はてなキーワード: 漠然とは
めちゃわかる。
自分は4浪して東京藝大入って、絵の先生とかもやった(大学入試共通テスト/センター試験を5回受けたので、ガチの4浪)。
「絵が上手いですね」って言われることもあるし、「どうやって上手くなったんですか?」「生まれた時から才能ある人は違いますね」とか色々言われてきたけど、絵のうまさについて言及されるときに、まず最初に言うことがある。
「楽器や運動と同じで、小学校に通うくらいの年月、朝から晩まで毎日ひたすら鍛錬しました」「4浪してる間、受験をサポートしてくれた両親に感謝しています」
相手が子供だろうが、必ず「鍛錬」とかそれに類するワードを使う。「絵を描いてた」だと趣味的なイメージしかできない人がいて、「努力していた」のが伝わらないから。
仲が良かった後輩が先に藝大に受かってしまった日に、死ぬほど悔しくてそれまで描いたデッサンを全て破り捨てた日の話とかもする。
「ずるい」って言うタイプの人は、そこで「鍛錬…!?才能じゃないの…?」って思うのか、単に青春を鍛錬に捧げた狂人が目の前にいると思うのか黙る。
子供が美大志望の親御さんは、才能が不要であることに安堵したり、逆に覚悟が決まるっぽい(流石に少子化のこのご時世に4浪は稀だとも伝えるよ)。
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思えば、音楽や体育の授業と違って、小中学校では具体的な技術を教えるわけでもなく、なんとなく巨匠の絵にふれつつ「のびのび絵を描こう」みたいな雰囲気に終始する。
そのせいなのか、美術だけは「生まれ持った才能」みたいな神話があるのかな、と漠然と思うことがある。
スポーツ選手や演奏家みたいに日々の鍛錬が肝要だし、めちゃくちゃ上手くなるためには血の滲む努力が必要なのは一緒なんだけどね。
あ、蛇足だけど、絵を教えてたこともあって非常に稀に「才能がある」子にもたまに遭遇します。
ただ、そういう子は、とてもピンポイントで使いどころが限定的なPERKを、生来のものとして持ってるってイメージ。例えば「目の前のものの色だけは、正確に捉えられる」とか「目の前のものの輪郭だけは、画面上に正確にコピーできる」とか。
結局そういう「絵の才能がある」子たちだって、他の要素はまるっきり素人なので、絵が上手くなるためには鍛錬が必要なんだよね〜。
ゲームと同じで、漠然と「なんかすごくつよい」みたいなPERKがないのと一緒。「絵が上手い」みたいなPERKは存在しない。
(自分は生まれる時に、絵に関連するPERKを一つも選択しなかったらしく、ひたすら努力で全てをカバーした)
ともあれ、両親には今も本当に感謝してるし、当時頑張った自分にも感謝してる。あそこで努力を怠って合格しなかったら、全然違う人生歩んでただろうな。今はあんなに努力できないや。
・便秘
・尿漏れ
あとひとつは?
以下、愚痴めいた補足の自語り。
妊娠による不調の中でも、つわりが辛い!免疫が下がる!腰痛が大変!といったこと、それから漠然と全体的に平常時に比べて体調が悪くなるということは知っていても、いざ妊娠したら多くの小さなマイナートラブルがあるもんだなぁ、と身をもって実感した。
便秘は今までの人生であまりなったことがなく、むしろ下痢寄りの人間だったので、うんこが出ない辛さ、水っぽくても出ることのありがたみを妊娠して初めて知った。ていうか、子宮が大きくなることによる影響だけではなく、ホルモンによって便秘になることに驚いた。
(この増田、平常時にホルモンバランスの偏りによるトラブルが少なかったのかって思われるかもしれませんが)
しかし、栄養取らなきゃいけないのに胃腸が弱るの設計ミスじゃない?
妊娠したら頻尿になる、というのは誰かの体験談で聞いたことがあり、摂取水分量の増加や膀胱が圧迫されることによるものかぁなるほど〜と思ってたけど、それが尿漏れにも繋がるとは………。
精神的にきっつーってなったのは、つわりでげえげえいってる時にぴゅって尿漏れすること。
嘔吐した口をゆすいだ後にパンツ洗ってんのがなかなか悲しかった。
つわりは、空嘔吐や酷いゲップが大半だったのは幸いだったな〜と思ったけど、冷静に考えて吐瀉物もなければ胃液すらも出ないのに嘔吐するって何?????
週数が進むごとにまた知らない不調に出くわすんだろうな〜。健康体なのに体調不良って全くなんなんでしょうね。
最近では時々ズキっと脇腹に痛みが走るので、胎内で何か悪いことが起こってるんじゃないかと心配してたら、胎児の蹴りによるものだとわかり安心したばかり。(エコー中にジタバタ動いて蹴りが入ったまさにその時に痛みが走って判明)
不調がむしろ健康の証だったりする場合もあるっていうのもなんだかな〜
という感じで、体の不調に振り回されながらも、齢30半ば、なかなか生活に変化が起こらなくなったワーホリ増田にとっては、つらいものはつらいと愚痴りつつも、新鮮な驚きをもって初めての妊娠をそれなりに楽しんで日々過ごしております。
諸先輩方の「あともうひとつ」のマイナートラブルを教えていただけると、「進研ゼミでやったやつ!」となれる楽しみが生まれるので、ぜひ教えていただけると幸いです。
無事生まれておくれ〜。
日本ではなかなか見られない、本質をついているまともな意見ばかりで参考になる。
共同親権を先に導入してきた彼らを見習って日本も後に続いていこう!
/r/japan/comments/1c591sx/japan_lower_house_oks_bill_to_allow_joint_custody/
C0rvette
これは非常に嬉しいことだが、私はインスタグラムのコメントで、それに反対する日本人女性たちと命がけで戦っていた。男には何の権利もないし、子供を育てる能力もない、というのが定説になっているので、とても憂慮しています。
Previous_Refuse8139
C0rvette
そのほとんどは、暴言と身体的虐待に関する同じような投げやりなコメントが中心だった。
私は、裁判所はそれを考慮するだろうし、虐待する女性もいろいろなタイプがいる、と反論した。
さらに、その人が良い親であれば、とにかく離婚はしないというキックバックもあった。
すべてのナンセンス
Tsukiyo_Hitori
CDPが家庭内虐待を懸念して法案に規定を設けた後も、彼らは法案に大反対し、ツイッターなどのSNSで大騒ぎしていた。その時点では、子どものことではなく、男性に対するある種の「仕返し」が目的だったのだ。日本に蔓延している社会問題やジェンダー問題(特に女性)は理解しているが、このような話題は取り上げるべきものではなかった。
C0rvette
MktoJapan
C0rvette
EvenElk4437
tokyoevenings
なぜ反対なのか?
EvenElk4437
単純な党派性。これもあると思う。今、自民党の支持率が下がっているので、ここで大きなムーブメントを起こしたいという思いがある。
少し前までは多くの人が賛成していたが、今は反対する左翼が多い。
liatris4405
というのも、男女の性役割分担について、日本と海外では認識のギャップがあるからだ。海外の人は、日本は男尊女卑の国だと認識していますが、実際は男女の性的役割分担が非常に強い国だというのが正しい認識だと思います。性役割分担が強いと聞くと、外国の人は「女性は家庭に閉じこもってお金がない」と認識する。しかし、実際はそうではない。
日本の女性は社会生活において一定の権力を有している。その一例が、この親権に関するものだ。日本では、母親は子供に対して非常に強い親権を持っているが、男性は基本的にそのような権限を持っていない。そのため、女性が夫を気に入らない場合、子供を連れ去り(実質的には誘拐)、自分が親権を得ることができる。これは、たとえ子どもを連れ去られたとしても、母親が親権を得る確率が非常に高いからである。
その結果、日本人女性が外国人男性と結婚して子供をもうけた場合、その外国人男性と不和になれば、子供を引き取るという選択をする可能性がある。男性が外国人女性と結婚して子供を連れ去ることはあり得るが、これは非常にまれなケースである。
日本のフェミニズムは、このような女性の強い力を維持するために、さまざまな場で活動している。政治の場でもマスメディアでも活躍している。そしてフェミニズムは左翼政党と強く結託している。典型的な例は、日本キリスト教婦人矯風会(https://kyofukai.jp/)という組織で、日本共産党と強い結びつきがある。
その結果、左翼(あるいはフェミニスト)の日本人は、母親である日本人女性の権力維持に寄与しない政治活動に反対したり、あまり支持しなかったりする。
Elvaanaomori
最近、妻とその話をしているんだ。ここ3~4週間、彼女はインスタグラムやツイッターでアンチグループに溢れかえっている。
「共同親権から子供たちを守ろう」と、他国ではどうなのかというフェイクニュースを流す母親たち。
「フランスでは13歳の少女が父親から性的虐待を受けている blablabla」とんでもない、こんなことが起こるはずがない。
子供たちが両方の両親と良好な関係を持つことを妨げてはいけない。もし夫婦を保てないのであれば、それは子供たちではなくあなたの責任だ。
MyStateIsHotShit
夫が酔いつぶれるまで待ち、DVを警察に通報し、離婚を申請し、(大半の場合)子どもを手元に残すことができる。
父親は養育費の支払いに追われ、うつ病になり(文字通り、腹黒女に子供を引き離されたのだから)、悲しみに暮れる。
そして、男性にとっての純粋な悲しみは、弁護士軍団を雇い、私立探偵を雇って合法的に元彼をストーキングし、何百万ドルもの資金を投じて数年にわたる訴訟を闘わせ、子どもを引き留めることができる超富裕層によってしか防げないということだけは、もっと笑止千万である。
さらに悪いことに、男性が子供を手元に残すための他の農民レベルの富を得る方法は、元妻が臨床的に精神異常で動揺しており、裁判官が親権を与えてくれるよう祈ることだ。
ReindeerPlayful8797
興味深いことに、日本のフェミニストたちは、妻が家にいて夫が外で働くという日本の伝統に由来する考えにもかかわらず、単独親権は「女性の権利」の一部だと信じている。また、女性の権利という点では欧米が進んでいると漠然と信じているため、欧米人の(白人)ボーイフレンドや夫には、欧米から見れば超保守的な「フェミニスト」的態度をさらに示す傾向がある。外人の夫が一人で稼いだ家計をすべて管理しようとするのは典型的な例だ。
Just_Cruising_1
待てよ。日本人男性は以前、自分の子供の親権を持てなかったのか?なんてことだ。不公平だ。法律が変わるのは素晴らしいことだ。
そりゃあ驚くよね!
いまさらやっと導入して、しかもそれに反対してる勢力がいるんだって?
法律が変わるのは素晴らしいことだ!!
子どもたちと接する機会があり、一緒に絵を描いていたらその親?に言われた。
子どもたち「絵、うま!どうして?」
親「ないないw最初から上手いから描き続けるんだよwいいな~ずるいよねw」
子どもの前で何をいってんだこいつ…と思いながらその場は適当にあしらった。
こいつに初めて描いた絵を見せたいもんだ。
ただのぐちゃぐちゃの線だぞ。
最近はオタク文化が根付いたのか絵描く子多いから今の子の方が上手いだろ。(おそらく)
というか「ずるいよねw」ってなんだ…。ずる…?
ふと絵描き人生でも振り返るかと思い、吐き出しがてらここに投げることにした。
*
初めて絵を描いたのは覚えていない。物心ついたときから暇だったら絵を描いていた気がする。
想像が目に見えるという楽しさで描いていた気がする。
しかし当時は
みたいな時代だった。それか自分の学校の治安が悪かったのかもしれん。
「うえ~wこいつ絵なんて描いてるぜ~wキッショ!」
である。
移動教室でちょっと自分の席を離れていたら、しまっていた自由帳を黒板に張り出されているし。
色鉛筆や道具箱消えているし。
女キャラを描いていたら
「おっぱい描いてるwきっも~~~www」
だ。
しばらくして図工教室に籠もるようになった。
担任も「絵なんて描いてないで外で遊ぼう!」しか言わんかったし。
その中でも絵を描く同士で集まって、出始めたころの初音ミクの衣装を考えてみたり、好みのイラスト本を共有し合っていたりした。奪われて晒されて怒られたこともあったけど。
同士がいることは本当に心強かったな。
絵がとんでもなく上手い奴がいたのだ。
マジで上手い。
な…なんだ…これ…背景?!…ぽ、ポージング?!横顔?!うま?!なんで?!
自分の絵なんて赤子どころではない。猿がかいた…いや猿の方がもっと上手い。
下手すぎる。なんだよ横顔をかけないからって逃げるなんて。
しかも鈴木は堂々と絵を描いていた。小学校時代に怯えながら描いていた自分とは違う。
「増田、どうしてそんなキャラをたくさん生み出せるの?!え、漫画も描いてる?!すごい!」
いいやつすぎる…なんだこいつ…。
私立だったからしらんけど、絵描きをいじめるやつはいなかった。
そして鈴木を中心にどんどん上手い奴が集まってくる。
「うまくならなきゃ!!!みんなに失礼のないように!」
鈴木がコミケに遊びに行こうと誘ってくれて、デジタルというのを知り親に頼んでみる。
「パソコンで絵が描けるみたいだけど、何か知ってる?」と父親に相談した。
父親は電化製品が大好きで、PCを自作するタイプの人間だった。
父親はペンタブという存在を知っていた。イラストソフトっていうのも知っていた。
「一緒に買いに行こう」と初めて秋葉原に遊びに行った。
すげぇ…あんなに迫害されていたオタクという文化が街に存在している…。
逆に渋くてかっこいいのもある!
ペンタブというものがあり、デジタルだとあんな絵が描けるというのも知った。
レイヤー?バケツ?解像度?ペンの種類多すぎじゃね?色どうやって作るの?絵の具とは違う?
でも毎日触っていた。機能がわからなくてもペンを動かすのは同じだったから。
このくらいからまわりが「アニメ絵やポップな絵が欲しいなら増田に頼む」という認識になった。
鈴木が「めっちゃ絵上手になれた。増田のおかげ」と言ってくれたこともあった。
自分にとって、鈴木は目指すところだし、憧れて悔しいところもいっぱいある。
でも一緒に上手くなっていくのが楽しかった。ライバルってこんな感じかもしれん。
鈴木にもようやく追いつけたぞ!と思った。
Twitterが盛り上がり時期で、このあたりでネットにも投稿し始めた。
ネット上にはもっともっと上手い人がいる。激うま。みんなプロじゃないのか?
でも自分の中では「自分はまだ高校だし」と思って、いつも通り適当に絵を描いていた。
大学受験が疎かになってペンタブを没収されるくらいに絵を描いていた。勉強しろって話だ。
変わらず授業中に絵は描くし、風邪ひいていても絵が描きたくて起きたり、兎にも角にも絵が描きたい!!!!!!!!!!という中高時代だった。
そう、これがやばい。
第二の衝撃。
みんな………………絵が………………うますぎる。
え?みんな先月まで高校生だよね?
え?え?
鈴木の絵は上手いと思っていた。まじでリアルの周りで頂点だと思っていた。全然だった。
鈴木の5000000000000000倍上手い奴らしかいない。(鈴木も十分上手い)
(ネット上だとプロとかもいるしと、なぜかフィルターをかけて「しょうがないよね」ってなってた。たぶんネットだから実感がなかったんだと思う)
比較して鈴木が下手の分類になると、必然的に追いつけたくらいの自分はもっと下手になる。
改めて自分の絵を見る。
へっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっただな!!!!!!!
クソみたいに下手な絵だな?!?!?!これで投稿していたんか!!!
みんななんで上手いんだ?!デッサンしたほうが良いのか?!
でも、デッサンをやっていない人ばかりだし、それでも絵が上手いってなんでだ?!
息をするように神うま激うま絵が出てくる!!
困惑しつつも、成人して鈴木と一緒にコミティアに出た。イラストと漫画。
計5部くらい売れた。終わり。
ようやく現実を突きつけられた。
「自分はうまくないんだ…」
鈴木は楽しそうだった。上手い・下手だけで生きていない聖人だったから。
「もっとうまくなりたい」とぼやいたら「向上心の塊か?なろう!もっと高みに行こう!」と言ってくれた。
何をすれば絵がうまくなるんだろうと悩んだ。
ペンを動かしても「違うよな…」となった。
塗り方を変えてみたりした。
たくさんのメイキングを見たり、ペンには何があるか、生物の構造は何があるかちゃんと勉強した。
なんとなく模写していたら上手くなっていたし、ちょっと意識すれば上手くなったからだ。
でも限界があった。
嘘みたいに絵を描く気力が落ちていった。
だって自分より上手い人なんてごまんといる。比べ始めてしまった。
絵を描いて…何がしたいんだろう。仕事にしたいわけじゃない。
どんなにインプットしても思い通りに描けない。アウトプットがうまくいかない。
授業中に絵を描くのは大学生になっても続いていたが、なんか満たされない。
片道2時間半の通学も車窓の景色を見つめてぼーっとしてしまう。
周りの真似や、メイキングをあさっても、なんかピンとこない。
「十分上手い」と言われても自分では納得できなかった。
つか、上手いってなんだ?何をもって上手いなんだ?
人体通りに描けていれば上手いのか?
でもそうじゃない人もいる。
崩しが上手い人、デフォルメが上手い人、モンスターが上手い人…。
ここで初めて「絵が上手い≠綺麗に人体が描ける」と思った。
絵が上手くなりたい。でも明確なゴールって?
鈴木を超えたら終わり?
楽しければいいと思っていたが、うまくなればもっともっと楽しい。
でも上手いってなんだろう?
『芸術は人の感情を動かすことができる。自己完結ではなく、第三者に影響を及ぼせる。
技術も科学も芸術も一人で終わってはいけない。第三者に影響させてこそ輝く。
社会貢献という形で自己の確立にもなるんだ。すでに君たちは与える側に立っているんだ』
その世界が伝わるから絵を見ることは楽しいし、すごいってなる。感動する。
絵を描き続けるだけが楽しいと思っていたが、元はそうじゃないって気が付いた。
想像を形にして、自分にそれが伝わるから楽しい。絵で感動しているからだ。
なら第三者に伝えられることができればもっと楽しいのでは?!感動させたら?!
せっかく芸術系の大学に入れたんだ!しかも他の学科も受けれる大学だ!
他のジャンルの授業を受けてもっともっといろんなものを見よう!
そこから自分が手にしたい絵柄、表現にたどり着こう!第三者に伝えられるように!
それでこそ自分の想像が完成する!自分の勘違いで終わらせない!
という結論になった。
流行りやあこがれで選んでいた絵柄は自分では表現しきれないと諦め、アニメ・ギャル塗りを極めようと絞った。
そして、好きなものは何だろう。自分が良く描くものは?と徹底的に自分が100%実力が出せるように調べた。
大変だった。
初めて絵を描いて「違う!!」「こんなの下手すぎる」となった。
漫画を描いてもストーリーはまた別の技術。これまた自己嫌悪になった。
何を描いても必ず楽しいにはならなかった。
「ゴミみたいな作品生みやがって…」と自分にキれることも増えた。
何作も描き終えては「ゴミだな…」となり、試しに小説を書いたりもした。
「くそみたいな話だな…微塵も面白くねぇ…」と二度と読み返さないのも増えた。
ふと、気が付いたらなんか想像していた通りの絵が描けた。
急にだった。どうした?
徐々に上手くなったのかもしれないが、突然意識して「あれ?上手くね?」となった。
無我夢中だったのか?
SNSでも反応が増え始めた。
完売した。50部
え…?
え……?
た、たどり着いたってこと?!
人生で積み重なって山になった自信がようやく噴火した瞬間だった。
つか作るのたのしぃ~~~!!
思った通りに!意のままに!絵が描ける!描けている!自分の勘違いじゃない!
賞をいただけて、意図が伝わっている!
伝わっているってこんなにも楽しいなんて!
20何年。ようやく堂々と絵が上手いと言え、それにうなずいてくれる第三者がいる。
なんとなく絵が上手いよねくらいじゃない、絵が上手い人にへと!
*
「「ずるい」は、自分に有利にするために、汚い手を使ったり、ごまかしたり、だましたりするさま。」ってgoo辞書にある。
どう見たってずるじゃねぇだろうがい!!!と叫びつつ、これをどうにか圧縮して投げつけたい。
「絵が上手いね。どうして?」と言われたら
「ずっと描いていたからね」と回答する。
とりあえずの最適解なんだよな。
でも、これを3年くらいでやってのける人間もいるしな~。世界は広いよな。
自分の絵は上手いと思うが、でもやっぱり去年の絵をみて「まだまだ」と思う。
だからおおっぴらに自慢できないけどさ、ここに残しておいてもいいよな。
AI絵とかできて自分の絵は不必要になるかもだが、それでも描いていたい。楽しいんだもん。
ちょっとでも誰かがすごいって感情が動いて、感動してくれれば、自分がこの現実に生きているって思えて嬉しい。
考えればこの親もずるいっていう感情が生まれている。嬉しいことかもしれない。
<余談>
鈴木のことは超えられない。というか超えるっていうの止めた。
鈴木も当然とんでもなく絵が上手くなっていて、すごいことになっている。
絵のジャンルは違うけど、いまだに嫉妬しつつ憧れているし、お互いの絵を褒め合って羨ましがって「いいだろ~」「お前上手いな!」と言い合っている。
先日こんなものを見た。
『https://twitter.com/kanare_t/status/1775778556557316153』
瞬間的に腹と頭の中に濁ったものが湧いた。
見なければ良かったと思ったが見てしまったものはもう仕方ない。
出来るだけ早く忘れるか、と思ったが、しかしこれを見たことで“私はなにがどうして嫌いか”が明確なものとなったので、これもひとつの経験か……と思い、書き記すことにした。
私は自虐が嫌いだ。
今までも漠然と思ってきたことだが、それに明確な理由が見えた。
自虐とは他虐だということ。
「私はこういうところが変なんですおかしいんです」と自分を貶めているようでいて、発言者と同じ性質を持つ他者までも貶めることになっている。だから嫌いだ。
この発言者は「みんな」と呼び掛けている。「私と同じような性質を持つ者はおかしい」と不特定多数に周知している。これは他虐だと思った。
勿論これを見て気にならない人もいるだろう。この発言についた返信もいくつか見たが、概ね発言者に同意するものや、同じように自虐的なものが見られた。私にはそれもまた他虐の上塗りに見えた。返信していないだけで、静かに傷ついている人はいるかもしれない。
そしてもうひとつ。自虐は自分で自分に(そして自分と同様の性質を持つ人に)差別偏見の目を向けることでもある。だから嫌いだ。
この発言者は、自分の趣味嗜好を掲げてそれを異端視する言葉で表し、自らその趣味嗜好への異端視を促すような文を発信した。そのことに大きな不快感を感じた。
鍵アカでの内輪ノリなら良いかもしれないが、開かれたアカウントでこれを発信し、広く拡散されて様々な人の目に届き、「気づいた」人が、読書を楽しく思えなくなる可能性がゼロだとは言えない。
しかもこの発言者は小説家だ。読者がいるのだ。これはその読者たちも異端視し、「自分はおかしいのだ」という差別偏見を持たせてしまう可能性のある文だとも思え、不快感の一端になっている。
私自身は世間の読書率がどうであろうと構わないが、自分の職業にも関わる物事を取り上げて「こういうことが好きな人はおかしい」とわざわざ呼び掛けることがが何かにプラスに働くとは思えない。私がこの発言者の作品の読者だったらこの文に失望しただろう。
そもそも、対象が自分であろうと他人であろうと、何かしらの嗜好や特徴を取り上げて異常だ変人だなどと(褒め言葉として使っていたとしても)表すこと自体が嫌いだ。
それが犯罪や命に関わることでないなら、どんな性質だろうとなにを好んでいようと等しく普通の人間だ。私はそう思いたい。
これらのことを改めて考え、言語化するきっかけになったということでは、あの発信に出くわしたのもそれなりの価値があったのかもしれない。
彼とは一度も話をしたことがなく、風貌からして自分の父親と同じぐらいの年齢かもしれないなと漠然と考えていた。
しかし彼が仕事らしきものをしているところを一度も見たことはなく、そもそも誰かと話しているところさえない。
日がな一日、ただぼぉーっとあの席に座っているのみである。
たまにチラリと視線を送ると目が合うことがあり、そのときには妙に焦りすぐさま視線を逸らしたものだ。
うちの会社は大手ではないし、別段それほど儲かっているようにも思えない。
つまりお荷物社員をずっと置いておけるほど余裕があるようには感じられず、彼の存在は一種の謎であり、興味を惹かれるものの深入りする気にまではなれなかった。
そんな彼だが、今日は4月1日。といっても業務に変わるところはなく、ふと何気なく彼のことを見るとこそばゆそうにしており、くしゃみの前段階を匂わせるように顔をくしゃらせ僅かにのけ反った。
「ふぃくしょーん!!!」
面白い読み切りを見つけたいんだけど、読み切りって本当に一瞬だけ話題になってそのあとはもうずっと名前を聞かないってことが多いじゃん?
そのあとは作者が短編集出すときに収録作品リストで改めて話題になるぐらい。
俺はそういうった作品でまだ俺が読んでないのが多すぎて悔しんだよ。
年に1回ぐらい、その年に伸びた読み切りベスト100を決定するようなイベントがあってもいいと思うわけよ。
ぶっちゃけ、今ある漫画賞みたいなのってどれも「あーはいはい既に売れているよねー」ってのばっかじゃん?
単行本の売り上げランキングにソートかけて売れている順に選んでるんじゃねーかみたいな状態。
あれって漫画を日頃から読んでる人は知ってるようなのばっかだし、漫画をあんま読んでない人も書店に行けば漠然とみたことあるのばっかでさ、宣伝としてもあんまり意味がない気がするんだよ。
その点読み切りだったら、ネットで2週間ぐらいバズったらもうずっと下火になる所を、年に1度改めて引っ張り上げて総決算してみる意義はあるんじゃないかなと思ってね。
年に3つぐらいは「半年前に読んだあれ面白かったなー」みたいなのがあると思うんだよね。
まずは一次予選として各WEB漫画誌ごとにアクセス数上位20+編集者推薦枠5みたいな感じでエントリー選手を決めていって、そっからユーザーがバシバシ投票して最終的な結果を出してみるってのは面白いんじゃねーかなと。
選択的子無しなだけだよ
子供作るかどうかなんて夫婦の問題なのに旦那の方は完全スルーなのがいかにも
清野とおる: 若い頃は漠然と結婚したら、当たり前のように子どもを持って、それが自分の幸せにも親孝行にもなるんだろうなとは思ってはいたのですが、考えが変わったのはいつ頃だろうな。もし、今のこの日本の経済下や地球環境含めて、自分が生まれていきたいかと言われたら、僕は生まれたくないなと思うんですよね、いろんな意味で。そう思っている時点で、子どもを持つ資格はないと勝手に思っているので。しっかり子育てされている方々は立派だなと思います。僕なんて、親になる自信は微塵もないです。これに関しては結婚前から壇さんも僕と同意見でしたね。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1d9d94991e5ef851be4e858563b514d025861205?page=3
籍を入れる前に、清野さんは自分のことを「末代意識高い系だから(自分の代で終わってもいいじゃない、ということ)」と言いました。私もそうだと同意したのが、お互いに子供より2人で生きることを優先していこうという確認の表現でした。両家にも挨拶の時点で伝えましたよ。完全に理解していただけたかどうかは分かりませんが、「あなたたちが決めたなら」と言ってもらえました。
子供をもうけないことを伝えるのにも、勇気と気合が必要でした。何だかんだ言っても、孫の顔が見たいと言われる時代はまだ続きそうですから、流れに逆らうのは正直怖かったです。その代わり、私より年上の家族は必ず助け、看取る、先に逝くようなことはしない!と誓っています。母や父は少し安心してくれました。
2024年3月、某大学大学院の修士課程を修了した。2024年4月からは同大学院の博士課程に進学する。
さてここで、折角なので、ここまでの自分の人生を少しだけ振り返ってみようと思う。
俺は、地元の自称進学校の中学校を出て、地元の商業高校に進学した。そこに行った理由は、高校を卒業したらとにかく働きたかったから。
小学校高学年の頃から、家を出たくて仕方がなくて気が狂う寸前だった。そんなんだから生きることに意味なんか見出せなくて、「ちょろっと働いて小金を稼いで、趣味のサッカーをそれなりに楽しみ、さっさと人生畳んでしまおう」というのが中3で進学先を考えていた時の完璧な人生設計だった。
何故そんな設計かと言うと、毎日死にたくて堪らなかったから。今でも少し。本当に、死にたくて堪らなかった。生きてる意味がなかった。ほとんど毎日、親や学校の教員からは理不尽に責められ、侮辱され、殴られた。友人と思っていた人間からも屈辱を受けた。生きてる意味なんてなかった。あるのは親への明確な殺意だとか、大人や友人、社会への怒りだった。大好きなサッカーだけはその感覚を少し忘れさせてくれたけど、それが続くのは90分だけだった。
本当に、死にたくて堪らなかった。今でも少し。生きてる意味なんてなかった。あるのは親への明確な殺意だとか、大人や社会への怒りだった。それは今でも変わらないし、たまに自分の内側から顔を覗かせる。何かがずれていたら新聞の一面を鮮やかに掻っ攫っていただろう。
だから、家を出たかった。サバイブするために絶対に抜け出さなきゃいけなかった。そのために、働いて家を抜け出して1人で生きる金を稼ぐために商業高校に通った。そこなら、高卒で働くのに有利だってって聞いていたから。3年耐えれば良いんだって、少し希望が見えた気がした。
20代後半まで生きてるつもりは想定してなかったし、できなかった。やりたいことなんてあるわけがないから、どうやって生きていけばいいのか、ほとんど分からなかった。
大学進学なんて微塵も興味がなくて自分には関係のない、想像もつかない世界の話だと思っていた。現在通っている大学院が旧帝大と称され、世界で有数の教育・研究機関だなんてマジで知らなかった。
仰々しいかもしれないけど、もう本当に、とにかく目の前の一日を誰にも脅かされずに、心穏やかに慎ましく生きるために必死だった。そんな一日だけが欲しかった。その一日を安定して手に入れて、噛み締めるためには最低限の金が必要だった。
運が良いことに、その高校は自分に合ってて、自分を受け入れてくれる最高に面白い友人達にも恵まれた。バイトもして、稼いだお金は家の外で過ごす時間に充てた。そのおかげで家にいる時間も少しずつ減らすことができるようになってきていた。
さて、こうなると「意外と楽しくなってきたし、もう少し長く人生やろうか」なんて考えそうだが、それでも当初のプランに変更はなかった。心の渇きは潤わず、やり場のない怒りが消えるわけもなく、遅くても30歳で終了だと漠然と考えながら日々の空虚感を味わっていた。
3年間耐えれば全ての苦しみから解放されるはずだと、そんな未来を祈りながら高校時代の生活をサバイブしていた。高校はマジで毎日が楽しくて仕方がなくて、今更すぎるけど本当に関係者に超感謝してる。
そしてどうしてか、家を出て関東の大学に4年間通うことになり、入ったゼミで最高の恩師と先輩・友人・後輩に出会ってしまった。
毎日が楽しくて仕方なくて、自分の居場所が少し見つかってしまった。自分が役立てる瞬間だとか、できることに気がつく瞬間にどんどん遭遇してしまった。ここでも人間に恵まれてしまい、人生を取り戻したいモードに心が傾いてしまった。大学時代の出会いは、本当に、人生が変わってしまうほどのものだった。感謝してもしきれない。
本当に、大学生の時は明日が来るのが全く怖くなかった。何なら楽しみで仕方がなかった。高校生までは、あんなに嫌で堪らなかったのに。眠っている時間と学校にいる時間のみが心の安寧が保たれる時間であることに心底腹が立ちながら、勘弁してくれよって思いながら、そのまま一生起き上がらないことを祈りながら床についてたのに。
働いてさっさと死ぬつもりが、気がついたら大学院まで行き、修士を修めていた。今は博士になろうとしている。こんな人間が大学院に進学しているなんて、人生はわからない。本当に運が良くて、人に恵まれたと思う。
といった感じで、俺はこんな人生を送ってきた。
俺について、周りの友人からは「よく分からない人間だ」と言われることが多い。
自分のことを基本的に話さないから当然だ。こんなことは話せないし、話すのが怖くて堪らない。話したところで何かが変わるわけでもないし誰も助けてくれないから、自分で解決しなきゃいけないことだから、話す必要がないと思っていた。話してはいけないとも思っていた。それに、それでここまで上手く立ち回ってこれた。
けど、人に自分のことを話せないって超辛いんだなって最近理解できた。
俺は、自分のことを誰かに理解してほしかった。「君は悪くない」と誰かに言ってほしかった。
そんなことは人に伝えられないから、自分はタフで強いんだと言い聞かせて、そうあらねばならないと思っていた。自分1人で生きていけるように振る舞い、悩みを隠してなるべく人に頼らず生きていた。そのせいで「悩みがなさそう」とよく言われる。そんなことはない。
大学院まで進学して、完璧に強い奴はどこにもいないんだと気づいた。周りにその強さを求めていたけど、そんなの無理なんだって気がついた。自分が一番苦しい思いをしているって驕りがどこかにあった。そんなことなくて、何かしらの傷を皆が抱えていて、それでも必死に生きているんだと気がついた。反省した。そう思うと同時に、少し心が軽くなった。
今、少しずつ自分を大事にして、心が充電されてきている。ようやく失った人生を取り戻せるところに来ている気がする。
博士課程に進学が決まり、少なくともあと3年間は生きてることが確定した。残りの人生設計はこれから考える。それくらいがちょうどいい。多くは望まないから、俺はそれで良いんだ。
マッチングアプリで知り合った人と付き合って、なにかしら問題を感じる→話し合えない→破綻、というパターンが続いている。
私としては「問題があるなら話し合おう。自分から見えているもの、感じていること、どうしたいか/してほしいかの希望を出し合って、お互いに良いと思えるところを探そう。トライしてどうしても妥協できなければ別れを選択肢に入れよう」という感覚で、「長い付き合いでは問題も必ず起きるのだから、話し合いは避けて通れない」という考え。
相手は「問題を感じたら自分の中で消化する。相手には伝えない。我慢しきれなくなったら別れる」というようなポリシーに見える。説明してはもらえないので、正確なところはわからないのだけど。
なぜなのか、わかる人がいたら教えてほしい。
以下は私に思いつく仮説と、観察結果:
=楽しいことだけ共有したい。話合いのような面倒くさいことをするくらいなら独り身のほうがマシ?
→少なくとも口では「人生のパートナーを求めている」と言うし、一緒に暮らすことを提案してくれたり、実際に同棲したりしている。元彼のうち一人は話合いを避けるがあまり適応障害でメンタルクリニックに通うに至り、そこまで追い詰めてしまった申し訳なさと共に「そうなる前になんで言ってくれなかったの…?」という困惑がすごい。もう全然気軽じゃない。
=私が感情的だったり責める口調だったりして、話す気になれない?
→反省する点はたくさんあり、謝ったこともある。ただ、言い方については常に考えていて、「長く一緒にいるために話合いがしたい。自分が正しいと思っているわけではなくて、自分なりに考えて思っていることがあるから聞いてほしいし、あなたの見方を教えてほしい」というような言い方をしても話合いにならない。「わからない」のような返答だったり、関係ない方向へ話が逸れていったり。
=自分の考えをうまく言葉にできず、その間にこちらが話過ぎてしまってさらに混乱させている?
→これは大きいのだと思う。「紙に書きだそう」「時間が必要なら言ってくれれば待つよ」「文章でやり取りしよう」「伝わっていないなら私の言い方が悪いのだと思う。わからないならわからないと言って質問してほしい」など提案してみたけどうまくいかなかった。そういえば質問しないし意見を言わない人って会社とかでもいる…
けど、彼らの能力の問題と見做すには時期尚早?頭のいい人たちだと思うし、それは学歴や職歴に表れている。恋愛や人生のような漠然としたものについて話すのは勉強や仕事について話すのとは違う?
→説明してよー!と思ってしまうのが私の限界で、なにかあるのかな。説明してさえくれれば真剣に検討するし実践もしてみたいと思ってるんだよ…
誰か教えてください。
増田もそうなんだけど、ブクマカってマジになることがないからね
ガチのマジでやってコケた時のことが怖いから、浅瀬でピチピチチャパチャパやって遊んでるだけ
ブコメでイキリ正義カマシてる右左も同様。別にガチじゃないので突っ込まれると逸らして逃げる
診断に行ったけどADHDじゃないって言われて惨めな気になって終わった話。まぁでも学ぶこともあったので、同じような気持ちの誰かの参考になるかもと思ったので書き留めておく。
仕事が何も上手くいかなくて落ち込んで、もしかしたら自分は軽度のADHDなんじゃないだろうかと思った。なので、とにかく一番近い病院を予約した。
診断でADHDじゃないと言われるのは怖さもあった。けど毎日苦しすぎてとにかく誰かに助けを求めたかった。例え結果がADHDではないと言われたとしても、鬱屈した気持ちを抱えたままよりかは、専門家に何かしら助けを求めた方が良いと思った。
一応ネットでその病院がADHD相談を受け付けているかどうかは確認していたが、検査まではやっていなかった。
予約した時点で聞いておけば良かった。完全に自分が悪いのだが、惨めな気持ちになって自己嫌悪が深まった。
検査はできないが話は聞いてくれるようなので、診察は受けることにした。
最初にこんなことを聞かれてたので、仕事でミスをしていたことと、今は出社できていることを伝えた。
素直な気持ちを言うとショックだった。全然深く聞いてくれないうちから言われても、お前に何がわかるんだと言い出したくなる気持ちだった。
先生としては問題なく出社できていることと、席を立ったりせずこうして診察を受けれていることからADHDではないと判断したみたいだった。
その後、軽い質問があったが「仕事に慣れなくて疲れが溜まってるんでしょ?」「出社できてるなら大丈夫だから」と言われた。自分の欲しい答えがもらえなかった自分は、もう先生の言葉を素直に聞けなかった。
自分の状態を決めつけのように話されているようにしか感じなくてその場で泣いた。泣きながら早く帰りたいと思った。
なんでもいいから早く終わってほしくて、全部「そうですね、そうだと思います」で返した。もう悩みを話す気になんてなれなかった。
診察時間は10分かそれに満たないぐらいだったと思う。会計で2000円ほど払った。
別にADHDじゃなくても良かった。それきっかけでなにか相談のとっかかりになればいいと思っていたが、結果は何もなかった。
非常に惨めでしにたくなったが、今冷静な頭で振り返るとまぁ学びはあった。
・まず診断を受けたいと思ったらちゃんと予約時点で診断をやっているかどうかを聞くこと
・おそらく診断を受けた方がよい人というのは、薬の力を借りないと日常生活が難しい人のこと。
→精神科と心療内科とカウンセリングで何やら色々違うらしいと後から知った。病気に対する治療が必要なら診断を受けた方がいい。
逆に私は会社に出社するという日常生活はできているので、治療よりも誰かに悩みを聞いてもらうカウンセリングというものの方が必要だったのかもしれないと自己分析した。
何もかも嫌でとにかく楽になりたくて病院に行ったが、診断書を貰う目的を何も考えていなかった。
私は日常生活をなんとか送れているので、相談できる人が欲しいと思っても、診断書が必要なサービス(障害者雇用とか薬とか)を受ける必要はない。ここに気付けたのは良かった。
なので、セカンドオピニオンは受けなくてもいいかなと思っている。次は診断ではなく、どこかのカウンセリングを受けたいと思っている。
もし自分はADHDかもしれないと思っている人がいれば自分は診断書が必要かどうかを一度考えてみるのも手かも知れない。思いつきで診断に行ったって惨めな気持ちになって終わるだけだから。
【追記】
勢いのまま書いた文章に反応ありがとう。思ってたよりも人に見てもらえてびっくりしている。
いろんなコメントを貰って自分の中の視野が広がったので本当にありがたい。
最後は尻切れトンボのように雑に終わらせてしまったのでちょっとした補足と、貰ったコメントへの返信をしたいと思う。
→これは本当に心を救われた。大人のADHDに対する理解は想定してたよりも世間で進んでなくて、みんな通る道っぽい。そんなもんなんだと苦しさが小さくなった。ありがとう。
ちゃんとした知能検査を受けてADHDではなかったとしても自分の特徴を知って対策を練れるのはいいなと思ったので、めげずに検査できる場所を探すのもありかも知れないなと思った。
→個人的な感情を正直に言えば碌に話を聞いてくれなくてむかついたのだが、医者としての判断は正しかったんだろうなとは思う。
働けてるのに「病人」になって働けなくなったら元も子もない。薬についてはまったく詳しくないが、副作用の話などもよく聞くのでそれで出社できなくなるのは確かに嫌だ。医者が患者を増やしてどうする的な。
それはそれとしてヤブというコメントを見て感情は幾分かスッキリした。先生すまんね。
→これは本当にそう。今考えると冷静じゃなかった。
仕事で滅入ってる時にたまたまADHDの話を見て、もしかしたらこの辛さはADHDだからなんじゃないか?そうに違いない!という思い込みというか、縋るような気持ちで検査を受けてみたいという発想に至った。
(ネット上にいっぱいあるセルフ診断を受けて可能性があるという結果だったのも一因)
後、これは完全に自分の甘っちょろい考えなんだけど、例えADHDじゃないと言われても「ADHDな気がするんです」→「結果は違いますね。ですが、増田さんに困り事はあるのは事実なので、別の方向で一緒に考えていきましょうか」みたいな流れでなんとかしてくれないかなと思ってた。漠然となんとかなりたいって気持ちだけで持っていって後は丸投げなんだから嫌な患者すぎる。
→これは今回受診して初めて気付けたことだった。医者はあくまで薬という手段で治療を手伝ってくれる相手であって慰めてくれる相手ではない。慰めや相談が欲しいならまずカウンセリングなどを受けるべきだったと思う。
今後大事にしたい考えとしては「目的を持って受診をしろ」ということだ。
本文にも最後に書いたが、この目的意識に関する話をコメントでも多く貰った。
漠然となんとかしてくれるなんて気持ちで受診するのはよくない。
(これは自戒なので否定的に書いたが、助かりたいと漠然とした気持ちでも誰かに相談するのも悪いことではない。しぬよりはマシだし、相談する一歩を踏み出せるのは偉いと思う)
どこかの本でも書いてあったが、診断をもらったとしてもそこがスタートであってゴールではない。診断書を貰って障害者雇用に回ったりだとか、薬を飲んで社会生活に戻りたいだとか、そういう具体的な未来像がないといけない。手段と目的をすり替えていた。
改めて今後の自分としては、カウンセリングでまず自分が何に悩んでるのかを具体化して、その悩みが努力だけでは解決できにくいようであれば、セカンドオピニオンに行ってみようと思う。
発達障害のコミュニティなどがあることもコメントで教えてもらえたので、そういった場にいくのもあり。
自分と同じように「ではない」判定を貰ってる人も沢山いるだろうから、この話がなんらかの手掛かりになれば嬉しい。厳しい道だけどお互いになんとかなろう。
ちなみに川で泣くの割と良かった。家だと布団に引っ込んで出勤までの時間があっという間だが、外だと時間がゆっくりでいい感じ。外出るの大事信者の言い分が分かったわ。
「増田!お前それはADHDだよ!」と同意を貰いたい訳ではなかったので省いていたが、自分がかも知れないなと思った要因を書いておく。似てる人はあるある〜ぐらいにでも思ってくれ。多分不注意が強いタイプ。
・締め切りがあるものをギリギリまでやらない。夏休みの宿題は最後まで忘れましたで通した
・「次は〇〇の作業をするぞ」→PCのフォルダ開く→「何しようとしてた...?」(しばらく考えたら思い出せる)
・上司から指示を受けている途中、後ろで誰かが話しているとそっちの会話を拾って上司の声を拾えなくなる
・議事録の作成で何度も見返すのだが、上司チェックを通すと誤字が見つかる(しかも直した筈の箇所が直ってなくてアレ?になることもある)
・人の前では多動っぽい症状はでないが(親に昔怒られたので)、一人の時はつま先を揺らしたり手首揺らしたりなんらか動いてる。人前でも感情が昂ると揺らしてしまう。
・優先順位がつけられない。新しく仕事を頼まれるとそれに集中して、それまでやってた仕事を忘れる。(備品整理してる途中に別の仕事任されたんだけど、床に備品出しっぱにしてて怒られた)
・自分はADHDだ!と思ったら、その日の退勤後に即病院に足を運ぶ。ワンチャン予約なしで見てもらえないかなと思った。そんな訳ない。(思いつきと衝動)
他にもあるけど大体こんな感じ。
基本的に自分はやらかすと思っているので、その前提で動くことでなんとかギリギリクビになるような大ポカはやらさずにすんでいる。
部屋出る前に部屋を一望する(物を出しっぱにしてないか)、帰る前にポケットに手を突っ込む(会社の物を持ち出してないか)とか。
そんな感じでなんとかやってたんだけど、ここ最近は特に上手くいかないことが多くて悩み、一番上に戻るという感じ。
構ってもらえたのが嬉しくて長々と書いてしまった。
見てくれてありがとう。
【最後の補足】
このまま締めようと思ったんだけど、書き方が悪かったのでこれだけ補足しておく。
今は自分がADHDであるかどうかということは考えていない。一旦棚上げしてる。
ADHDじゃなくて鬱とか他の症状なのかもしれないし、普通に仕事がキャパオーバーで落ち込んでるだけかも知れない。
なんでこんなに辛いんだ?っていうのをカウンセラーと話して見つけてくるよ。
これに言及している料理人や専門家は皆無なのでここに記録しておく
「あぁそれね、俺は大昔から言うてたけどね」鼻ツーン
さて、本題、結論、「今や国産よりも外国産の方が安全です」ドーン
国産業者は抵抗キャンペーンを張り、輸入品はヤバいと宣伝し消費者に刷り込んだ
これが未だに生きている
古いんです、知識が古いんです
2023年東京オリンピック、選手村では選手たちに日々の食事が提供されるのだが
主催者のIOCはリスクのある食い物を世界トップアスリート達に提供できない
IOCは厳格なレギュレーションを要求しており、その一つがGlobal-GPA取得。必須事項。
世界の食品流通はこの認証を取得していなければ事実上国境を超えられない、スーパーには卸せない。日本を除いて。
日本はG-GAP取得率が極端に低いのでオリンピックに供給できなかった。
苦肉の案で、選手村の外に日本食レストランを作りIOC管轄外で選手の自己責任で食うてくださいという屈辱的な施設が作られた。
選手は選手村でしかメシを食えないわけではない、勝手に出歩いて自費でそこらでメシを食うても構わないのだ。そういう建前
日本のG-GAP取得農家は750経営体、ちなみに日本の全農業経営数は100万経営体
世界基準で言えば日本の農作物は、正当な認証下で生産されてない、安全性が担保されてない、得体のしれない食い物、です。
そんな認証なくても日本の農家は善人しかいないので問題ない、厚労省だか農林水産省がちゃんとやってるもん、日本は凄い国だもん
ふーん
日本は高温多湿で欧米とは主要作物が違う、散布方法も農薬の成分も違う、と言うのだが
確かにその通りで、日本よりも劣悪な高温多湿の国でも日本よりも使用量は少ない国は多い
水田の米と乾田の小麦では流出する農薬の量が違うため多めに散布しなきゃならないというが
タイは日本よりも高温多湿は酷い、稲作をやっているが、農薬は日本の100分の1
使用成分に関しても欧米では早々に使用を禁止制限されたグリホサート、ネオニコチノイドなど日本では規制どころかむしろ緩和をした。
2015年、この時期欧米で規制が始まったにもかかわらず日本は
クロチアニジンとアセタミプリド、チアメトキサムの残留基準値を緩和、フルピラジフロンを追加承認している。
欧米でまったく使えないわけではないが残留基準値は厳しかったり、成分規制があったり(クロチアニジンはほぼ使えない)、使用用途も葉物ではなく果樹、穀類に制限されていたり、散布方法も制限されている。
ドローンを使った空中散布の希釈倍数なども年々緩くなっている、農家からの要望があれば議員はすぐに動く。
年々検査を減らしてる、そもそも日本の農水省は検査の意味を履き違えてる
「長年検査しているが検出限界以下が続いているのでこの成分検査辞めます」
おーい
あ ほ で す か?
日本のお百姓さんは善人しかいないので規制成分を勝手に使わない
検査されないからと言ってそれを使わない、そんな悪人いませんキリッ
こーゆー前提なの。ナメてる?
諸外国はどんどん検査項目を増やします、検査は抜き打ちランダムにやります。
海外は不正がバレたらG-GPA認証を取り消され事実上出荷不可能となるので詰みます。
農林水産省は「国内産農産物における農薬の使用状況及び残留状況調査の結果について」という調査を毎年行っている。
古いものは平成15年から令和最新まで開示されているので見比べて欲しい。
年々調査対象作物を減らしているのがわかる。
さらに詳しいデータもあるのだけど調査項目、成分も毎年減らしていってるんです。
ヨーロッパ30ha
アメリカ100ha超え
生産作物が違う?
日本、1ha
カリフォルニア、161ha
オーストラリア、51ha
行政が厳しく指導しようとしても議員に泣きつかれる、大票田なので議員も動く
経営単位が小さいので農業地域全体の面制御がしずらく農薬は過剰に使いがちになる
小さな単位で暖かく目配りの効いた丁寧な農業、みたいな漠然としたイメージもある。
その方が安全で安いんです。
2008年に発覚した中国製ギョーザ中毒事件、犯人は無期懲役を食らっている。
その他にも、特に国際問題になった信用毀損に関して中国共産党は厳しく短期間の裁判で判決を出し見せしめ的に死刑が執行されるケースもある
海外の農家はG-GAPで縛られているので不正は即認証取り消しで経営が詰む。
取り消しは容赦ないです。だから不正やらんです、検査も抜き打ちだからすぐにバレる
一方日本は、例えば熊本偽装アサリ事件、確かに健康被害は出ていないもののこの事件で訴追された人は一人もいない、軽い行政処分が出ただけ。
毎年なにかしら食品偽装、不正が起きるが逮捕、訴追されることは皆無。
魚沼産コシヒカリの流通量が生産量30倍と言われ続けているが、何十年も行政は放置したまま。認証制度や罰則が整備されてないのでやりたい放題。
ここまで書いてやっても、
国産は農薬とか少なめで善良なお百姓さんが心を込めて作っているので安全安心
味の素は毒
いいんだけどねw
自分は2年近く髪も切れておらず髪が胸の長さまで伸びて 無精髭も酷いほどの姿の引きこもりだが、6日ぶりにシャワーで髪や体を4時間近く洗って、17:45までに近場の接種予約した病院へ行ったら、受付の人から3回目の接種券が必要である事を知った。接種券も持って必要な持ち物は用意してきたはずなのに。
自分の持ってる接種券は1~3回分使える物であると自分はてっきり思い込んでいて、2回目分までである事に受付の人に指摘されて初めて気付いたのだった。
受付の人から「3回目の接種券は本来郵送されている」と言われたが 身に覚えがなく、今日までに家族からそれが届いていた事をについて何も言われなかったり目立つ所に置かれてなかった。(郵便受けを管理しているのは家族なので3回目の接種券が家への郵便物に混じっていたかどうかも自分は知らない。日常で喋らないし顔も合わせていないぐらい家族と自分は不仲であるし。)
それから、「一旦家に戻って接種券を探して来ます」とも受付の人に言えず、「待たせると迷惑になるだろう」とか世間体な漠然とした圧に負けて、なぜかもう折れて接種を諦めてしまって帰った。(その病院は18時半に閉店だったので諦めなかったらギリギリ接種できていた可能性はあった。しかし一時帰宅後に家のリビングで接種券を探すとなると家族から色々思われたくない事にも負けた。)
(話は変わるが 自分は10日前に、2回目までの接種券に載ってた予約番号で「3回目以降WEB予約のページ」でログインしていて接種予約してたが 今になって思えば本来は、3回目の接種券に載っている予約番号で「3回目以降WEB予約のページ」でログインできないとおかしくないか? と思ってしまった。ある意味バグじゃないだろうか?
もし2回目の予約番号で 3回目以降WEB予約のページをログインできなかったら、今日のようなヒューマンエラーに事前に気付く最後の砦だったのではないかと 今日の事のような失敗は防げたのではないかと 思ってしまった。はあ。)
ワクチン接種とかコロナウイルス感染とかどうでも良くなった。ましてや自分の人生も。
(ちなみに、最後に2回目を接種したのは2年前ぶり。高校中退からずっと10年以上ひきこもり。)
もう自分の予約番号と生年月日ここに晒そうかな。
ガットギターの独奏みたいなのとはまたちょっと違った、カッティングにチョロっとメロディを混ぜるようなカッコいい感じの即興演奏をやりたい。でもやり方がいまいち分からんかった。
仕方がないのでコードジャカ弾きばっかりしてたけど、最近になって適当にFフォームでカッティングしつつ、合間合間に人指し指そのままでそこ軸のペンタトニックを適当に弾けばかなりそれっぽいじゃん!と気が付いた。
これだけじゃまだまだ求めてたものには足りないし、未だにメジャーとマイナーとセブンスしか覚えてないからなんか小学校の音楽の授業みたいな感じの響きになっちゃう。それでもかなり感動的な発見だった。
漠然と仕入れていた知識が初めて繋がった感じがしてめっちゃ気持ち良かった。
まあ何億回目かの車輪の再発明なんだろうけど、おれは全く無駄だとは思わない。自分で辿り着くのと知識として仕入れるのじゃ納得感が違うし。
総資産のランキングの一位の最終学歴が高卒以下になって、大卒の総生産を高卒以下の総生産が上回るようになったら、学歴マウントもなくなりますかね?
障碍者を漠然と恐れるのは偏見だと思うけど、そういう態度を示す人は正確には男性というカテゴリを恐れて、そこに障碍という属性が乗ってくるだけなのだと思う。
それを「障碍者」というカテゴリにすり替えるのは卑怯な論法だよ。
犯罪を繰り返した58歳の知的障害者が「ぼく、やっぱり戻りたい」と語る支援施設 近隣は反対、行政は圧...
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nordot.app/1138361464045551660
親はいつまで仕事しているのか、いつまで生きているのかと漠然とした不安感を覚えて嫌になるな。実家暮らしで家賃と光熱費をありがたく浮かせてもらってるので。
でも片親がはやめに死んだこともあっていつまでも生きているとは限らないし、本当の別れは急なのである。
だから毎日死別の覚悟を薄っすらとしているのに行動に移せていない。いつまで仕事をつづけるのか、老後の生活は大丈夫なのか、終活をする気はないのか。そう問いたいけど、これは死んでほしいと言っているようで嫌になる。
そんなわけない。むしろ生きてほしい。
それはやはり家賃と光熱費が浮くという個人の利益は大きいけど、死んでほしいという気持ちはないから、生きてほしいという気持ちになるのか。
人間、いきなりの変化に弱いと思う。コロナ禍初期の東京はそうだった。パニックになって攻撃的だった。通勤電車でスーツ姿の男性がオフィスカジュアルの女性の足を蹴ったり、松屋で透明ビニールの存在を無視してカウンターの奥に顔をつっこんでツバを飛ばしながらスプーン! と叫んでいた爺さんがいた。
後者はもしかしたら普通だった世界でもいたかもしれないけど、前者はたぶんコロナ禍によって生まれた存在だ。
それまで引きこもりリモート業務推奨されていたのが一転、感染経路または感染したらどうなるのかがよく分からない状態で出社しなければならないのだから、みんなビクビクする。電車内の空気は張りつめていた。
今はもう誰かの足を蹴るようなスペースも動ける暇もないほど、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車だ。ただ一つ大きく変わったのは「降ります」という掛け声を誰もしなくなった。電車内では喋ってはいけないという、あくまで東京の電車ローカルの範囲だけど、そういう決まりが雰囲気によって定められている気がする。降りますって言わない。その代わりガンガンぶつかる。
もし4月から東京へ上京する社会人は「降ります」って絶対言ってほしい。大きな声で「降ります」は素晴らしい行動なので。前の人を押すのは「降ります」と言ってもがたくなに動かないだった場合だ。
で、すごい話しずれた。戻す。戻すと言っても何だったかな。
今の環境が変わる(かもしれない)という、未知のタイミングへの不安。よく未来を知ると人生が面白くなくなるって漫画であるけど、自分は反対だ。むしろ安心する。ゲームでも先に攻略方法を知ってからプレイするので嘘にはなっていないと思う。見えない、分からないことが本当にこわい。
かといって、すべて解決できるほどのお金なんてないし、ロトはニアピンばっかり。今日はバレンタインジャンボの抽選日だけど300円しか当たらないだろう。競馬が予想しやすくて、当たりやすいし、なにより賭ける相手が馬だ。馬へラブコールと思えば賭けてもいい。
……と、ギャンブルでなんとかしようとする自分の思考回路から察するに、投資や会社設立して儲けようとか、経済を動かす方面で金を工面する能力が本当にない。プロデューサー向いてないなと考え続けると悲観一直線なのでこの話はやめます。
せっかくの金曜日だし、仕事終わったら本屋に行って業界本いろいろ漁ろ!
あと2分で支度しないと遅刻するのでひとまずここまで。書いているうちに気持ち落ち着いてきた。朝から長文失礼。はてな匿名ダイアリーを作った、またサービスを維持しているはてなの方ありがとう。
以下の文章は単純に書いて飛ばしていたのだが、わりと良い文章なので載せてくれ。↓
素直に死にたいと思って起床する。太陽の下を通勤するときはそんなものはないし清々しいから太陽って偉大。目を開けたときが一番暗い。ずっと眠っていたい。夢を見なくてもいいから。