はてなキーワード: 無理心中とは
通り魔とか無差別殺人って、現実に加害者男性が圧倒的に多いから。
理由は、現実、通り魔とか無差別殺人って、被害者が自分の腕力でねじ伏せられるような、女、子供、障がい者、アニメーターみたいな弱者がターゲットだから。
それとは別に、現実の女性の複数人殺人って福田和子の保険金殺人みたいに、金と色恋とか親族とか絡んでる。被害者が金もない女である場合は、女の集団のいじめのターゲットになっても殺人のターゲットにならない。女性の場合、単純に腕力がないので、弱者を対象にした「むしゃくしゃしてやった」系の無差別殺人が起こりづらい。
犯人=クリエイター説もない。犯人をクリエイターにするなら、犯人を嫉妬や自己の才能のなさに狂わせるために、被害者の同級生にしないといけなかった。それかメディア露出が多い有名アーティストにして、アーティストをストーキングさせる必要があった。
犯人=精神障がい者説もない。だって病気だから。統合失調症の人が、身内や医者を敵だと思って暴れて人を傷つけたとか、うつ病の人が無理心中したとかならともかく、わざわざ、自分の半径5メートルより外の世界に出て無差別に人殺しに行く元気なんかない。病気だからそんな元気なんかないわけ。
ちなみに、「悪役は何で女性じゃないんだよ、男女差別じゃないか」って言うなら、同じ作者のチェーンソーマンを読んでくれ。マキマがいるから。作者のためにチェーンソーマンのマキマの悪事と派手な死にっぷりを見てやってくれ。
あの犯行動機の変更で、最初の主人公が漫画書いていることをバカにされて、漫画を描くのをストップし、周りの目を気にして空手に行ったとこと繋がったんだよね。
差別の根本的に良くないところって、自分が理解できなくて役に立たないものは奴隷扱いしたり消してしまってもいいっていう思想ですよ。それ、ルックバックの無差別殺人のシーンで書いてますよ。それと、事実として、無差別殺人者は精神障がい者も女性も少ないから、統計として会社社会の中でヒエラルキーが上で役に立つと思われていたけどそこから転がり落ちることがこの10年20年で増えた上下関係に敏感なオッサンを犯人にしないと漫画のストーリーとして帳尻が合わないんだよ。
ホッブスの言う「自然状態」を考えよう。これは自分も他人も倫理的な制約に縛られない状態で、誰を殺そうが誰に殺されようが文句は言えないという社会である。こんな状態では暮らしていくことが出来ないので、人々は「契約」を結んでお互いを拘束し合う。人々は「契約」によって自分が自由に行動する権利を一部放棄してお互いの権利を尊重しあい、権利を守り合うための制度や規則を共同で守ることにする。もちろん、このような「自然状態」と「契約」が本当にあったのか?という疑問はもっともなものなのだが、それはまた大きな話になるので、ここではとりあえず人々は何らかの「契約」をしたという立場から動物の権利を考えていくことにする。
さて、このような「契約」を結ぶためには、例えば自分の権利を認識したり、その権利を放棄/移譲したり、約束を責任持って守ったりなど、それなりの程度の能力(以下では契約能力と呼ぶ)が必要になる。大型類人猿などの研究が進み、それらがかなりの認知能力を有していることは確認されつつあるが、それでも上記のような契約能力を持っているとは言えないだろうし、ましてや牛や豚や鳥に契約能力を認める人はいないだろう。したがって、人間と動物との関係はいまだ「自然状態」であり、お互いを好きに殺して食べて良い関係だということになる。もちろん、「自然状態」だからといって牛や豚や鳥が人間を襲ってくるわけではないが、それは動物たちが「契約」を尊重しているからではない。
一方で、人間に契約能力があるといっても、その大きさは各人で異なるのは確かである。私のような凡人と、高潔で思慮深い偉人との間には契約能力に差があるはずであり、それでは我々が動物を好きにできるように、偉人は凡人である我々を好きにできるとも考えられる。この問題を解決するために、範囲性質(range property)という概念を導入する。これは、ある最小限の契約能力を有していれば、その差は考えずに同じだけの権利が認められるという考え方である。ここでいう最小限の契約能力がどのようなものかは議論があるだろうが、リバタリアンである私としては、「"個々人が別々に存在し、自分の人生は自分の責任で辿る"ということを認め、お互いの権利や判断を尊重し合う」能力としたい。この能力から、お互いの権利を尊重すること、そのために自分の自由の一部を放棄することなどが直接的に導かれる。また、個々人が別々に存在してお互いの権利や判断を尊重することから、そのような最低限の能力を有していればその差を考えずに同じだけの権利が認められるという範囲性質も満たすことができる。
しかし先にも書いたように、最低限の契約能力(それがどのようなものであれ)を持った人間だけがお互いの権利を尊重し合うという主張からは、上記のような最低限の契約能力を持たない限界事例の人たち(例えば乳児、重度痴呆症、ある種の知的障害者など)の権利を制限しても良いという主張が直接的に導かれてしまう。この問に、私は「そのとおりである」と答えたい。
ここでは、限界事例の人たちから将来に契約能力を有すると見込むことができる相手(例えば子供)とできない相手(例えば重度の痴呆症、ある種の知的障害者、動物)とを区別する。
将来に契約能力を有すると見込まれる相手に対しては、相手が契約能力を有した将来のある時点から現在を見たときに、その権利の制限にある程度の妥当性が有ると判断できる範囲でのみ権利を制限することができる。これは別に現在日本でもおかしな話ではなく、例えば20歳になるまで飲酒喫煙は禁止されているし、18歳になるまで選挙権は無い。端的に言えば、嫌がる子供を押さえつけて歯を磨くことは許されても、レイプすることは許されないということである。このため、子供についてはたとえその子供が契約能力を有する人間(大人)が保護していないとしても子供本人に権利があり、契約能力を有する人間と同様の制限なしに殺したり人体実験に供したりすることは倫理的に許されない。
一方、将来に契約能力を有すると見込めない相手については、その相手を保護する契約能力を有する人間の"被保護者"としての従属的な権利しか有しないとするのが妥当だろう。つまり、本人の同意ではなく保護者の同意によって本人の"扱い"を決めてよいということである。この"扱い"には子供とは違い、「その権利の制限にある程度の妥当性が有ると判断できる範囲でのみ」という制限は無い。なぜなら、その判断をする将来が存在しないからである。したがってもちろん、殺して食べるという扱いでも構わないことになる。しかしながら、どんな動物も誰もが自由に殺すことができるわけではない。"被保護者"としての権利は有している以上、自由に扱ってよいのは"保護者"が居ない相手だけである。牛や豚や鳥を食べて良いと言っても、他人が保護している(ペットとして飼っている)動物を保護者の意見を無視して食べることは出来ない。また"被保護者"に対して殺すなどの本人に害のある何らかの重大な判断を下そうとする保護者は、自分の代わりに保護したいという契約能力を有する人間が居ないことを確認する倫理的な義務がある。もし、限界事例の人たちや動物たちが殺されそうになったなら、契約能力を有する人間(福祉団体なども含む)は誰でも、以後は自分が責任を持って保護すると約束して必要なら金銭的な保証なども含めて以前の保護者と合意することで、殺すことを止めることができる。(食べるために)殺してよいのはそのような保護者が名乗りでなかった相手だけである。
④認知能力や契約能力等、動物と人間を区別する道徳的に重要な違いとされている違いは人間同士の間にも存在する(すなわち、限界事例の人たちが存在する)
ことを認めた上で、⑤を削除して肉食を擁護した。
限界事例の人たちや動物から、将来契約能力を有すると見込まれる子供とそれ以外を区別した。前者はその子ども自身が契約能力を有するようになった将来において権利の制限にある程度の妥当性が有ると判断できる範囲(判断するだろうと見込める範囲)でのみ権利制限が許されるとし、後者は契約能力を有する人間の"被保護者"としての従属的な権利しか有しないとした。ただし、"被保護者"としての権利しか有さないとしても保護者が自由に扱えるわけではない。"被保護者"に対して殺すなどの本人に害のある何らかの重大な判断を下そうとする保護者は、自分の代わりに保護したいという契約能力を有する人間が居ないことを確認する倫理的な義務があり、(食べるために)殺してよいのはそのような保護者が名乗りでなかった相手だけである。
最後に、この結論を受け入れた社会がどうなるかを現在との比較から想像してみたい。子供については、現在と変わらないことは説明した。それ以外の限界事例の人たちについては、現在広く受け入れられている「人権」よりも若干制限されることになる。しかし、実質的には扱いは変わらないだろう。現在でも彼らの扱いは最終的には保護者の意思で決められる。上記のような社会で誰も保護しようとしない限界事例の人たちが殺されたとしても、現在でも誰も保護しようとしない限界事例の人たちは死んでいるので同じである。上記のような社会では限界事例の人たちが捨てられることになり問題だと言う人が多いならば、その人達は積極的に保護するだろうし、少なくとも福祉団体に寄付をするだろう。介護疲れから無理心中が起こっているような現在に比べて、福祉団体に大きな人的・金銭的支援がなされる社会は、現在よりも限界事例の人たちにとって生きやすい社会と言える。
以上、倫理的な観点から肉食を擁護した。この結論について、私を差別主義者であり倫理的に許されないと批判したい方々はもちろん居るだろう。ただし、もしあなたが肉を食べているなら、私を差別主義者と批判しながら肉を食べることについて、その判断をどう倫理的に許容しているのか一度考えてみてほしい。
経験上、「今日は人身事故がありそうだな」と言う日はある程度決まっていると思う。
ちょっと明日辺りは人身事故が多発しそうな気がするので、自分が思う「気の迷いで電車に飛び込みがちな日」の特徴を説明したい。
頭の片隅にでも覚えておいてもらって、気の迷いでふらっと死んでしまわないように気をつけてもらいたい。というか頼むから電車止めないで。
1.寒い
寒いと気が滅入る。気が滅入るとマイナス思考がちになって目の前にある電車に突発的に……という流れだろうか?
私は飛び込んだことがないのでわからないが。
2.前日との寒暖差が激しい
機能まで平年より暖かかったのに急に冷え込んだな……と思っていると案の定電車が止まる。
そういう日は特に人身事故が起こりそうな予感がするので、乗務員的には「やっぱり飛び込みましたか……」という気持ちになる。
3.晴れ
加えて雲一つない空っていうのは意外と気が滅入るものらしい。
あまり多くない。
代わりに雨の日は路線によっては野生生物との衝突が多い気がする。鹿とか。
4.月曜日
結局これかよと言われそうだが月曜日はやっぱり多い。
体感としては 月>超えられない壁>日≧金>その他といった所。
今更感がある内容だが、実際にこういう日に人身が多く発生する。
個人的な意見だが、寒くてネガティブになっている状態での飛び込むというのは、ちょっとした気の迷いに身を任せるようなものだ。
言い方が悪いが同じ死ぬにしてももうちょっとマシなものがある。勿体ないことこの上ない。
そのどちらかに貼っておけば全身が温まる。
通勤前にコンビニでも寄って貼るカイロを買ってカイロの力を感じてほしい。
もっというとよく寝ろとかちゃんと朝食べろとかそういう話になってくるが、寒さは本当に気が滅入るので最悪でもカイロだけは買ってみてくださいお願いします。
とりあえずは以上です。
これで明日何も起こらなければ笑ってもらって構わない。
ちなみに先週は同じ路線が朝夕人身で止まったりとか色々ありました。マジ月曜は気をつけてね。
・追記
反応の数が意外に多く驚いています。
その中で、補足したいと思った点が3点ほどあるので追記します。
補足1.晴れの危険性についての補足
私個人の推察ですが、晴れの日が危ない理由については、ほかの3点とは異なった理由があると考えています。
対して、晴れの日は「ストレスが取り払われた状態」であることが危険なのではないかと考えています。
駅のホームに立っている状態で、後ろから押してくる圧力が「ストレス」です。
普通の人は後ろから押されると、落ちるまいと踏ん張ると思います。
その時あなたの目の前に存在する、落ちたくないと思わせるような心理的な壁を取り払ってしまうのが晴れの日であり、「ストレスが取り払われた状態」なのではないかと思います。
俗にいう「線路に吸い寄せられる」感覚というのがこれにあたるでしょうか?
補足2.本当に余裕がない人はカイロを買う余裕もないのでは?という話について
ご指摘は全くもってその通りで、私はそういったギリギリの所で耐えている方に対して気の利いたアドバイスをすることができません。
もうその段階の人に対しては、電車に乗るな、無断欠勤でもなんでもいいから飯食って風呂入って寝てろ、としか言えないと思います……。
私がカイロの購入をお勧めしたいのはむしろ、ちょっと嫌なこともあるけどそれなりに生活を送れているレベルの人です。
「辛いが死のうとは思わない」レベルから「飛び込んでみようか」と思うぐらいには冬の寒さはメンタルに影響を与えます。
人は魔が差す生き物です。自分は大丈夫だという人ほど、予防のつもりで試してみてください。カイロは効きます。
補足3.「暴落」「市況板」について
率直に言いまして、わかりやすく人身に影響を与えるという意味では無視できない要素です。
私も人身といえば……で思いついてはいましたが、今回の内容では省略しました。何故かといいますと、「気の迷い」で死ぬとは少々ニュアンスが変わってくるからです。
少なくとも、暴落に関係して「辛いが死のうとは思わない」人が突発的に死を選ぶことはほぼないと思われます。その為割愛しました。
なお、仮に暴落した影響で死を選ぶとしても鉄道で無理心中は避けるのをお勧めします。
運転士曰く、一人は我に返って離れようとしたが、もう一人が手を掴んで……なんて話もありますが、想像したくもないでしょう?
余談ですが私は、電車に飛び込むぐらいならそのまま反対側のホームに回って逆方向の電車に乗ってほしいなーと思っています。
鉄道ってほかの公共交通機関の数倍「そこに路線が通っている理由がある」乗り物なんですよ。
県警は無理心中を図ったとみて調べている。 https://news.yahoo.co.jp/articles/d96fd9d6384ba3474f200dcab1202d430e89a155
その割には中絶や無理心中に寛容だよな……と不思議に思っていたけど、「胎児や子供にも人権はあるが、親の所有権の方が優越する」という前提を置いて解釈するとめちゃくちゃ整合性があることに気づいてしまった……
これすごく腑に落ちるわ
妊婦の暴行事件に関する記事についたブコメがアホすぎて絶句した。国民情緒法すぎる。
街中で妊婦の暴行事件も マタニティーマーク「不安」3割超(産経新聞) - Yahoo!ニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/ad6bbfbd18773299c478ae9300ba1cdd8290f40d
“道警は男を釈放して、任意で捜査を続けている” 暴行ってこんなに軽いの?明らかに悪意あるのに、妊婦抜きにしても酷すぎない?
“女性は妊娠中であることを伝えたが、男は犯行を止めなかった。女性にけがはなく、胎児にも影響はなかった。道警は男を釈放して、任意で捜査を続けている”へえ法的には怪我がなければ妊婦蹴ってもOKなんだ
逮捕は刑罰じゃないってあれだけ池袋の事故のときに言われてたのにまったく学習してないの?
逮捕を「悪いやつを捕まえる」ことだと勘違いしてるやつ多すぎ問題。
逮捕は、「捜査しているあいだに逃げられたり証拠隠滅されたら困るから犯罪をしたと疑われている人を拘束する」手続きにすぎず、犯罪をしたと疑われている人(=被疑者≠真犯人≠悪人)が逃げる恐れも証拠隠滅する恐れもなければ逮捕する必要はないんだよ。
51歳の無職の男だと身元が割れていて、通りすがりの妊婦の腹を蹴ったってことは衝動的な犯罪なんだから隠滅できる類の証拠はないだろ。こんなん逮捕する意味ねーわ。任意で捜査して在宅で起訴して、実刑判決が出たら収監すればいいんだよ。
「任意で捜査を続けている」ってことは、捜査自体は続いてるんだから、これから検察に送られてそこで不起訴になるか起訴されるかが決まるってことでしょ。なんで自分で「捜査を続けている」って箇所を引用しといてそれに気づかんの? アホなの?
そもそも厳罰を下すのは裁判所の役割であって警察の仕事じゃないっていうのは義務教育で習うはずなんだけど。社会問題について物申すならまずは義務教育の社会科からおさらいした方がいいんじゃない?
(じゃあ京アニ放火事件の犯人が逮捕されたのはどうなんだって言われるかもしれないけど、ああいうのを不当逮捕というので覚えておきましょう。重い火傷で寝たきりの人を逮捕するなんてマフィアのボスとかでもない限りありえない。そんな状態なら逃げることも証拠隠滅することもできないのに。たとえどんな極悪人であっても、不当逮捕されていい理由はどこにもない)
これは殺人未遂だわ
妊婦に流産しかねない危害を加えることを殺人未遂と呼ぶ馬鹿は毎度毎度湧いてくるけど、「流産させようとするのは殺人未遂」→「胎児は人間」→「人工妊娠中絶は殺人」っていう定跡で即詰みになるやつ。
詰将棋の中でも一番よく知られた定跡だと思うんだけどなんでこんな基礎でつまづくやつが多いのかね。
胎児は人間じゃないんだから、妊婦本人に生命の危険があるのではない限り殺人未遂なんて適用できるわけないだろ。仮に流産したとしても傷害罪だよ。(※)
それとも人工妊娠中絶は殺人なので規制しろっていうのが民意なの? アメリカかよ。
(※)訂正。仮に流産してたら不同意堕胎罪だったわ。堕胎罪はとっくに死文化したと思ってたけど、不同意堕胎罪は最近も適用された例があるんだな。知らなかった。とすると、女性本人には特に怪我もないが流産してしまったという場合には不同意堕胎罪が適用されて6ヶ月以上7年以下の懲役ということになり、不同意堕胎致死傷罪の場合は傷害罪や傷害致死罪と比べて重い罪で処断されるから、流産した上に怪我をしたという事例なら不同意堕胎致傷罪の下限と傷害致死罪の上限が合わさって6ヶ月以上15年以下の懲役、流産した上に女性もそれが原因で死んでしまったなら傷害致死罪で3年以上20年以下の懲役ということになるっぽい。
こういう事する奴がいるから関わりたくないしオッサンは害悪なんだよ。分からないのかね。/妊娠中絶と妊婦への暴行は同系列に考えること?同意の上での手術とそこらへんで知らんオッサンに腹蹴られることが一緒??
妊婦の腹を蹴ることが殺人未遂っていうことは、胎児は人間ってことでしょ。じゃあ親が同意してようが関係ないじゃん。被害者は胎児なんだからどっちも殺人じゃん。
それとも、赤の他人が子供を殺すのは殺人だけど実の親が子供を殺すぶんには構わないってこと? あまりにもおぞましい主張すぎる。心愛ちゃんの墓前でそれを言えるのかな。たいていの児童虐待が無罪放免になっちゃうな。
もしも妊婦の腹を蹴るのが殺人未遂なら人工妊娠中絶は殺人なので全面禁止されるべきだし、中絶が妊婦の判断で許されるなら妊婦の腹を蹴って流産させても傷害罪不同意堕胎罪だろ。どっちかにしろよ。
妊婦がお花畑って思う時点で病んでる。殺人未遂は妊婦本人に対しても可能性あったでしょ。胎児に何かあったら妊婦も死ぬことあるよ。
殺人未遂罪が適用されるためには、「結果的に死ぬ可能性もあった」じゃなくて「妊婦本人を殺そうと思って蹴った」という故意の存在が必要。
「無理やり流産させたら妊婦が死ぬかもしれないけど、まあいっか」と思って蹴った場合は殺人未遂罪が成立するけど、「流産させてやろうと思ったが妊婦を殺すつもりはなかった」という話なら殺人未遂罪の適用は無理。上で書いたように不同意堕胎致死傷罪の成立に留まると思う。
妊娠中絶への影響を考えずに「殺人罪にすべき」「差別じゃん」は素朴にすぎるが、妊娠中を理由にした厳罰化自体はあってもいい気がする
これは数少ないマトモなブコメだけど、実際こういう立法ってどのくらい可能なんだろうね。
上で書いたように、仮に妊婦の腹を蹴って怪我をさせた上に流産をさせたら、不同意堕胎致傷罪が適用されて普通の傷害罪よりも重い刑(6ヶ月以上15年以下の懲役)になるから、既に厳罰化はされてるんだよね。
現行法で妊娠中の人に危害を加えても法定刑に変化がないのは、ざっと考えつくところだと次のようなパターンがあると思う。
これらのうち、傷害致死罪(3年以上20年以下の懲役)も殺人罪(5年以上20年以下の懲役or無期懲役or死刑)も十分に重い罪だから、別に法律を変えなくても法定刑の範囲で情状によって量刑を上げればいいだけの話だと思う。
(※)ブコメの指摘を受けて、不同意堕胎罪は未遂も成立することに気づきました。ということは「妊婦の腹を蹴ったが、怪我も流産もしなかった」場合は不同意堕胎未遂罪ですね。ご指摘ありがとうございます。
ただ、
って場合がどうなるのかは気になる。妊婦に対しては殺人未遂罪が成立するとして、不同意堕胎罪は成立するのかな。詳しくないんでこのへんはわからん。
法律的なことはよく知らないけど、妊婦のお腹をけった人が簡単に釈放されて社会に出てくるようだと、不安が広がるのは確実だよね。たいした罪にならないなら俺もやろうという、キチガイが増える可能性がある。
捜査段階での釈放は無罪放免ではないという話なんですが、理解できませんかそうですか。不安を口実に市民の人権を不当に制約する麗しき中世ジャップランドって感じ。
親の同意無しでの連れまわしみたいに、
大人が子供をあちこち連れて歩く行為は、それ自体が子供に危害を加える性質の行為ではなく、誰がやったかによって悪いか悪くないかが決まる行為だよね(親や、親の同意を得た人が子供を連れ回すぶんには子守で、同意を得てない赤の他人が同じことをやると誘拐)。
でも、たとえば子供を殴るとか蹴るとか殺すとか犯すとかは、それ自体が子供に危害を加えることになるんだから、親がやろうが赤の他人がやろうが罰せられるべきだよね(赤の他人が子供を殴るのも親が子供を殴るのも暴行や傷害)。
中絶がどっちにあたるのかは言うまでもないと思うんだけど。
仮に胎児が人間であるなら、親が堕ろそうが赤の他人が中絶させようが、胎児への危害なんだから等しく殺人として扱われるべきでしょう。情状酌量で減刑せよというならともかく、片方を罰して片方を無罪放免にせよなんてのは道理が通らない。
しかしもちろん、胎児は人間ではないので、人工妊娠中絶は殺人ではないし、赤の他人に蹴られても殺人未遂にはならないわけですね。
ブコメしてないけど胎児は人間だと思っているので中絶は禁止and犯罪にするべきだと思うし妊婦の死傷は被害者二人でカウントしたい
それなら筋は通っているのでけっこうなことだと思う。私はその意見に反対だけど。
これちょっと前の堕胎の際に配偶者の同意が必要な話でもそうだけど、堕胎するのは母親の権利でいい、つまり母親の一部あるいは所有物とする反面、事故事件によって流産になると簡単に殺人だって言い出すよね。
ほんとそれなw 私自身はガチガチのプロチョイス派だから、中絶は妊婦の自由だろ、父親の同意すら要らんわ、って思うけど、そのへんにいる素朴なプロチョイス派がお気持ちベースで矛盾した意見を主張しまくってるのは頭痛がするよ。それだったらまだ、胎児は人間なので流産させたやつは殺人罪だし中絶も一律禁止、っていうガチガチのプロライフ派の方が筋が通っていて好感が持てる(前提がおかしいだけで、論理展開は何も間違ってない。素朴なプロチョイス派は論理展開がおかしすぎてついていけない)。
胎児に対する加害は水俣病の時に争いになったよね。まぁ、他人による加害と、リプロダクティブ・ヘルス/ライツを同じ土俵にあげない方がいいと思うけど。両立できる権利だよ。
もしも胎児が人間だとするなら、母親だからという理由で人間を殺す権利や自由や意思決定が尊重されるわけないんだから、中絶を一律全面禁止するしかないじゃん。
逆に言えば、中絶において妊婦の意思決定を尊重すべきだ、という主張は、暗黙のうちに胎児は人間ではないと言っていることになるんだから、同じ口で無理やり流産させるのは殺人って言ったら矛盾だよね。リプロダクティヴ・ライツはけっこうだけどちょっとは論理的に考えてほしい。
妊娠後期は中絶が認められていないが、それは胎児が人間として認識されるからかだと思っていた。今回の事件は出産間近だが、暴行により死産した場合の解釈はどうなるのだろう。
ここまで一部露出説なし
ブコメで先に言われちゃったけど、判例・通説では「母体から新生児の身体の一部が出てきた状態」から殺人罪が適用されるので(一部露出説)、暴行により死産しても不同意堕胎罪に留まるのでは。
これが殺人罪、もしくは殺人未遂罪でない、とするなら刑法を変えないといけないね。厳罰化しないと「罪にならないから」と同じ事を繰り返す阿呆どもがいるから。/加害者を擁護しているように見えるぞ?
法改正だけなら簡単で、堕胎罪を全面的に削除すればいいんだよね。刑法には人を殺したら殺人罪とは書いてあるけど人の定義は書いてないんだから、堕胎罪を削除した上で「胎児も人に含まれる」という判例変更をすれば、妊婦の腹を蹴って流産させようとする行為は殺人未遂罪で取り締まれるようになる。仮に流産したら殺人罪だ。厳罰化ばんざい!
なお、その場合はこれまで合法的に行われていた人工妊娠中絶がすべて殺人ということになる模様。お医者さんは殺人罪に問われたくないから中絶手術を引き受ける人がいなくなり、結果的に子殺しの罪で訴追される女性が大幅に増えそう。そういう未来がお望みというなら、どうぞ法改正のために運動なさってくださいな。
妊娠22週以降の場合は胎児の権利を認めて罪に問いたい気持ちもわかるけど、胎児の権利を認めるという事は死産等も過失致死など問われることになるわけでねぇ。
殺人未遂にしろとか言ってる人はエルサルバドルみたいな国がお望みなのかな? って話になっちゃうよね>https://www.amnesty.or.jp/news/2018/0220_7308.html。
殺人未遂だの何だのと言い出す人がいなけりゃ同列に語る必要はなくなるんだけどね。胎児が人間ではなく母体の一部だと考えるなら、赤の他人に無理やり除去されることと自分の意志で除去することはまるっきり別の話になる。
でも、もしも胎児が人だとするなら、おっさんが腹いせに蹴る行為も女性が身を守ろうとする行為も、どちらも等しく人の生命への加害ってことになっちゃうんだよね。だから「同列に語るな!」っていう文句は殺人未遂がどうとか言ってる人たちに向けてほしい。
その割には中絶や無理心中に寛容だよな……と不思議に思っていたけど、「胎児や子供にも人権はあるが、親の所有権の方が優越する」という前提を置いて解釈するとめちゃくちゃ整合性があることに気づいてしまった……
民法第721条 胎児は、損害賠償の請求権については、既に生まれたものとみなす←重い刑云々の論点でこれについて一切触れてないので専門家でもなんでもないんだろうな
それ、胎児が流産や死産したときには適用されないんだけど。何もわかってなくて草。
民法第3条は「私権の共有は出生により始まる」と定めるが、損害賠償・相続・遺贈については、それを厳格に適用すると不具合が生じるので、胎児は「生まれたものとみなす」ことにしている(なお「みなす」ということは、実際には生まれていないことを含意するのであり、その「みなし」の効力は損害賠償・相続・遺贈以外の条文、ましてや刑法に及ぶものではない。そもそも損害賠償は民事の話であって刑事は関係ないやろ)。
どういうことかといえば、交通事故で父を亡くした2人の子供がいたとして、仮に厳格に出生によって損害賠償請求権や相続権が発生するとすると、
ということになってしまう。でも、B君だってお父さんの子供で、いずれ生まれることはわかりきっていたのだから、お父さんの事故死のタイミングが数日ずれただけで損害賠償や遺産を受け取れないのは不公平だ。
だから民法では、損害賠償や相続については、胎児は「既に生まれたものとみなす」ことになっている。つまり、実際にはお父さんが死んだ時点では生まれていなかったとしても、生まれていたことにして損害賠償請求権や相続権を認めましょう、ということだ。
当然これは、流産や死産の場合には関係なくなる。だって、損害賠償や遺産を受け取るべき子供がもとから存在しないんだもの。存在しない子供には損害賠償の請求権なんてあるわけないだろ。