はてなキーワード: 火鍋とは
冬は火鍋が食いたい。
しかし店では食えない。
鍋は二人前からがデフォルトになっている店がほとんどだ。一緒に行く友人などいない。
火鍋は高い。1回で一人当たり2500円くらいは見積もっておかねばならない。
まず肉のハナマサに行く。
ハナマサではプライベートブランドの火鍋の素が売っている。セール時に買うと一袋192円だ。
肉は安いのでよい。豚の細切れでもなんでもよい。
野菜も何でもよい。
チンゲン菜、小松菜、白菜、ネギ、店で目についた安い野菜を入れればよい。
もやしを大量に入れてもよい。
つぎにダイソーに行く。
ダイソーには、電子レンジで調理できるラーメンのどんぶりや鍋が売っている。いずれの容器にも調理用のふたがついている。
これを一つか2つ買う。
帰宅後、お湯を沸かす。
流水で洗いながらキッチンばさみで野菜を適当な大きさに切り、どんぶりに放り込む。
続いて肉を入れる。
火鍋の素のパックには500mlの水を入れろと書いてあるが、野菜からかなりお湯が出るので、400mlくらいでよい。
お湯を入れたらどんぶりにふたをして、電子レンジに入れ、5~6分加熱する。
これだけだ。
【追記】
ダイソーのラーメン用電子レンジ調理器を使うのは、深さが鍋物にちょうどいいからだ。
https://matome.naver.jp/odai/2154035522994640101
加熱前の野菜はかさばるから、これくらい深さのある器がちょうどよい。火鍋のタレとお湯を入れて加熱しても吹きこぼれることはない。
余裕があればもう一個器を野菜用に買えばよい。
友人達と深酒した。白酒を火鍋を囲みながらひと瓶開けた。あとビールをジョッキで2杯。彼らはもっと飲んでいたが。酒が弱くはなった自覚はある。
翌日は仕事が入っていなかったので家にいられたわけだが、何もできなかった。無理にやろうと思えばできるのだが、できれば寝ていたい。寝てビデオを観て楽しかった気持ちよかったとは正直なところなのだが、やはり深酒はコストがかかる。高い。
そもそも酒を飲む必要があるのか、神経に作用するものの摂取を控えたい、と思うようになった。酒が楽しい思い出をつくることに貢献してくれるという点は否定しないけれども、それ以上に高いコストを負担しているようにも思える。
やはり控えるべきは酒である。歳をとればとるほどそういうことなのではないか。むしろ若い頃に酒で時間を浪費していると、後々大きな差となって現れてくるのではないか。
酒をのまないという習慣は、実はとても大切なものなのではないか。この点、イスラームの教えはやはり正しいし、ついでに言えばトランプ大統領の習慣は正しいと思うようになった。
難しいお客さんとの会議が続いた後で、ものすごく疲れていた。寒かったし、何か暖かくて辛い物を食べて温まりたかった。というよりは、精神的に疲れ切っていたので、何か刺激のあるものを食べて自分を元気づけたかった。
本当は火鍋が食べたかったんだけど、一緒に食べに行く相手もいないので、気になっていた、中国系のラーメン屋に入った。
この店は肉みそニララーメンというのがあって、火鍋みたいな中華系のスープにニラたっぷりのラーメンで、上に赤くて辛い味噌が載ってる。
案の定、すごく好みの味で、一気にすすりこんで食べた。
ふとカウンターを見ると、瓶の中にフライドガーリックが詰めて置いてある。
これをこのスパイシーなスープにたくさん放り込んで食べたらどうなるんだろう。
この想像に逆らうことはできなかった。どうしても。
それで、スプーンに4杯も5杯も、スープの中にひたすら注ぎ込んだ。
想像通り、半端なくコクのある味になって、スープもニンニクもいっしょに、一気にすすりこんだ。
止まらない。
最後の方になると、どんぶりの底の方に、スープですっかりシャキシャキに戻ったニンニクが固まっている。
たまらず掻き込んだ。
本当に満足して、帰宅して、床についた。
そして翌日。
目が覚めて、布団の中で放屁した。
咳き込んだ。
臭すぎる。
なんなんだこの刺激は。
皮膚の毛穴の一つ一つからニンニクの臭いが漏れてるんじゃないかと思って、今日はびくびくしながら一日過ごした。
丸一日たったのに、ニンニク臭の濃度が何一つ変わっていない。
たまらなく臭いんだけど、あまりにもニンニク臭の純度が高すぎて、自分で自分の屁の臭いをかぐことをまた期待してしまう。
こんなことを知られたら嫁に行けない。
でも期待してしまう。
1970年代前半に、仙台市内の中華料理店「まんみ」にて賄い料理として提供したのが始まり。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E7%84%BC%E3%81%9D%E3%81%B0
発案者が思いついたのが10年前と言っていたので、
//detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11156573366
ただし他にも元祖を名乗る店がある。
14〜15年前ですかね。パンって、夏は本当に売れないんですよ。暑いからみんなソーメンを食べたり、おやつもスイカになったりしてね。なんとか夏に売れるパンができないかなぁと思って開発したのが、塩分補給もできる塩パンだったんです
//tabi-labo.com/287605/painmaison-yawatahama
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%B7%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%A2
ただし他にも元祖を名乗る店がある。
【第22巻・第213話】いま話題のおにぎらずはクッキングパパが発祥!
//cookpad.com/recipe/2831394
第22巻は1991年発売。
ご存知のとおり発祥には諸説ある。
落合「僕が帰って来たのが1981年で、前のお店を開けさせていただいたのが1982年ですから。
(中略)
1982年に魚のカルパッチョを作ったとは語られていないが、近い時期であることが示唆されている。
古くは本朝食鑑の鱗部の巻「鰯」の箇所に「或有甘塩者有糟漬者有塩麹漬者号曰黒漬」という下りがあり、「塩麹漬」という文字列が見られる。
日本人はいつから牛の生肉や生レバーを食べるようになったのか。
焼き肉などの食文化に詳しい滋賀県立大の鄭大聲(チョン・デ・ソン)名誉教授は「戦後、在日韓国・朝鮮人が家庭で食べていたものを焼き肉店で出すようになり広まったのではないか」という。
//sankei.jp.msn.com/life/news/120428/trd12042822020023-n1.htm
「つけめん」が定着するきっかけとなったのは2000年頃からのことです。つけめんの考案者である東池袋大勝軒の店主 山岸 一雄氏のお弟子さん達が独立し始め、大勝軒系列の店が増えたこと、大勝軒の常連客から人気店になった「べんてん(高田)」、「道頓堀(成増)」といったお店が繁盛したこと、そして川越にある「頑者」が「自家製極太麺×魚粉×濃厚つけだれ」という新しいジャンルのつけめんを生み出したことが影響し大きなエポックとなりました。
//web.archive.org/web/20130622095039///www.asahi.com/business/pressrelease/ATP201005190013.html
プロジェクトが始まったのは86年。当初の計画では、輸出の要はカペリン(カラフトシシャモ)だった。しかし、その前年、時の漁業相らが日本を視察して方針が変わった。日本には生のサーモンを食べる文化がない。江戸前寿司にもない生サーモンの握り寿司を考案し、試食会を重ねた。
日本のイタリア料理史の中で、最大のブームとなったのは「ティラミス」と言って間違いありません。80年代半ばから評判を呼び、90年に雑誌「Hanako」で特集が組まれるや、人気は最高潮に達します。
日本の輸入量は1970年代までは微々たるものだったが、1970年代後半から増え、1980年には479トン、1990年2163トン、2000年14070トン、2005年は28150トンと急増している。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9C%E3%82%AB%E3%83%89
1908年(明治41年)、魚の油漬け加工に必要なオリーブ・オイルの自給をはかるため、農商務省がアメリカ合衆国から導入した苗木を三重県、鹿児島県と香川県に試験的に植えた。香川県の小豆島に植えたオリーブだけが順調に育ち、大正時代の初めには搾油が出来るほどの実が収穫された。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%AB
//www.amazon.co.jp/dp/4478039674
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%84%E3%82%BF
単なる竜田揚げとして見れば×。
1952年(昭和28年)に創業した国立市の一橋大学そばの「三幸」が、のびたラーメンをヒントに昭和30年代前半頃から酒の肴として提供を開始したとする説や、同じく昭和30年代に武蔵野市境の亜細亜大学そばの「珍々亭」が中国の拌麺をヒントに油そばを発売したという2説が存在している。
新規企業の太洋醸造が当時自由販売化していたイモとホップを使用したイモ・ビールの試験醸造を申請して認可され、1950年(昭和25年)から新発売され、日本の市販発泡酒第1号となった
垣島在住の夫婦(夫は中国・陝西省西安出身の辺銀暁峰、妻は東京都出身の愛理)が、具材を食べるタイプのラー油を開発し、2000年(平成12年)、石垣島にて開催されたイベントで販売したのが始まりである(ただし、具の入ったラー油そのものは中国にて古くから存在している)。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%9E%A3%E5%B3%B6%E3%83%A9%E3%83%BC%E6%B2%B9
火鍋(ひなべ、フゥオグゥオ)という食べ物がある。モンゴル起源という説があるが、今では中国大陸で広く食べられているそうだ。中華風のしゃぶしゃぶと言ってよいだろうか。
東京でも最近はおいしい火鍋が食べられるようになってきたのはうれしいことだ。
とくに、鉄の鍋を二つに区切って、まろやかな白湯(パイタン)といかにも辛そうな赤い麻辣(マーラー)という二種類のスープの中に、肉をはじめとした雑多な具材をつぎつぎにひたして食べていくのはたまらない(私はラム肉ときのこが好きだ)。
スープにはナツメや枸杞(クコ)の実など、中華料理に特有の漢方食材がふんだんに入っていて、さながら薬膳料理といった具合だ。
麻辣のスープには唐辛子が無数にそのまま放り込んであり、煮詰めて時間が経つにつれてほとんど凶暴な辛さになってくる。まるでラー油を沸かしながらしゃぶしゃぶをやっているようなものだ。
食べるほうも食べるほうで、だんだんと舌が辛さになれてくるものだから、旨い辛さを口全体で感じながら、ともかくも食べ続けてしまうのだ。
辛い+鍋+肉という組み合わせは、会話を盛り上げるのに格好のセッティングだ。だから調子に乗って、話しながらどんどん食べ続け、飲み続けることになる。
こうした不摂生の罰が当たったと気づくのは翌日のことだ。
朝から腹が重い。食欲がない。
熱い油にまみれた唐辛子とアルコールで、胃の内側がさんざん焼けただれているに違いない。
とりわけ食い意地を抑制しなかった前非を悔いるのは、便意を感じてから後のことだ。
出てきた便で肛門が裂けたのではない。通り過ぎた便にまだ含まれている刺激物に反応して、粘膜がひりひりと痛みを伝えてくるのだ。
勢い余って大量に摂取した刺激物は、胃や腸管を通り過ぎて、肛門へ内側から接触するときになっても、まだ消化されず、身体の内側からダメージを与え続けていたことに気づく。
そのとき、前日に友人同僚と怪気炎を上げていたあなたは、肛門を犯されたばかりの童貞処女のように、うなだれて便器に腰掛けたまま、痛みをこらえているに違いない。
そのような体験をした後、火鍋を二度と喰うまいと誓って、火鍋屋へ近寄らずに生きていける人は、幸せだ。
そうでない多くの人は、かつて感じた辛さと旨みを思い出し、翌日に襲ってきた肛門の痛みのことはすっかりと忘れて、また火鍋屋へ向かうことになるだろう。