱われてる国ってあるの?

ちょい前に国外無神論者自称することのリスク解説した記事だかツイートだかが話題になったけど、共産党支持者を自称することのリスクもそろそろ周知されるべき時期にきてるんじゃない?

2022-09-04

紀藤弁護士擁護する謎のブコメ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/masaki_kito/status/1566010211956957185

紀藤弁護士基準でも線引きがしっかり示されてるならいいけどさあ、バカバカ擁護してて笑える。

俺は無神論者からあらゆる宗教禁止するくらいでもいいけどさ。

id:pptp 批判してる安直バカどもは読み取れてないようだが、さんざん説明しててそれでも感覚にわからないなら、ってことだよ。違いはこの記事でも触れられてる。 https://president.jp/articles/-/59842 >tarou19 3p目。こくごは未履修?

3P目らしい。定義と言い張れそうなのは

まりは、つねにカルト教祖や教団が第一で、利他ではなく私利私欲で動いているのです。伝統的な一般宗教と、この点がまったく異なります

私利私欲で動いてるのが定義らしい。

存在するわけない神やら教義やらを信仰させて稼いでる宗教家は少なくない割合私利私欲じゃん。ほとんどの宗教全滅のクソミソ定義じゃん。

id:yabusaki すでに紀藤弁護士は「線引き」の具体について言及してますhttps://twitter.com/masaki_kito/status/1554719018400960513 「線引き」とツイートすると誹謗中傷がすごい、と氏は言っていましたがブコメはそれを体現してるのでは

フランスの反セクト法の基準まんま持ってきてるやつね。

紀藤弁護士海外規制の例として反セクト法を示してるだけで、紀藤弁護士日本でこの水準で線引きするべきとは主張していない。的外れである

紀藤弁護士が反セクト法をまんま日本に持ち出す案を主張してるならそれでいいけどさ、フランスの反セクト法を日本適用すべき線引だとは主張してないじゃん。ウソつかないでよ。

風見鶏的な対応なんだろうけど、それが批判されてるの。

専門家としてしっかり意見出してほしいよ。憲法違反にならないものなら応援するからさ。

2022-08-30

anond:20220830231131

から質的に違うって

仏陀最初の一段目の批判を行った立場

ニーチェ引用してたので対応するのは古代ギリシャ無神論者とかね

それらを前提として、ニーチェは「こういう先人がいてお前ら知識人も前提として勉強して神がないってとっくに知ってるのに、まだ文明レベルキリスト教支配されてるよね?」

「それは哲学やら文学やら倫理学キリスト教の間接的影響を脱してないから」

っていう批判を行ったんや

2022-08-23

ジェットコースターに乗る前はいつも神に祈る

彼女と年1,2回遊園地に行くんだ。

俺は基本ジェットコースターに対して「すげぇ楽しいよなぁ!!」っていう感じを装ってて、彼女が絶叫系のアトラクションが好きだから合わせてる。

遊園地に行く前日にはいつも墓参りに行くようにしている。

俺はジェットコースター安全性を信じ切ってはいいから。

遊園地に着いてジェットコースターに乗り、動き始める前には無神論者だけど神に祈ってる。

俺は世界理不尽を知っているから。

から明日、またお墓参りに行ってこようと思う。

2022-08-22

神を信じる者は陰謀論を笑えない

陰謀論は誰も否定肯定もできないところが神と似ている。例えば新型コロナ中国政府陰謀だなどと言われて一介の小市民である君達がどう否定肯定もしようというのだ。神も同じだ。いるかどうか証明できない以上、正しい態度は「神はいるかもしれないし、いないかもしれない」というものだ。無神論者は神を積極的否定するので神を信じる者と同じである不可知論者が正しい。神を信じる者と否定する者は陰謀論を唱えるもの否定するものを笑う権利が無い。逆もまた真なり。

2022-08-20

婚前交渉許可

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1932932

うちも妻が結婚までは妊娠リスク絶対避けたい派で、コンドームを正しく使用していても妊娠可能性はゼロではないからとペッティングはするけど挿入だけはしなかったなと懐かしむなど。

付き合い始めで既にアラサーでこの漫画程には若くなかったけども。

なお宗教上の理由ではない。むしろ妻は宗教大嫌い無神論者

2022-08-05

anond:20220805195226

仏教キリスト教イスラム教もあわせて30分くらいしか生涯で勉強してなさそうで草

■お前も無神論者にならないか?【ガチ勧誘

俺はホンマモン無神論者なんだが。お前も無神論者にならないか

無神論者になろう杏寿郎。

言っとくがそのへんの自称無神論者と違って俺はホンモノだぞ。

科学説明できない現象はすべて信じていない。物理的に観測できない現象は信じない。

俺は神を信じていないし、神だけでなく幽霊精霊も信じていないし、言霊オーラ運命あの世地獄も何もかも信じていない。

から俺は誰にもバレないことが確定しているなら祖父の墓に小便をひっかけることも躊躇わない(なかなか確定しないので、やったことはない)

俺は神社には行かないし、友達付き合いで行ったとしても手を合わせながら「修行するぞ修行するぞ修行するぞ」みたいな不謹慎なことを考えてる。

家族づきあい仏壇に手を合わせるときも「そそそそそそそ尊師~」って脳内で歌ってる。

俺はガチ無神論者なんだわ。

お前も無神論者にならないか

お前もそろそろわかってきだろ?世の中の宗教ってのは全部、全て、例外なく、本質的統一教会オウム真理教と同じなんだよ。

そりゃ悪質さでオウム統一教会に勝てる宗教はなかなか無いかもしれんが、程度が違うだけでどの宗教もやってることは同じなんだよ。

ちょっと考えてみてほしいんだが、オウム統一教会みたいな悪質カルト規制するとして、どこに線を引くんだ?

家庭崩壊するまで献金させる団体規制すべきなのか?じゃあ崩壊一歩手前までなら良いのか?崩壊しないように加減して徴収すればいいのか?信者1万人のうち1人だけ加減を間違えて崩壊してしまったらその団体規制すべきなのか?10人だったら?100人だったら?信者が完全に自分意思献金した結果として家庭が崩壊したらどうだ?本人の意思だったら規制されるべきなのか?本人の意思かどうかはどうやって決めるんだ?崩壊するかどうかに関わらず献金自体規制すべきなのか?大体の宗教喜捨を良い行いと捉えているが?信者との金のやり取りなしで成り立っている宗教団体はおそらく存在しないが?新興の宗教はすべて規制すべきなのか?伝統があったらいいのか?オウムみたいにテロを起こしたらダメなのか?じゃあイスラム規制するべきなのか?キリスト教規制したほうがいいのか?テロじゃないにしても統一教会みたいにひっそりと国を蝕むのはいいのか?蝕まない程度で国政に代表者を送るのは?国会議員干渉せずに社会運動をするのは?社会運動なら良いとして、なんで国会干渉するのはダメ社会運動はいいんだ?壺を売ったらダメなのか?じゃあおみくじはいいのか?神社がお祓いをするのはいいのか?お祓いは1回いくらまでだったらセーフなんだ?1万か?10万か?信者が不幸になるなら規制すべきなのか?イスラム教徒はそうでない人から見たら不幸に見えることもあるが規制するべきなのか?ヘッドギアを付けるのはダメか?なら滝行ならいいのか?断食は?

な、難しいだろ?

どこからNGでどこからOKというラインを決めるのは、無理じゃないかもしれないが、どうしても「どこかに線を引かなきゃいけないから無理やり決めて思い切って引いた感」が出るだろ?合理的ラインを決めるのは難しいよな?

なんで難しいか教えてやろうか?

あらゆる宗教本質的に同じだからだよ。

あらゆる宗教本質的に同じことをやっていて、あらゆる宗教本質的に悪質なんだけど、その中でも特別に悪質度が高いのが統一教会オウム真理教だったってだけなんだよ。

この世には悪質度が1しか無い近所のお寺から悪質度100のオウム統一教会までが存在していて、1から100の間のどこにラインを引けばいいか規制する側の好みの問題なんだよ。10規制したがる奴もいれば90まで許す奴もいる。

あらゆる宗教は地続きになってるんだよ。

俺は別に近所の寺まで規制するべきだとは思わないし、仮に統一教会であっても宗教弾圧絶対にするべきではないと思ってるが、それと同時に俺は絶対宗教を信じないし神を信じないし霊や地獄のような超越的な存在を信じない。

なんで宗教本質的に悪質なのかわかるか?

神や霊や地獄オーラのような本当は存在しないもの存在していると主張しているからだよ。

要するに嘘をついてるんだわ。

嘘をついてるから何をやっても悪質性がつきまとうわけ。

例えば、飲むとガンが治るとされる麻原尊師血液10万で売るのは悪質な霊感商法だけど、飲むとガンが治る抗がん剤10万で売るのは善行だろ?

前者と後者の差は、嘘をついてるかついていないかしかないんだよ。

献金霊感商法はいくら金を積んでも効果が無いか問題なのであって、仮に本当に金額に見合った効果があるならなんの問題もないだろ?

効果がないもの効果があると主張したり、存在しないもの存在すると主張していたりするから問題になるんだよ。

統一協会否定するためには、神や霊のような超越的存在や、オーラ波動神通力のような超越的な現象の全てを例外なく否定しないといけないんだよ。

おみくじを買うことと、仏壇でご先祖様に近況を報告することと、墓にしょんべんをかけないことと、占いを信じることは、全て統一教会問題と地続きなんだよ。

悪質度が0.1しか無いおみくじだって1000枚買って10万払えば悪質度100の統一教会10献金したのと実質変わらないんだよ。程度が違うだけで悪質なのは変わらないんだよ。

からお前がダブスタ抜きで悪質カルト否定したいなら俺のような完全無神論者になるしかないんだわ。

俺は大学実験物理学寄りの研究をやっていたことがあって、極めて微弱で繊細な物理現象観測できる巨大な装置をいろいろ使ったこともあったけど、神や霊や神通力なんてのは物理的に観測できないし再現もできないんだわ。

神がいる、いない、みたいな青臭い議論を今更したくはないけど、どう考えたって神なんて居ないし超越的な現象なんて存在しないんですよ。

それでも超越的存在現象を信じたいなら東海道新幹線火災事件ウィキペディア読んでみろよ。

新幹線内で焼身自殺した男の巻き添えで女性が死んでしまった事件な。

「巻き添えとなったとみられる乗客横浜市青葉区在住の52歳女性が、1号車後方のデッキで倒れ死亡しているのが発見された。司法解剖の結果、女性の死因は気道熱傷による窒息死と判明した[7]。女性は、伊勢神宮へこれまでの平穏無事のお礼参りに向かっている最中だった」

かわいそすぎるだろ。

なんで尊師マーチを心のなかで歌いながらお伊勢参りした俺みたいなカスが元気ピンピンで、この女性のような人がこんなに酷い死に方をするんだよ。

教えはどうなってんだ教えは。

一応言っておくけど、俺は無神論者でありながらも宗教弾圧絶対にされるべきではないと思っているし、市民を守るためのカルト規制も慎重にするべきだと思ってるんだよ。信仰を大切にしている人に心無い言葉をかけるようなこともあってはならない。

思想はどのようなものであれ絶対弾圧してはいけないし、思想の一形態である信仰弾圧してはいけない。

でも、公権力宗教弾圧してはいけないのと、俺やお前が無神論を貫くのは、両立するだろ?

賢いお前なら神や霊を信じることのばかばかしさを理解してくれるはずだ。

お前もわかってきただろ?伊勢神宮も、近所の寺も、家の仏壇も、土産屋のパワーストーンも、おみくじも、天皇の御稜威も、占いも、全部統一教会オウム真理教と同じなんだよ。神なんて居ないし、その他の超越的な存在も居ない。超越的なパワーも存在しない。この世界物質とその運動で出来ている。

やはりお前は無神論者になれ杏寿郎

2022-07-26

無神論教会みたいなものを作りたい

信教の自由って、結局徒党を組んでる数の多い宗教けが享受できるものなんだよな。

宗教未満の信念とかイデオロギーとか趣味嗜好とかは「思想良心の自由」という「頭の中で思ってるのは勝手」みたいな権利と呼べるかも怪しい扱いを受ける。

俺は無神論者だが、教会を名乗れば信教の自由享受できるのかな。

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