はてなキーワード: 無意とは
もういいです。ネットでの正論、特にはてなで標榜されているような完全理知的な人間像を知ることはなんのメリットにもならないと確信しました。
コミュニカティブで清潔で寛容でそんな人間にはどうにもなれそうもありません。自分みたいにタバコを吸い、怠惰で向上心もなくバイタリティーもほとんどなくなってきたような人間にはどうにもはてなは劣等感をインストールする場所としてしか機能していないのです。いえ、仮にタバコをやめ寛容になり向上心を獲得し論理的な人間になれたとしてもそれはそれはとても気持ち悪いものになるに違いありません。なぜならその理想的人格はあまりにも過去の経験によって成り立っている自己とあまりにもかけ離れているからです。仮に理想的なふるまいをしてみようとすればそれはそれはとても奇妙できもちわるい人間に仕上がるでしょう。
つまりもう他人が考える理想的他人として自己を形成しようが、あるいはしまいがどちらにしてもうまくいくはずがないのです。自己は常に経験と連動してこそ自然であり魅力的であるのです。
理想的な人格から外れてるな、自分は不完全だなというシーンが会社やプライベートなどでたびたび訪れることがあります。タバコを適切な場所で吸ったり誠実な人みたいに振る舞ったり、本当はクズと罵倒したいのに作り笑いで寛容さを発揮してみたり、努力してそういうポーズをとってみたりはするのですがそのようなことをしているたびに自己がずれていく感覚を覚えます。
みんなどうやって折り合いをつけているのかわかりませんが個々人としての人格形成という点においてネットでどういう人間が批判されうるのかを知ることは同時にその思考や行動にいたる経験が訪れた時にその感情にブレーキをかけることになります。
それが例えば明らかに倫理に外れているようなことであれば自己にブレーキをかけるべきだと言えます。しかしインターネットで議論されているような理知はほとんどが無意味で無意義で無思慮な神経質なだけのものです。繊細チンピラ?マンスプレイニング?藁人形論法?いったい誰が言い出したのかわかりませんがそのすべての理想は啓蒙主義的であり一様性に人間の価値を整理していくのです。
フェミニズムやビーガンなどもその一例でしょう。男が敵だと思っている人はそう思っていればいい、野菜だけ食いたければそうすればいい、しかしそういう極端に理念化された価値観は公共性を帯び人々の思考にブレーキをかけることになります。
metoo運動にたいするカウンターとして女性自体を避けようといったようにあらゆる世論にたいして僕達はセキュリティーを装備する習性を持っている。非喫煙者の前でタバコを吸えば文句言われるだろうなと事前に考えるようにすべての価値観にたいし事前に考えるようになり公共的な自己しか発揮できなくなり、とても気持ち悪い人間が出来上がる。
事前に考え対処することが正しいと思われるかもしれないが自己は常に事後によって形成される。つまり物語、経験のない事前による自己の獲得はすべて偽である。事は常にやってしまえばいい。路上喫煙もセクハラも、パワハラも、犯罪も、なにもかも、やってしまえばいい。やってみてはじめて自己と連動した価値が生まれる。
うろたえた俺は、あわてて彼を引き止めようとした。
「そ、そうだ、明日も見に来てよ。アノニマンがいないと不安で失敗しちゃうかも……」
「アノニマンの教訓その15! 『頼れるときは頼れ、ただし甘えるな』!」
いつも芝居がかっていた声の調子が崩れるほどに、アノニマンは俺を怒鳴りつけた。
「キミはいつまでも、そうやって誰かに甘えて生きるつもりか? 母親がいなければ父親、父親がいなければ兄か? 次は私か? そうしないと君は何もやらないのか? できないのか!?」
だけど、その声に怒りのような感情はない。
『私はキミの親ではない』と言いながら、まるで親が子供に言って聞かせるように俺を叱りつけたんだ。
「キミには自分で考える頭と、自分で動かせる身体がある。そうしてキミは“ソレ”を選んだ。ならば私がいようがいまいが、やるべきことは変わらないはずだ」
「……うん、今まで、ありがとう」
そう返すしかなかった。
なにより、そこまでして彼を困らせたくなかった。
「さらばだ、少年よ。他にも、どこかで泣いている子供がきっといる。助けを求めていなくても助けなければ!」
アノニマンは、いつものようにマントを翻しつつ俺の前から去っていった。
そう、アノニマンは助けを求めていなくても、助ける必要があると感じれば手を差し伸べる。
逆に言えば、助けを求めていても、その必要はないと思ったら助けないんだ。
アノニマンがそう判断したのなら、俺はそれに応えるないといけない。
そうして翌日。
俺がみんなの前で“成果”を見せる時だ。
「とりあえず広場に来いって言われたから来たけど、何が始まるんだ」
みんなが俺を見ていた。
今まで味わったことがないようなプレッシャーが押し寄せ、体が上手く動かない。
なにせ自分の意志で人を集め、改まってこんなことをするのは始めてだったからだ。
「おい、早くしろよ」
兄貴が急かしてくる。
みんなを呼んでくるよう頼んだから集めてくれたのに、俺は何もしないのだから当たり前だ。
何もしない人間を見ていられるほど、みんなは辛抱強くない。
別の日にしよう、という考えが何度もよぎった。
その度に俺はそれを振りほどく。
この日やらなかったら、一生できない気がしたからだ。
アノニマンの教訓その7、『やり続けた者の挫折こそ、挫折と呼べる』。
俺はまだ挫折の「ざ」の字すら見ていないし、やめる理由がない。
「あれは……カンポックリ!」
「なにそれ?」
「えーと、つまり缶に紐を通して作ったゲタみたいなモンだよ」
「ふーん、それで何をするつもりなんだ、あいつ……」
俺は缶に足を乗せると、手で紐を真上に思いっきり引っ張る。
「よし、いくぞ!」
俺はカンポックリで走り出した。
「うおっ、はやっ!?」
それはまさに“走っている”と表現していいほどの速さだった。
「すごいな、しかも桃缶とかじゃなく、小さい缶コーヒーであそこまで……」
サクラ「何だ、悟ったみたいなことを言いやがって」
カナコ「私たちの年齢でそういうこと言うと、ただイタイだけだよね」
サクラ「友達なんだから、もう少し優しい言葉でツッコんでやれよ」
カナコ「えー、じゃあもう少し女子高生っぽい、無意義な話に時間を費やそうよ」
サクラ「そうだ。もっと年頃の女子特有のフワッフワした感じの話を」
スミレ「だったら、そもそも最初の議題の時点で破綻していると思うんですけど」
スミレ「私たち、そういうの着たいと思うようなタイプじゃないですからね」
カナコ「でも……何かわからないけど、これじゃ駄目な気がする」
サクラ「何だよそれ」
サクラ「うげえ……」
スミレ「カナコさんが言いたいのは、エンターテイメントにおいて飾りっけなしの日常をそのまま切り取ることに『何か』は含まれていない、と」
サクラ「ほんとかよ」
カナコ「まあ分かるよ。私たち見目麗しい女子高生が日常を謳歌すること自体が、エンターテイメントとして成立するからね」
サクラ「お前のその、自分と女子高生に対する評価の高さは一体」
カナコ「分かった分かった。サクラのように取り留めもない会話のボケにすら、常に全力で、大声でリアクションしよう」
カナコ「ね?」
スミレ「なるほど。でも私にこれを真似しろってのは色んな意味で酷だと思うんですけど」
サクラ「遠まわしにディスってない?」
カナコ「ちょ……今は普通に会話していきたいから、いちいちツッコミしてくるのやめて」
スミレ「自分の役割を全うしようとする心意気は買いますが、もうちょっと弁えましょう、サクラ」
サクラ「この場は従うけど、別に自分の役割を意識してツッコミしているわけじゃないからね?」
カナコ「ね?」
スミレ「なるほど。こういう我を出しつつも、ちゃんとその場に順応しようとするスタイルを見習え、と」
サクラ「私が反応に困るスミレの分析力と、カナコの解釈力のエグさ」
カナコ「そしてボキャブラリがそこまでないけど、その上で表現に工夫を凝らそうとするサクラの努力」
サクラ「え、何この意味不明な趣旨の誉め合い。またちょっとディスり入ってるし」
今回は少年ジャンプ+
うーん……メタ的に見るなら、アグニとトガタの関係性の再構成と、現状の停滞感を打破するためのきっかけとして機能するのが今回の一件なわけなんだろうけれども。
同じ構図とコマ割りがさすがに多すぎるのがすごく気になる。
同じ構図とコマ割りを繰り返すことで、その場面でのやり取りの無意義さだとか、情感を演出しているといえなくもないんだけれども、それを考慮してなお手抜き感は否めないなあ。
内容もほとんどないしで、前話と今話を纏めた構成にした方がよかったんじゃないだろうか。
一見すると似合ってはいるんだけれども、悪魔の角があるから足し算しすぎ感も出てて絶妙なデザインである。
バイキンマンじみたコスとかを少し前にやっていたが、もしかして今後も着せ替え人形的な扱いをされるって方向性が出来ているんだろうか。
ただ、メムメム自身が色々とアレな性格だから同情する気が起きないという、バランス感覚が心地良い。
でもここまでアレだと一週回って悪魔らしいともいえる。
揚太郎がDJを始めたルーツともいえる人が登場して、話もいよいよ畳みにきているなあと思ったら、なんだか予想外な方向に。
この人が出てくると揚太郎は若干トリップしちゃうのは1話でも演出されていたから超展開ってほどではないんだけれども、いや~これはどうなんだろう。
仲の良い友達が居て、その友達が勉強して合格しないと、自分も合格できない大学受験があった。
受験は来年。レベルとしては一年間近く心身共に捧げなければ合格できないレベル。
自分の成績は一切無意味。勉強も無意志。自分の努力は一切考慮されない。
ただ友達が合格することだけが自分が合格するかどうかの合否判定。
友達が挫けそうになって「もうだめだ」とか言い始めたら「でも頑張ろうよ」とか言うじゃん?
そうしたら「お前は何もやってないでしょ!」とか言ってキレられる。
でも実際そうだから仕方ない。
仕方ないので差し入れのスイカを買ったりご飯を作ったりとかして。
疲れたときはできるだけ楽しい話をしたり未来の話をしたりしてポジティブにしたりして。
でも自分は何にも役立ってないな~とか思ったりして。
とにかく頑張ってもらうしか何もなくて。
ひたすら1年間、応援してるだけで何もできないわけで。
いよいよ当日は、ひたすら横で「頑張れ!」って応援したりして。
いろいろ肩を揉んだり背中をさすったりして。
「もうダメだ!」とか大変そうで。
でもひたすら応援するしかなくて、凄い無力だなぁとか愕然としたりするわけで。
お母さんは1年間かけてボロボロになりながらお母さんとしての身体と心になっていって。
お父さんは「産まれた!」っていう瞬間にお父さんになって、我ながらズルいなぁと思う次第。
あー随分負担かけたなぁ。これまで何もできなかったけどこれからは分け合えるといいなぁ。
と思ったから育児休業を取ったりして、せめてあの応援するしかなかった時間の恩返しができればなぁと思う次第であります。
これからが長いわけですが。
ここで書き捨てている私がいうのも何だけれども、感想とかは各サイトのアンケートや、ツイッターで呟いたり、フェイスブックでシェアなりするのもオススメ。
まあ、他にも何らかの目的や拘りがあるなら、自分のブログとか別の媒体で書くのも大いにアリだと思うし。
コンテンツが盛んになる上で、そういったリアクションが表に出やすくなっている状態というのは、総体的には受け手にとっても作り手にとっても良い側面はあるんじゃないかな。まあ何の根拠もない主張だけれども。
今回の感想はとなりのヤングジャンプ
プロットはありがちというか普通なんだけれども、大真面目にやればやるほど非現実的な要素が余計に浮くんだね。
自分でもなぜか分からないけれども、「ピッカー」の時おもむろに手で顔を覆うマスターや、最後の柱コメントに書かれている「悟りきれない夜もある」とか、どうでもいい部分が妙にツボだった。
余談だけれども、同じ作者がツイッターで描いている別の漫画のまとめが、ちょっと前にホッテントリになってたね。
実はツイッター漫画はほぼノーチェックなので、ホッテントリになってるのを知ったとき「ああ、あれ描いているのと同じ人なんだ」と思った。
私とは逆に、『悟りパパ』を読んで「ああ、あれ描いているのと同じ人なんだ」なんて人もいるんだろうなあ。
おねしょなあ。
私はおねしょ含めて漏らしたことはここ十数年の間はさすがにないけれども、匿名ダイアリーでも漏らしたって話はちょくちょく出ていることから考えると、年齢問わず身近なことではあるんだろうね。
漏らさないよう気をつけても、漏らすときは漏らすんだろうけれども、だからといって気をつけて行動することが無駄ではない。
といったことを、しをちゃんが年季でもって語るかと思いきや、あのオチ。
長年生きているせいで、記憶の引き出しも滅茶苦茶になってるんだね。
その上で出てきたあのオチはご無体だが、本作は残念な不老不死を設定にしたコメディだから、長年生きた経験すら活かされないという展開は予定調和ではあるのか。
最近はこのテのアイテムに関しても知識として教えている学校あるらしいけれども、私のときはどうだったけなあ。
なんか妙な形状の器具ばかり覚えていて、「え、物理的に可能なのだろうか!?」みたいな記憶はうっすらある。
中には構成上全く無意義なのにも関わらず、唐突なギャグまで差し込むあたり全力疾走だ。
こういうスタイルのギャグ漫画って、1話ごと期間を空けて読む分には面白いんだけれども、緩急があまりないので一気に読もうとするとエネルギーの消耗が激しいんだよね。
今回はガンガンオンライン
樹側のテーマが新たな視点による気づきに対し、遥側のテーマは行動することの重要性ってのは一貫していて、今回もそうだったね。
ただ、まあ時間軸が同じこともあって、わざわざ別の話として描くよりは、平行して描けばいいんじゃないかなあとも思わなくはないが。
確かに伏線はあったから考察する余地はあったんだけれども、このタイムリープは兄弟にとって重要な意味を持つと思っていたから、そういう可能性は無意識に追いやってた。
夜の学校とかもそうだけれども、今回みたいないつもと違う状況で過ごす学校の、独特の雰囲気って楽しいよね。
それが間接的に繋がって、他人の話題で主人公の名前とか挙がっていると不思議な気持ちになる。
その普段ではありえない特別な空気がそうさせるのか、もこっちが苦手なタイプの人間の言葉で思わず笑うシーンとかが象徴的に見えた。
なんかいいなあ、こういうの。
毒っ気というか悲愴感が恋しくはあるけれども。
あと、大したことじゃないんだけれども、登校時にマスク着けている生徒と着けていない生徒がいて、その微妙な違いが無駄に気になった。
ちょっと驚いた。
人が持つ感情には表面的には同じであっても様々な側面がある。
「好き」ってのは、その側面が特にクローズアップされやすいよね。
昴は自身が他人の持つ側面がないのに、その側面に自分が引きこまれたような感覚が嫌だったわけだ。
ざっくり言えば、他人の物差しで人格を測られるのが嫌だってことなのかもしれない。
恭介はその感情を一般化しようと試みるんだけれども昴はピンとこなくて、そもそも無意義だともとれる。
このあたりを踏まえると、「他人による人格の形成、安易なカテゴライズの拒否」だと私は解釈した。
まあ、確かに多くの人が自分自身でもよく分かっていない側面というものは大なり小なり存在していて、どうしてもそれを明瞭にする必要があるかといわれれば何とも言えないのだけれども、その状態では少なくとも他人にそれを決められたくないだろうね。
このあたりの人格に明確な言語化や是非を決めないっていうのは、複雑な思いが錯綜する本作を読み込む上で、かなり重要なテーマかもしれないなあ。
ただ、そこをフワフワさせた状態のまま話を進められることが、物語をスムーズに消化したい人にとってはヤキモキする要因にもなりそうだけれども。
前回までのあらすじ
俺、マスダ!
いま、この世界では『ヴァリアブルオリジナル』がすっげえ流行っているんだ。
かくいう俺も、その流行の住人なんだけどね。
今日も家で何気なくアニメを観ていたら、CMでなんてこったい!
大変だ! 今すぐ買いに行かなきゃ!
俺一人だと年齢制限に引っかかって購入できないから、兄貴を連れてレッツゴーだ。
こうして、俺たちは町に繰り出したんだけど……おっと、ここからは兄貴に語ってもらうよ。
「くそお、どこもかしこも売り切れだ! ネットにも出回っていない情報だから、スタートダッシュは同じはずなのに」
数件ほど回っているが、店主から帰ってくる答えは「売り切れ」だった。
一応、いくつか在庫のある店はあったものの、新パック目的の人たちは多くいるようで混沌としており、泥沼の紛争地帯と化していた。
あの中を掻き分けるのは子供の力では難しく、もちろん俺はハナから興味がないので拒否する。
弟は指を咥えて見ているしかなかった。
「一部のコアなファンの仕業です。これまでの発売時期や期間、アニメから読み取れる僅かな情報からヤマをはって、開店前から並んでいたのでしょう」
いきなり俺たちに近づいて話を展開させてきたのは、俺の通っている学校のOBであるジョウ先輩だった。
大人の中にも熱中している人間がいるとはメディアでも報道されていたが、まさか身近な知り合いにいたとは。
「小癪なのは、意図的に流通を少なくしている上、予約を受け付けていないことです。そうすることで店になだれ込ませて話題性を作り、購買層を煽っているのでしょう」
弟がジョウ先輩に突っかかる。
口調が無意義で鼻についたらしい。
「小童、覚えておきなさい。平日の昼間以外に働く人間だって多くいるのです」
「え、ジョウ先輩って夜間とかの勤務でしたっけ」
「ほほほ、兄弟そろってお子様ね。今日のワタクシは、有給ですのよ!」
つまりジョウ先輩は新カードパックのために、発売時期にヤマを張って有給をとっていたことになる。
何日分使ったかは怖くて聞けなかった。
「既に5箱確保しました」
「5箱も!?」
「同じカードでもデッキに複数入れることが可能ですから、多すぎて困るということはありません。それに運悪く目的のレアカードを引き当てられないこともありますから、出来る限り確保しておきませんと」
「ちくしょう! あんたらみたいな大人がいるから、俺たちに1パックもこないんだ!」
「ほほほ、覚えておきなさい小童。これが“大人買い”というものです!」
「負け惜しみにしか聞こえません。ほらほら、こんなところで油を売っていてよろしいのかしら?」
そもそも先に話しかけてきたのはジョウ先輩からのほうなのだが。
どうやら弟みたいな買い損ねた人間をおちょくって優越感に浸りたかったようだ。
ジョウ先輩は笑いながらその場を悠々と去っていく。
「くっ、まだだ。まだどこかに残っているはずだ!」
弟は踵を返し、走り出していた。
今回は裏サンデー
明かされるAI開発者の想いは、遠まわしに本音の吐露でもある。
主要人物でありながら、言動がどこまで体裁で本心なのかってことが明示されていないキャラクターの、ここぞというときの吐露は演出としては強力だよね。
まあ、作風なのか、これまでの登場人物のほとんどは言動から読み取れる信頼性や人格をぼかす描写が多いけれどもね。
これの難点は、構成上の無意義さ含めて楽しめる心構えが出来ていないと、読者によっては中だるみに感じたり酷く白けてしまうことなんだよね。
まあ、西尾維新原作の物語を筆頭に、叙述トリックに特化した物語に慣れている私からすれば、これくらいは構成上捨てられない範疇だと思える。
この漫画のテーマが「家族」だとか「絆」であることは明らかだが、今回の真実味を帯びた本音の吐露もメタ的に見ればテーマに繋がっていて一貫している。
のらりくらりとした展開ややり取りに見えて、テーマを一貫させた構成というバランス感覚には感心する。
まあ、妥当だね。
幽白の桑原VS白虎戦だとか、最近だとブラクロもこの方法使ってたね。
まあ本作の場合は、相手が吸収する能力を持つわけではなく、姫が能動的に無理やり吸収させているので、状況に応じたアンサーではなくて、既存のアイデアをより汎用性のある形で昇華させたと解釈することもできる。
小国の、一戦線での腹の探り合いかと思いきや、話がどんどん大きなことになっていくことを感じさせる展開がワクワクする。
専門用語や設定が乱立して話を把握しにくいにも関わらず、そういう雰囲気を感じ取れるってのは構成の妙か。
これが例えば普通の人間がやったらサムさが増すんだけれども、秋月の基本ズレ気味の演出で展開されるコメディが弛緩の役割を果たすこともあって、フっと出てくる想いに胸を打たれるわけだ。
今回は少年ジャンプ+
個人的に『あの娘はヤリマン』連載してたころから、この作家のパロディ描写は安っぽくて無意義だから好きじゃないんだよね。
行き当たりばったりな演技、ボキャブラリ皆無かつ説明能力のなさ、感情のゴリ押し、相手の話を聞かない、隙あらばズルをしようとする、努力や才能の方向オンチ。
本作はメムのダメダメっぷりを楽しむ漫画だが、今回はその要素が役満レベルで笑わせにきているなあ。
ハンコを無理やり止めようとしていたけれども、次のページもよく見たら紙の上に乗って何が何でも押させまいという悪あがきっぷり。
そして、思わぬトラブルが発生してなお、行動しだいでは名誉挽回のチャンスなのに、失望(ある意味では期待を裏切らない)行動と一貫している。
でもセリフ回しはノってるね。
『ホステル』とか『SAW』みたいなスプラッター作品を「トーチャーポルノ」っていうことがある。
トーチャーってのは「拷問」って意味らしいけれども、広義的にはスプラッターが多かったり印象的なものも指すらしい。
なのでいつかの感想で私はこれを「トーチャーポルノ」って表現したけれども、今回はそのコンセプトが明らかだよね。
今回は実質主人公がひたすら殺されまくるだけなので、スプラッター描写やりたいってだけにしか感じられなくて無意義に感じる。
別にそういう表現がダメというつもりはないけれども、やってることが今までとほぼ同じだから正直飽きてる。
過激なものって映える分、飽きやすいから演出にもっと工夫が必要だと思うんだよね。
数ある中から、なんでよりにもよって『群馬アイドル神話 馬セブン』の作者にパロディ描かせたんだろう。
「よりにもよってこの作家にパロディ描かせた」という意味ではキャッチーだけど、逆にいえばそれだけだし、冷静に考えれば誰得であることはいずれにしろ明らかだし。
ちなみに、内容についての感想だけれども、プロットに関してはギャグ漫画としてそこまで酷くはなくて、むしろちゃんとしているとすら言ってもいいかもしれない。
ただ、それで評価できるわけではない程度の欠点を抱えているのは相変わらずなので……。
まあ、正直なところ『群馬アイドル神話 馬セブン』に対する悪印象に、私が引っ張られているのは否めない。
意図的だろうがなかろうが、クソ漫画はクソ漫画であることには変わらないんだけれども、あの漫画のすごいところは物作りに対する姿勢が編集含めて酷いことなんだよね。
『フードファイタータベル』も読んでいるよ、感想は書いていないけれども。
きたるイベント当日。
アトラクションに使われる大掛かりなセットがスポーツ施設にずらりと構えらている。
今回は製作者の興がノリすぎたのか、かなり大規模かつデザインも凝っている。
まあ、参加者にとってはプレゼントのための障害でしかないのだが。
弟たち参加者の目はマジで、和気あいあいとした雰囲気とは裏腹に立ち振る舞いはトップアスリートのそれである。
「マスダ、今回ばかりは知恵はもちろん、手も貸さないよ」
「ああ、俺も同じさ」
「最新の防音耳当ては僕のものさ」
いつもは弟と共にいる仲間たちも、今回はライバルだ。
タオナケもいるということは、恐らくドッペルもいるのだろう。
変装しているのか、俺たち家族のいる観戦席からだとよく分からないが。
シロクロはというと、年齢不詳かつ体格も成人男性と変わらないということで参加を拒否されたらしい。
そうして参加者が出揃い、観戦席も埋まり始めたところで、いよいよ開催のアナウンスが入る。
まずは市長やイベント関係者の挨拶、注意事項の説明であるが、参加者である子供たちはもちろん大人たちも聞いていない。
当人たちもそれは分かっているのでテキトーなことを言って済ませたいようだったが、町おこしも兼ねているのでマスメディアを意識した適当なことを言わないといけない。
「以上で注意事項の説明は終わります。次にこのイベントに欠かせない、サンタさんの登場です!」
スタッフが手を向けたさきの扉近くから、スモークが吹き上がる。
そこから勢いよく、如何にもな格好をしたサンタがトナカイに乗って登場する。
「ホッホー!」
俺の記憶ではサンタが乗っているのはソリで、それを引くのがトナカイのはずなのだが、第1回からこの調子だったので今さら変える気もないのだろう。
「数々のアトラクションを潜り抜け、サンタのもとへゴールしてください。では……」
弟たちが構える。
「……スタート!」
空気銃の発砲音が響き渡る。
ミミセンは、その音にやられてしまって開始早々ダウンした。
さきほど連絡先だけ残してスマホを捨てました、実家に焼却炉があるので燃やしたらバチバチいってました。とても乾いた音でした。
次はモデムをたたきわろうと考えているのでこれでインターネットの世界とはしばらくお別れになるかと思います、PCは文章を打つのに必要なので残しておきます。
思えばはじめてインターネットに触れたのはテレビのニュースで2ちゃんねるは悪いところと言っていたので興味本位で覗いてみたのがはじまりでした。アナーキーな雰囲気とは裏腹にただ言葉だけが無意味に踊っていました。
その後FC2でブログを書いてみたりアメーバピグで遊んでみたり現在ははてなブログも細々と書いております。twitterはつまらなかったのでやめました。
どこのプラットフォームでも乾燥した言葉だけが無意味に無意義に無機質に無思慮に無価値に無個性に無配慮に無防備に無慈悲にただ並んでいただけでした。
時にはインスタントラーメンみたいに味のする文章にも出会ってきましたがそんなものは三日も経てば忘れてしまいます。意味がないです。そもそも人生に意味を求めるほうが間違っているのでしょうがインターネットは意味どころか完全なる虚無でした。得たものはただ肥大した自尊心と歪んだ文章力だけでした。
そもそもブログなんてものを書いて自分を語ることにどれだけの価値があるのでしょうか。日本社会では自我を滅することが美徳であるしまた処世術でもあるのです。自分を殺すことが良い悪いなんて価値観なんか知ったこっちゃありません。精神的な自殺こそがもうただこの社会の純然たる現実です。
自尊心を肥大させ言い訳に近い言葉を集めるこのインターネットの世界に傾倒していくということはこの社会からの適応力を失っていくことを意味するのではないのか。はてな村のみなもあまり楽しそうには見えない。ブログ村も同じだ。2ちゃんねるもやふこめもフェイスブックもツイッターもばくさいもほすらぶもしたらばもどこもかしこもただ言葉だけが踊っている。
はてブでポツダム宣言の現代語訳が話題になっていた。だが、外務省による文語訳が、現代語訳者により「この文章を理解できる日本人が何人いるか?」と揶揄されていたり、ブコメでも「いい加減なカタカナ混じりの変な訳」などとDISられていたりして気になった。そこで、文語訳の仮名遣い、送り仮名、句読法、一部の漢字を現代風に改めてみた。文法はそのままだが、普通に読んで理解できる文章になったと思う。
http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j06.html
米、英、支、三国宣言
1、我ら合衆国大統領、中華民国政府主席および「グレート・ブリテン」国総理大臣は、我らの数億の国民を代表し、協議の上、日本国に対し、今次の戦争を終結するの機会を与うることに意見一致せり。
2、合衆国、英帝国および中華民国の、巨大なる陸海空軍は、西方より自国の陸軍および空軍による数倍の増強を受け、日本国に対し、最後的打撃を加うるの態勢を整えたり。右軍事力は、日本国が抵抗を終止するに至るまで、同国に対し、戦争を遂行するの一切の連合国の決意により支持せられ、かつ鼓舞せられ居るものなり。
3、決起せる世界の自由なる人民の力に対する、「ドイツ」国の無益かつ無意義なる抵抗の結果は、日本国国民に対する先例を、極めて明白に示すものなり。現在、日本国に対し集結しつつある力は、抵抗する「ナチス」に対し適用せられたる場合において、全「ドイツ」国人民の土地、産業および生活様式を、必然的に荒廃に帰せしめたる力に比し、計り知れざるほど、さらに強大なるものなり。我らの決意に支持せらるる、我らの軍事力の最高度の使用は、日本国軍隊の不可避かつ完全なる壊滅を意味すべく、また同様、必然的に、日本国本土の完全なる破壊を意味すべし。
4、無分別なる打算により、日本帝国を滅亡の淵に陥れたる、わがままなる軍国主義的助言者により、日本国が引き続き統御せらるべきか、または理性の経路を日本国が踏むべきかを、日本国が決意すべき時期は到来せり。
5、我らの条件は左のごとし
我らは、右条件より離脱することなかるべし。右に代わる条件存在せず。我らは遅延を認むるを得ず。
6、我らは、無責任なる軍国主義が世界より駆逐せらるるに至るまでは、平和、安全および正義の新秩序が、生じ得ざることを主張するものなるをもって、日本国国民を欺瞞し、これをして世界征服の挙に出ずるの過誤を犯さしめたる者の権力および勢力は、永久に除去せられざるべからず。
7、右のごとき新秩序が建設せられ、かつ日本国の戦争遂行力が破砕せられたることの確証あるに至るまでは、連合国の指定すべき日本国領域内の諸地点は、我らの、ここに指示する、基本的目的の達成を確保するため、占領せらるべし。
8、「カイロ」宣言の条項は、履行せらるべく、また日本国の主権は、本州、北海道、九州および四国、ならびに我らの決定する諸小島に局限せらるべし。
9、日本国軍隊は完全に武装を解除せられたる後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的の生活を営むの機会を得しめらるべし。
10、我らは日本人を民族として奴隷とせんとし、または国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものにあらざるも、我らの捕虜を虐待せる者を含む、一切の戦争犯罪人に対しては、厳重なる処罰、加えらるべし。日本国政府は、日本国国民の間における、民主主義的傾向の復活強化に対する、一切の障害を除去すべし。言論、宗教および思想の自由、ならびに基本的人権の尊重は、確立せらるべし。
11、日本国は、その経済を支持し、かつ公正なる実物賠償の取り立てを可能ならしむるがごとき産業を、維持することを許さるべし。ただし、日本国をして戦争のため、再軍備をなすことを、得しむるがごとき産業は、この限りにあらず。右目的のため、原料の入手(その支配とは、これを区別す)を許可さるべし。日本国は、将来、世界貿易関係への参加を許さるべし。
12、前記、諸目的が達成せられ、かつ日本国国民の自由に表明せる意志に従い、平和的傾向を有し、かつ責任ある政府が樹立せらるるにおいては、連合国の占領軍は、直ちに日本国より撤収せらるべし。
13、我らは、日本国政府が直ちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し、かつ右行動における同政府の誠意に付き、適当かつ十分なる保証を提供せんことを、同政府に対し要求す。右以外の日本国の選択は、迅速かつ完全なる壊滅あるのみとす。