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2024-04-08

ドアのバタン音にトラウマ

あるのかもと思うようになってきた

ドアをバタンと音を立てて閉めることはたしか一般常識観点からしても非常識

ドアをバタンとする人間には何か問題があるに違いない

でもたったそれだけでここまで心臓バクバクンする俺もおかしいと思う

 

たぶん俺が小さい頃、ヒス母親が不機嫌になるとものすごい音でドアを閉める人間だったことに原因があるのだろう

特に覚えてるのが玄関前の廊下リビングを隔てるドアだ

から数えるとたぶん60年前ぐらい前に建てられた家だから、もちろん気密性なんてゼロに近いようなリビングだった

そこにスカスカ木材でできた軽いドア

ドアクローザーなんてもちろん付いてないですよ

それを不機嫌に任せて思いっきり引っ張って閉めるんだ

まあそりゃあ家中に響き渡る音がしますよね

毎週のようにその音が響き渡り、その音がした日はご飯無しになることもざらだったよね

2024-04-06

転職したら望んでもなかった「やりがい」が手に入った

去年転職をした。

ブラック企業渡り歩いてきたが、問屋なんてのはそんなもんだと思ってた。

だが、1社目は新卒には辛すぎたし

2社目は営業所長が横領パワハラを繰り返してたし

3社目は新社長バカなのと社員バカしかも仲が悪い上に派閥闘争して(わずか40人そこそこの会社でだ)中がズタズタになった。

阿呆臭くて辞めて色々あって今の会社に入った。

やっぱり問屋だ。食品問屋

入った理由はそこが土日休みだったから。

一般には日曜と水曜が休みなのが多い。

で、どうせ問屋だ、どこも大差ないだろうと思って怒鳴られる前に…と倉庫掃除してたらやたら褒められた。

怒鳴られる前に…と思って先輩や上司に割と丁寧に接してたら妙に信頼された。

やって当然だろうと思って見積作成とき現物に見入ったらやたら感心された。

なんのこっちゃと思いながらも独り立ちして営業しててもやたら褒められた。

なんてことはない。ただお客をこまめに回るだけ。んで、注文引っ張ってくるだけ。

特別なことといえば前の会社取引先をひとつ飛び込みで取ったことくらい。

あとは普通に回って普通にお客とコミュニケーションとって、せいぜいデッドストック売ってた。

そしたらこデッドストック販売評価されたらしい。いや、問屋営業なら当たり前だろとしか思わなかった。

よくよく聞いたらそれまでの営業は凹缶ひとつ満足に売れなかったらしい。なんだそれは。

そんな具合で仕事は非常に順調だった。

別に残業しなくてもいいし、出社は定時が8時だが7時ころ。

けどこれはトラックに積み込みもあるしそりゃ問屋なら当然だろとしか思わなかった。

さらに去年の4月新卒で入ってきた女の子がやたら可愛かった。

これがめっちゃ可愛い。超可愛い

んで、まあなんとなく見てたりはしてたんだが、不覚にもあるときドキッとしてしまった。

まりやられたわけである

困ったことに一回りも離れてる。

いやこれはないだろうと気持ちを抑えようとしてたんだが、なぜか今度はその子仕事上の打ち合わせが必要になった。

いやこれはどうなんだ、と思ってたが仕事ときはそんな感情も出てこず冷静に会話もできてる。なんか助かってる。

そんな具合で仕事普通にできるし、可愛い娘と会えるしで会社に行くのが楽しみになってる。

朝起きて会社行くときも、あの娘に会いに行くかって具合になってる。

んで、普通に営業も頑張れる。上手くやれれば格好つけれるから

やりがい。あるもんですね。

よさこいソーラン祭りは、1992年スタートした祭りで、6月の本祭のほか、学校教育観光、さまざまなイベントでも披露されています。

規模

よさこいソーラン祭りは、1991年北海道大学に通う学生の思いつきがきっかけで始まりました。第1回は参加10チーム1,000人、観客動員20万人で始まり現在では約270チーム27,000人の参加者する利権となっています

参加費

参加費は、企業チームが最大35万円、一般チームが最大25万円です。また、商業演舞には12月から権利使用料徴収されています。

協賛金

2023年の協賛金は計約600万円。

しか2024年度締め切りを1カ月後に控えた2月末時点で協賛金は150万円ほどにとどまる。

SNSの発達により、イベント地元で不評なこととまた運営傲慢であることが知れ渡りイメージダウンを嫌う企業が増えている

交通規制

よさこいソーランまつりは公道占有して実施される。

祭り間中は3日間にわたりで開催会場周辺の交通規制実施される。

  1. 大通り周辺:大通り駅前通り石山通間とその周辺
  2. 一番街:南1条通り西2丁目・西3丁目
  3. FUNKY!すすきの会場:駅前通りの南5条~南7条間とその周辺
  4. 新琴似会場:新琴似通の新琴似3番通~西5丁目・樽川通道間とその周辺
  5. 平岸会場:平岸通の白石中の島通~米里行啓通間とその周辺

公道使用料

よさこいソーランまつりは公道占拠するために道路使用許可を得て開催しており、警察官1500人を動員するなど財政を圧迫しているが、道路使用料などは支払っていない。

地元の盛り上がり

マスコミでは好意的に取り上げられることが多いが、地元では冷え切った視線を送るものが多い。

  1. 参加者がヤカラが多く、暴走族イベントと変わらない。
  2. うるさい。
  3. 交通規制のせいで市民生活がめちゃくちゃになる。
  4. 参加費、観覧席料、グッズ販売、協賛金収入放映権料などの露骨商業主義で多額な資金が動くが地元にはまったく還元されない。「地元に金が落ちる」と言われていたが実際は売上が落ちる店舗も。
  5. よそ者が始めた胡散臭いイベント
  6. 単純に踊りが気持ち悪い。

2024-04-05

絨毯の上にやかんの水をぶちまけてしまった

しかし絨毯の上にはくっそ重いガラステーブルがあって、のかして拭くのはしんどいので、

「あー水がー水がー染み込んでいってしまますお客様ー困りますお客様ー」って言いながらクネクネしている

かーちゃんがなんとかするだろ

ほとぼり覚めるまで1週間くらい友人宅を渡り歩こう

2024-04-03

街中の公衆便所の個室を20分ごとに渡り歩いて暮らそうかな

2024-04-01

ただ女性であること程度で社会的弱者と言われましても

断っておきたいが、俺は女たたきをしたいわけではない。

会社研修で「貴方ストレート男性管理職であるから社会的には強者である社会的弱者である女性のことを考えましょう」みたいなことを言われて、不意打ちにあったような気持ちになった。

俺は在日三世である。まず、在日差別はある。おじいさんや父親が苦労してきた話(教師が親父の書いた絵に「朝鮮人で最も絵がうまいで賞」と書いた花をつけて廊下に張り出す、など)を聞くとやるせない気持ちになるし、今でも同世代との飲み会になるとザイニチが!みたいな罵倒語を吐くやつは目にする。

なので、正真正銘ゴマカシなしの社会的弱者であるウチは、在日であることを完全に秘匿しながら、日本において唯一無二の後天的に取得しうる強者性=学歴を息子や娘に身に付けさせることが長期的な戦略となった。豊かではない父母は持てるリソースのすべてを我々に注ぎ込んでくれ、果たして俺は東大合格した。

ただ、どんなに努力を重ねても、やはり特に大阪に帰ると無意識差別オブラート社会を包みこんでいるように思えてならない。帰化申請自分で行ったときに、半ズボンで来るようなマトモじゃない人は審査で落とすけど、君は大丈夫普通だよ。でも普通じゃない人ばっかなんだ、とヘラヘラ宣った法務局のHとかいう奴の顔は一生忘れないし、梅田の地下歩いてただこの親父が免許書を見せた瞬間に顔色変えて根掘り葉掘り聞いてきた警察官のことを俺は許さない。妹の元彼の親が朝鮮人とは結婚されられないと挨拶の場で断って、それにそれもそうだなあと言っていたらしいアイツらは妹の流した涙のぶんの毒薬地獄で飲ませたい。

なので、俺がしてきた努力は、親子三代に渡り投入し続けたリソースは、この日本社会で生きていくために絶対必要なコト/モノだったし、その結果としての社会的強者然としたこの姿は、弱者性の超克の志向当然の帰結である

それを、社会的強者である日本女性から生得的に男性であるからという言葉だけで強者形容されるのはとても気に食わない。俺は、俺等弱者は、本当に死ぬ思いをしてここまで来てるんだ。生得的なんて言わないでほしい。

2024-03-30

共同親権界隈かつ暇アノンという地獄煮凝り弁護士が1ヶ月業務停止

https://www.kanaben.or.jp/profile/gaiyou/statement/2023/post-436.html

https://jlfmt.com/2024/03/29/71778/

https://jlfmt.com/2023/04/19/65622/

https://jlfmt.com/2021/06/09/50253/

音無ほむら代理人を務めており暇アノンでもある弁護士杉山程彦が、懲戒処分で1ヶ月の業務停止

裁判官に対する忌避申立を繰り返し裁判を不当に長引かせたため

空弁護士の渥美陽子も1つの裁判忌避申立や補助参加やらで10件ぐらい申立繰り返して不当に長引かせてたなあ

渥美陽子裁判数ヶ月長引かせて相手時間と金を消費させ苦しめようとしていたが、杉山は更に上を行き3年半も1つの裁判を長引かせた

杉山バリバリ共同親権派であり、長引かせたのもそれ絡みの裁判

共同親権界隈では珍しく、「父が親権を持ち、母が親権を求めている」というケースのため共同親権界隈でも意見が分かれた

この界隈はわりとミソジニーこじらせた「女は男の言うことを聞け、従え」という思想者が多い

「女の側につくのか」「これは”連れ去り”とは違う」と杉山批判する共同親権支持者もいた

杉山担当した件は、「産後3ヶ月の母に父が暴力を奮い家から追い出した。残された乳児は父が一人で育てており、父に親権が認められた」というもの

裁判所は暴力真実性は認めつつも、その後数年に渡り問題なく育児している父の親権維持を支持

母に同情できる内容ではあるが、母は父の勤務先情報など第三者個人特定できうる情報Twitterでばらまき、子の顔写真掲載

杉山はそれを止めるどころかリツイートして拡散希望タグつけて広めた

最終的に削除するも、3ヶ月ほど父子の個人情報が流され続けた

個人情報ばらまきの件では2023年懲戒

今回は裁判長引かせ、証拠捏造相手方を大声で恫喝相手方宅に突撃して無理矢理母子面会させようとしたなどの件

杉山先生発言

今日もまた、誘拐助長する◯◯先生相手弁護士)」

「連れ去り弁護士再起不能に追い込みましょう」

「連れ去り弁護士ほど子煩悩アピールする」

日本日常的に誘拐が行われている国です。行政及び司法誘拐犯の味方をし、弁護士誘拐犯側について、金儲けをしています

「この貧困マッチポンプ活動家

夫婦別姓同性婚応援する弁護士のかなりは連れ去り弁護士である

「連れ去り弁護士パヨク親和性があるのはなぜでしょうね」

なお杉山本人が妻に離婚され親権を取られている

妻側の「杉山子供暴力を奮った」との主張が認められているが、杉山否定している

2024-03-29

映画オッペンハイマー問題点というか

簡潔に。いつものノーランだが題材的にも問題点をやはり言いたくなる

原爆被害を書いていないことを指摘されており、それに対して色々と議論もある今作。

その議論自体批評家的に議論するのかノーランファンであるかなど色々と見方があるのだが

結局あの原爆威力について、ノーラン監督はよくわかっているんだと思う

そして多くの日本人も各国の割合的には世界で1番わかっていると思う

でもアメリカ人はどうだろう

欧米諸国はどうだろう

広島の記念公園には韓国人慰霊碑もあるが隣の国ですらそれを知らない人が多い(なお昨今の韓国での日本ブームきっかけに知れ渡り一気に韓国若い世代が記念公園に来ている状況ではある)

つまあの原爆威力を知らないし自ら能動的に、アメリカ思想をくぐり抜けて、調べていかないと原爆被害が分からない人たちがこの映画を見たということだ。

興味を持って調べて貰えればそれでいいと言う人もいるし、それもわかる

しか実際問題として1本の映画を見て人はその作品背景のついてどれだけ調べるだろうか

正直アメリカ人があの映画を見ても、バービーと一緒に難しい映画見る俺達クールだぜと言ってる人たちは、このまま調べることもなくただオッペンハイマーってこんな人だったんだねぇで終わる。

ていうかバーベンハイマーに乗った若者層、映画絶対寝てただろ

ただまあ…あんやばい虐殺土壌汚染環境破壊、子孫まで続いた遺伝子破壊ノーラン監督一人にすべて語らせることや、今のアメリカを背負わせるなんてことは流石に無理があるし、これを見た興味を持って調べた少数派が、原爆についてもっと詳しく語る必要がでてきた(以前から存在していたものアメリカ顕在したというか)

これは正しい理解を広めるチャンスであることは間違いないのかもしれない

ただし日本人がこの映画を見てオッペンハイマーのことを知ったところで、別にいままで語られてきた日本での戦争教育以上のものはないと感じたので、高校生試写会やったようだがそこで出た「足りないと感じた」って感想もっとであるのだ。

2024-03-28

anond:20240327193036

いやお前さぁ

ADHDとかアスペルガーとかの発達障害なんて言葉は近年の甘え用語としてインターネットで広まっただけだぞ

それまではただの「バカ」「アホ」「マヌケ」とか「アンポンタン」とか「ウンコマン」とか言われてただろ

そんでそういう奴らは

北海道じゃが芋を作ったり新潟県田植えしたり農業をやってきた

あるいは漁師になって魚とるか水産物を加工したりする漁業をやってきた

最後は土嚢運んだりよくわかんねえ鉄骨渡りする建設業

大体この3つをバカは誰でもやってたんだよ

お前が自分問題あるならいますぐこれら3つのどれかを従事すればいい

お前は北海道へ行って

「ここでジャガイモ作りをさせてください!」

って農家のじいさんの前で土下座して頼み込め

さすれば「よかろう」と恩赦をいただける

お前はジャガイモ一生懸命作る

そして毎日ジャガイモを作り続ける

から晩まで毎日ジャガイモを作る

何年も何十年も

そうしてお前はジャガイモを作るだけの人生を送れば幸せだろ

インターネットなんてつかってねーでジャガイモのことだけ考えればいい

ジャガイモ食う寝るジャガイモ作りに励む

これだけやってりゃいいんだ

ADHDだのなんだのつべこべ言わねえで

さっさと北海道へ行ってこい

男は黙ってジャガイモだろ

2024-03-27

anond:20240326165105

40代でも貯金額の中央値が50万に届いていないのが今の日本

これにわかには信じがたいのだが…

このレベルの貯蓄だと老後は綱渡り生活では?

2024-03-26

『強くなろうとする弱者は、いちばん性格が悪い』

単純な話、この世の富は有限であり、奪い合いこそが人類の基本姿勢だ。

その為、『必死に奪おうとする弱者』が、いちばん哀れで穢らわしいゴミ――いちばん性格が悪い存在に思われるのは必然である

たとえば格闘技一つとっても、拳のサラブレッドとして、優秀な両親によるサポート――食事管理、幼少期からジム所属させ、愛を与えて自信を付与させる……など、与えに与えられた裕福なガキほど、よく仕上がった大人になり、さらなる賞賛を得やすい。

対称的に、ブレイキングダウンに参加するような荒くれ者は、貧乏団地育ちで、まともな教育も受けられず、治安が乱れた街には悪が渦巻いていて、いつだって心は混沌としているからこそ、「俺は今ココに生きているぞ!」とアウトサイド生き方の中で、危なっかしく命を燃やしている。

でもって、そんな歪みきった世界にも関わらず、那須川天心や、武井壮のようなエリートが、下の下の下の世界にも出しゃばってきて、とことん雑に悪を見下してゆく。

持つ者はいいよな~?

それっぽい言葉と、神が与えた才能と、お手軽な優しさをぶちまけりゃ、なんぼでも光り輝ける人生なんだから

畢竟、くそ喰らえな構造の中で、ガンガン綺麗事が響き渡るとき、虚しさが悪へと切り替わってゆく。

金も地位も名声も、愛と平和も、優しさも善行も、その他ありとあらゆる可能性を、強者が根こそぎ奪ってしまうからな。

じゃあどうする?

正攻法じゃ勝てねぇから、腹を決めてぶっ壊れるしかない。

そうやって我々は、敵意を育て、破滅主義になり、世界を憎むようになる――

とても悲しい事だが、持たざる者努力をすると、自律神経が乱れ、情緒不安定になり、ノルアドレナリン闘争か逃走のホルモン)が分泌し、すごくリスキー毎日突入やすい。

怒り、焦り、悲しみが噴き上がり、「何もかもが悲劇だ!」「誰も彼もが敵だ!」などと、心が荒ぶりやすくなってしまう。

そらそうで、発達障害/双極性障害/社会不安障害/不眠症/過眠症/低収入/孤独など、弱者属性を持っている人々は、社会的に弱い立場であり、そうした現状を客観視し過ぎると、惨めな気持ちにもなるってモンだ。

しかしながら、試行錯誤――破壊再生を繰り返して、1%のチャンスでも掴み取る為には、心の痛みと戦いながら、冷たい現実直視し、真の自分に辿り着き、最適解を模索するしかない。

そして、「変わりたい」「強くなりたい」という願望は、『今この瞬間を否定する』思考でもある為、似たような弱者たちの反感を買いやすく、ちょっとした揉め事に繋がりやすい。

一例を出すと、弱者界隈の者たちに言わせれば、『自己責任論』『努力論』は、耳にするのもおぞましいツートップワードだろう。

ただし、歯を食いしばって勝負に打って出なければ、一生変われない……可能性の芽を摘んでしまいかねない……ってのもまた確かな話であり、『他者への配慮』『過度な優しさ』ばかりまき散らしていると、人生でろでろに腐ってゆく。

からこそ、ファイトクラブ名言――【ワークアウトは自慰行為だ。男なら自己破壊を】よろしくフルスイングで開き直って、「人生自己責任だ!」「負け犬のままで終わりたくない!」と力強く叫びハイリスクな一歩を踏み出すしかない。

というのも、代表的弱者属性――鬱で貧乏などに苛まれると、余裕がなくて選択肢を増やせない中で、鬱々しさと甘えが混ぜこぜになり、ちょっとやそっとでは抜け出せない、転落の日々に陥りがちだ。

そんな絶望境遇から、むりやり這い出る為には、「こんなところで終わらねぇからよ!」「これは俺様復讐戦だ!」などと、躁的な攻撃性のエネルギー必要になってくる。

寺山修司も『書を捨てよ、町へ出よう』の中で、【勝負世界で、何よりも大きな武器は「不幸」ということである。これは「何が何でも勝たねばならぬ」というエネルギーを生み出す力になる】と書いているように、どん底の寒さを思い知ったうえで、這い上がる熱量を高める事が、下の下の下の住人には求められる。

そもそも論、ただでさえ深刻な格差社会――ガチモンの弱者のみならず、中流層以上の人々にしても、「途中で足を止めたら終わる……」という、止まらない不安に追われ、みんなぎりぎりで生きている。

であるからハンディキャップだらけの弱者が、「もっと稼ぎたい」だとか、「もっと可愛い子を獲得したい」だとか、そういった夢を叶える為には、それなりの自己犠牲が必要になる。

いつまでも、おんおんと泣きじゃくって、お金や愛を得られるのは、それなりの性的魅力を持った女子だけだろう。

その他の者たち――大多数の男や、ノンセクシーな女は、あくまでも自分の力でもって、人生を切り開いてゆく他ない。

その過程で、脳内分泌物のバランスが崩れ、とんでもない気分屋になり、周囲に当たり散らしてしまったり……、かと思いきや、頭を抱えて自虐し始めたりと、ぐっちゃぐちゃな時間もやって来るだろう。

そして、精神コストを使い果たして、脳も心もすっかすかになって、飢えた獣のようにピリピリとしてしまい、「なんだこの性根が腐った野郎は?」などと、周囲に呆れられ、見捨てられ、嫌われキャラになってしまったりする。

やはり、世界中のみんなが、要領が良くて、人に愛されやすくて、スムーズ人生渡り歩ける訳じゃない。

人類社会に立ち向かって、一所懸命努力した結果……、ひたすら空回りしてしまって、全てを失うなんて実例も、この世の中には腐るほどに存在する。

とくにこの日本社会は、ひとたび転落して、ブランクが空いてしまえば、誰でも入社可能民度の低い、精神的に疲れる企業ばかりで、働く羽目になりがちだ。

すると、文化レベルの低い同僚に、悪口や陰口を付き合わされたり、ある日、盗難被害が発生したり、急に大量離職が起きたりと、安心とは程遠い……劣悪な環境で生きる事になる。

そうなれば必然的に、こちらの心も殺伐としてしまう。

そんなときには大抵、ムカツキのオーラを解き放ちつつ、下剋上精神が強化されて、「こんな腐った場所から抜け出してぇ!」と、浮き足立ってしまい、半ばパニック状態である

といった流れで、『強くなろうとする弱者は、いちばん性格が悪い』という、悲しき物語が広がってゆく。

2024-03-20

anond:20240320093951

海外旅行好きの女性って何か特徴ってあるのかな。

そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。

国内海外わずだし、男女問わずだけど。

旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所食べ物を入念にチェックする。

現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動がみられる。

最近では、インバウンド来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。

映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。

旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。

日常との差異体験やよその世界ちょっとだけ繋がったりできたことの証明自己顕示が欲しいのだ。

その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したこと証明するうえでとても重要

このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、

現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。

さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、

東海道五十三次時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。

日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。

ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。

そんな男性立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。

それは、旅先で一時的体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。

旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。


「おもいでぽろぽろ」というジブリ高畑勲監督映画(1991)がある。

都会育ちのOL女性田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、

最終的に田舎暮らし決断するところで終わる。

この映画場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、

いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをしばしばきてきた。

アジアアフリカ中南米で。かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。

「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば

海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。

また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップ意向が高いのに対し、女性男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。

男性女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、

だが!しかし、、、、

果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。

それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。

まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。

突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。

瀬戸内海小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。

あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」

当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、

ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟必要だった。

ドラマおしん」(1983年)も思い出す。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。

そこでは、さらもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイ過酷人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつ小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性共感を呼んだ作品だった。

孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、おしんドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしん過去を振り返るために旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。

アウェイ世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。

「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じるエネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性文化的に育まれものなのかもしれない。

昨今では、結婚就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。

男性は芯がないくせに保守的で臆病だからこそ外の世界渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリホームにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなもの男性社会のものがもっていた。ふるさと家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。

一方、女性は嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界

「嫁ぐ」という習慣、因習宿命からまれた、抑圧される女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。

これはなかなかパラドックスだと思った。

翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイ世界に飛び込むという意味

かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟必要だということだ。

若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分覚悟能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。

嫁ぎ先である日本社会日本人男性漠然失望している場合

希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイ世界で生きる宿命ならば、

いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚深層心理にあるのではないか妄想する。

一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というもの概念として存在していた時代都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀)は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。

かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。

「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」

この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイ世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。

なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、温かい視線旅人である自分に向けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテン寅さんとほぼ同じ世界観だ。

そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。


民俗学者宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人考察した文章のなかで、そうした旅人

地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域活性化寄与する機能果たしていたことを、

世間師という言葉表現した。そんなことも思い出した。

世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。

嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会リーダーシップをとっていかなければならない男性潜在的意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。

かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。

男の旅というのは、ちまちましたもの火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。

しかし、この四半世紀、女性社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性模索する時代になった。

テレビドラマも、90年代以降、女性社会進出を反映して、トレンディドラマ代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストラン食事する、みたいなシーンが増えた。

東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマ世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。

しかし、現実女性社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性役割押し付けられていたのが現実だ。その現実90年代ドラマショムニ」でよく表現されていたように思う。

しかし、時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。

中長期的には東京一極集中トレンドは変わらないものの、それは不動産価格トレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省必要な人というのは減っているのではないか首都圏の人は首都圏世代を重ねるし、地方の人は地方価値見出し仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方ふるさとホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。

そうなると、都会の人間地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。

その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、女性理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。

一昨年のドラマファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業テーマ女性自画像模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。

ファーストペンギン」のように地方移住テーマにした作品は、アウェイ環境女性ポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。


そんなことをおもった。そもそも旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。

とりとめもないメモです。

2024-03-19

自転車歩道を走っている(徐行)しているとき歩行者信号に従う

直感的じゃないなぁ。

歩道にいても軽車両なのにね。

信号機渡りながら歩道から車道に出るときのはどうするのか?

今いるところの車道に一回出て車用信号機に従う?

でも歩道to歩道渡りきってからすぐさま車道に出るなら歩道信号機か。

わき道の段差は無かったり高かったりするから交差点から変更したいのよね。

なんか覚えづらいし結局その時々で都合がいいずるい運転をしそう。

「超」積極的安楽死

R.I.P. 迎田良子さん

安楽死」を考える スイス最期を迎えた日本人 生きる道を選んだ難病患者報道特集

https://news.yahoo.co.jp/articles/8bb2d6cf595ffedc5bfdf45ad29546aca08b0474

というニュース話題になっている。 迎田良子さんというパーキンソン病の人が、スイス積極的安楽死したという話だ。

迎田良子さんは暴力家庭に生まれ高卒とともに家を出て、 日本語講師として海外仕事をしていた有能な女性だ。 ヨーロッパ各地を渡り歩いたという。 しかし50代でパーキンソン病発症し、 婚約していたフランス人男性にも捨てられた。 そして日本に戻り一人過ごしていたが、パーキンソン病からくる長年の苦しみから解放されるために 安楽死を決意。スイスに渡って安らかに死んだ。 婚約していた男性に看取ってくれるように連絡をつけていたらしいが、 直前になって拒否され、一人で死んだ。

遺骨はレマン湖に撒かれた。 レマン湖男性デートした思い出の場所だったらしい。

おれはどうも、この社会で生きていくことが難しいようだ。 この社会で生きていくのはどうしても辛いから、 今ある少ない貯金が尽きたら自殺しようと思っている。 実家に帰ってきたのは、心の整理をつけるためである。 親もおれがいきなり死んだら、心の整理がつかないだろう。 だからすでに、お金が尽きたら自殺するということは伝えてある。

しかしおれはこの社会で生きるのが辛くてそれから逃げたいだけであり、 自殺の苦しみを味わいたいわけではない。 楽になるために苦しむということは嫌だ。 でも安楽死ならどうだろうか。 楽に死ねるだろう。 それがおれの望みだ。

費用は200万円程度らしい。 あとは、英語コミュニケーションがとれること。 幸い、今ならば200万円は工面出来る。 英語問題ないだろう。 安楽死するために英語勉強したわけではないが。

この人生は最悪だった。 思うに、おれは劣った人間との相性が最悪だ。 相手コンプレックスを抱えていると、衝突することが多い。

ご存知のとおり、 おれの人生最後最後高専かい知的障害学歴クズ破壊された。 結果、おれはもうこの社会で生きていくことが不可能になり、 金が尽きたら自殺するほかなくなった。 この詳細は、おれが死ぬ前にでも書き残そうと思う。

結局このクズも、学歴コンプレックスの塊なのだ。 優秀なおれに出会ってしまたことでそのコンプレックスはより強くなり、 おれに対して粘着し、人生破壊してやろうと思うようになった。 そしてそれは成就された。おめでとう。

京大でもそのようなことがあった。 こいつは学歴コンプレックスではないが、 自分容姿能力コンプレックスを抱えていた。 それ故に、そのどちらも優れていて、 必死努力しているようには見えない おれが憎かったようだ。

おれは劣ってる人間に対しては無関心だ。 関わっても得がないとか、損得勘定問題ですらなく、 ひたすら興味がない。死んでほしいとも消えてほしいとも思わず、 ただ、見えなくなる。 しかしこの無関心が、相手にとってはひどく傷つくらしい。 そして、それが相手の中の敵対心に火をつけるという仕組みのようだ。 めんどくさすぎる。 それは、そちらのせいでしょう。おれのせいではない。 あなたが劣ってるから悪いんです。 ギフテッドに生まれなかったあなたが悪いんです。 いちいち絡まないでほしい。

今後も、こういうことがいちいち起こるんだろうかと思うと もう耐えられない。 おれはもうこの社会で生きていく気を失ったと思う。

おれの夢は、知床で熊と一緒にコーヒーを飲みながら 世間話をするような生活だ。 人間から離れ、山の中でひっそりを暮らす。 そういう生活が叶わないならば、もう、生きる気はない。 ベーカムにも期待しているが、おそらく実現は遠く、間に合わないだろう。 自然の中で熊と囲碁をしたかった。

おれのように社会適合出来ない人間安楽死出来るような社会になれば 多くの人が救われることは間違いない。 しかし、安楽死には当然、慎重な議論必要である。 ある難病患者女性は、積極的安楽死が認められてしまうと その楽な死を選ばないことを自己責任転嫁されてしまうことを恐れている。 これは例えばだが、用意された楽な死を選ばないのだから生命維持装置費用は自費にしろとか、 そういう論調が生まれることもあり得るだろう。 確かに、それは恐ろしいことだ。 難病になることは不運であるから、これは国が救うべきだ。

から必要なのは積極的安楽死を飛び越えた「超」積極的安楽死である。 超積極的というのは、難病であるとかそういう理由必要なく、 単に生きるのが辛いことを理由にして安楽死するということだ。 ようするに、今自殺によって実現されている死を薬による安楽死に置き換えるというものだ。 試験での失敗を苦にして自殺するのもいいだろう。 恋人に捨てられたか自殺もいい。 整形手術に失敗したか自殺もいい。 おれのように、社会に適合出来ないか自殺しますも当然許されるべきだ。 生と死には対称性がなければいけない。

大人は、「まだ若いから」とか「これからきっと良いことがあるから」とか言って あなたを生かそうとするだろうけど、それは あなた自分の老後を支える駒として見ているからだ。

この国の現状は、今は辛くても頑張って生きていればいつかきっと良いことがあると 思えるような状況ではない。 だから、うまく行かなかったら即死ぬという選択肢がないと不公平だ。 また、失敗したら気軽に死ぬことが出来るからこそ、 人間は現世において挑戦することが出来る。 日本人のチャンレンジ精神が低いのは、高齢化社会による社会保険料の問題と、 拳銃の所持が許されていないために自殺簡単でないことのせいだと思う。 そういう意味では、日本こそ、積極的安楽死必要な国だといえる。

積極的安楽死犯罪も減らすだろう。 貧困になった人が誰しも強盗窃盗をしたいわけではない。 生きるために仕方なくやっている人もいるだろう。 でも超積極的安楽死があればそういう人たちも、 他人迷惑をかけるより 死を選ぶのではないだろうか。

アホか

近所トラブルに首を突っ込んで巻き込まれ

アホか

俺の住んでいる集合住宅は、階段が方形にとぐろを巻きながら縦に伸び、その左右に各世帯が住む部屋がある

どういう所に住んでいるかは、まあお察しだ

俺はそこの4階に住んでいる

夜の9時ごろ、木の床の上をガタゴトと転がるような音がした

この建物はこういう音がとてもよく響く

発信源は3階か、隣か、というくらい響くし、実際そうだと思っていた

それが鳴り続いて収まらないでいると今度は階段の下の方から

 

バガーン!バガーン!

 

と家の扉である鉄製の扉を強く叩く(たぶん蹴ってる)音が響いた

かなり下の方からだな、と思うと当時に

もうこれ暴力事件の音だよ、俺のご近所で何よっ?

と思ったので、下まで階段を降りて行った

2階まで来ると、1階と2階の間の踊り場に男がいた

2階の住人だ

踊り場の手すりから身を乗り出すようにして下の階を覗いている

そいつ階段を上がってくると目が合ったから「何だよ」と聞いたら、下の階の住民生活音がうるさいという

俺は事情を察した

そこに住んでいるのは介護老人とその家族

最初騒音はたぶんポータブルの用意をしていたのだ

ちなみにそこの家の人と話をしたことがあるが、前に訪問介護が来た際にそいつからうるさいと怒鳴り込まれたことがあるそうな

それでわざわざ訪問介護が来る時間を変えてもらったというのだから、万事なるべく音は立てたくないはずだ

どんな気持ち作業してたんだろうな?

それを家の扉を強打するような脅迫行為に及ぶとは

アホか

という以上の悪感情が沸いてくる

そいつは2階まで上がってくると、お前も下に降りて抗議しろよとこちらの体を下の階へ押してくる

俺は蹴られ、言われた通り階段下りるとその最中階段下へ突き飛ばされた

下まで残り4段ぐらいというところだったので怪我はしなかったが、俺は階段の踊り場で転倒した

相手自分のしたことを確認するが、相手は知らね、知らね、とシラを切る

それで警察を呼ぶからなと予告し自宅に戻ると、今度は相手がウチの階まで上がってきて家の扉を強く叩いて(たぶん蹴ってる)きた

俺は予告した通り警察を呼んだ

まあ、警察を呼ぶと予告した以上、呼ばないとこちらも脅迫罪に問われるのだが

50年近い人生で初めて110番を押した

こち110番です、どうされましたか?」

俺はこう告げた

すみません、ご近所トラブルです」

アホか

如何せん、こちらも口下手な上にビクついていたから、状況説明が要領を得ない

それでもこちらの名前と住所、トラブル相手について聞きだして、警官を寄越してくれた

来てくれた警官はとても優しく親切だった

要領を得ないこちらの説明もよく聞いてくれた

床を転がる音ってどんなですかと聞かれて、玄関にあったキャスター付の籠を転がしてみせてしまった

俺が言おうとしてたのは、四角くて硬い物を、木の床の上で転がしながら運ぶような音だ、全然違う

単に「木の床の上をガタゴトと物を運ぶ音」と言う方がよっぽど正確に伝わったと思うのだが、最初に浮かんだ上のイメージ固執して却って違う物を伝えてしまった

アホか

近所トラブルについては首を突っ込まず自治会相談した方がいいですよ、と最も至極なアドバイスももらった

逆恨みもされるから

ただ、警察を呼んだのは怖かったからというのもあるが、事ここに至っては自治会のような組織で内々で処理するより、ちゃんと大ごとにというか、より公の事にした方がいいと思ったからだ

事ここに至ってというか、相手がマトモじゃないか個人レベル渡り合うのは無理

だけど、そのために出動させられてたのでは警察もいい迷惑だよなと今は思う

から来てくれた警官にはたいへん申し訳ないという気持ちがあるが、来てもらって正直、とても安心した

相手側の話も聞いて注意するということで警官との話は終わった

結局禍根は残り、それがトラブルを招来することもあるかもしれないが、それは自分のやったことの結果だからしょうがない

しかし、ウチの建物に入居してくるのはみんな穏やかな人ばかりだったのになぁ

2024-03-18

川口駅に関してほんのちょっとだけ語る その2

その一 https://anond.hatelabo.jp/20240318182037

 

 

地下街があった

東口の地下に何やら変な駐輪場があるのだが、実はこれは1990年までは地下街であったのだ。出来たのは1960年代のはず。

天井低くてしょぼいし店舗も狭いし店も昭和中期っぽくて古いしで、テコ入れされないままに90年に廃止

というのも、90年にそごうが出来る事になったので、橋上駅の高さのままにデパートに入れるペデストリアンデッキを築造し、地下じゃなくて上の方で発展させる方向になったのやね。

で、駅の真ん前のデッキの基礎を建てるには地下街通路邪魔。って事で、通路を閉鎖してデッキ基礎が貫通する形になった。残りの部分は店舗仕切りなどを取っ払って駐輪場へ。

なので一部閉鎖区画があって鉄板や木の板で塞がれているのだ。増田はここにどうにかして侵入できないかを昔から考えているのであった。

 

川口の乗越線と三菱重工爆破事件関係あるって?

ちょっとあるよ。

本来東アジア反日武装戦線「狼」はお召列車爆破と昭和天皇暗殺を狙っていた。場所東北本線貨物線荒川鉄橋。

1968年まで赤羽以北の東北本線は貨客混合の複線だったが、輸送力増強の為に複々線化されて貨客分離された。これでお召列車貨物線を走るようになった。原宿駅お召列車ホーム自体山手貨物線接続されているから。

そうすると、貨物線橋梁爆破しても一般人危害は与えないという事になる。そこで一味は爆弾設置の為に電線を設置しにいくが、人影があり、付近徘徊しているので恐れて中止した。

そこで目標を変更して三菱重工爆破事件に至ったというワケ。元の一般人への危害回避はどこに行ったんだ。川口の乗越線はやっぱりこの貨客分離が元だから関係があると言えば関係がある。

wikipediaの虹作戦の項には「爆弾を仕掛けようとしたのは旅客線」と書いてあるが、これは間違いじゃないかと思う。そこは間違えんだろうし、増田が聞いていた話と違う。

 

そごうってどうなってんの?

東口駅前そごうそごう西武グループが売却してゴーストビルのままになってるが、三井が取得する見通しと、去年市議会で報告があった。三井という事はララガーデンかららなんとかとかららクロフトかになるのかと思われる。

しかデパートというのはハイコストハイリターンの業態に合わせた建物で、コストメチャクチャかかるんだな。それは冷暖房費やエレベーターエスカレータなどもそうだし、搬入口が狭くて外部の納品代行業者経由で整理して混載で搬入するのでないとパンクするっていうのもある。

から巨大ダイソー一棟貸しみたいなのなら行けるが、色んなテナントが入って納品代行は使わないっていうのは無理など、難点が多いのだ。

そもそもデパート損益分岐点って日商4000万円とかそういうレベルなんでショッピングモールなんかに入るテナント業態が合わないのだ。

からどうなんのかなと様子見。結局開店が流れちゃう可能性もあるね。

 

SLあおば通りってSL走ってたの?

SLあおば通りって道があって、ファミマSLあおば通り店っていうのもありhttps://maps.app.goo.gl/fWvvCmGbAjvhLPZw6 、道筋にはSLオブジェとかもある。

でもこれインチキなんだよね。ここに線路があった事ってないんだ。

アリオは元はビール工場で、そこと川口貨物駅の間にユニオンビール専用線という貨物線があった。でもその専用線は現線路に平行していてJR保線基地に使ってる。

そこでビール工場跡を再開発するにあたり、専用線跡を記念するオブジェを配置したい、でも専用線跡はJRが使ってる…って事で隣の道を指定しちゃったと思われるのね。こういうのは混乱の元だから止めて欲しいですな。

 

地下道入口付近に巨大石碑があるが読めん

あるね。https://maps.app.goo.gl/dGPVNnEXP6hMg3n26

植物の繁茂で全然読めないが、実は同じものが陸橋の西詰にあるよ。https://maps.app.goo.gl/GNdf7d4UP3eT9aYj7

石碑の内容は、整圃事業の謝辞だよ。戦争中にまだ農地ばかりだった駅付近一帯を碁盤目状に土地区画整理をして、その協力した地主達を名上げして感謝している。川口江戸から離れ鋳鉄で栄え舟運で製品を出荷してやがて鉄道が来て~という事を漢文で書いてある。

この区画整理を戦前にやっておいたせいで、戦後に鉄の民需が爆上がりした時に鋳鉄工場が大量に出来て鉄の街となったのだな。

 

また、最初の碑がある場所というのは実は大踏切があった場所だ。駅の方から来た道が斜めに線路群を渡り、対面の斜めの道に踏切で抜けていた。

でもこれは当然危ないわけで、昭和30年代に埼玉県荒川大宮間の踏切を全部立体交差にする工事をしたのだ。それでこの大踏切廃止になって代わりにこの北の川口陸橋が掛けられた。

因みにこの陸橋の開通セレモニーでは神主が来てお清めしから神主渡り初めをしているのが写真に残っている。

から王子から赤羽には踏切が幾つか残っているのにその北の大宮には踏切が無いのだ。

多分西詰の石碑は元は大踏切の反対側にあったのがこの時に移動されたのではと思う。

 

なんで川口はタワマンばかりなの?

そりゃ工業地帯を転換したからよ。

タワマンというのは住宅地には建てられないの。日影規制もあるし、日照権も主張できるからあとから訴訟になる。

でも商業地工業地ではそれらは主張できない。だから工業地帯から転換した地域はタワマンに最適というか、それ以外では建築が難しいの。

更にタワマンには建物の周りに公開空地を設けないとイケないのだが、「大規模な町工場」というのはこれで必要とされる広さに丁度いいのだ。

そういう訳で、川口にある〇〇製鉄、○○鋳造なんて名前会社は、多くがもう工場を持ってないか縮小して他所移転していて、不動産業メインの会社ばかりになってる。

日本初のタワマン川口元郷のエルザタワー32なんだけど、ここは日本ピストンリングというエンジン部品を造っていた会社工場だったところ。

因みにピストンリングは昔は鋳鉄を丸く繰り抜いたものが使われていた。鋳鉄には細かな穴が沢山あるのでここにオイルを保持して焼付き防止になっていたのだ。って事でやはり川口なので鋳鉄なのだ

 

東口にイート川口ってビルがあるが、パチンコ屋ばかりじゃね?

実はここは元は丸井だったのだ。丸井は0101って書くやろ?

その丸井が閉店になって共同所有になり、ビるの愛称を決めた。もとが0101だから1110って訳でシャレや。

 

その他川口面白いところある?

西口から徒歩7分くらいの所に飯塚氷川神社という神社がある。https://maps.app.goo.gl/fKh6qXTZGCNTYGRE9

ここだが、境内結構古い社務所があるのだが、なんとこの社務所選挙投票所指定されている。中は畳と板張りなんだが、そこに土足で入れるようにシートを敷いて投票箱と記帳所を置いて公職選挙が行われる。

すげえ田舎離島神社投票所というのはあるだろうが、東京都から徒歩10分、駅で一駅のタワマン林立地帯でこんな投票所があるというのは珍しいんじゃないか

好事家の皆さんは選挙の日に覗きに来てはどうだろうか?

 

荒川河川敷に教習所みたいなのがあるけど何?

何?じゃなくて教習所や。元々地産グループ教習所だったが、グループ首魁が逮捕された影響で元会社倒産、売りに出されて飛鳥ドライビングカレッジとなっている。

ここだが、ちさん時代から教習料が安いのが特長。都心から近いのに首都圏で一番安いという穴場なんだな。免許取りたい人はイイゾーここ。

因みに2019年台風19号の増水ではコースが7mの泥水の底になって、後にはコースも見えない泥の沼が残り、教員たち総出で泣き泣き泥かきをしたそうだ。

 

 

以上、川口についてちょっとだけ書き記した。

2024-03-17

anond:20240317110818

日本では、人種差別意識希薄な分だけ、服装差別が凄いんだよ。

日本人と対等に渡り合うには、日本人並みの厚着をしないと舐められる。

2024-03-14

anond:20240314222255

男性看護師非モテってあんイメージ湧かん

女だらけの世界で上手く渡り歩ける能力必要だし、それが全然出来ない人は学生の時点で挫折してるんじゃないか

学生時代は浮いて女からいじめられつつ何とか学校に通って卒業後は男が多い精神科勤務、とかならありか?

2024-03-13

現代詩

実る道行

 

 

 

いま雄叫びからすむぎ

そして実りゆく案山子

つるむらさきと芹ならば

かえって心も気も楽か

 

紙が毛羽立つ筆先に

今日自分感情

眠れるものから綴じるのか

寝てもいいけど角度を変えて

どの交情が占めるかとか

激情の水と信仰

雁は帰巣の頭を巡らせ

湯冷めのしない羽休め

気持ちをすべて言い当てられて

謎まだ解けず

声、小さいよ

もう眠そうな声

眠いのか、そう眠たいならね

 

薄暮れにひきあげて

体の幅で塞ぐ畦道

ゆくりなく渡り歩いて

抜き足を峠まで運ぶか

運んだ先の馬場で待つ蟻

 

夜の目も利く先導と

山裾からまた山裾へ

 

思い出したら話してくれる

何かと深めた信心

あたらしい主になり代わる

鯰の潜む流れから

 

遠くから二十万騎のかちどき

おおむね好意を内に示して

 

尖底土器まで野心が巡る

ただ走り先走る尖石

 

雪が見えるの

なれの果て

それがおまえ

おびただしく連なるからたち

 

絶えずまわりにくべる火の

しらじら退いた機先

 

明日の天気は野を分けて

みだりに迫り来る老齢

未来蕎麦も遠のいて

昼のあずきとも関係ない

払えば道となる藪を

ぼうぼう伸びるにまかせていれば

 

北限に迫る脊梁

とうとう採集しきれぬノート

たかく道行き

ゆずりあう群落を間引いても

洗いそそいで運ばねば

枯れるもなにも使う人のない枕木

 

ノウゼンカズラ

向こうで咲いてたか

走りながら根付くわけではないか

うそこまで行ければいい気がする

 

ひとまず不慣れな先行きで

まずは燕をとらえるか

あぶみを離れるいななきの

鼻先まで香るうちに

まずは燕をとらえてみるか

 

 

 

パッチ・ワークス』(港の人)より

https://www.minatonohito.jp/book/420/

2024-03-11

vrchatを2年プレイしてお砂糖人間関係について思うこと

砂糖は「友達」としての親密さなのか「恋人」としての特別位置なのか議論されることがありますしかし、「友達」の間の距離感は、特に曖昧で広範囲渡ります。それでは、この微妙関係性について、もう少し詳しく探ってみましょう。

『とも‐だち【友達】の解説互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。友人。朋友 (ほうゆう) 。友。「—になる」「遊び—」「飲み—」

[補説] 2013年10月実施した「あなた言葉辞書に載せよう。」キャンペーンでの「友だち」への投稿から選ばれた優秀作品。』

goo辞書より引用https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%8F%8B%E9%81%94_%28%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%A0%E3%81%A1%29/

"互いに心を許し合って、対等に交わっている人"と"一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人"という表現は、確かに"友達"という言葉表現されますが、その深さや距離感に違いがあります

互いに心を許し合って、対等に交わっている人: この表現は、相手との関係が深く、信頼関係が築かれていることを示しています。このような友人は、自分内面理解し、支えてくれる存在であり、困難な状況でも一緒に乗り越えてくれるでしょう。また、対等な関係というのは、互いに尊重し合い、意見自由に交換できる関係を指します。

一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人: この表現は、一緒に楽しい時間を過ごすことができる友人を指しています。このような友人とは、共通趣味や興味を共有し、一緒に活動することが多いでしょう。しかし、それは必ずしも深い信頼関係があるとは限らず、個人的問題を共有することは少ないかもしれません。

一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人について話していきます

「遊び友達」、「喋り友達」、「ゲーム友達」、「ソシャゲ友達」など、これらは特定コンテンツゲームで楽しむためにつながっている友達を指します。彼らとは同じコミュニティ所属し、雑談したり遊んだりすることがありますが、それ以上の深い関係はありません。

私生活に入り込むことはなく、お互いの個人的なことには触れず、純粋趣味を楽しむ相手としての友達です。

これが悪いというわけではありません。むしろインターネット上の友達との距離感としてはこれが普通で、健全な付き合いだと思います。それぞれの友達との関係性を理解し、適切な距離感を保つことが大切です。

ですが、インターネット上の友達という距離感を保ったままお砂糖になるケースが見受けられますリアルな友人とネット上の友人との間に存在する距離感の壁を超えられていない場合、それは誠意があるとは言えません。お砂糖が友人である恋人であるかを問う前に、互いに心を許し合うという基盤がないまま、不確かな関係性を築いてしまうことは良くありません。

それでも、それはまだマシな方かもしれません。なぜなら、"フレンドを切ってしまえばただの赤の他人しかない自分にとって都合のいい遊び相手"という浅い考えで人を見下して、都合の良い相手として付き合っている人々が存在するからです。これは、人間関係を軽視し、他人尊重しない態度を示しています。このような考え方は、健全人間関係を築く上で全く適切ではありません。

それぞれの関係性を理解し、適切な距離感を保つことが大人人間関係です。ですが、人間関係を深め、信頼関係を築くために近づこうとしないまま形だけの関係になっていませませんか?お砂糖という言葉で誤魔化さずはっきりと、どういう距離感で居たいのかを伝えることが大切だと思います

奇跡的に距離感の擦り合わせに成功したとしても、価値観の擦り合わせという工程がまっています。もはやvrchatの領分ではありませんが、自分の思う価値観の擦り合わせについて書いていきます

人々が他人欠点を見つけて大騒ぎし、マスコミがそれを叩き、インターネット上で集団非難することは、不寛容社会を反映しています完璧を求める就職活動や、欠点を許容しない傾向は、生きづらい世の中を作り出しています

カエル化現象」という言葉が、近年よく使われています。これは、愛する人些細な欠点を見つけた瞬間、その魅力が色褪せ、感情が冷めてしまうという現象を指します。しかし、この現象は、私たち他人に対して持つ過度な潔癖性の表れではないでしょうか。例えば「樽一杯のワインスプーン一杯の泥水を入れると、全てが泥水になる」という言葉がありますが、人間関係においても同じように厳しい基準適用してしまっているのです。

しかし、人間完璧ではなく、欠点を持つことは自然なことです。お互いの欠点を認め、許容することで、より健全社会を築くことができるでしょう。完璧を求めるのではなく、人間らしさを受け入れることが大切です。それによって、より寛容で、生きやすい世の中になるはずです。

自分距離が近い人と上手くやっていくコツは「嫌いを許容する」事にあると思います

人間関係において、「嫌いを許容する」というのは、相手欠点を受け入れ、それを乗り越えることで、より深い信頼関係を築くことができるという意味です。私たち完璧ではなく、誰もが何らかの欠点を持っていますしかし、それらを認め合い、サポートし合うことで、互いの絆は強まります

嫌いな部分を見つけたとしても、それを単に指摘するのではなく、どうすればその部分を改善できるか、またはその部分を受け入れて支え合うかを考え話し合うことが大切です。お互いの長所を認め合い、短所を補い合うことで、関係はより豊かなものになると信じています

まあ、vrchat民の殆どは指摘すらしない事なかれ主義者ですが。

人との距離が近くなるほどに、相手の嫌な部分が見えてくるかもしれませんが、それを乗り越えることで、より強固な関係を築くことができるのです。そして、それは人生において非常に価値のあることだと思います

ですが、現実はそう甘くはありません。

SNSの普及により、私たちはいつでもどこでも人と繋がることができるようになりました。しかし、その結果として、人と深く関わり合うという行為希薄になってしまったのではないでしょうか。かつては、人間関係を築くことは時間と労力を要するものでした。しかし今、私たちは「人間関係に対して代わりがきく」という新たな現実に直面しています。嫌いな部分を持つ人間関係を見つけたら、簡単に切り替えて新しい関係を探すことができるのです。

このような状況は、人間関係価値を軽視する傾向につながりかねません。一つの関係問題が生じたとき解決する努力をする代わりに、新しい関係を求める方が容易になってしまったのです。しかし、これは本当に良いことなのでしょうか。人間関係においては、困難を乗り越えることが成長につながる重要過程です。簡単関係を切り替えることは、その過程を省略することに他なりません。

私たちは、SNSがもたらす便利さと、人間関係の深さを保つことのバランスを見つける必要があります。人との繋がりを大切にし、一時的不快感問題を乗り越えることで、より強固で意味のある関係を築くことができるのです。それは、メタバース時代においても変わらない人間関係本質であると言えるでしょう。

2024-03-08

anond:20240308145353

まあそうね

市場でやっていけるスペックがあるならハロワじゃなくて転職エージェント使って失業期間作らずに渡り歩いていくのが常識だわ

anond:20240308104358

あなたには衆生に対する慈悲がある。それは得難い心と存じます

ブッダは伝えるために渡り歩きました。でも、現代では違った方法があるやもしれません。

一路平安を祈ります

2024-03-07

anond:20240306234738

ミレーナって子宮避妊リングだっけ?

これだから金持ち

ってほど高くないと言いたいが

安くもない

自分婦人科で5年前に聞いた話によると

1回5万円で5年ごとに入れ替える

ピル月3千円 = 年3万6千円 = 5年18万円と比べると

1/3 1/4 だから安いといえばそうなんだけど

体内に長期間渡り薬物も入れる事を考えると

安いといえば安いけど

自分はそんなに気楽に出せる額でもないな

2024-03-03

anond:20240302000009

嵐山は乗り換え多くなるが阪急で行けば空いてるぞ。

JR嵐電渡月橋を挟んで向こう側なのがいい。

渡月橋は一回くらいは歩きたいが、往復まではしたくないという人が多いだろう。

阪急で行って渡月橋渡り嵐山の中心地を見てJR嵐電で帰るといい。

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