はてなキーワード: 演歌歌手とは
90年代の音楽シーンってアイドルが消滅してアーティストの時代になったのよ
ハロプロくらいじゃない?
それで紅白出るのダサいよねって風潮が90年代末から2000年くらいにできたんだよ。
自分たちのファンと年を越したいとかいって自分のコンサートを優先したり
そういう理由でね
そんな流れのなか総合格闘技バブルで年末にビッグマッチが組まれてさ
それで紅白はオワコンだオワコンだってゼロ年代にはなってたのよ。
そんな流れを変えるきっかけとなったのがPerfumeなんだよ
ストーリーに紅白を組み込むっていう大胆なこと言いだしたのよ。Perfumeは。
事務所が言わせたのか本人がそう思ったのか知らないけど
当時の俺は何言ってんだっておもったよね
その戦略は見事だとは思うよ
そして見事紅白に出ることになるのよ
きのせいかNHKもPerfumeを応援していたようにおもうよ
(売れたきっかけがACのCMでNHKでも流れてたからってのもあると思う)
なにが不満なんだ?って話だけど
ただ、Pefumeの成功もあってかほかのアイドルも紅白めざしますとか言い出したのよ
それでおそらく業界人は気づくのよ
自分の時間が大事だとか生意気なことをいうアーティストなんかよりも
結果どいつもこいつもアイドルになったよね
Perfumeのせいじゃないのかもしれない
いやおばさんだからやめろっていうんじゃないぞ
ネトウヨや安倍親衛隊のみなさんが、ぼくちゃんたちのユーミンが汚された〜💩💩💩とフン慨していたけど、松任谷由実の歌なんて誰も知らないでしょ。
言われてみれば映画で流れてた曲の人というのは分かるけど、30年以上前にヒットを飛ばした人なんか誰も知らないし知ってても30年以上前の話なんて老害以外の何者でもないじゃん。演歌歌手のことなんか誰も知らないだろ?大ヒットしていた時に死んでれば伝説になれたのに、ヒットもなく過去の遺産を食いつぶしているだけのボケ老人は醜いだけだと思うよ。
さて、SpotifyでバンタンのDynamite聞こうっと。バンタン、ビルボード1位おめでとう!松任谷由実、30年前に日本だけで大ヒット(笑) m9(^Д^)
ふと生まれ育った町の情景を夢で見て、多少思うところがあったので気持ちを書き留めようと思う。
静かな入り江から小さな漁船が海の彼方へ消えゆくような、そんな夢だった。
最近よく見かける「田舎で非知識階層に囲まれて育ったけど、地元に馴染めずなんだかんだで都会に出てきて過去やホームタウンを思い返すたびに多少絶望する」という散文的な自分語りであることを先に断っておく。
ただの個人の経験であり、エスノグラフィのようなものだと思って読んでもらえれば嬉しい。
確かに「東京の人間が想像することも出来ないような社会」が日本のどこかには必ずあって、学ばないことが規範と化して社会が再生産されているということ。
名古屋まで電車で1時間半以上、文化的な施設といえば聞いたことのない演歌歌手がたまに来る小さな市民ホールと、小さな本屋が2軒あった。
2軒の本屋は万引きの被害額が大きすぎて自分が町を出た後に潰れた(跡地はセレモニーホールという名の葬式場になった)。
1時間に一本しか電車のこない駅から伸びるメーンストリートで今でも開いている店は、年金暮らしの年寄りが趣味でやっている畳屋と宝くじ屋しか無かった。
街中でスーツ姿の人は見たことがほとんどなかったし、そもそも人が出歩いている記憶すらない。
高卒で一度も町から出たことのない母親は、漁師を相手にする場末のスナックで働いて自分を育てた。
同じ町で漁師をしていた父親はフィリピンパブで出会ったフィリピーナに入れ込んで、小学2年生くらいの頃に母親と離婚した。
それより前には「キミの父親は不倫をしているんだ」と小学校の同級生の母親から聞かされた。
相手は近所に住んでいた太ったおばさんだったので、あんなデブとなぜだろうとその時は疑問に思ったけどすぐに忘れた。
最後に父親と会ったのは、父親が家を出て半年後くらいに小遣いをやるからと呼び出された紫煙で視界の悪い雀荘だったと記憶している。
その後は行方不明で、風の噂では今はマニラに住んでいるらしい。
こんな家庭環境は、東京の自分が属するコミュニティでは聞かない。
なぜそんなことにわざわざ触れたかというと、自分の家庭は何も特別ではなく、周囲を見渡せば程度の差はあれどどこもそんなものだったから。
親が大卒の同級生なんてクラスに1割も居たかという感じだったし、自分が通った地元の中学校には200人くらい同級生が居たがそのうち大学に進んだのは20人くらい。
自分は博士まで進んだが、マスターレベルですら聞いたことがない。
あとで詳しく触れるが、そもそも勉強をするとか考えること自体を忌避するという一貫したスタイルがあらゆる局面で通底していた。
さて、シングルマザーの家庭はクラスに3割は居たし、両親が揃っていても母親・父親違いの兄弟姉妹が居るなんて話も珍しくない。
親世代の職業は漁業か水産加工、町工場、自動車修理で、小中学校教諭や公務員の子息は格の違いを醸し出すスーパーエリートの家庭扱いだったし、家も小綺麗だった。
スーパーエリート以外は、トタンの壁が海風で茶色く錆びて、汲み取り式のトイレから伸びる煙突の先がクルクル風で回っている文化住宅か、古民家カフェを思いきりボロボロにしたような都内なら廃屋だと思われるような家に住んでいた。
町工場に勤めている人たちで指が無くなったなんて話もよく聞いたし、どこそこの家が生活保護受給とかという話もよく聞いた。
クラスメートが学校を翌日休む理由が、その前に起こした暴力事件で家裁に呼び出されているからとかもよくある話だった。
そんな彼らが余暇にすることといえば、スナックかフィリピンパブ、ギャンブル、セックスくらいしか聞いた限り思いつかない。
確かに、成人した兄がいる同級生の家に遊びに行った時には、真昼間から居間で同級生の兄と派手な格好をした若い女性がセックスをしていたし、パチンコ屋には毎朝人が並んでいた。
ギャンブルはパチンコか電話で投票する競馬が主流だったが、甲子園の季節になると地元の暴力団が元締めをする高校野球賭博も流行っていた。
暴力団は偽ブランド品も売りさばいていて、軽自動車にスウェット姿だけど鞄は高級ブランド(偽物)という出で立ちの女性をよく見かけたものである。
まぁこんな感じでつらつらと思いつくまま挙げてみたが、自分の身の回りで溢れていたのは、キーワードでいえば貧困、性、暴力、ギャンブルだった。
そもそも大人たちがそんなスタイルだったので、子供達も似たような社会をフラクタル図形のように構成していた。
小学校の頃には駄菓子屋やコンビニでの万引きが横行していて、後に刑務所に入るような子供たちはその時代からすでに盗んだタバコを吸って、やっぱり盗んだバイクに乗っていた。
暴走族(ゾク)に入って大人たちを殴ったり大怪我するほどのゾク同士の喧嘩をする中学生たちが小学生のヒーローで、ゲリ便が出る時のような音を撒き散らすバイクに皆憧れていた。
そんな時に暴力的な彼らは、異質な存在を排除することが大好きで、異質とみなされた同級生は徹底的に排除された。
小学6年生のとき、教室に入ったらメガネをかけている子が素っ裸で椅子に縛り付けられて頭にバケツを被らされていた。
メガネは弱いものの象徴で、勉強や議論をするような人間は排除の対象だった。
文革かって感じ。
反対に、野球が上手いか、足が早いか、ケンカが強ければヒエラルキーの上部に君臨できる。
動物的に強弱を判別できることがそのままヒエラルキーの源となっていたし、意思の合意は感情とその時の雰囲気で決まっていた。
そして中学生になると、今度は成績が良い人が排除の対象となる。
真夏に水を飲まずに走りこんで泣きながら試合に負ける部活に打ち込むことがすべてに勝り、もしくは非行に走ることがある種の中学生らしさであるというコンセンサスを伴って正当化されていた。
授業中には廊下を自転車が走り、思い出した頃に校庭に暴走族や野良犬があらわれる。
トイレにはタバコの吸い殻が落ちているし、たまに窓ガラスは割られていた。
教師はたまに殴られたり、殴り返したり、車を壊されたりしていた。
一方で登校している生徒にとっては、校則はフーコーのパノプティコンも真っ青な規律を自動化させるもので、髪型は男子は坊主、女子は肩まで。
他にも細かい校則がたくさんあって、破れば容赦無く教員から殴られる世界だったし、皆が一緒であることを望んでいたので、逸脱すれば容赦無く告げ口されていた。
校則を破らなくても、目立てば排除の対象になりうるので、いつしか自分も誰かが見張っていると意識して、いかに溶け込むかを重視するようになっていた。
そして積極的に学んだり考えることが嘲笑の対象であったので、そこでもやはりセックスをしたことがあるかとか、バイクの知識があるかとか、そういう分かりやすい尺度でヒエラルキーが構成されていた。
授業中に教師から指名されて小難しい答えを言ったり、発音記号通りに英単語を発音しようものなら3日は真似をされてイジられるのは御多分に洩れず自分の地元も同じだった。
テスト期間は早く帰れるので皆喜んで下校後に遊ぶレベルの勉強に対する姿勢で、将来は男子は工業高校、女子は商業高校に通ってそのあとのことは何も考えないのが一般的だった。
ここまでは自分がライブで触れた15歳くらいまでの環境の話で、せいぜい15年くらい前の話だ。
はっきり言えば、そのような環境はまっぴら御免だし、そんなところで自分の子供を育てたくはない。
さて、経緯は知らないが、自分は幼稚園の頃にIQテストを受けた。
そのあとに、あなたの息子は知能指数が高いから相応の教育を受けさせてあげてくださいと園長先生から母親はコメントをもらったらしい。
大学のことすらよく知らない専門学校卒の母親だったが、自分を都内か海外の全寮制の学校に小学生のうちから預けようとした。
だが、当時の自分はこともあろうに泣き叫んで拒み、結局は地元に残ることを選んだ。
当時のことはよく覚えていて、理由は友達と離れたくなかったから。
その時に知りうる限りの世界を取り上げられることに対する極端な不安が何よりも勝っていて、母親は息子の気持ちを優しくも汲み取って折れた。
小学校に上がった時、小1か小2くらいの頃から、本を読み始めた。その頃に三島由紀夫や島崎藤村やら、古い作品から新しい作品まで縦横無尽に慣れ親しんだ。
早朝に登校して空いた時間や、ジャンケンで負けて押し付けられた図書委員の時間、図書室でひたすら本を読んだ。
そのうちに、自分が生活する社会と根本的に異なる社会、つまり学び、考えることが重要であるという社会が存在することを知った。
哲学や思想系の本はもちろんのこと、西洋美術の画集や建築の写真集に心を揺さぶられたし、マーラーのCDを初めて聞いた時の感動は死ぬまで忘れないと思う。
めちゃイケを好むふりをして、自分は加藤周一の羊の歌に感銘を受けて、とりあえず東大に行こうと中学の頃には考えていた。
そして周囲に迎合しつつも高校に進んだ。いわゆる地方の公立トップ校だった。
他にも理由はあったと思うが、中3の時には成績が良いという理由でものを隠されたり上履きにガムが入っていたこともあった。
入学から1ヶ月もしないうちに、明らかに新たな社会、社会階層に自分は組み込まれたと自覚した。
同級生の親の職業は、医者、弁護士、会計士、大企業の社員ばかりだった。
誕生日には名古屋のデパートの上層階のレストランだったり、どこぞで伊勢海老を食べるだのとそんな話もたまに聞いた(成金的な家はあまり無かったけど)。
彼らの親は旧帝国大学出身はざらにいたし、兄が東大、今はオックスフォードに留学中とかそんな話も当たり前にあった。
幼い頃からピアノやバイオリン、書道、バレエ、スイミングなんかをやっているのがマジョリティだったし、週末に美術館やコンサートホールに足を運んだという話も決してレアな話ではなかった。
彼らと出会ってとかく感動したのは、好きだった本や芸術の話を初めてリアルの人間とできたことだった。
そして何より彼らは、自身の解釈や、見解を示してくれたし、自分のくだらない議論にも向き合ってくれた。
もちろん性やギャンブル、暴力、ワンピースの話もたまにはあったが、それ自体を享受するだけでなく、思考の対象としても話題を取り上げることががあった。
高校以来、自分は学び、思考する人しか存在しないかのように振る舞う社会に身を置き続けている。
今にして思えば、もっと早く外の世界に出た方が良かったのではと素直に思う。
なぜなら、受動的に与えられたその社会が自分のすべてだったから。
母親が母親であるように、生まれ育った社会は生まれ育った社会であって、代替がきかない。
自分はたまたま、自分が立っていた社会と違う社会を知りうるきっかけを子供の頃に得たから今があるのであって、その機を逃せば一生地元に居ただろう。
なぜなら、考えることや知ることを拒むことが規範となる社会では、外の世界があるということ自体を知りようがないのだから。
自分は考えることも、こうして頭の整理をすることも好きだ。
パチンコの新台や、友達の奥さんが不倫をして旦那が相手と殴り合いの喧嘩をしたとか、そういう動物的な話題を「それ自体」をただ消費する社会に少なくとも自分は興味がない。
もちろん、そういった社会(自分が経験したような)を否定する理由はどこにもない。
ただ、自分が故郷を捨てたように、その社会に残るのは、その社会に適応しきった人々である。
有り体にいえば、将来の選択肢の存在すら意識できないのが自分の体験した社会であり、どのような選択肢があるのか獲得しようする営みそのものが封建的に否定される強い構造を伴っている。
だからこそ、自分の田舎はいつまでも同じ姿を留めることに成功しているのだと思う。
もちろん、その社会自体が恐ろしいぬるま湯であり、外には異なる社会が存在することを予期している人も稀にはいることだろう。
幼い息子を外の世界に出そうと考えた母がそうだったように、おそらくそれに気付いた時に自身を好転させるにはあまりにも遅い場合が大半であると自分は思う。
そして、自分は今更何があったとしても、地元の彼らと交流することはできないし、するつもりは一切ない。
母はもう二度と戻ってくるな、お前の居場所はもうここにはないと電話口でことあるごとに言う。
一方で、開成や筑駒から東大に進んだ都内組は何も捨てることなく、安定的に自分が望んだ社会を享受してその上に今も生活を営んでいる。
それは誰でもそうであるように、最後の最後に拠り所となり得る自らの地域的なアイデンティティをきちんと持っているということである。
自分は依拠すべき地域(地元)を自己実現と引き換えに失ったのであって、願わくば我が子には地元を与えるか、もしくは地元がなかったとしてもサバルタンとなり得ない思想的な土台を築いて欲しいものである。
演歌歌手みたいなことしてる人
単なる左派への当てつけとして(だけ)ではなく。
サンコン、妻3人目婚 10月にグラビア演歌歌手・北山みつきが第3夫人
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180818-00000206-sph-ent
ギニアでは4人まで妻が認められているが、国際結婚の場合は多重婚にあたるため、北山がギニア国籍を取得することが必要となった。現在、申請しており、手続きが終了する10月に挙式する予定という。2人はすでに同居している。
北山は昨年7月、2度の結婚、離婚を経て独身であることをブログで報告。「次の結婚の相手は、女性もしくは、外国人にしたいです」と心境をつづっていた。子供はいない。
ポリアモリー婚(一夫多妻婚、一妻多夫婚、多夫多妻婚)をするためだけに国籍を変えなければいけないというのは、国際社会の潮流に照らし合わせてあまりに守旧的である。
しかし、ただ二重国籍を認めればいいわけでもなく、結局わが国での生活上は著しい不便がつきまとうだろう。
国際結婚の増加に際し、わが国でもポリアモリー婚の制度化をそろそろ検討しなければ、このように支障をきたすケースが増加する。
さて以上の例のように、海外民法で認められている結婚形態やそれに付随する身分を、わが国でも制度として認めざるをえない時代に突入する。
外国で既に法的に認められた夫婦・身分が存在する以上、夫婦別姓、同性婚、児童婚をそれぞれ制度化できないか検討の必要がある。
ポリアモリーと同性婚を同時に認めることにより、北山さんが期待するような女性も外国人も含む多夫多妻を国籍変更抜きに実現できるようになる。
なお、二次元婚、動物婚、死者婚はまだ認めている国が存在しないため、今のところ検討の必要はない。
ついでに、ハーグ条約の遵守も目指していくべきだろう。
大阪杯は「春の中距離王決定戦」という位置付けで、春天・宝塚記念とあわせて「春古馬三冠」を形成している。
ホープフルステークスは2歳の中距離路線向けということで、マイル路線の朝日杯と区別され、阪神JFとあわせて2歳GIが三つあることになる。
そのレースに日本馬が出走するときにあわせて「海外馬券」として馬券を買えるようになった。
2010年以降、日本のGIはすべて「国際GI」となっているので、ダービーとは言わず全てのGIで、ルール上は海外馬でも出走できる。
日本馬のレベルが上がったということもあるが、有力な海外馬がチャンピオンズデーやブリーダーズカップのほうを優先するという事情もある。
いわゆる「マル外」も、たまに短距離やダートのGIを勝つくらいで、芝の中長距離路線で主役となった馬はやはり10年以上いない。
ロードカナロアは史上初めて国内の短距離GIを3連覇し、距離を伸ばして安田記念も勝利、さらに「凱旋門賞を勝つより難しい」と言われた香港スプリントを連覇した。
スプリントGI5勝は他に冠絶した記録で、スプリンターとして初の顕彰馬を期待されている。
モーリスは安田記念・マイルCSの両マイルGI制覇に加え、距離を伸ばして秋天も勝利、さらに香港に遠征してチャンピオンズマイル・香港マイル・香港カップを制覇した。
ジャック・ル・マロワ賞を勝ったタイキシャトルの功績はいまなお讃えられるものの、実績ではモーリスがそれを上回ったとする声が多い。
下手をするとエアグルーヴあたりで知識が止まってる人もいそう。
ジェンティルドンナは牝馬三冠、ジャパンカップ連覇、有馬記念、ドバイシーマクラシックでGIを7勝。
一つ上にオルフェーヴルが、同世代にゴールドシップ・ジャスタウェイがいるなかで、獲得総賞金は牝馬史上最高。
顕彰馬にも選ばれている。
オールドファンであれば、最強世代と言えばスペシャルウィーク・エルコンドルパサー・グラスワンダーの98世代を思い浮かべるだろう。
しかし、98世代は有力馬の実働期間が短く、やや勝ち逃げ感が漂う。
12世代は、先に挙げた最強牝馬ジェンティルドンナに、GI6勝のゴールドシップ、中距離では世界最強と評されたジャスタウェイなどが揃う。
世代のGI獲得数は史上最多で、特に同一GIの連覇が多く(必然としてGI2勝以上している馬が多い)、海外GIでの勝ちも複数ある。
印象で言えば異論もあるだろうが、実績では他世代を圧倒している。
馬主が演歌歌手・北島三郎ということで有名になったキタサンブラック 。
父はブラックタイド、母父サクラバクシンオーという地味すぎる血統。
3歳秋からめきめきと実力をつけて菊花賞を勝ち、しばらくは「まぐれじゃないの?」と思われつつ(初めて一番人気になったのは4歳秋だった)、最終的にはGI7勝を積み上げた。
引退レースの有馬記念を勝利したことで、これまで一位だったテイエムオペラオーの獲得賞金を抜き去った。
2010年に引退したマチカネタンホイザが最後のノーザンテースト系種牡馬だった。
サンデーサイレンスが亡くなった直後の2005年前後の馬が残った。
リーディングサイアーランキングはここ5年くらいディープインパクトが独走。
ディープ産駒のサクソンウォリアーは、既に無敗で2000ギニー(日本では皐月賞にあたる)を制しており、ダービーでも断然の一番人気。
馬主はアイルランドのクールモアグループだが、ダービーを勝てばクラシック三冠を狙うことを宣言しているらしい。
追記。
のは2000年なのでだいぶ古いですね…
というのは大きいですね。
ミルコ・デムーロとクリストフ・ルメールはいまやJRA所属騎手です。
あと騎手関連で言えば、少し古い話ですが、地方の所属だった騎手が中央に移籍することが増えたとか。
2003年に安藤勝己が正式に移籍したのを皮切りに、内田博幸や岩田康誠、戸崎圭太らが中央へ移籍し、リーディングジョッキーを獲得しています。
のはもちろんです。
もしリアルで話すとしたら慎重に、相手が競馬を始めた年代を見極めて、当時の最強馬を持ち上げていきましょう。
追加しました。
2年半付き合った彼から、昨年プロポーズを受け、今年の9月の記念日に結婚するはずだった。
二人とも、結婚式には憧れがあったので、そこそこな金額の式を挙げることを話あっていた。
幸いにして、お互い収入も並以上は頂けているので、お金の心配はしていなかった。
しかし、昨年末なら結婚に向けて同棲しようと彼とアパートを探していたところ、彼が高いだの、立地が微妙じゃない??などと言うようになって、色々探すことになった。
この時点で??となっていたが、まぁ同棲するので色々こだわりがあるのかと思い、特に気にしていなかった。
しかし、3月頃から結婚式高くない?そこまでいるのかな?等と当初と違うことを言い出したので、結婚したくないの?と確認すると結婚はしたい、と言う。
そこで彼にどういうことか尋ねると、お金はもっと有効に使いたい。最近は資産運用でお金が増えているから、お金はなるべくそっちに回しているから手元にはあんまり残していない、と笑顔と言い出した。
半年前から親友に誘われ、その『資産運用』をやっていたとのことで、既に乗用車が数台買える程度のお金を『運用』しているとのことだった。
その為、手元にはお金は無いが通信機器のレンタルの配当が毎月あり、3年後には運用資産のの2割増えた状態になるので問題ないし、なるべくお金を使わず運用したいと言い出した。
彼は、私の知っている婚約者の彼とは別人の様だった。
それ、マルチじゃないの?と問うと、テレビにも出てる有名な演歌歌手や昔の有名歌手もやっているし、野球球団のスポンサーもやっているし将来性もある会社だよー!と熱心に語りだし、ついには私も『資産運用』するように薦めてきた。
この時点で黒なのはほぼ間違いなかったけど、彼を信じたい気持ちで『資産運用』セミナーにも行ってみたが、やはり詐欺としか思えず、色々調べて見るとジャパンライフなどのオーナー商法であるとの結論に至った。
何度も彼を説得したが、そんな筈は無い。将来性もあるし、同僚や友人も勧誘している、との事だった。
何度も何度も説得したが、聞く耳を持たない彼はついには共通の友人などにも声をかけ、私のところにも勧誘された友人から連絡が来るようになった。
仕事も忙しい中、彼との結婚の不安などから体調を崩し職場で倒れた。
私も昨日、父親を見殺しにすることを決めた
話は全然違うけど、自分にとってはすごくタイムリーだったから長々と書く。
私は20代前半の社会人で、還暦を越えた父がマルチにはまって洗脳されているのが一昨日分かった。
父は独り暮らしではあるが、近所に姉一家が住んでいて、隣の県在住だが私もたまには会いに行っている。
また、社交性があり10年20年来の友達も多い父なので心配はしてなかった。むしろ娘よりも趣味の園芸や自家菜園の仲間の方が話が合い、楽しい様子だった。
昔から、優しい父だが、あまり人を疑うことをしない純粋な(危機感の薄い)人で、怒鳴るようなことはせず諭すタイプの人間だった。
一昨日の朝、父と久しぶりに連絡を取っていて急にマルチとおぼしき話をし出した。
一瞬で『あ、駄目なやつだ』と察知した私は実家にいくことを決断し、実家から離れた喫茶店で姉、姉旦那と会うことにした。
姉の話ではこうだ
・今月になってそんな話を聞かされた
(+すぐに連絡してなかったのはゴメン)
・父から誘われ仕方なく、旦那付き添いで説明会にも参加したがマルチの様で怪しい
・60万円で通信機器を8つ購入し、その会社にレンタルすると毎月2万円、3年間の配当があり合計72万円になって帰ってくる
・知らない間に半年以上前から通っていて、もはや何を説明しても父は聞く耳を持ってない。お金もいくら使っているか分からない。友人を多数勧誘している様だ。
・勧誘だけでも止めるように行っているが洗脳状態なので、聞く耳をもたず
この時点で、半ば諦めかけていたがその日は姉家に宿泊・情報収集し、翌日姉、姉旦那、私の3人で実家に向かい、父と話すことにした。
実家に着き、3ヶ月ぶりに会う父は洗脳などされていない、普通の状態に見えた。
雑談をして、本題を切り出すと父は流暢に語りだした。
・商品はインターネット環境があれば使えるテレビ電話の機能のあるAndroidベースの通信機器で、カラオケや翻訳機能、海外で日本のテレビが見られる。医療分野にも今後使え、遠隔地から医者の診断、処方が受けられる様になる。機器は一般には販売はしておらず、レンタルのみ。
・会社は某県警の某活動に協力し、オレオレ詐欺撲滅にも一助している。
・某ダブルミリオンの歌手を始め芸能人も多数賛同、某演歌歌手のブラジル公演主催やソフトバンクホークスの公式スポンサーでもあり、真っ当な会社である
・海外の通信会社、ホテル等とも提携し、旅行中レンタルで借りることができる。日本人であれば旅行中や海外赴任時は日本のテレビが見たくなるもの、これは流行る。
・ハワイ、ベトナム、シンガポール等の海外17拠点、国内にも拠点が複数あり、建物も建設中であり、潰れる心配はあまりしていない
よほど刷り込まれたのか、上記のことを熱心に語りだす父は趣味のことを語るように見えた。
一通り話を聞いたのち、矛盾点や問題点、人への紹介を止めるよう伝えた。
・非常にいい資産運用であり、夢がある。俺は今後やめないし、人にも勧め続けていく
・自分の金だし、文句言われる筋合いはないし。人も紹介してるんだから、辞めるわけにもいかないし、そのつもりもない。
・万が一に潰れても、そこは納得したうえでやっているので周りも含めて自己責任だから仕方ない。
途中感情的になり、私は泣きながら父に勧誘するのだけは止めるよう説得していたが最終的には、「お前も説明会に参加しろ!参加もしないのにネットだけで調べたことで評価するな!お前が説明会に参加するのであれば勧誘はやめてやってもよい」と怒鳴られた。
その顔を見て、あぁ私の知っている父はもう死んだんだな、と悟ってしまった。
20年以上育ててくれた大事な父は半年ぐらいで洗脳され、死んでしまったんだと思うと、体から怒りとか悲しみとか抜けてしまった。
私はその場で離縁をつげたが父は、あぁそうかと一言。私は近い将来に結婚するかもしれないが、相手やその親に父を紹介することはないだろう。
きっと1年もすれば父は現実を知るだろう。
その時に父はどうするか、私は父にどうするか分からないが、これから私が父を心から信じることはきっともう無いんだろうと思うと心に穴が空いた様で寂しくなった。
きっとこの文章を書いた方は、古き良き商業演劇のスタイルというのをご存じないのでしょう。大御所俳優さんや大物演歌歌手の主役公演だったり、それこそ宝塚だったり…こういった日本の商業演劇というものは昔から【一部お芝居・二部ショータイム】という形が定番です。
このスタイルを若手俳優の舞台に取り入れて成功させたパイオニア的な作品が、制作会社“る・ひまわり”さんの祭シリーズだと思います。そこでペンライトやうちわの持ち込みを許可し、一部でお芝居をしていた面々と二部のショータイムをPVなんかも作ったりして一緒に楽しむということが、若いお客さんにはある意味アイドルのコンサートみたいで斬新で、でも昔からの商業演劇のスタイルで…だから成功したんだと思います。ここからは私の憶測ですが、るひまさんが成功しているのを見て、2.5次元ミュージカルでもそのスタイルを「取り入れた」だけなんじゃないかな?と。古いのに新しい。
話は逸れますが、宝塚を見に行って、一部のミュージカル(それこそ今ではアニメ原作のものを上演したりしていますが)だけ見て、二部のレビューはいらないって言う人はあまりいないように思いますし。二部まで見て、一つの舞台が完成しているように感じます。このスタイルを採る2.5に於いてはどうかわかりませんが、両方合わせて一つの舞台…そうであってほしいです。
恐らく、この方はこういった商業演劇のスタイルが苦手なだけでしょう。だから、最近の2.5が狂ったわけではありませんよ。何せ、冒頭で述べましたとおり、古き良き商業演劇のスタイルなのですから。
《追記》
もう少し考えてみた。先述の件は、ショータイムだと“キャラクター”ではなくなるが、2.5の場合だとそのままキャラクターとしてショーに出演し、声援を送ることになる。だから、もしかしたらこの方はそこに一番違和感を覚えるのかもしれない。
保毛尾田保毛男って前世紀の(悪い意味での)遺産とか負債とか叩かれてるけど、
常に迫害を受けつつも、乗り越えてきた、ハゲデブチビメガネやら、バリバラの自ら進んでネタになっていく精神とは全然違うのね
被差別意識を持たせてしまってる世の中も悪いけど、当事者が開き直らんと好転せんよ
詳しくは明かせないけど自分もいわゆるマイノリティー的な側面を背負って生きてるから(数年前にまた重荷が増えた)、気持ちはわかる。
わかるけど、
「俺ホモなんですよー!」って明るく言われるのと、
「俺……実は……やっぱりいいです」って隠されるのって周囲の反応が違って当然だと思うのです。
(実際背負ってる案件で周囲に明かせてるのと明かせてないのが混在してるから、割り切れないという気持ちはわかるのですが)
実際ゲイ方面の方って、ネタにして割り切って、振り切って自分の武器にしてる人が多いのに勿体ないなーって。
ホモでもない人が、典型的な(典型でもない差別的な)キャラクターを作るってことに反感を覚えることは否定しないけれど、そこを否定したら、コントとかキャラ作っての演芸方面のコンテンツが終わってしまうとも考えられる。
バイトリーダとか、良くいるショップ店員的、とか大御所の演歌歌手的なのはOKなんでしょ?
じゃあ、そういういじられても平気でいられる地位を作っていかないといけないんだと思うんだけれど、そーゆーふーには進んでいかんのかねぇ