はてなキーワード: 演舞とは
組み体操の是非が騒がれているので、自分の体験から述べてみる。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/ryouchida/20150528-00046097/
小学校6年生の運動会、演技種目は空手の演武だった。女子は当時流行っていたSPEEDのダンス。
組み体操の伝統もなかったので平和だったが、去年までは全員でのヨサコイなどの踊りだったので、とても珍しいなと思っていた。
その時、男子空手のお手本役になっていたのが、問題児のKくんだった。
どちらかと言うとガキ大将的なやんちゃな子で、すぐに暴力を振るう感じだった。
自分も5年生頃に1度ザリガニ釣りに一緒行ったことを覚えているが、
その後、何度かケンカして遊ばなくなったように覚えている。
ただ、そんな乱暴なことが禍してなのか、あまり友達が多くなかったようだ。
一度、机にくさったパンが詰まっていたのを見つけたことがあるが
自分で突っ込んだものなのか、だれかに入れられたものかは定かではない。
練習期間は演舞を教えることでリーダーシップも発揮していたし、
なにより、空手ができる彼はカッコ良く見えた。
私が知っているのはこれだけで、それまで彼がいじめられていたのか、
クラスで孤立していたのか、はたまた、その後の人生がどうなったのか、全く知らない。
卒業アルバムに、かっこ良く写って卒業していることは間違いない。
今になって思い出すと、このエントリのようhttp://anond.hatelabo.jp/20150920224758]に、
きっとうまく行ったのだろうと思う。
これをやればうまくいく。ではなくて、誰かを受けれてもらうために
柔道の危険性はデータを持って示されているが、武道は柔道を含んだままいまだ必修として続いている。
たとえ必修でなくても部活動としての柔道は変わることなく続いていくだろう。
しかし、柔道と言うのはデータを示されるまでもなく、それどころか部活動としてやるものとしても危険すぎる競技である。
主にそれは、近代までに日本で発展した人を打ち倒すための技術を競技化したものを指し、剣道を筆頭に、柔道、空手道、弓道、居合道、合気道、相撲道などを含む。
武道は、特に二つのカテゴリーに別れ、一つは演舞を持って競い合うもの、相手を敵とせずに的もしくは協力者を持って自分の技術を示し合う競技である。これには弓道や居合道、剣道や柔道の型などが含まれる。
もう一つは実際に敵を相手とし技を仕掛ける格闘技に類する競技である。剣道、柔道、空手、相撲などが含まれる。
前者の安全性は比較的高いものである。当然武器の目指す先が人ではない、もしくは打ち倒す目的ではないため、人を打ち倒すための技術を用いても危険性は低い。
一方で後者の危険性は高い。人を打ち倒す技術を人を打ち倒すために使うため、当然のことである。
後者の中で、柔道と相撲は主要武道の中でも特に危険な競技である。
その理由は、この二つの競技にはプロテクターが存在していない、ということに尽きる。
剣道であれば、慣れ親しんだ防具が思い浮かぶことだろう。
空手は、生徒であれば直接殴りあうフルコンタクト式ならプロテクターは必須であるし、寸止めであってもプロテクターをつけるのが普通だ。
武道でなくとも同じ格闘技のアマチュアボクシングは、ヘッドギアと大きなグローブの義務がある。
一方で、柔道と相撲にはプロテクターと呼べるものは存在しない。申し訳程度、柔道にはたたみがあるだけである。
しかし、中学高校で一般的な、スプリングの入っていない、床に敷いた畳と言うものは当然硬く、危険性が大きい。
締め技関節技等の制限が行われたとはいえ、戦前から一切変わらない安全基準で行われるスポーツと言って良い。
敵の攻撃から体を守るのは基本的に自らの習得した防御技術だけと言う競技だ。
ところが、その柔道、相撲の部活で競い合うのは、お互いに未熟な児童生徒学生たちである。
運動で体が熱くなり、試合や乱捕りで敵対すれば興奮し、普段よりも無茶な状態で無茶な技をかけることが多くなる。
プロテクターが存在しない柔道や相撲は、失敗した時に守ってくれるものは何一つなく、その時点で怪我が確定するといって良い。
柔道は投げ技で、相手の体を畳みにたたきつける打撃を行い、関節技で骨を痛め、締め技で意識を奪う競技。
相撲は張り手で叩き、投げ技で土にたたきつけ、押し出して土俵から落とす競技。
体験的な話で不正確だが、中学高校の柔道の試合では、1つの大会で必ず1人以上のけが人を目撃する。
大相撲で怪我をしていない力士だけでとった場所が近年存在しただろうか。
考慮すべき安全と言うものが、武道の伝統という言葉で覆い隠されている。
剣道は竹刀を作り、防具を作った。空手はプロテクターを取り入れた。柔道は本来着ていた防具を脱ぎ捨てて、身を危険に晒した。相撲は裸である。
当然プロやオリンピックといったレベルのものを変えるべきではないかもしれない。
しかし、そのアマチュアもしくは学校レベルの段階において有効に使えるプロテクターを考案すべきだ。
私は2010年ぐらいまでよさこい祭りに参加していて、ソーラン節をiPodに入れるぐらいには好きだった。バランスの整ったよさこい踊りを自宅で踊れるのも嬉しかったし、派手な衣装や振付け、演舞ゲシュタルトもソイヤッそれなり気に入っていた。
それでも、なにかが引っ掛かってよさこいの世界観に埋没しきれなかった。全体としては好きなんだけれどッコイショー、私が嫌いなもの、私とは相容れないものが宿っていると感じていた。それが何なのか表現できないまま、5年間ほど経ってしまったけれど、最近、ある人にヒントを頂いて、その答えがわかったような気がする。
何が引っ掛かっていたのか、その一言でわかった。そうだソイヤッ、よさこい祭りには、東方シリーズの(記号の)匂いがしていたのだ。
同じ四国三大祭りでも、『阿波踊り』『新居浜太鼓祭り』シリーズには、東方シリーズの匂いなど全く感じない。『さぬき高松まつり』もそうだし『松山まつり』『さかいで大橋まつり』もソーランそうだ。音楽はもとより、演舞にすら、弾幕的な匂いが感じられない。
ところがよさこい祭りには、どことなく東方シリーズの匂いが漂っている。BGMのメロディライン、楽器の使い方(特にピアノ!)、演舞表現にすら東方的な何かが籠もっている。「よさこい踊りのどこが東方的?バカな事言ってるんじゃねぇドッコイショー」と言う人もいるだろう。でも、例えばさぬきや高松の盆踊りと比べてみればいい。ビカビカしていて、マスゲームみたいで、ゲシュタルトが踊り狂って迫ってくるのはよさこい踊りだ。しかも、演舞には凝った名前までついている。
東方的と言って語弊はあるなら、“アイドルヲタ”的と言い直したほうがいいだろうか。一糸乱れぬ統率された動きと、色彩感覚で訴えかけるあの感覚!背景の色彩感覚も、あれはトラディショナルなアイドルヲタだけを惹きつけるようなものではなく、もう少しヤンキー寄りの人でも惹き付けられる表現にみえる。
そういえば、よさこい参加グループのネームセンスも、ヤンキー的な漢字仮名遣いというより、オタク中二病的漢字仮名遣いだった。よしんば、あれをヤンキー的漢字仮名遣いと認めたとしても、そのなかでは比較的オタク中二病的漢字仮名遣いに近い。オタク的消費者でも咀嚼できなくもないというか。
たぶん私は、そのあたりが最初から引っ掛かっていたのだ。そして、私が引っ掛かっていたまさにそのオタク的テイストってやつが、よさこい祭りの躍進の一助にもなったのかな、とも想像する。もちろん、それだけでよさこい祭りがブレイクしたわけではないだろうけれど、純然たるヤンキーのほうだけを向いたデザインだったら、たぶん、ああはソイヤッいかなかったのではないか?
よさこい祭りがブレイクしていったゼロ年代は、ヤンキー的なものとサブカル的なもの、ヤンキー的なものとオタク的なものの境目が曖昧になっていき、区別が無意味になっていく途上段階だった。ハッ!そうした融合と拡散が現在進行形だった時代に、二次創作性が高いだけでなく、ヤンキー的な面持ちの裏側にオタク的な間口の広さを隠し持ったコンテンツとしてよさこい祭りが脚光を浴びたのは、幸運な巡り合わせだった、と思う。たぶん、ベストタイミングだったんじゃないのかな?もし、時機を見計らってデザイン&リリースとしたら、高知商工会議所の慧眼恐るべし、である。
飽きてきたのでこのへんでソーラン。
どうも巷では土屋アンナかっこいい。
ってな感じになってる。
今回の騒動
土屋アンナさん、無断で稽古不参加 初主演舞台中止に 主催者側は法的措置も検討(産経新聞 2013/729)
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/130729/ent13072918560005-n1.htm
土屋アンナさんの初主演舞台、公演中止 主催者が発表(朝日新聞 2013/7/29)
http://www.asahi.com/culture/update/0729/TKY201307290415.html
なんてやつ。
アンナさんが、製作者側が舞台化に当たり原作者に了承を得てないことを理由に、
舞台の練習に出ず、結局、舞台が成立しなくなったため中止になったってことらしい。
アンナさんがなぜ今回のような対応をしたのか理由を考えてみた。
1.原作者の許可を得ていないので、この舞台は不法なモノであるから降りた。
おそらくアンナさんは他の共演者の人たちにも話をしてるだろう。
なわけないよね。
2.原作と舞台用の脚本があまりに違うので納得がいかなかった。
こういった仕事を受けるときに、どういう基準、段取りで受けるか知らないけど
よくあることだろうから、これを理由に降りるんなら、初めに断っておくべきだろう。
原作と違うという理由だけで、後から降りることが正当化できるなら、何だってできる。
大体8回の稽古のうち2回出てるのは何故?
原作者に会ってみたらどうも許可してないらしい。
やる気もなくなってたところに朗報
やめた。降りた。
まだまだ理由は有るんでしょう。
アンナさんは、
おそらく原作者に許可を得たかどうかじゃなくって、脚本が気に入らなかったんでしょう。
こんなに騒ぎにならなきゃ、きっと原作者の意見なんて無視されてるだろうし、
原作者もアンナさん擁護のためって正義があるから、ブログに「重大なお話!」を書いたんだろうし。
http://ameblo.jp/sakura-smile-for-you/entry-11582675117.html
以前、本を出したことあるヒトに聞いたけど、
映画化だとかの権利はほとんど出版社が持っていくってことだった。
まあべつにどうでもいいけど。
久々にAndroidアプリを作成したくなって、汚部屋の隅、ガジェットの産廃場から
Nexus 7を掘り出したのはいいけれど、半年放置したせいか電源キーが長押し、短押し、全く反応しない。
これは、と思いPC-USBケーブルに差してみたもののやはり反応しない。
Asus純正のACアダプターがなかったのでソニエリ時代のMW600用ACアダプターを
ここで、ようやく電池が深放電を起こして起動電圧に達していない可能性に気づいた。
Nexus 7にはLEDなんてしゃれたものはないので、Bootingの状態で充電してようが
分からないんだった。銀河はこの辺に関しては抜かりなかったっけ。
辛抱強く、じれったい心を殺して待つことしばし、画面が点灯したという感動は
見慣れたメイドさん演舞(charger.cの読み込み画像ファイルを入れ替えてます)、OFF充電を飛ばして
いきなり起動した衝撃に押し流された。そして速攻で落ちるw
Androidの標準フレームワークのBatteryServiceには確か電池残量を見て
というか何でOFF充電に入んないんだっ。
充電器の種別判定が甘いのかなとPC、ドコモFOMA用、ジャンクショップで買ったいわくつきと
試すも、全て起動→速攻で落ちるを繰り返している。